045
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雪枝は情報資料室の自分のデスクに座りアイドル雑誌『NEO NECO!』を読み込んでいた。大和兎責任編集・〝SPECIAL〟と銘打たれた総集編である。
現在室内にいるのは、岡真銀、佐神沙希、雪枝の三人。三人ともそれぞれが独立の作業をしていたので言葉を交わすこともなく、この地下の部屋は静寂に包まれていた。
『しかしこれはなかなか……耳が痛いですね』
今、雪枝が目を通しているのは『アイドルと人権』特集号をまとめたページである。
アイドルの歴史と絡め、フェミニズムとの関連・労働者としての観点から見た場合の権利・ファンとの関係などを、かなり真正面から論じている。
ここに関してはおちゃらけや妥協は一切なかった。
『この内容で商業的に成功させているのは大した手腕ですが』
つらつらと考えをまとめながらページを繰る。もちろん時代もあろうし、そういう内容ばかり充実しているわけではないのだが。
この手のことに対しては、雪枝にも問題意識がないわけではなかったので、内容は比較的すらすら頭の中に入ってくる。
ではあるのだが、一時期関心がそちらに向いても忙しさの中でいつしか忘れてしまうのが実情だ。
ただ、アイドルとしての自分たちの立場からすればありがたいものだ、と雪枝は感じていた。
耳が痛い部分もあるが、批判や問題提起は概ね運営や厄介ファン・バックラッシャーに向けられている。事実この雑誌のおかげで救いに繋がった同業者も多いと聞く。
『まあ〝忙しい〟はいいわけにはなりませんね』
ふう、と一息ついて雪枝は顔を上げた。
一応、ざっと特集に対するネット民の反応も見てみる。
硬い内容だけあって、ある程度の普遍性を獲得しているらしく普段アイドルに興味のないような所謂〝界隈〟以外の人々も話題にしていた。
注目を集めているのは、そのような人々の中で一定の見識を備えている人間の発言が多い。
『しかし……』
それ以外の人々、の間ではどうだろう?
どっぷり肩まで業界・界隈に浸かってしまっている人たち。逆に見出しだけ目の端に入り、反射的に反発する人々(じっくり内容を読んでも反発するだろうが)。
有り体に言ってしまえば、特集の中で批判の対象とされているような人々である。
これさえも、エモい物語として消費されて終わってしまうのではないだろうか? もしくは逆の立場であれば一時の気晴らし、手軽なサンドバックとして。
消費ではないコンテンツとの向き合い方とは?
通り一遍では答えにくい問いだが、雪枝としては一応の解答は持っていて〝それに触れることによって人生の何事かが変わること〟である。
何か考え方が変わる。世の中の見え方が変わる。気付かなかった何かに気付かされる。
その作品、情報、芸術に正対することにより、自分の中に今までなかった何かが立ち現れれば、それは空虚な時間ではなかろうと思っている。
『これだけコンテンツの洪水のような中で生きていればそれも難しいのでしょうが』
振り返って、アイドルとしての自分たちの活動を考えてみても、お客さんにそれだけのものを提供出来ているかどうかは極めて疑わしい。
では、ユーザーとしては?
(アウトプットのための)インプットと称される何かはそれに値するだろうか?
『いずれにしても、届くべき人に届けるべきことを届けるのは難しいですね』
半ば強引に、無理矢理雪枝は考えを断ち切った。今考えるべきことでもないだろう。
「……逃げですかねえ」
「ふぇっ? なに?」
沙希が能天気そうに反応すると同時に、情報資料室のドアが勢いよく開け放たれた。
「たわけーーーっ!」
ばあん! と派手な音をさせ登場した長尾伊都の、年齢にしては低めの声が室内、いや地下全体に響き渡る。
「貴様ら、まだ情報部の仕事をしているというのは本当の話かっ?!」
口にこそ出さなかったが〝返答しだいではタダでは済まさん〟と顔に書いてあるようだった。
『〝貴様〟が出たってのは相当キてるな~』
沙希は内心で吐息とともに愚痴を吐き出す。
「状況がわかってるのか? 貴様らの実力で二足のわらじなど履けると思うのか?! そもそも四季真希事件の主な調査対象は千代エーだろうが? 何かあったらウチの企画参加は一発アウトだぞ! リスクとリターンが……」
「やー、その辺は一応話しあったんだけどさ」
「話しあった結果がこれか?!」
「なんも言われなかったし、いいかなーみたいな……」
「こっちから言わないと何も判断出来ないのか! 小学生か貴様らは。……ってこら、おい! 逃げるな!」
沙希が相手をしている間に、岡真銀がスルリと伊都の後ろを抜けて室外に出て行った。見事な動きである。
「逃げたのではありません」
雪枝は読んでいた『NEO NECO!』を丁寧にモニタに立てかけて、伊都に向き直った。
