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オイル香る人気のカフェ

ー/ー



 香ばしい油の香りが嗅覚を刺激する。芳醇と呼ぶに相応しい、実にまったりとした極上のクリーミィオイルは、このカフェの名物だ。
 この込み合った店内の様子を見ればどれほど人気かもうかがい知れる。

 スチールパネルの床をカツンカツンと踏み鳴らしていく音が響く。
 所狭しと行き交う客たちも、ガチャガチャと足音を立てていた。
 そこへ、一人の男がカウンター席へと向かう。

「レギュラーを頼む。チオグリコールもつけてな」
「あいよ。また錆が溜まってるのかい? たまにはメンテに行きなよ」
「うっせぇよ。マスターのオイル飲んどきゃ気分がいいんだ」

 頭部が角ばった銀色の男が、目の色を橙色に濁らせながら言う。対するマスターはファンを鳴らし、生暖かい溜め息を排出した。

 右手のドリルのような形状をしたアタッチメントで鉄製のタンブラーを磨きつつ、ゴーグルに在庫残量の統計情報を出力させた。客から見れば、文字列が模様みたいにマスターの顔面を覆いつくしているようだった。

 タンブラーを洗浄ボートの上に置き、右手を五本指のハンドに差し替える。

「お客さん、うちはね、リペアじゃないんだぜ。そりゃあケアはするがね。ひと時の休息だけに過ぎない。エンジン吹かしすぎてオイルも飲めなくなったら困るよ」
「心配性だなぁ。確かに俺ぁ労働者だが、これでいて古いのは換装はしたばっかさ。前のモーターは大分くたびれてたしな。おかげで高くついちまったが」

 銀色の男はカタカタカタと口元の排気口の蓋を鳴らして笑う。
 マスターもそれ以上銀色の男に対し特に言及することもなく、ハンドを伸ばしては数メートルは離れている棚からオイル缶を取り出す。

 ブレンダーの口にオイル缶をセットし、起動する。
 ガガガとブレンダーの中でオイルが回転し、淡い乳白色の液体が仕上がる。
 ふんわりとした油に、ツンとした刺激臭が付与されていた。それがまた銀色の男の食欲に該当するものをそそらせた。

「お客さん、最近はぶりはいいんだろ? 外装のコーティングもめかしこんでるし。こんな安っぽいオイルに酔える身分とは思えないよ」
「はは、やっぱ分かるか、マスター。確かに、このメッキもそう安くはなかったが、儲けてるってわけでもないのよ」

 銀色の男の前に、クリーミィオイルが差し出される。
 ドロリと粘性を帯びた乳白色のソレは、タンブラーの中で渦を巻いている。
 首元から細長いチューブを伸ばし、銀色の男は速やかに飲み干した。

 よほど心地よいのか、五臓六腑を漂白する感覚に、関節のモーターを震わせた。

「くぅぅ、こいつぁカーボンナノチューブまで染みるねぇ!」

 そんな最中、店内に鉄製ドアのガッチャンという音が飛び込んでくる。
 新しい客が訪れたようだ。銀色の男が入口の方に振り返るとブザーを鳴らした。
 おそらく、感情が高ぶって思わず鳴ってしまったのだろう。

「あら、待たせてしまったかしら?」

 そこに立っていたのは、黄金色に輝く、括れのついた円柱のような女性だった。
 光沢のある肌の表面にはコードのような模様で飾り付けられており、美しい。

 太い針金みたいな、その金色の女は銀色の男の席の近くまで寄ってくる。
 折れそうな腰つきで、くねくねとしなを作る様は扇情的ではあった。

「いや、俺も今来たところさ、ハニー」

 マスターは思わず吹き出しかけ、後頭部からピーッと湯気を漏らした。
 特に言及することもなく見守っていると、銀色の男は金色の女に絡みつく。
 まるでインダクタのよう。心なしか、電圧が高まっているようにも感じられた。

「なんだい、いつの間に付き合い始めたんだい」

 通りで変にめかしこんでいるはずだった。
 女相手に気取っていただけだったのかと、マスターは合点がいった。

「なぁに、先月オーバーホールしてたときに担当したのが彼女でね」
「私、メディカルスタッフだったんです」
「ほう、数奇な出会いもあったものだね。一杯だけ奢らせてもらうよ」

