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第18話 イメイア家 ②ルネは師匠? -1/2-

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休み明け、五倍訓練が始まった。

「ではまずは、ダンスの基本を覚えます。説明した通りに私と同じように動いて下さい」
ダンスの初授業――教師は男性と女性がいて、いま話しているのは女性教師のシェリル・ル・ロット先生だ。
男性教師はクロード・ル・ロット先生と言った。
シェリル先生は五十代前半の金髪碧眼の女性で、引き締まった体つきの美女だ。長い髪を結い上げ、簡素な薄緑色のドレスを着ている。
クロード先生はもう少し年上……五十代半ばの紳士で、白髪交じりの黒髪をきっちり撫で付けている。若い頃はさぞモテたのだろう。鼻筋の通った優しげな顔立ちで、白いブラウスの上に黒ベスト、白いズボンに白いゲートル、黒い靴、と言う、動きが分かりやすい格好をしていた。

名前の通り、二人は夫婦だという。

他にも授業の手伝いとして女性が二名、男性が二名来ていた。
こちらは夫婦が経営する『クロード&シェリル・ル・ロット・ダンス学校』――通称『ル・ロット・ダンス学校』の教師や学生だという。

ここは薔薇の館、二階の大広間だ。
場所は普段、三倍、五倍訓練で使っている一月から十二月の間のさらに奥、北側の棟、二階で、プラグは入った事が無かったのだが、入ってみると候補生の五十九人が入って余裕で動けるくらいの広さはあった。
北の棟の向かいにはもう一棟客用の棟があり、そこには教師達が泊まっているらしい。

最初、館の主人であるルネから、この館についてざっくり説明があった。
ルネの説明はロット夫妻の他、手伝いのダンス教師達も聞いていた。

この館は他国のクロスティア騎士団から来た団員を泊める為、しっかり造られているという。ルネは『まさか騎士団宿舎には泊められないので』と言っていた。
客用の棟は三階建てで六十人程度が泊まれるという。

ダンスホールがあるのは、パーティーや集会を開くためと、近衛候補生と合同でダンスの練習に使う予定だったから……らしい。
しかしあちらはあちらでダンスホールがあるので、今の所は使っていないという。
――プラグはバウル教授もこちらに泊まれば良かったのでは、と思ったが、確かにここから候補生宿舎まで歩くと少し距離がある。
バウル教授は宿舎の生活に満足しているようなので問題はない。候補生とはすっかり馴染んでいて、風呂場では背中を流してもらっている。そういうプラグも昨日、ちょうど時間が一緒になったので背中を流した。……完全におじいちゃん扱いだ。

ルネは『特別講義』はダンスの訓練が初めてだが、今後、特別講義がある場合、候補生達はこちらの棟に来て受ける、と説明した。
他国の団員を泊めるための建物なので教室にできるような『作戦会議室』が幾つか用意されているという。そこと、後は通常の空き部屋に机と椅子を運び込み、整えたと言っていた。
その他、三倍、五倍訓練をする十二の部屋についても説明された。
部屋番号を付けた地図を薔薇の館の入り口と、奥棟の入り口、二階の階段を上がったところ等に貼ってあるので、講義があるときはそれを参考に移動するように、と言われた。
奥までの移動には意外と時間がかかるので、十分前には着席できるよう、早めに宿舎を出るように、とも言われた。案内図にはトイレや手洗い場、利用の注意なども記されているという。
館内でのプレート使用は禁止で、特に『飛翔』は絶対駄目。
調度品は全て片付けたが、柱のレリーフや壁の絵には手を触れないように、なるべく走らないようにとも言われた。
喉が渇いた場合は一階食堂に頼めば水をもらえる。
あるいは水筒で持ち込んでも良し、ただし飲むのは休憩中に限り、飲む時は教師に断って飲むようにと言われた。
『後は――廊下で先生とすれ違うときは、立ち止まって挨拶をするように。やり方については、今日の二限目、礼儀作法のミッシェラ女史に指導をお願いしています。ここを貴族の館だと思って、ふさわしい立ち振る舞いを身に着けるように。あ、でも教師の方々は、作法は緩くして頂いていますので、緊張せずに過ごして下さい』
ルネは終始にこやかだった。

ロット夫妻や手伝いのダンス教師達も興味深げに聞いていた。
精霊騎士候補生達、ダンス教師――特に女性達はこれがあのルネ公爵か、という目でルネを見ていた。噂以上の美貌と『女っぽさ』に見とれている者も少なくなかった。
ルネは確かにしっかり男であるのだが、ふとしたときに性別を錯覚させる。それでいて弱々しくないので、人気があるのも頷ける。

最後に候補生達には、首から提げる名札が手渡された。四角い木札がついていて、男子は青、女子は赤のリボンが付けられている。候補生は見本を見せられ、インクの缶がどんと置かれた。おまけで見本があり、各自このインクとこの筆で、見本のように、名前と性別を書いてくるように、と言われた。手作り感が満載だ。
一方教師達には、名札のもう少し立派な物が渡された。木札が白い布で包んであり金の縁取りがあって、名前が刺繍がされている。これはロット夫妻だけでなく、手伝いの教師にも渡された。

名札はダンス、戦闘など、訓練で邪魔な場合は外していいが、教師に名前を覚えてもらうのと、入館証にもなっているのでなるべく着けるようにと言われた。
教師が見分ける為の物なので、忘れても罰則はないし入れる。
『ただし厳しい先生の授業や、礼儀作法の授業で忘れると怒られるかも?』と言われた。

二階の大広間はしっかりとしたダンスホールになっていて、床はダンス用に寄せ木で造られ、壁や柱は白で統一されて、壁には精霊灯があり、天井にも精霊灯のシャンデリアが吊されている。窓は等間隔に並んでいて、赤いカーテンが開いてあって、美しい中庭が見える。
窓の外には、手すり付きのバルコニーがあり、中庭に降りられるように階段が設置されていた。
意外な広さにプラグは驚いたし、薔薇の館に入るのは初めて、と言う候補生達も驚いていた。
この下は大食堂になっていて、テーブルマナーはそちらを使って練習すると言われた。

「では、僕はこれで失礼いたします。先生方、後はよろしくお願いします。何かあったら、リリかメイドに伝えて下さい。ダンスの授業では、必ず一人はメイドを付けるようにします。休憩では先生方にはお水をお出しします。他にも何なりとお申し付け下さい」
そしてルネが退出して、ようやく、ダンスの授業となった。

「では、始めましょう――まず、ストラヴェルの『ダンス』とは、セラ国様式に則った宮廷ダンスを指します。ワルツと呼ばれる物が舞踏会では一般的です。まるきりセラ国の物と同じなので、セラ国に行ってもほぼ同じダンスで通用します。それとは別に、ヒュリス国様式、ストラヴェルでも旧ラヴェル国様式、旧アストラ国様式の『伝統舞踏会』用の『儀式ダンス』もあります。皆様はそちらも覚えなくてはなりません。後は、南方のダンス。これは基本のダンスが完璧にできた後、希望者にお教えします。まずはセラ国様式、その次にヒュリス国。そしてラヴェル、アストラ、最後に南方のダンス、もっと出来る方は変わったダンスもお教えしますので、楽しみにして下さい。難しいと思われるかもしれませんが、どこの国も、基本はさほど変わりません。途中からはエスコォト! の仕方も学ぶので、礼儀作法の先生と一緒に授業をする事もあります」

シェリル先生は気合いが入っている。
「この薔薇の館では、実際にパァティ! を開き、夜会の練習が出来るというので楽しみです。ああ、その際、礼儀作法で学んだ、化粧! ヘアメイク! ドレスアップ! の技術を使って、女子も男子も着飾って頂きますので頑張りましょう。貴族の夜会であれば、支度は侍女がやってくれますが、平民が招待された場合は、自分で支度をすることになります。また、精霊騎士は、男女問わず数合わせで急に呼ばれる、と言う事も良くあるそうなので、最低限の支度は自分でできる必要があります。化粧等についてはミッシェラ先生と、変装術の先生にお願いしてあります。初めてでも少しずつやれば、必ず踊れるようになりますよ」

「さ、始めましょう、大勢の皆さん。ン――並びは経験者、未経験者で分けましょうか――経験者はこちらに、未経験者はこちらに、四列ずつで間を開けて並んで下さい。ああ、分けるだけで、復習の意味を込めて皆、一からやりますから、あまり気にせずに」

そうして、初回のダンス授業が始まったのだが。習熟度にはばらつきがあった。
アルスやアドニスをはじめ、貴族は全員経験者、の方に集まった。シオウも入っている。
プラグもカルタで特訓を受けたので経験者の列に加わった。

ゼラトは未経験の方に入っていた。
「ン? 貴方はいかにも、貴族の顔立ちをしていますね。未経験ですか?」
シェリル先生がゼラトに目を留めた。
「あ、はい。田舎なので覚えませんでした……」
「なるほど、では覚えていきましょう」
「……ン? 貴方は白っぽい見た目ですが、経験者なのですか?」
次にプラグに話し掛けられた。
白っぽい……とは。まさしくプラグの事なのだが……。
シェリル先生は笑っているので冗談のようだ。
「はい。知り合いの貴族に少し教わりました」
プラグはとりあえず真面目に答えた。
「なるほど、では、おさらいして行きましょう。ああ、男女で分かれて並びましょうか。なぜか美少年、美少女が多くて紛らわしいので。男子は左、女子が右、これを繰り返して並んでね」
先生の言い方に、候補生達が控え目に笑った。
シェリル先生は、あらかじめ候補生の情報を覚えてきたのかもしれない。
そして経験者、未経験者の固まりの中で、それぞれ男女で列を分かれた。
男子が左、女子が右に並んでいる。
そこでシェリル先生がシオウの髪型に目を留めた。
「まぁ。髪の長い男の子ですね。その髪、邪魔になるので、次回、ダンスの時は下ろして結んで下さい」
「あ、はい、すみません」
シオウが頷いた。