「少しお目に入れたいものがあるので……その準備をしてもらいに行ったんです」
嘘ではない。そのための準備は既に出来ている。時間的には結構ギリギリではあったのだが。岡真銀はくるべき時がきたのを敏感に察知したのだ。
「お、め、に、い、れ、た、い、だ、と~~?」
歯をギリギリと軋ませ、力み過ぎた目の端が細かに痙攣している。辛うじて鎖に繋がれている猛犬のようであった。
「……まあいい。何か知らんが一応見ておいてやろう。三途の川の渡し賃くらいにはなるかもしれんからな」
舌打ちして室内の適当な椅子に座ろうとする。
「あ、いえ……いつもの会議室の方に来てもらえますか?」
自身も立ち上がりながら、雪枝は促した。いつも〝統合情報会議〟が行われている、あの部屋のことである。
「わざわざ移動しろというのか?」
不審げに雪枝と視線をカチ合わせる。雪枝は真っ直ぐ受け止めた。
「ええ」
「よくわからんが……いいだろう。付き合ってやる」
伊都は嘆息しながら部屋を出て行った。
会議室に到着すると既に沙希と真銀は待機していた。沙希もいつのまにか先行し、真銀を手伝っていたようである。
「ええと、まずこれを見ていただけるでしょうか?」
雪枝はアースカラーで模様が描かれたボール箱を、着席した伊都の前に置いた。しん、と静まり返った会議室内に微かな音が響く。
「なんだ? 海苔の箱か?」
両手で振って雑に蓋を取ると、ミドルくらいの筒丈の黒い編み上げ靴が出てきた。
「これが?」
「それは事件当日、夕山四季さんが失踪直前まで千代エージェンシービル内で履いていた靴です」
雪枝の答えを聞き〝ふむ〟と一言唸り、伊都は腕組みする。
「なるほど、取ってきたか……。お前の仮説を裏付けるモノの一つというわけだな。持ってもいいのか?」
問われて、真銀がさっと使い捨ての手袋を渡す。熟練の執事のような動きだった。
しばらく、裏返したりグルグル回したりして矯めつ眇めつ観察した後、丁寧に箱に戻す。
「うん……わかった。確かに夕山四季がいずれかのエージェントだったとはっきり証し立て出来れば、SNOWが調査を継続する根拠の一つには成りうる。ことによればプロジェクト自体が危険を孕んでいる可能性が増すからな。そうだった場合、早めに損切り出来れば越したことはない」
伊都も上がってきたSNOWの報告書は読んでいるので、調査の経過は把握している。
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現在室内にいるのは、岡真銀、佐神沙希、雪枝の三人。三人ともそれぞれが独立の作業をしていたので言葉を交わすこともなく、この地下の部屋は静寂に包まれていた。
『しかしこれはなかなか……耳が痛いですね』
今、雪枝が目を通しているのは『アイドルと人権』特集号をまとめたページである。
アイドルの歴史と絡め、フェミニズムとの関連・労働者としての観点から見た場合の権利・ファンとの関係などを、かなり真正面から論じている。
ここに関してはおちゃらけや妥協は一切なかった。
『この内容で商業的に成功させているのは大した手腕ですが』
つらつらと考えをまとめながらページを繰る。もちろん時代もあろうし、そういう内容ばかり充実しているわけではないのだが。
この手のことに対しては、雪枝にも問題意識がないわけではなかったので、内容は比較的すらすら頭の中に入ってくる。
ではあるのだが、一時期関心がそちらに向いても忙しさの中でいつしか忘れてしまうのが実情だ。
ただ、アイドルとしての自分たちの立場からすればありがたいものだ、と雪枝は感じていた。
耳が痛い部分もあるが、批判や問題提起は概ね運営や厄介ファン・バックラッシャーに向けられている。事実この雑誌のおかげで救いに繋がった同業者も多いと聞く。
『まあ〝忙しい〟はいいわけにはなりませんね』
ふう、と一息ついて雪枝は顔を上げた。
一応、ざっと特集に対するネット民の反応も見てみる。
硬い内容だけあって、ある程度の普遍性を獲得しているらしく普段アイドルに興味のないような所謂〝界隈〟以外の人々も話題にしていた。
注目を集めているのは、そのような人々の中で一定の見識を備えている人間の発言が多い。
『しかし……』
それ以外の人々、の間ではどうだろう?
どっぷり肩まで業界・界隈に浸かってしまっている人たち。逆に見出しだけ目の端に入り、反射的に反発する人々(じっくり内容を読んでも反発するだろうが)。
有り体に言ってしまえば、特集の中で批判の対象とされているような人々である。
これさえも、エモい物語として消費されて終わってしまうのではないだろうか? もしくは逆の立場であれば一時の気晴らし、手軽なサンドバックとして。
消費ではないコンテンツとの向き合い方とは?
