生きてる理由より死にたい理由が上回る。
私、美波《みなみ》桜《さくら》は、それくらい小湊《こみなと》先生のことが好きだった。
「小湊先生! 古典で分からないところがあって。」
「⋯⋯」
「質問しても、いいですか?」
「どこですか?」
中腰で可愛く首を傾げて、もう好き好きって想いを、ちょこんと右上に100の何乗分にも乗せちゃって。
一日に質問する回数は3回。朝礼が終わってからとか昼休みとか放課後とか。職員室にも何度も通っている。
ついたあだ名は「通い妻」。これは生徒からじゃなく他の教師につけられたあだ名。
決まった回数、大体決まった時間。ここまで分かり易い女、他にいないって。
「先生、今日のネクタイの色、いいですね。淡いえんじの色、珍しい。」
質問の答えが返ってきて、最後は成るべく勉強以外のことで話し掛ける。
"好き好き大好き"って呪文のように頭ん中で唱えながら。
「ああ、これね。妻が、昔、プレゼントしてくれたものなんです。」
「あー···⋯そうですか~。」
どぎゃん
アピールのつもりが撃沈。
でもこの撃沈までの流れはルーティーンだから、もうこんなの朝飯前。
知ってるよ私。きっと先生の奥さんが先生にプレゼントしたのは、今先生が身に付けているもの全部なんでしょ?
グレーのスーツも、ストライプのカッターシャツも、シルバーのネクタイピンも、革靴も、牛革の鞄も。
職員室の机の中には先生の奥さんの写真が入っていて、机の上には一輪挿しの花瓶と、ユリという名前に相応しい白い花。
先生からは微かに女物の香水の香りもする。うちのお母さんも持っている、昔懐かしのあの有名ブランドの香水ね。
先生の奥さんは6年前に病気で亡くなった。
他の先生の話によれば小湊先生は愛妻家で、それまでは毎日奥さんの手作り弁当を持ってきていたらしい。
先生は今でもずっと死んだ奥さんの影を追っている。服に靴に鞄に香水に、奥さんの全てを身にまとって。
『愛妻家ってよりも溺愛家って言った方が正しいかもね~』
小湊先生の向かいに座る女教師が物憂げに、こっそりと教えてくれたのを私は覚えている。
あんな根暗な小湊先生からは想像できないけど。
つまり奥さんは小湊先生に、"根暗"から"溺愛"って単語を滲み出させるほどの人物だったということだ。
それを考えると撃沈よりも深い沈没状態に陥りそうになる。
でも、可能性はどこかにあるはずだ。
「桜、あんた7組の久賀《くが》君振ったってほんとなの?!」
「え? 久賀君? ああ、うん、振ったよ。」
昼休み、友達の香奈《かな》がお弁当食べながら私に校内速報の真実を投げかけてきた。
てかまだ今日の朝の話なんだけど。
「何であんないい男振っちゃうの?! 久賀君、顔だけじゃなくって体育大学から水泳でスカウトの話きてるくらいハイスペなイケメンなんだよ?!」
「ふーん⋯⋯凄いんだね久賀君。でも私は小湊先生一筋だから。」
「まだ小湊なのぉ?! あんな根暗そうな奴のどこがいいの!!」
「それね。」
古典の小湊先生を好きになったのは1年生の冬。
何から話せばいいのか、私は中学の頃、「スクールカースト」で3軍の地位に就いていた。
所謂地味で根暗でコミュ力に欠けるぼっち。小湊先生に勝るとも劣らない根暗。
父親がいない家庭で育った私は、仕事で忙しい母に女子力の上げ方なんかを一切教えてもらったことがない。
スナックで働いている母はいつもケバくて私はそんな母親の成りが好きではなかったし、誰これ構わずスキンシップを図る母親の行動には吐き気がしていた。
しかもいつも隣には違う男がいて最悪だ。
むしろ地味で根暗でけっこう。
3軍の私の陰口を叩くやつらは絶えないし当然友達なんかもいなかったけれど、私は一人でいることの方が好きだった。
勉強はそんなに嫌いじゃないのもあって、地元では中の上に入る高校に入学した。
でも新しい環境ということもあってか益々人を敬遠するようになる。
一緒に帰ろうとかご飯食べようと誘ってくれる人もいたのに、一人が好きだからと言って断ってしまう私。
自分でも分からなかった。何で誘いを断ってまで人を遠ざけてしまうのか。
高校に入学して半年、私は高校に行くのが億劫になった。
たかが人との接し方で一喜一憂してしまう自分が嫌だ。周りはきっと私のことを変人扱いしている。
人の目が怖かった。
そんな時に出会ったのが、小湊先生だった。
さぼりがちになっていた授業の単位が危ないと、小湊先生の古文の補習を受けたのがきっかけだった。
「"歎きつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る"」
「··········」
「百人一首にもある俳句で、右大将道綱母《うだいしょうみちつなのはは》が、なかなか帰らない夫のことを詠んだ句なんですよ。」
「······」
あはん?意味不明。
教科書には載っていないものをいきなり黒板に書いて説明するもんだから。
「"嘆きながら、一人で孤独に寝ている夜が明けるまでの時間がどれだけ長いか、ご存じですか?あなたはきっと、ご存じないでしょうね。" これが現代語訳です。」
「······はあ。」
「孤独というのは、一人でいることだけが、孤独じゃない。誰かを待っている時間が、孤独だと感じさせてしまうんです。」
「·······」
「一人が好きな人なんて、いないんです。これからは僕が、あなたの孤独を埋めますので。」
根暗がキモいことを言った。こっちがコンクリートに埋めてやろうとさえ思った。
うざいと思った。のに、
家に帰って、誰もいない真っ暗な部屋で先生が言ったことの意味を考えてみた。
担任でもない癖に何で私が孤独だと思ったのか。
きっと知識をひけらかしたい大人の説教なんだろうと思って、その日も孤独を感じながら眠りについた。
孤独な女は余計なことばっか考えるからうざい。
2回目の補習。
私は昨日の夜思ったことを先生に質問してみた。反抗心だけじゃなく、きっと興味本位もあったのかもしれない。
「先生、先生は何で私が孤独なんかだと思ったんですか。」
「僕も、孤独だから⋯⋯です。」
孤独というか、根暗なんじゃん?
