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 その町には線路がなく、バスも朝夕の二便しかない。悪い点を挙げればきりがなく、良い点といえば自然に恵まれていることだとみな口をそろえて言う。町を発展させることなど誰もがとうにあきらめているところへ、国が推進している里山ニュータウン案が持ち上がった。脱炭素、原始への回帰を目的とした大規模な都民移住計画で、野山との共生を目指すというのだ。
 候補地として挙げられて以来、町は保守ボランティアを募り、役場職員を中心としたチームを作った。怪我が元で左足の神経を損傷し、定年を目前にして警察を辞めていた佐藤洋司は、自ら志願してその一員になった。妻の愛子に、動かなくちゃ余計に歩けなくなるでしょうと促されたことがきっかけだったが、気が進まなかった割にボランティア活動だけでなく、ひとりで足を運ぶほど山歩きを楽しんでいる。
 ふと見上げた頭上には澄んだ青い空。かごからばら撒いたかのような白い雲が一月のやや強い風を受け、さっそうと形を変えてゆく。子供の頃は鯉や馬に見立てて遊んだものだが、悲しいもので、今はなにものにもなぞらえることができず、雲は雲だと自答するのだから笑ってしまう。
 洋司はふいに胸ポケットのトランシーバーを取り出した。そしてなんとなく周波数を調整し、自分のコールサインを名乗って呼びかけた。

「……どなたかお話できるかたはいませんか?」

 耳障りなノイズの海にひとの声を拾いあげることができればそれは奇跡だ。無線の醍醐味は同じ時間、お互いに届く範囲で電波を放出し合い、顔の見えない相手とひとときの会話を楽しむこと。ボランティアで一緒になった山岡に教わらなければ知らなかった新しい趣味に、洋司は少年のように胸をときめかせている。
 だからこそ、応答のないさびしさにはひときわ敏感になってしまった。

「誰もいないのか……」

 ひとりごちて自嘲するように笑い、地上を見おろした時、洋司は別天地にやってきてしまったのかと目を疑った。しかし何度またたきしようと、見えているものに変わりはなかった。
 隙間なくびっしり敷き詰めたかのような緑色の絨毯が、洋司の足もとから遥かとおくまで拡がっている。じっと観察しなくともすぐにシダ植物が群生しているのだと気づいたが、ためらいつつ踏み出した一歩を絡め取るかのような厚みと深さから、その旺盛な生命力を知った。とつぜん聞こえてきたノイズに邪魔されなければ、おそらく半時ほど圧倒され、とどまっていただろう。洋司は我に返り、トランシーバーの故障を疑って、シダ植物の絨毯から離れた。
 ノイズはまだつづいている。そこにかすかだが、話し声のようなものが混じっているようだ。しかし受信能力の限界を越えているせいだろうか、鮮明に聞き取ることができない。
 洋司は潔くあきらめることにして杖を握り直した。


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 その町には線路がなく、バスも朝夕の二便しかない。悪い点を挙げればきりがなく、良い点といえば自然に恵まれていることだとみな口をそろえて言う。町を発展させることなど誰もがとうにあきらめているところへ、国が推進している里山ニュータウン案が持ち上がった。脱炭素、原始への回帰を目的とした大規模な都民移住計画で、野山との共生を目指すというのだ。 候補地として挙げられて以来、町は保守ボランティアを募り、役場職員を中心としたチームを作った。怪我が元で左足の神経を損傷し、定年を目前にして警察を辞めていた佐藤洋司は、自ら志願してその一員になった。妻の愛子に、動かなくちゃ余計に歩けなくなるでしょうと促されたことがきっかけだったが、気が進まなかった割にボランティア活動だけでなく、ひとりで足を運ぶほど山歩きを楽しんでいる。
 ふと見上げた頭上には澄んだ青い空。かごからばら撒いたかのような白い雲が一月のやや強い風を受け、さっそうと形を変えてゆく。子供の頃は鯉や馬に見立てて遊んだものだが、悲しいもので、今はなにものにもなぞらえることができず、雲は雲だと自答するのだから笑ってしまう。
 洋司はふいに胸ポケットのトランシーバーを取り出した。そしてなんとなく周波数を調整し、自分のコールサインを名乗って呼びかけた。
「……どなたかお話できるかたはいませんか?」
 耳障りなノイズの海にひとの声を拾いあげることができればそれは奇跡だ。無線の醍醐味は同じ時間、お互いに届く範囲で電波を放出し合い、顔の見えない相手とひとときの会話を楽しむこと。ボランティアで一緒になった山岡に教わらなければ知らなかった新しい趣味に、洋司は少年のように胸をときめかせている。
 だからこそ、応答のないさびしさにはひときわ敏感になってしまった。
「誰もいないのか……」
 ひとりごちて自嘲するように笑い、地上を見おろした時、洋司は別天地にやってきてしまったのかと目を疑った。しかし何度またたきしようと、見えているものに変わりはなかった。
 隙間なくびっしり敷き詰めたかのような緑色の絨毯が、洋司の足もとから遥かとおくまで拡がっている。じっと観察しなくともすぐにシダ植物が群生しているのだと気づいたが、ためらいつつ踏み出した一歩を絡め取るかのような厚みと深さから、その旺盛な生命力を知った。とつぜん聞こえてきたノイズに邪魔されなければ、おそらく半時ほど圧倒され、とどまっていただろう。洋司は我に返り、トランシーバーの故障を疑って、シダ植物の絨毯から離れた。
 ノイズはまだつづいている。そこにかすかだが、話し声のようなものが混じっているようだ。しかし受信能力の限界を越えているせいだろうか、鮮明に聞き取ることができない。
 洋司は潔くあきらめることにして杖を握り直した。