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8.ドラマチックな展開

ー/ー



 朝の準備が一段落したところで、カウンターの上に数人分の弁当が用意されていたので、俺はペントハウスに戻るのをやめて、レコード棚を整理するフリをしながら弁当を見張っていた。
 しばらくすると階段を軽い足音が降りてきて、店の奥から厨房に向かって元気に「いってきます!」と声を掛けるミナトの挨拶が聞こえ、それからランドセルを背負った小さなシルエットがフロアに飛び込んでくる。

「あ、多聞……サン。いってきます……」

 白砂サンに声を掛けたのに比べると遥かに小さなボリュームだったが、それでもミナトがそこにいた俺に気付いて、自分から挨拶してきたのは褒めるべきだろう。

「いってらっしゃい、気をつけてな」

 俺が挨拶を返すと、ミナトは小さく頷いて、店の外に飛び出して行く。
 カウンターには見向きもしなかった。
 更にそこで見ていると、敬一クンが現れた。

「あ、多聞さん、おはようございます。今朝はどうしたんですか?」
「いや、ちょっとね。敬一クンはもう登校?」
「準備しておきたい事があるので早めに行きます。食事用意してありますけど、兄さんが起きて食べ始めましたから、放っておくと多聞さんの分まで食べてしまうかもしれませんよ?」
「うん、大丈夫。ワカッテル……から……」

 まぁ、シノさんの空腹次第……なところもあるが、はっきり否定出来ない。
 俺が曖昧な笑みを浮かべて、それでもなおそこにいると、敬一クンは不思議そうな顔をしながらも、カウンターの上の弁当の蓋を閉め始めた。

「あの、敬一クン」
「はい?」
「なんでその弁当だけ、二人分包んでるの?」
「ああ、これは海老坂の分だから」
「だって、それ、二人分だよね?」
「海老坂は食べる量が多くて、弁当の他にパンやらおにぎりやら買って食べてるって話したら、それから弁当の数が増えてて。白砂さんが、余分に用意してくれてるようです」
「えーと、それ、白砂サンにちゃんと確認してる話?」
「どういう意味でしょうか?」
「実は先日コグマから、白砂サンに弁当頼んでるのになんか置いてないみたいだって、言われてさ……」
「え……? ええっ!? それは俺だ、どうしよう!」

 敬一クンは、自分がコグマの弁当をエビセンに持たせてしまっていた事に気付いたようだ。

「小熊さんと白砂さんに謝らないと!」
「それはもう、(あと)にしなよ、なっちゃったコトはしょうがないし。今から謝ってたら、敬一クンもコグマも遅刻しちゃうよ?」
「ああ……、そうか……」
「コグマが降りてきたら、俺から勘違いのコト言っとくよ」
「お願いします。帰ってから改めて謝罪すると伝えて下さい。じゃあ、いってきます!」
「はい、気をつけて」

 自分の弁当を掴むと、敬一クンは慌ただしく裏手に行き、カブに飛び乗って登校して()った。

 やっぱり弁当の件はコグマの早合点で、ミナトは全く関与しておらず、敬一クンのただの勘違いだった事に、俺はホッと胸をなでおろした。
 別にミナトの潔白を信じていた(わけ)では無いし、俺だってミナトは、可愛げのない子供だと思ってる。

 だけど、ミナトが可愛げのない子供になったのは、そもそも彼を取り囲む環境の所為だし、頑なだった態度が随分和らいできているのも事実だ。
 そしてミナトはトラブルを起こして面白がるような、いわゆる "悪ガキ" の要素をあまり持っていない、イマドキの冷めた子供だ。
 そのミナトが気に入らない相手だからって、わざわざ嫌がらせをするとは思えなかった。

 コグマの弁当が無くなった事実は変わらないし、実は敬一クンに対して何かと引っ掛かっているコグマは、きっとクドクド文句を言うだろうが、ミナトと衝突されるよりは、事態はずっと平和だ。