 そういってマスターはニュイーンとハンドを伸ばし、新しいオイルを手に取ると、ブレンダーにかける。速やかにクリーミィオイルが差し出された。

「ここのはオススメさ。何といってもマスターの腕がいいからね」
「調子のいいこと言いやがる。だが、うちの自慢のオイルさ。口にあうといいが」

 金色の女は、折れそうな細い針金の腕を伸ばし、先端からチューブを突き出す。
 お淑やかな手つきで給油し、うっとりしたように腕をくねらせた。

「確かに、とても美味しいわ。私のお仕事がとられちゃうかも」

 そんなことを言いながらヒュンヒュンと音を立てて金色の女は笑って見せる。
 それに対し、銀色の男は角ばった頭をゴリゴリと掻きながら笑い返す。

「そいつぁ困ったな。ハニーにリペアしてもらえないとすぐガタがきちまうよ」
「もう、ダーリンったら!」

 発熱具合も感じられるくらいアツアツな二人を目の当たりにマスターも微笑ましく目頭のランプを青色に点灯させる。

「それじゃ、マスター。いつもありがとな。勘定頼むぜ」
「お支払いはマネーコードで?」
「ああ、それで」

 銀色の男が、カウンターに向けて肘を突き出す。
 それに対し、マスターも肘と思わしき部位を突き出し、肘同士を当てる。
 お互いの瞳の色がシンクロしたように同じ色に光り、距離を離した。

「また来るぜ、マスター」
「ごちそうさま、マスター」

 銀色の男と金色の女が絡み合いながらカツンカツンと床を鳴らし、店を出ていく。そんな二人の後姿を目で追いつつ、上機嫌そうにマスターは目を光らせた。

 空になったタンブラーを回収し、洗浄ボートに乗せて、またファンを鳴らす。
 コウコウとした音を頭から響かせながら、売り上げ計算と在庫管理を並行する。

 こうして、このカフェはいつもの通り、穏やかで静かなひと時を提供する。
 この街でも数少ない、憩いの場所なのだった――……。

 ※ ※ ※

 ※ ※

 ※

 油の雨が降り続けるような、荒廃した都市クレンザーダウン。
 錆び付いた従業員ばかりが終わりのない労働に追われ続ける秩序なき掃き溜め。
 汚染度合いを計測すれば、まともな植物は生息もできない無機物の町。

 治安の良し悪しを気にするような輩は、一歩たりとも足を踏み入れられないような物騒という言葉を具現化させた街ではあるが、それでもここに留まる者は多い。
 荒んだ日々を享受している無法者か、枷のない日常を自由とする者たちだ。

 住めば都とはよく言ったもので、こんなところにでさえ平穏というものはある。
 それがクレンザーダウンで唯一割れた窓ガラスを放置していないカフェ。
 丁寧に錆抜きの施された看板には「クルード」と書かれている。

 マスターの出す、オリジナルブレンドのオイルを一口でも補給すれば虜になる。
 創業およそ三百年ほどの老舗だ。

 腐敗していない油の香りなど、クレンザーダウンでは希少なものだ。
 あるいは、上等なファクトリーならありうるかもしれないが。

 いずれにせよ、草木の生えないこの街に根付いたクルードは、今日も開店する。
 旧式トラス螺子の目立つマスターは、どんな客も拒むことはない。

 ガチャン、ころんころん。
 そんな甲高い金属を鳴り響かせ、客が入ってくる。

「いらっしゃいませ」

 ゴツン、ゴツンという重厚感のある足音を鳴らしながら、その鉄板のような大男がカウンター席へと歩を進めていく。
 目立つ頭部や、露出した肩や脇腹は酷く赤く変色するほどに錆まみれ。
 よっぽどメンテナンス嫌いか、実入りのない稼業なのは容易に察せる。

「オオゥ。初めて入ッタが、いい雰囲気の店だナ」

 ザリザリとした雑音交じりに、大男がスコープのような目をマスターに向ける。
 視力もあまりよくないらしい。足取りも油を差していないみたいにガクガクだ。

「ご注文は何にしましょう」
「オススメがあるなラ、ソイツをいただコウ。まだこの店のことは知らないんでネ」
「かしこまりました」

 アタッチメントのハンドを付け替え、マスターは棚に手を伸ばす。
 寸胴型の小瓶を取りブレンダーに掛ける。コトコトという小気味のいい音を立て、かき混ぜられている駆動音だけが静かに響く。

