第1話

ー/ー




「はぁっ、はぁっ...」
 鬼気迫る勢いで深い森の中を黒い影から逃げる少女。身体中傷だらけで薄汚れているが、その眼は生きようと輝きを放っている。

「くっ、はぁっ、はぁっ...」
 彼女が顔を上げた時、遠くに小さな光が見えた。それは、記憶の中の命の輪廻の灯火に似ていた。

 ...あそこに辿り着けば...!!


---


 ここは、ウエス国の森の奥深く。
 誰も訪れない静かな場所に、ぽつんと一軒、小さな丸太小屋が立っていた。

 苔むした壁に蔦が絡まり、時の流れから取り残されたような佇まい。
 ――だが、この小屋に住む者は、この世界でも指折りの存在だった。

「ふぁ〜……今日も、平和すぎるわね」

 古めかしいロッキングチェアに身を預け、欠伸をしたのは一人のエルフ。
 名前はフィーネ。

 見た目は人間で言えば二十代後半ほど。
 長い耳と銀色の髪、透き通るような緑の瞳を持つ、どこにでもいそうなエルフの女性だ。
 ……もっとも、この森に“どこにでもいる”存在など、他にいないのだが。

 フィーネはこの森で、長い時間を一人で過ごしていた。

 夕方になれば、最低限の食料を確保するために森へ出る。
 獲物を見つければ、魔法で一瞬。
 魔物が悲鳴を上げる間もなく、倒れ伏す。

 調理も手早い。
 火加減も、味付けも、迷いがない。
 出来上がる料理は、素朴だが無駄のない一皿だ。

 食後の紅茶は欠かせない。
 ロッキングチェアに揺られながら、星空を眺める。

「……今日も、のんびり良い一日だったわ」

 それが、フィーネの日常だった。
 何百年も変わらない、静かな生活。

 ――そんなある日のこと。

「誰か、助けてーっ!!」

 森の静寂を切り裂くように、少女の叫び声が響いた。

 フィーネは眉をひそめ、声のした方を見る。
 木々の間から、必死の形相で少女が飛び出してきた。
 その背後には、牙を剥き唸り声を上げる野犬が一匹。

「……面倒くさいわね。ささっと片付けるか......」

 そう呟きながらも、フィーネは立ち上がった。
 右手を前に伸ばし、淡々と魔法を紡ぐ。

「炎よ出でよ――インフェルノ」

 次の瞬間、炎が野犬を飲み込んだ。

ギャンッ!

