低く、遠い葉擦れの音に合わせて、松明の灯が小刻みに揺れる。温かな光に包まれていた場所が一瞬の後には墨色に塗りつぶされ、そして闇に沈んでいた場所はゆっくりと橙色の姿を現す。
切れ長の目をさらに細め、その繰り返しを見るともなしに眺めながら、ゆったりとした道服に身を包んだ男は細い髭を指先に絡めとる。
目の前の卓には皺だらけになった紙片が寄せ集められ、なんとか目的を果たし終えて安堵したかのように、くたびれた姿のまま沈黙している。
肝心な部分が欠けずに良かったと思う。短気な弟分が塵よりも粉々にする前に、要領の良い弟分が多少は知恵を働かせてくれたおかげで、男は――朱武は、己の首の価値を知ることができた。
田舎の山賊に三千貫とは、少華山もなかなかどうして、お上に恐れられているようだ。
「なあ、兄貴、何か言えよ」
件の短気な弟分は、朱武が几帳面に整えたはずの寝台に土まみれの着物姿で寝そべり、顔だけあげてこちらを睨み付けている。次からは子分ではなく彼自身に洗い物をさせようと、朱武は心中で決意した。
「何を言えばお前は満足する、陳達よ? 罪人のごとく手配書を出されたことに腹を立てるか? 人相書きが本物より男前だと笑うか? それとも手配書を破り捨てたことを叱り付けられたいか?」
諭すでもなく、苛立つでもなく、ただ淡々と語りかける。情の波に呑まれがちな弟分を言い含めるには、冷静でいることが肝要だった。
「だって兄貴、俺たちは間違ったことなんていっこもしてないって、言ったじゃねえか! なのになんで、お上に目をつけられなきゃいけねんだよ」
「お前らしくもない言い草だな。だいたい、落草すると決めたあの日から、俺たちは山賊としてしか暮らしていけんと覚悟しただろう。それにお前は、荒事が好きじゃないか。これから戦いになるぞ。嬉しくないのか?」
「そりゃっ……売られた喧嘩は買うさ」
そう言ったきり、陳達は口をへの字に曲げて押し黙ってしまう。図体の割に愛嬌のある顔の中で、どんぐり眼があちらこちらと泳いでいる。激情に言葉が追いつかぬときの、彼の癖だ。
「陳達の兄貴は、こんな風にでかでかと悪党扱いされたことに傷ついたのさ。正義漢だからね、兄貴は」
「黙れよ楊春、馬鹿にしやがって。俺たちは山賊かもしれねえが、弱い奴はいじめない。それなのに、少華山の悪党なんて書かれてんだ、悔しくねえのかよ!」
長い黒髪の先で自分の顎をつつきながら、朱武の二人目の弟分が、唇の裂け目から短い吐息を漏らす。眦も鼻孔も吊りあがり気味の顔に自嘲の色を浮かべるその様は、白花蛇の二つ名もあいまって、賢しい蛇のようであった。
「俺はどうでもいいけどね。それよりも、こんな手配書が出回っちまったら、この先の兵糧が心配だ」
「あ? そりゃどういう意味だ」
流されるままに生きているようでいて、その実鋭い判断力と観察眼を持つ楊春の冷静な言葉は、朱武もまた懸念していたところであった。
「売られた喧嘩を買うにしても、まずは食いぶちの心配をしなきゃならんということだ。深い谷をたやすく跳び越える虎とて、腹が減っては力を出し切れまい」
「なるほど。それじゃあ、さっそく華陰県の役所に殴り込みだな! やつら、民から巻き上げた米をしこたま蓄えていやがる。それを奪って、半分は民に返し、半分は俺達の兵糧にしようぜ」
「兄貴、言ってる意味、分かってる? 華陰県はまずいって。
蒲城県なら確実だと思う」
拳を突きあげたままどんぐり眼を瞬かせ、陳達は眉根を寄せる。
「楊春、お前こそ何言ってんだ? 蒲城なんて小せえ田舎町じゃねえか。華陰県はでかいし、人も多いし、たんまり蓄えもあるだろうよ」