§

 俺が昼メシを食うためにペントハウスで湯を沸かしていると、慌ただしい足音が聞こえてきた。

「多聞さん、すみません!」

 ダイニングキッチンに駆け込んできたのは、午後のシフトに入ったばかりのホクトだった。

「どうしたの?」
「あの、ケイから連絡があって、緊急事態だから今すぐ来て欲しいって! だから俺、すぐに出たいんですけど!」
「緊急事態? なんだろう? でもまぁ、良いよ」
「すみません! (あと)のことよろしく!」

 言うが早いかホクトはギャルソンエプロンを外すと、脱兎の如く飛び出していった。
 俺はヤカンの火を止めて、下に降りた。

「おや? ホクト君はどうしたのかね?」

 厨房にオーダー票を持っていくと、白砂サンが不思議そうな顔をする。

「なんか、敬一クンから緊急の呼び出しがあったって言って、出掛けて行きましたよ」
「ふむ……。しかし多聞君、昼食はどうしたのかね?」
「だってランチタイムに入っちゃうでしょ? どうせ遅番の時は昼メシ2時頃食べるし……」
「そうかね。では、忙しくなる前に、そこにある試作品を少し食べておきたまえ」

 白砂サンが指差した先には、クッキーやらミニパイやら、ちんまりしたお菓子が並べられていた。
 飯の代わりに甘い物はどうかと思ったけど、せっかく勧めてもらったんだから……と俺はクッキーを1個、口に放り込んだ。

「わあ、何コレ甘くない! っていうか、甘じょっぱい?」

 スナック菓子がすごく上等になったみたいな感じで、メッチャ美味い!

「鎌倉の父上は、夏場はビールを飲む事が多いと仰るので、ビールに合うつまみを考案していたのだ」
「まさにビール欲しくなっちゃうよ。こっちのパイは……」
「多聞君、お客様がみえているようだが?」
「おっと、すんません」

 親切だが仕事には厳しい白砂サンから、ブリザードが吹き付けてくる前に、俺は慌ててフロアに戻った。

 しかし、ランチタイムが終わっても、ホクトは戻ってこなかった。

 白砂サンの試作品が無かったら、完全に昼メシを食いっぱぐれた俺の腹の虫が、フロアで情けない音を立ててしまうところだった。
 だが問題は、ミナトが学校から帰ってくるような時間になっても、ホクトが戻らなかった事だ。

 と言うか、その時間になってもキャンパスチームの(だれ)も帰って来ず、滅多にない事だがアフタヌーンティーの予約がニ件被っていたので、最終兵器のシノさんまで召喚せねばならぬ事態になった。
 気が乗らないとシノさんはナマケモノ全開で、手伝いに入ってもらうだけでも至難の業だから、出来ればギリギリまで声を掛けたくない。
 だがもうそんなこと言ってられない状況だったので、敬一クンに呼び出されたホクトが戻ってこないと言ったら、珍しくすんなりフロアシフトに入ってくれた。

§

「やっぱ立ち仕事は腰にくるのぅ〜〜」

 マエストロ神楽坂はカフェなので、ランチの(たぐい)は出しているが、フランス料理店のようにコース料理を提供している(わけ)では無い。

 だが、予約を受けて提供しているアフタヌーンティーは、タワーに盛られたお菓子や惣菜を食べながら、時間内は自由にお茶のお代わりが出来る。
 つまり配膳に加えて、客が食べている間はフリードリンクの面倒を見なければならない。
 他の客がさほど来ておらず、予約が一件なら俺一人でも対応出来るが、予約が被ったり他の客が続いたりすると、さすがに手が足りなくなる。

 それに、これはあんまり言いたくないが、アフタヌーンティーの予約を入れてくる女性客の殆どは、イケメン給仕の接待を期待しているのだ。

 似非ギャルソンエプロンを身に着けたイケメンの給仕を、"執事カフェ" とかのイメージに重ねて、眼福を楽しんでいるらしい。
 もちろん、こちらがそういうアナウンスや広告を打っている(わけ)では無いから、全くイケてない俺が給仕をしても文句を言われる筋は無いが、明らかにガッカリした顔をされれば、こちらだってガッカリ気分になる。

