2.メゾン・マエストロ
ー/ー
赤ビルは、俺達が子供の頃からほとんど手入れをされていない、まるで廃墟みたいな場所だった。
実際、シノさんがサッカーくじの高額当選を果たして購入するまで、ほぼほぼ放置されていた建物だ。
神楽坂という場所は、そもそも街全部が路地路地しい路地で出来ているこちゃこちゃした場所だ。
よほどの老舗や、SNSを上手く使った宣伝でもしない限り、表通りで開店出来なければ継続するのが難しい。
飲食店なら、尚更だ。
だがこのビルには、一階に作り付けの煉瓦窯がある。
とゆーか、煉瓦窯を作りたいばかりにビル全部が赤レンガで出来ていて、 "赤ビル" の由来はそっからきてる。
元のオーナーがパンが大好きで、趣味のパン作りが高じてパン屋を始めたからだ。
しかしオーナーが亡くなり、パンを焼くヒトがいなくなったら、作り付けの窯と客商売に向かない地の利の悪さが最悪の相乗効果を生み、買い手が全くつかずに廃墟と化していたのである。
「シノさん、今日の即売会どうするの?」
即売会とは、アナログレコードの即売会のことだ。
毎月同じ日に開催されており、個人客も出入り可能だが、基本的には同業者が集まって仕入れをする催しで、場合によっては掘り出し物に遭遇するが、まぁ、そんな奇跡は滅多に無い。
「ん〜、今日は行く〜」
不思議なくらいシノさんは、こういう時に鼻が利くというか、勘が働く。
シノさんが行くと言うとそこそこの物が手に入り、乗り気で出向けば意外な掘り出し物を見つけてくるが、気が向かない時はむしろトラブルに見舞われたりするのだ。
今日の返事の具合だと、そこそこ良さげな商品が手に入りそうなんだろう。
売り手にとって最大のウィークポイントたる煉瓦窯は、シノさんにとって最大の魅力だった。
レトロモダンとは名ばかりのオンボロビルを、シノさんはサッカーくじの当選金でまるっと買い上げ、リフォームをした。
一階は、シノさんの趣味のアナログレコードの店 "MAESTRO神楽坂"。
併設のカフェは、件の煉瓦窯で焼き上げたキッシュを楽しめる "マエストロ神楽坂"。
つまるところ、即売会はシノさんの本業の "仕入れ" なんである。
§
そこそこ乗り気だったシノさんは、いざ出掛ける段になったら、愛車のスーパーカブを敬一クンに貸してしまっていることを思い出し、やや面倒くさそうにぶちくさ言いながら、ようやく出かけていった。
シノさんを見送ったところで、俺は店の鍵を開けて表の掃除を始めた。
現状、俺は "MAESTRO神楽坂" の雇われ店長という立場にある。
子供の頃から、近所で "おばけビル" として名を馳せていた赤ビルで、店長として雇われるなんて、想像もしなかった。
とはいえ、俺もシノさん同様にロック好きだし、デジタル化されていない名盤が聴けるこの仕事は、願ってもない。
シノさんの営業方針では開店休業どころか、先細って潰れるのが目に見えていたこの店は、敬一クンの登場によって低空飛行だが、なんとか仕事として成り立っている。
というのも、赤ビルは二階がテナント三階と四階は "メゾン・マエストロ" という賃貸物件だったのだが、シノさん一人だった時には、ほぼ無人だったのだ。
デキスギクンの敬一クンが、不動産屋との交渉からなにから全部手配してくれたおかげで、賃貸に入居者が現れ、シノさんの経済破綻は免れたのだ。
「おはようございます、タモンさん」
「おはよう、オグマさん」
掃除をしていると、ビルの脇道からのっそりと、コグマが姿を表す。
この人物は、メゾンの入居者のコグマこと小熊造である。
飯田橋の駅の傍にある、英会話教室の講師をしている。
一見すると、金髪碧眼でムッキムキのプロレスラーみたいな感じで、どっからどう見てもガイジン以外のナニモノでも無いのだが、生まれも育ちも両親も日本製だ。
とはいえ、数代前のジイサンだかバアサンだかにアングロサクソンが混ざっていて、先祖返りでそういう外見になっているんだと、シノさんが教えてくれた。
身長が190cmに届きそうなムッキムキの大男が "小さい熊" なんて字面なもんだから、シノさんが面白がって "コグマ" と呼んでいる。
釣られて俺もコグマと呼んでしまっているが、本人相手にさすがにそれは失礼過ぎるので、うっかり口に出さないようにするのが大変だ。
「今朝、柊一サンは?」
「即売会いって、居ないよ」
「えっ、出掛けちゃったんですか?」
