28.可愛くない子供
ー/ー
ミナト少年はスツールに座って、マンガを読んでいた。
「ミナト、私の友達の柊一とその弟の敬一だ。多聞君は、昨日会ったね。柊一はメゾンの大家で、私の勤め先のマエストロ神楽坂という店のオーナーでもある」
子供にそこまで詳細な紹介をする必要は無さそうだが、白砂サンは必要とか相手がどうこうでなく、そこまで言わないと自分の気が済まないんだろう。
「やっほー、こんちわ! なに読んでるん?」
ミナト少年はチラとシノさんを見たが、すぐに視線をマンガに戻し、返事をしなかった。
「なあ、口は利けるンじゃろ? ちゃんとお答えしろって」
そんな子供の態度に怯まず、シノさんはミナトの隣のスツールに座った。
「別に」
「うわ、ミナミと同じ返事」
思わず言った俺を、ミナトはギッと睨んだ。
「同じじゃないもん!」
「済まない、ミナト。君がミナミの部屋に居たので、先入観が拭えないのだ」
こんな不躾な子供に、そこまで平身低頭に謝る必要も無いだろうに。
ミナトは目線を白砂サンに移した後に、ふう〜っと大きく溜息を吐いて、マンガを閉じるとスツールから降りた。
「どうしたのかね?」
「大人が居ると、めんどくさい。あっちの部屋に行っても良い?」
「そうか。いいだろう。向こうの部屋で、遊んでいなさい」
そのまま、俺達に挨拶もせずミナトはLDKから出て行った。
昨日も思ったけど、全く可愛げのない子供だ。
「もしかして、セイちゃんのその顔の傷、あの子にやられたん?」
シノさんに習って、俺と敬一クンもそこでスツールに座ると、白砂サンはまるでどっかのカウンタバーのマスターみたいにカウンターの向こう側に立って、俺達にコーヒーを淹れてくれた。
「昨夜風呂に入れようとした時に、暴れられてしまってな。だが、もう問題は無い」
「そうなん?」
白砂サンはシノさんから貰ったお土産の干物を、冷蔵庫に入れながら返事をする。
「ミナトが暴れたのは、意思の疎通が無かったからだ。知らない大人に急に服を脱がされたら、暴れて当たり前だ。私の気遣いが足りなかった。ミナトは何も悪くないよ」
「あの子いくつよ? 7歳? 8歳? そんくらいだよね、風呂ぐらい一人で入れるっしょ? セイちゃん、なんで服脱がそうとしたん?」
「風呂に入るように勧めて、着替えに私のシャツを用意し、ミナトが脱衣所で服を脱いでいる時にそれを渡そうとしたところ、ミナトが傷だらけなことに気付いた。思わず傷を見るために、服の裾をたくし上げてしまったのだ」
「それは南さんが子供に手をあげていたってことですか?」
どこまでも野次馬モードのシノさんとは真逆に、敬一クンはいつもの天然モードから、時々豹変するシビアモードになっていて、質問する口調もちょっときつかった。
「いや、違う。ミナトの傷は主に猫の引っかき傷だった。痣もあったが、殴られたのでは無く、ぶつけた痕だ。ミナミは育児放棄していただけで、暴力は振るっていない」
「なぜそう断言出来るんです、確証でもあるんですか?」
「人為的に振るわれた暴力の痕と、過失で付いた痣の違いは、身を持って知っている」
白砂サンの言葉の意味を理解して、敬一クンはハッとしたようだった。
「すみません。余計なことを言いました」
「構わん。敬一がミナトのことを、真剣に心配してくれているのは解っている。ミナトは驚いて抵抗をしたが、私が虐待家庭で育ったことを話し、傷を見るために触ったと伝えたら、ミナトの方から、暴れたことをちゃんと謝罪してくれた。私に打ち解けてくれたと思う。あの子は大変賢い子だ」
「打ち解けたって言ってるワリに、お悩み気味なのは、ナゼじゃ?」
「色々反省点が多くてな。入浴後に食事をさせたのだが、うっかり普通のメニューを食べさせてしまい、嘔吐させてしまった。それに、よほどストレスが溜まっているのか、昨夜もあまり眠れていない様子でな。……とても、痛ましい」
「ありゃま。そんで、お医者は?」
「診せていない」
「でも嘔吐したのなら、医者に診せるべきでは?」
