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共円者

ー/ー




「一滴でもだめですか」
「はい。ダメですね。まず、一滴でもと思っている時点でアウトです」
 今回の新人は厄介だ。支え合いながら傷を癒している輪を土足で入り込もうとしている。みんなのオアシスに容赦なく砂をかけて来そうだ……。
 
 「中村さん。リーダーだからって、そんな言い方しないでくださいよ。俺だってね努力してるんです。それを、知ろうともせず偉そうにしやがって。女のくせに」
 「加藤さん。お酒飲まれてますよね」
 「飲んでる訳ないだろ!俺はもうやめたんだ」
 はい、だるい。若い子から放たれる香水のようにプンプン臭ってるくせに平気で嘘を吐いてやがる。『女のくせに』とか言っちゃう奴が一番嫌いだ。
 「それは失礼いたしました。体に臭いが染み付いてしまっているのかもしれませんね。でも安心してください。一緒に頑張りましょう」
 「匂いが染み付いてるだと?」
 「まずは、深呼吸してください。心が落ち着きますよ」
 冷静を装っているが今すぐにでも、その口の中にアルコールをぶち込んでやりたい。
 「加藤さんは生活を立て直す為に、この断酒会に参加されたのですよね。私もそうでした」
 「だったら、俺も輪の中に入れてくれよ」
 「はい。もちろんです。しかし、飲酒をしていない事が前提ですので、約束を守れていない方は参加いただけません。また次の機会にご参加頂く様、お願いしたいです」
 「俺のことをバカにしてるな。『人を救っています』みたいな顔しやがって、お前だってみんなと同じだ。酒に溺れて人生を狂わせたから、ここにいるんだろ」
 顔面でお湯を沸かせそうなほど血が上った。『カチ、カチ』と爪を噛み、傷口を触られた様な感覚がスイッチとなり、歯車が動きだした。
 
 ……『カチ、カチ、カチ』
 お前なんかと一緒にするな。私はそっち側の人間とは違うんだ。
 『カチ、カチ、カ……』
 不揃いの足音が聞こえ、爪を噛むのをやめた。
「中村さん、僕たちからも説得しますから、奥の部屋で休んでください」
「ありがとう。でも私は大丈夫よ」
 この時は周りの人に助けられ、加藤から離れる事が出来た。私の中の歯車は、狂わずに規律を守る動きをしてくれるのか……。そう祈っているが、少しの亀裂を感じる。
 仲間の一人、米田さんが片手に透明の液体が入ったコップを持っている。
 『……ジュワリ……ごっくん』
 ただの水なのに、思わず喉を鳴らしてしまった自分を戒めた。
 「やっと帰りました。支離滅裂な発言が多くて、会話が成立しませんでしたよ……。加藤さん、実に厄介ですね。あ、とりあえず、お水どうぞ」
「ありがとう。力不足でごめんなさい。あなた達まで巻き込んでしまったわ」
 透明の液体から目を離せない。無味無臭のはずなのに鼻をツンとさせる誘惑の香りを期待してしまう。この感覚は封印したはずなのに……。
 「コップ、汚れてました?」
「あ、違いますよ。米田さんは気の利く方だなと感心してました。遠慮なく頂きますね」
 スっと喉元を通りすぎていく……。ダメだ。あの喉にまとわりつく熱さが恋しい……。
 『……ジュワリ』
 加藤のせいだ。あいつの放った言葉が、やまびこのように頭の中で反芻している。
 『一滴』
 それが全てを泡にしてしまう。
「きっと加藤さん、次回も現れますよ。スケジュール表を写メしてましたから。もう問題を起こさなければいいですけどね……。まぁ、でも大丈夫ですよ。僕たちも居ますし、中村さん一人で抱え込まないでくださいね」
「そう言ってくれてありがとう。とても心強いわ。そうよね、私たちは強い絆で結ばれた仲間達だもの」
 『カチカチカチ……』
 やばい。もう噛む爪が残っていない。
 
『アポーション・サークル』
 この断酒会には年齢、性別問わず様々な人たちが参加している。みんなで円を作り、心のうちを告白することで共感し合うのだ。
 『私だけではない』
 孤独感が軽減されることで救われる。かつて私もそうであった。精神的にも波が少なくなり、社会復帰も出来ている。
 この会に出会わなければ、体内に誘惑の香りを取り込み続けていただろう。
 だから、『アポーション・サークル』は私の人生で大切な物である。
 