そして、シェリル先生が候補生に背を向けて、基本のステップを説明しながらゆっくり踏みはじめた。
候補生達は手本通りにステップを真似していき、クロード先生や手伝いの先生達が、戸惑っている生徒に声を掛けて教える。手伝いの先生も二十代の若い先生がいて、教えるのに慣れていない様子があった。
初回の授業は終始和やかな雰囲気で進み、一時間ほど練習して、二人組になる前に休憩に入った。
候補生達は水筒とタオルを持ってくるように言われていたので、各自、水を飲んだり、上着を脱いで汗を拭いたり、トイレへ行ったりした。
水筒の中にはナダ=エルタが提供した氷が入っていて、冷たくて美味しい。
「意外と暑い……」「皆、水筒持って来て良かったね」「難しい……!」
と言う声が聞こえる。
皆が部屋を出て行くのを見て、プラグはそうだ、トイレに行こう、と思って部屋を出て、戻って来た。
プラグが戻ると、シオウは髪をほどいて手ぐしで調えていた。
「これでいいか。ちょっと微妙だな……櫛がない。誰も持って無いよなさすがに?」
すると女子の何人かが「あ、持ってる!」と言って櫛を差し出した。
小さな鏡まで出てくる。
「お、さすが女子。借りるな」
シオウは一番早かったローナと、ベアトラから借りて、髪をさくさくと梳かして、途中から、器用に三つ編みをつくり、紐で結んで、毛先を左肩の前に流した。
部屋ではたまに見かける髪型だが女子達は「かわいい!」「きゃー!」とはしゃいでいる。
プラグは不思議に思ったが「初めて見る」と言う言葉に納得した。
そう言えば、女子達は見る機会が無かったのだろう。
「あ。そうか、お風呂も部屋も別だからか」
プラグの言葉に、櫛を貸したローナと、鏡を貸したベアトラが頷いた。
「うん、良くやってるの?」
「部屋ではたまに下ろしてるよ。二つ結びの時もある」
プラグの返答に女子達が「へぇ~」と感心した。

シオウは髪型が奇抜なので、普段は野性的、南国風、と言う印象が強いのだが、元々の顔立ちが良いので、髪を下ろして梳いてしまうと途端に『綺麗で格好いい』と言う印象に変わってしまう。今も別人かという変わり振りだ。
「下ろすとだいぶ長いのね」
ローナが言って、ベアトラが頷いた。
「凄く格好いい……。もうずっとそれにしたら? いつもの髪型は奇抜だもの」
二人の言葉にシオウは顔をしかめた。
「いや、これこういう決まりだから。はい、返す。俺も櫛、買うか……」
シオウは三つ編みの毛先を弄んでいる。
プラグは頷いた。
「そうしてくれ」
シオウはブラシが必要な時は毎回プラグに借りていた。別に貸すのは良いのだが、長髪なので携帯できる物があった方が良いだろう。プラグは携帯できる櫛も持っているが、部屋に置いてあった。

シオウは女子に捕まっているが、まだ数分、休憩があるようなのでプラグは部屋の端を見た。
「クオントだ」
部屋には演奏用の鍵盤楽器が二台ある。
場所を取らないクオントと、もう一台は立派なクラーシュだ。
どちらも赤い布がかけてあり、クオントは木でできていて、クラーシュは白く塗ってある。
どちらも鍵盤を指で叩いて鳴らす楽器で、クラーシュはクオントを改良した楽器だ。

クラーシュには高足がついていて、形は音の高さに合わせて湾曲している。足元にはペダルが三つ。その他、何台かの弦楽器が硝子の容れ物に入って、壁に飾られている。

「立派な物ですね」
と言ったのはナージャだ。
「うん、凄く高そう……」
プラグは言った。
するとクロード先生が声を掛けてきた。
「お嬢さんはクラーシュが弾けるかい?」
「はい。少しだけ。クオントは家にあって、クラーシュは地元の教会で、何度か弾かせて頂きました」
「ほお、じゃあ弾けるんだね。君は?」
「俺はクラーシュは下手です。あの辺りは鳴らすだけならできます」
プラグは壁の弦楽器を指さした。
「ほう、できるのかい?」
「はい。兄が音楽家なんです。作曲家なのかな」
「ほう?」
するとナージャが「あ!」と呟いた。
「そう言えば、イルモンテ・カルタさんは著名な作曲家でしたね!!」
「そうそう。それで。でも、俺はそんなに上手くなくて。楽譜があれば一応できる、って感じかな……クオントとクラーシュは少し練習したけど、兄さんみたいにはとてもできないよ」
元々、プラグは楽器を一通り演奏できるのだが、ストラヴェルの楽器はクロスティアの楽器とは形が少し違う。
仕組み自体はそう変わっていないのだが、演奏技法や音階がかなり違うのだ。
カルタ家には楽団が使う楽器や、イルモンテのお古が沢山あったので、プラグは勉強しながら楽器を練習していた。
どうやるのかというと楽譜の代わりに教本を置いて、読む代わりに文字列に音を当てて、曲を作りながら練習するのだ。
本をめくるのはカド=ククナでやりたかったが、さすがにそれは駄目なので、左手でめくって右手で楽器を弾いていた。クオントやクラーシュは片手でも弾けたが、管楽器、弦楽器は少々大変だった。
途中からは使用人に教本をめくってもらい楽器を奏でていたのだが、変な顔をされた。勉強もできるし、楽器の練習もできるとても良い方法なのだが……伯爵に『それは人間にはできないから、やめなさい』と言われてしまった。

「プラグ様はお兄様の演奏を聞いた事がありますか?」
ナージャが尋ねた。
「うん、戻ってきた時に、何回か聞かせてもらったんだけど、本当に凄かったよ。――あ、俺は養子に入ったのが、一年前なので、それで。あ。兄はあまり家に居なくて」
プラグはクロードに説明した。

カルタ家、長男でカルタ夫妻の唯一の実子であるイルモンテ・カルタは、まだ三十五歳とかなり若いが『音楽の神に愛された天才』と言われている。
初めて作曲したのは四歳の時で、ラヴェル大学の音楽院を首席で卒業した。
作曲、作詞、演奏、歌もできるし、どんな楽器も演奏できる。
彼の作った楽曲、歌曲、劇中歌、賛美歌は、どれも大流行していて、教会でも良く聞く。
しかし、おかげで滅多に家にいなくて、外国だったり貴族の館だったり、音楽院だったり、アストラ城だったり、キルト城だったりと、めまぐるしく飛び回っている。

クロードが目を輝かせた。
「おお! それは凄い。私達は一度、お会いできて、彼の演奏で踊ったことがあるけど、まるで天を泳いでいるようだったよ……。本当に素晴らしかった。お若いし先が楽しみだ。ぜひまた聞きたいけど、お忙しいよね?」
クロードに言われて、プラグは思い出した。
「あっ、そう言えば、今年は選挙の日に城で演奏すると言っていました。『その時会えるかも』と言っていたので、もしかしたら聞けるかも――また父に予定を確認しておきます。兄はいつもどこにいるのか分からないので」
ストラヴェルの評議員選挙は三年に一度あり、七月の末に行われる。貴族も大勢来るので、ダンス教師ならルネに頼めば参加できるかもしれない。
「おお、それはいいね! そうか、首都だから聞けるかも! ありがとう、お願いするよ」
「はい。手紙で聞いておきます」
プラグは微笑んだ。

「選挙ですか、私はその日、行けるかしら……」
ナージャが言った。選挙の日は、本来なら休みの計算だったが、休日がずらされていた。まあ外に出ても人が多いので、それが正解だろう。
「あ。アルスが聞いていたけれど、どちらでも良いって。参加する貴族はその日が休みになって、次の日に補習で自主訓練、だってさ」
「そうなんですね! あ……でも、挨拶が大変と聞くので、候補生のうちは避けたいです」
ナージャが溜息を吐いた。
選挙には妻や子供も連れて来て良いのだが、行けば当然、ひたすら挨拶回りをする事になる。そして開票後はお礼回りだ。貴族令嬢がずっといる必要はないのだが、通常の夜会とは性質が違う。アルスも大貴族が集まるので面倒だと言っていた。
プラグは苦笑した。
「それなら、多分、数日はいるから、兄を呼んでみようかな。気さくな人だからここで少し弾いてもらうくらいできるかも……」
するとナージャが凄い勢いで首を振った。
「とんでもない! イルモンテ様の演奏は、そんな……!」

そこで休憩が終わり、プラグ達は練習に戻った。

■ ■ ■

――ダンスの授業は和やかだったが、礼儀作法の授業は厳しい雰囲気だった。
教室を移動するかと思いきや、そのままダンスホールで行うという。

候補生は入って来たミッシェラ先生、その他手伝いの先生を見た途端に背筋を伸ばした。
なぜかというと、皆、細い鞭を持っていたのだ。

「私が礼儀作法の教師、ミッシェラ・ラ・エリングです。ミッシェラ先生と呼ぶように」
続きがあると思って、候補生達が黙っていると。
「返事は『はい』で!」
と言われたので、候補生達は「はい!」と叫んだ。

その後、並び順を指示された。
「並び方が汚い。こちらに男子五列、こちらに女子五列で均等に整列してください。並び順は順位でいいでしょう。こちら側から一番、二番と横に並んで下さい。事務の男子は男子の列に、事務の女子はまとめて女子列に並んで下さい。事務の男女は、今日の順番は覚えるように。これは貴方がたに出席番号が無いためです。今後順位が変わったら並び替えるように」
候補生達は大急ぎで移動した。女子が入っているところは抜いて、示されたとおり左側から並んでいく。一列目にプラグ、アドニス、シオウ、フィニー、アラーク、と並び、アラークがミッシェラ先生の目の前になる。プラグは少しほっとした。
女子はリルカ、ナージャ、ペイト、アルス、アイリーン、カトリーヌ、二列目からは事務女子が並んだ。

「ではまず、礼儀作法とは何か。基本的な事から説明いたします。教本は読んできましたね? そこの――白い髪の候補生。名前を名乗って下さい」
なぜかプラグが当てられた。
「はい。プラグ・カルタです」
プラグは内心震えながら答えた。
「礼儀作法とは何か。教科書にあったことで構いません。答えて下さい」
プラグは内心、怯えながら、教科書にあった事をそのまま答えた。
ミッシェラは鞭を右手で斜めに持ち、左手を添えながら聞いている。

「――よろしい。全て教科書通りですね。礼儀とは真心。相手への心遣い。その通りです。しかし、この授業では実践を重視し、あと八ヶ月で、いかなる場合でも、国王陛下の御前でも、王妃殿下の御前でも、王城でも、貴族の館でも、道端でも、諸外国でも、正しく行動出来るように指導致します。かなり厳しくしますし、できない場合は容赦なく鞭で打ちます。心して掛かって下さい。返事は?」
「はい!」
プラグを含めた候補生達は返事をした。

「まずは、教師への礼です。この薔薇の館で、教師と廊下で出会った際にどうするべきか。男子の二番目、女子の一番、前へ」
次に当てられたのはアドニスとリルカだった。
「はい!」
さすがに二人とも恐がっているようだ。
「まずは手本を見せます。ここは廊下で、二番の方が、教師です。そこに立って下さい。私は生徒です。二番の方と私は、お互い歩き、出会います。少し離れて、歩いて来て、そのまま通り過ぎて下さい」
そして少し離れてアドニスが歩き、少し離れてミッシェラが歩く。
ミッシェラはアドニスに気が付くと、立ち止まって、脇に避け、見事な礼をした。
アドニスは通り過ぎる。