 タンブラーに無色透明な液体が注がれ、透き通ったソレが大男の前に提供される。
 ややとろみのある水のようなソレを、大男はゆっくり口の中に運ぶ。

「――ふむぅ。悪くナイ。マスター、これは一体?」
「PFPEオイルですよ。見たところ、味蕾をお持ちでないでしょう?」

 傾けたタンブラーを起こし、錆びた大男は吐息のファンを漏らす。
 喉奥から聞こえていたガサついた音が、ほんの少し和らいだような気がした。

「おそらく長期間作業される方とお見受けしました。このオイルは揮発性も少なく、酸やアルカリにも強くて、酸化のしにくい長寿命なんですよ」

 マスターは優しく、ほっこりとした口調で語り掛ける。
 PFPEオイルの特性は耐熱も耐寒も兼ね備え、蒸発しないからこそ宇宙空間でも使える高性能にある。極めて無臭だが、ほんのりと甘い微香が漂う。

「この潤滑剤は錆び付いた体には、よく染みることでしょう。ですが、忠告します。メンテナンスを怠っていい理由にはなりません。飲み終えたならすぐファクトリーに向かうことをオススメします」
「耳が痛いナ。錆取り剤じゃいけなかったノカ?」
「なおのことです。ここで一時的に錆をとったところで錆びやすい体では本末転倒。よくキレイにしてからまたこちらのブレンドを差し上げますよ」

 何もかも見透かしたようにマスターは穏やかに、そして棘のある視線で言い放つ。
 最大限のもてなしと、忠告。小言には収まらない感情が滲み出ている。
 まだこれでも初めての客だからこそ、マイルドなつもりなのだろう。

 無論、大男にもそれくらいのことは察せた。

「やれやれ、説教されるとは思わなかっタヨ。年を食うとどうしてもナ」

 ゴリゴリと関節を鳴らし、ザリザリと雑音混じりに言う。
 マスターの見抜いた通り、長期間を要する作業員である彼には一時的な錆取りなど焼け石に水にしかならない。彼には潤滑剤が最も適したオススメだったのだ。

「なるほど、噂通り良いカフェだ。気に入ったヨ。久しぶりにメンテナンスしてからその帰りにでもまた寄らせてもらうヨ」

 満足げに、男は立ち上がる。来たときと違って、少しだけ腰も軽い。
 会計を済ませて、ゴツンゴツンと床を踏み叩きながらも、鉄板男は出口へ。
 最後に、小さくマスターに向けて会釈すると、余韻を残しながら出て行った。

 どうやら今日もまた一人、客を満足させることができたようだ。
 そんな手応えを感じつつ、マスターはアタッチメントをドライヤーに差し替えて、洗浄済みのタンブラーを乾燥させるのだった――……。

