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第1回

ー/ー



●魘  魅

「せめてこれをお持ちになってください」

 返した鏡片と交換のように朱廻に手渡された破魔の剣を腰に()いて、セオドアは町へ続く暗い水路に踏み入った。

 先頭を行く朱廻の手にしたたいまつや、両壁にぽちぽちと生えている水苔がわずかに燐光を発してるおかげで完全な暗闇というわけではないが、肉眼ではやはり細々とした判別はつきにくい。
 町の各所に設置されている井戸や農業用水路につながっているという支路を横目に走るセオドアのとなりに、最後尾を走っていたエセルが並んだ。

「なあ、セオドア」
「なんだ?」

 問いつめるのはやめたものの、不機嫌さまでは忘れ切れない。大部分の関心は周囲に配っていて、その片手間だというふりをしながら応じる。
 エセルは全く気にしていない様子で続けた。

「訊こう訊こうとは思ってたんだけど。おまえさ、魅魎が怖くないのか?
 退魔師として訓練を受けてきたといっても、実地訓練を受けたこともない、今のおまえは知識と心得があるだけなんだろ?」

 先を行く朱廻に聞こえない程度には気をかけた声で、こそっと訊いてくる。

 魅魎――中でも中級に属する魅妖・魘魅は下級魅魎である魎鬼たちと違って退魔師でもおいそれとは手を出せない、強大な力を持つ非情な存在だ。対して、その脅威にさらされる人間のほうはあまりに弱く、非力。
 いつ襲われるともしれない不安な日々を送る彼らの心のより所とされる退魔師は、しばしば超人的な存在として――普通の人以上の力を持つ者として、羨望の眼差しで見られることがある。そのだれもが、彼らもまた自分たちと同じ、生身の『人』であることを喪失しやすい。

 負の気を識別でき、魔断と感応することができるというだけの、ただの人間であることを。

 そして退魔師本人もまた、忘れがちなことだった。人を助けられる力を持っていても、それが『助けられるかもしれない』力でしかないことを……。

「……おまえは?」
「俺はいいの。自分のことは分かってるから。
 俺が知りたいのは、おまえの考えだ」

 勝手な物言いだな、と小声で非難しておいて。それから、ぼそりとつぶやいた。

「怖いよ」

 言葉にして、はっきりと認めることをためらう声だった。

「相手は今、この瞬間にもこの身を引き裂くことのできるやつだ。怖くないはずがない。
 でも、もっと怖いことがあるから――」

 エセルを相手に、これ以上どう言えばいいのか分からなくて、それ以上続けるのはやめた。分からないことを無理に引き延ばして言葉をつなげても、見苦しいだけだ。

 ただ、逃げてはいけないのだ、と思う。それはこの状況からでも、自分に干渉してくるわけの分からない力からでもない。
 それはもしかすると、ずっと退魔師としての適性を疑ってきた、自分自身からなのかもしれない。よく分からない。けれど、今逃げれば自分は『これから』すら失ってしまうのだということだけは、はっきりと分かっている。

「ふうん」

 思い沈むセオドアに、エセルがそう返す。
 それは、セオドアのした返答にとりあえず納得しておいてやろう、というもののようでもあり、本当の意をすでに見抜いた上で、今はそういうことにしておいてやろうと言っているようでもある、微妙なものだった。

「そういうおまえは、どうしてついてきた」

 ムッときて、突っかかっていったセオドアに、エセルは、おや、と首を傾げる。

「もう言ったよ? 放っておけないって」
「茶化すんじゃない」

 そんな理由でたやすく自分の命を賭けられるようなやつか、おまえが!

 のらりくらりと、どこまでも自分のことには不真面目なエセルに腹を立て、とがめる。
 そんなセオドアの反応に、エセルは意外そうにことさら大きく目を丸めて、芝居がかった仕草で胸に手をあてた。

「そんなふうに思われていたなんて心外だなあ! 心からの言葉だったのに、信じてくれていなかったなんて!
 ああ、今、俺のガラスのハートにひびが入ったよ」
「……そういうところが信用ならないんだ」

 エセルはふっとため息をつき、

「おまえの周りにいたやつって、クソつまんない、お堅いやつなんだろうな。すげー想像つくわ」

 いら立たしげに吐き捨てた。

「なんだと!?」
「べつに茶化してなんかいないって。おまえって世間知らずでちょっと生真面目すぎて、危なかしいところがあるからな。
 昨夜の様子からして、まるっきり自分の安全無視して突っかかっていくんじゃないかとどうにも心配で。その点、俺がいたらフォローできるだろ? 俺は自分の身がすごく可愛いから、その余った分をセオドアにもわけてやれるし」

 ……たしかに声だけを聞いて判断すれば真面目に言っているかもしれないが、その分今度は内容に腹が立つ!