「これは、貴族と無言ですれ違う歳の作法です。すれ違うまでは顔を上げてはいけませんが、話し掛けられる場合もあります。また顔見知りであれば、挨拶する場合もあります。そういったとき、確実に、自然に対応できるように練習します。ではもう一度。今度は『おはよう』と気軽に挨拶をして下さい」
「はい」
そしてアドニスが歩き、今度は「おはよう」と声をかけた。
「この時、脇に避けるのは、時間があったらで構いません。話し掛けられた場合、礼儀作法は厳密にやり過ぎると不快感を抱かせます。そして、話し掛けられても対応せず、すぐに避けるのは逆に失礼となります。相手が貴族なら相応の対応が必要ですがそれは後で説明します。今は先生と生徒という間柄で立場がはっきりしていますから、まず、その場に立ち止まって、礼をして『おはようごうざいます、アドニス先生』と答えます」
ミッシェラ先生がアドニスを先生に見立て、手本を見せる。

「雑談があれば、はっきり答えるように。なるべく敬語を使い、話が終わったら、失礼致します、と言ってまた礼、そして、このように左足から下げ、体の向きを変えて四分の一回転して、右足を下げて、一歩または二歩、三歩下がり、脇に避けましょう。ストラヴェルでは基本的に、王族、貴族が、廊下の中央を歩き、騎士や平民は進行方向に対して、常に左端を歩きます。騎士はやや内よりでも構いませんが、平民はもう少し外側を歩くのが主流です。これが『貴族の真ん中、騎士の左、平民の左端』と呼ばれる、少々厄介な物です」

「男子の一番の方、前へ」
そこでプラグがまた呼ばれた。
「はい!」
プラグは前に出た。
「まず、例えば、二番の男性が王子だとします。一番の彼女が貴族。一番の男性が騎士。あと一人、黒髪の……三番の男性」
「はい!」
シオウが前に出た。シオウは三つ編みのままだ。
「彼が平民です。ストラヴェルでは貴族は真ん中を歩くので、例えば王族が正面から来た場合でも正面で、必ず礼をしてから、端に避けます。これは貴族全てがそうです。同じ廊下で出会ってしまったら、対峙して挨拶するまで避けられません。貴族同士ならお互い歩いて構いませんが、相手が王族の場合は、立ち止まって待って下さい。そして挨拶の後、脇に避けて通り過ぎるのを待ちます」

そしてミッシェラは相手が貴族の場合、平民はどうするか、騎士はどうするか、端の位置関係はこのくらい、など細かく教えた。
「自分が貴族の場合は、定められた場所、つまり中央を歩きます。大貴族と出会ったら、緊張しますが、堂々と丁寧に挨拶をしてから一旦道を譲ってください。初対面で身分が分からない場合は、お互い名乗るときに身分を明かしますが、大抵は暗記します。貴族の挨拶は――ここにいる皆様には全員身に着けて頂きます。これは養子縁組みや結婚により貴族の一員となる場合があるからです。近衛兵士は全て貴族ですが中には平民出身の者もいます。近衛騎士団に入る場合、平民は全て貴族の養子となるので決して他人事ではありません。騎士の礼、作法も順番に身に着けていきます。ここまではよろしいでしょうか?」

候補生達は「はい!」と答えた。

「貴族でありながら騎士である場合。これは少し複雑です。騎士自身が一番上の公爵、または公爵の夫人、令嬢、令息身分であった場合は、貴族の身分が優先されます。それ未満の貴族は、全て騎士の作法に則ります」

「あとは委任領主ですが。これは伯爵として扱われます。――どこを歩くか、四番の女性。答えて下さい」
「はい! 中央を歩くと思います」
ペイトが答えた。
「その通りです。では外国からの賓客の場合は? 四番の男性」
「ハイ! 中央を歩くと思います」
フィニーが答えた。
「……よろしい。思います、というのははっきりしないので、私は好きでは無いのですが、良しとしましょう。礼儀作法は主観によるものも多く、全て思い通りにする事は難しいのです。……発言の際は間違っていたら指摘するので、中央を歩きます、と断定して構いません。まあどちらでも良しとしましょう……」
ミッシェラが鞭を揺らしながら言った。四番の男性、フィニーはびくびくしている。

「その他にも巫女の作法が存在します。巫女は騎士と同等の扱いになりますので、騎士の作法で問題ありませんが、唯一、右側を歩きます。これは左腕に紅玉鳥を乗せるからです。二番の女性前へ」
「はい!」
ナージャが前に進み出た。
「あなたは巫女です。左腕に紅玉鳥を乗せる格好をしてください。背筋を伸ばし腕を曲げる、拳は手の平を体の前に向け軽く握って下さい。――これでよろしい。紅玉鳥が大きい場合はもう少し外側に向けても構いません。皆さん。並びましょう」
王族、貴族が中央を歩き、右側に巫女、左側に騎士。更に左側に平民。
「巫女見習いがいる場合は、巫女の更に右端を歩きます。ああ、もちろん、並行ではなく少しずつ後ろを歩いて下さい。道幅が狭い場合は少しずつ詰めても構いません。騎士が貴族の前に出るのは、危険があるときだけになります。この危険にも決まりがあります」

「では、以上を踏まえ、教師相手に礼を取る場合は、貴族に対する騎士の礼を基本にいたします。平民の立ち位置とほぼ同じになるので、平民として貴族に対する場合はもう少し外に出るだけで大丈夫です。教師の皆様は中央を歩く決まりはありませんので、そこは気にせず、今日は無言ですれ違う場合、話し掛けられた場合、あとは、こちらから挨拶や話をしたい場合、その次に礼の練習、帰る時の挨拶。入退室の作法をやりましょう。皆さん、隣の方と二人組になってください――」

■ ■ ■

「では、今日の授業はここまで。教えた事は今日から実践して下さい。次回からは騎士の礼、作法について詳しく学びます。各自教本を読み、予習復習しておくように。最後に。教師が退出する際は、ありがとうございました、と言って下さい。はい、復唱」
「ありがとうございました!」
途中休憩を二十分挟み、たっぷり二時間半の後、ミッシェラは満足げに去って行った。

――ミッシェラ達が退出した後、候補生達は一気に脱力した。
「はぁあ……! 疲れた……! 緊張した……!」
「ふぁああ……恐い!」「予習しなきゃ……」
「分かりやすいけど……こわい!」
「お腹空いたー! あれ、もう六時じゃない? やば!」
「今日は、飯、六時半からじゃね?」
「あ、そっか、足、疲れたー……」
皆が口々に言う。
プラグもどっと疲れた。
今日は鞭では叩かれなかったが、いつか叩かれる気がする。
しかしこれくらいの方が覚えよう、間違えないようにやろう、と言う気になる。
アルスは城でミッシェラ先生に教わったと言っていたから、余裕――かと思いきやぐったりしている。
「……また一からなのね……あー……でも、ちょっと優しく感じるわ……。昔より……私が成長したか、先生が丸くなったのかしら……」
アルスの呟きに、プラグは王女って大変なんだな、と思った。

するとルネが笑顔で入って来た。
「皆、お疲れ様ー。授業はどうだった?」
候補生達が一斉に感想を述べる。予想通りの感想だったのだろう、ルネは苦笑した。
「来週からは、ダンス、礼儀作法は一時間二十分ずつ、三時まで。休憩は間に十分になるから。時間と休憩については貼り出してあるよ」
ルネは不在の間に、候補生受け入れの準備をしていたらしい。ルネは公爵だが『人に頼むより自分でやった方が早い』と言うせっかち思考の持ち主なのだ。訓練でもよく『片付けておく』と言ってさっさと片付けてしまう。

「その後の授業については、各自違うから、もらった紙を参考にして。この館は夜八時まで開いてるから、実習日は居残りや自習に使っても大丈夫。自習室には一月から十二月の空いている部屋を使って大丈夫だよ。他の部屋の場合は誰かに聞くこと。ただし食事が出ないから、居残るつもりなら、先に宿舎の厨房に伝えて、パンをもらっておくように。食事可能な休憩室を用意してあるから、水以外は必ずそこで食べてね。分かったかな?」
「はい!」
候補生達が一斉に、笑顔で返事をする。
ミッシェラ先生の後だと、ルネがとても優しく見える。

「じゃあ皆、解散。お疲れ様」
「はい! ありがとうございました!」
礼を言って、頭を下げる。
礼儀作法の成果にルネが頷いた。そして候補生達は帰り始めたのだが……。

「――あ、プラグ君、後、ナージャさんはちょっと待って」
プラグとナージャは呼び止められてしまった。
「はい、何でしょう」「はい、先生! あっ」
礼儀作法っぽく答える。ナージャはうっかり先生と言ってしまい、頰を赤らめた。
「はは。君達、クラーシュ弾ける? さっき、クロード先生に聞いたんだけど」
プラグとナージャは瞬きをして頷いた。
そう言えば授業の後半で、クロード先生は『今、公爵がいらっしゃるから聞いてくる』と言って退出していた。ちょうどダンス曲の話題になった時だった。

「ダンスと、音楽の先生に聞いて、楽譜を集めてきたから、今からちょっと弾いてみて。クオントなら調律してあるから。多分、ナージャさんは弾けるよね?」
「あ、はい……曲は?」
ナージャが言った。
ルネは楽譜の本をクオントの上に置いた。クオントは壁を背に置かれていて、高さはプラグの目線程度。色は茶色で、赤い布がかけてある。椅子も座面が赤い革で覆われている。
足元にはペダルが三本ある。ルネは布をめくって、鍵盤の蓋を開き、折りたたんであった楽譜台を起こし、楽譜や、楽譜の本をナージャに渡した。
「ダンスで良く使う音楽が十曲。後は賛美歌。これも音楽の授業でやるから。音楽の先生はいるんだけど、休日、ダンスの自主練習するかもしれないから、その時、手伝ってあげて。あ、余裕があればね。他にも弾ける子がいたら――誰かいる?」
ルネは他の候補生に尋ねると、アドニスが手を挙げた。
「クオントなら弾けます。でもこの国の曲は知りません」
「あ、そうか、なるほど。じゃあとりあえず、お手本を聴いてからか。他――は?」
候補生は皆、首を振った。

「あれ、アルスちゃんは? 弾けないの?」
リルカが首を傾げる。
王子のアドニスが弾けたので、王女のアルスも弾けると思ったのだろう。
「私、音楽、駄目なのよ……だいぶ下手なの」
アルスが苦笑した。

