――リズに連れられて、アルスは階段を上った。
正直言って、プラグと一緒に片づけが良かった。
アルスが頰を膨らませていると、リズが。
「ま、女の戦いってヤツだな。しっかし、プラグあいつアホか?」
と言ったのでアルスは少し頰を膨らませた。
「アホじゃないです。プラグは」
押しの強いイメイア侯爵の誘いを、意外な程しっかり断ったのでアルスは驚いたのだ。
美少年好きかも……というイメイア侯爵の深い噂は知らないはずなので、不思議に思った。
プラグは無類の美少年だから……本能で危険を感じ取り、避けているのかもしれない。
「そーだよなぁ。はは」
リズが口の端を上げた。
――アルスはさらに頰を膨らませて、気を引き締めた。
今上にいるのはサンドラ達だから、まだ良い。アルスの話を聞いてくれる。
(確かに、行った方がいいかも。隊長に感謝だわ)
アルスはリズに止められなかったら、そのままプラグと片づけに行っていただろう。
(よし、何も話し掛けなくても、皆がいるんだし。それにイメイア侯爵がいるんだから平気ね。あの子、親にはいい顔をするから)
先程、マシルが凄く心配していたが、あれが正しい貴族の反応だ。
アルマティラは貴族男性にとても人気がある。たぶんアルスより人気がある。
というか男性は皆、アルマティラが大好きだ。
素直だし、可愛いし。愛される素質を持っているのはまあ、間違い無いのだが。
……アルスとはぶっちゃけ、仲が悪い。とても悪い。最悪だ。
実は、原因はアルスにあるのだが……。
何度か謝ったし、そろそろ、許してくれても良いと思う。
(お付きの二人がいなくて良かったわ。よし、早く行って、変な事言わないか見張っておかないと。誰か候補生の影に――そうだ、シオウの近くにいましょう!)
シオウならきっと何とかしてくれる。
先ほども、リアンナが戸惑っていたときに自分から声をかけていた。
ダンスを見ると普通に上手だったので、気遣ったのだろう。さすがとしか言いようがない。
シオウは事務クラスのレイシーに好かれているのだが、それも彼女曰く、剣の訓練についていけなくて、端っこで泣いていたら慰めてくれたから、らしいのだ。
その時の言葉が『お前、ここにいたのかよ』だったらしいので、惚れるのも仕方ない。
一人少ないのに気付いて、探しに来てくれたのだとか……。
その後は『あのなぁ。俺達はめっちゃ訓練してんの。だからそんなの気にすんな。いきなり出来るかよ。別に戦わなくても、その辺の男がいるだろ。守ってもらえ、適当に』『勉強できるか?』『じゃあそれで頑張れよ。もうすぐクラスも分かれるって言うし。訓練なんか、何とかついてくだけでいいんだよ。とりあえず、腹痛ってことにしてやるから、その顔なんとかして来い。来るか?』『……そか、まあ、じゃあ、医務室だな。行っとけ』『何か言われたら、俺に行けって言われたって言えよ』
――と、そんな風に、見えない所で優しさを発揮して善行を積んでいる。
何かと目立ってしまうプラグとは対照的だ。
プラグも優しいのだが……。もやもやする優しさだ。
(誰にでも優しいって問題よね……)
プラグは礼儀正しいだけなのだが……顔が良いので相手は勘違いしそうだ。
現に、アルマティラのあの顔はもう……絶対にプラグが好きだ。
しかし……アルスは、プラグが先程サンドラ達と話していたのを見て何となく思ったのだが、プラグはあまり人づきあいが好きでは無いようだ。会う人会う人に壁を作っている。
貴族女性に慣れていないから……? かもしれない。
「では、女の戦いを見学するか~!」
リズが言いながら扉を開けアルスは中に入った。
どうやらリズは楽しんでいるらしい。
既に音楽が流れている。サンドラの隣にアルマティアが座っているのだが、サンドラはアルスを見て、一瞬、戸惑った表情をした。他の女性は踊っていたり、候補生と話していたりする。
アルスは戻って来て良かったかも、と思い直した。
サンドラは十七歳。少し年上だが善良で優しい女性だ。
「アルマティラ、ちょっと良いかしら……? 聴いてるところ?」
アルスは思い切って、自分から声をかけた。
「あ、いえ――ええ、どうぞ……」
アルマティラは立ち上がろうとしたが、アルスは「あ、ごめんなさいすぐ行くわ」と言った。
「もう、怪我はいいの……?」
これはずっと心配だった。
「ええ、プラグ様のおかげですっかり。とても素敵な方ですわね!」
アルマティラが笑顔で言った。
「そうね」
「私、彼の武勇伝をお城で皆に話したんです。ね、サンドラ様」
「ええ、そうですね」
サンドラが頷いた。
「その通りの素晴らしく綺麗な方だったでしょう、って今、お話していたんです。ね? サンドラ様も、王女殿下もそう思われますよね?」
「ええ、本当に綺麗でした。まるで王子様みたいな……」
サンドラが言った。
アルスも頷いた。
「確かにそうね。でも今年の候補生は、顔が良い人が多いみたいよ」
「それでもプラグ様が一番ですわ。家柄はちょっと物足りないけれど、精霊騎士になれば帳消しになりますし。あ、養子……平民でしたね……それなら結婚はできない……ううん、お父様は気に入っていらっしゃるから、大丈夫。私、お願いしてみます」
アルマティラの独り言に、アルスはぎょっとした。
「ちょっと、待って、さすがにそれは無理じゃない?」
アルマティラの隣でサンドラも驚いている。
――アルマティラは侯爵令嬢、対するプラグは平民で孤児だ。
「あら、でも、イメイア家の養子になれば問題ないですわ。何より精霊騎士。それにお父様はお強い方が好きですから。精霊騎士になられたら、私兵の訓練にお招きするのも……そうね、そうしましょう。素敵だわ」
アルマティラは既にその気でいる。そして、行動力があるので思い立ったら父親に頼むだろう。……プラグが頷く気はしないが。
