―セクション1―
終礼が終わると、研矢はすぐさま学校を出て、駅のロータリーに向かった。
ケリアが車で待ってくれており、そのまま病院へ向かう。
「南波記念病院なのか」
見知った建物の中に車は入って行った。
次に来る時は弓佳の最期の時かも知れないと思っていた研矢は、不思議な縁を感じた。
ケリアは総合受付に寄ることなく病院奥に向かう。
「病室はどこだ?」
「別館だ」
「え? あいつ、別館にいるのか?」
別館のVIP病室は、弓佳も利用しているが、それは松宮家の資産があるからこそだ。庶民が借りられる金額の病室ではない。
「副室長が私費で一フロア借り上げていて、ボスがいつでも使える状態になっている」
「私費⁉︎」
「治療や検査費は国から出るが、VIP病室の費用は出ないからだ」
「――あの人、金持ちなんだな」
「相当の資産家らしい。詳しくは知らないが」
「へぇ」
研矢は感心しながら、ケリアと共に別館へ向かう。慣れた道のりだ。
ケリアが五階のボタンを押した。
五階に着くと、アイビーが小さな手足をちょこちょこと動かして近付いてきた。
「来てくれてありがとう」
「いや、こっちこそ。守ってもらったり、助けてもらったり、足引っ張って――悪かったな」
貴島に早く戻れと言われた時にすぐに戻っていれば、何事もなかったかもしれないと思うと、悔やまれて仕方がない。
「我々の仕事だ。仕事をして謝られても困る」
「そうか。なら――ありがとう、助けてくれて」
研矢は言い直した。
アイビーが「どういたしまして」と笑いを含んだような口調で返してきた。
(ロボット、なんだよな……)
カスミが自分たちは特別と言っていたが、彼らには本当に心があるようだと思う。
研矢はケリアとエレベーターホールで分かれ、アイビーと共に病室に向かった。
「ケンヤ、タイトの母親の事だが、何か聞いたことはあるか?」
「えっと、ヒューマン型ロボットが嫌い、って言ってたか……それぐらいかな」
「そうか」
「なんだよ」
「いや――タイトの母のリリコさんは、しっかり者の優しい良い母だ」
研矢は立ち止まった。前を行くアイビーが止まったからだ。
「ただ、心を病んでいる」
研矢は息を呑んだ。
「それは大杜の父親と兄貴に関係してるのか?」
「とても」
「……そうか」
大杜にとっての父と兄ということは、母にとっては、夫と息子ということだ。
「二人とも、ヒューマン型の業務ロボットに殺された」
研矢はなんと答えて良いかわからず、両手をぐっと握り締めた。
「彼女は夫と息子が死ぬことになった警察官という存在が嫌いだ」
「お前らの存在、全否定だな……」
「そういう事だ。私はこの姿だとかろうじて彼女の逆鱗に触れずにいられるが」
アイビーが再び歩き出したので、研矢は慌てて付いて行く。
「息子が特務員であることに彼女は反対しているが、タイトが母にそのことを意識させないように慎重に暮らすことで、なんとかやり過ごしているんだ。ただ、取るべき行動を誤ったり、今回のように入院するような事態になると、家族を失う恐怖を思い起こさせるのか、パニックにさせてしまう」
その時、ガシャンという何かが壁にぶつかる音がした。
「もういや、もういやよ!」
廊下の先から、甲高い叫び声が響いた。
「どうして、言うことが聞けないの⁉︎ なぜあえて危ない事をしようとするの⁉︎ 家にいて大人しくしていなさいと言ってるだけじゃない‼︎」
病室の扉は会社の重役室のような重厚な木製で、声はそこから漏れていた。
「あれが大杜の母親か?」
「ああ。さっきタイトが起きたから、そこからずっとああだ。心配ゆえではあるんだが――」
「助けに入らないのか?」
「私にそんな力はない。口出しすれば火に油を注ぐようなものだ。落ち着かせることができるのは、大杜とパートナーだけだ」
「パートナー? 再婚してるのか。大杜の義理の父ってことだよな?」
「ああ。もうすぐ来ると思うが――事後処理が長引いているんだろう」
「もう二度と、二度と危険な事はしないで……それだけよ、それしか求めてないのに、どうして母さんのたったひとつのお願いを聞いてくれないの……」
最後は泣き声になっていく。
研矢は居た堪れずに逃げ出したい気持ちになった。
(俺でもそうなのに、大杜はどんな気持ちでこの言葉を聞いているんだろう……)
研矢が立ち尽くしていると、不意にポンと肩が叩かれた。
「やぁ、研矢君。来てくれてありがとう」
「……紀伊国さん……」
紀伊国は優しい目を向けていた。
「君がそんな辛そうな顔をする事はないんだよ」
