確証なんてあるわけないじゃない
ー/ー
七見家でもメイド長と慕われる使用人に荷物を持ってもらい、最後に出た時からそのままにされた自室に入った途端、上着も脱がずベッドに飛び込んで顔を埋めました。
「やってしまいましたぁぁぁぁぁ!」
絶叫です。それはもう腹や肺が苦しくなるまでの全力です。
「仕方ありませんよお嬢様」
「仕方なくないですよぉぉぉぉ! 知らなかった訳じゃないんです! 一度、お写真を拝見したときとは明らかに雰囲気が違ったんですよぉぉぉぉ!」
近所迷惑もお構いなしの大声。けれど枕の柔らかな抱擁に包まれて、あまり響きません。
言い訳がましいですが、本当の事です。
吸血鬼にはかつて人間と同様に序列が存在していました。純血と呼ばれていた吸血鬼の始祖に近しいほど、その権力や権限を持ち合わせていました。
アルタリィ家は現在、始祖に最も近い血筋の一つです。現在は人間と共存、共栄関係にある為、法律や制度、特に身分は特別視されるものではなくなりましたが、持て余すほど得ていた資産、財力は健在で、それを基にして事業を起こす方や人間社会の繁栄に寄与する方、企業や事業に投資する方が家族でも複数人いるとか。
この国は愚か、世界の裏で暗躍しているなんて都市伝説が立てられるほど巨大なアルタリィ家は、同時に七見家のお得意様、大株主でもあります。
吸血鬼の方が血の提供者、つまりは眷属を使用人として雇う慣習があり、私達の家柄はその血の味を見込まれて以来、アルタリィ家や他の名家の使用人になることが伝統でした。私もそうなるはずだったのですが、血の味がすべてを狂わせたのです。
加えて、このたった数時間の蛮行の数々。気づかなかったとは言え、思いつくだけでも両手が塞がるほどの無礼を働いていました。最後の出来事がまさにその権化。
羞恥心で爆発してしまいます。足をばたつかせて、落ち着きなく二人の話が終わるのを待っていました。
その頃、下の階の応接間では、クリスカさんと父『七見 士郎』が正対して紅茶を前に、当事者抜きで談笑をしていました。
暖色の落ち着いた照明に彩られる静かな高級感を放つ一室。革張りのアンティーク調のソファーにクリスカさんは座り、秘書も兼ねる壮年の使用人がすかさず紅茶を注いでテーブルに出します。
「こちらへいらっしゃるとお電話で頂いた時は驚きましたが、光莉と一緒だったとは」
「あの子とは偶々よ。高速列車のホームで声も漏らさずに泣いているのだもの。気になるじゃない?」
「娘がお見苦しい場面を。その寛大な慈悲に感謝を申し上げます」
座ったまま一礼し、士郎はティーカップを取りました。澄んだ茜色のフレーバーティーは柑橘系の爽やかな香りを部屋に漂わせていて、クリスカさんも釣られて紅茶に口をつけました。
「先ほどの様子を見るに、道中数々のご無礼があったと見受けられるのですが、どうかお許し願いたい」
カタンとティーカップが受け皿に置かれて、クリスカさんはキョトンと士郎を見つめました。身震いして小さく笑ったのはその直後の事です。まるで思い違いを面白がっているように顔を背けて、堪えるように丸めた身体を真正面に直します。
「無礼なんてとんでもない。突然連れ出したのは私ですし、名乗らなかったのは事実。顔が本家の使用人に空似していたから、躊躇ったというのもあるのだけど」
「左様でございますか」
力強い視線がクリスカさんから返り、士郎もホッとした様子で肩の力を少しだけ抜きました。
「無礼と言えば、あなた達の方がよっぽど目に余るわ」
それを悟ってか、クリスカさんの放った一言が二人の空気を凍らせます。
「……僭越ながら、理由をお伺いしても?」
「光莉の瞳、死んでいたわ。あそこまで娘を放置するなんて、常軌を逸している、としか言えないもの」
「事情を伺われたのですね」
「数多の星が輝く空の下で洗いざらい、ね」
「追い出され続ければ、傷だらけにもなりましょう。身の程を知り、大人になればいずれ自ずと道を開いてくれると、信じて好きなようにさせてはいましたが」
刹那、クリスカさんの表情が強張りました。
「大人になる——ね。フフッ」
「何かございますか?」
「そしたら私は、まだ子供と言うことになるわよ?」
「クリスカ様が子供?」