「考えるのは自由だけど……プラグを困らせないでね。善意で助けただけなのに、色々あれをして、これをして、って言うのはとても失礼よ」
アルスは少しきつめに言った。
アルマティラにはそういう所があるが、ただこれは貴族女性、特に位の高い令嬢には多い性質なのだ。可愛がられて育って、何でも与えられて。何でも手に入ると思っている。
勿論、きちんとした人も多いのだが。我が儘を言う女性はとことん言う。
「あら、でもお礼は十分渡しましたし……無下になさる方では無いでしょう?」
「ええ。お礼は貴方のお父様がね。純粋なお礼なんだから……」
「ええ、そうですわね。たった二千五百万なんて。どう考えても少なすぎると思うので、私からもお礼の品物を送るつもりですわ。勿論、母からも、祖母からも祖父からも」
アルマティラが、意地悪げな笑みを浮かべた。
眉はつり上がり、眉間に皺が寄り、目には強い恨みが籠もっている。
これが彼女がいつもアルスに見せる表情だ。
今日はサンドラがいて、人の目があるので大人しい。アルマティラはサンドラと彼女の友人には手を出さない。
なぜならサンドラの父親が、胡散臭いイメイア家よりも真っ当な王族『ゼ・ハイング・ラヴェル家』から分家した『ル・ハイン男爵家』の評議員だからだ。
分家した当時、婿入り先の家格でもめたらしく、身分こそ男爵で、領地も狭いが、イメイア家と同等の『二級縁者』になる。
二級縁者はイメイア家とハイン家だけなので、アルマティラはサンドラとは仲良くしている。と言うかサンドラは年上だし、控えめで誰にでも優しいので、お姉様扱いして懐いているのだ。
しかしおかげで、サンドラはアルスとアルマティアの色々を見てしまい……、しかし誰にも言わずにいてくれる。
これはアルスが泣いて頼んだからなのだ。お願いだから私の味方になってと……。
サンドラは『私は中立でいます』と言って喧嘩する二人をたびたび宥めている。
良くできた人なのだが、本当に申し訳ない。と言うかアルマティラはわざと巻き込んでいる節がある。単にべったりなだけかもしれない。情は深い子なのだが……。
「とりあえず、まずは養子からですわね。侯爵となれば、彼のお父様もきっと喜ぶでしょう」
「そんな訳無いわよ……」
アルスは呆れて溜息を吐いた。アルマティラは勉強はできるから、頭が良いように見えるのだが、微妙なところで少し足りない。努力家なのは認めるが……貴族育ちで大事な何かを忘れている。
「カルタ家は名家と言われていますけど。イメイア家くらいでないと、貴族社会ではやっていけませんから」
挑戦的な目だ。アルマティラの憎き敵はアルスなのだ。彼女の行動は全てアルスに一泡吹かせるためだ。本当に煩わしい。
アルスの心境としては『この子、潔く死んでしまえば良かったのに』だ。
助かって良かった、少しは改心するかも、と思った自分がバカだった。
アルマティラは家の権力を盾にして、影でやりたい放題なのだ。特にアルスに対しては酷い。
そのくせ、男性の前では大人しく、おしとやかで、か弱い振りをする。
だから皆、アルマティラを庇うのだ……ただし一部の女性間では評判は悪い。
アルスも同じく一部……いや、半分くらいの貴族女性には評判が悪く、我が儘王女と言われているので、本当に殴りたい。理由は分かろうという物だ。
彼女は、噂話が大好きというか、お喋りをしていないと死んでしまうような性格なのだ。
アルスは王女なので、強く言えばいいのだが、言えない理由がある。
けれど。今回はハッキリ言っておきたい。
「母親、祖母? 何言っているの。本当にそれはだめよ。迷惑になるから」
「あら、どうしてですか? お礼なのに……?」
アルマティラが困惑顔を作る。男達はこれに弱い。それを見る度、男達には頭の中身が詰まっているのだろうか、と思うのだが……。
「もういいわ。ごめんなさい邪魔して」
アルスは溜息を吐いた。ここでプラグはそういうの嫌がりそう、と言っても仕方無い。
アルマティラの事を知らなかったとは言え、お礼を受け取ってしまったのだから。それを盾に交流を強要するなんて、厚かましいにも程がある。
本当にどこの詐欺師? と言いたくなる。
……教会での様子を見たときから、不味い事になったとは思っていた。もううんざりなのだ。
「私はもう諦めるわ。貴方は好きに生きて。私以外の人に迷惑をかけちゃ駄目よ」
アルスは言った。プラグにはアルマティラの本性を話して、受け取らないように言っておこう。養子にしたいと言われてもきっぱり断るようにと。
プラグは賢いから、信じてもらえるはずだ。
アルマティラは、アルスでさえ一瞬、良い子かも? とか、更正するかも? と思うほど意地悪には見えないから……他の男性は駄目だったが……まあ、もういい。
「……王女殿下って、大変ですわねぇ」
アルマティラが凄く小さい声で言った。
「……」
「王女殿下が、いずれ外国に嫁いだら、私はプラグ様と二人きり。貴族と才能ある平民の結婚は良くあることですけど、王女と平民なんて無理ですよね。二人で教会に行って、何していらしたの? あ――キスでもしていたのかしら?」
唐突な単語に、心臓が脈打った。
アルスは衝撃に震えながら、せり上がる涙を堪え、歯を食いしばった。
「……観光よ。ふん。とにかく、贈り物はやめなさい」
――曲が終わる。
アルスはなるべくゆっくり、部屋を出た。
■ ■ ■
「何よあの子、バカ、もうやだ! 最低! バカなんだから!」
アルスは泣きながら階段を下りて、薔薇の館を飛び出した。
近衛が慌ててついてきたが「来ないで! 宿舎に帰るわ!」と言って去った。
少し走っただけなのに疲れてしまって、歩いた。
(『キスでもしていたのかしら』ですって!? そんなわけないわよ! 馬鹿にしないでよ!)