「じゃ、三人によろしく。あ、楽譜はここに置いておくから。まだ時間あるよね。ナージャさん、練習に何か少し弾いてみて」
ナージャは「ダンスの曲はまだ難しいですけど、賛美歌なら」と言って楽譜から弾ける物を選んだ。
「では……」
ナージャは少し嬉しそうに、腰を下ろして、髪を後ろに流して、鍵盤に指を乗せた。

そして。
豊かな音色が、指先からこぼれる。

「おお……!」
候補生達が目を丸くする。
プラグもかなり上手い、と思った。
ナージャはしばらく弾いて、切りの良いところで手を止めた。
「こんな感じですが……大丈夫でしょうか」
ルネは拍手した。候補生達も拍手する。
「いや、十分だよ。上手だね! 新しい曲、弾けそう?」
ナージャがダンスの楽譜を見る。
「……そうですね、主旋律だけなら弾けそうです。他の楽器は無くて良いですよね」
「うん、曲が分かればいい。音に合わせた方がやりやすいしね。ナージャさんはこれでいい――で、君だけど、弾けるの?」
ルネがプラグを見た。
「だいたい、って感じですけど」
「ナージャさんと比べて? どのくらい」
「同じくらいには……」
「えっ。じゃあやってよ。こっちの曲はいける?」
ルネが示した賛美歌は、弾ける物だった。
「はい」
「……君ってさー、まあいいや、やってみて」
「はい」
プラグはナージャに席を替わってもらい、有名な賛美歌、アルマジュラ・ル・ライト作曲『賛美歌三百十五番 愛しき子らよ』を弾きはじめた。
さらりと始め、しばらく弾いて終わった。

「あ、普通にできてる。弾けるんだ?」
ルネが言った。候補生達も、あっ、弾けるんだ、聞いた事ある曲だ、という反応だ。
「どうも。このくらいです」
シオウも「おー、何でも出来るなお前ー」と若干呆れながら拍手してくれた。
「……君、もしかしてクラーシュ弾ける? 弦楽器ができるとか言ったらしいけど? 本当?」
「だいたいは」
「ええ? ちょっと弾いてみてよ。クラーシュの方が雰囲気が出るし。調律はまあ、一年前だけど良いはず」
ルネは白いクラーシュの、赤い覆い布を引きはがして――本体の蓋を開けて、使えるようにした。
ルネは指で鍵盤を弾き「よし、出るね」と言って、プラグを座らせる。
「曲はどれ? もしかして初見で出来たりする?」
「え……まあ」
「まあじゃないよ。じゃあコレ、適当に弾いて。ダンスの有名なやつ。愛の尊厳。――ん、あれ? これ君のお兄さんの曲か。あれ、これも……じゃあ、これ、いける?」
「ああ、兄ほど弾けませんけど」
「兄ほど弾けたら困るよ。この頁だけでいいから、本気でやってくれる? あ、手抜きは無しで、真剣に。見なくてもできる?」
「はい……できますけど……」
「じゃあやって。愛の尊厳」

プラグは音を確認した後、ふう、と息を吐いて、曲を思い浮かべて弾き始めた。
高い音色から始まり、流れるように指を動かす。出だしは少し難しいが、その後は簡単だ。
抑揚をつけて奏でていく。
楽しく弾いて、一頁終えた所で、そっと止める。

「こんな感じの曲です。この曲は後は繰り返しなので、楽ですね」
「……うーん」
ルネは腕を組んでいた。
候補生達は「おおーっ!?」「すげー!」「なんでもできるなー」「てんさいー!」「もぉ、凄い上手い!」と熱心なのだが、僅かに呆れの混じった拍手をくれた。

「ふぅん。それなりかな。わかった、じゃあ、三人で適当にやってくれる? あと今度、一応、弦楽器も聞かせてよ。調律は頼んでおくから。片付けて、皆、お帰り」
ルネは言って、去ろうとしたのだが。
「あ、そうだ、ダンスの先生が、選挙の日、兄の演奏を聴きたいと仰っていたんですが、参加はできますか?」
「ああ、それなら手配したよ。招待状を出すだけだから」
「あ、そうなんですね」
クロード先生はルネに会ったときに聞いたのだろう。
ルネが笑顔で続けた。
「君の演奏は微妙で、ぶっちゃけ実は超ど下手くそで、大勢の人間に聞かせられる物じゃないけど、もし、ここにお兄さんが来られるなら、クラーシュはいつでも使って良いから。その時は教えてね。調律は頼んでおくから」
「あ……はい」
ルネは「じゃあまた」と言って去って行った。

プラグは少ししょんぼりした。
「さ、じゃあ片付けよう。やっぱ下手なのかな……」
「プラグ君」
アドニスが話し掛けてきた。
「何?」
「あのー、ところで、君って、本当に孤児で平民なんですか? さすがにそろそろ、疑っているというか。こんな孤児、いるわけないっていう。なんでクラーシュが弾けるんですか?」
アドニスの言葉にプラグは苦笑したが、候補生達が何度も頷いている。アルスもそうだ。
「いや? え、えーっと、教会では賛美歌とかクオントも弾き放題だったから。あと家にクラーシュや楽器が沢山あって……兄の影響でちょっと。父さんにも教えてもらえたし」
「なるほどつまり、カルタ家は名家だから、と?」
「うん、そんな感じ。父さんと、兄さん達が凄いんだ」
「へぇーそうですか。とりあえず、納得しておきましょう」
アドニスがじと目でプラグを見た。
「うん」
プラグは笑顔で頷いた。
ぎりぎり誤魔化せたかな、と思ったのだが。
宿舎までの帰り道でひそひそと話をされた。

「――だからさ、本当はどっかの大貴族の息子なんだって」
「やっぱりどこかの国の王子様なんじゃない?」
「きっとそのうち、スゲー銀髪の美人が私が母親です、って名乗り出てくるって」
「それで父親はどこかの王様なんだろ。めっちゃありそう」
「平民出身の側室で、王妃にいびられて泣く泣く手放したとか?」
「あーわかる。それで王妃が病気で死んだから迎えに来たとか」
「それな。俺が国王なら絶対、血眼になって探すって」
「で、お世継ぎがいないとかで、結局国王に収まるとか」
「ありそー!」

そして一部――ナイドとアラークには大不評だった。
「プラグ、お前の演奏、酷ぇなー! 悪い事言わねぇから、もう弾くなって! な?」
ナイドはプラグの頭をばしばしと叩いた。
「ほんと、もう人前では弾かない方が良いぞ。ま……まあ、ダンスの練習くらいなら聞いてやってもいいけどな?」
アラークはよく分からない感じだった。

しかし褒めてくれる層もいて、エマは「すごーい! 上手!」と目を輝かせているし、フィニーも「君って何でもできるんだね!」と言っている。あとはウォレスとゼラトが「上手いな!」「いや凄ぇ! 音楽とかわかんねぇけど!」と褒めちぎってくれている。

プラグはがっくりと肩を落とした。
「俺がクラーシュ弾くと、皆、いつもこうなるから、やっぱり下手なのかな……」
クロスティアでもプラグが曲を奏でたり、歌ったりすると皆がひそひそと噂を始めていた。
拍手もまばらで……反応が悪いのだ。
一応「うわー、上手ですねー」とは言ってくれるのだが、棒読みだし、プラグの立場を慮って、気を遣っているだけかもしれない。
「歌も好きだけど、皆に、人前で歌うなって言われるし……実はとても音痴なのかも。耳っていうか、音感が悪いらしくて、自分じゃ分からないから。クラーシュは合ってると思うんだけど……まだ練習中だからなぁ」
プラグは言い訳した。
トゥーワとルーミーに歌を聴かせたところ『……あんまり歌わない方がいいね』と言われた。ただこれは『嘘』の力が入ってしまい、何やら脳に悪影響があったらしい。
プラグ自身には良い感じに聞こえるのだが、耳があまり良くないのでは、と言われていた。
ラ=サミルにも『精霊に歌を聞かせるのは一曲まで』と言われている。
賛美歌を歌う機会は良くあったのだが、言いつけを守って一曲で終わらせていた。
後はラ=サミルのとてつもなく上手い歌や、音の精霊達の合唱を聴いていた。
プラグとしては一時間くらい聞いてもらいたいのだが……それは夢のまた夢だ。
こちらに来てからも密かに練習をしているのだが、飛んでいる鳥が落ちたり、ミミズが踊ったり、蟻が巣から出て来て整列したりする。

するとアルスが苦笑した。
「そうねぇ。クラーシュはあまり人に聞かせない方が良いわね。歌もやめた方がいいわ絶対。あ、一人でこっそり歌うとか、ダンスの練習でこっそり弾くらいなら良いと思うけど」
「アルスもか……」
するとアドニスがプラグに尋ねてきた。
「参考までに、君のクラーシュを聞いてお兄様はなんて言いましたか?」
「確か『これは衝撃的な出来事だから、しばらくそっとしておいてくれ』って」
「あー……」
「でもその後、凄く良い曲を作っていたから、着想にはなったのかな」
「あー……」
「ルネの反応も悪かったし、やっぱり駄目かも」
「あー……」
シオウからも「分かる、反応に困る。もうやめとけ」という感想を頂いて、プラグはまた項垂れた。

「でも俺は好きだぜ、お前の演奏。いいんじゃね、仲間内でやる分には」
と、シオウが言ったので、シオウの好感度が急上昇した。
「本当!?」
プラグは目を輝かせた。シオウはたまにプラグの好感度を上げてくる。
「歌はまあ、どうでもいいけどな。クラーシュはそこそこってところだろ。ナージャと同じくらいだし、丁度良いって。お前、弾き方とか、抑揚が独特だから、皆反応に困るんだよ。ちゃんと楽譜通りにやって無いだろ。それだと踊りにくいからフツーにやれ」
「あ、それはそうかも。そうだよね、楽譜通りにやらないと踊りにくい!」
「そうそう。ヘンテコな踊りになる。楽譜を見た通りに、そのまま弾いときゃいいんだよ正確に」
「なるほど……!」
「……ナージャと同じくらいって、ナージャも凄く上手いのよね……もう皆、おかしいわ」
アルスが小声で何か呟いている。
「よし、じゃあお前はナージャより大分下手、ってことで決まりだな。まずは、とりあえず拍手がもらえる、ふつーの演奏目指せ」
シオウが言った。
ナージャは確かに上手かった。プラグは多少自信があったのだが、彼女と同等というのは、思い上がりすぎだろう。
「わかった、これからは楽譜通りに大人しく弾こう」
プラグは深く頷いた。

「あ、シオウは今日から親友候補に昇格。褒めてくれた人も友達!」
「お、やった!」
シオウが嬉しそうにする。プラグは笑いながら、シオウの背中に抱きついた。
――本当は、皆の反応を楽しんでいるのだ。