 なので、予約が被っていたアフタヌーンティーの給仕を、俺はシノさんに丸投げした。

 気が乗っている時のシノさんはソツがなく、似非ギャルソンスタイルもバッチリ決まっていて、俺が見たって眼福と思う。
 特に何度かアフタヌーンティーを楽しんでいるようなグループ客は、シノさんが店のオーナーで、ゲームで言うなら激レアクラスの給仕と言う事も知っている。
 料理にも給仕にも大満足と言った顔で客が去った(あと)、シノさんはいつも敬一クンが座っている椅子に座り、ミナトのやっているノートを見た。

「オマエ、こんな数字だらけのモノ見てて、アタマ痛くならないんか?」
「だって宿題だもん。やっとかなきゃ、明日学校で怒られるし」
「小学生ってのは大変だなぁ! 良かった! 俺は小学生じゃなくて!」
「柊一だって、小学生だった時があるんでしょ?」
「あったなぁ。でも、算数はやりたくないから、やってねェなぁ」
「やりたくないから、やらなくていいなんて、先生は言わないよ?」
「そらそーだ。だけど俺は、やりたくないコトはやりたくないから、やらない」
「シノさん……子供に変なコト教えるの、ヤメテよね」
「変なコトなぞ、教えてねーべ」
「柊一がメチャクチャなの、解ってるから大丈夫だよ」
(だれ)がメチャクチャだぁ〜? この口がそーいうコトを言うんか〜?」
「ひゃめろよー! ふぁなせ〜!」

 そこでシノさんがミナトと頬の引っ張り合いをしていると、店の正面入口が開いて、敬一クンが入ってきた。
 そして敬一クンの後ろからエビセンが入ってきたが、ホクトの姿は無い。

「おかえり、ケイちゃん」
「兄さん聞いてください! 天宮は酷い奴だ!」

 シノさんに詰め寄った敬一クンの様子が、先日のカンカンになっていた時とソックリだと気付いた俺は、店に客が居なかったのを幸いに、咄嗟に店の扉に "CLOSED" の札を掛けた。

「どげしたん?」
「授業の(あと)、伊吹とコーヒーを飲みに()ったんです。前回の授業に出られなかったから、ノートを見せて欲しいと言われて」
「伊吹ってゴリラ?」
「は? 伊吹は人間です」
「いや、ゴリラですよ。いいから中師、話を続けろよ、お兄さんに聞いてもらわなきゃ気が済まないんだろ」

 シノさんが座っている席とは別のテーブルを陣取ったエビセンが、簡単に補足して先を促す。

「ああそうだった。それで、最初は授業の内容を話してたんですが、途中からあのリングの話になって」
「ケイちゃん、そーゆーコトは、そうそう他人に話しちゃイカンよ」
「あいつとはセックスもしてますし。それに伊吹は、俺がトイレで個室を使っていたら、腹具合を心配してくれたんです。だから勝手に変なものを着けられて、トイレに行くのにも困っていると話したら、伊吹は真面目に聞いてくれて、外せるかどうか試してみると言ってくれたんです。それで二人でホテルに行きました」
「暗証番号知らない相手とエッチしたら、どエライコトになるって、兄さん助言したよね?」
「もちろん、俺だってそれは解ってました。でも伊吹は外せるかどうか試すと言ったんで、セックスするとは言ってません」
「ホテルに行こうって言い出した時点で、ケイちゃんとヤル気満々だったと思うけど?」
「そんな事はありえません。伊吹は誠実な男です」
「そうなん?」