アルスはアルマティラの言葉を思い出して、怒って、泣いた。
イメイア家の力は大きいから、もしかしたら、アルマティラの言った通りになるかもしれない。プラグはもう駄目かもしれない。
アルスは涙を止められなかった。そんなの酷すぎる。
アルマティラが言ったのは、いつかアルスが想像した『プラグが影で泣く未来』そのものだ。そんなのは嫌だ。プラグが幸せにならない未来なんて。酷すぎる。
……彼女の護衛にランバークという男性がいた。事件で死んでしまった護衛だ。
ランバークは、元々近衛を目指していたが、イメイア家の私兵になった。
アルマティラはその彼が好きだったみたいで、父親に頼んだらしいのだ。
ランバークは『独立派』の家柄だったから、彼自身の意志だったし、ランバークもアルマティラが好きなようで。いつも嬉しそうに迎えに来ていた。確かに顔は良かったけれど、あれだけ側にいるのに、アルマティラの事を優しくてか弱いと信じている、頭のおかしな人だった。
でも死んでしまって――アルマティラは寂しいのかもしれない。
それでプラグを好きになったのだろうか。
でも、そんな事って、あるの?
死んでしまってすぐ?
アルスには、アルマティラの本心は永遠に理解出来ないが……。
アルマティラは、どう見ても、ランバークに恋をしている風だった。
アルスは『この人、顔はいいけど頭はちょっと微妙よね』と思っていたのだが、彼女は仲の良さを見せつけている風だった。
イメイア家の私兵は『アルマティラ様親衛隊』と言って良いバカ集団なのだ。
別の私兵も、取り巻きの貴族も見た事があるが、なんだかランバークと大差無かった。
あんなバカにプラグがなってしまうのだろうか。最悪すぎる。
「やだ~! やだ~!」
アルスは嘆きながら、泣きながら歩いた。
アルマティラと、まさかプラグが結婚……さすがに突飛すぎる。
嫌とかそう言う以前に、アルスは『気持ち悪い』と思った。
……アルマティラのこの感じが受け付けない。
アルスの前では、すぐ結婚だの、恋愛だの、キスだのと言うのだ。
彼女は年の割に本当にませている。最悪だ。
(私がプラグとキスなんてするわけないわよ!! バカ! 最低!)
そんな事、考えた事も無かったのだ。
よく分からないが酷すぎる。寂しさと痛みを伴うような、分かりたくない、受け入れられない感情がアルスの中で渦巻いている。
「……ぅぅ、とにかく、警告……! 警告……」
アルスは心を落ち着けようと頑張った。まだ決まった訳では無い。
プラグは優しいけれど、きっぱり断れる人だ。これは百点をあげたい。
しっかり警告しておけば、なんとかなるだろう。
アルスは勝手にあふれてくる涙をハンカチで拭いて、必死に呼吸を整えて、何気ない風を装って宿舎に入った。
プラグは食堂で手伝いをしているはずだ。
――と、本当にいた。食器を洗いながら、ラ=ヴィア、ナダ=エルタがいて話している。
シェフ達は力尽きて……机に突っ伏して休憩している。調理台の上には酒瓶と料理がある。シェフ達も食事をしたらしい。
アルスは声を掛けずに聞き耳を立てたが……今の話題はこれからの抱負だった。
「最近本当に鍛練が少ない。しっかり頑張らないと不味いな」
「――あ、アルスさん!」
ナダ=エルタの声にプラグが驚き、お皿を落としかけて焦る。
「わっ、危ない……! ……っ! ……良かった。アルスか……何?」
アルスは手招いた。
「プラグ、ちょっといい?」
「ん?」
「ちょっと大事な話があるんだけど……まだ手伝いするの?」
「……今すぐ?」
「ええ、今すぐ、来て」
「わかった」
素直なのはプラグの良い所だ。
プラグは手を洗った後、ラ=ヴィアと交代して、今日は休もうかな、と言った。
「やっぱり少し疲れたから。早めに寝る。後はお願い出来る?」
「み!!」
「はい。もちろんです! ゆっくりしてください。これ夜食です」
ナダ=エルタや他の精霊達も一斉に頷いてプラグを送り出した。
「もう食べられないよ」
と言いつつ、プラグは包みを受け取って出口に来た。
「アルスももう寝る?」
「そうね、部屋に行きましょう」
今となっては部屋だけが安全地帯だ。アルマティラはいつも首都にいる訳ではないのだが、領地は三日で来られる場所なので、来る度に喧嘩になっている。
来なくて良いのに、親のためとか理由を付けて来るのだ。
部屋に入って二人ともほっと息を吐いた。
「何だか疲れたな……」
プラグも疲れている様子なのは、少し意外だった。
プラグがブーツを脱いでベッドの下に入れる。
「お風呂に入りたい……酒臭い」
プラグが呟いた。
「そうねー、私も汗をかいたわ」
アルスもブーツを脱いでベッドの下に入れて、部屋履きを履いた。
二人は、それぞれのベッドに座って向き合った。
プラグはベッドの上に行儀良く座って、もらった包みを開いている。
中身はパンが三つと、一口で食べられる美味しそうな焼き菓子、紙で包んだ小さいケーキだった。
「アルス、食べる? 小さいケーキとかお菓子だけど」
「一つちょうだい。水が欲しいわ」