 短い悲鳴と共に、野犬は地に伏した。

 少女は立ち尽くし、呆然とそれを見ている。

「さて……うたた寝の続きでも」

 フィーネは踵を返したが、

「ま、待って! お姉さん!」

 少女が慌てて駆け寄ってきた。
 目を輝かせ、息を切らしながら頭を下げる。

「助けてくれて、ありがとう!」

 フィーネはちらりと視線を向け、軽く手を振った。

「もう大丈夫よ。気をつけて帰りなさい」

 それで終わるはずだった。
 だが、少女は引き下がらない。

「ねぇ、お姉さん……」

 距離が近い。
 フィーネは溜息をつき、仕方なく向き直った。

「怪我は無かった?」

「うん! 大丈夫!」

 少女は満面の笑みを浮かべる。

「でも...あの犬、可哀想。ねぇ?お姉さん!あの子、魔法で生き返らせて!」

 少女が懇願する。

「仕方ないわね...やってみるわ。時よ戻れ、リバース」

 フィーネは野犬の方に手を伸ばして呪文を唱えた。青白い光の粒が飛んでいく、が、すぐに消えてしまった。

「あれ?何も起きないよ」

 少女が残念そうな顔で言う。

「魔法でも、死んだものは生き返らないの。もし出来れば、あの時、私もやってたわ......」

 フィーネは、ふと寂しそうな表情を見せた。

「わたし、リリィ。お姉さんは?」

「フィーネ」

「フィーネ……綺麗な名前!」

 少女は興味津々とフィーネを見上げ、ふと気づいたように言った。

「この世界って、不思議でキラキラして素敵だよね。
 前の世界には、無かったものばっかり」

 フィーネの目が、わずかに細まる。

「……前の世界?」

「うん。あ、やっぱり分かる?」

 リリィは照れたように笑った。

「あなた、転生者ね」

「えっ!? どうして分かったの?」

「……勘よ」

 フィーネはそう答えたが、外れてはいない。

「実はね、わたしも転生者なの」

「えっ!? ほんとに!?」

 リリィの目が、さらに輝いた。

「すごい! じゃあ前世、日本人だったりする?」

「ずっと前にね。……何度も生まれ変わってるから」

「何度も?」

 フィーネは、少しだけ目を伏せた。

「……九十九回」

 その言葉に、リリィは一瞬、息を呑んだ。

「ねぇ、フィーネ。
 ここに住んでいい?」

「……は?」

 あまりに唐突な申し出に、フィーネは言葉を失う。

「家は? 親は?」

「大丈夫! お手伝いもするし、迷惑かけない!」

 明るい声。
 だが、その奥に、微かな影が揺れている。

「ここが、好きなの。お願い」

 必死な瞳。
 その中にあるのは、強がりと、諦めと――小さな願い。

「……勝手に決めないで」

「じゃあ、よろしくお願いします!」

 リリィは深々と頭を下げた。

 フィーネはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。

「……本当に、迷惑かけないでよ」

 リリィの口元が、ほっと緩む。

「うん!」

 その声は明るい。
 けれど、胸の奥で、かすかな呟きがこぼれていた。

「……だって、帰る場所なんて、もう無いから」

 リリィの顔が僅かに曇った。

 が、フィーネは、その言葉を聞かなかったことにした。

 こうして、
 995歳のエルフと、12歳の人間の少女。
 奇妙で、賑やかな共同生活が始まった。

 やがてこの小さな出会いが、
 世界の命運を揺るがし、その深淵を覗くことになるとも知らずに――。












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みんなのリアクション


「はぁっ、はぁっ...」
 鬼気迫る勢いで深い森の中を黒い影から逃げる少女。身体中傷だらけで薄汚れているが、その眼は生きようと輝きを放っている。
「くっ、はぁっ、はぁっ...」
 彼女が顔を上げた時、遠くに小さな光が見えた。それは、記憶の中の命の輪廻の灯火に似ていた。
 ...あそこに辿り着けば...!!
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 ここは、ウエス国の森の奥深く。
 誰も訪れない静かな場所に、ぽつんと一軒、小さな丸太小屋が立っていた。
 苔むした壁に蔦が絡まり、時の流れから取り残されたような佇まい。
 ――だが、この小屋に住む者は、この世界でも指折りの存在だった。
「ふぁ〜……今日も、平和すぎるわね」
 古めかしいロッキングチェアに身を預け、欠伸をしたのは一人のエルフ。
 名前はフィーネ。
 見た目は人間で言えば二十代後半ほど。