「身の程も弁えず、屋敷を離れて好き勝手闊歩している小娘の方がよほど子供に見えないかしら。大人になれば諦めもつく、大人になれば現実を受け入れて他の道を自ら模索する。それって全員に果たして当てはまるかしら? 少なくとも光莉にはそうではないはずよ。これって余程あなたが娘に対して淡泊なのか、現実に打ちのめされ続け、傷を負った者から目を逸らすために都合の良い言い訳を重ね続けているだけかのどちらかなのよ」
傷つくことが大人になることではないと、きっぱりとクリスカさんはこのとき言い切りました。
両手を組んで、訝る士郎もそれ自体は想像に難くなかったはずです。クリスカさんも同様にそう思いました。
問うこともせず、一方的に批判的な言葉を浴びせたのも、その裏に隠した自らの失態があったからと、士郎は悩んだ様子を見せた末に白状しました。
「——私も、手を差し伸べられれば、それで良かったと思っています」
「甘やかしすぎたと思っていたの?」
「お見通しなのですね。使用人を志すのなら、もっと縛りつけて育てたほうが良かったと、後悔しています」
「だから、娘を突き放して、敢えて何も手を出さなかった。ただそれが裏目に出て、見ていられなくなった。そうなのね?」
「その通りです」
無知というのは恐ろしいと、クリスカさんの内心は総毛立っていました。
もはやすれ違いなんてレベルの話ではありません。この親子は想像以上に深刻な軋轢を抱えているように感じたのです。
なのでクリスカさんは何時か見た七見家に関する伝記の一部を記憶の片隅から掘り起こし、入れ知恵を呟きます。
「一つ、良い事を教えてあげる。あなたの娘、光莉の血に関する可能性のことよ。アルタリィ家に仕えた使用人達がすべて網羅された人事ファイルのようなものが屋敷にはあるの。勿論、複製版だけどね。好奇心が盛んだった私はその中である面白い記述を見つけたの」
「面白い記述?」
あまりに見苦しく、哀れでならないこの男にせめてもの慈悲と本来羽ばたくべき才能の再起を込めて、シニカルな笑顔で告げました。
「かつてこの家から出た者に若い頃の血は恐ろしく不味かったと書かれていた人間がいたと記述されていたの。けれどその続きにはなぜか、天寿を全うするその日まで仕えたと追記してあったわ。なぜだかわかるかしら?」
「恋慕やそれに似た感情がお互いを引き寄せたとかでは、ないのでしょうか?」
「数百年前のお話だけど、当時から我が家は縁談に関してだけは厳しいわよ? ましてや、当主の権限が一家一族の全てを掌握していたから、現代の吸血鬼一族ほど、本人の意思を尊重するなんて弛みはないし、駆け落ちシンデレラストーリーなんてしようものなら追放よ?」
ロマンチックなのは結構。さすがに命までは取らないが、戒律を乱そうものなら容赦はしない。アルタリィ家の家訓とも言うべき文化だが、現在は時代の流れで本人の意思も汲んでくれるようにはなったそうです。
真っ向から切り捨てると、紅茶で一呼吸を置いてクリスカさんはその答えを示します。
「吸血を重ねるたびに血が変化し、主だけが感じられる魔性の味になったそうなの。特異体質なんて一時は家族でも話題になったけれど、数百年間の時が経つにつれて、偶然だったと誰もが思っていた」
「特異体質……?」
「後に原因不明の突然変異と結論づけられた。その再来とも呼ぶべきかしら」
目尻を鋭く伸ばして睨むように士郎を見つめたクリスカさん。曇り始める表情にすかさず反応します。
「何か心配事でも?」
「いえ……こう申し上げるのは大変失礼に当たると存じますが……確証はあるのでしょうか?」
「確証? あぁ、そうね」
考える素振りを見せ、口角を上げました。そんなの端から分かり切っていることのように。
「あるわけないじゃない」
士郎が咽ます。唐突な不意打ちに慌てて呼吸を整えます。
「何かおかしいことでも?」
「いえ、てっきり光莉が伝記に当てはまるような体質なのだと、確信を得ているものと推測していたもので」
「可能性の話よ。境遇もその使用人と似ているし」
でなければ、二年間も吸血鬼に棄てられ続ける理由が見当たりません。そもそも吸血鬼と契りを交わした使用人の血は配偶しようともその遺伝を消滅させます。吸血鬼の唾液には血液の変容を促す作用があるのも吸血鬼の間では周知の事実で、その法則に倣えば彼女の血も不味いはずがないと、クリスカさんは長年身内が培った研究成果を根拠に考えを固めました。
「では、どのように」
