表示設定
表示設定
目次 目次




3.イケメン王子

ー/ー



 MAESTRO神楽坂は、ネットの取引が主力の店だ。
 そしてコグマに告げた通り、シノさんが留守の時はカフェの営業は出来ない。

 俺は、アナログレコードの試聴コーナーの手入れをすることにした。
 店の売り文句に "ゆっくり試聴をしながら、美味しいお茶と軽食が楽しめます!" ってのを掲げているから、プレーヤーを二台、客が好きに使える形で常備している。
 軽食の部分は、キッシュの他に、煉瓦窯で焼いたピザとか惣菜パンがその日の気分次第で提供されるし、お茶は市販のティーバックだけどポットで出すから二杯半ぐらい飲めるのだ。

 もっとも、店にシノさんがいれば……だが。

 今日のようにシノさんが居ない、もしくは "気が乗らない" 日は、軽食の提供は止まる。
 だが俺が店長として店にいる限りは、試聴は可能……と言うスタイルだ。

 それ以前に、店の造りがどうみてもアナログレコードの店舗よりカフェスペースの方が広い。
 と言うのも、実はカフェの(ほう)にはかなり頼りがいのあるパトロンが付いているからだ。

 俺はそのパトロンってのを見たことが無い。
 ぶっちゃけシノさんから「出資者がいる」と聞かされているだけだ。

 ビルのリフォームをした時、シノさんは一階で真面目に店をやる気なんて、1%ぐらいしかなかったと思う。
 でもその謎の出資者と知り合ってから、閑散としていたフロアが、あっという間におしゃれカフェに変貌していた。
 その手腕にしろ、シノさんに対する肩入れの仕方にしろ、色々微妙な感じがしたので、俺はその謎の出資者を、とりあえず "エセ紫の薔薇のヒト" と呼んでいる。

 どんだけ財力があるのか知らないが、その "ぶっといパトロン" のおかげで、カフェはすっかりレトロモダ〜ンってな感じになったが。
 同じ空間に共存しているMAESTRO神楽坂の(ほう)は見劣りが甚だしくなった。
 エセ紫の薔薇のヒトは、アナログレコードにはなんの興味も湧かなかったらしく、こっちには全く出資をしてくれなかったからだ。

 ギリギリで、シノさんがどこかから調達したレコードのジャケットをおしゃれに飾って、下側にラックが付いている商品棚があるので、体裁は保たれているが。
 イマドキ、アナログレコードプレーヤーは、中古でも結構な高級品だから、メンテナンスは欠かせないのだ。

 現状、MAESTRO神楽坂の収支はギリギリでプラマイゼロ。
 シノさんのフトコロ……と言うか、俺の給料の出どころはメゾンの収入に頼っている。
 単純な話、高価なアナログレコードプレーヤーが壊れた場合、店の資金で買い替えが難しいのだ。

 俺が子供の頃、プレーヤーなんて一台三千円ぐらいで買えたが、イマドキは最低価格が一万円スタートとなる。
 この極貧古物商が、一万円をひねり出すのがどんだけ大変か? なんて、気まぐれにカフェにやってきた客には、理解できるわけもない。

 と言うか、敬一クンに聞いたら、アナログレコードって話に聞いたことはあっても、現物を見るのは初めてと言われた。
 カフェの客だって同じで、要するにプレーヤーの使い方を知らないのだ。
 だから菓子パンを食った油まみれの手で、レコードの盤面をいきなり掴む。

 なので、初心者向けに "アナログレコードの取り扱い方法(ほうほう)" とか "プレーヤーの操作方法(ほうほう)" なんかをイラストにして、貼り紙を見やすい位置に貼ろうと考えた。

