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第3回

ー/ー



『テディ。人の命を軽んじてはいけないのは知っているだろう? それは、自分の命にも言えることなんだよ』

 訓練中、いつも先走っていた幼い自分に向かい、常々蒼駕はそう言ってきた。
 何か、それにまつわることで苦い経験が過去あったのかも知れない。そう思われるほど、そのときの蒼駕は辛そうに眉を寄せて自分を見ていて、幼な心にも、絶対にしてはいけないのだと強く心に刻みつけてきたことだった。

 ただ、それは蒼駕にあんな顔をさせてはいけないという、言葉の本意からかなりはずれた考えだったせいか、いまだにこれは『蒼駕を悲しませてはいけない』という思いこみなのだが……。

 しかしそれは今も十分効果のある呪文である。おそらくこの先、何が起きようとも、たとえ彼以上の存在が現れたとしても、消えることはないだろう。

 だがこのときばかりはそれが心を(さいな)む針となっているのは確かだった。

 いっそ、あのとき魘魅によってずたずたに裂かれていた方がずっとましだった。

「足手まといなものか。町で俺を助けてくれたじゃないか」

 先までの意地悪はどこへやら。思い沈み、爪を噛むセオドアの姿を見るエセルの眼差しが、いつになく優しくなっている。

「助けてなんかいない。朱廻が来てくれなかったら、2人とも死んでいたさ」

 とことん気まぐれなやつだと思いながらも、やはりどういった態度をとればいいのかとまどうセオドアに、エセルがふざけて足元の水を撥ねかけた。

「ばーか。魘魅相手にあそこまでやるなんて、普通の者にはできないって」
「だからそれは、退魔師見習いだからで――」
「だからでもあるな。知識があるくせに、真正面から向かっていくんだから」

 ああ、やはり嫌味だ。
 それでも少しは期待していたのにとにらむと、ますます水をかけてくる。

「やめっ……」

 顔にくる水しぶきを手で防ぐ。音がしなくなったことを(いぶか)しんだときにはもう、エセルの手で、彼女の体は引き寄せられていた。

 あまりに飛躍した行動で、まるで予想だにしていなかったことだけに抵抗することもできず、気がつけば倒れこむようにしてエセルの胸にほおを押しつけている。
 抱き寄せたエセルの左手がしっかりともう片方の肩を取っており、これは一体……? と混乱して硬直してしまっている彼女の耳に、かすかだが、とくん、とくんと規則正しいエセルの鼓動の音が聞こえてきた。

 服越しに伝ってくる温もりに、なぜか安らいで、止まっていた息をそっと吐くと、全身を縛り続けていた緊張がその一瞬で解けた。

「さあ言えよ」

 鼓動の音と重なって、耳元に深く、エセルのささやく声が聞こえてくる。

「まったく、おまえってとことん不器用なやつ。普通、滅入ってるときのけんかくらい買うものだぞ? そんなふうに、1人でいじけたりしないでさ。八つ当たりでもいいから、いつまでも考えこまないで吐き出した方がいいことだってあるってことを、いい加減知っておいたほうがいいな。いつまでもそんなことしていて、最後までもつとは限らないし。なによりそんな強がりは、見ているこっちのほうがしんどい」

 それは幼い、まるで年端もいかない子どもに言い聞かせるようなおだやかさだった。
 普段の彼からは想像もつかない、甘やかな響きをもって静かに胸の中へ染みこんでくるようで、その心地よさにそっと目を伏せる。

 信じてもいいだろうか?

 本当にそうかもしれないと、思ってみてもいいんだろうか……。

「……2人とも、責めないんだ……」

 試してみるのもいいかもしれない。してもみないで決めつけるのは、言ってくれた相手にも悪いし。
 そう思って、ぽつり、こぼしてみた。途端、あの胸の中でもやもやとした、どす黒い瘴気(しょうき)のような毒煙が爆発的に膨れ上がってくる。罪悪感と焦燥感の拍車もかかり、その苦い痛みにセオドアはエセルの服を強く握りしめた。

「全部わたしのせいなのに……。わたしの引き起こした惨事で、大勢の人が死んだ。彼の仲間たちもだ。なのに何も言わない。そうやって無視されるのは、責められることよりも、つらい……!」

 責めたところで元に戻ることではないと考えているのだろう。それよりも、そのことを気にして立ち直れなくなるのではないかと自分を気遣ってくれているのだろうが、自分はそれがくやしいのだ。

 それは、ルチアにとって自分は『護る者』の1人で、一人前の仲間とすら見てもらえていないということにほかならない。

 感応式もすませていないのだから当然かも知れないが、自分はもう18だ。どんな強い非難を浴びても正面から受け止められるだけの歳になっている。それだけの勇気もないと見られたのが、一番口惜しい……。