「じゃあ出す。食べてて」
プラグはベッドの上に包みを置いて立ち上がった。
アルスは何もする気が起きないので任せた。カップの場所は知っている、と言うか最近はプラグの所に三人部分がまとめてあるのだ。
「ル・フィーラ――はい。氷はないけど」
アルスは受け取って、涙ぐみそうになった。
「ありがとう……ああ、ここは極楽かしら……極楽よね……極楽だわ……」
お腹はあまり空いていないので、アルスは水と小さなケーキだけで十分だと思った。甘い物を食べて、水を飲んで落ち着いた。
プラグはもうお腹が空いたのだろうか。パンを食べてしまった。その後、水を飲んで、ケーキを食べるか迷ってやめた。
「それで何の話?」
「ああ、そうなのよ……ちょっと待って、何から言えばいいのかしら。アルマティラの事なんだけど……」
「ああ……」
「私、実は、あの子と本当にすごく仲が悪いの。私がいけないんだけど……」
アルスは少し迷ったが、アルマティラとの出会いから、正直に話す事にした。
■ ■ ■
初めて彼女と出会ったのはセラ国から戻って二ヶ月後。
つまり実母『第二王妃レイラ』の国葬から間もなくのことだった。
当時、ふたりは互いに十歳。
初めて会った時も、アルマティラは今日と同じような……落ち着いた色味の、ピンクのドレスを身に着けていた。
一方のアルスは灰色の『軽喪服』――だった。王族の習慣で、身内の葬儀の後『黒い喪服』の期間が終わると、しばらく灰色のドレスや上着で過ごすのだ。
軽喪服の期間は、本人の気の済むまでなので、お父様……国王も、王子も率先して、元通り青のローブに着替えていて、その期間は終わっていたけれど。アルスは綺麗なドレスを着る気になれなかった。
……もっと皆に優しくしておけば良かった。
……もっと甘えておけば良かった。
……皆、居ないなんて信じられない。悲しい……。
アルマティラを連れて来たのは侍女頭……昔風に言えば、女官長だった。
その時、アルスが眺めていたのが、初めて使った『聖女日記』だったのだ。
「私が落ち込んでいたから、お父様が気を利かせたらしいの、友達というか、私の『侍女』として来てくれたんだけど……」
……プラグには『聖女日記』の事は伏せて話した。
二人は城内の小教会で出会った。と言うか当時のアルスが教会に通い詰めていたのだ。
中庭には黄色い花畑があって、アルスは回廊に座って眺め、ぼんやりしていた。
黄色い花……アルスが幼い頃、母と一緒に摘んだ花だ。
母は押し花を作ってくれた……。
侍女頭に声をかけられ、アルスははっとして、立ち上がった。父から話は聞いていた。
アルスが塞ぎがちなので、同じ年の侍女を付けてはどうかと。
ちょうど、ふさわしい令嬢がいるからと……。
アルスもそれはいいかも、と思った。何か、元気になる切っ掛けが欲しかったのだ。
そこには可愛らしい少女、十歳のアルマティラがいた。
彼女は緊張しながら頭を下げて、丁寧に名乗った。
赤っぽい茶髪で、前髪は今と同じく長く伸ばしている。ドレスは落ち着いたピンク色で、白い襟がついている、かなり立派な物だった。
「こんにちは、来てくれてありがとう。あっ、こんな格好でごめんなさい」
アルスは微笑んでそう言った。
アルスはアルマティラが自分の、ピンクのドレスを気にしていると思ったのだ。
アルマティラは中々、可愛い顔をしていた。
賢そうな見た目で、はっきりとした眉。大きな目、長い睫毛。髪の色は赤みがかった茶色。前髪を真ん中で分けて、緩い巻き毛。瞳は赤茶色。ピンクの服だったが、派手という訳でも無く。大人びた子、と言う印象だ。
アルマティラは緊張に震えながら頭を下げた。
「お気遣いありがとうございます……張り切って、派手な色を選んでしまいました。申し訳ございません……」
年も同じだし、印象は悪くない。
アルスは微笑んだ。
「気にしないで。私もそろそろ着替えるから……、私はアルス。アルスティア・ゼ・キルト・ストラヴェル。アルマティラ、さん? よろしくね。アルスでも王女でも、殿下でも何でもいいわ」
アルスは自己紹介をして、アルマティラの名前を聞いた。
もっと作法があるのだが、十歳同士。侍女頭からも、侍女と言っても、友達みたいなものだから、そこまで気にしないでいいと言われていた。
……アルスはこの頃から、今のような『よそ行き言葉』を使っていた。
それが王女の嗜みだとセラ国で教わったのだ。正確に言えば、意識して使い始めたのは帰国してからだ。セラ国では、たまに適当に話しては母に注意されていた。けれど、いざ使い始めると、元の子供っぽい話し方ができなくて、アルス自身も戸惑っていた。上手く混ぜるのが難しいのだ。
「はい。王女殿下。どうぞ、アルマティラと呼んで下さい」
「分かったわ。アルマティラ――遠い所を来てくれてありがとう」
アルマティラの実家はシトルソー領にあって、首都の西隣だが、首都領自体が広いので王城までは少し距離がある。ゆっくり進めば三日、と言ったところで、そこまで離れてもいないが、会話の流れでそう言った。