「ずっと、待っている人がいるんです。もう二度と会えない人、ですが⋯⋯。」
その時に、先生は死んだ奥さんのことを話してくれた。
こんな3軍の生徒の救済に、死んだ人間を出してくるなんて狡い。"大人は狡い"という言葉を如実に感じた。
「あなたも、甘えられる誰かを、待っているんですよ、きっと。」
根暗な顔で言われると一層きもい。のに、耳を傾ける自分がいた。
「でも、格好悪くて、上手く甘えられない。」
「·······」
「孤独同士なら寂しくないかも。ね⋯⋯。」
先生が寂しそうな目でふと笑った。
根暗の笑顔は、きもいを通り越して180度先の位置にとどまる。
かわいい、とか思った私は。顔が熱かった。
私は本当は一人なんて好きじゃない、自分は孤立を望んでいるわけじゃないと知った瞬間だった。
それが先生を好きになったきっかけ。
それから先生は私がいつ質問に行っても快く受け入れてくれて。
でも先生は孤独だった私を、死んだ奥さんの話を持ち出してまで救おうとした。
結局死んだ奥さんには敵わないのかと、
私は一生徒として教師に助けられただけなのだと、悔しさを感じた。
奥さんの写真を見たことがある。
職員室で先生がたまたま引き出しを開けると、そこには優しそうに微笑む長い黒髪ストレートの女性がいた。
だから私は短かった髪を伸ばして、3年生になった今、写真の奥さんと同じくらいの長さになった。
先生がつけている奥さんの昔懐かしの香水。私も同じ香りをまといたくて、お母さんに内緒でこっそりつけた。
先生、最近の私どうよ?
少しは先生好みの女に近付けたかなあ。
気付いて貰いたい。
ねえみてよみてよ。
私を視て欲しい。私だけを。
でも小湊先生は、2年経っても私と同じ香水をまとっていることなんて気付いていない。
奥さんの匂いを身にまとい、奥さんを身体に感じているだけ。
根暗の溺愛って、うざい。
「······え~、本間利夫《ほんまとしお》って人、自殺しちゃったんだ~。」
香奈がスマホの芸能ニュース速報を私に見せながら言った。右手は箸で卵焼きを器用につかんだまま。
香奈は入学当初に私に声をかけてきてくれた一人で、先生との一件以来、震える拳を握りしめ、私から勇気を出して声をかけた。
自分から声をかけることがこんなにも精神的労力を要するのかと初めて感じて、
今まで私に声をかけてくれた友達に感謝の気持ちが生まれた。
香奈はその中でも一番大事な友達。
「本間? 誰だっけ。芸能人??」
芸能人には全く興味無いわけではないけど、初めて聞いた名前だ。
「去年の大河に出てた人らしいよー。まだ24歳だったんだって! 若いしイケメンなのに勿体無いわ~。」
24歳。何で自殺なんてしたんだろう? 女関係? 金関係?
ああ、それか若くして大河に出演できたプレッシャーとか、仕事関係でとかもあり得なくはない。
「こうして死んじゃうとさ、今まで全く眼中になかった人でも色々その人のこと考えちゃうよねー。」
「え?」
「ほらよく言うじゃん。"死者は美化される"って。」
「········」
確かに、たった今本間利夫の死因を考えていた私は香奈の言う通りだと思った。
そっかぁ。
先生は奥さんが死んじゃったから奥さんしか視えてないのか!!
じゃあ、私も死ねば先生に視てもらえるのかなぁ?
きっと先生は私が自殺した理由を考えて探ってくれるはず。香奈から私が小湊先生のことを好きだったと聞かされれば先生を私で満たせるかもしれない!!
そしたら机の中の写真は私に擦り代わって、机の上には私の名前に因んだ桜色の花が飾られるはず。
おお、そっか、そういうことだったんだ。
こんな簡単なことだったんだ。
この学校の屋上から飛び下りれば小湊先生にすぐに気付いてもらえるはずじゃない?
その時の私は本気だったのかどうだったのか。
何にせよ正気の沙汰じゃないのは確か。