通り一遍では答えにくい問いだが、雪枝としては一応の解答は持っていて〝それに触れることによって人生の何事かが変わること〟である。
何か考え方が変わる。世の中の見え方が変わる。気付かなかった何かに気付かされる。
その作品、情報、芸術に正対することにより、自分の中に今までなかった何かが立ち現れれば、それは空虚な時間ではなかろうと思っている。
『これだけコンテンツの洪水のような中で生きていればそれも難しいのでしょうが』
振り返って、アイドルとしての自分たちの活動を考えてみても、お客さんにそれだけのものを提供出来ているかどうかは極めて疑わしい。
では、ユーザーとしては?
(アウトプットのための)インプットと称される何かはそれに値するだろうか?
『いずれにしても、届くべき人に届けるべきことを届けるのは難しいですね』
半ば強引に、無理矢理雪枝は考えを断ち切った。今考えるべきことでもないだろう。
「……逃げですかねえ」
「ふぇっ? なに?」
沙希が能天気そうに反応すると同時に、情報資料室のドアが勢いよく開け放たれた。
「たわけーーーっ!」
ばあん! と派手な音をさせ登場した長尾伊都の、年齢にしては低めの声が室内、いや地下全体に響き渡る。
「貴様ら、まだ情報部の仕事をしているというのは本当の話かっ?!」
口にこそ出さなかったが〝返答しだいではタダでは済まさん〟と顔に書いてあるようだった。
『〝貴様〟が出たってのは相当キてるな~』
沙希は内心で吐息とともに愚痴を吐き出す。
「状況がわかってるのか? 貴様らの実力で二足のわらじなど履けると思うのか?! そもそも四季真希事件の主な調査対象は千代エーだろうが? 何かあったらウチの企画参加は一発アウトだぞ! リスクとリターンが……」
「やー、その辺は一応話しあったんだけどさ」
「話しあった結果がこれか?!」
「なんも言われなかったし、いいかなーみたいな……」
「こっちから言わないと何も判断出来ないのか! 小学生か貴様らは。……ってこら、おい! 逃げるな!」
沙希が相手をしている間に、岡真銀がスルリと伊都の後ろを抜けて室外に出て行った。見事な動きである。
「逃げたのではありません」
雪枝は読んでいた『NEO NECO!』を丁寧にモニタに立てかけて、伊都に向き直った。
「少しお目に入れたいものがあるので……その準備をしてもらいに行ったんです」
嘘ではない。そのための準備は既に出来ている。時間的には結構ギリギリではあったのだが。岡真銀はくるべき時がきたのを敏感に察知したのだ。
「お、め、に、い、れ、た、い、だ、と~~?」
歯をギリギリと軋ませ、力み過ぎた目の端が細かに痙攣している。辛うじて鎖に繋がれている猛犬のようであった。
「……まあいい。何か知らんが一応見ておいてやろう。三途の川の渡し賃くらいにはなるかもしれんからな」
舌打ちして室内の適当な椅子に座ろうとする。
「あ、いえ……いつもの会議室の方に来てもらえますか?」
自身も立ち上がりながら、雪枝は促した。いつも〝統合情報会議〟が行われている、あの部屋のことである。
「わざわざ移動しろというのか?」
不審げに雪枝と視線をカチ合わせる。雪枝は真っ直ぐ受け止めた。
「ええ」
「よくわからんが……いいだろう。付き合ってやる」
伊都は嘆息しながら部屋を出て行った。
会議室に到着すると既に沙希と真銀は待機していた。沙希もいつのまにか先行し、真銀を手伝っていたようである。
「ええと、まずこれを見ていただけるでしょうか?」
雪枝はアースカラーで模様が描かれたボール箱を、着席した伊都の前に置いた。しん、と静まり返った会議室内に微かな音が響く。
「なんだ? 海苔の箱か?」
両手で振って雑に蓋を取ると、ミドルくらいの筒丈の黒い編み上げ靴が出てきた。
「これが?」
「それは事件当日、夕山四季さんが失踪直前まで千代エージェンシービル内で履いていた靴です」
雪枝の答えを聞き〝ふむ〟と一言唸り、伊都は腕組みする。
「なるほど、取ってきたか……。お前の仮説を裏付けるモノの一つというわけだな。持ってもいいのか?」
問われて、真銀がさっと使い捨ての手袋を渡す。熟練の執事のような動きだった。
しばらく、裏返したりグルグル回したりして矯めつ眇めつ観察した後、丁寧に箱に戻す。
「うん……わかった。確かに夕山四季がいずれかのエージェントだったとはっきり証し立て出来れば、SNOWが調査を継続する根拠の一つには成りうる。ことによればプロジェクト自体が危険を孕んでいる可能性が増すからな。そうだった場合、早めに損切り出来れば越したことはない」
伊都も上がってきたSNOWの報告書は読んでいるので、調査の経過は把握している。