アルスは「領地はどんなところ?」と尋ねた。アルマティラはこういう所ですとか、両親がよろしくと言っていたとか、当たり障りの無い事を喋ってくれて、自然に打ち解けた。
「ねぇ、そこで、一緒にお花を摘みましょうよ。貴方はお城に住むの? その部屋に飾るのもいいわね」
アルスから誘った。
アルマティラは恐縮しているというか、戸惑っている様子で、侍女頭を見た。
侍女頭はどうぞ、と言って微笑んで、アルマティラと一緒に中庭の花畑に入った。
アルスは花の上に座って『聖女日記』を脇に置いた。
「四つ葉のね、葉っぱを見つけると運が良いの。でもまとまって生えているから、この辺りね。あ、そのドレスが汚れるから、あなたは座らなくてもいいわよ、ごめんね」
それからしばらく、アルスは葉っぱ探しに夢中になった。いっぱい見つけたら凄いと言ってくれるだろう、と思ったのだ。
けれど今日に限ってすぐ見つからない。
全部摘んでしまったのか、場所が間違っているのだろう。しばらく日記を放置して探した。
アルマティラは立ったままアルスを目で追って、戸惑っている様子だったが。
「あの……それは『聖女の日記』でしょうか」
と控え目に聞いてきた。
「ええ、そうよ。それが何か?」
「どんな事が書かれているので、しょうか……?」
今思えば、彼女は話のきっかけに、と思ったのだろう。
しかし他人に聖女日記の概要を話してはいけない。
アルスはこの辺りで、諦めてプラグに『ちょうど、聖女日記を持っていたわ。ほら、そこの日記よ。アルマティラは気にしたけど、中身については内緒なの。ただの日記なんだけど』と概要を伏せて語った。
「――ごめんね、言えないの。でも大した物じゃないわ」
幼いアルスも苦笑した。
それから、一週間。
物は試し、と思って一緒に過ごしたのだが……なんとなく、かみ合わない気がしてきた。
アルマティラは意外に良く喋る少女だったが、返事が来るまでに変な間があるのが気になった。
慣れるかと思ったが……。今一つ慣れない。
一週間経つ頃には、アルスは一人の方がいい、と思うようになっていた。
彼女がいると、走ったり、剣の稽古をしたり、勉強したりができないのだ。
アルスは朝から刺繍なんてしたくないし、人の噂話もつまらないし、アルスが走っている間や、稽古の間は構ってあげられない。
なれるかは別として、アルスは精霊騎士を目指すのだ。
アルマティラも勉強はしているはずなので「そうだわ! 一緒に勉強をしましょうよ」と誘ったのだが乗り気では無いようだった。
一番気になったのは、第一王子――兄に対する態度だ。なんだか変というか。憧れているのだろうな、と伝わってきた。
……アルスがもう少し大人しい性格なら、アルマティラとは上手く行ったかもしれない。
一週間後、アルスは侍女頭に尋ねた。
「ねえあの子、いつまでいるの?」
侍女頭は表情を硬くした。
「なんか、あんまり合わないみたい……あ、あの子が嫌いじゃなくて……あの子は運動ができないし、勉強も、一緒だとあんまりできないの。私が教えないといけないの? 私、お裁縫はあんまり好きじゃ無いのよ……あの子は丁寧にやってるから、きっと、できたものは綺麗なんでしょうけど、私がいない間、部屋で一人にするのも可愛そうだし、どうしたらいいの? あの子、私のことどう思ってる? お城の生活、楽しいのかしら。退屈じゃない? ちょっときいてくれる……?」
「ですが、国王陛下の命ですので……」
侍女頭が言った。
「それなんだけど。私、やっぱりまだ友達はいらない。私が誰かと仲良くすると、色々問題がありそうだもの。だったら一人でいいわ。と言うか、私はどうせ他国に嫁ぐんでしょ。私と仲良くする意味あるの? なんとなく、お兄様目当てな気もするし……。あとね、私、同じ年の子に、裸を見られたく無いの。あの子じろじろ見てくるから嫌い。着替えも一人がいいし、お風呂も一人でいいわ。髪を触られるのも嫌。結い方が気に入らないの。あとね……私、もうちょっと、ミアルカと仲良くなりたいの。せっかく家族なんだから……寂しいの。まだ友達なんかより、家族といたいの」
アルスは思っていることを全部、正直に話した。
アルスはストラヴェルに戻ったばかりで、父や兄とは再会を喜んだが、ミアルカは出かける前は生まれていなくて、アルスとは初めましてだ。つまり、かなり余所余所しい。
ここで友達を作って、そちらと遊んでばかりいたら溝が深まるばかりだ。せっかく姉妹なのにもったいない。
王妃ロザリナは優しい人だけれど、幼いアルスには、まだどう接して良いか分からない時がある。もっと話して……家族になりたいのだ。
「あの子、確かあなたの親戚なのよね。断れない相手だったらごめんなさい。あの子が傷付かないように、上手く言ってもらえないかしら。私には無理だわ。お父様には私から申し上げてみるから……もし駄目だったら、嫌々、仕方無く、お城の片隅に置くことになるけど、そんなのあの子が可愛そうでしょう? 私はあの子に、私の部屋に入って欲しくないわ。すぐ物に触るのよ?」
アルスは頰を膨らませた。