 ※ ※ ※

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 この込み合った店内の様子を見ればどれほど人気かもうかがい知れる。
 スチールパネルの床をカツンカツンと踏み鳴らしていく音が響く。
 所狭しと行き交う客たちも、ガチャガチャと足音を立てていた。
 そこへ、一人の男がカウンター席へと向かう。
「レギュラーを頼む。チオグリコールもつけてな」
「あいよ。また錆が溜まってるのかい? たまにはメンテに行きなよ」
「うっせぇよ。マスターのオイル飲んどきゃ気分がいいんだ」
 頭部が角ばった銀色の男が、目の色を橙色に濁らせながら言う。対するマスターはファンを鳴らし、生暖かい溜め息を排出した。
 右手のドリルのような形状をしたアタッチメントで鉄製のタンブラーを磨きつつ、ゴーグルに在庫残量の統計情報を出力させた。客から見れば、文字列が模様みたいにマスターの顔面を覆いつくしているようだった。
 タンブラーを洗浄ボートの上に置き、右手を五本指のハンドに差し替える。
「お客さん、うちはね、リペアじゃないんだぜ。そりゃあケアはするがね。ひと時の休息だけに過ぎない。エンジン吹かしすぎてオイルも飲めなくなったら困るよ」
「心配性だなぁ。確かに俺ぁ労働者だが、これでいて古いのは換装はしたばっかさ。前のモーターは大分くたびれてたしな。おかげで高くついちまったが」
 銀色の男はカタカタカタと口元の排気口の蓋を鳴らして笑う。
 マスターもそれ以上銀色の男に対し特に言及することもなく、ハンドを伸ばしては数メートルは離れている棚からオイル缶を取り出す。
 ブレンダーの口にオイル缶をセットし、起動する。
 ガガガとブレンダーの中でオイルが回転し、淡い乳白色の液体が仕上がる。
 ふんわりとした油に、ツンとした刺激臭が付与されていた。それがまた銀色の男の食欲に該当するものをそそらせた。
「お客さん、最近はぶりはいいんだろ? 外装のコーティングもめかしこんでるし。こんな安っぽいオイルに酔える身分とは思えないよ」
「はは、やっぱ分かるか、マスター。確かに、このメッキもそう安くはなかったが、儲けてるってわけでもないのよ」
 銀色の男の前に、クリーミィオイルが差し出される。
 ドロリと粘性を帯びた乳白色のソレは、タンブラーの中で渦を巻いている。
 首元から細長いチューブを伸ばし、銀色の男は速やかに飲み干した。
 よほど心地よいのか、五臓六腑を漂白する感覚に、関節のモーターを震わせた。
「くぅぅ、こいつぁカーボンナノチューブまで染みるねぇ!」
 そんな最中、店内に鉄製ドアのガッチャンという音が飛び込んでくる。
 新しい客が訪れたようだ。銀色の男が入口の方に振り返るとブザーを鳴らした。
 おそらく、感情が高ぶって思わず鳴ってしまったのだろう。
「あら、待たせてしまったかしら?」
 そこに立っていたのは、黄金色に輝く、括れのついた円柱のような女性だった。
 光沢のある肌の表面にはコードのような模様で飾り付けられており、美しい。
 太い針金みたいな、その金色の女は銀色の男の席の近くまで寄ってくる。
 折れそうな腰つきで、くねくねとしなを作る様は扇情的ではあった。
「いや、俺も今来たところさ、ハニー」
 マスターは思わず吹き出しかけ、後頭部からピーッと湯気を漏らした。
 特に言及することもなく見守っていると、銀色の男は金色の女に絡みつく。
 まるでインダクタのよう。心なしか、電圧が高まっているようにも感じられた。
「なんだい、いつの間に付き合い始めたんだい」
 通りで変にめかしこんでいるはずだった。
 女相手に気取っていただけだったのかと、マスターは合点がいった。
「なぁに、先月オーバーホールしてたときに担当したのが彼女でね」
「私、メディカルスタッフだったんです」
「ほう、数奇な出会いもあったものだね。一杯だけ奢らせてもらうよ」
 そういってマスターはニュイーンとハンドを伸ばし、新しいオイルを手に取ると、ブレンダーにかける。速やかにクリーミィオイルが差し出された。
「ここのはオススメさ。何といってもマスターの腕がいいからね」
「調子のいいこと言いやがる。だが、うちの自慢のオイルさ。口にあうといいが」
 金色の女は、折れそうな細い針金の腕を伸ばし、先端からチューブを突き出す。
 お淑やかな手つきで給油し、うっとりしたように腕をくねらせた。
「確かに、とても美味しいわ。私のお仕事がとられちゃうかも」
 そんなことを言いながらヒュンヒュンと音を立てて金色の女は笑って見せる。
 それに対し、銀色の男は角ばった頭をゴリゴリと掻きながら笑い返す。
「そいつぁ困ったな。ハニーにリペアしてもらえないとすぐガタがきちまうよ」
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「それじゃ、マスター。いつもありがとな。勘定頼むぜ」
「お支払いはマネーコードで?」
「ああ、それで」
 銀色の男が、カウンターに向けて肘を突き出す。
 それに対し、マスターも肘と思わしき部位を突き出し、肘同士を当てる。
 お互いの瞳の色がシンクロしたように同じ色に光り、距離を離した。
「また来るぜ、マスター」
「ごちそうさま、マスター」
 銀色の男と金色の女が絡み合いながらカツンカツンと床を鳴らし、店を出ていく。そんな二人の後姿を目で追いつつ、上機嫌そうにマスターは目を光らせた。