 「あれから、加藤さん現れないですね。輪を乱される不安要素が消滅しそうで、安心しちゃいました」
 「米田さんのお気持ちもわかります。しかし、私としては加藤さんが心配でもあるんです。自らお酒を断とうと思った方が、その機会を失ってしまうことに」
 「そうですよね。ごめんなさい。加藤さんだって少し前の僕たちと同じですよね……やはり、中村さんは素晴らしいリーダーです」
 嘘を吐いた。姿を現さないことに胸を撫で下ろしているに決まっいてる。あんな奴に壊されてたまるか。
 『アポーション・サークル』は私が作り上げた神聖な場所なんだ。
 「中村さん?大丈夫ですか?指から血が出てますよ!絆創膏持ってきますね!」
 ダメだ、ダメだ。『……ギシ……ギシ』『バタバタ……』歯車の軋む音が聞こえる……。
 『パタパタ……』聞き覚えのある不揃いの音も混ざっている。鉄臭さが鼻腔を掠め、現実なのか、幻聴なのか……。
 「き、来ました」
 片手いっぱいに絆創膏を持つ息の上がった米田さんが瞳に映り、現実だと理解した。
 「落ち着いてください。どうしましたか」
 「あ、あの、加藤さんが来ました」
 心中は般若が顔を出しているが、おかめの仮面を付けたかのような表情を装った。

 「おう!中村さん。お久しぶりですね。今日も人を救えていますか?……その落ち着き払った笑顔が答えですね」
 「あら、加藤さん。また来てくださったのですね。心配していたんですよ。今日は輪の中に入ることができそうですか」
 「『今日は』なんて嫌味な野郎だ。まぁ、いい。俺が来た理由は違う目的だからな」
 加藤はズカズカとオアシスに土足で上がり、円の中心に立った。今すぐにでもこいつを瓶詰めにして、アルコール漬けにしてやりたい。
 「どうやら、この会の人たちは、中村さんに心酔しているご様子ですなぁ」
 そう言いながら、所々が茶色く変色した白い封筒を逆さまにし、『ペラペラ』と葉っぱが散る様に一枚の写真が舞った。
 米田さんが、汚いものを触るように拾い上げ凝視し、小刻みに震え出した。唇から出血もしている。
 「嘘ですよね?そんな事をする人ではないです!僕たちを裏切るなんてあり得ません」
 「それが、あり得るんだなぁ。君たちの事を救ってなんかいない。マリア様の仮面をつけた悪魔なのさ」
 米田さんに近寄り、写真を覗きこんだ。
 ……そこには、牛丼屋で昼食を食べながら、瓶ビールを煽っている私が映っていた。
 今度は、顔面でお湯を沸騰させられるほどの怒りを感じたが、再びおかめの仮面を付けた。
 「加藤さん。また嘘をついていらっしゃいますね。この写真は偽造されています。確かに牛丼は食べました。しかし飲酒などしていません」
 「ほう。証拠が目の前にあるのに平気で嘘をつける神経が信じられん。動揺もせず、『偽造』だとすぐに言えるのも怪しいじゃないか。バレた時の為に言い訳を考えていたに違いない」
 『ゴロゴロ……。』
 たくさんの氷柱の様な視線が身体中を刺し、歯車の音も聞こえる。
「そんな、酷いですよ。中村さん……。みんなを裏切っていたなんて」
「本当に違うの。信じて。お願いよ。私、ビールだけは苦手で飲めなかったの。だから絶対に違う」
 加藤は口端を上げた後、口だけを動かした。
 『おまえは、もう、えんのそとだ』
 やめて……。やめて、やめて。私から奪わないで。『アポーション・サークル』は生きがいなの!
 私はパニックに陥っているのだろう。沸騰したお湯の中に現れる気泡のように、鼓動がグズグズとザワついた音を立て、胸が苦しい。
 『私、死ぬ?いや、そんなハズはない……』
 視線などお構い無しに自分のバッグを手繰り寄せ、深い折り目がついた『……社』と書いてある赤い封筒を開け、内容を確認した。

 『いかなる物にも依存しないこと』

 脂汗が止まらない。
「そんな。『いかなる物にも……』なんて……」
 こんなはずでは無かった。アルコールから脱却できたのは、契約の効力ではなかった様だ。
「依存したものが変わっただけじゃない……。こんなことならアルコール漬けのままの方が幸せだったわよ」
 『ゴロン……ガシャリ』
 私の歯車は完全に外れた。