この飾りが綺麗、あのドレスが綺麗だから見せて欲しいと、まるで何でも自分の物だと思っているような、もう少し落ち着いたら? と言いたくなる子なのだ。気を遣って世話を焼いているのかもしれないが……『お世話をされる』方に慣れている感じで、世話の仕方は下手くそだ。
「お世話係なら、もうちょっとお世話の仕方を勉強した方がよかったんじゃないかしら……ごめんなさい、こんな悪口を……誰にも言わないで……でも、いっそ言ってくれたら、私が悪者になれるかしら。もう何でも良いわ。お父様に言う前に、お兄様に相談しようかなぁ……ああ、なんだか、つまんないわ……」
アルスは溜息を吐いた。
すると侍女頭は、何故かほっとしたように頷いて、しかしどこか苦笑していた。
「畏まりました。王女殿下。確かにおっしゃる通りです。アルマティラ様には優しくお伝えしておきます。彼女も、お城での暮らしは窮屈に感じているようでしたから、きっと大丈夫です。王子殿下に相談されるのは、とても素晴らしいお考えです」
丁寧に頭を下げて言った。
それで、アルスは兄に相談し、兄から父に伝えてもらって――やはり父に叱られて大喧嘩になり、王妃がとりなしてくれて、一応、解決したのだが。
……しばらくして、その侍女頭は辞めてしまった。
彼女は辞めるときに「実はずっと、あの家がうるさくて。疲れたのでお暇を頂きました。王女様が、あの方を気に入らなくてほっとしました。とてもすっきりしました」と言って苦笑した。
アルスはそうなの、今までありがとう、とても楽しかったわ、と伝えた。
幼い頃からずっと一緒だったので、悲しくて仕方ない。
セラ国から一人で帰り、四年ぶりに会ってほっとして、彼女にしがみついて泣いたのだ。姉や叔母のような存在だった、のかもしれない。
「あなたが選んでくれる物は、全部私の好みだったの。持って来てくれた革靴もぴったりだったわ。せっかくまた会えたのに、こんなに早くお別れなんて……残ってくれないの?」
自分のせいだと分かっていたけれど、アルスは侍女頭に、泣きながら抱きついた。
「正直に言うと、残りたいのですが。私が残っていると、あの家が威張るんです。王妃殿下が、素晴らしい嫁ぎ先を見つけて下さいましたから、結婚します」
「そうなの。それなら良かった。もしいじめられたら、飛んで行くから、手紙をちょうだい! どこの家? 貴族なの?」
アルスは自信満々で言った。今思うと恥ずかしいが、その時は何でも出来ると思っていたのだ。
「いいえ、商家なんですが、とてもお金持ちで……お相手の方も……意外に格好良くて……利害の一致、という感じでしょうか。貴族は貴族同士だと、血が濃くなりますから……。あちらも取引先拡大のため、私の家名が欲しいようです」
彼女の嫁ぎ先である『クープ家』はストラヴェルでも指折りの豪商だった。ストラヴェルの東海岸、ラハバとラニ・ラニィ領の商業組合を経営していて、下手な貴族より力がある。
「すごい! 大変そうだけど、あなたならやっていけるわ。だって私とやってこられたんですもの!」
そして侍女頭『ラヴィナ・ラ・ダイア』は『ラヴィナ・クープ』となった。
元気でやっているらしく、それから年に一度、新しい侍女頭経由で手紙が届く。昨年、男の子が生まれたので、こっそりお祝いを贈った。お小遣いで買った短剣だ。
勿論、正式なお祝いは王妃と一緒に送っている。
去年――東海岸に魔霊が出たと聞いて、アルスは大急ぎで確認したが、領土騎士の対応で避難できたため、彼女と家族は無事だったという。
――それは良かったのだが。
アルマティラには思いっきり恨まれた。
さすがに悪いと思ったので、後で謝ったのだが……やっぱり恨まれている。
彼女の実家は、第一王子の側室狙い――下手したら王妃狙いだったようで……侍女を外されたのがかなり堪えたらしく、両親に色々言われたらしい。
これは三年ほど前、本人から散々言われた。
もの凄く怒っていたので驚いたくらいだ。
……アルスのせいで性格がねじ曲がってしまったのか、元々そうだったのか。
あの人格形成に一役買ってしまったのは間違い無い。本当に後悔している。
アルマティラには、良い所もあるはずなのだ。例えば物をハッキリ言うとか。いつも気合いが入っているとか。お洒落だとか、礼儀作法が完璧だとか、手先が器用だとか、向上心があるとか。
アルマティラはアルスに負けじと、勉強を頑張っている……らしい。それは偉いと思う。
後は顔が広い事だが、類は友を呼ぶのか、周囲を似たような貴族で固めている。
今のアルマティラがアルスを見る目は、王族を見るそれではない。側室の娘、自分の方が血筋が良い、と思っているのがよく分かる。
元々、アルマティラ、という名前も親が同い年のアルスを意識して付けたとか、そんな噂もある。アルスの方が後に生まれたので、さすがに根も葉もない噂だと思いたいが、それにしては響きが似ている。偶然だと思うが少し恐い。
アルスの出所不明の悪い噂は大抵アルマティラが流している。