 シノさんが目顔で問うと、エビセンは呆れ顔で肩を竦める。

「だけど服を脱いで、リングを見せて、伊吹に触られたりしているうちに、収まりがつかなくなってしまって……。俺が興奮したので、伊吹も俺につられてしまったようで……。なし崩しにセックスになってしまったんですが、リングがどうにもならなくて……。伊吹に中断してもらって、天宮に電話したんです。天宮は午後の授業が無かったから」
「ほうほう。そんでどうなった?」
「天宮は直ぐに来てくれたようなんですが、俺は切羽詰まってましたから、凄く待たされた気がしました。それなのに天宮は、部屋に入ってきたらいきなり伊吹に殴りかかったんです! そのまま二人は喧嘩を始めてしまって! ようやくの思いで二人の間に割って入って、とにかく緩めてくれって天宮に頼んだら……あいつ、伊吹が居る所では解錠出来ないとか言い出して! それでまた、解錠しろしないで伊吹と天宮は喧嘩になりました。仕方なく、俺は海老坂に電話したんです。でも海老坂は授業中で、来てくれるまでに一時間以上掛かって、本気で死ぬかと思った!」
「俺がホテル()っただら、伊吹と天宮はまだ怒鳴り合ってましたよ。だから俺がリングを緩めてチャチャッとヌいてやって、それで中師は無事に帰ってこられたってワケで」
「偉そうに言うな! 元はと言えばおまえ達が、こんな変な物を俺に着けた所為じゃないか!」
「おお〜、なんて色々ドラマチックな! ケイちゃん、俺もその場へ呼んで欲しかった〜!」
「それで、ホクトはどうしたの?」

 俺の問い掛けにこちらを向いた敬一クンは、そこでようやく、俺が両手で耳を塞いでいるミナトの存在に気付いたようだ。
 ミナトは顔を俯かせて宿題をやってるフリをしていたが、右手に持ったシャーペンがプルプルしちゃってるのは、隠しようも無い。

