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「夢を与えるのが私の仕事だから」

ー/ー



 彼女の妙な口癖にもだいぶ慣れてきた。数ヶ月も聞いていれば嫌でも慣れる。
 ざぁっと吹きつけた風が長い髪をさらっていく。はためくスカートの裾を押さえるわけでもなく、乱れた髪を真っ先に手櫛で整えた彼女がこちらを見る。その整いすぎた顔立ちに人間味はなく、長い睫毛に縁取られた瞳も含めて作り物みたいだと思った。
 土と草の匂いは、向こうの森から風に乗って運ばれてきたものだろうか。
 眼前には緑豊かな田舎らしい光景が広がっていて、今さらになって十数年間暮らしてきた街を離れた実感が湧いてくる。住んでいた街では目にすることがなかったものばかりだ。
 遠い場所から転校してきて心細い思いをしていた日々が嘘のように、今目の前に立っている少女によって好き放題に振り回されているうちに、胸に巣食っていたどうしようもない淋しさなどは薄れてしまった。胸を掻き毟りたくなるような悲しさや苦しさも何もかも。もう少し、転校前の生活や過去に構築した人間関係を懐かしんでいたかった気もするのだが。
 環境が大きく変われば気持ちが沈むこともある。余計なことを考えずに済んでいるのは一応彼女のおかげだ。そこには感謝している。

「あまり顔を見つめないでくださる? 見惚れる気持ちは分かるけれど、突き刺すような視線は不快」
「……あのなぁ」

 そこには感謝しているが、他の件については全く納得が行っていない。
 何が悲しくて、放課後に心霊スポットと名高い廃墟を訪れなければならないのか。僕はこの高飛車な女の付き人にも秘書にもなった覚えはない。転校初日に起こった事件がきっかけで目をかけられているのは分かるが、さも当然のように連れ回されていることに疑問を感じている。

「『自称アイドル』なら、人に見られることには慣れろよ……」

 僕の精一杯の口答えを鼻で笑って、彼女は口元を緩めた。いつだって自信満々で、勝ち気で、傲慢で、そんな風に生きられるのが羨ましい。

「それならそれで、見物料が欲しいのよね」
「がめつい」

 金には困ってないだろ。そう言いかけてやめたのは、彼女の意識が既に自分に向いていないことを察したからだった。
 だらだらと他愛もない会話を続けている間に、空が暗くなり始めた。そろそろ日が落ちる。何事も日が落ちてからが本番だと、先に彼女が宣言していた通り、暗くなるにつれて廃墟の方から異様な気配が滲み出ていた。

「なぁ、本当に行くのか……?」
「行かなかったら仕事にならないでしょう」
「君の仕事だから君が行くのは当然だろうけど、僕が行く意味はあるのかって聞いてるんだよ」
「あるよ。私があなたに一緒に来てほしいと思っているの。理由なんて他に必要?」
「それにしたって拒否権はあるだろ」
「あるよ。でも、私はあなたと一緒に行きたいの。ま、どうしても嫌だと言うなら止めないわ。帰ってもいいよ。帰れるものなら」

 いよいよ日が沈んで、電灯など立っていない周辺は濃い陰に覆われていった。帰れるものなら帰れと言われたところで思い出す。行きは学校から直接バイクで向かったこと。徒歩のみで来た道を辿ることは無謀だということ。帰るには彼女のバイクが必要だ。
 またしても僕は、彼女に同行するしかないのだ。
 そんな道を選んでしまった。もしくは選ばされたのか。
 あのとき、バイクの後ろに乗せてもらえると思ってはしゃいだのが間違いだった。僕だってただの男子高校生だ。バイクに憧れを持っていたって誰も咎められないだろう。高揚感から、つい「途中で仕事場に寄っていくけれど構わない?」と尋ねられたときに頷いてしまったのだ。

「ずるいぞ、お前……」

 恨みがましそうな視線を向けられてもなお、少女は微塵も気にした素振りを見せない。手を繋がれそうになったのでそれは拒否した。僕の手のひらを掠めていった指先は驚くほどに冷たく、触れられていたら凍りついていたかもしれない。

「デートだと思って楽しんで」
「こんな廃墟で? 明らかに何か出ますって張り紙に書いてありそうなところで? ていうかデートって何だよ。この地方ではお化け屋敷を探検することもデートの定番になってるのか?」
「夜になったら灯りもつくわよ。都会のイルミネーションほどの風情はなくても、テンションは上がるでしょう?」

 なるほど。先ほどは見えなかった光が、割れた窓の向こうから漏れ出している。
 と思ったのも束の間、灯りが消えて数秒後に別の窓の方が光った。それを何度か繰り返し、今度は下の階にある窓辺がぼんやりと照らされる。次はあそこ、その次はあそこ。僕の視線を先取りするかのように。