「もういい」

 まだ何か言いたそうだった会話を強引に断ち切って、セオドアは走る速度を速めた。

 とぼけたことばかり言って。ほんとに、口ばかり回って……どうせ、本当のところは金の心配なんだろう。ちゃっかりしているからな。わたしが死んで、弁償金が回収できなくなるのを心配しているに決まってるんだ。変に魅魎の力を侮っているところがあるからな。
 ああいうやつは、一度手ひどく魅魎に弄ばれて、瀕死の大怪我でも負ってみるといいんだ。そうすればこれから多少なりと警戒心が増すだろう、いい薬というやつだ。

 大体だ。わたしが何の考えもなしに無茶をしていると思っているところが、一番気にくわない。わたしだってちゃんと考えているんだ。でなければ朱廻にあんなこと言っていた自分が、こんな真似するわけないじゃないか。それをなんだ、あいつは、決めつけやがって……!

 などなど。背後のエセルへの不平不満を胸の中でぶつぶつつぶやきながら先を進んでいたセオドアだったが、ふと、心に触れる何かを感じて足を止めた。

 五感でも直感でもない、言うなれば生まれついてのもう1つの感覚が、横に開いた支路から嫌な気配を……いや、そこまでもいっていない、気を、変だと感じる。

「朱廻……」

 セオドアの足が止まったことに気付き、少し先で立ち止まっていた彼を手招きする。

「どうかしましたか?」
「この先は、どこにつながっているんです?」

 支路を見つめたまま、先から琴線に触れる奥を指差した。

「こちらの支路は、ミラの家がある区画に通じています。ほら、エセルさんに胸元をつかまれた男性がいたでしょう」
「5人のうちの1人だ」

 エセルがすかさず言う。

「では、彼らがこの道を選んで通った可能性がありますね?」
「なくはありませんね。館へは遠回りになってしまいますが。
 彼の妻君は長く足を患っていまして、あの日も家にいたはずです。どうして1人で出かけたりしたのかと、ひどく後悔していましたから」

 苦いものを含んだように、闇にまぎれて朱廻の目が細まる。
 それには気付かないふりをして、セオドアは確信したように支路の先、闇の奥をあらためて指差した。

「向こうだ。血の臭いがする」

 する、というのは感覚上のもので、実際に嗅ぎ取れるのは湿った空気とかび臭さだけなのだが、彼女の断定に、2人とも異論を唱えようとはしなかった。

 問題は、どれだけ自分たちが彼らより遅れているか、だ。ここでもし道を間違って無駄足を踏めば、襲撃にも致命的だ。

 今まで感じたことのない、この感覚自体を疑い、どうするべきか、前方の闇を見続けるセオドアの前に、何の前触れもなくとある光景が(ひらめ)く。

 決して見えるはずのない光景。その証拠のように、本来の水路の闇も重なって見えている。
 幻覚か?

 だがそれは、疲労からくる幻覚だと言い切り、捨ておけるほど生半可なものではなかった。

「死体……が、ある……?」

 半信半疑でつぶやく。

 まさか……まさか、まさか、まさか、まさか!

「こっちだ!」

 瞬く間に頂点に達した不安に、セオドアはその場へ言い捨てるようにして1人走り出していた。

「あ、おいっ」
「行きましょう、エセルさん」

 危険も恐怖もすっかり吹き飛んだ頭でまっすぐ突っ走る彼女の瞳が、2人の動向を伺って振り返った一瞬に、いつにない輝きを帯びていたこととを目ざとく見止めた朱廻が、あとについて走り出す。

 以後、周囲に罠が張り巡らされているのでは、などと一切気にも止めず、ただひたすらに走り続けたセオドアの足が止まったとき。
 彼らの前には信じ難い惨景が広がっていた。


