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第9回

ー/ー



 うなだれていた朱廻がはっと面を上げる。

「操主! 死んでは駄目です! 死なないでください、操……ルチア!」

 目をそむけずにはいられない、悲痛な呻きを吐き出して、朱廻は再び昏睡に陥ったルチアを胸に抱いた。

「どうか、どうか死なないで……。
 みんな、私を置いていく……魔断だからと、私1人を残して、どうして……!
 置いていかないでください、ルチア。新しい操主などいりません。いりませんから……」

 哀願する。だが確実に、抱いたルチアの鼓動は弱まっていった。

 朱廻の中にある、今までずっと感じ取れていたルチアの気配がだんだんと薄れていく。
 やがて心臓はその輝きを失い、この体は活動を停止する。ただの抜け骸となって、冷たくここに横たわるのだ。

 ずっと、ずっとこのまま抱いていようか。
 命の火が消える、その寸前まで、 こうしていようか……。

「朱廻?」

 ゆらりと身を立たせた朱廻と目がかち合う。先までの彼とは違う。一見してそれが分かった。
 瞳に、これまでになかった光を見て、何らかの決意を感じ取ったセオドアはとまどう。
 朱廻は、乱れていた髪をうなじできっちりと束ね直し、床に寝かせてあった長剣――破魔剣を拾い上げ、腰に()いた。

「まさか、町へ行くつもりですか?」
「……お貸ししていました鏡片を、お返し願えますか」

 硬い声で言われたそれは、『お願い』ではなかった。

 完全にらしくない、有無を言わせぬ気迫のこもった朱廻の眼差しに、疲労の色濃い顔をじっと見つめて、セオドアはゆるゆると、しかし懸命に首を振る。

 実直で、忠義に長けている分こういったことは隠すのが下手なのか、その考えはガラス張りのようにセオドアにさえ一発で分かる。

 ルチアのため、町へ行き、どうにかして転移鏡を使おうと考えているのだろう。一刻も早い救援を望むなら、だれもが一度は検討する手段だ。セオドアも考えた。だが町は妖鬼だらけだ。
 朱廻があんな輩にどうにかされるとは思わないけれど、そこをくぐり抜けた先で待ち構えているのは魘魅と魅妖。

 転移鏡が無事残っているかどうかもあやしいのに、そこへ単身乗り込もうなど無謀の極みだ。

「お気持ちは分かりますが、それだけは駄目です! あれは、あなた1人でかなう相手じゃありません!」
「渡してください」

 魔断は感応した退魔師とともにあってこそ、その力を完全に発揮できる存在だ。その魔断を持つ退魔師ですら魅妖を相手にして命を落とすことは少なくないのに、どうして朱廻だけでかなうだろう。

 もうたくさんだった。

 上級退魔剣士だった母親は魅魎にやられて、自分には面影すら残っていない。
 幼い自分を護ってだ!

 蒼駕に直接確かめたわけじゃない。単なる盗み聞きと言われればそれまでかもしれない。けれど、教え長たちが不確かな話を口にするだろうか?

 いや、それ以前に自分は直感で理解していた。母は、自分を助けるために死んだに違いないと。

 母のことを極力考えないようにしてきたのは、そのせいだ。
 もういやだ。自分のせいで失うのは。
 母とルチア、そしてこの町の犠牲者たちだけでもうたくさんだ!

「ほかの退魔師の方々が到着するのを待ちましょう。あと5日です。今あなたまで失えば、ここの者たちはだれを頼ればいいんですか? 魅妖の手はここまで伸びているともう知って、おびえている彼らを、これ以上おびえさせていいんですか?」

 思いとどまらせようと必死に言葉を探し、説得を試みるセオドアの姿に、朱廻は苦し気に眉宇を寄せた。

 そんなこと、賢明な朱廻に分からないはずがない。だが不衛生なこの地にこのまま5日も放置しておいたなら、ルチアの命はない。痺気に喰い荒らされた彼の魂は、もういつ失われてもおかしくない状態なのだ。