「お決まりのパターンだけど、あれが一階部分に降りてきたらどうなるんだ」
「んー……私たちの方に向かって『走って』くるんじゃない?」

 建物から全ての灯りが消えるのと、彼女がのんびりと応えたのはほぼ同時だった。


次のエピソードへ進む AM2:15のアイドル


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 彼女の妙な口癖にもだいぶ慣れてきた。数ヶ月も聞いていれば嫌でも慣れる。
 ざぁっと吹きつけた風が長い髪をさらっていく。はためくスカートの裾を押さえるわけでもなく、乱れた髪を真っ先に手櫛で整えた彼女がこちらを見る。その整いすぎた顔立ちに人間味はなく、長い睫毛に縁取られた瞳も含めて作り物みたいだと思った。
 土と草の匂いは、向こうの森から風に乗って運ばれてきたものだろうか。
 眼前には緑豊かな田舎らしい光景が広がっていて、今さらになって十数年間暮らしてきた街を離れた実感が湧いてくる。住んでいた街では目にすることがなかったものばかりだ。
 遠い場所から転校してきて心細い思いをしていた日々が嘘のように、今目の前に立っている少女によって好き放題に振り回されているうちに、胸に巣食っていたどうしようもない淋しさなどは薄れてしまった。胸を掻き毟りたくなるような悲しさや苦しさも何もかも。もう少し、転校前の生活や過去に構築した人間関係を懐かしんでいたかった気もするのだが。
 環境が大きく変われば気持ちが沈むこともある。余計なことを考えずに済んでいるのは一応彼女のおかげだ。そこには感謝している。
「あまり顔を見つめないでくださる? 見惚れる気持ちは分かるけれど、突き刺すような視線は不快」
「……あのなぁ」
 そこには感謝しているが、他の件については全く納得が行っていない。
 何が悲しくて、放課後に心霊スポットと名高い廃墟を訪れなければならないのか。僕はこの高飛車な女の付き人にも秘書にもなった覚えはない。転校初日に起こった事件がきっかけで目をかけられているのは分かるが、さも当然のように連れ回されていることに疑問を感じている。
「『自称アイドル』なら、人に見られることには慣れろよ……」
 僕の精一杯の口答えを鼻で笑って、彼女は口元を緩めた。いつだって自信満々で、勝ち気で、傲慢で、そんな風に生きられるのが羨ましい。
「それならそれで、見物料が欲しいのよね」
「がめつい」
 金には困ってないだろ。そう言いかけてやめたのは、彼女の意識が既に自分に向いていないことを察したからだった。
 だらだらと他愛もない会話を続けている間に、空が暗くなり始めた。そろそろ日が落ちる。何事も日が落ちてからが本番だと、先に彼女が宣言していた通り、暗くなるにつれて廃墟の方から異様な気配が滲み出ていた。
「なぁ、本当に行くのか……?」
「行かなかったら仕事にならないでしょう」
「君の仕事だから君が行くのは当然だろうけど、僕が行く意味はあるのかって聞いてるんだよ」
「あるよ。私があなたに一緒に来てほしいと思っているの。理由なんて他に必要?」
「それにしたって拒否権はあるだろ」
「あるよ。でも、私はあなたと一緒に行きたいの。ま、どうしても嫌だと言うなら止めないわ。帰ってもいいよ。帰れるものなら」
 いよいよ日が沈んで、電灯など立っていない周辺は濃い陰に覆われていった。帰れるものなら帰れと言われたところで思い出す。行きは学校から直接バイクで向かったこと。徒歩のみで来た道を辿ることは無謀だということ。帰るには彼女のバイクが必要だ。
 またしても僕は、彼女に同行するしかないのだ。
 そんな道を選んでしまった。もしくは選ばされたのか。
 あのとき、バイクの後ろに乗せてもらえると思ってはしゃいだのが間違いだった。僕だってただの男子高校生だ。バイクに憧れを持っていたって誰も咎められないだろう。高揚感から、つい「途中で仕事場に寄っていくけれど構わない?」と尋ねられたときに頷いてしまったのだ。
「ずるいぞ、お前……」
 恨みがましそうな視線を向けられてもなお、少女は微塵も気にした素振りを見せない。手を繋がれそうになったのでそれは拒否した。僕の手のひらを掠めていった指先は驚くほどに冷たく、触れられていたら凍りついていたかもしれない。
「デートだと思って楽しんで」
「こんな廃墟で? 明らかに何か出ますって張り紙に書いてありそうなところで? ていうかデートって何だよ。この地方ではお化け屋敷を探検することもデートの定番になってるのか?」
「夜になったら灯りもつくわよ。都会のイルミネーションほどの風情はなくても、テンションは上がるでしょう?」
 なるほど。先ほどは見えなかった光が、割れた窓の向こうから漏れ出している。
 と思ったのも束の間、灯りが消えて数秒後に別の窓の方が光った。それを何度か繰り返し、今度は下の階にある窓辺がぼんやりと照らされる。次はあそこ、その次はあそこ。僕の視線を先取りするかのように。
「お決まりのパターンだけど、あれが一階部分に降りてきたらどうなるんだ」
「んー……私たちの方に向かって『走って』くるんじゃない?」
 建物から全ての灯りが消えるのと、彼女がのんびりと応えたのはほぼ同時だった。