千葉県銚子市。北東部かつ関東の最東端に位置する。日本列島において、最も早く初日の出が昇る場でもある。さらに、他県民であっても容易に理解できるほどの水産物の町であるため、全国各地から多数の漁船が入港する銚子漁港も存在するため、日本屈指の漁獲量を誇る。果てには卸売市場や水産会社、水産加工場等が密集しているのもあり、名実ともに日本随一の水産都市である。
船橋での一件から時間が経ち、もはや朝の時間帯になっていたのだが、そこに辿り着いた二人は、思わず目を疑った。
それは、善吉の精神掌握を食らっていない様子であったのだ。それに目立った魔力反応もなく、文字通りの平和であったのだ。
「え……何でこんなに平和なんですか」
「平和も何も、お嬢ちゃんら……こんなところに何の用だい? 随分
都会の女って感じがするが……」
道行く年配の男漁師に声をかけ、この千葉県にて起こっている事象を事細かに説明する。アタッシュケースも提示しながら、二人はいたって真面目なトーンで喋っていたのだが、あまりにも浮世離れした話であったため、最終的には豪快に笑い飛ばされていた。
「ンな馬鹿な! いくら英雄だ何だとか言われているだろうが、ここに限ってそんなホラ話を……」
「違いますって! 本当につい一時間前くらいに実体験してきたんですって!」
「何なら、アタシ肩口に銃創ついてるよ!? 包帯巻いているから取っ払えばわかりやすいよ!?」
しかし、そんな話をなまじ「信じろ」だなんて語ったところで理解は及ばない。どんな物的証拠を並べようと、深刻そうな表情一つしない。
「まあまあ、そういうのも面白いだろうが……飯食えば大体どうにかなる! とりあえず腹でも満たしな! 全部俺の奢りにしてやるからな!」
ただ豪快に笑い飛ばして、夢見がちだと思われている加賀美たちは、年輩の男漁師に連れられるようにある定食屋に入るのだった。
加賀美は敵の内にあるのか、と少し警戒していたものの、席に座らされて出されたものはいたって普通、実に美味そうな新鮮な刺身定食であった。
メインは
鮪、サブに
烏賊や
鰯、
秋刀魚が取り揃えられ、山盛りの白米とみそ汁、さらには胃袋が悲鳴を上げそうな大きなから揚げが三つほど添えられた、力仕事がメインの漁師たちを海原へ送り出すための豪快飯である。
「ほらほら、飯食いな! 美味くて大量の飯食って腹満たせば、案外どんな困りごとでも解決の糸口が見えるもんだ! それに二人とも、ほっそいからな!」
確かに、二人とも何だかんだ食事と言う食事をとっていなかったために、目の前の御馳走を前に居てもたっても居られず、しかし多少なり毒物等の警戒をしながらも、静かに手を合わせる二人。
新鮮な魚と白米を頬張っていく中で、そこに毒物も何もないことを確認。しかしそれ以上に、こんな温かな環境でしっかり腹ごしらえが出来たことが、二人にとって何よりもの平穏であった。バイクを走らせる間、二人で談笑こそしたが結局置かれている環境が劣悪であるため、真なる休息とはいかなかった。
古き良き定食屋。そこに若い人間はひとりたりとも存在しない。大概仕事終わりの漁師か、周辺施設の遅めの昼休憩か。ただ、それでも満足感は並のものではなかったのだ。調子だけが別世界に隔離されているかのように、平穏そのものであったのだ。
一度テレビを見れば、きっと先ほどの年輩の男漁師も二人の語っていたことが真実だと分かるだろう。漁師の穏やかな表情を見る限り、きっと彼女らの話すことがすべて真実だということも十分に理解している。それでも、少しくらい休んでもいいだろう、と言う思いやりの結果であったのだ。
「――美味いか?」
二人は大粒の涙を流しながら、黙って頷くばかり。そんな様子を見た漁師たちは、より暖かい空気感にするべく、敢えて「いつも通り」の定食屋の雰囲気を
再生するのだった。
「――悪いね店主さん! 俺にもおんなじの頂戴よ!」
髭を蓄えた少々若さを感じる店主は、優しい笑みを振りまくと無言で料理の提供を進めるのだった。