「あ、…………ミナト君は、いつからそこに……?」
「ケイちゃんが帰ってくる前から、そこでお勉強しとったよ」
「ええ!? うわ、まずい、どうしよう!」

 怒りモードから一転して、敬一クンがおろおろモードになったところへ、また正面の扉が開いた。


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 朝の準備が一段落したところで、カウンターの上に数人分の弁当が用意されていたので、俺はペントハウスに戻るのをやめて、レコード棚を整理するフリをしながら弁当を見張っていた。
 しばらくすると階段を軽い足音が降りてきて、店の奥から厨房に向かって元気に「いってきます!」と声を掛けるミナトの挨拶が聞こえ、それからランドセルを背負った小さなシルエットがフロアに飛び込んでくる。
「あ、多聞……サン。いってきます……」
 白砂サンに声を掛けたのに比べると遥かに小さなボリュームだったが、それでもミナトがそこにいた俺に気付いて、自分から挨拶してきたのは褒めるべきだろう。
「いってらっしゃい、気をつけてな」
 俺が挨拶を返すと、ミナトは小さく頷いて、店の外に飛び出して行く。
 カウンターには見向きもしなかった。
 更にそこで見ていると、敬一クンが現れた。
「あ、多聞さん、おはようございます。今朝はどうしたんですか?」
「いや、ちょっとね。敬一クンはもう登校?」
「準備しておきたい事があるので早めに行きます。食事用意してありますけど、兄さんが起きて食べ始めましたから、放っておくと多聞さんの分まで食べてしまうかもしれませんよ?」
「うん、大丈夫。ワカッテル……から……」
 まぁ、シノさんの空腹次第……なところもあるが、はっきり否定出来ない。
 俺が曖昧な笑みを浮かべて、それでもなおそこにいると、敬一クンは不思議そうな顔をしながらも、カウンターの上の弁当の蓋を閉め始めた。
「あの、敬一クン」
「はい?」
「なんでその弁当だけ、二人分包んでるの?」
「ああ、これは海老坂の分だから」
「だって、それ、二人分だよね?」
「海老坂は食べる量が多くて、弁当の他にパンやらおにぎりやら買って食べてるって話したら、それから弁当の数が増えてて。白砂さんが、余分に用意してくれてるようです」
「えーと、それ、白砂サンにちゃんと確認してる話?」
「どういう意味でしょうか?」
「実は先日コグマから、白砂サンに弁当頼んでるのになんか置いてないみたいだって、言われてさ……」
「え……? ええっ!? それは俺だ、どうしよう!」
 敬一クンは、自分がコグマの弁当をエビセンに持たせてしまっていた事に気付いたようだ。
「小熊さんと白砂さんに謝らないと!」
「それはもう、|後《あと》にしなよ、なっちゃったコトはしょうがないし。今から謝ってたら、敬一クンもコグマも遅刻しちゃうよ?」
「ああ……、そうか……」
「コグマが降りてきたら、俺から勘違いのコト言っとくよ」
「お願いします。帰ってから改めて謝罪すると伝えて下さい。じゃあ、いってきます!」
「はい、気をつけて」
 自分の弁当を掴むと、敬一クンは慌ただしく裏手に行き、カブに飛び乗って登校して|行《い》った。
 やっぱり弁当の件はコグマの早合点で、ミナトは全く関与しておらず、敬一クンのただの勘違いだった事に、俺はホッと胸をなでおろした。
 別にミナトの潔白を信じていた|訳《わけ》では無いし、俺だってミナトは、可愛げのない子供だと思ってる。
 だけど、ミナトが可愛げのない子供になったのは、そもそも彼を取り囲む環境の所為だし、頑なだった態度が随分和らいできているのも事実だ。
 そしてミナトはトラブルを起こして面白がるような、いわゆる "悪ガキ" の要素をあまり持っていない、イマドキの冷めた子供だ。
 そのミナトが気に入らない相手だからって、わざわざ嫌がらせをするとは思えなかった。
 コグマの弁当が無くなった事実は変わらないし、実は敬一クンに対して何かと引っ掛かっているコグマは、きっとクドクド文句を言うだろうが、ミナトと衝突されるよりは、事態はずっと平和だ。
§
 俺が昼メシを食うためにペントハウスで湯を沸かしていると、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「多聞さん、すみません!」
 ダイニングキッチンに駆け込んできたのは、午後のシフトに入ったばかりのホクトだった。
「どうしたの?」
「あの、ケイから連絡があって、緊急事態だから今すぐ来て欲しいって! だから俺、すぐに出たいんですけど!」
