結婚したい――なんて、これまで一度も真剣に考えたことはなかった。
でも、三十五歳にもなれば、世間はやたらとうるさい。
親戚の集まりでは「次はマリアちゃんの番ね」なんて言われるし、職場の後輩の結婚報告ラッシュには胃がキリキリする。
SNSを開けば、フォローしていた元同級生が赤ちゃんの写真を載せて、幸せいっぱいの顔をしている。
――なんなの、全員で私を焦らせにきてるの?
そう思いながらも、最近はこっそり婚活アプリを始めた。プロフィールはそれなりに盛ったし、写真も奇跡の一枚を加工して載せた。それでもなかなか「これは」という相手には巡り会えない。
そんな折に、久しぶりに実家に帰った私は、母親から爆弾を投げつけられた。
「ねえマリア、今度お見合いしてみない? いい人がいるのよ、三十七歳で、実直で誠実な方で――」
「は? お見合い? 今どき? 私、婚活アプリやってるから大丈夫だし」
「婚活アプリもお見合いもやってること一緒でしょ! 顔合わせて、話して、いいと思ったら連絡取り合って、結婚考える。変わらないじゃない」
「いやいやいや……アプリは自由恋愛だけど、お見合いは“セッティングされた”出会いでしょ。なんかもう、そういうのって“最後の手段”って感じで……」
「マリア、あんた、もう“最後の手段”の年齢なのよ」
「……ひどくない?」
それでも母は引き下がらず、私が渋い顔をしながらも頷くまで、三日三晩粘り続けた。
そして迎えた、お見合い当日。
お見合い場所は、地元の静かな和食レストランだった。
個室に通され、席につくと、ほどなくして今日の“相手”がやってきた。
「初めまして、阿部風雅といいます。本日はありがとうございます」
「あっ、はい。戸塚真理亜と申します。よろしくお願いします」
パッと見、悪くない。地味な印象だけど、スーツはきちんと着こなしているし、清潔感もある。目元がやや垂れていて、ちょっと優しそうな雰囲気だ。
……でも、年収が三百なんだよなぁ。
聞いていたプロフィールによれば、風雅さんは中小企業の事務職。正直、無しよりの無し。あくまで母の顔を立てて来ただけだし、ここでいい人ぶる気はない。
でも――話してみると、意外と悪くない。
趣味の話になって、私は正直に言った。
「……趣味は手芸です。最近はレース編みとか……なんか、地味ですよね」
「いえ、手作業で何かを作るって、すごいと思います。完成したとき、達成感があるでしょ?」
そう言ってにこやかに笑った風雅さんに、ちょっとだけ「お?」と思ってしまった。
「阿部さんは趣味とか……?」
「趣味ですか? ……ああ、ちょっと恥ずかしいんですが、YouTubeをやってまして……」
「……ユーチューバー?」
「はい、あくまで趣味なんですが。仕事とはまったく関係ないです。動画を撮って編集して、細々とアップしてる感じです」
……うわぁ。
三十七歳でユーチューバー……。それって痛いってやつじゃん……。
私は顔に出さないように努力したけれど、多分バレてた。だって目が泳いでたもの、自分で分かる。
「動画は、どんな内容なんですか?」
「うーん……たまに昆虫食レビューとかもやってて、この前なんか蜘蛛入りのチョコ食べたら、思ったより蜘蛛入ってなくて、リアクション困っちゃって……」
「……え?」
今、なんて言った?
(昆虫食、蜘蛛入りチョコ……? なんか聞いたことあるぞ……?)
頭の中でぐるぐると記憶を掘り起こす。
昆虫食、チョコ、蜘蛛、微妙なリアクション――
いや、待て、この声……。
(まさか……まさか……!)
私の推し――ブラン・パルティータ。
チャンネル登録者数わずか三百人、同時接続五十人前後の、弱小個人Vチューバー。
だけど私は彼の大ファンで、メンシ《メンバーシップ》にも加入していて、配信のアーカイブを毎晩寝る前に流している。
(いやいやいや、違うよね? そんな奇跡ある?)
(でもあの話、ブランがしてたのとまったく同じ……声も似てる……)
私は恐る恐る、探りを入れた。
「ユーチューバーって……チャンネル登録者数? ってあるみたいですよね……いくつくらいなんですか?」
ヤバい、言葉がねっとりしてしまった。完全にオタクっぽい。気づかれてないよね……!?
「え、ええと……三百人くらいで。少ないと思うかもしれませんが、個人勢としては……まあ、頑張ってるほうかなって」
(ビンゴ……!)
やばい、やばいやばい。心の中でガッツポーズする。
けどまだ確定じゃない。慎重にいこう。ガチ恋勢ではないけど、それでも恥ずかしさはある。
「同接とかって……?」
「だいたい五十人前後ですかね。ありがたいことに、常連さんが多くて……」
(よっしゃああああああああ!!!!)
完全に一致した。もう、確定だ。
でもまだ聞きたい。最終確認を……!
「あの、ユーチューバーって顔出しとかするんですか?」
さりげなく、探る。私の顔も熱くなってきた。
「いや、僕は顔出ししてないんです。実はVチューバーっていうジャンルで……ご存知ですか?」
(きたあああああああああああ!!!)
(Vって言った!! これはもうゴールじゃないか!?)
「へ、へぇ〜……なんて名前なんですか? その……V、のほう……」
そして風雅さんは、照れたように微笑んで――
「ブラン・パルティータって言います」
――その瞬間、私は自分の心臓が落ちた音を聞いた気がした。