 と言っても俺に画才などナイ。
 ネットで版権フリーのイラストを拾い、画像アプリで説明分と組み合わせた、ポップの親戚みたいな張り紙を作るのがせいぜいだ。
 ぶっちゃけパソコンの扱いだって、成人後に世に現れた新しいツールだから、そっちも最低限の扱い(かた)しか知らないが。
 今どきはそんな俺でも、無料のアプリを使ってなんとなく無難な出来栄えの物が仕上がるから、ありがたい。

 シノさんが(そば)に居るときに作業をすると、集めたイラストにいちいちいちゃもんを付けてくる。
 正直に言うと、こういったもののセンスに関しては、俺よりシノさんのほうが才能はあると思う。
 ただ、シノさんのセンスはハマる時にはシビれるほどビシッと決まるのだが、本人にやる気がナイ時とか、ダルダルモードの時には、腰が抜けるような結果を生むので、場合によっては頼んだことを後悔することになる。
 だからこんな些末な事務仕事は、俺がやったほうがマシな結果が得やすい。

 シノさん不在でことがスムーズに進み、意外にも予定より早めに作業が終わったので、俺はついでにごちゃごちゃの配線も整理してしまおうと考え、椅子を退かして机の下に潜り込んだ。

「あの、すみません」

 不意に声を掛けられて、俺は何も考えずに頭を上げながら、後方に振り返ろうとして、目の(まえ)に星が飛ぶ。

「ってぇ〜…」

 うずくまって配線作業をしているうちに、自分が机の下に潜り込んでいることをうっかり忘れ、後頭部をイヤってほど机にぶつけたのだ。

「すみません、急に声掛けちゃって。大丈夫ですか?」

 目を開けるとイマドキのイケメン俳優みたいな若い男が、心配そうに俺を覗き込んでいる。

「ああ、ええ、ダイジョーブ…。ええっと、今日はカフェは休みですよ」

 どう見てもロックのアナログレコード目当ての客…って感じはしなかったので、俺はそう答えた。
 MAESTRO神楽坂を営業していても、マエストロ神楽坂を閉めているのは毎度のことで、カフェ目当ての客が()るのも珍しいことではない。

「いえ、すみません。俺は客じゃないんです。道を教えてもらえると助かるんですが」

 イケメンは立ち上がろうとする俺に手を貸しながら、用件を述べた。
 口調は礼儀正しく、爽やかな笑顔が少女マンガの王子様みたいにピタッとハマっていて、まさに白い歯がキラリンと光りそうだ。
 イケメン王子は、ポケットからきちんと折りたたまれたメモを取り出すと、俺に差し出してくる。

「スマホの地図アプリを見ながら来たんですが、なんだか私道みたいなほうに案内されちゃって…」
「この辺は路地が入り組んでますから、地図アプリもあんまりアテにはならないんですよ」

 差し出されたメモの住所を見たら、イケメンの持っているスマホの地図を見るまでもなく、俺には場所が判った。

「ああ、このマンションなら、この道であってます。このまま登って()って大丈夫ですよ」
「ええっ? だってこの先って、なんかアパート? の私道みたいでしたけど?」
「あれ、公道なんで。そのまま進むと、マンションの裏側に出ますよ」
「裏? じゃあ俺、やっぱり道を間違えたのかな? メトロの東西線で行けと言われたんですが…」
「東西線でこの道なら、あのマンションの最短ルートです。初めてのヒトは戸惑うような、ほっそい路地ですけどね」
「そうですか。分かりました、ご丁寧にありがとうございます」

 イケメン王子は礼儀正しく俺に会釈して、急勾配の坂道をキビキビとした軽快な足取りで登って()った。
 なんとなくどこかで見知った態度に似てる気もしたけど、俺にはあんなイケメン王子の知り合いは居ない。
 ぶつけた頭を擦りながら、なんとなく時計を見たらもう昼を過ぎていた。
 作業に集中してると、時間が経つのが早い。
 時間を認識したら腹が減っているような気がしてきたので、俺はその場を適当に片付けて、昼メシを食うことにした。



スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 4.昼の賄い


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 MAESTRO神楽坂は、ネットの取引が主力の店だ。
 そしてコグマに告げた通り、シノさんが留守の時はカフェの営業は出来ない。
 俺は、アナログレコードの試聴コーナーの手入れをすることにした。
 店の売り文句に "ゆっくり試聴をしながら、美味しいお茶と軽食が楽しめます!" ってのを掲げているから、プレーヤーを二台、客が好きに使える形で常備している。
 軽食の部分は、キッシュの他に、煉瓦窯で焼いたピザとか惣菜パンがその日の気分次第で提供されるし、お茶は市販のティーバックだけどポットで出すから二杯半ぐらい飲めるのだ。
 もっとも、店にシノさんがいれば……だが。
 今日のようにシノさんが居ない、もしくは "気が乗らない" 日は、軽食の提供は止まる。
 だが俺が店長として店にいる限りは、試聴は可能……と言うスタイルだ。
 それ以前に、店の造りがどうみてもアナログレコードの店舗よりカフェスペースの方が広い。
 と言うのも、実はカフェの|方《ほう》にはかなり頼りがいのあるパトロンが付いているからだ。
 俺はそのパトロンってのを見たことが無い。
 ぶっちゃけシノさんから「出資者がいる」と聞かされているだけだ。
 ビルのリフォームをした時、シノさんは一階で真面目に店をやる気なんて、1%ぐらいしかなかったと思う。
 でもその謎の出資者と知り合ってから、閑散としていたフロアが、あっという間におしゃれカフェに変貌していた。
 その手腕にしろ、シノさんに対する肩入れの仕方にしろ、色々微妙な感じがしたので、俺はその謎の出資者を、とりあえず "エセ紫の薔薇のヒト" と呼んでいる。
 どんだけ財力があるのか知らないが、その "ぶっといパトロン" のおかげで、カフェはすっかりレトロモダ〜ンってな感じになったが。
 同じ空間に共存しているMAESTRO神楽坂の|方《ほう》は見劣りが甚だしくなった。
 エセ紫の薔薇のヒトは、アナログレコードにはなんの興味も湧かなかったらしく、こっちには全く出資をしてくれなかったからだ。
 ギリギリで、シノさんがどこかから調達したレコードのジャケットをおしゃれに飾って、下側にラックが付いている商品棚があるので、体裁は保たれているが。
 イマドキ、アナログレコードプレーヤーは、中古でも結構な高級品だから、メンテナンスは欠かせないのだ。
 現状、MAESTRO神楽坂の収支はギリギリでプラマイゼロ。
 シノさんのフトコロ……と言うか、俺の給料の出どころはメゾンの収入に頼っている。
 単純な話、高価なアナログレコードプレーヤーが壊れた場合、店の資金で買い替えが難しいのだ。
 俺が子供の頃、プレーヤーなんて一台三千円ぐらいで買えたが、イマドキは最低価格が一万円スタートとなる。
 この極貧古物商が、一万円をひねり出すのがどんだけ大変か? なんて、気まぐれにカフェにやってきた客には、理解できるわけもない。
 と言うか、敬一クンに聞いたら、アナログレコードって話に聞いたことはあっても、現物を見るのは初めてと言われた。
 カフェの客だって同じで、要するにプレーヤーの使い方を知らないのだ。
 だから菓子パンを食った油まみれの手で、レコードの盤面をいきなり掴む。
 なので、初心者向けに "アナログレコードの取り扱い|方法《ほうほう》" とか "プレーヤーの操作|方法《ほうほう》" なんかをイラストにして、貼り紙を見やすい位置に貼ろうと考えた。
 と言っても俺に画才などナイ。
 ネットで版権フリーのイラストを拾い、画像アプリで説明分と組み合わせた、ポップの親戚みたいな張り紙を作るのがせいぜいだ。