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休み明け、五倍訓練が始まった。
「ではまずは、ダンスの基本を覚えます。説明した通りに私と同じように動いて下さい」
ダンスの初授業――教師は男性と女性がいて、いま話しているのは女性教師のシェリル・ル・ロット先生だ。
男性教師はクロード・ル・ロット先生と言った。
シェリル先生は五十代前半の金髪碧眼の女性で、引き締まった体つきの美女だ。長い髪を結い上げ、簡素な薄緑色のドレスを着ている。
クロード先生はもう少し年上……五十代半ばの紳士で、白髪交じりの黒髪をきっちり撫で付けている。若い頃はさぞモテたのだろう。鼻筋の通った優しげな顔立ちで、白いブラウスの上に黒ベスト、白いズボンに白いゲートル、黒い靴、と言う、動きが分かりやすい格好をしていた。
名前の通り、二人は夫婦だという。
他にも授業の手伝いとして女性が二名、男性が二名来ていた。
こちらは夫婦が経営する『クロード&シェリル・ル・ロット・ダンス学校』――通称『ル・ロット・ダンス学校』の教師や学生だという。
ここは薔薇の館、二階の大広間だ。
場所は普段、三倍、五倍訓練で使っている一月から十二月の間のさらに奥、北側の棟、二階で、プラグは入った事が無かったのだが、入ってみると候補生の五十九人が入って余裕で動けるくらいの広さはあった。
北の棟の向かいにはもう一棟客用の棟があり、そこには教師達が泊まっているらしい。
最初、館の主人であるルネから、この館についてざっくり説明があった。
ルネの説明はロット夫妻の他、手伝いのダンス教師達も聞いていた。
この館は他国のクロスティア騎士団から来た団員を泊める為、しっかり造られているという。ルネは『まさか騎士団宿舎には泊められないので』と言っていた。
客用の棟は三階建てで六十人程度が泊まれるという。
ダンスホールがあるのは、パーティーや集会を開くためと、近衛候補生と合同でダンスの練習に使う予定だったから……らしい。
しかしあちらはあちらでダンスホールがあるので、今の所は使っていないという。
――プラグはバウル教授もこちらに泊まれば良かったのでは、と思ったが、確かにここから候補生宿舎まで歩くと少し距離がある。
バウル教授は宿舎の生活に満足しているようなので問題はない。候補生とはすっかり馴染んでいて、風呂場では背中を流してもらっている。そういうプラグも昨日、ちょうど時間が一緒になったので背中を流した。……完全におじいちゃん扱いだ。
ルネは『特別講義』はダンスの訓練が初めてだが、今後、特別講義がある場合、候補生達はこちらの棟に来て受ける、と説明した。
他国の団員を泊めるための建物なので教室にできるような『作戦会議室』が幾つか用意されているという。そこと、後は通常の空き部屋に机と椅子を運び込み、整えたと言っていた。
その他、三倍、五倍訓練をする十二の部屋についても説明された。
部屋番号を付けた地図を薔薇の館の入り口と、奥棟の入り口、二階の階段を上がったところ等に貼ってあるので、講義があるときはそれを参考に移動するように、と言われた。
奥までの移動には意外と時間がかかるので、十分前には着席できるよう、早めに宿舎を出るように、とも言われた。案内図にはトイレや手洗い場、利用の注意なども記されているという。
館内でのプレート使用は禁止で、特に『飛翔』は絶対駄目。
調度品は全て片付けたが、柱のレリーフや壁の絵には手を触れないように、なるべく走らないようにとも言われた。
喉が渇いた場合は一階食堂に頼めば水をもらえる。
あるいは水筒で持ち込んでも良し、ただし飲むのは休憩中に限り、飲む時は教師に断って飲むようにと言われた。
『後は――廊下で先生とすれ違うときは、立ち止まって挨拶をするように。やり方については、今日の二限目、礼儀作法のミッシェラ女史に指導をお願いしています。ここを貴族の館だと思って、ふさわしい立ち振る舞いを身に着けるように。あ、でも教師の方々は、作法は緩くして頂いていますので、緊張せずに過ごして下さい』
ルネは終始にこやかだった。
ロット夫妻や手伝いのダンス教師達も興味深げに聞いていた。
精霊騎士候補生達、ダンス教師――特に女性達はこれがあのルネ公爵か、という目でルネを見ていた。噂以上の美貌と『女っぽさ』に見とれている者も少なくなかった。
ルネは確かにしっかり男であるのだが、ふとしたときに性別を錯覚させる。それでいて弱々しくないので、人気があるのも頷ける。
最後に候補生達には、首から提げる名札が手渡された。四角い木札がついていて、男子は青、女子は赤のリボンが付けられている。候補生は見本を見せられ、インクの缶がどんと置かれた。おまけで見本があり、各自このインクとこの筆で、見本のように、名前と性別を書いてくるように、と言われた。手作り感が満載だ。
一方教師達には、名札のもう少し立派な物が渡された。木札が白い布で包んであり金の縁取りがあって、名前が刺繍がされている。これはロット夫妻だけでなく、手伝いの教師にも渡された。
名札はダンス、戦闘など、訓練で邪魔な場合は外していいが、教師に名前を覚えてもらうのと、入館証にもなっているのでなるべく着けるようにと言われた。
教師が見分ける為の物なので、忘れても罰則はないし入れる。
『ただし厳しい先生の授業や、礼儀作法の授業で忘れると怒られるかも?』と言われた。
二階の大広間はしっかりとしたダンスホールになっていて、床はダンス用に寄せ木で造られ、壁や柱は白で統一されて、壁には精霊灯があり、天井にも精霊灯のシャンデリアが吊されている。窓は等間隔に並んでいて、赤いカーテンが開いてあって、美しい中庭が見える。
窓の外には、手すり付きのバルコニーがあり、中庭に降りられるように階段が設置されていた。
意外な広さにプラグは驚いたし、薔薇の館に入るのは初めて、と言う候補生達も驚いていた。
この下は大食堂になっていて、テーブルマナーはそちらを使って練習すると言われた。
「では、僕はこれで失礼いたします。先生方、後はよろしくお願いします。何かあったら、リリかメイドに伝えて下さい。ダンスの授業では、必ず一人はメイドを付けるようにします。休憩では先生方にはお水をお出しします。他にも何なりとお申し付け下さい」
そしてルネが退出して、ようやく、ダンスの授業となった。
「では、始めましょう――まず、ストラヴェルの『ダンス』とは、セラ国様式に則った宮廷ダンスを指します。ワルツと呼ばれる物が舞踏会では一般的です。まるきりセラ国の物と同じなので、セラ国に行ってもほぼ同じダンスで通用します。それとは別に、ヒュリス国様式、ストラヴェルでも旧ラヴェル国様式、旧アストラ国様式の『伝統舞踏会』用の『儀式ダンス』もあります。皆様はそちらも覚えなくてはなりません。後は、南方のダンス。これは基本のダンスが完璧にできた後、希望者にお教えします。まずはセラ国様式、その次にヒュリス国。そしてラヴェル、アストラ、最後に南方のダンス、もっと出来る方は変わったダンスもお教えしますので、楽しみにして下さい。難しいと思われるかもしれませんが、どこの国も、基本はさほど変わりません。途中からはエスコォト! の仕方も学ぶので、礼儀作法の先生と一緒に授業をする事もあります」
シェリル先生は気合いが入っている。
「この薔薇の館では、実際にパァティ! を開き、夜会の練習が出来るというので楽しみです。ああ、その際、礼儀作法で学んだ、化粧! ヘアメイク! ドレスアップ! の技術を使って、女子も男子も着飾って頂きますので頑張りましょう。貴族の夜会であれば、支度は侍女がやってくれますが、平民が招待された場合は、自分で支度をすることになります。また、精霊騎士は、男女問わず数合わせで急に呼ばれる、と言う事も良くあるそうなので、最低限の支度は自分でできる必要があります。化粧等についてはミッシェラ先生と、変装術の先生にお願いしてあります。初めてでも少しずつやれば、必ず踊れるようになりますよ」
「さ、始めましょう、大勢の皆さん。ン――並びは経験者、未経験者で分けましょうか――経験者はこちらに、未経験者はこちらに、四列ずつで間を開けて並んで下さい。ああ、分けるだけで、復習の意味を込めて皆、一からやりますから、あまり気にせずに」
そうして、初回のダンス授業が始まったのだが。習熟度にはばらつきがあった。
アルスやアドニスをはじめ、貴族は全員経験者、の方に集まった。シオウも入っている。
プラグもカルタで特訓を受けたので経験者の列に加わった。
ゼラトは未経験の方に入っていた。
「ン? 貴方はいかにも、貴族の顔立ちをしていますね。未経験ですか?」
シェリル先生がゼラトに目を留めた。
「あ、はい。田舎なので覚えませんでした……」
「なるほど、では覚えていきましょう」
「……ン? 貴方は白っぽい見た目ですが、経験者なのですか?」
次にプラグに話し掛けられた。
白っぽい……とは。まさしくプラグの事なのだが……。
シェリル先生は笑っているので冗談のようだ。
「はい。知り合いの貴族に少し教わりました」
プラグはとりあえず真面目に答えた。
「なるほど、では、おさらいして行きましょう。ああ、男女で分かれて並びましょうか。なぜか美少年、美少女が多くて紛らわしいので。男子は左、女子が右、これを繰り返して並んでね」
先生の言い方に、候補生達が控え目に笑った。
シェリル先生は、あらかじめ候補生の情報を覚えてきたのかもしれない。
そして経験者、未経験者の固まりの中で、それぞれ男女で列を分かれた。
男子が左、女子が右に並んでいる。
そこでシェリル先生がシオウの髪型に目を留めた。
「まぁ。髪の長い男の子ですね。その髪、邪魔になるので、次回、ダンスの時は下ろして結んで下さい」
「あ、はい、すみません」
シオウが頷いた。
そして、シェリル先生が候補生に背を向けて、基本のステップを説明しながらゆっくり踏みはじめた。
候補生達は手本通りにステップを真似していき、クロード先生や手伝いの先生達が、戸惑っている生徒に声を掛けて教える。手伝いの先生も二十代の若い先生がいて、教えるのに慣れていない様子があった。
初回の授業は終始和やかな雰囲気で進み、一時間ほど練習して、二人組になる前に休憩に入った。
