第9話 苦渋の決断
ー/ー
あっという間の出来事に、穂高は声を震わせた。倒れた隊員の顔を見つめながら、その表情に絶望の色を浮かべている。
「なんてことだ……少量でも致死量の毒なのか? それに即効性もあるのかもしれない」
「そんな……まさか、こんなに早く……」
麻乃の声も震えていた。目の前で息を引き取った隊員は、つい先ほどまで元気に戦っていた仲間だった。その現実を受け入れることができずにいる。
「あれだけの火だ。敵兵は放っておいてもすぐに燃え尽きて動かなくなる。今は矢の届かない堤防を固めよう」
穂高の冷静な判断が、混乱する現場に秩序をもたらす。もう、なにもしてやれないとわかっていても、放っておけずに温もりが残る手を握りしめていた。まだ完全に冷たくなっていない手のひらが、生きていた証を物語っている。
「まだ退いていないやつがいたら、退かせるように。うかつに踏み込んで矢傷を負わせるな」
「わかりました!」
穂高の指示に動ける隊員たちは砂浜へと駆け出していく。その背中を見送りながら、麻乃は改めて戦場の惨状を目の当たりにした。見開いたままで動かなくなった隊員たちの目を、麻乃はそっと閉じてやった。一人一人の顔に苦悶の表情が浮かんだままだ。それぞれに家族がある。麻乃にとっても、隊員たちは家族同然の存在だった。抑えきれない憤りに体が震え、叫び出しそうになる。
(こんなことをしている場合じゃない……しっかりしなきゃ!)
自分を奮い立たせるように言い聞かせ、立ち上がった視線の先で、川上が敵兵を相手にしていた。その動きがいつもより鈍く見える。川上の背中が小さく丸まり、落ちた刀が砂浜に突き立った。
(斬られた!? まずい!)
心臓が跳ね上がるような恐怖を感じながら、すぐさま駆け寄り、刀を抜きざまに逆袈裟で敵兵を斬り倒し、また動き出さないように足も斬り落とした。返り血が顔にかかり、鉄の匂いが鼻を突く。
斬られた様子もなく、大きな怪我も見当たらない川上の姿に、ホッとため息が漏れる。しかし、その安堵も束の間だった。汗を拭って大きく息を弾ませている川上の腕を掴んで引き寄せた。
「射かけられているのは毒矢らしい。ここにいちゃあ危ない。いったん、堤防まで下がるよ!」
麻乃の声には緊迫感が込められていた。先ほど目の前で倒れた隊員の最期を思い出し、同じことが川上に起きてはならないという強い思いが胸を支配する。
「毒矢って……隊長、俺……俺……」
川上の表情がサッと曇り、右手を見つめた。その視線には恐怖と諦めが混じっていた。その視線に釣られて麻乃も川上の右手を見た。手首の少し上から血が流れている。小さな傷だが、その意味するところは重大だった。
「――当たったのか!」
麻乃の問いに、川上が小さくうなずく。その瞬間、ぐらりと目の前が揺れた。世界が一瞬で色を失ったような気がする。
(即効性もあるのかもしれない)
穂高の言葉が頭をよぎる。あの隊員たちの死に様が脳裏に蘇り、恐怖が麻乃の心を支配した。
即効性があるのなら、迷っている暇などない。しかし、その選択肢は残酷すぎた。
(だけど、でも――!)
体中から冷や汗が噴出しているように感じる。手のひらが湿り、心臓の鼓動が耳に響く。掴んだ腕が震えているのは、麻乃が震えているからなのか、川上が震えているからなのかさえもわからないほど、感覚が麻痺している。二人の恐怖が混じり合い、区別がつかなくなっていた。
つと視線を上げると、川上の目が真っ直ぐに麻乃を見つめていた。
その表情は、覚悟を決めたかのように見える。まだ若い川上の顔に、死を受け入れたような静けさが宿っている。
ギュッと目を閉じた川上は、そのままスッと右腕を水平に上げた。それがなにを意味するのか、言われなくてもわかる。毒が回る前に、自分の腕を斬り落としてくれという無言の懇願だった。
「許せ、川上――」
麻乃はそう呟くと、刀を抜き放って肩口近くから一気に腕を斬り落とし、刀を投げ捨ててシャツの袖を引き裂いて傷口を固く縛り上げた。刀が肉を断つ感触が手に残り、吐き気がこみ上げてくる。
目の前にいる川上の叫び声が、麻乃の耳には遠くで響いているようにしか聞こえない。現実を受け入れることを拒否するかのように、感覚が遠のいていく。
声を聞きつけた穂高の隊員たちが駆け寄ってきて川上を背負うと、落ちた腕を拾って堤防へと駆けて行った。血に染まった砂浜に、川上の腕が残した跡が生々しく残っている。穂高が素早く指示を出し、そのまま医療所へ運ばれていくのを、麻乃は黙ったまま見送った。
心臓を鷲掴みにされたように胸が痛み、気が狂いそうなくらいの怒りが湧き上がる。自分の手で仲間を傷つけなければならなかった無力感と、敵への憎しみが入り混じる。目の前が暗転して倒れそうになるのを必死に堪えた。
(こんなときに……落ち着け、気を失っちゃだめだ!)