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「一滴でもだめですか」
「はい。ダメですね。まず、一滴でもと思っている時点でアウトです」
 今回の新人は厄介だ。支え合いながら傷を癒している輪を土足で入り込もうとしている。みんなのオアシスに容赦なく砂をかけて来そうだ……。
 「中村さん。リーダーだからって、そんな言い方しないでくださいよ。俺だってね努力してるんです。それを、知ろうともせず偉そうにしやがって。女のくせに」
 「加藤さん。お酒飲まれてますよね」
 「飲んでる訳ないだろ!俺はもうやめたんだ」
 はい、だるい。若い子から放たれる香水のようにプンプン臭ってるくせに平気で嘘を吐いてやがる。『女のくせに』とか言っちゃう奴が一番嫌いだ。
 「それは失礼いたしました。体に臭いが染み付いてしまっているのかもしれませんね。でも安心してください。一緒に頑張りましょう」
 「匂いが染み付いてるだと?」
 「まずは、深呼吸してください。心が落ち着きますよ」
 冷静を装っているが今すぐにでも、その口の中にアルコールをぶち込んでやりたい。
 「加藤さんは生活を立て直す為に、この断酒会に参加されたのですよね。私もそうでした」
 「だったら、俺も輪の中に入れてくれよ」
 「はい。もちろんです。しかし、飲酒をしていない事が前提ですので、約束を守れていない方は参加いただけません。また次の機会にご参加頂く様、お願いしたいです」
 「俺のことをバカにしてるな。『人を救っています』みたいな顔しやがって、お前だってみんなと同じだ。酒に溺れて人生を狂わせたから、ここにいるんだろ」
 顔面でお湯を沸かせそうなほど血が上った。『カチ、カチ』と爪を噛み、傷口を触られた様な感覚がスイッチとなり、歯車が動きだした。
 ……『カチ、カチ、カチ』
 お前なんかと一緒にするな。私はそっち側の人間とは違うんだ。
 『カチ、カチ、カ……』
 不揃いの足音が聞こえ、爪を噛むのをやめた。
「中村さん、僕たちからも説得しますから、奥の部屋で休んでください」
「ありがとう。でも私は大丈夫よ」
 この時は周りの人に助けられ、加藤から離れる事が出来た。私の中の歯車は、狂わずに規律を守る動きをしてくれるのか……。そう祈っているが、少しの亀裂を感じる。
 仲間の一人、米田さんが片手に透明の液体が入ったコップを持っている。
 『……ジュワリ……ごっくん』
 ただの水なのに、思わず喉を鳴らしてしまった自分を戒めた。
 「やっと帰りました。支離滅裂な発言が多くて、会話が成立しませんでしたよ……。加藤さん、実に厄介ですね。あ、とりあえず、お水どうぞ」
「ありがとう。力不足でごめんなさい。あなた達まで巻き込んでしまったわ」
 透明の液体から目を離せない。無味無臭のはずなのに鼻をツンとさせる誘惑の香りを期待してしまう。この感覚は封印したはずなのに……。
 「コップ、汚れてました?」
「あ、違いますよ。米田さんは気の利く方だなと感心してました。遠慮なく頂きますね」
 スっと喉元を通りすぎていく……。ダメだ。あの喉にまとわりつく熱さが恋しい……。
 『……ジュワリ』
 加藤のせいだ。あいつの放った言葉が、やまびこのように頭の中で反芻している。
 『一滴』
 それが全てを泡にしてしまう。
「きっと加藤さん、次回も現れますよ。スケジュール表を写メしてましたから。もう問題を起こさなければいいですけどね……。まぁ、でも大丈夫ですよ。僕たちも居ますし、中村さん一人で抱え込まないでくださいね」
「そう言ってくれてありがとう。とても心強いわ。そうよね、私たちは強い絆で結ばれた仲間達だもの」
 『カチカチカチ……』
 やばい。もう噛む爪が残っていない。
『アポーション・サークル』
 この断酒会には年齢、性別問わず様々な人たちが参加している。みんなで円を作り、心のうちを告白することで共感し合うのだ。
 『私だけではない』
 孤独感が軽減されることで救われる。かつて私もそうであった。精神的にも波が少なくなり、社会復帰も出来ている。
 この会に出会わなければ、体内に誘惑の香りを取り込み続けていただろう。