「……わたしは、そんなにも愚かに見えるのだろうか? そんなにも……」
「ばかな。だれもおまえのせいだと思っていないから、責めないんだ。
 こんな所へやってきたのも、転移鏡が働いたのも、おまえが望んでじゃないんだろう? ましてや魅妖なんかの気まぐれが、おまえのせいであるはずがないさ」

 ぽんぽんと背中をたたかれ、慰めの手が頭に触れる。
 完全に子ども扱いだ。

 自分を抱き寄せている手に力はこめられていない。胸に添えている手に力を入れて押し離せばたやすく逃れられるのは分かっていたが、こうしてあやすように頭をなでられるのはあまり悪い気分でもなくて。
 そっと、目を閉じてみた。
 そうして心音だけを聞いていると、なんだか切なさがこみあげてくる。

「わたしには、何もできないのかな……。本当に、もう何もできないんだろうか……」

 エセルに訊いても仕方のないことだ。
 返事を期待しないつぶやきに、しかしエセルは満面の笑顔でもって否定した。

 それはあの、向けられた者を魅了せずにいられないだろう、直接胸に響いてくる笑みで……。
 あれ以来用心していたものの、やはり見とれてしまったセオドアを、月の斜光を受けて、吸い込まれそうな紅い色をした瞳が見つめた。

「あるさ。きっと」

 エセルはさらに否定を強めた。

「今だってあるよ」

 すっとほおに指先が触れる。温かみを取り戻したその指が目元をなぞっていったときに、初めてセオ ドアは自分が涙をこぼしていたことに気付いた。

「我慢しないで、少し泣いた方がいい。それだけの事が起きたんだから。
 ここでおまえが泣いたってだれも責めたりしないし、失望もしやしない。
 幸いここには俺しかいないし? 俺の前でかっこつけてたって今さらだろ?」

 ほらほら。必要なら胸だって貸すよ。
 そう、おどけた声が耳に届く前に、セオドアは倒れ伏すようにしてエセルの胸に顔を埋めていた。

 最初、肩を震わせ、必死に声を押し殺して泣いていたが、やがて我慢も尽きたようにその口元から小さな鳴咽(おえつ)がもれ始める。ようやく泣き声らしきものが聞こえ始めたとき。セオドアは次々とほおを伝う涙に咳きこんでいた。

 ぎこちない、泣き方をよく知らない幼い子どものようなセオドアに、エセルのほうが驚く。
 それもそのはず。セオドア自身、人前にこんな姿をさらすのはこれが初めてだった。

 不様だと思う。己の限界を知り、状況を理解した上で最善を尽くすことを良識とするのが退魔師の考えであるはずなのに、自分は、歯噛みしているのだ。いつだって自分の力不足を呪い、悔しくて……そして、そんな考え方をする自分には、やはり退魔師としての素質はないように思えて、そう言われるのが何より怖くて。
 蒼駕の前ですら、できなかったことだった。

「やれやれ。深入りするつもりはなかったんだけどな。これじゃあ危なっかしくって、このまま放っていくこともできないか」

 包み込むように両腕を回して、すっかり保護者気取りでつぶやくエセルの言葉が聞こえる。

 高ぶった感情を静めるように、ひとしきり優しい仕草で髪を硫いてくれる。そうして顔を上げさせようとする手を拒んで、セオドアはさらに強く、ぎゅっとその胸元を握る手に力をこめた。