「うん」
「じゃあ、カフェはお休みですか?」
「そうだね、休みだよ」
コグマはなんだか、ものすごくガッカリしたみたいな感じで、おまけに深々とため息まで吐いた。
正直に言うと、俺はこいつにさほどの好感を持ってない。
なぜなら、こいつがメゾンに入居した理由が、地の利が良くて家賃が安いってだけじゃないことを知っていたからだ。
この男は、シノさんに気がある。
といっても、危険度はかなり低い。
なぜならこの男は、色白で美形の男ならなんでも好きな、大雑把なメンクイ野郎だからだ。
それが証拠に、俺なんかコワくて声も掛けたくないエビセンを、美形というだけで自分の部屋にシェアさせている。
しかもこいつは自分の容姿にめっちゃ自信があり、声を掛けて相手がなびかなくとも、次があるからへっちゃら! みたいな強メンタルのリア充野郎なので、シノさんみたいに真っ向からお断りをしない相手には、何度でも懲りずに粉を掛ける。
「じゃあ今日は、一緒に夕食は無理ですね…」
なんだか未練がましくそんなことを言って、コグマは出勤していった。
メゾンはシノさんの趣味で、各部屋にもかなり立派なキッチンがあるのだが、自炊とは無縁のコグマは、商店街の飲食店あたりで適当なおかずを買ってきて、缶ビールで流し込む…みたいな食生活を送っているらしい。
シノさんはコグマのことを、いわゆる "いじっていい相手" と思っているフシがあり、時々ペントハウスの夕食に招いてやったりしている。
特にカフェを営業した日は、餌付けのためにキッシュを一切れ取り分けてやっていたりするから、コグマはカフェの営業日を、ことさら気にしているのだ。
だが、今日のコグマはなんだかちょっと、いつもと違うような気がした。
なんというか、キッシュが無いことが確定したがっかり…ではなくて、まるでシノさんに相談事でもあったのに、打ち明けるタイミングを逸した…みたいな様子だ。
とはいえ、ヤツはヤツで俺のことを、シノさんを口説くのに邪魔なモブ…とでも思っているっぽいのに、俺がそこまでコグマの身の上を心配してやる義理も無い。
俺は早々にコグマのことなど忘れて、開店準備に勤しんだ。
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実際、シノさんがサッカーくじの高額当選を果たして購入するまで、ほぼほぼ放置されていた建物だ。
神楽坂という場所は、そもそも街全部が路地路地しい路地で出来ているこちゃこちゃした場所だ。
よほどの老舗や、SNSを上手く使った宣伝でもしない限り、表通りで開店出来なければ継続するのが難しい。
飲食店なら、尚更だ。
だがこのビルには、一階に作り付けの煉瓦窯がある。
とゆーか、煉瓦窯を作りたいばかりにビル全部が赤レンガで出来ていて、 "赤ビル" の由来はそっからきてる。
元のオーナーがパンが大好きで、趣味のパン作りが高じてパン屋を始めたからだ。
しかしオーナーが亡くなり、パンを焼くヒトがいなくなったら、作り付けの窯と客商売に向かない地の利の悪さが最悪の相乗効果を生み、買い手が全くつかずに廃墟と化していたのである。
「シノさん、今日の即売会どうするの?」
即売会とは、アナログレコードの即売会のことだ。
毎月同じ日に開催されており、個人客も出入り可能だが、基本的には同業者が集まって仕入れをする催しで、場合によっては掘り出し物に遭遇するが、まぁ、そんな奇跡は滅多に無い。
「ん〜、今日は行く〜」
不思議なくらいシノさんは、こういう時に鼻が利くというか、勘が働く。
シノさんが行くと言うとそこそこの物が手に|入《ハイ》り、乗り気で出向けば意外な掘り出し物を見つけてくるが、気が向かない時はむしろトラブルに見舞われたりするのだ。
今日の返事の具合だと、そこそこ良さげな商品が手に|入《ハイ》りそうなんだろう。
売り手にとって最大のウィークポイントたる煉瓦窯は、シノさんにとって最大の魅力だった。
レトロモダンとは|名《な》ばかりのオンボロビルを、シノさんはサッカーくじの当選金でまるっと買い上げ、リフォームをした。
一階は、シノさんの趣味のアナログレコードの店 "MAESTRO神楽坂"。
併設のカフェは、|件《くだん》の煉瓦窯で焼き上げたキッシュを楽しめる "マエストロ神楽坂"。
つまるところ、即売会はシノさんの本業の "仕入れ" なんである。
§