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●魘  魅
「せめてこれをお持ちになってください」
 返した鏡片と交換のように朱廻に手渡された破魔の剣を腰に|佩《は》いて、セオドアは町へ続く暗い水路に踏み入った。
 先頭を行く朱廻の手にしたたいまつや、両壁にぽちぽちと生えている水苔がわずかに燐光を発してるおかげで完全な暗闇というわけではないが、肉眼ではやはり細々とした判別はつきにくい。
 町の各所に設置されている井戸や農業用水路につながっているという支路を横目に走るセオドアのとなりに、最後尾を走っていたエセルが並んだ。
「なあ、セオドア」
「なんだ?」
 問いつめるのはやめたものの、不機嫌さまでは忘れ切れない。大部分の関心は周囲に配っていて、その片手間だというふりをしながら応じる。
 エセルは全く気にしていない様子で続けた。
「訊こう訊こうとは思ってたんだけど。おまえさ、魅魎が怖くないのか?
 退魔師として訓練を受けてきたといっても、実地訓練を受けたこともない、今のおまえは知識と心得があるだけなんだろ?」
 先を行く朱廻に聞こえない程度には気をかけた声で、こそっと訊いてくる。
 魅魎――中でも中級に属する魅妖・魘魅は下級魅魎である魎鬼たちと違って退魔師でもおいそれとは手を出せない、強大な力を持つ非情な存在だ。対して、その脅威にさらされる人間のほうはあまりに弱く、非力。
 いつ襲われるともしれない不安な日々を送る彼らの心のより所とされる退魔師は、しばしば超人的な存在として――普通の人以上の力を持つ者として、羨望の眼差しで見られることがある。そのだれもが、彼らもまた自分たちと同じ、生身の『人』であることを喪失しやすい。
 負の気を識別でき、魔断と感応することができるというだけの、ただの人間であることを。
 そして退魔師本人もまた、忘れがちなことだった。人を助けられる力を持っていても、それが『助けられるかもしれない』力でしかないことを……。
「……おまえは?」
「俺はいいの。自分のことは分かってるから。
 俺が知りたいのは、おまえの考えだ」
 勝手な物言いだな、と小声で非難しておいて。それから、ぼそりとつぶやいた。
「怖いよ」
 言葉にして、はっきりと認めることをためらう声だった。
「相手は今、この瞬間にもこの身を引き裂くことのできるやつだ。怖くないはずがない。
 でも、もっと怖いことがあるから――」
 エセルを相手に、これ以上どう言えばいいのか分からなくて、それ以上続けるのはやめた。分からないことを無理に引き延ばして言葉をつなげても、見苦しいだけだ。
 ただ、逃げてはいけないのだ、と思う。それはこの状況からでも、自分に干渉してくるわけの分からない力からでもない。
 それはもしかすると、ずっと退魔師としての適性を疑ってきた、自分自身からなのかもしれない。よく分からない。けれど、今逃げれば自分は『これから』すら失ってしまうのだということだけは、はっきりと分かっている。
「ふうん」
 思い沈むセオドアに、エセルがそう返す。
 それは、セオドアのした返答にとりあえず納得しておいてやろう、というもののようでもあり、本当の意をすでに見抜いた上で、今はそういうことにしておいてやろうと言っているようでもある、微妙なものだった。
「そういうおまえは、どうしてついてきた」
 ムッときて、突っかかっていったセオドアに、エセルは、おや、と首を傾げる。
「もう言ったよ? 放っておけないって」
「茶化すんじゃない」
 そんな理由でたやすく自分の命を賭けられるようなやつか、おまえが!
 のらりくらりと、どこまでも自分のことには不真面目なエセルに腹を立て、とがめる。
 そんなセオドアの反応に、エセルは意外そうにことさら大きく目を丸めて、芝居がかった仕草で胸に手をあてた。
「そんなふうに思われていたなんて心外だなあ! 心からの言葉だったのに、信じてくれていなかったなんて!
 ああ、今、俺のガラスのハートにひびが入ったよ」
「……そういうところが信用ならないんだ」
 エセルはふっとため息をつき、
「おまえの周りにいたやつって、クソつまんない、お堅いやつなんだろうな。すげー想像つくわ」