「緊急事態? なんだろう? でもまぁ、良いよ」
「すみません! |後《あと》のことよろしく!」
 言うが早いかホクトはギャルソンエプロンを外すと、脱兎の如く飛び出していった。
 俺はヤカンの火を止めて、下に降りた。
「おや? ホクト君はどうしたのかね?」
 厨房にオーダー票を持っていくと、白砂サンが不思議そうな顔をする。
「なんか、敬一クンから緊急の呼び出しがあったって言って、出掛けて行きましたよ」
「ふむ……。しかし多聞君、昼食はどうしたのかね?」
「だってランチタイムに入っちゃうでしょ? どうせ遅番の時は昼メシ2時頃食べるし……」
「そうかね。では、忙しくなる前に、そこにある試作品を少し食べておきたまえ」
 白砂サンが指差した先には、クッキーやらミニパイやら、ちんまりしたお菓子が並べられていた。
 飯の代わりに甘い物はどうかと思ったけど、せっかく勧めてもらったんだから……と俺はクッキーを1個、口に放り込んだ。
「わあ、何コレ甘くない! っていうか、甘じょっぱい?」
 スナック菓子がすごく上等になったみたいな感じで、メッチャ美味い!
「鎌倉の父上は、夏場はビールを飲む事が多いと仰るので、ビールに合うつまみを考案していたのだ」
「まさにビール欲しくなっちゃうよ。こっちのパイは……」
「多聞君、お客様がみえているようだが?」
「おっと、すんません」
 親切だが仕事には厳しい白砂サンから、ブリザードが吹き付けてくる前に、俺は慌ててフロアに戻った。
 しかし、ランチタイムが終わっても、ホクトは戻ってこなかった。
 白砂サンの試作品が無かったら、完全に昼メシを食いっぱぐれた俺の腹の虫が、フロアで情けない音を立ててしまうところだった。
 だが問題は、ミナトが学校から帰ってくるような時間になっても、ホクトが戻らなかった事だ。
 と言うか、その時間になってもキャンパスチームの|誰《だれ》も帰って来ず、滅多にない事だがアフタヌーンティーの予約がニ件被っていたので、最終兵器のシノさんまで召喚せねばならぬ事態になった。
 気が乗らないとシノさんはナマケモノ全開で、手伝いに入ってもらうだけでも至難の業だから、出来ればギリギリまで声を掛けたくない。
 だがもうそんなこと言ってられない状況だったので、敬一クンに呼び出されたホクトが戻ってこないと言ったら、珍しくすんなりフロアシフトに入ってくれた。
§
「やっぱ立ち仕事は腰にくるのぅ〜〜」
 マエストロ神楽坂はカフェなので、ランチの|類《たぐい》は出しているが、フランス料理店のようにコース料理を提供している|訳《わけ》では無い。
 だが、予約を受けて提供しているアフタヌーンティーは、タワーに盛られたお菓子や惣菜を食べながら、時間内は自由にお茶のお代わりが出来る。
 つまり配膳に加えて、客が食べている間はフリードリンクの面倒を見なければならない。
 他の客がさほど来ておらず、予約が一件なら俺一人でも対応出来るが、予約が被ったり他の客が続いたりすると、さすがに手が足りなくなる。
 それに、これはあんまり言いたくないが、アフタヌーンティーの予約を入れてくる女性客の殆どは、イケメン給仕の接待を期待しているのだ。
 似非ギャルソンエプロンを身に着けたイケメンの給仕を、"執事カフェ" とかのイメージに重ねて、眼福を楽しんでいるらしい。
 もちろん、こちらがそういうアナウンスや広告を打っている|訳《わけ》では無いから、全くイケてない俺が給仕をしても文句を言われる筋は無いが、明らかにガッカリした顔をされれば、こちらだってガッカリ気分になる。
 なので、予約が被っていたアフタヌーンティーの給仕を、俺はシノさんに丸投げした。
 気が乗っている時のシノさんはソツがなく、似非ギャルソンスタイルもバッチリ決まっていて、俺が見たって眼福と思う。
 特に何度かアフタヌーンティーを楽しんでいるようなグループ客は、シノさんが店のオーナーで、ゲームで言うなら激レアクラスの給仕と言う事も知っている。
 料理にも給仕にも大満足と言った顔で客が去った|後《あと》、シノさんはいつも敬一クンが座っている椅子に座り、ミナトのやっているノートを見た。
「オマエ、こんな数字だらけのモノ見てて、アタマ痛くならないんか?」
「だって宿題だもん。やっとかなきゃ、明日学校で怒られるし」
「小学生ってのは大変だなぁ! 良かった! 俺は小学生じゃなくて!」
「柊一だって、小学生だった時があるんでしょ?」