「本人が、医者には行きたくないと言っている。話を聞いたら、この数日まともな食事をしていなかった。吐いて当然だった。ネグレクトされていたからこそ、ミナトが申告する前に気付くべきだった。私の失敗だ。落ち着いたところでスープを飲ませ、今朝はおかゆを食べさせたが、体調は悪くない。無理に受診させる必要は無いと思う」
「アマミー、あの子にメシ食わせて無かったん?」
「思うにミナミは、あの子が居ることを、忘れていたのではないかと思う」
「はあ? 自分の子供なのに?」
あんまり深入りしたくないと思っていたけど、俺は思わず訊ねてしまった。
「ミナトに聞いたところによると、あの子はミナミと殆ど顔を合わせずに居たらしい。たぶん一週間ほど前に、祖母……ミナミの母親でホクト君の伯母上だが、祖母に連れてこられて、あのマンションに置いていかれたそうだ」
「たぶんって、あの子の歳で、なんで日数がワカンナイの?」
訊ねたのは、シノさんだ。
「一週間というのは、ホクト君が伯母上らしき人を見たという話から推察している。ミナトは猫とミナミが嫌で、あの家に居る間の殆どは、クローゼットに隠れていたと言っている。ストレスで夜も眠れず、日にちの感覚が少し麻痺しているようだ。いつあのマンションに連れて来られたのか、正確に思い出せなくなっている。虐待をされた子供には、良くあることだから、ミナトが嘘を吐いている訳では無いよ」
「南さんはあの子が自分の部屋に居たことを、知らなかったんですか?」
「それは無い。祖母がミナミと引き合わせたと言っている。だがミナミはミナトに無関心で、ミナトもミナミを嫌って避けていたそうだ」
「じゃあその間ずっと、あの子は食事して無かったんですか?」
「猫用の食べ物を食べていたと言っている」
今時、ネグレクトや虐待なんて話は腐るほど耳にするが、しかしそれはあくまで遠い他人の話で、間近でそんな話を聞くとは思っていなかった。
敬一クンなど、愕然とし過ぎて絶句している。
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ミナト少年はスツールに座って、マンガを読んでいた。
「ミナト、私の友達の柊一とその弟の敬一だ。多聞君は、昨日会ったね。柊一はメゾンの大家で、私の勤め先のマエストロ神楽坂という店のオーナーでもある」
子供にそこまで詳細な紹介をする必要は無さそうだが、白砂サンは必要とか相手がどうこうでなく、そこまで言わないと自分の気が済まないんだろう。
「やっほー、こんちわ! なに読んでるん?」
ミナト少年はチラとシノさんを見たが、すぐに視線をマンガに戻し、返事をしなかった。
「なあ、口は利けるンじゃろ? ちゃんとお答えしろって」
そんな子供の態度に怯まず、シノさんはミナトの隣のスツールに座った。
「別に」
「うわ、ミナミと同じ返事」
思わず言った俺を、ミナトはギッと睨んだ。
「同じじゃないもん!」
「済まない、ミナト。君がミナミの部屋に居たので、先入観が拭えないのだ」
こんな不躾な子供に、そこまで平身低頭に謝る必要も無いだろうに。
ミナトは目線を白砂サンに移した|後《のち》に、ふう〜っと大きく溜息を吐いて、マンガを閉じるとスツールから降りた。
「どうしたのかね?」
「大人が居ると、めんどくさい。あっちの部屋に|行《い》っても良い?」
「そうか。いいだろう。向こうの部屋で、遊んでいなさい」
そのまま、俺達に挨拶もせずミナトはLDKから出て|行《い》った。
昨日も思ったけど、全く可愛げのない子供だ。
「もしかして、セイちゃんのその顔の傷、あの子にやられたん?」
シノさんに習って、俺と敬一クンもそこでスツールに座ると、白砂サンはまるでどっかのカウンタバーのマスターみたいにカウンターの向こう側に立って、俺達にコーヒーを淹れてくれた。
「昨夜風呂に入れようとした時に、暴れられてしまってな。だが、もう問題は無い」
「そうなん?」
白砂サンはシノさんから貰ったお土産の干物を、冷蔵庫に入れながら返事をする。