高ぶる気持ちを抑えようとして自然と呼吸が荒く、浅くなる。
全身の毛が逆立つような感覚、ざわついて全身を駆け巡る血の勢い、頭の芯が痺れるように痛んだ。
突然、地を揺るがすような轟音が響き、麻乃はハッとして身を縮めた。
「今度はなに――!?」
高ぶっていた感情が、すっと引いていく。
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「なんてことだ……少量でも致死量の毒なのか? それに即効性もあるのかもしれない」
「そんな……まさか、こんなに早く……」
麻乃の声も震えていた。目の前で息を引き取った隊員は、つい先ほどまで元気に戦っていた仲間だった。その現実を受け入れることができずにいる。
「あれだけの火だ。敵兵は放っておいてもすぐに燃え尽きて動かなくなる。今は矢の届かない堤防を固めよう」
穂高の冷静な判断が、混乱する現場に秩序をもたらす。もう、なにもしてやれないとわかっていても、放っておけずに温もりが残る手を握りしめていた。まだ完全に冷たくなっていない手のひらが、生きていた証を物語っている。
「まだ退いていないやつがいたら、退かせるように。うかつに踏み込んで矢傷を負わせるな」
「わかりました!」
穂高の指示に動ける隊員たちは砂浜へと駆け出していく。その背中を見送りながら、麻乃は改めて戦場の惨状を目の当たりにした。見開いたままで動かなくなった隊員たちの目を、麻乃はそっと閉じてやった。一人一人の顔に苦悶の表情が浮かんだままだ。それぞれに家族がある。麻乃にとっても、隊員たちは家族同然の存在だった。抑えきれない憤りに体が震え、叫び出しそうになる。
(こんなことをしている場合じゃない……しっかりしなきゃ!)
自分を奮い立たせるように言い聞かせ、立ち上がった視線の先で、川上が敵兵を相手にしていた。その動きがいつもより鈍く見える。川上の背中が小さく丸まり、落ちた刀が砂浜に突き立った。
(斬られた!? まずい!)
心臓が跳ね上がるような恐怖を感じながら、すぐさま駆け寄り、刀を抜きざまに逆袈裟で敵兵を斬り倒し、また動き出さないように足も斬り落とした。返り血が顔にかかり、鉄の匂いが鼻を突く。
斬られた様子もなく、大きな怪我も見当たらない川上の姿に、ホッとため息が漏れる。しかし、その安堵も束の間だった。汗を拭って大きく息を弾ませている川上の腕を掴んで引き寄せた。
「射かけられているのは毒矢らしい。ここにいちゃあ危ない。いったん、堤防まで下がるよ!」
麻乃の声には緊迫感が込められていた。先ほど目の前で倒れた隊員の最期を思い出し、同じことが川上に起きてはならないという強い思いが胸を支配する。
「毒矢って……隊長、俺……俺……」
川上の表情がサッと曇り、右手を見つめた。その視線には恐怖と諦めが混じっていた。その視線に釣られて麻乃も川上の右手を見た。手首の少し上から血が流れている。小さな傷だが、その意味するところは重大だった。
「――当たったのか!」
麻乃の問いに、川上が小さくうなずく。その瞬間、ぐらりと目の前が揺れた。世界が一瞬で色を失ったような気がする。
(即効性もあるのかもしれない)
穂高の言葉が頭をよぎる。あの隊員たちの死に様が脳裏に蘇り、恐怖が麻乃の心を支配した。
即効性があるのなら、迷っている暇などない。しかし、その選択肢は残酷すぎた。
(だけど、でも――!)
体中から冷や汗が噴出しているように感じる。手のひらが湿り、心臓の鼓動が耳に響く。掴んだ腕が震えているのは、麻乃が震えているからなのか、川上が震えているからなのかさえもわからないほど、感覚が麻痺している。二人の恐怖が混じり合い、区別がつかなくなっていた。
つと視線を上げると、川上の目が真っ直ぐに麻乃を見つめていた。
その表情は、覚悟を決めたかのように見える。まだ若い川上の顔に、死を受け入れたような静けさが宿っている。
ギュッと目を閉じた川上は、そのままスッと右腕を水平に上げた。それがなにを意味するのか、言われなくてもわかる。毒が回る前に、自分の腕を斬り落としてくれという無言の懇願だった。
「許せ、川上――」
麻乃はそう呟くと、刀を抜き放って肩口近くから一気に腕を斬り落とし、刀を投げ捨ててシャツの袖を引き裂いて傷口を固く縛り上げた。刀が肉を断つ感触が手に残り、吐き気がこみ上げてくる。
目の前にいる川上の叫び声が、麻乃の耳には遠くで響いているようにしか聞こえない。現実を受け入れることを拒否するかのように、感覚が遠のいていく。
声を聞きつけた穂高の隊員たちが駆け寄ってきて川上を背負うと、落ちた腕を拾って堤防へと駆けて行った。血に染まった砂浜に、川上の腕が残した跡が生々しく残っている。穂高が素早く指示を出し、そのまま医療所へ運ばれていくのを、麻乃は黙ったまま見送った。
心臓を鷲掴みにされたように胸が痛み、気が狂いそうなくらいの怒りが湧き上がる。自分の手で仲間を傷つけなければならなかった無力感と、敵への憎しみが入り混じる。目の前が暗転して倒れそうになるのを必死に堪えた。
(こんなときに……落ち着け、気を失っちゃだめだ!)
高ぶる気持ちを抑えようとして自然と呼吸が荒く、浅くなる。
全身の毛が逆立つような感覚、ざわついて全身を駆け巡る血の勢い、頭の芯が痺れるように痛んだ。
突然、地を揺るがすような轟音が響き、麻乃はハッとして身を縮めた。
「今度はなに――!?」
高ぶっていた感情が、すっと引いていく。