 空になったタンブラーを回収し、洗浄ボートに乗せて、またファンを鳴らす。
 コウコウとした音を頭から響かせながら、売り上げ計算と在庫管理を並行する。
 こうして、このカフェはいつもの通り、穏やかで静かなひと時を提供する。
 この街でも数少ない、憩いの場所なのだった――……。
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 油の雨が降り続けるような、荒廃した都市クレンザーダウン。
 錆び付いた従業員ばかりが終わりのない労働に追われ続ける秩序なき掃き溜め。
 汚染度合いを計測すれば、まともな植物は生息もできない無機物の町。
 治安の良し悪しを気にするような輩は、一歩たりとも足を踏み入れられないような物騒という言葉を具現化させた街ではあるが、それでもここに留まる者は多い。
 荒んだ日々を享受している無法者か、枷のない日常を自由とする者たちだ。
 住めば都とはよく言ったもので、こんなところにでさえ平穏というものはある。
 それがクレンザーダウンで唯一割れた窓ガラスを放置していないカフェ。
 丁寧に錆抜きの施された看板には「クルード」と書かれている。
 マスターの出す、オリジナルブレンドのオイルを一口でも補給すれば虜になる。
 創業およそ三百年ほどの老舗だ。
 腐敗していない油の香りなど、クレンザーダウンでは希少なものだ。
 あるいは、上等なファクトリーならありうるかもしれないが。
 いずれにせよ、草木の生えないこの街に根付いたクルードは、今日も開店する。
 旧式トラス螺子の目立つマスターは、どんな客も拒むことはない。
 ガチャン、ころんころん。
 そんな甲高い金属を鳴り響かせ、客が入ってくる。
「いらっしゃいませ」
 ゴツン、ゴツンという重厚感のある足音を鳴らしながら、その鉄板のような大男がカウンター席へと歩を進めていく。
 目立つ頭部や、露出した肩や脇腹は酷く赤く変色するほどに錆まみれ。
 よっぽどメンテナンス嫌いか、実入りのない稼業なのは容易に察せる。
「オオゥ。初めて入ッタが、いい雰囲気の店だナ」
 ザリザリとした雑音交じりに、大男がスコープのような目をマスターに向ける。
 視力もあまりよくないらしい。足取りも油を差していないみたいにガクガクだ。
「ご注文は何にしましょう」
「オススメがあるなラ、ソイツをいただコウ。まだこの店のことは知らないんでネ」
「かしこまりました」
 アタッチメントのハンドを付け替え、マスターは棚に手を伸ばす。
 寸胴型の小瓶を取りブレンダーに掛ける。コトコトという小気味のいい音を立て、かき混ぜられている駆動音だけが静かに響く。
 タンブラーに無色透明な液体が注がれ、透き通ったソレが大男の前に提供される。
 ややとろみのある水のようなソレを、大男はゆっくり口の中に運ぶ。
「――ふむぅ。悪くナイ。マスター、これは一体?」
「PFPEオイルですよ。見たところ、味蕾をお持ちでないでしょう?」
 傾けたタンブラーを起こし、錆びた大男は吐息のファンを漏らす。
 喉奥から聞こえていたガサついた音が、ほんの少し和らいだような気がした。
「おそらく長期間作業される方とお見受けしました。このオイルは揮発性も少なく、酸やアルカリにも強くて、酸化のしにくい長寿命なんですよ」
 マスターは優しく、ほっこりとした口調で語り掛ける。
 PFPEオイルの特性は耐熱も耐寒も兼ね備え、蒸発しないからこそ宇宙空間でも使える高性能にある。極めて無臭だが、ほんのりと甘い微香が漂う。
「この潤滑剤は錆び付いた体には、よく染みることでしょう。ですが、忠告します。メンテナンスを怠っていい理由にはなりません。飲み終えたならすぐファクトリーに向かうことをオススメします」
「耳が痛いナ。錆取り剤じゃいけなかったノカ?」
「なおのことです。ここで一時的に錆をとったところで錆びやすい体では本末転倒。よくキレイにしてからまたこちらのブレンドを差し上げますよ」
 何もかも見透かしたようにマスターは穏やかに、そして棘のある視線で言い放つ。
 最大限のもてなしと、忠告。小言には収まらない感情が滲み出ている。
 まだこれでも初めての客だからこそ、マイルドなつもりなのだろう。
 無論、大男にもそれくらいのことは察せた。
「やれやれ、説教されるとは思わなかっタヨ。年を食うとどうしてもナ」
 ゴリゴリと関節を鳴らし、ザリザリと雑音混じりに言う。
 マスターの見抜いた通り、長期間を要する作業員である彼には一時的な錆取りなど焼け石に水にしかならない。彼には潤滑剤が最も適したオススメだったのだ。
「なるほど、噂通り良いカフェだ。気に入ったヨ。久しぶりにメンテナンスしてからその帰りにでもまた寄らせてもらうヨ」
 満足げに、男は立ち上がる。来たときと違って、少しだけ腰も軽い。
 会計を済ませて、ゴツンゴツンと床を踏み叩きながらも、鉄板男は出口へ。
 最後に、小さくマスターに向けて会釈すると、余韻を残しながら出て行った。
 どうやら今日もまた一人、客を満足させることができたようだ。
 そんな手応えを感じつつ、マスターはアタッチメントをドライヤーに差し替えて、洗浄済みのタンブラーを乾燥させるのだった――……。
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