そう言うと、紀伊国は躊躇なく両開きの扉をぐいと押し開けた。
「梨々子さん、ここは辛いでしょう? さ、帰りましょう」
大杜の胸に顔を埋めている女性が顔を上げ、振り返った。
泣き腫らした目と虚ろな表情だ。
「……了介さん……」
「大杜には休息が必要だよ。今は休ませてあげて。そしてあなたにも休息が必要だ」
紀伊国はそう言うと、倒れていた椅子を元に戻し、持ってきた紙袋をその上に置いた。そしてベッドの上の大杜にしがみつく彼女を引き剥がし、抱き締め、背中を撫でた。
彼女はしばらく嗚咽を上げていたが、ほどなく意識を失い、両足から力が抜けたように崩れた。
驚いている研矢をよそに、紀伊国は梨々子の両足を掬い上げた。いわゆるお姫様抱っこと言うやつだ。
「ありがとう、父さん」
「父さん⁉︎」
大杜の言葉に思わず声を上げた研矢を、大杜は不思議そうに見てから、呆れたように紀伊国の方を向いた。
「もしかして、父さん、自己紹介してないの?」
「あー、そう言えば、高犯対の副室長としか名乗ってなかったなぁ」
彼は笑うと、研矢に向き直った。
「大杜の義理の父の、佐々城了介だよ。戸籍は佐々城姓なんだが、室長と同姓だとややこしいから、普段は旧姓を名乗ってる。君もそっちで呼んでくれるかい」
「あ……はぁ」
「それじゃ梨々子さんのことは私に任せて、大杜――いや、室長はここで一日ゆっくりして下さい」
「え⁉︎ 家に帰ります!」
「駄目です。あと検査も受けておいて下さい」
「でも、カスミの事もあるし、学校も!」
「カスミはまだ猶予があるでしょう? 学校は――」
紀伊国は研矢を振り返る。
「強力な助っ人がいるんじゃないですか?」
紀伊国の視線を受けた研矢は頷いて、大杜を見やった。
「勉強の事は心配すんな。ノートも取っとくし、遅れた分は見てやるから、ゆっくり休めって」
「……うん……」
友人に説得されると大杜は嫌と言い切れず、諦めて頷いた。
紀伊国は破顔した。
「その紙袋、お菓子が入ってるから、二人で食べてね。それじゃあ、また明日」
「はい。母さんのこと、よろしくお願いします」
紀伊国は梨々子を抱え直して頷いた。
二人が部屋をあとにすると、アイビーが扉を閉め、大杜はベッドを下りて大きなソファーに移動する。
研矢は向かいのソファーに腰掛けた。
「起きて大丈夫なんだな?」
研矢は改めて大杜の様子を伺った。顔色は良くなってはいたが、自分のせいもあるという思いから、色々と気掛かりだ。
「うん。いつも数時間眠れば回復するんだ。もう大分戻ったよ」
「でも検査が必要なんだろ」
「それは毎月受けてるやつ。能力における消耗は未知だから、どんな影響が出るかわからない。休めば回復するけれど、それと長期的な体への影響とは別問題だから」
「そうか。その様子なら、今のところ何もないんだよな」
「そう――このまま何もないといいんだけど……」
アイビーが紀伊国が持ってきた袋を大杜に届ける。
「ないに越した事はないが、あったときにすぐに対処できるよう、定期的な検査は欠かせないし、眠れば回復するとわかっていても、消耗が激しい時は、医師の判断を仰ぐことが大切だ。――カスミの件は明日の午後でいい。それまでは休め」
「わかったよ」
大杜が頷いた直後、思い出したとばかりに研矢が声を上げた。
「そうだ、カスミ‼︎ 紀伊国さんから、大丈夫だとは聞いてたけど、本当なんだよな?」
「うん、カスミは大丈夫だよ」
「良かった。あんな状態だったから絶望的だと思ったんだ」
「人間だったら絶望的だったと思う。君でなくて良かったよ」
大杜が苦笑した。
「キューレイシリーズはね、心や記憶、人間で言えば魂みたいものを持っているんだ。俺はそれを核と呼んでいて、それを他のボディに移すことができる。今回はカスミの核を他のボディに移し替えて救出したんだよ」
「そうだったのか。じゃあ、お前の部下は死ぬようなことはないんだな」
「ううん。死に値する状況はあるよ。核が霧散するまでの時間は十五分程度。その間に新しいボディに移せなければ消滅してしまう」
「だから、急いでたのか」
研矢は、慌ただしくヘリで飛び立っていった様子を思い出す。
「うん。あと核の移し替えは上書きだから、例えばカスミの核をケリアに乗せたら、ケリアが消えてしまうんだ。――あとはリセットかな。ヒューマン型を強制的に止める手段として、強制シャットダウン、またはリセットする事が稀にあるけど、これらはキューレイにとっては死と等しいんだ」
「なんだ……結構死ぬ可能性高いんじゃねぇか」
研矢は顔をしかめた。