「確認する方法なら簡単よ。しばらく私の旅に付いてきてもらおうと思っているの」
「気は確かなのですか?」
クリスカさんは首肯します。けれど士郎の懸念は、旅に出ることではなかったのです。
「万が一、クリスカ様の期待に適わない血であった場合、娘はどうなるのでしょうか?」
「あらぁ? 傷つけば大人になると宣っていたのは、どちら様だったかしら」
嗤います。クリスカさんは、士郎が漏らした弱みに付け込んで、好き放題に嘲笑います。言葉を失い、黙りこくってしまいました。
まるで手玉に取って遊んでいる様です。そんな嬉々とする笑みを消すためにカップの紅茶を飲み干すと、立ち上がって言いました。
「なんて、また彼女をゴミ溜めのような環境に放り出そうなんて、考えてもないんだけどね」
横で雑務をこなしていた使用人は明らかに憤り、それを鎮めるように士郎は目配せを届かせていました。けれどそこにも静かな怒りがあったことに違いありません。
ここをゴミ溜めと称したのは、クリスカさんなりに分析した彼女の感情でした。嫌悪感と諦観に満ちた顔。思い出すだけで、悪戯に切りつけられ続けた心が想起されました。
伸ばそうとしたなど、結果論に過ぎない。本人に届かなければ、尚のこと。
代弁者などと気取るつもりはなかったのですが、あまりに憐れで鈍感な彼に思わず漏らしてしまったのです。
「ただ、委ねるなら光莉本人かしらね。彼女の気持ち、意思を確かめないことには、私達の旅路も始まらないから」
「……では、そのように」
もはや止める術も隙もありません。ここで変な気を起こせば、家が傾いてしまうのではと、士郎は危惧していて、クリスカさんの一挙手一投足に振り回されるがままになっていました。
保身。眼前で見つめていると疑問が絶えませんでした。どうして彼は素直に罪滅ぼしをさせてくれと口に出さないのでしょうか。甘やかした、辛い思いをさせただのを言うのであれば、本人のそのことを未練がましく懺悔すればいい。クリスカさんは頭の片隅でそう思います。口には出しませんが。
「さてと、じゃあ早速なんだけど光莉に会わせてくれいないかしら?」
「承知致しました。ご案内して」
部屋で付き添っていた使用人に彼が一声掛けると、扉が開いて彼女の部屋へ先導します。
夜の明ける少し前、毅然と振舞うクリスカさんに頭を抱え始めた士郎。吐いた大きな溜息は痛みを重ね続けることへの呻きのような声色でした。
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絶叫です。それはもう腹や肺が苦しくなるまでの全力です。
「仕方ありませんよお嬢様」
「仕方なくないですよぉぉぉぉ! 知らなかった訳じゃないんです! 一度、お写真を拝見したときとは明らかに雰囲気が違ったんですよぉぉぉぉ!」
近所迷惑もお構いなしの大声。けれど枕の柔らかな抱擁に包まれて、あまり響きません。
言い訳がましいですが、本当の事です。
吸血鬼にはかつて人間と同様に序列が存在していました。純血と呼ばれていた吸血鬼の始祖に近しいほど、その権力や権限を持ち合わせていました。
アルタリィ家は現在、始祖に最も近い血筋の一つです。現在は人間と共存、共栄関係にある為、法律や制度、特に身分は特別視されるものではなくなりましたが、持て余すほど得ていた資産、財力は健在で、それを基にして事業を起こす方や人間社会の繁栄に寄与する方、企業や事業に投資する方が家族でも複数人いるとか。
この国は愚か、世界の裏で暗躍しているなんて都市伝説が立てられるほど巨大なアルタリィ家は、同時に七見家のお得意様、大株主でもあります。
吸血鬼の方が血の提供者、つまりは眷属を使用人として雇う慣習があり、私達の家柄はその血の味を見込まれて以来、アルタリィ家や他の名家の使用人になることが伝統でした。私もそうなるはずだったのですが、血の味がすべてを狂わせたのです。
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羞恥心で爆発してしまいます。足をばたつかせて、落ち着きなく二人の話が終わるのを待っていました。
その頃、下の階の応接間では、クリスカさんと父『七見 士郎』が正対して紅茶を前に、当事者抜きで談笑をしていました。