「あったなぁ。でも、算数はやりたくないから、やってねェなぁ」
「やりたくないから、やらなくていいなんて、先生は言わないよ?」
「そらそーだ。だけど俺は、やりたくないコトはやりたくないから、やらない」
「シノさん……子供に変なコト教えるの、ヤメテよね」
「変なコトなぞ、教えてねーべ」
「柊一がメチャクチャなの、解ってるから大丈夫だよ」
「|誰《だれ》がメチャクチャだぁ〜? この口がそーいうコトを言うんか〜?」
「ひゃめろよー! ふぁなせ〜!」
 そこでシノさんがミナトと頬の引っ張り合いをしていると、店の正面入口が開いて、敬一クンが入ってきた。
 そして敬一クンの後ろからエビセンが入ってきたが、ホクトの姿は無い。
「おかえり、ケイちゃん」
「兄さん聞いてください! 天宮は酷い奴だ!」
 シノさんに詰め寄った敬一クンの様子が、先日のカンカンになっていた時とソックリだと気付いた俺は、店に客が居なかったのを幸いに、咄嗟に店の扉に "CLOSED" の札を掛けた。
「どげしたん?」
「授業の|後《あと》、伊吹とコーヒーを飲みに|行《い》ったんです。前回の授業に出られなかったから、ノートを見せて欲しいと言われて」
「伊吹ってゴリラ?」
「は? 伊吹は人間です」
「いや、ゴリラですよ。いいから中師、話を続けろよ、お兄さんに聞いてもらわなきゃ気が済まないんだろ」
 シノさんが座っている席とは別のテーブルを陣取ったエビセンが、簡単に補足して先を促す。
「ああそうだった。それで、最初は授業の内容を話してたんですが、途中からあのリングの話になって」
「ケイちゃん、そーゆーコトは、そうそう他人に話しちゃイカンよ」
「あいつとはセックスもしてますし。それに伊吹は、俺がトイレで個室を使っていたら、腹具合を心配してくれたんです。だから勝手に変なものを着けられて、トイレに行くのにも困っていると話したら、伊吹は真面目に聞いてくれて、外せるかどうか試してみると言ってくれたんです。それで二人でホテルに行きました」
「暗証番号知らない相手とエッチしたら、どエライコトになるって、兄さん助言したよね?」
「もちろん、俺だってそれは解ってました。でも伊吹は外せるかどうか試すと言ったんで、セックスするとは言ってません」
「ホテルに行こうって言い出した時点で、ケイちゃんとヤル気満々だったと思うけど?」
「そんな事はありえません。伊吹は誠実な男です」
「そうなん?」
 シノさんが目顔で問うと、エビセンは呆れ顔で肩を竦める。
「だけど服を脱いで、リングを見せて、伊吹に触られたりしているうちに、収まりがつかなくなってしまって……。俺が興奮したので、伊吹も俺につられてしまったようで……。なし崩しにセックスになってしまったんですが、リングがどうにもならなくて……。伊吹に中断してもらって、天宮に電話したんです。天宮は午後の授業が無かったから」
「ほうほう。そんでどうなった?」
「天宮は直ぐに来てくれたようなんですが、俺は切羽詰まってましたから、凄く待たされた気がしました。それなのに天宮は、部屋に入ってきたらいきなり伊吹に殴りかかったんです! そのまま二人は喧嘩を始めてしまって! ようやくの思いで二人の間に割って入って、とにかく緩めてくれって天宮に頼んだら……あいつ、伊吹が居る所では解錠出来ないとか言い出して! それでまた、解錠しろしないで伊吹と天宮は喧嘩になりました。仕方なく、俺は海老坂に電話したんです。でも海老坂は授業中で、来てくれるまでに一時間以上掛かって、本気で死ぬかと思った!」
「俺がホテル|行《い》っただら、伊吹と天宮はまだ怒鳴り合ってましたよ。だから俺がリングを緩めてチャチャッとヌいてやって、それで中師は無事に帰ってこられたってワケで」
「偉そうに言うな! 元はと言えばおまえ達が、こんな変な物を俺に着けた所為じゃないか!」
「おお〜、なんて色々ドラマチックな! ケイちゃん、俺もその場へ呼んで欲しかった〜!」
「それで、ホクトはどうしたの?」
 俺の問い掛けにこちらを向いた敬一クンは、そこでようやく、俺が両手で耳を塞いでいるミナトの存在に気付いたようだ。
 ミナトは顔を俯かせて宿題をやってるフリをしていたが、右手に持ったシャーペンがプルプルしちゃってるのは、隠しようも無い。
「あ、…………ミナト君は、いつからそこに……?」
「ケイちゃんが帰ってくる前から、そこでお勉強しとったよ」
「ええ!? うわ、まずい、どうしよう!」
 怒りモードから一転して、敬一クンがおろおろモードになったところへ、また正面の扉が開いた。