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#92 帰還する遠征軍 (ラウル視点)

ー/ー



 石畳を踏み鳴らす音が、一列になって朝方の街中に響き渡る。


 奏でるのは、数多の馬蹄と甲冑の靴底。
 都市外門へ行く我々を沿道に集まって見送るのは、クルルザードの市民。


 この街に来てから何度も繰り返されてきた遠征軍出立の光景ではあるが、今日に限っては様相が異なる。
 何故なら、これは帰還の出立なのだから。


「おいおい、何でもう帰っちまうんだ? 一月(ひとつき)はこの街に滞在するって話だったはずだろ。まだ三週間だぜ?」
「さてな。事情が変わったと聞いておるが……」


 聞かされていた予定よりも早い遠征軍の撤収に、クルルザードの市民は戸惑っていた。
 あちこちから声が聞こえてくる。


「源泉は? 瘴気の源泉は全部浄化されたのか?」
「まさか。いくら『聖女』様でも、たった三週間で領内の源泉全てをどうにかできる訳が無いだろうが」
「聞いた話じゃ、浄化したのは全体の四割程度だそうよ。以前よりはマシになるでしょうけど、劇的な変化は望めそうにないわね」


 民衆は耳聡い。
 自分たちの生活に直結する、それも悪い報せは特に早く広まる。





 初日の活動中断、及びクルルザードへの帰還から二日後、我々は瘴気の源泉浄化活動を再開した。


 領主イグナスの意見に従って、危険地帯を避けて遠回りのコースを選択したため、時間は掛かれど前回ほどは魔物の襲撃に悩まされずに済み、日没までに三ヶ所の源泉の浄化に成功した。
 安全な場所で野営して夜を明かし、翌日も源泉の浄化を続行。
 聖騎士団も魔物の強さに慣れてきたようで、死傷者も次第に少なくなりつつあり、この調子で行けば初日の(つまず)きの分を取り返せると、イグナスも機嫌を直し期待していた。


 とは言え、イグナスの提案はあくまで参考に過ぎず、彼の期待と要望に沿って遠征軍が動いた訳ではなかった。
 この遠征に於けるイグナスの立場は依頼人(クライアント)ではなく助言者(アドバイザー)に過ぎず、栄耀教会の意向に沿って一切が決定されるという点は、初期と何ら変わりが無かった。


 そして、ウィルドゥ領来訪から三週間が経過した今日、オーレン大司教率いる遠征軍はこのクルルザードの街に背を向けて、今まさに帝都エルザンパールへの帰路へ就いたのだった。


「話が違いますぞ! 我が領の瘴気の源泉、全てに赴いて浄化するという約束だったはず。陛下からもそのように書状が届いております。一体これは如何なる了見か……!?」


 今日までにテルサが浄化を終えた源泉の数は、ウィルドゥ領全体の四割程度で、領内に満ちる瘴気は幾分和らいだとは言え、依然として予断を許さない状況だ。
 元凶を完全に取り除き、厄災を終わらせて貰えると思ったからこそ、長年の政敵に頭を下げて愛娘まで差し出したというのに、終わってみれば期待外れの不完全な結果。


 当然の抗議をぶつけてきたイグナスに対し、オーレン大司教はやれやれと溜め息を吐き、


「我らにも抜き差しならぬ事情がある。皇帝陛下のお望み通り、安定的な食糧確保に必要なだけの浄化は済んだのだ。長年我らの妨害をしてきた背教の輩に、ここまで施してやっただけでも有り難いと感謝し、次の機会を待て」


 と、あからさまに見下した態度と口調で言い放っていた。


 そのような物言いでイグナスが納得するはずも無いが、既に娘マイラを人質に取られてしまった以上、彼もそれ以上は強く出られず、クルルザードを発つ我々を怨嗟(えんさ)の眼差しで見送らざるを得なかった。





「領主様は一体何をやってるんだか。ちゃんと『聖女』様を引き留めなかったのか?」
「ウィルドゥ家と栄耀教会の関係が長い間悪かったから、『聖女』様が早々と帰ることになったのでしょう。このままこの地の統治をウィルドゥ家に任せておいて良いものか……」


 窮する民衆の不満と憤怒、憎悪の矛先は、厄災に対処できない支配者層へ向けられる。
 暴動、事件、政変、反乱、革命、戦争──『邪神の息吹』が発端となって起きた動乱は古今東西数え切れず、我々が去った後のこの街でも一騒動起こらないとは言い切れない。