「やっぱり分かってないな。俺と朱武の兄貴が心配してんのは、兵糧の量だけの話じゃない。お上が俺たちの首にかけたのは三千貫……これを見て、少華山の麓の村人はどうすると思う? 俺たちが兵糧を借りに姿を現わせば、これ幸いと袋叩きにして衙門へ突き出そうと意気込むだろうな。蒲城なら大した脅威にはならないけど、行ったところで実入りは少ない。でも、華陰県に行くとなれば、史家村を通らなきゃならないだろ。あの村で庄屋をやってる九紋龍の史進って野郎は、江湖にも名の知れた虎のような手練れ、やすやすと通してくれるはずもない」
理路整然とした楊春の答えは非常にわかりやすく、今の少華山が置かれた窮状を言い当てていた。
官兵との戦に備えるには、蒲城を襲って得た程度の兵糧では到底足りない。だが、華陰県に乗り込むのは命懸けになる。九紋龍史進――ここのところ急に江湖の好漢たちの口をついて出るようになったその名を、今や知らぬ者のほうが少ないだろう。
「ふん、九紋龍だか十紋龍だか知らないが、所詮は田舎の農村でくすぶってるだけの青二才じゃねえか。意気地のないことを言いやがって、それでも少華山の頭領か? たかが農村ひとつ押し通れなくて、どうやって官軍と戦うんだよ」
「兄貴こそ、急いては事を仕損じるぞ。本当に史進って野郎はすごいんだから。さすがの兄貴も勝てるかどうか」
「俺の
点鋼槍が、田舎の青二才に負けるってのか? お前だって、そいつと戦ったこともないくせに!」
きょろきょろとせわしく動いていた陳達のどんぐり眼が、徐々に血走った色を帯びてくる。常ならばもう少し聞き分けもあるのだが、手配書を見つけた時分からすでに、激情の波は抑えきれぬほどに渦巻いていたらしい。
「陳達よ、史進の武勇は俺も十分に聞き知っている。大きな戦の経験はなくとも、豪傑には違いあるまい。触らぬ神には祟りなしと言うじゃないか。少華山がお上も一目置く寨だとしても、官軍並みの力をもつ男と今は渡り合うべきじゃない。確実な道を選ぶのが策ってもんだろう」
「し、朱武の兄貴まで何言ってんだよ! 畜生、二人して余所者のことを褒めてばかり!」
勢いよく立ちあがった陳達は、大広間の壁に誇らしげに飾られた点鋼槍を手に取り、その長い柄の尻で床を思い切り打ち鳴らした。
「三面六臂の化け物でもあるまいし、何を怖がることがある? やい、てめえら!」
大音声にびくりと両肩を波打たせた子分たちが、鬼神にでも出会ったかの如く上目づかいに陳達を見つめる。
「俺の馬に鞍を付けろ。九紋龍と跳澗虎、どっちが強いか今すぐ、ただちに、決めてやる。世間を知らねえ青二才をぶっつぶして、華陰県の金持ちが民からぶんどった米を奪い返してやるんだ!」
日焼けした四角い顎にみしりと生えた短い髭を掻きむしって息巻く陳達に、さすがの楊春も慌てて長い腕を伸ばす。
「達兄、よせって! 史進に勝てたって、騒ぎを聞きつけた官軍に囲まれでもしたらどうする気だよ」
「お前はごちゃごちゃうるさいやつだな。そうやって、穴蔵で丸まってる蛇みてえに、臆病でいればいいさ。俺は、俺の義を貫くまでよ」
「陳達、考え直せ。俺は策を立てるのは得意だが、武術の腕はお前が上だ。お前に万が一のことがあれば、この山は立ちいかなくなる」
「兄貴、そんなに俺の腕を買ってくれるなら、信じて待っててくれよ。必ず兵糧を手に入れて、民を喜ばせて帰るからさ!」
「陳達っ……この、向う見ずの阿呆め……!」
襟巻の裾を翻して立ち去る陳達の背を見つめた朱武の額に、くっきりと深い皺が浮かぶ。確かに朱武は、陳達の武術の腕は買っていた。だがそれはすなわち、彼には武術しか取り柄がないということで、そして虎と言うよりは猪の如く衝動のままに突き進む彼の考えの浅はかさに、朱武は思わずこめかみを押さえる。
「武兄……」
「止めても無駄だ、わかるだろう。あれはそういう男だ」
呆れの中にも不安を滲ませる楊春の肩に手を置き、朱武は遠くで鳴りはじめた銅鑼の音をただ静かに聴いていた。