 全体を見れば、セオドアの言葉どおりかもしれない。無力な町の人たちを護ることがミスティア国王より彼に託された使命であり、魔断としての存在意義だ。1より100。意識があれば、ルチアもセオドアと同じことを言っただろう。
 だが……。

 沈黙を続ける、深く(かげ)りを帯びたその表情に、不意にセオドアが閃く。

「なにがあったんです?」

 気を張りつめ、頑なに沈黙し、隠そうとすることで自らの心も傷つけているような、痛々しさ。
 おそらくかなり深刻な事情であると察して、セオドアは顔を近づけ、ささやきで訊く。
 声が外に漏れてだれかの耳に入るのを懸念した、その慎重な対応に朱廻は逡巡するような間を開け、ゆっくりと重い口を開いた。

「彼らはおそらくここへは来られないでしょう。
 ソジュールさまは、殺害されたらしいのです。このようなことを企てた魅妖のことですから、手抜かりはないでしょう。
 ルビアの町が襲われたことを知ったとしても、はたしてわれわれが生き残ってここにいることを知り得るかどうかは……」

 最後、直接町へ向かって魅妖の罠に落ちるかもしれない、との可能性を言葉にするのはためらわれたようだった。
 だが鉄槌で殴打されたような衝撃に朦朧(もうろう)とした頭では、彼の口にした言葉でさえすぐには理解しきれない。

 全身に冷水を浴びせかけられたようだった。一瞬で蒼白し、凍えて感覚の失われた手で朱廻の肩を取り、それはどういうことかとセオドアがもう一度強く訊こうとしたそのときだ。

 入り口の布を高くはね上げて、何者かが勢いよく中へ飛びこんできた。

 病人のいる天幕だというのをまるで考慮していないその狼藉(ろうぜき)に顔をしかめたセオドアなど意に介さず、現れた男・エセルが怒りに燃えた目で叫ぶ。

「大変だぞ!」

 同時に、襟首を取って強引にここまで引きずってきたらしい男を2人の前へ放り出した。

「わわわわっ」

 エセルの乱暴な扱いに男は2歩3歩とよろけたあと、その場にぺったり尻餅をつく。
 頬にまだできたての赤い腫れがあるのを見つけて、それがだれによるものかも察したセオドアが眉根を寄せてエセルをにらみつける。

「エセル……」

 町の者との間に撒かれた災いの種を予感して、痛み始めたこめかみに手を添えながらも、とりあえず「これはどういうことだ?」と尋ねようとする。
 そんな彼女に、エセルはいら立たしい気持ちを露わにした声で言った。

「こいつら、どうもこそこそしてるなと思ったら、とんでもないことしてたぞ」

 どうやらここに着く前によほどな目にあったようで、腹立たしげに自分をにらみつけてくるエセルにおびえ、あせって男は満足に立ち上がりきれていないまま走ろうとして足をもつれさせる。転がるのを止めてくれた何かが朱廻の支え手であると知った男は、相当後ろめたいことがあるのか、自分を見下ろす朱廻の目におののいてへたりこむと、とうとう観念したように目をつぶった。

「この方がどうしたというのです?」
「あの水路さ。己の力量ってものを知ることもできない馬鹿な5人組が、それぞれ剣を腰にさながら義勇軍気取りで町へ向かったそうだ」

 すっかりここの者のばかさ加減に辟易したと肩を竦めるエセルの言葉に、朱廻は瞬時に青冷めて再び足元の男へと目を戻した。
 それを手引きしたらしい男は、ぷいとそっぽを向いて唇を噛みしめ、頑なに口を割るのを拒んでいる。
 友を売るまいと思っての行為だろうが、その姿だけで、エセルの言葉が真実であると信じるには十分だった。

「なんてことを……それは、いつのことです!?」

 切羽つまった真剣な顔でつめ寄った朱廻に気圧されながらも、男は答えなかった。ぎゅうっと目をつぶる力を強くして、朱廻を見ないようにすることで友情を貫いているつもりらしい。

