田中は、革靴の足音を響かせながら、白い空間の隅へと歩を進めた。
ペタリ、ペタリ――。
濡れた靴底がタイルに貼りつく音が、やけに間延びして耳に残る。
「……にしても…夢にしちゃ、妙にリアルだな」
小さく呟く。
その声さえ、壁や天井に跳ね返って何倍にもなって返ってくる。
(この水…飲めるのかな……?)
自然と視線がプールへと引き寄せられる。
田中は縁に膝をつき、上半身をゆっくり前へと倒した。
水面はまるでガラスのように静まり返っており、自分の姿が薄く映り込んでいる。
その輪郭を壊さぬよう、恐る恐る右手を差し入れた。
「おぉっ…冷たっ……!」
思わず声が漏れた。
指先から手首、そして腕へと、刺すような冷たさが駆け上がる。
水は驚くほど澄んでいて、光を吸い込むように透き通っている。
両手で掬い上げる。
手のひらから零れ落ちる水滴が、タイルの上に小さな円を描いて消えていく。
ゆっくりと口元へ運び、一口。
「…おいしい……普通の水だ…」
乾ききっていた喉が、やわらかく潤っていく。
その感覚はあまりにも当たり前で、逆に彼の心を不安定にした。
落ち着きを取り戻したはずなのに、胸の奥では何かが重く沈んでいく。
視線をもう一度、周囲へ巡らせた。
変わらない白、変わらない静けさ。
それなのに、先ほどまでの夢という言葉が急速に色褪せていく。
(……ここは…なんなんだ?もし、もしここが夢じゃなくて現実なら…)
胸がじわじわと締め付けられる。
自分が置かれている状況を、否応なしに認めさせられる感覚。
呼吸が浅くなる。
(俺は……どうすれば、元の世界に……何をすれば…いいんだ……?)
プールの水音さえ消えたような気がした。
代わりに、心臓の鼓動だけが、やけに大きく耳に響いていた。