「それは違うよ。神の威光を笠に着て好き放題やってた栄耀教会を、歴代の当主が厳しく取り締まったから折り合いが悪くなったんだ。責めるべきは栄耀教会であってウィルドゥ家じゃない」
「だからと言って栄耀教会に楯突いたら、肝心の『邪神の息吹』への対策がままならなくなるじゃない。私だってあんな売僧(まいす)共は大嫌いだけど、あいつらに睨まれたらまともに生きていけなくなるわ」
「『聖女』様の召喚に成功してからというものの、あいつら前にも増して貪欲になりやがった。『邪神の息吹』に蝕まれるか、栄耀教会に骨の髄まで搾り取られるか、どちらにせよ俺たちみたいな平民には苦しみの未来しか待っていない。所詮、神が救うのは金と権力を持ってる奴だけなのさ……」


 人々の恨みがましい視線と囁き声を肌身で感じながら進んでいくと、外門の手前で眼が合う者が居た。


 この街に到着した時にも見た、みすぼらしい老婆。
 あの時は孫と思しき不健康そうな五歳ほどの少女を抱き上げていたが、今は一人、一層暗い面持ちで睨むように佇んでいた。
 虚ろな眼が発する無言の訴えに、思わず視線を逸らさずにいられなかった。


「何故、ウィルドゥ領の瘴気を完全浄化せず、中途半端な救済で済ませてしまうのだろうか……」


 外門を抜け、すっかり遠くなってしまったクルルザードを振り返りながら呟くと、隣で馬を歩かせるグーネルが反応した。


「医者ってのは患者あってこその商売。患者を完治させてしまったら、それ以上の医療費を請求することは叶わなくなりますからね。生かさず殺さず、患者には長く患者のままでいて欲しいというのは、この世の全ての医者に共通する本音じゃないでしょうか」
「そんな理由なのか……!?」


 救いを求められてそれを引き受けたからには、可能な限り手を尽くすことこそ神に仕える者の務めのはず。
 自分たちの利益のために救うべき相手を半端な救済で終わらせてしまう、まるで家畜を生殺しにするような真似は信義に(もと)るのではないだろうか。


 神は果たしてそれを赦すのか。


「それにウィルドゥ領の広さと源泉の数を考えると、全てを浄化するとなるとかなりの日数が掛かってしまいますからね。散々戦ったお陰で我ら聖騎士団の損耗も激しく、体力も士気も物資も底を突きかけています。そもそもウィルドゥ領の救済は皇帝陛下と評議会が決めたことで、教皇猊下としては『聖なる一族』の領地をこそ優先したかったはず。そちらを救いに行くためにも、こんな遠地に『聖女』様を長々留めておけなかったんだと思いますよ?」


 栄耀教会に長く反発していたウィルドゥ家如きのために、これ以上貴重な時間と兵力を費やしてはいられない、というラモン教皇やオーレン大司教の考えは分からないでもない。


「しかし、このような半端な結果に終わって、陛下や評議会が納得するとはとても思えないが……」
「でしょうね。でも『聖女』様を擁する我々に、強く抗議することはできないでしょう」


 この世に『聖女』は一人、テルサ・アケチのみが瘴気を浄化して『邪神の息吹』を鎮められる。
 そしてその唯一絶対の切り札は、栄耀教会が固く握って離さない。


「もう誰もが分かっているんですよ。『聖女』様と栄耀教会に異を唱えられる者など、最早この国には只の一人も居はしないのだと」


 中途半端な救済のままクルルザードを離れてしまうことについて、昨晩テルサに尋ねてみた。


「まあ、仕方無いんじゃないかしら」


 と、爪にマニキュアを塗る彼女からは、実にあっけらかんとした答が返って来ただけで、オーレン大司教の決定に反対していないこと、そしてこの地の救済に何ら頓着(とんちゃく)していないことは明白だった。
 何もかもが期待と違う現実に、私も落胆と失望を感じずにはいられなかった。