 長い耳と銀色の髪、透き通るような緑の瞳を持つ、どこにでもいそうなエルフの女性だ。
 ……もっとも、この森に“どこにでもいる”存在など、他にいないのだが。
 フィーネはこの森で、長い時間を一人で過ごしていた。
 夕方になれば、最低限の食料を確保するために森へ出る。
 獲物を見つければ、魔法で一瞬。
 魔物が悲鳴を上げる間もなく、倒れ伏す。
 調理も手早い。
 火加減も、味付けも、迷いがない。
 出来上がる料理は、素朴だが無駄のない一皿だ。
 食後の紅茶は欠かせない。
 ロッキングチェアに揺られながら、星空を眺める。
「……今日も、のんびり良い一日だったわ」
 それが、フィーネの日常だった。
 何百年も変わらない、静かな生活。
 ――そんなある日のこと。
「誰か、助けてーっ!!」
 森の静寂を切り裂くように、少女の叫び声が響いた。
 フィーネは眉をひそめ、声のした方を見る。
 木々の間から、必死の形相で少女が飛び出してきた。
 その背後には、牙を剥き唸り声を上げる野犬が一匹。
「……面倒くさいわね。ささっと片付けるか......」
 そう呟きながらも、フィーネは立ち上がった。
 右手を前に伸ばし、淡々と魔法を紡ぐ。
「炎よ出でよ――インフェルノ」
 次の瞬間、炎が野犬を飲み込んだ。
ギャンッ!
 短い悲鳴と共に、野犬は地に伏した。
 少女は立ち尽くし、呆然とそれを見ている。
「さて……うたた寝の続きでも」
 フィーネは踵を返したが、
「ま、待って! お姉さん!」
 少女が慌てて駆け寄ってきた。
 目を輝かせ、息を切らしながら頭を下げる。
「助けてくれて、ありがとう!」
 フィーネはちらりと視線を向け、軽く手を振った。
「もう大丈夫よ。気をつけて帰りなさい」
 それで終わるはずだった。
 だが、少女は引き下がらない。
「ねぇ、お姉さん……」
 距離が近い。
 フィーネは溜息をつき、仕方なく向き直った。
「怪我は無かった?」
「うん! 大丈夫!」
 少女は満面の笑みを浮かべる。
「でも...あの犬、可哀想。ねぇ?お姉さん!あの子、魔法で生き返らせて!」
 少女が懇願する。
「仕方ないわね...やってみるわ。時よ戻れ、リバース」
 フィーネは野犬の方に手を伸ばして呪文を唱えた。青白い光の粒が飛んでいく、が、すぐに消えてしまった。
「あれ?何も起きないよ」
 少女が残念そうな顔で言う。
「魔法でも、死んだものは生き返らないの。もし出来れば、あの時、私もやってたわ......」
 フィーネは、ふと寂しそうな表情を見せた。
「わたし、リリィ。お姉さんは?」
「フィーネ」
「フィーネ……綺麗な名前!」
 少女は興味津々とフィーネを見上げ、ふと気づいたように言った。
「この世界って、不思議でキラキラして素敵だよね。
 前の世界には、無かったものばっかり」
 フィーネの目が、わずかに細まる。
「……前の世界?」
「うん。あ、やっぱり分かる?」
 リリィは照れたように笑った。
「あなた、転生者ね」
「えっ!? どうして分かったの?」
「……勘よ」
 フィーネはそう答えたが、外れてはいない。
「実はね、わたしも転生者なの」
「えっ!? ほんとに!?」
 リリィの目が、さらに輝いた。
「すごい! じゃあ前世、日本人だったりする?」
「ずっと前にね。……何度も生まれ変わってるから」
「何度も?」
 フィーネは、少しだけ目を伏せた。
「……九十九回」
 その言葉に、リリィは一瞬、息を呑んだ。
「ねぇ、フィーネ。
 ここに住んでいい?」
「……は?」
 あまりに唐突な申し出に、フィーネは言葉を失う。
「家は? 親は?」
「大丈夫! お手伝いもするし、迷惑かけない!」
 明るい声。
 だが、その奥に、微かな影が揺れている。
「ここが、好きなの。お願い」
 必死な瞳。
 その中にあるのは、強がりと、諦めと――小さな願い。
「……勝手に決めないで」
「じゃあ、よろしくお願いします!」
 リリィは深々と頭を下げた。
 フィーネはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……本当に、迷惑かけないでよ」
 リリィの口元が、ほっと緩む。
「うん!」
 その声は明るい。
 けれど、胸の奥で、かすかな呟きがこぼれていた。
「……だって、帰る場所なんて、もう無いから」
 リリィの顔が僅かに曇った。
 が、フィーネは、その言葉を聞かなかったことにした。
 こうして、
 995歳のエルフと、12歳の人間の少女。
 奇妙で、賑やかな共同生活が始まった。
 やがてこの小さな出会いが、
 世界の命運を揺るがし、その深淵を覗くことになるとも知らずに――。