はるか遠い世界の、昔々。
北大陸のそのまた北。七つ丘を越えて、エルー大湖を通り過ぎた断崖絶壁、白い頂の『雪砂高原』。鷲のかぎづめに似た広い頂の、特に寒さが厳しく風も強い。そんな場所に小さな村があった。猿人の村だ。
猿人は皮膚こそ分厚いが毛が薄く、牙も爪も小さいため、もっぱらほかのたくさんの種族のおやつであった。彼らは『羽持たぬ者』――グラース、グラーオス、もしくはゴス――と呼ばれた。
精霊への敬虔な祈りだったり、影を雪に隠す術だったり、特殊な毒だったりを使い、彼らは日々を細々と暮らしていた。
さて、断崖の村の猿人に、やたらと呑気で誠実な男がいた。
名をストゥルテ、もしくはストーテ。
姓をサーサラ。
直訳すれば「あおき音の泉」と「気高い熊」。
意訳するならば「音(もしくは声)の美しい、気高い熊に似た者」。
……いじわるな見方をするのなら「いけにえをかって出た、産声の大きな奴」。
ストゥルテ・ス・サーサラ。
ストゥルテは生まれたときから病気がちなので、村はずれの一等目立つ場所に建てられた家に預けられた。
前からの住民である老人は、とかく陽気な学者で、半分ボケていた。老人はストゥルテを弟子になりに来た自分の孫だと思っていた。
「あぅ」と一声上げれば、煎じ薬を放り出してあやしに来る。「ふにゃ」と言いかければ、手洗い場からすぐさま飛び出して面倒を見る。
一事が万事そうだったので、ストゥルテは”多少体が弱い”くらいまで回復したし、老人のことが大好きだった。
老人と歩くうちに、雪砂高原の植生や効能に詳しくなったし、たくさんの種族の生態や文化に明るくなった。星の読み方や天候への対策、危険の先触れ、狩りの方法に隠れ方。ストゥルテは老人のすべての知識を、若い頭に吸収した。
毎夜、寝物語で眠り、食事の香りや食材をつぶす音で目が覚める。
生まれてからずっと、そんな調子だったので、やたら呑気で誠実で、ニコニコを絶やさない素朴な学者になったことも全然不思議ではなかった。