 私が今歩いている道は、神の御意思に沿った道なのだろうか。
 この道の果てに、本当に帝国臣民が救済される未来が待っているのだろうか。


 見上げた先には、未だ瘴気が立ち込める黒灰色の空。
 まさしく我が心の景色そのままだ。


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 石畳を踏み鳴らす音が、一列になって朝方の街中に響き渡る。
 奏でるのは、数多の馬蹄と甲冑の靴底。
 都市外門へ行く我々を沿道に集まって見送るのは、クルルザードの市民。
 この街に来てから何度も繰り返されてきた遠征軍出立の光景ではあるが、今日に限っては様相が異なる。
 何故なら、これは帰還の出立なのだから。
「おいおい、何でもう帰っちまうんだ? |一月《ひとつき》はこの街に滞在するって話だったはずだろ。まだ三週間だぜ?」
「さてな。事情が変わったと聞いておるが……」
 聞かされていた予定よりも早い遠征軍の撤収に、クルルザードの市民は戸惑っていた。
 あちこちから声が聞こえてくる。
「源泉は? 瘴気の源泉は全部浄化されたのか?」
「まさか。いくら『聖女』様でも、たった三週間で領内の源泉全てをどうにかできる訳が無いだろうが」
「聞いた話じゃ、浄化したのは全体の四割程度だそうよ。以前よりはマシになるでしょうけど、劇的な変化は望めそうにないわね」
 民衆は耳聡い。
 自分たちの生活に直結する、それも悪い報せは特に早く広まる。
 初日の活動中断、及びクルルザードへの帰還から二日後、我々は瘴気の源泉浄化活動を再開した。
 領主イグナスの意見に従って、危険地帯を避けて遠回りのコースを選択したため、時間は掛かれど前回ほどは魔物の襲撃に悩まされずに済み、日没までに三ヶ所の源泉の浄化に成功した。
 安全な場所で野営して夜を明かし、翌日も源泉の浄化を続行。
 聖騎士団も魔物の強さに慣れてきたようで、死傷者も次第に少なくなりつつあり、この調子で行けば初日の|躓《つまず》きの分を取り返せると、イグナスも機嫌を直し期待していた。
 とは言え、イグナスの提案はあくまで参考に過ぎず、彼の期待と要望に沿って遠征軍が動いた訳ではなかった。
 この遠征に於けるイグナスの立場は|依頼人《クライアント》ではなく|助言者《アドバイザー》に過ぎず、栄耀教会の意向に沿って一切が決定されるという点は、初期と何ら変わりが無かった。
 そして、ウィルドゥ領来訪から三週間が経過した今日、オーレン大司教率いる遠征軍はこのクルルザードの街に背を向けて、今まさに帝都エルザンパールへの帰路へ就いたのだった。
「話が違いますぞ! 我が領の瘴気の源泉、全てに赴いて浄化するという約束だったはず。陛下からもそのように書状が届いております。一体これは如何なる了見か……!?」
 今日までにテルサが浄化を終えた源泉の数は、ウィルドゥ領全体の四割程度で、領内に満ちる瘴気は幾分和らいだとは言え、依然として予断を許さない状況だ。
 元凶を完全に取り除き、厄災を終わらせて貰えると思ったからこそ、長年の政敵に頭を下げて愛娘まで差し出したというのに、終わってみれば期待外れの不完全な結果。
 当然の抗議をぶつけてきたイグナスに対し、オーレン大司教はやれやれと溜め息を吐き、
「我らにも抜き差しならぬ事情がある。皇帝陛下のお望み通り、安定的な食糧確保に必要なだけの浄化は済んだのだ。長年我らの妨害をしてきた背教の輩に、ここまで施してやっただけでも有り難いと感謝し、次の機会を待て」
 と、あからさまに見下した態度と口調で言い放っていた。
 そのような物言いでイグナスが納得するはずも無いが、既に娘マイラを人質に取られてしまった以上、彼もそれ以上は強く出られず、クルルザードを発つ我々を|怨嗟《えんさ》の眼差しで見送らざるを得なかった。
「領主様は一体何をやってるんだか。ちゃんと『聖女』様を引き留めなかったのか?」
「ウィルドゥ家と栄耀教会の関係が長い間悪かったから、『聖女』様が早々と帰ることになったのでしょう。このままこの地の統治をウィルドゥ家に任せておいて良いものか……」
 窮する民衆の不満と憤怒、憎悪の矛先は、厄災に対処できない支配者層へ向けられる。