なんて面倒な、と言う溜息しか出てこない。ここまで嫌な……否、面倒な子だとは思わなかった。
――しかし、それも全てアルスが原因なのだ。
アルスは反省してもう社交界では親しい友達は作らない、と決めてしまった。
お茶も自分から誘った事は無い。
■ ■ ■
「それから、もう、会う度に喧嘩しているの。……だから私には、友達らしい友達がいないのよ。サンドラ様みたいに巻き込みたくないし、専属の侍女も、もうつけていないわ。同じ人に貼り付かれるのが嫌だから、お世話は交代にしてもらっているの」
アルスは溜息を吐いた。
そしてアルスはサンドラの事も話した。
「サンドラ様は、血筋が良いから、どちらにも優しいお姉さん、みたいな感じで、いつも巻き込んでしまっているの……アルマティラが懐いてるから……いちいちサンドラ様に告げ口するのよあの子。サンドラ様もう呆れて、中立です、勝手にやりなさい、って言ってくれたんだけど。おしとやかで止めてくれる感じじゃないから……本当に悪いと思っているわ」
アルスは項垂れた。
「そんな気の強い子だったんだ……意外というか……」
プラグは信じられないようだ。
「男の人には態度がいいのよ。とても。私兵の全部が親衛隊みたいな感じだから。貴族にも憧れてる人が多いわ。プラグは特に命の恩人だから気を付けてね、さっきあの子と喧嘩したんだけど……」
アルスは喧嘩の詳細を全て話した。
アルマティラが言ったこともなるべく正確に、たどたどしく再現した。
ただしキス云々は絶対に言えない。
「それで、私は外国に嫁ぐけど、アルマティラは国に残るから、プラグと二人で残るから、あなたをイメイア家の養子にして、結婚するんだって! 私、もう嫌で。あの子の全部が嫌いなの。……なんでこんな風になったのかしら? 私って王女よね? どうしてあんな子に苛められるの? なんで嫌な事ばっかり言うの?」
アルスは惨めになって来た。涙がこぼれてしまう。
「お父さんには相談したの?」
アルスは目を擦った。
「ううん。自分で解決しなさいって言われているし……お父様は立派だから、たぶん、ちょっと注意するくらいだわ。……どうしようもない子だけど……国民だし……どうすればいいか、分からないわ」
アルスは項垂れ、プラグを見た。
「……とにかく、あの子から何か言ってきても無視して、二度と関わらないで。でないと本当に、あの子の言う通りになるから……! イメイア家って乱暴なのよ。養子なんて、プラグにはお父様がいるのに……本当に何で分からないのかしら。私のせいなのかしら……」
ずっとアルスは思っていたのだ。
アルマティラは確かに、愛されて育って、少し我が儘だったと思う。親に教わった通り、自分は王子の正室は無理でも、側室になると思っていただろう。
……でも会った時は、今ほど悪い子では無かったと思うのだ。
「きっと、酷く怒られたのよ……私に嫌われたって、笑われていたのも知ってるもの。それは怒るわよ。もうどうしようもないわ。一生このままなのよ」
「そっか……」
プラグは沈痛な面持ちで何か考えて、立ち上がって机の引き出しから封筒を取り出した。
「お金、返したら駄目かな? もうアルスから全部聞いたのでいりません、仲直りして下さいって書いて送るとか」
アルスは首を振った。
「だめよ、それは。あの子を怒らせたら駄目。余計に目の敵にされるわ。侯爵だって怒ると怖いわ。お金持ちだし、凄い名家なのよ」
「そうか――困った子だなぁ……。とりあえず、贈り物は隊長に頼んで断ってもらおう。換金前で良かった。危ない。これは、そうだな、証人を立てて廃棄しよう。一年下ろさなければいいんだけど、明日リズとルネに相談して、銀行員を呼んでやってもらうとか……。現金じゃなくて良かった。換金しなければ払われないから。受け取らなくてもいいし」
「でも、受け取らなかったって問題にならない?」
「言わなければ分からないよ。言わない方がいいかな? それはリズと相談で。あの二人、止めようと必死だったんだな。やり方はちょっと乱暴だったけど」
プラグが苦笑した。
アルスが首を傾げて聞くと、ルネはプラグをぼこぼこにすると言うとんでもない方法で、イメイア侯爵との対面を避けたのだと言う。そしてプラグは『治療』の反動で熱が出て、薔薇の館に泊まることになった。
……はっきり言って無茶苦茶だ。
「ええっ、そんな事したの?」
「そうなんだよ。さすがに怒った――でもルネの結婚で吹っ飛んだ。ここはとんでもない国だな。とりあえず精霊騎士にはなって、それからどうしようか。イメイア家に睨まれたなら、もう旅に出た方がいいのかな?」
「そこまでしなくても……でもそうよね。私がもっとしっかり、王女らしくあの子に言わなきゃダメなのよね。多分、不敬罪で投獄くらいの事はしてるから」
「近衛は? アルスが怒って暴れて、『不敬罪よ、投獄しなさい』って言えばさすがに動いてくれるよね?」
「それが私の周りの近衛は微妙に役に立たない近衛なの。お飾りなのよ」
「え……そんなことある?」
アルスは溜息を吐いた。
この辺りの事情はプラグには話せない。