 いら立たしげに吐き捨てた。
「なんだと!?」
「べつに茶化してなんかいないって。おまえって世間知らずでちょっと生真面目すぎて、危なかしいところがあるからな。
 昨夜の様子からして、まるっきり自分の安全無視して突っかかっていくんじゃないかとどうにも心配で。その点、俺がいたらフォローできるだろ? 俺は自分の身がすごく可愛いから、その余った分をセオドアにもわけてやれるし」
 ……たしかに声だけを聞いて判断すれば真面目に言っているかもしれないが、その分今度は内容に腹が立つ!
「もういい」
 まだ何か言いたそうだった会話を強引に断ち切って、セオドアは走る速度を速めた。
 とぼけたことばかり言って。ほんとに、口ばかり回って……どうせ、本当のところは金の心配なんだろう。ちゃっかりしているからな。わたしが死んで、弁償金が回収できなくなるのを心配しているに決まってるんだ。変に魅魎の力を侮っているところがあるからな。
 ああいうやつは、一度手ひどく魅魎に弄ばれて、瀕死の大怪我でも負ってみるといいんだ。そうすればこれから多少なりと警戒心が増すだろう、いい薬というやつだ。
 大体だ。わたしが何の考えもなしに無茶をしていると思っているところが、一番気にくわない。わたしだってちゃんと考えているんだ。でなければ朱廻にあんなこと言っていた自分が、こんな真似するわけないじゃないか。それをなんだ、あいつは、決めつけやがって……!
 などなど。背後のエセルへの不平不満を胸の中でぶつぶつつぶやきながら先を進んでいたセオドアだったが、ふと、心に触れる何かを感じて足を止めた。
 五感でも直感でもない、言うなれば生まれついてのもう1つの感覚が、横に開いた支路から嫌な気配を……いや、そこまでもいっていない、気を、変だと感じる。
「朱廻……」
 セオドアの足が止まったことに気付き、少し先で立ち止まっていた彼を手招きする。
「どうかしましたか?」
「この先は、どこにつながっているんです?」
 支路を見つめたまま、先から琴線に触れる奥を指差した。
「こちらの支路は、ミラの家がある区画に通じています。ほら、エセルさんに胸元をつかまれた男性がいたでしょう」
「5人のうちの1人だ」
 エセルがすかさず言う。
「では、彼らがこの道を選んで通った可能性がありますね?」
「なくはありませんね。館へは遠回りになってしまいますが。
 彼の妻君は長く足を患っていまして、あの日も家にいたはずです。どうして1人で出かけたりしたのかと、ひどく後悔していましたから」
 苦いものを含んだように、闇にまぎれて朱廻の目が細まる。
 それには気付かないふりをして、セオドアは確信したように支路の先、闇の奥をあらためて指差した。
「向こうだ。血の臭いがする」
 する、というのは感覚上のもので、実際に嗅ぎ取れるのは湿った空気とかび臭さだけなのだが、彼女の断定に、2人とも異論を唱えようとはしなかった。
 問題は、どれだけ自分たちが彼らより遅れているか、だ。ここでもし道を間違って無駄足を踏めば、襲撃にも致命的だ。
 今まで感じたことのない、この感覚自体を疑い、どうするべきか、前方の闇を見続けるセオドアの前に、何の前触れもなくとある光景が|閃《ひらめ》く。
 決して見えるはずのない光景。その証拠のように、本来の水路の闇も重なって見えている。
 幻覚か?
 だがそれは、疲労からくる幻覚だと言い切り、捨ておけるほど生半可なものではなかった。
「死体……が、ある……?」
 半信半疑でつぶやく。
 まさか……まさか、まさか、まさか、まさか!
「こっちだ!」
 瞬く間に頂点に達した不安に、セオドアはその場へ言い捨てるようにして1人走り出していた。
「あ、おいっ」
「行きましょう、エセルさん」
 危険も恐怖もすっかり吹き飛んだ頭でまっすぐ突っ走る彼女の瞳が、2人の動向を伺って振り返った一瞬に、いつにない輝きを帯びていたこととを目ざとく見止めた朱廻が、あとについて走り出す。
 以後、周囲に罠が張り巡らされているのでは、などと一切気にも止めず、ただひたすらに走り続けたセオドアの足が止まったとき。
 彼らの前には信じ難い惨景が広がっていた。