 今は説得に費やす時間も惜しいと、朱廻はエセルを見た。
 その真剣な視線を受け、エセルは不承不承「陽の出前らしい」と答えた。

 朱廻は天幕を飛び出し、東の空を仰いで奥歯を噛みしめた。


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「操主! 死んでは駄目です! 死なないでください、操……ルチア!」
 目をそむけずにはいられない、悲痛な呻きを吐き出して、朱廻は再び昏睡に陥ったルチアを胸に抱いた。
「どうか、どうか死なないで……。
 みんな、私を置いていく……魔断だからと、私1人を残して、どうして……!
 置いていかないでください、ルチア。新しい操主などいりません。いりませんから……」
 哀願する。だが確実に、抱いたルチアの鼓動は弱まっていった。
 朱廻の中にある、今までずっと感じ取れていたルチアの気配がだんだんと薄れていく。
 やがて心臓はその輝きを失い、この体は活動を停止する。ただの抜け骸となって、冷たくここに横たわるのだ。
 ずっと、ずっとこのまま抱いていようか。
 命の火が消える、その寸前まで、 こうしていようか……。
「朱廻?」
 ゆらりと身を立たせた朱廻と目がかち合う。先までの彼とは違う。一見してそれが分かった。
 瞳に、これまでになかった光を見て、何らかの決意を感じ取ったセオドアはとまどう。
 朱廻は、乱れていた髪をうなじできっちりと束ね直し、床に寝かせてあった長剣――破魔剣を拾い上げ、腰に|佩《は》いた。
「まさか、町へ行くつもりですか?」
「……お貸ししていました鏡片を、お返し願えますか」
 硬い声で言われたそれは、『お願い』ではなかった。
 完全にらしくない、有無を言わせぬ気迫のこもった朱廻の眼差しに、疲労の色濃い顔をじっと見つめて、セオドアはゆるゆると、しかし懸命に首を振る。
 実直で、忠義に長けている分こういったことは隠すのが下手なのか、その考えはガラス張りのようにセオドアにさえ一発で分かる。
 ルチアのため、町へ行き、どうにかして転移鏡を使おうと考えているのだろう。一刻も早い救援を望むなら、だれもが一度は検討する手段だ。セオドアも考えた。だが町は妖鬼だらけだ。
 朱廻があんな輩にどうにかされるとは思わないけれど、そこをくぐり抜けた先で待ち構えているのは魘魅と魅妖。
 転移鏡が無事残っているかどうかもあやしいのに、そこへ単身乗り込もうなど無謀の極みだ。
「お気持ちは分かりますが、それだけは駄目です! あれは、あなた1人でかなう相手じゃありません!」
「渡してください」
 魔断は感応した退魔師とともにあってこそ、その力を完全に発揮できる存在だ。その魔断を持つ退魔師ですら魅妖を相手にして命を落とすことは少なくないのに、どうして朱廻だけでかなうだろう。
 もうたくさんだった。
 上級退魔剣士だった母親は魅魎にやられて、自分には面影すら残っていない。
 幼い自分を護ってだ!
 蒼駕に直接確かめたわけじゃない。単なる盗み聞きと言われればそれまでかもしれない。けれど、教え長たちが不確かな話を口にするだろうか?
 いや、それ以前に自分は直感で理解していた。母は、自分を助けるために死んだに違いないと。
 母のことを極力考えないようにしてきたのは、そのせいだ。
 もういやだ。自分のせいで失うのは。
 母とルチア、そしてこの町の犠牲者たちだけでもうたくさんだ!
「ほかの退魔師の方々が到着するのを待ちましょう。あと5日です。今あなたまで失えば、ここの者たちはだれを頼ればいいんですか? 魅妖の手はここまで伸びているともう知って、おびえている彼らを、これ以上おびえさせていいんですか?」
 思いとどまらせようと必死に言葉を探し、説得を試みるセオドアの姿に、朱廻は苦し気に眉宇を寄せた。
 そんなこと、賢明な朱廻に分からないはずがない。だが不衛生なこの地にこのまま5日も放置しておいたなら、ルチアの命はない。痺気に喰い荒らされた彼の魂は、もういつ失われてもおかしくない状態なのだ。