「勿論、身は守ってくれるし、私が命令すれば聞くでしょう。でも近衛が捕まえても結局反省なんかしないわあの子。親も甘やかすし……」
「それはやってみないと分からないんじゃ……? 牢屋に入ってしばらくすれば反省すると思うけど」
「駄目よ。ぜーんぶ、火に油。恨むタイプなの」
アルスはついにベッドに寝転がった。うつ伏せになって、枕に頭を乗せる。
本当に……もうどうしようもないのだ。少し寝返りを打って、プラグを見た。
「プラグがまともで良かったわ。貴族ってみんな、彼女にはとりあえず頭を下げるから。内心は分からないけど。恐がって私の味方はしないの。多分、あの子、他の子にも嫌がらせしたのよ。サンドラ様は立派よ本当に、ごめんなさい……って感じだけど。心強い方だわ」
するとプラグは肩を下げて、自分のベッドに手を突いて溜息を吐いた。
「それはサンドラさんが大変だな。彼女も凄く悩んで困ってると思うよ」
プラグはアルスをしっかりと見た。
「……アルス、これはもう、どうしようも無くなる前に、陛下にきちんと相談したらどうかな? 現に俺は困っているし。お礼も受け取れないんじゃ困るよ。精霊騎士候補生の抱き込みまでするか分からないけど、俺だって将来は自由に生きたいし、あちらが好きだからって、はいそうですか、なんて絶対に言わない。脅されたって気は変わらない。そんな事になるくらいなら消えるけど、汚い手を使ってくるなら、万一があるかもしれないし。一つくらい、先手を打っておくべきじゃないか?」
プラグの言う事は最もだった。
「先手……」
アルスは天井を眺め――プラグの言葉を反芻した。
先手を打つ――その発想は無かった。
アルスはこれまでを思い出して。プラグのこれからを考えた。
このままでは、アルマティラに怯える未来しかない。プラグにはもっと輝かしい未来があるはずなのに。
意地悪なアルマティラの隣で泣く未来なんて、あってはいけない。
アルスはがばりと起き上がった。
「……そうね。今回はほんっっっとうに頭に来たもの! お礼を使ってあれこれ頼む!? 最低よ! それにやっぱり、あなたは守りたいわ。何がイメイア家の私兵訓練よ! 下心見え見えよ! どうせてんで弱いのよ! 近衛も本当に弱々よ! あーむかつく! 分かったわ、お父様に言いつける! 今回は仕方無いわ! 犯罪すれすれだもの! 証拠は、サンドラ様が駄目なら、私の命をかけて証明するわ! 明日私も、リズ隊長に相談する。あの子はもう首都出入り禁止にするわ! どうせ役目もないもの! 今までが甘かったのよ! 確かに私は聞きました。あの子が、お礼を使って今後プラグを脅迫するつもりだって、親に頼んでいずれ養子にしてもらって、結婚するんだって勝手に言ってることを! おかげでプラグはお礼を受け取れなかった、断る事にしたって! 忘れないように書かなきゃ!」
■ ■ ■
そしてアルスは翌日、プラグと一緒にリズの部屋に押しかけて、もうお父様に言いつけて首都出禁にする! と言った。
「ああ、いいんじゃね。つかもっと早くやれよ王女なんだから」
リズの返答は意外で、アルスは呆気にとられてしまったが、はっと我に返って思わず叫んだ。
「――そんな……事を思っていたなら、言ってくださいよ!」
アルスの叫びにリズが苦笑した。
「王族の諍いに首を突っ込む? 出来る訳ねぇだろ。外野がどうこう言う事じゃない。でも、あのサンドラもついに怒ったし。私も会話は聞いてたからな。ばっちり証言してやる。王女。お前は何でもできるけど、人に頼ってこなかった。勿体ないぜ。ちゃんとお前を見てる人も大勢いるんだから。そこのそいつみたいな」
リズは凄く雑に、背後のプラグを示した。
プラグを見た瞬間、アルスはぶわりと涙があふれ、止められなかった。
今まで、相談相手なんて居なかったのだ。ずっと一人で泣いていた。
「……ッ、ごめんなさい、ありがとう!」
アルスはプラグに抱きついた。
するとプラグの腕が背中に触れた。アルスは驚き、すぐに離れた。
「あっ、ごめんなさい、感極まって……」
アルスはプラグに謝った。顔が熱い。涙も出ているが、恥ずかしすぎて引っ込みそうだ。
するとプラグが、意外にも頰を染めてうつむいた。
「あっ、こちらこそ、ごめん、つい……」
プラグはそっぽを向いてしまった。しかし……うつむいたまま泣いている。
それが結構、幾筋もの涙を流して泣くので、アルスはかなり驚いて、戸惑った。
プラグは涙を拭うのだが後から後から出てくる。アルスはハンカチを渡した。
「どうしたの? 大丈夫?」
「……」
プラグはやがて頷いて、何度か鼻をすすって、手で涙を拭いた。拭ききれずに袖も使う。
ハンカチはそのまま突き返された。
「あープラグ、お前それで、小切手はどうするんだ? 受け取らねぇなら無くなるが?」
「……はい、受け取りません……破って下さい」
「はいはい。ま、一年経てばどうせ紙切れ。ビリッと」
リズが二千五百万グランの小切手を真っ二つにして……「もっと良いモノもらったかもな」とぼやいた。
〈十八話 終〉