暖色の落ち着いた照明に彩られる静かな高級感を放つ一室。革張りのアンティーク調のソファーにクリスカさんは座り、秘書も兼ねる壮年の使用人がすかさず紅茶を注いでテーブルに出します。
「こちらへいらっしゃるとお電話で頂いた時は驚きましたが、光莉と一緒だったとは」
「あの子とは偶々よ。高速列車のホームで声も漏らさずに泣いているのだもの。気になるじゃない?」
「娘がお見苦しい場面を。その寛大な慈悲に感謝を申し上げます」
座ったまま一礼し、士郎はティーカップを取りました。澄んだ茜色のフレーバーティーは柑橘系の爽やかな香りを部屋に漂わせていて、クリスカさんも釣られて紅茶に口をつけました。
「先ほどの様子を見るに、道中数々のご無礼があったと見受けられるのですが、どうかお許し願いたい」
カタンとティーカップが受け皿に置かれて、クリスカさんはキョトンと士郎を見つめました。身震いして小さく笑ったのはその直後の事です。まるで思い違いを面白がっているように顔を背けて、堪えるように丸めた身体を真正面に直します。
「無礼なんてとんでもない。突然連れ出したのは私ですし、名乗らなかったのは事実。顔が本家の使用人に空似していたから、躊躇ったというのもあるのだけど」
「左様でございますか」
力強い視線がクリスカさんから返り、士郎もホッとした様子で肩の力を少しだけ抜きました。
「無礼と言えば、あなた達の方がよっぽど目に余るわ」
それを悟ってか、クリスカさんの放った一言が二人の空気を凍らせます。
「……僭越ながら、理由をお伺いしても?」
「光莉の瞳、死んでいたわ。あそこまで娘を放置するなんて、常軌を逸している、としか言えないもの」
「事情を伺われたのですね」
「数多の星が輝く空の下で洗いざらい、ね」
「追い出され続ければ、傷だらけにもなりましょう。身の程を知り、大人になればいずれ自ずと道を開いてくれると、信じて好きなようにさせてはいましたが」
刹那、クリスカさんの表情が強張りました。
「大人になる——ね。フフッ」
「何かございますか?」
「そしたら私は、まだ子供と言うことになるわよ?」
「クリスカ様が子供?」
「身の程も弁えず、屋敷を離れて好き勝手闊歩している小娘の方がよほど子供に見えないかしら。大人になれば諦めもつく、大人になれば現実を受け入れて他の道を自ら模索する。それって全員に果たして当てはまるかしら? 少なくとも光莉にはそうではないはずよ。これって余程あなたが娘に対して淡泊なのか、現実に打ちのめされ続け、傷を負った者から目を逸らすために都合の良い言い訳を重ね続けているだけかのどちらかなのよ」
傷つくことが大人になることではないと、きっぱりとクリスカさんはこのとき言い切りました。
両手を組んで、訝る士郎もそれ自体は想像に難くなかったはずです。クリスカさんも同様にそう思いました。
問うこともせず、一方的に批判的な言葉を浴びせたのも、その裏に隠した自らの失態があったからと、士郎は悩んだ様子を見せた末に白状しました。
「——私も、手を差し伸べられれば、それで良かったと思っています」
「甘やかしすぎたと思っていたの?」
「お見通しなのですね。使用人を志すのなら、もっと縛りつけて育てたほうが良かったと、後悔しています」
「だから、娘を突き放して、敢えて何も手を出さなかった。ただそれが裏目に出て、見ていられなくなった。そうなのね?」
「その通りです」
無知というのは恐ろしいと、クリスカさんの内心は総毛立っていました。
もはやすれ違いなんてレベルの話ではありません。この親子は想像以上に深刻な軋轢を抱えているように感じたのです。
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「面白い記述?」
あまりに見苦しく、哀れでならないこの男にせめてもの慈悲と本来羽ばたくべき才能の再起を込めて、シニカルな笑顔で告げました。
「かつてこの家から出た者に若い頃の血は恐ろしく不味かったと書かれていた人間がいたと記述されていたの。けれどその続きにはなぜか、天寿を全うするその日まで仕えたと追記してあったわ。なぜだかわかるかしら?」
「恋慕やそれに似た感情がお互いを引き寄せたとかでは、ないのでしょうか?」