候補生達は水筒とタオルを持ってくるように言われていたので、各自、水を飲んだり、上着を脱いで汗を拭いたり、トイレへ行ったりした。
水筒の中にはナダ=エルタが提供した氷が入っていて、冷たくて美味しい。
「意外と暑い……」「皆、水筒持って来て良かったね」「難しい……!」
と言う声が聞こえる。
皆が部屋を出て行くのを見て、プラグはそうだ、トイレに行こう、と思って部屋を出て、戻って来た。
プラグが戻ると、シオウは髪をほどいて手ぐしで調えていた。
「これでいいか。ちょっと微妙だな……櫛がない。誰も持って無いよなさすがに?」
すると女子の何人かが「あ、持ってる!」と言って櫛を差し出した。
小さな鏡まで出てくる。
「お、さすが女子。借りるな」
シオウは一番早かったローナと、ベアトラから借りて、髪をさくさくと梳かして、途中から、器用に三つ編みをつくり、紐で結んで、毛先を左肩の前に流した。
部屋ではたまに見かける髪型だが女子達は「かわいい!」「きゃー!」とはしゃいでいる。
プラグは不思議に思ったが「初めて見る」と言う言葉に納得した。
そう言えば、女子達は見る機会が無かったのだろう。
「あ。そうか、お風呂も部屋も別だからか」
プラグの言葉に、櫛を貸したローナと、鏡を貸したベアトラが頷いた。
「うん、良くやってるの?」
「部屋ではたまに下ろしてるよ。二つ結びの時もある」
プラグの返答に女子達が「へぇ~」と感心した。
シオウは髪型が奇抜なので、普段は野性的、南国風、と言う印象が強いのだが、元々の顔立ちが良いので、髪を下ろして梳いてしまうと途端に『綺麗で格好いい』と言う印象に変わってしまう。今も別人かという変わり振りだ。
「下ろすとだいぶ長いのね」
ローナが言って、ベアトラが頷いた。
「凄く格好いい……。もうずっとそれにしたら? いつもの髪型は奇抜だもの」
二人の言葉にシオウは顔をしかめた。
「いや、これこういう決まりだから。はい、返す。俺も櫛、買うか……」
シオウは三つ編みの毛先を弄んでいる。
プラグは頷いた。
「そうしてくれ」
シオウはブラシが必要な時は毎回プラグに借りていた。別に貸すのは良いのだが、長髪なので携帯できる物があった方が良いだろう。プラグは携帯できる櫛も持っているが、部屋に置いてあった。
シオウは女子に捕まっているが、まだ数分、休憩があるようなのでプラグは部屋の端を見た。
「クオントだ」
部屋には演奏用の鍵盤楽器が二台ある。
場所を取らないクオントと、もう一台は立派なクラーシュだ。
どちらも赤い布がかけてあり、クオントは木でできていて、クラーシュは白く塗ってある。
どちらも鍵盤を指で叩いて鳴らす楽器で、クラーシュはクオントを改良した楽器だ。
クラーシュには高足がついていて、形は音の高さに合わせて湾曲している。足元にはペダルが三つ。その他、何台かの弦楽器が硝子の容れ物に入って、壁に飾られている。
「立派な物ですね」
と言ったのはナージャだ。
「うん、凄く高そう……」
プラグは言った。
するとクロード先生が声を掛けてきた。
「お嬢さんはクラーシュが弾けるかい?」
「はい。少しだけ。クオントは家にあって、クラーシュは地元の教会で、何度か弾かせて頂きました」
「ほお、じゃあ弾けるんだね。君は?」
「俺はクラーシュは下手です。あの辺りは鳴らすだけならできます」
プラグは壁の弦楽器を指さした。
「ほう、できるのかい?」
「はい。兄が音楽家なんです。作曲家なのかな」
「ほう?」
するとナージャが「あ!」と呟いた。
「そう言えば、イルモンテ・カルタさんは著名な作曲家でしたね!!」
「そうそう。それで。でも、俺はそんなに上手くなくて。楽譜があれば一応できる、って感じかな……クオントとクラーシュは少し練習したけど、兄さんみたいにはとてもできないよ」
元々、プラグは楽器を一通り演奏できるのだが、ストラヴェルの楽器はクロスティアの楽器とは形が少し違う。
仕組み自体はそう変わっていないのだが、演奏技法や音階がかなり違うのだ。
カルタ家には楽団が使う楽器や、イルモンテのお古が沢山あったので、プラグは勉強しながら楽器を練習していた。
どうやるのかというと楽譜の代わりに教本を置いて、読む代わりに文字列に音を当てて、曲を作りながら練習するのだ。
本をめくるのはカド=ククナでやりたかったが、さすがにそれは駄目なので、左手でめくって右手で楽器を弾いていた。クオントやクラーシュは片手でも弾けたが、管楽器、弦楽器は少々大変だった。
途中からは使用人に教本をめくってもらい楽器を奏でていたのだが、変な顔をされた。勉強もできるし、楽器の練習もできるとても良い方法なのだが……伯爵に『それは人間にはできないから、やめなさい』と言われてしまった。
「プラグ様はお兄様の演奏を聞いた事がありますか?」
ナージャが尋ねた。
「うん、戻ってきた時に、何回か聞かせてもらったんだけど、本当に凄かったよ。――あ、俺は養子に入ったのが、一年前なので、それで。あ。兄はあまり家に居なくて」
プラグはクロードに説明した。
カルタ家、長男でカルタ夫妻の唯一の実子であるイルモンテ・カルタは、まだ三十五歳とかなり若いが『音楽の神に愛された天才』と言われている。
初めて作曲したのは四歳の時で、ラヴェル大学の音楽院を首席で卒業した。
作曲、作詞、演奏、歌もできるし、どんな楽器も演奏できる。
彼の作った楽曲、歌曲、劇中歌、賛美歌は、どれも大流行していて、教会でも良く聞く。
しかし、おかげで滅多に家にいなくて、外国だったり貴族の館だったり、音楽院だったり、アストラ城だったり、キルト城だったりと、めまぐるしく飛び回っている。
クロードが目を輝かせた。
「おお! それは凄い。私達は一度、お会いできて、彼の演奏で踊ったことがあるけど、まるで天を泳いでいるようだったよ……。本当に素晴らしかった。お若いし先が楽しみだ。ぜひまた聞きたいけど、お忙しいよね?」
クロードに言われて、プラグは思い出した。
「あっ、そう言えば、今年は選挙の日に城で演奏すると言っていました。『その時会えるかも』と言っていたので、もしかしたら聞けるかも――また父に予定を確認しておきます。兄はいつもどこにいるのか分からないので」
ストラヴェルの評議員選挙は三年に一度あり、七月の末に行われる。貴族も大勢来るので、ダンス教師ならルネに頼めば参加できるかもしれない。
「おお、それはいいね! そうか、首都だから聞けるかも! ありがとう、お願いするよ」
「はい。手紙で聞いておきます」
プラグは微笑んだ。
「選挙ですか、私はその日、行けるかしら……」
ナージャが言った。選挙の日は、本来なら休みの計算だったが、休日がずらされていた。まあ外に出ても人が多いので、それが正解だろう。
「あ。アルスが聞いていたけれど、どちらでも良いって。参加する貴族はその日が休みになって、次の日に補習で自主訓練、だってさ」
「そうなんですね! あ……でも、挨拶が大変と聞くので、候補生のうちは避けたいです」
ナージャが溜息を吐いた。
選挙には妻や子供も連れて来て良いのだが、行けば当然、ひたすら挨拶回りをする事になる。そして開票後はお礼回りだ。貴族令嬢がずっといる必要はないのだが、通常の夜会とは性質が違う。アルスも大貴族が集まるので面倒だと言っていた。
プラグは苦笑した。
「それなら、多分、数日はいるから、兄を呼んでみようかな。気さくな人だからここで少し弾いてもらうくらいできるかも……」
するとナージャが凄い勢いで首を振った。
「とんでもない! イルモンテ様の演奏は、そんな……!」
そこで休憩が終わり、プラグ達は練習に戻った。
■ ■ ■
――ダンスの授業は和やかだったが、礼儀作法の授業は厳しい雰囲気だった。
教室を移動するかと思いきや、そのままダンスホールで行うという。
候補生は入って来たミッシェラ先生、その他手伝いの先生を見た途端に背筋を伸ばした。
なぜかというと、皆、細い鞭を持っていたのだ。
「私が礼儀作法の教師、ミッシェラ・ラ・エリングです。ミッシェラ先生と呼ぶように」
続きがあると思って、候補生達が黙っていると。
「返事は『はい』で!」
と言われたので、候補生達は「はい!」と叫んだ。
その後、並び順を指示された。
「並び方が汚い。こちらに男子五列、こちらに女子五列で均等に整列してください。並び順は順位でいいでしょう。こちら側から一番、二番と横に並んで下さい。事務の男子は男子の列に、事務の女子はまとめて女子列に並んで下さい。事務の男女は、今日の順番は覚えるように。これは貴方がたに出席番号が無いためです。今後順位が変わったら並び替えるように」
候補生達は大急ぎで移動した。女子が入っているところは抜いて、示されたとおり左側から並んでいく。一列目にプラグ、アドニス、シオウ、フィニー、アラーク、と並び、アラークがミッシェラ先生の目の前になる。プラグは少しほっとした。
女子はリルカ、ナージャ、ペイト、アルス、アイリーン、カトリーヌ、二列目からは事務女子が並んだ。
「ではまず、礼儀作法とは何か。基本的な事から説明いたします。教本は読んできましたね? そこの――白い髪の候補生。名前を名乗って下さい」
なぜかプラグが当てられた。
「はい。プラグ・カルタです」
プラグは内心震えながら答えた。
「礼儀作法とは何か。教科書にあったことで構いません。答えて下さい」
プラグは内心、怯えながら、教科書にあった事をそのまま答えた。
ミッシェラは鞭を右手で斜めに持ち、左手を添えながら聞いている。
「――よろしい。全て教科書通りですね。礼儀とは真心。相手への心遣い。その通りです。しかし、この授業では実践を重視し、あと八ヶ月で、いかなる場合でも、国王陛下の御前でも、王妃殿下の御前でも、王城でも、貴族の館でも、道端でも、諸外国でも、正しく行動出来るように指導致します。かなり厳しくしますし、できない場合は容赦なく鞭で打ちます。心して掛かって下さい。返事は?」
「はい!」
プラグを含めた候補生達は返事をした。
「まずは、教師への礼です。この薔薇の館で、教師と廊下で出会った際にどうするべきか。男子の二番目、女子の一番、前へ」
次に当てられたのはアドニスとリルカだった。
「はい!」
さすがに二人とも恐がっているようだ。