一通り大量の飯を食べ、休息する場所をも提供してもらった二人は、一晩寝た後朝一番に漁師の男に礼を述べながら、定食屋で朝食を食べつつ改めてこの千葉県の現状を説明する。先日のような、判断を急くような口調ではなく、山梨で起こった事件だったり、そしてそれらが連鎖爆発を起こした結果だったり、来栖善吉と言う男が今どのような悪行を行っているかだったり、部外者でも分かるようきちんと隅から隅まで説明した。
その結果、彼から返ってきた答えは二人を驚愕させた。
「――俺らに関しては、そんな報告一切貰ってねえな。外から来たのなんて、直近だと嬢ちゃんらと出入りする業者くらいだぜ? 少なくとも、チンピラだの何だのは、一切来てねえな」
「えっ、じゃあこの銚子市が現状……千葉県の安全圏ってことなんですか!?」
「そうだなあ……少なくとも、直近ここで荒事はねえな」
敵の襲来はひとまずないと知れたため、胸を撫で下ろす千尋であったが、加賀美は違った。加賀美の目的、そして現在別動隊として、房総半島方面にバイクを走らせている灰崎の目的は同じく『本作戦の主戦力である瀧本礼安、エヴァ・クリストフ両名の捜索、加入後新生山梨支部壊滅作戦の続行』である。
「――じゃあ、青みがかった白銀のロングヘア女子と、ピンクのツナギを着ているかつ金髪のアメリカ人女子は……来ていませんか?」
「そうだなあ、ンな目立つ嬢ちゃん居れば一目で分かるもんな……俺は見てねえよ。二人とも別嬪さんk「はい、それはもう」」
「おう随分と食い気味だな嬢ちゃん」
楊枝を咥えた漁師の男は一頻り脳内を捜索するも、該当記憶は存在しない。まず、そんな目立つような見た目の女子二人がいたら、嫌でも目に付く上に記憶にこびり付く。
だからこそ、二人はそれが本当だとしても信じられなかったのだ。同じ千葉県内でも、ここまで情報や状況に差があるなんて、思いもよらなかったのだ。
善吉の支配力は、訪れて数日で常軌を逸していた。千葉県内において、到着した木更津市を始めとして、千尋と灰崎が奇妙な出会いを果たしたファザー牧場有する富津市、『小さな商店街』やニューアルマホテル有する千葉市、そしてLuLu arena TOKYO-BEYが立地する船橋市と、割とまんべんなく善吉の支配下に置かれている。
恐らくではあるが、灰崎が改めて向かった房総半島方面も、その支配下に置かれているであろう。そうでなければ、あの流浪の獣構成員の襲撃は何だったのか、説明がつかない。
しかし、その中で銚子市がそこに該当しない謎。何かしらの縁があるのか、もしくは何か白の手回しがあるのか。あるいは、考えたくない事象であるが、あえて残されているのか。
来栖善吉と言う男は、基本的に山梨県内でもあらゆるジャンルの仕事を行ってきた。メインに据えられていたのは子供にまつわる物。確信犯のように、英雄陣営に差し向けられる刺客が攻撃しづらい子供が多いのも、それが理由なのだろう。千葉県を全て掌握し、後戻りが出来ない状況で最後海産方面の手綱を握る……そう考えてもおかしくはない。
ビジネスと言うものは、逃げ場や介入できる余地を無くしてから、そして自分が完全に上の立場になって相手を買収する動きを駆ければ、基本は中枢を掌握可能。その後の起こりうる反発を、教会等の戦力を用いて行えば、口封じだってできるだろう。
漁師の男の証言により、深く考え込む二人であったが、隅で大飯を食らう一人の男に離れた距離で声をかける。実にフランクな態度で。
「まあ、俺たちが平和なのは……恐らくだが、そこの『兄ちゃん』のおかげだよ。事あるごとに力仕事だったりなんだったり、手伝ってくれんだわ。今日も力仕事助かったぜ!」
そう語られている男の方を向くと、二人は絶句した。
まず、この場にいるはずの無い男であり、加賀美にとっては深く『縁』や『恩』のある存在。
大剣を傍に置き、この店自慢の鯖の味噌煮定食を、早々にかっくらう。健康的な青年の体躯であり、誰からも好かれるであろうその姿はまさに「好青年」と呼称するのが正しいだろう。
そう、そこに居たのは。
「へ、丙良くん!?」「うっそ、あの丙良慎介!?」
「お、嬢ちゃん兄ちゃんと知り合いかい?」
ふと大声がした方を向く丙良。その表情は、まさに「何でここにいる」と言いたげな、驚愕の表情であった。