「まぁね。実際、死んだキューレイシリーズはゼロじゃない、から……」
大杜はきゅっと唇を噛み締める。
アイビーが何か言い掛けたのを、大杜は手で制した。
「で、カスミは今、他の核を保有できる能力を持った部下の中で保管されてる。保有期限は四十八時間。それ超えると、保有している側が上書きされて、そっちが失われてしまうから、それまでにはカスミを新しいボディに移さなければいけない」
「猶予が――って、その四十八時間のことか」
「そう。ヘリに乗っていた彼――ホーソンって言うんだけど、彼が他の核を保有できる唯一の機体だよ。誕生してまだ一年ちょっとだけどね。それまでは破損した方を持ち帰ってたけど、十五分以内に対応するのはリスクが高かった……。でもホーソンが生まれたことで、彼が現場に赴き、俺がその場で対処することが可能になったから、消失の危険性が圧倒的に下がったんだよ」
「そうなのか。そいつもすげぇんだな。――ちなみに、上書きを気にしなければ、核はどんな機体にでも載せ替えることができるのか?」
「人工知能が備わってる機体にならね。ただ、代替は一時的な利用だよ。それぞれの個体が自我の一致するボディで誕生してるから、最終的には本人用のスペアボディに移すよ。そうでないとパフォーマンスが低下するからね」
「自我が一致するボディ?」
「生まれた時のデザイン、性能、性別――とかだね。人間で例えるなら、一時的に他性を演じることはできても、性転換を受け入れることはできないでしょ。全く形の異なる機体に移すと言うのは、そういうレベルの問題になるんだ」
研矢は苦笑した。
「結構センシティブな話なんだな」
「そうだね。簡単に見た目をポンポン変えたり、命を救ったりすることはできない、って点は、人と同じような感じだよ」
「ああ。改めてカスミを救えて良かった。――そういえば、あいつ、花鈴と仲良くなってたぞ」
研矢が言うと、大杜が楽しそうに笑う。
「カスミって、見た目は俺に似てるけど、人間の俺よりも人付き合いが上手なんだ。誰とでもすぐに仲良くなれるし、うらやましいよ」
大杜は紀伊国が持ってきた袋を開けた。
「なんかいろいろと入ってるよ。生菓子もあるね。食べるならコーヒーでも淹れてもらうけど、どうする?」
「いや、お前の顔見に来ただけだし、もう帰るよ」
「そう? じゃ冷蔵庫にでも入れとくか――」
大杜はそう言って立ち上がったが、ふと思い出したように、
「そういえば、研矢の身内の人、ここに入院してるんだっけ? このあと寄るの? このお菓子持ってく?」
「え、あーいや、そうだな……」
研矢は口籠もった。
「ごめん、失礼だった?」
「いいや。なんて言うか――俺、そいつのことが苦手で、だから寄るつもりはなかったんだけどさ……」
身内の死をいまだ乗り越えられずにいる大杜の母の姿を思い出すと、まだ生きているのに会うことを避け、妹の存在を無いようにして過ごしてきた自分が愚かに思えてくる。
――会わずにいたことを、後悔する日が来るのだろうか。
「俺もちゃんと向き合わなきゃいけないよな……」
研矢は自虐的な笑みを浮かべ、頬を掻いた。
「……寄って帰るよ。でもそいつ、食いもん持ってっても食べれないんだ」
「え?」
「生まれてから一度も目覚めたことのない双子の妹でさ。余命もあと半月と言われてる」
大杜が息を呑んだ。
「昔から、あいつを見るのが苦手だったんだ。片割れなのに、俺だけこうやって人生を謳歌してんのが気まずいって、無意識に思ってんのかもな」
研矢は少しふざけるように言ったが、大杜は難しい顔をして唇を引き結んだままだ。
「そんな顔するなよ」
「ごめん……」
「まぁ気にするなって言っても、こんな話されちゃ気にしちまうよな。悪かった」
大杜は首を振ってから、研矢を見つめた。
「いつか、俺も君の半身に会ってみたいな……」
いつかと言っても、余命半月では機会はないかも知れないと大杜が思っていると、研矢ははっとしたように顔を上げた。
「なら、一緒に来てくれねぇか?」
「え、いいの?」
「いいっていうか、心強くて助かるって言うか――。かっこ悪ぃけど、ほんと苦手なんだ、あいつのこと」
「そんな風に感じるのも不思議だね。――似てる?」
「いいや、まったく。――お前はどうなんだ? 兄貴と」
大杜は「ああ」と頷いた。
「父さんにも兄さんにも似てきたって言われるよ。だからなおさら、母さんは神経質になっていくんだと思う」
大杜はアイビーを見やる。
幼い日、アイビーをプレゼントしてくれたのは、亡き兄だった。