「まずは手本を見せます。ここは廊下で、二番の方が、教師です。そこに立って下さい。私は生徒です。二番の方と私は、お互い歩き、出会います。少し離れて、歩いて来て、そのまま通り過ぎて下さい」
そして少し離れてアドニスが歩き、少し離れてミッシェラが歩く。
ミッシェラはアドニスに気が付くと、立ち止まって、脇に避け、見事な礼をした。
アドニスは通り過ぎる。
「これは、貴族と無言ですれ違う歳の作法です。すれ違うまでは顔を上げてはいけませんが、話し掛けられる場合もあります。また顔見知りであれば、挨拶する場合もあります。そういったとき、確実に、自然に対応できるように練習します。ではもう一度。今度は『おはよう』と気軽に挨拶をして下さい」
「はい」
そしてアドニスが歩き、今度は「おはよう」と声をかけた。
「この時、脇に避けるのは、時間があったらで構いません。話し掛けられた場合、礼儀作法は厳密にやり過ぎると不快感を抱かせます。そして、話し掛けられても対応せず、すぐに避けるのは逆に失礼となります。相手が貴族なら相応の対応が必要ですがそれは後で説明します。今は先生と生徒という間柄で立場がはっきりしていますから、まず、その場に立ち止まって、礼をして『おはようごうざいます、アドニス先生』と答えます」
ミッシェラ先生がアドニスを先生に見立て、手本を見せる。
「雑談があれば、はっきり答えるように。なるべく敬語を使い、話が終わったら、失礼致します、と言ってまた礼、そして、このように左足から下げ、体の向きを変えて四分の一回転して、右足を下げて、一歩または二歩、三歩下がり、脇に避けましょう。ストラヴェルでは基本的に、王族、貴族が、廊下の中央を歩き、騎士や平民は進行方向に対して、常に左端を歩きます。騎士はやや内よりでも構いませんが、平民はもう少し外側を歩くのが主流です。これが『貴族の真ん中、騎士の左、平民の左端』と呼ばれる、少々厄介な物です」
「男子の一番の方、前へ」
そこでプラグがまた呼ばれた。
「はい!」
プラグは前に出た。
「まず、例えば、二番の男性が王子だとします。一番の彼女が貴族。一番の男性が騎士。あと一人、黒髪の……三番の男性」
「はい!」
シオウが前に出た。シオウは三つ編みのままだ。
「彼が平民です。ストラヴェルでは貴族は真ん中を歩くので、例えば王族が正面から来た場合でも正面で、必ず礼をしてから、端に避けます。これは貴族全てがそうです。同じ廊下で出会ってしまったら、対峙して挨拶するまで避けられません。貴族同士ならお互い歩いて構いませんが、相手が王族の場合は、立ち止まって待って下さい。そして挨拶の後、脇に避けて通り過ぎるのを待ちます」
そしてミッシェラは相手が貴族の場合、平民はどうするか、騎士はどうするか、端の位置関係はこのくらい、など細かく教えた。
「自分が貴族の場合は、定められた場所、つまり中央を歩きます。大貴族と出会ったら、緊張しますが、堂々と丁寧に挨拶をしてから一旦道を譲ってください。初対面で身分が分からない場合は、お互い名乗るときに身分を明かしますが、大抵は暗記します。貴族の挨拶は――ここにいる皆様には全員身に着けて頂きます。これは養子縁組みや結婚により貴族の一員となる場合があるからです。近衛兵士は全て貴族ですが中には平民出身の者もいます。近衛騎士団に入る場合、平民は全て貴族の養子となるので決して他人事ではありません。騎士の礼、作法も順番に身に着けていきます。ここまではよろしいでしょうか?」
候補生達は「はい!」と答えた。
「貴族でありながら騎士である場合。これは少し複雑です。騎士自身が一番上の公爵、または公爵の夫人、令嬢、令息身分であった場合は、貴族の身分が優先されます。それ未満の貴族は、全て騎士の作法に則ります」
「あとは委任領主ですが。これは伯爵として扱われます。――どこを歩くか、四番の女性。答えて下さい」
「はい! 中央を歩くと思います」
ペイトが答えた。
「その通りです。では外国からの賓客の場合は? 四番の男性」
「ハイ! 中央を歩くと思います」
フィニーが答えた。
「……よろしい。思います、というのははっきりしないので、私は好きでは無いのですが、良しとしましょう。礼儀作法は主観によるものも多く、全て思い通りにする事は難しいのです。……発言の際は間違っていたら指摘するので、中央を歩きます、と断定して構いません。まあどちらでも良しとしましょう……」
ミッシェラが鞭を揺らしながら言った。四番の男性、フィニーはびくびくしている。
「その他にも巫女の作法が存在します。巫女は騎士と同等の扱いになりますので、騎士の作法で問題ありませんが、唯一、右側を歩きます。これは左腕に紅玉鳥を乗せるからです。二番の女性前へ」
「はい!」
ナージャが前に進み出た。
「あなたは巫女です。左腕に紅玉鳥を乗せる格好をしてください。背筋を伸ばし腕を曲げる、拳は手の平を体の前に向け軽く握って下さい。――これでよろしい。紅玉鳥が大きい場合はもう少し外側に向けても構いません。皆さん。並びましょう」
王族、貴族が中央を歩き、右側に巫女、左側に騎士。更に左側に平民。
「巫女見習いがいる場合は、巫女の更に右端を歩きます。ああ、もちろん、並行ではなく少しずつ後ろを歩いて下さい。道幅が狭い場合は少しずつ詰めても構いません。騎士が貴族の前に出るのは、危険があるときだけになります。この危険にも決まりがあります」
「では、以上を踏まえ、教師相手に礼を取る場合は、貴族に対する騎士の礼を基本にいたします。平民の立ち位置とほぼ同じになるので、平民として貴族に対する場合はもう少し外に出るだけで大丈夫です。教師の皆様は中央を歩く決まりはありませんので、そこは気にせず、今日は無言ですれ違う場合、話し掛けられた場合、あとは、こちらから挨拶や話をしたい場合、その次に礼の練習、帰る時の挨拶。入退室の作法をやりましょう。皆さん、隣の方と二人組になってください――」
■ ■ ■
「では、今日の授業はここまで。教えた事は今日から実践して下さい。次回からは騎士の礼、作法について詳しく学びます。各自教本を読み、予習復習しておくように。最後に。教師が退出する際は、ありがとうございました、と言って下さい。はい、復唱」
「ありがとうございました!」
途中休憩を二十分挟み、たっぷり二時間半の後、ミッシェラは満足げに去って行った。
――ミッシェラ達が退出した後、候補生達は一気に脱力した。
「はぁあ……! 疲れた……! 緊張した……!」
「ふぁああ……恐い!」「予習しなきゃ……」
「分かりやすいけど……こわい!」
「お腹空いたー! あれ、もう六時じゃない? やば!」
「今日は、飯、六時半からじゃね?」
「あ、そっか、足、疲れたー……」
皆が口々に言う。
プラグもどっと疲れた。
今日は鞭では叩かれなかったが、いつか叩かれる気がする。
しかしこれくらいの方が覚えよう、間違えないようにやろう、と言う気になる。
アルスは城でミッシェラ先生に教わったと言っていたから、余裕――かと思いきやぐったりしている。
「……また一からなのね……あー……でも、ちょっと優しく感じるわ……。昔より……私が成長したか、先生が丸くなったのかしら……」
アルスの呟きに、プラグは王女って大変なんだな、と思った。
するとルネが笑顔で入って来た。
「皆、お疲れ様ー。授業はどうだった?」
候補生達が一斉に感想を述べる。予想通りの感想だったのだろう、ルネは苦笑した。
「来週からは、ダンス、礼儀作法は一時間二十分ずつ、三時まで。休憩は間に十分になるから。時間と休憩については貼り出してあるよ」
ルネは不在の間に、候補生受け入れの準備をしていたらしい。ルネは公爵だが『人に頼むより自分でやった方が早い』と言うせっかち思考の持ち主なのだ。訓練でもよく『片付けておく』と言ってさっさと片付けてしまう。
「その後の授業については、各自違うから、もらった紙を参考にして。この館は夜八時まで開いてるから、実習日は居残りや自習に使っても大丈夫。自習室には一月から十二月の空いている部屋を使って大丈夫だよ。他の部屋の場合は誰かに聞くこと。ただし食事が出ないから、居残るつもりなら、先に宿舎の厨房に伝えて、パンをもらっておくように。食事可能な休憩室を用意してあるから、水以外は必ずそこで食べてね。分かったかな?」
「はい!」
候補生達が一斉に、笑顔で返事をする。
ミッシェラ先生の後だと、ルネがとても優しく見える。
「じゃあ皆、解散。お疲れ様」
「はい! ありがとうございました!」
礼を言って、頭を下げる。
礼儀作法の成果にルネが頷いた。そして候補生達は帰り始めたのだが……。
「――あ、プラグ君、後、ナージャさんはちょっと待って」
プラグとナージャは呼び止められてしまった。
「はい、何でしょう」「はい、先生! あっ」
礼儀作法っぽく答える。ナージャはうっかり先生と言ってしまい、頰を赤らめた。
「はは。君達、クラーシュ弾ける? さっき、クロード先生に聞いたんだけど」
プラグとナージャは瞬きをして頷いた。
そう言えば授業の後半で、クロード先生は『今、公爵がいらっしゃるから聞いてくる』と言って退出していた。ちょうどダンス曲の話題になった時だった。
「ダンスと、音楽の先生に聞いて、楽譜を集めてきたから、今からちょっと弾いてみて。クオントなら調律してあるから。多分、ナージャさんは弾けるよね?」
「あ、はい……曲は?」
ナージャが言った。
ルネは楽譜の本をクオントの上に置いた。クオントは壁を背に置かれていて、高さはプラグの目線程度。色は茶色で、赤い布がかけてある。椅子も座面が赤い革で覆われている。
足元にはペダルが三本ある。ルネは布をめくって、鍵盤の蓋を開き、折りたたんであった楽譜台を起こし、楽譜や、楽譜の本をナージャに渡した。
「ダンスで良く使う音楽が十曲。後は賛美歌。これも音楽の授業でやるから。音楽の先生はいるんだけど、休日、ダンスの自主練習するかもしれないから、その時、手伝ってあげて。あ、余裕があればね。他にも弾ける子がいたら――誰かいる?」
ルネは他の候補生に尋ねると、アドニスが手を挙げた。
「クオントなら弾けます。でもこの国の曲は知りません」
「あ、そうか、なるほど。じゃあとりあえず、お手本を聴いてからか。他――は?」
候補生は皆、首を振った。
「あれ、アルスちゃんは? 弾けないの?」