そこそこ乗り気だったシノさんは、いざ出掛ける段になったら、愛車のスーパーカブを敬一クンに貸してしまっていることを思い出し、やや面倒くさそうにぶちくさ言いながら、ようやく出かけていった。
シノさんを見送ったところで、俺は店の鍵を開けて表の掃除を始めた。
現状、俺は "MAESTRO神楽坂" の雇われ店長という立場にある。
子供の頃から、近所で "おばけビル" として名を馳せていた赤ビルで、店長として雇われるなんて、想像もしなかった。
とはいえ、俺もシノさん同様にロック好きだし、デジタル化されていない名盤が聴けるこの仕事は、願ってもない。
シノさんの営業方針では開店休業どころか、先細って潰れるのが目に見えていたこの店は、敬一クンの登場によって低空飛行だが、なんとか仕事として成り立っている。
というのも、赤ビルは二階がテナント三階と四階は "メゾン・マエストロ" という賃貸物件だったのだが、シノさん一人だった時には、ほぼ無人だったのだ。
デキスギクンの敬一クンが、不動産屋との交渉からなにから全部手配してくれたおかげで、賃貸に入居者が現れ、シノさんの経済破綻は免れたのだ。
「おはようございます、タモンさん」
「おはよう、オグマさん」
掃除をしていると、ビルの脇道からのっそりと、コグマが姿を表す。
この人物は、メゾンの入居者のコグマこと|小熊《おぐま》|造《いたる》である。
飯田橋の駅の|傍《そば》にある、英会話教室の講師をしている。
一見すると、金髪碧眼でムッキムキのプロレスラーみたいな感じで、どっからどう見てもガイジン以外のナニモノでも無いのだが、生まれも育ちも両親も日本製だ。
とはいえ、|数代前《すうだいまえ》のジイサンだかバアサンだかにアングロサクソンが混ざっていて、先祖返りでそういう外見になっているんだと、シノさんが教えてくれた。
身長が190cmに届きそうなムッキムキの大男が "小さい熊" なんて字面なもんだから、シノさんが面白がって "コグマ" と呼んでいる。
釣られて俺もコグマと呼んでしまっているが、本人相手にさすがにそれは失礼過ぎるので、うっかり口に出さないようにするのが大変だ。
「今朝、柊一サンは?」
「即売会いって、居ないよ」
「えっ、出掛けちゃったんですか?」
「うん」
「じゃあ、カフェはお休みですか?」
「そうだね、休みだよ」
コグマはなんだか、ものすごくガッカリしたみたいな感じで、おまけに深々とため息まで|吐《つ》いた。
正直に言うと、俺はこいつにさほどの好感を持ってない。
なぜなら、こいつがメゾンに入居した理由が、地の利が良くて家賃が安いってだけじゃないことを知っていたからだ。
この男は、シノさんに気がある。
といっても、危険度はかなり低い。
なぜならこの男は、色白で美形の男ならなんでも好きな、大雑把なメンクイ野郎だからだ。
それが証拠に、俺なんかコワくて声も掛けたくないエビセンを、美形というだけで自分の部屋にシェアさせている。
しかもこいつは自分の容姿にめっちゃ自信があり、声を掛けて相手がなびかなくとも、次があるからへっちゃら! みたいな強メンタルのリア充野郎なので、シノさんみたいに真っ向からお断りをしない相手には、何度でも懲りずに粉を掛ける。
「じゃあ今日は、一緒に夕食は無理ですね…」
なんだか未練がましくそんなことを言って、コグマは出勤していった。
メゾンはシノさんの趣味で、各部屋にもかなり立派なキッチンがあるのだが、自炊とは無縁のコグマは、商店街の飲食店あたりで適当なおかずを買ってきて、缶ビールで流し込む…みたいな食生活を送っているらしい。
シノさんはコグマのことを、いわゆる "いじっていい相手" と思っているフシがあり、時々ペントハウスの夕食に招いてやったりしている。
特にカフェを営業した日は、餌付けのためにキッシュを一切れ取り分けてやっていたりするから、コグマはカフェの営業日を、ことさら気にしているのだ。
だが、今日のコグマはなんだかちょっと、いつもと違うような気がした。
なんというか、キッシュが無いことが確定したがっかり…ではなくて、まるでシノさんに相談事でもあったのに、打ち明けるタイミングを逸した…みたいな様子だ。
とはいえ、ヤツはヤツで俺のことを、シノさんを口説くのに邪魔なモブ…とでも思っているっぽいのに、俺がそこまでコグマの身の上を心配してやる義理も無い。
俺は早々にコグマのことなど忘れて、開店準備に勤しんだ。