「ミナトが暴れたのは、意思の疎通が無かったからだ。知らない大人に急に服を脱がされたら、暴れて当たり|前《まえ》だ。私の気遣いが足りなかった。ミナトは何も悪くないよ」
「あの子いくつよ? 7歳? 8歳? そんくらいだよね、風呂ぐらい一人で|入《ハイ》れるっしょ? セイちゃん、なんで服脱がそうとしたん?」
「風呂に|入《ハイ》るように勧めて、着替えに私のシャツを用意し、ミナトが脱衣所で服を脱いでいる時にそれを渡そうとしたところ、ミナトが傷だらけなことに気付いた。思わず傷を見るために、服の裾をたくし上げてしまったのだ」
「それは南さんが子供に手をあげていたってことですか?」
どこまでも野次馬モードのシノさんとは真逆に、敬一クンはいつもの天然モードから、時々豹変するシビアモードになっていて、質問する口調もちょっときつかった。
「いや、違う。ミナトの傷は主に猫の引っかき傷だった。痣もあったが、殴られたのでは無く、ぶつけた痕だ。ミナミは育児放棄していただけで、暴力は振るっていない」
「なぜそう断言出来るんです、確証でもあるんですか?」
「人為的に振るわれた暴力の痕と、過失で付いた痣の違いは、身を持って知っている」
白砂サンの言葉の意味を理解して、敬一クンはハッとしたようだった。
「すみません。余計なことを言いました」
「構わん。敬一がミナトのことを、真剣に心配してくれているのは解っている。ミナトは驚いて抵抗をしたが、私が虐待家庭で育ったことを話し、傷を見るために触ったと伝えたら、ミナトの|方《ほう》から、暴れたことをちゃんと謝罪してくれた。私に打ち解けてくれたと思う。あの子は大変賢い子だ」
「打ち解けたって言ってるワリに、お悩み気味なのは、ナゼじゃ?」
「色々反省点が多くてな。入浴後に食事をさせたのだが、うっかり普通のメニューを食べさせてしまい、嘔吐させてしまった。それに、よほどストレスが溜まっているのか、昨夜もあまり眠れていない様子でな。……とても、痛ましい」
「ありゃま。そんで、お医者は?」
「診せていない」
「でも嘔吐したのなら、医者に診せるべきでは?」
「本人が、医者には行きたくないと言っている。話を聞いたら、この数日まともな食事をしていなかった。吐いて当然だった。ネグレクトされていたからこそ、ミナトが申告する|前《まえ》に気付くべきだった。私の失敗だ。落ち着いたところでスープを飲ませ、今朝はおかゆを食べさせたが、体調は悪くない。無理に受診させる必要は無いと思う」
「アマミー、あの子にメシ食わせて無かったん?」
「思うにミナミは、あの子が居ることを、忘れていたのではないかと思う」
「はあ? 自分の子供なのに?」
あんまり深入りしたくないと思っていたけど、俺は思わず訊ねてしまった。
「ミナトに聞いたところによると、あの子はミナミと殆ど顔を合わせずに居たらしい。たぶん一週間ほど|前《まえ》に、祖母……ミナミの母親でホクト君の伯母上だが、祖母に連れてこられて、あのマンションに置いていかれたそうだ」
「たぶんって、あの子の歳で、なんで日数がワカンナイの?」
訊ねたのは、シノさんだ。
「一週間というのは、ホクト君が伯母上らしき人を見たという話から推察している。ミナトは猫とミナミが嫌で、あの家に居る間の殆どは、クローゼットに隠れていたと言っている。ストレスで夜も眠れず、日にちの感覚が少し麻痺しているようだ。いつあのマンションに連れて来られたのか、正確に思い出せなくなっている。虐待をされた子供には、良くあることだから、ミナトが嘘を吐いている|訳《わけ》では無いよ」
「南さんはあの子が自分の部屋に居たことを、知らなかったんですか?」
「それは無い。祖母がミナミと引き合わせたと言っている。だがミナミはミナトに無関心で、ミナトもミナミを嫌って避けていたそうだ」
「じゃあその間ずっと、あの子は食事して無かったんですか?」
「猫用の食べ物を食べていたと言っている」
今時、ネグレクトや虐待なんて話は腐るほど耳にするが、しかしそれはあくまで遠い他人の話で、間近でそんな話を聞くとは思っていなかった。
敬一クンなど、愕然とし過ぎて絶句している。