リルカが首を傾げる。
王子のアドニスが弾けたので、王女のアルスも弾けると思ったのだろう。
「私、音楽、駄目なのよ……だいぶ下手なの」
アルスが苦笑した。
「じゃ、三人によろしく。あ、楽譜はここに置いておくから。まだ時間あるよね。ナージャさん、練習に何か少し弾いてみて」
ナージャは「ダンスの曲はまだ難しいですけど、賛美歌なら」と言って楽譜から弾ける物を選んだ。
「では……」
ナージャは少し嬉しそうに、腰を下ろして、髪を後ろに流して、鍵盤に指を乗せた。
そして。
豊かな音色が、指先からこぼれる。
「おお……!」
候補生達が目を丸くする。
プラグもかなり上手い、と思った。
ナージャはしばらく弾いて、切りの良いところで手を止めた。
「こんな感じですが……大丈夫でしょうか」
ルネは拍手した。候補生達も拍手する。
「いや、十分だよ。上手だね! 新しい曲、弾けそう?」
ナージャがダンスの楽譜を見る。
「……そうですね、主旋律だけなら弾けそうです。他の楽器は無くて良いですよね」
「うん、曲が分かればいい。音に合わせた方がやりやすいしね。ナージャさんはこれでいい――で、君だけど、弾けるの?」
ルネがプラグを見た。
「だいたい、って感じですけど」
「ナージャさんと比べて? どのくらい」
「同じくらいには……」
「えっ。じゃあやってよ。こっちの曲はいける?」
ルネが示した賛美歌は、弾ける物だった。
「はい」
「……君ってさー、まあいいや、やってみて」
「はい」
プラグはナージャに席を替わってもらい、有名な賛美歌、アルマジュラ・ル・ライト作曲『賛美歌三百十五番 愛しき子らよ』を弾きはじめた。
さらりと始め、しばらく弾いて終わった。
「あ、普通にできてる。弾けるんだ?」
ルネが言った。候補生達も、あっ、弾けるんだ、聞いた事ある曲だ、という反応だ。
「どうも。このくらいです」
シオウも「おー、何でも出来るなお前ー」と若干呆れながら拍手してくれた。
「……君、もしかしてクラーシュ弾ける? 弦楽器ができるとか言ったらしいけど? 本当?」
「だいたいは」
「ええ? ちょっと弾いてみてよ。クラーシュの方が雰囲気が出るし。調律はまあ、一年前だけど良いはず」
ルネは白いクラーシュの、赤い覆い布を引きはがして――本体の蓋を開けて、使えるようにした。
ルネは指で鍵盤を弾き「よし、出るね」と言って、プラグを座らせる。
「曲はどれ? もしかして初見で出来たりする?」
「え……まあ」
「まあじゃないよ。じゃあコレ、適当に弾いて。ダンスの有名なやつ。愛の尊厳。――ん、あれ? これ君のお兄さんの曲か。あれ、これも……じゃあ、これ、いける?」
「ああ、兄ほど弾けませんけど」
「兄ほど弾けたら困るよ。この頁だけでいいから、本気でやってくれる? あ、手抜きは無しで、真剣に。見なくてもできる?」
「はい……できますけど……」
「じゃあやって。愛の尊厳」
プラグは音を確認した後、ふう、と息を吐いて、曲を思い浮かべて弾き始めた。
高い音色から始まり、流れるように指を動かす。出だしは少し難しいが、その後は簡単だ。
抑揚をつけて奏でていく。
楽しく弾いて、一頁終えた所で、そっと止める。
「こんな感じの曲です。この曲は後は繰り返しなので、楽ですね」
「……うーん」
ルネは腕を組んでいた。
候補生達は「おおーっ!?」「すげー!」「なんでもできるなー」「てんさいー!」「もぉ、凄い上手い!」と熱心なのだが、僅かに呆れの混じった拍手をくれた。
「ふぅん。それなりかな。わかった、じゃあ、三人で適当にやってくれる? あと今度、一応、弦楽器も聞かせてよ。調律は頼んでおくから。片付けて、皆、お帰り」
ルネは言って、去ろうとしたのだが。
「あ、そうだ、ダンスの先生が、選挙の日、兄の演奏を聴きたいと仰っていたんですが、参加はできますか?」
「ああ、それなら手配したよ。招待状を出すだけだから」
「あ、そうなんですね」
クロード先生はルネに会ったときに聞いたのだろう。
ルネが笑顔で続けた。
「君の演奏は微妙で、ぶっちゃけ実は超ど下手くそで、大勢の人間に聞かせられる物じゃないけど、もし、ここにお兄さんが来られるなら、クラーシュはいつでも使って良いから。その時は教えてね。調律は頼んでおくから」
「あ……はい」
ルネは「じゃあまた」と言って去って行った。
プラグは少ししょんぼりした。
「さ、じゃあ片付けよう。やっぱ下手なのかな……」
「プラグ君」
アドニスが話し掛けてきた。
「何?」
「あのー、ところで、君って、本当に孤児で平民なんですか? さすがにそろそろ、疑っているというか。こんな孤児、いるわけないっていう。なんでクラーシュが弾けるんですか?」
アドニスの言葉にプラグは苦笑したが、候補生達が何度も頷いている。アルスもそうだ。
「いや? え、えーっと、教会では賛美歌とかクオントも弾き放題だったから。あと家にクラーシュや楽器が沢山あって……兄の影響でちょっと。父さんにも教えてもらえたし」
「なるほどつまり、カルタ家は名家だから、と?」
「うん、そんな感じ。父さんと、兄さん達が凄いんだ」
「へぇーそうですか。とりあえず、納得しておきましょう」
アドニスがじと目でプラグを見た。
「うん」
プラグは笑顔で頷いた。
ぎりぎり誤魔化せたかな、と思ったのだが。
宿舎までの帰り道でひそひそと話をされた。
「――だからさ、本当はどっかの大貴族の息子なんだって」
「やっぱりどこかの国の王子様なんじゃない?」
「きっとそのうち、スゲー銀髪の美人が私が母親です、って名乗り出てくるって」
「それで父親はどこかの王様なんだろ。めっちゃありそう」
「平民出身の側室で、王妃にいびられて泣く泣く手放したとか?」
「あーわかる。それで王妃が病気で死んだから迎えに来たとか」
「それな。俺が国王なら絶対、血眼になって探すって」
「で、お世継ぎがいないとかで、結局国王に収まるとか」
「ありそー!」
そして一部――ナイドとアラークには大不評だった。
「プラグ、お前の演奏、酷ぇなー! 悪い事言わねぇから、もう弾くなって! な?」
ナイドはプラグの頭をばしばしと叩いた。
「ほんと、もう人前では弾かない方が良いぞ。ま……まあ、ダンスの練習くらいなら聞いてやってもいいけどな?」
アラークはよく分からない感じだった。
しかし褒めてくれる層もいて、エマは「すごーい! 上手!」と目を輝かせているし、フィニーも「君って何でもできるんだね!」と言っている。あとはウォレスとゼラトが「上手いな!」「いや凄ぇ! 音楽とかわかんねぇけど!」と褒めちぎってくれている。
プラグはがっくりと肩を落とした。
「俺がクラーシュ弾くと、皆、いつもこうなるから、やっぱり下手なのかな……」
クロスティアでもプラグが曲を奏でたり、歌ったりすると皆がひそひそと噂を始めていた。
拍手もまばらで……反応が悪いのだ。
一応「うわー、上手ですねー」とは言ってくれるのだが、棒読みだし、プラグの立場を慮って、気を遣っているだけかもしれない。
「歌も好きだけど、皆に、人前で歌うなって言われるし……実はとても音痴なのかも。耳っていうか、音感が悪いらしくて、自分じゃ分からないから。クラーシュは合ってると思うんだけど……まだ練習中だからなぁ」
プラグは言い訳した。
トゥーワとルーミーに歌を聴かせたところ『……あんまり歌わない方がいいね』と言われた。ただこれは『嘘』の力が入ってしまい、何やら脳に悪影響があったらしい。
プラグ自身には良い感じに聞こえるのだが、耳があまり良くないのでは、と言われていた。
ラ=サミルにも『精霊に歌を聞かせるのは一曲まで』と言われている。
賛美歌を歌う機会は良くあったのだが、言いつけを守って一曲で終わらせていた。
後はラ=サミルのとてつもなく上手い歌や、音の精霊達の合唱を聴いていた。
プラグとしては一時間くらい聞いてもらいたいのだが……それは夢のまた夢だ。
こちらに来てからも密かに練習をしているのだが、飛んでいる鳥が落ちたり、ミミズが踊ったり、蟻が巣から出て来て整列したりする。
するとアルスが苦笑した。
「そうねぇ。クラーシュはあまり人に聞かせない方が良いわね。歌もやめた方がいいわ絶対。あ、一人でこっそり歌うとか、ダンスの練習でこっそり弾くらいなら良いと思うけど」
「アルスもか……」
するとアドニスがプラグに尋ねてきた。
「参考までに、君のクラーシュを聞いてお兄様はなんて言いましたか?」
「確か『これは衝撃的な出来事だから、しばらくそっとしておいてくれ』って」
「あー……」
「でもその後、凄く良い曲を作っていたから、着想にはなったのかな」
「あー……」
「ルネの反応も悪かったし、やっぱり駄目かも」
「あー……」
シオウからも「分かる、反応に困る。もうやめとけ」という感想を頂いて、プラグはまた項垂れた。
「でも俺は好きだぜ、お前の演奏。いいんじゃね、仲間内でやる分には」
と、シオウが言ったので、シオウの好感度が急上昇した。
「本当!?」
プラグは目を輝かせた。シオウはたまにプラグの好感度を上げてくる。
「歌はまあ、どうでもいいけどな。クラーシュはそこそこってところだろ。ナージャと同じくらいだし、丁度良いって。お前、弾き方とか、抑揚が独特だから、皆反応に困るんだよ。ちゃんと楽譜通りにやって無いだろ。それだと踊りにくいからフツーにやれ」
「あ、それはそうかも。そうだよね、楽譜通りにやらないと踊りにくい!」
「そうそう。ヘンテコな踊りになる。楽譜を見た通りに、そのまま弾いときゃいいんだよ正確に」
「なるほど……!」
「……ナージャと同じくらいって、ナージャも凄く上手いのよね……もう皆、おかしいわ」
アルスが小声で何か呟いている。
「よし、じゃあお前はナージャより大分下手、ってことで決まりだな。まずは、とりあえず拍手がもらえる、ふつーの演奏目指せ」
シオウが言った。
ナージャは確かに上手かった。プラグは多少自信があったのだが、彼女と同等というのは、思い上がりすぎだろう。
「わかった、これからは楽譜通りに大人しく弾こう」
プラグは深く頷いた。
「あ、シオウは今日から親友候補に昇格。褒めてくれた人も友達!」
「お、やった!」
シオウが嬉しそうにする。プラグは笑いながら、シオウの背中に抱きついた。
――本当は、皆の反応を楽しんでいるのだ。