 全体を見れば、セオドアの言葉どおりかもしれない。無力な町の人たちを護ることがミスティア国王より彼に託された使命であり、魔断としての存在意義だ。1より100。意識があれば、ルチアもセオドアと同じことを言っただろう。
 だが……。
 沈黙を続ける、深く|翳《かげ》りを帯びたその表情に、不意にセオドアが閃く。
「なにがあったんです?」
 気を張りつめ、頑なに沈黙し、隠そうとすることで自らの心も傷つけているような、痛々しさ。
 おそらくかなり深刻な事情であると察して、セオドアは顔を近づけ、ささやきで訊く。
 声が外に漏れてだれかの耳に入るのを懸念した、その慎重な対応に朱廻は逡巡するような間を開け、ゆっくりと重い口を開いた。
「彼らはおそらくここへは来られないでしょう。
 ソジュールさまは、殺害されたらしいのです。このようなことを企てた魅妖のことですから、手抜かりはないでしょう。
 ルビアの町が襲われたことを知ったとしても、はたしてわれわれが生き残ってここにいることを知り得るかどうかは……」
 最後、直接町へ向かって魅妖の罠に落ちるかもしれない、との可能性を言葉にするのはためらわれたようだった。
 だが鉄槌で殴打されたような衝撃に|朦朧《もうろう》とした頭では、彼の口にした言葉でさえすぐには理解しきれない。
 全身に冷水を浴びせかけられたようだった。一瞬で蒼白し、凍えて感覚の失われた手で朱廻の肩を取り、それはどういうことかとセオドアがもう一度強く訊こうとしたそのときだ。
 入り口の布を高くはね上げて、何者かが勢いよく中へ飛びこんできた。
 病人のいる天幕だというのをまるで考慮していないその|狼藉《ろうぜき》に顔をしかめたセオドアなど意に介さず、現れた男・エセルが怒りに燃えた目で叫ぶ。
「大変だぞ!」
 同時に、襟首を取って強引にここまで引きずってきたらしい男を2人の前へ放り出した。
「わわわわっ」
 エセルの乱暴な扱いに男は2歩3歩とよろけたあと、その場にぺったり尻餅をつく。
 頬にまだできたての赤い腫れがあるのを見つけて、それがだれによるものかも察したセオドアが眉根を寄せてエセルをにらみつける。
「エセル……」
 町の者との間に撒かれた災いの種を予感して、痛み始めたこめかみに手を添えながらも、とりあえず「これはどういうことだ?」と尋ねようとする。
 そんな彼女に、エセルはいら立たしい気持ちを露わにした声で言った。
「こいつら、どうもこそこそしてるなと思ったら、とんでもないことしてたぞ」
 どうやらここに着く前によほどな目にあったようで、腹立たしげに自分をにらみつけてくるエセルにおびえ、あせって男は満足に立ち上がりきれていないまま走ろうとして足をもつれさせる。転がるのを止めてくれた何かが朱廻の支え手であると知った男は、相当後ろめたいことがあるのか、自分を見下ろす朱廻の目におののいてへたりこむと、とうとう観念したように目をつぶった。
「この方がどうしたというのです?」
「あの水路さ。己の力量ってものを知ることもできない馬鹿な5人組が、それぞれ剣を腰にさながら義勇軍気取りで町へ向かったそうだ」
 すっかりここの者のばかさ加減に辟易したと肩を竦めるエセルの言葉に、朱廻は瞬時に青冷めて再び足元の男へと目を戻した。
 それを手引きしたらしい男は、ぷいとそっぽを向いて唇を噛みしめ、頑なに口を割るのを拒んでいる。
 友を売るまいと思っての行為だろうが、その姿だけで、エセルの言葉が真実であると信じるには十分だった。
「なんてことを……それは、いつのことです!?」
 切羽つまった真剣な顔でつめ寄った朱廻に気圧されながらも、男は答えなかった。ぎゅうっと目をつぶる力を強くして、朱廻を見ないようにすることで友情を貫いているつもりらしい。
 今は説得に費やす時間も惜しいと、朱廻はエセルを見た。
 その真剣な視線を受け、エセルは不承不承「陽の出前らしい」と答えた。
 朱廻は天幕を飛び出し、東の空を仰いで奥歯を噛みしめた。