 だから、『アポーション・サークル』は私の人生で大切な物である。
 「あれから、加藤さん現れないですね。輪を乱される不安要素が消滅しそうで、安心しちゃいました」
 「米田さんのお気持ちもわかります。しかし、私としては加藤さんが心配でもあるんです。自らお酒を断とうと思った方が、その機会を失ってしまうことに」
 「そうですよね。ごめんなさい。加藤さんだって少し前の僕たちと同じですよね……やはり、中村さんは素晴らしいリーダーです」
 嘘を吐いた。姿を現さないことに胸を撫で下ろしているに決まっいてる。あんな奴に壊されてたまるか。
 『アポーション・サークル』は私が作り上げた神聖な場所なんだ。
 「中村さん?大丈夫ですか?指から血が出てますよ!絆創膏持ってきますね!」
 ダメだ、ダメだ。『……ギシ……ギシ』『バタバタ……』歯車の軋む音が聞こえる……。
 『パタパタ……』聞き覚えのある不揃いの音も混ざっている。鉄臭さが鼻腔を掠め、現実なのか、幻聴なのか……。
 「き、来ました」
 片手いっぱいに絆創膏を持つ息の上がった米田さんが瞳に映り、現実だと理解した。
 「落ち着いてください。どうしましたか」
 「あ、あの、加藤さんが来ました」
 心中は般若が顔を出しているが、おかめの仮面を付けたかのような表情を装った。
 「おう!中村さん。お久しぶりですね。今日も人を救えていますか?……その落ち着き払った笑顔が答えですね」
 「あら、加藤さん。また来てくださったのですね。心配していたんですよ。今日は輪の中に入ることができそうですか」
 「『今日は』なんて嫌味な野郎だ。まぁ、いい。俺が来た理由は違う目的だからな」
 加藤はズカズカとオアシスに土足で上がり、円の中心に立った。今すぐにでもこいつを瓶詰めにして、アルコール漬けにしてやりたい。
 「どうやら、この会の人たちは、中村さんに心酔しているご様子ですなぁ」
 そう言いながら、所々が茶色く変色した白い封筒を逆さまにし、『ペラペラ』と葉っぱが散る様に一枚の写真が舞った。
 米田さんが、汚いものを触るように拾い上げ凝視し、小刻みに震え出した。唇から出血もしている。
 「嘘ですよね?そんな事をする人ではないです!僕たちを裏切るなんてあり得ません」
 「それが、あり得るんだなぁ。君たちの事を救ってなんかいない。マリア様の仮面をつけた悪魔なのさ」
 米田さんに近寄り、写真を覗きこんだ。
 ……そこには、牛丼屋で昼食を食べながら、瓶ビールを煽っている私が映っていた。
 今度は、顔面でお湯を沸騰させられるほどの怒りを感じたが、再びおかめの仮面を付けた。
 「加藤さん。また嘘をついていらっしゃいますね。この写真は偽造されています。確かに牛丼は食べました。しかし飲酒などしていません」
 「ほう。証拠が目の前にあるのに平気で嘘をつける神経が信じられん。動揺もせず、『偽造』だとすぐに言えるのも怪しいじゃないか。バレた時の為に言い訳を考えていたに違いない」
 『ゴロゴロ……。』
 たくさんの氷柱の様な視線が身体中を刺し、歯車の音も聞こえる。
「そんな、酷いですよ。中村さん……。みんなを裏切っていたなんて」
「本当に違うの。信じて。お願いよ。私、ビールだけは苦手で飲めなかったの。だから絶対に違う」
 加藤は口端を上げた後、口だけを動かした。
 『おまえは、もう、えんのそとだ』
 やめて……。やめて、やめて。私から奪わないで。『アポーション・サークル』は生きがいなの!
 私はパニックに陥っているのだろう。沸騰したお湯の中に現れる気泡のように、鼓動がグズグズとザワついた音を立て、胸が苦しい。
 『私、死ぬ?いや、そんなハズはない……』
 視線などお構い無しに自分のバッグを手繰り寄せ、深い折り目がついた『……社』と書いてある赤い封筒を開け、内容を確認した。
 『いかなる物にも依存しないこと』
 脂汗が止まらない。
「そんな。『いかなる物にも……』なんて……」
 こんなはずでは無かった。アルコールから脱却できたのは、契約の効力ではなかった様だ。
「依存したものが変わっただけじゃない……。こんなことならアルコール漬けのままの方が幸せだったわよ」
 『ゴロン……ガシャリ』
 私の歯車は完全に外れた。