「数百年前のお話だけど、当時から我が家は縁談に関してだけは厳しいわよ? ましてや、当主の権限が一家一族の全てを掌握していたから、現代の吸血鬼一族ほど、本人の意思を尊重するなんて弛みはないし、駆け落ちシンデレラストーリーなんてしようものなら追放よ?」
ロマンチックなのは結構。さすがに命までは取らないが、戒律を乱そうものなら容赦はしない。アルタリィ家の家訓とも言うべき文化だが、現在は時代の流れで本人の意思も汲んでくれるようにはなったそうです。
真っ向から切り捨てると、紅茶で一呼吸を置いてクリスカさんはその答えを示します。
「吸血を重ねるたびに血が変化し、主だけが感じられる魔性の味になったそうなの。特異体質なんて一時は家族でも話題になったけれど、数百年間の時が経つにつれて、偶然だったと誰もが思っていた」
「特異体質……?」
「後に原因不明の突然変異と結論づけられた。その再来とも呼ぶべきかしら」
目尻を鋭く伸ばして睨むように士郎を見つめたクリスカさん。曇り始める表情にすかさず反応します。
「何か心配事でも?」
「いえ……こう申し上げるのは大変失礼に当たると存じますが……確証はあるのでしょうか?」
「確証? あぁ、そうね」
考える素振りを見せ、口角を上げました。そんなの端から分かり切っていることのように。
「あるわけないじゃない」
士郎が咽ます。唐突な不意打ちに慌てて呼吸を整えます。
「何かおかしいことでも?」
「いえ、てっきり光莉が伝記に当てはまるような体質なのだと、確信を得ているものと推測していたもので」
「可能性の話よ。境遇もその使用人と似ているし」
でなければ、二年間も吸血鬼に棄てられ続ける理由が見当たりません。そもそも吸血鬼と契りを交わした使用人の血は配偶しようともその遺伝を消滅させます。吸血鬼の唾液には血液の変容を促す作用があるのも吸血鬼の間では周知の事実で、その法則に倣えば彼女の血も不味いはずがないと、クリスカさんは長年身内が培った研究成果を根拠に考えを固めました。
「では、どのように」
「確認する方法なら簡単よ。しばらく私の旅に付いてきてもらおうと思っているの」
「気は確かなのですか?」
クリスカさんは首肯します。けれど士郎の懸念は、旅に出ることではなかったのです。
「万が一、クリスカ様の期待に適わない血であった場合、娘はどうなるのでしょうか?」
「あらぁ? 傷つけば大人になると宣っていたのは、どちら様だったかしら」
嗤います。クリスカさんは、士郎が漏らした弱みに付け込んで、好き放題に嘲笑います。言葉を失い、黙りこくってしまいました。
まるで手玉に取って遊んでいる様です。そんな嬉々とする笑みを消すためにカップの紅茶を飲み干すと、立ち上がって言いました。
「なんて、また彼女をゴミ溜めのような環境に放り出そうなんて、考えてもないんだけどね」
横で雑務をこなしていた使用人は明らかに憤り、それを鎮めるように士郎は目配せを届かせていました。けれどそこにも静かな怒りがあったことに違いありません。
ここをゴミ溜めと称したのは、クリスカさんなりに分析した彼女の感情でした。嫌悪感と諦観に満ちた顔。思い出すだけで、悪戯に切りつけられ続けた心が想起されました。
伸ばそうとしたなど、結果論に過ぎない。本人に届かなければ、尚のこと。
代弁者などと気取るつもりはなかったのですが、あまりに憐れで鈍感な彼に思わず漏らしてしまったのです。
「ただ、委ねるなら光莉本人かしらね。彼女の気持ち、意思を確かめないことには、私達の旅路も始まらないから」
「……では、そのように」
もはや止める術も隙もありません。ここで変な気を起こせば、家が傾いてしまうのではと、士郎は危惧していて、クリスカさんの一挙手一投足に振り回されるがままになっていました。
保身。眼前で見つめていると疑問が絶えませんでした。どうして彼は素直に罪滅ぼしをさせてくれと口に出さないのでしょうか。甘やかした、辛い思いをさせただのを言うのであれば、本人のそのことを未練がましく懺悔すればいい。クリスカさんは頭の片隅でそう思います。口には出しませんが。
「さてと、じゃあ早速なんだけど光莉に会わせてくれいないかしら?」
「承知致しました。ご案内して」
部屋で付き添っていた使用人に彼が一声掛けると、扉が開いて彼女の部屋へ先導します。
夜の明ける少し前、毅然と振舞うクリスカさんに頭を抱え始めた士郎。吐いた大きな溜息は痛みを重ね続けることへの呻きのような声色でした。