 ぶっちゃけパソコンの扱いだって、成人後に世に現れた新しいツールだから、そっちも最低限の扱い|方《かた》しか知らないが。
 今どきはそんな俺でも、無料のアプリを使ってなんとなく無難な出来栄えの物が仕上がるから、ありがたい。
 シノさんが|傍《そば》に居るときに作業をすると、集めたイラストにいちいちいちゃもんを付けてくる。
 正直に言うと、こういったもののセンスに関しては、俺よりシノさんのほうが才能はあると思う。
 ただ、シノさんのセンスはハマる時にはシビれるほどビシッと決まるのだが、本人にやる気がナイ時とか、ダルダルモードの時には、腰が抜けるような結果を生むので、場合によっては頼んだことを後悔することになる。
 だからこんな些末な事務仕事は、俺がやったほうがマシな結果が得やすい。
 シノさん不在でことがスムーズに進み、意外にも予定より早めに作業が終わったので、俺はついでにごちゃごちゃの配線も整理してしまおうと考え、椅子を退かして机の下に潜り込んだ。
「あの、すみません」
 不意に声を掛けられて、俺は何も考えずに頭を上げながら、後方に振り返ろうとして、目の|前《まえ》に星が飛ぶ。
「ってぇ〜…」
 うずくまって配線作業をしているうちに、自分が机の下に潜り込んでいることをうっかり忘れ、後頭部をイヤってほど机にぶつけたのだ。
「すみません、急に声掛けちゃって。大丈夫ですか?」
 目を開けるとイマドキのイケメン俳優みたいな若い男が、心配そうに俺を覗き込んでいる。
「ああ、ええ、ダイジョーブ…。ええっと、今日はカフェは休みですよ」
 どう見てもロックのアナログレコード目当ての客…って感じはしなかったので、俺はそう答えた。
 MAESTRO神楽坂を営業していても、マエストロ神楽坂を閉めているのは毎度のことで、カフェ目当ての客が|来《く》るのも珍しいことではない。
「いえ、すみません。俺は客じゃないんです。道を教えてもらえると助かるんですが」
 イケメンは立ち上がろうとする俺に手を貸しながら、用件を述べた。
 口調は礼儀正しく、爽やかな笑顔が少女マンガの王子様みたいにピタッとハマっていて、まさに白い歯がキラリンと光りそうだ。
 イケメン王子は、ポケットからきちんと折りたたまれたメモを取り出すと、俺に差し出してくる。
「スマホの地図アプリを見ながら来たんですが、なんだか私道みたいなほうに案内されちゃって…」
「この辺は路地が入り組んでますから、地図アプリもあんまりアテにはならないんですよ」
 差し出されたメモの住所を見たら、イケメンの持っているスマホの地図を見るまでもなく、俺には場所が判った。
「ああ、このマンションなら、この道であってます。このまま登って|行《い》って大丈夫ですよ」
「ええっ? だってこの先って、なんかアパート? の私道みたいでしたけど?」
「あれ、公道なんで。そのまま進むと、マンションの裏側に出ますよ」
「裏? じゃあ俺、やっぱり道を間違えたのかな? メトロの東西線で行けと言われたんですが…」
「東西線でこの道なら、あのマンションの最短ルートです。初めてのヒトは戸惑うような、ほっそい路地ですけどね」
「そうですか。分かりました、ご丁寧にありがとうございます」
 イケメン王子は礼儀正しく俺に会釈して、急勾配の坂道をキビキビとした軽快な足取りで登って|行《い》った。
 なんとなくどこかで見知った態度に似てる気もしたけど、俺にはあんなイケメン王子の知り合いは居ない。
 ぶつけた頭を擦りながら、なんとなく時計を見たらもう昼を過ぎていた。
 作業に集中してると、時間が経つのが早い。
 時間を認識したら腹が減っているような気がしてきたので、俺はその場を適当に片付けて、昼メシを食うことにした。