図書室のカウンターには掃除を終えた女子の図書委員が座っていた。彼女は顔を伏せていた。下級生なので、彼女が誰なのかわからない。
藤城皐月がその図書委員を見ていると、向こうもこちらの気配を察して顔を上げた。その涼しげな顔を見て、皐月は彼女が
月映冴子だということに気がついた。
冴子は5年3組の女の子で、皐月が以前昼休みに
入屋千智に会いに行った時、千智を呼んでもらおうと声をかけた子だった。冴子は自分より年下なのに、皐月には使いこなせない丁寧な言葉遣いをしていたので印象に残っていた。
皐月は手に取った『るるぶ 京都』と『トロッコ・鼻』を見て、芥川の本を棚に戻した。稲荷小学校では一度に一冊しか本を借りられないので、どちらか一冊を選ばなければならない。今は自分の趣味より修学旅行の調べ物を優先したいので、『るるぶ』を貸出カウンターへ持っていった。
「貸出お願いします」
「はい」
皐月は本とQRコードの印刷された名札を冴子に手渡し、貸出の手続きを行った。慣れた手つきで迅速に処理をし、皐月に本と名札を返した。
「藤城さんは以前、入屋さんに会いに来た方ですね」
いきなり名前を言われて驚いた。冴子は皐月の顔を見て微笑んでいた。彼女の笑顔を見たのはこの時が初めてだった。
「よく覚えていてくれたね。なんかちょっと嬉しいかも」
「だって髪の毛を紫に染めてる人なんて、この学校にいないですから」
冴子の大人びた表情は本気を出した時の
明日美に雰囲気が似ている。明日美は
芸妓だが、冴子はまだ小学五年生だ。あの妖艶な微笑みは子供の出せるものではない。皐月は千智から聞いていた冴子のキャラとのギャップに驚いた。
「派手かな? あまり目立たないようにインナーカラーにしたんだけど」
「華やかで素敵ですよ」
「へへへ、ありがとう」
皐月は明日美や他の芸妓衆にかわいがられてきたので、大人の女性には免疫がある。冴子は年下なのに大人っぽいから、ここでニヤけた顔を見られずにすんだ。
「藤城さんって、入屋さんの好きな人なんですよね。覚えてますよ」
冴子に言われた「入屋さんの好きな人」という言葉に動揺した。皐月は願望を一瞬で見透かされたような気がした。
冴子は簡単に自分の喜びそうなことを言うが、それが本気なのか冷やかしているのかがわからない。千智が人に自分のことを好きだと言うわけがないからだ。
皐月は年下の冴子に弄ばれたような気分になり、恥ずかしくなって顔が熱くなった。
「おい藤城。お前、何デレデレしてんだよ」
乱暴に話しかけてきたのは五年生の時、皐月と同じクラスだった
野上実果子だった。
「なんで野上がここにいんの?」
「図書委員だよ。それよりうちのかわいい後輩にちょっかい出さないでくれる?」
「ちょっかいなんが出してねえよ」
実果子はカウンター内のごみ箱に新しいごみ袋をセットしていた。今までごみ捨てに行っていたようだ。
「冴ちゃん、大丈夫だった? あのお兄さんに変なこと言われなかった?」
「楽しくお話していましたよ」
実果子の冴子を見る目が優しかった。皐月は実果子にあんな目でみられたことがない。
「おい、野上。人聞きが悪いこと言うなよ。俺が変なことなんて言うわけがねーだろ」
「あんたは見境ないからな。藤城は昔から女と見たらすぐに声をかける。チャラいんだよ」
「なんだよ、それ! ……まあ女に見境がない男ぐらいじゃないと、お前みたいな怖い奴なんかと口がきけるわけねえよな」
「どういう意味だよ、それ?」
実果子はこの小学校では珍しく髪を脱色している。言葉遣いや立ち振る舞いに粗暴なところがあり、五年生の時のクラスでは浮いた存在だった。
皐月は実果子と席が隣同士になったのをきっかけによく話をするようになった。今ではこうしてきわどい冗談を言って、笑い合える関係になっている。
「ところであんた、何の本借りたの? ……京都? 旅行にでも行くのか?」
「何言ってんだよ、野上。修学旅行で京都に行くだろ? 班行動で京都を回るから、行き先を決めるんだよ」
「ああ、そうだっけ。京都か……あんま興味ないから忘れてたわ」
実果子が修学旅行のことを知らないはずがない。皐月は実果子が3組であまり幸せに過ごしていないのかもしれないな、と思った。それでも実果子は図書委員を楽しそうにやっているようなので、少し安心した。
図書室に出入りする児童が増えてきた。低学年の子たちが次々と本を返しに来る。実果子と冴子は仕事が忙しくなったので、皐月は借りた本を持ってカウンターを離れた。