 暴動、事件、政変、反乱、革命、戦争──『邪神の息吹』が発端となって起きた動乱は古今東西数え切れず、我々が去った後のこの街でも一騒動起こらないとは言い切れない。
「それは違うよ。神の威光を笠に着て好き放題やってた栄耀教会を、歴代の当主が厳しく取り締まったから折り合いが悪くなったんだ。責めるべきは栄耀教会であってウィルドゥ家じゃない」
「だからと言って栄耀教会に楯突いたら、肝心の『邪神の息吹』への対策がままならなくなるじゃない。私だってあんな|売僧《まいす》共は大嫌いだけど、あいつらに睨まれたらまともに生きていけなくなるわ」
「『聖女』様の召喚に成功してからというものの、あいつら前にも増して貪欲になりやがった。『邪神の息吹』に蝕まれるか、栄耀教会に骨の髄まで搾り取られるか、どちらにせよ俺たちみたいな平民には苦しみの未来しか待っていない。所詮、神が救うのは金と権力を持ってる奴だけなのさ……」
 人々の恨みがましい視線と囁き声を肌身で感じながら進んでいくと、外門の手前で眼が合う者が居た。
 この街に到着した時にも見た、みすぼらしい老婆。
 あの時は孫と思しき不健康そうな五歳ほどの少女を抱き上げていたが、今は一人、一層暗い面持ちで睨むように佇んでいた。
 虚ろな眼が発する無言の訴えに、思わず視線を逸らさずにいられなかった。
「何故、ウィルドゥ領の瘴気を完全浄化せず、中途半端な救済で済ませてしまうのだろうか……」
 外門を抜け、すっかり遠くなってしまったクルルザードを振り返りながら呟くと、隣で馬を歩かせるグーネルが反応した。
「医者ってのは患者あってこその商売。患者を完治させてしまったら、それ以上の医療費を請求することは叶わなくなりますからね。生かさず殺さず、患者には長く患者のままでいて欲しいというのは、この世の全ての医者に共通する本音じゃないでしょうか」
「そんな理由なのか……!?」
 救いを求められてそれを引き受けたからには、可能な限り手を尽くすことこそ神に仕える者の務めのはず。
 自分たちの利益のために救うべき相手を半端な救済で終わらせてしまう、まるで家畜を生殺しにするような真似は信義に|悖《もと》るのではないだろうか。
 神は果たしてそれを赦すのか。
「それにウィルドゥ領の広さと源泉の数を考えると、全てを浄化するとなるとかなりの日数が掛かってしまいますからね。散々戦ったお陰で我ら聖騎士団の損耗も激しく、体力も士気も物資も底を突きかけています。そもそもウィルドゥ領の救済は皇帝陛下と評議会が決めたことで、教皇猊下としては『聖なる一族』の領地をこそ優先したかったはず。そちらを救いに行くためにも、こんな遠地に『聖女』様を長々留めておけなかったんだと思いますよ?」
 栄耀教会に長く反発していたウィルドゥ家如きのために、これ以上貴重な時間と兵力を費やしてはいられない、というラモン教皇やオーレン大司教の考えは分からないでもない。
「しかし、このような半端な結果に終わって、陛下や評議会が納得するとはとても思えないが……」
「でしょうね。でも『聖女』様を擁する我々に、強く抗議することはできないでしょう」
 この世に『聖女』は一人、テルサ・アケチのみが瘴気を浄化して『邪神の息吹』を鎮められる。
 そしてその唯一絶対の切り札は、栄耀教会が固く握って離さない。
「もう誰もが分かっているんですよ。『聖女』様と栄耀教会に異を唱えられる者など、最早この国には只の一人も居はしないのだと」
 中途半端な救済のままクルルザードを離れてしまうことについて、昨晩テルサに尋ねてみた。
「まあ、仕方無いんじゃないかしら」
 と、爪にマニキュアを塗る彼女からは、実にあっけらかんとした答が返って来ただけで、オーレン大司教の決定に反対していないこと、そしてこの地の救済に何ら|頓着《とんちゃく》していないことは明白だった。
 何もかもが期待と違う現実に、私も落胆と失望を感じずにはいられなかった。
 私が今歩いている道は、神の御意思に沿った道なのだろうか。
 この道の果てに、本当に帝国臣民が救済される未来が待っているのだろうか。
 見上げた先には、未だ瘴気が立ち込める黒灰色の空。
 まさしく我が心の景色そのままだ。