 泣いて泣いて泣き疲れて、自ら手を解くまで、セオドアは決して泣き顔を見せようとはしなかった。


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 訓練中、いつも先走っていた幼い自分に向かい、常々蒼駕はそう言ってきた。
 何か、それにまつわることで苦い経験が過去あったのかも知れない。そう思われるほど、そのときの蒼駕は辛そうに眉を寄せて自分を見ていて、幼な心にも、絶対にしてはいけないのだと強く心に刻みつけてきたことだった。
 ただ、それは蒼駕にあんな顔をさせてはいけないという、言葉の本意からかなりはずれた考えだったせいか、いまだにこれは『蒼駕を悲しませてはいけない』という思いこみなのだが……。
 しかしそれは今も十分効果のある呪文である。おそらくこの先、何が起きようとも、たとえ彼以上の存在が現れたとしても、消えることはないだろう。
 だがこのときばかりはそれが心を|苛《さいな》む針となっているのは確かだった。
 いっそ、あのとき魘魅によってずたずたに裂かれていた方がずっとましだった。
「足手まといなものか。町で俺を助けてくれたじゃないか」
 先までの意地悪はどこへやら。思い沈み、爪を噛むセオドアの姿を見るエセルの眼差しが、いつになく優しくなっている。
「助けてなんかいない。朱廻が来てくれなかったら、2人とも死んでいたさ」
 とことん気まぐれなやつだと思いながらも、やはりどういった態度をとればいいのかとまどうセオドアに、エセルがふざけて足元の水を撥ねかけた。
「ばーか。魘魅相手にあそこまでやるなんて、普通の者にはできないって」
「だからそれは、退魔師見習いだからで――」
「だからでもあるな。知識があるくせに、真正面から向かっていくんだから」
 ああ、やはり嫌味だ。
 それでも少しは期待していたのにとにらむと、ますます水をかけてくる。
「やめっ……」
 顔にくる水しぶきを手で防ぐ。音がしなくなったことを|訝《いぶか》しんだときにはもう、エセルの手で、彼女の体は引き寄せられていた。
 あまりに飛躍した行動で、まるで予想だにしていなかったことだけに抵抗することもできず、気がつけば倒れこむようにしてエセルの胸にほおを押しつけている。
 抱き寄せたエセルの左手がしっかりともう片方の肩を取っており、これは一体……? と混乱して硬直してしまっている彼女の耳に、かすかだが、とくん、とくんと規則正しいエセルの鼓動の音が聞こえてきた。
 服越しに伝ってくる温もりに、なぜか安らいで、止まっていた息をそっと吐くと、全身を縛り続けていた緊張がその一瞬で解けた。
「さあ言えよ」
 鼓動の音と重なって、耳元に深く、エセルのささやく声が聞こえてくる。
「まったく、おまえってとことん不器用なやつ。普通、滅入ってるときのけんかくらい買うものだぞ? そんなふうに、1人でいじけたりしないでさ。八つ当たりでもいいから、いつまでも考えこまないで吐き出した方がいいことだってあるってことを、いい加減知っておいたほうがいいな。いつまでもそんなことしていて、最後までもつとは限らないし。なによりそんな強がりは、見ているこっちのほうがしんどい」
 それは幼い、まるで年端もいかない子どもに言い聞かせるようなおだやかさだった。
 普段の彼からは想像もつかない、甘やかな響きをもって静かに胸の中へ染みこんでくるようで、その心地よさにそっと目を伏せる。
 信じてもいいだろうか?
 本当にそうかもしれないと、思ってみてもいいんだろうか……。
「……2人とも、責めないんだ……」
 試してみるのもいいかもしれない。してもみないで決めつけるのは、言ってくれた相手にも悪いし。
 そう思って、ぽつり、こぼしてみた。途端、あの胸の中でもやもやとした、どす黒い|瘴気《しょうき》のような毒煙が爆発的に膨れ上がってくる。罪悪感と焦燥感の拍車もかかり、その苦い痛みにセオドアはエセルの服を強く握りしめた。
「全部わたしのせいなのに……。わたしの引き起こした惨事で、大勢の人が死んだ。彼の仲間たちもだ。なのに何も言わない。そうやって無視されるのは、責められることよりも、つらい……!」
 責めたところで元に戻ることではないと考えているのだろう。それよりも、そのことを気にして立ち直れなくなるのではないかと自分を気遣ってくれているのだろうが、自分はそれがくやしいのだ。
 それは、ルチアにとって自分は『護る者』の1人で、一人前の仲間とすら見てもらえていないということにほかならない。
 感応式もすませていないのだから当然かも知れないが、自分はもう18だ。どんな強い非難を浴びても正面から受け止められるだけの歳になっている。それだけの勇気もないと見られたのが、一番口惜しい……。
「……わたしは、そんなにも愚かに見えるのだろうか? そんなにも……」
「ばかな。だれもおまえのせいだと思っていないから、責めないんだ。
 こんな所へやってきたのも、転移鏡が働いたのも、おまえが望んでじゃないんだろう? ましてや魅妖なんかの気まぐれが、おまえのせいであるはずがないさ」
 ぽんぽんと背中をたたかれ、慰めの手が頭に触れる。
 完全に子ども扱いだ。
 自分を抱き寄せている手に力はこめられていない。胸に添えている手に力を入れて押し離せばたやすく逃れられるのは分かっていたが、こうしてあやすように頭をなでられるのはあまり悪い気分でもなくて。
 そっと、目を閉じてみた。
 そうして心音だけを聞いていると、なんだか切なさがこみあげてくる。
「わたしには、何もできないのかな……。本当に、もう何もできないんだろうか……」
 エセルに訊いても仕方のないことだ。
 返事を期待しないつぶやきに、しかしエセルは満面の笑顔でもって否定した。
 それはあの、向けられた者を魅了せずにいられないだろう、直接胸に響いてくる笑みで……。
 あれ以来用心していたものの、やはり見とれてしまったセオドアを、月の斜光を受けて、吸い込まれそうな紅い色をした瞳が見つめた。
「あるさ。きっと」
 エセルはさらに否定を強めた。
「今だってあるよ」
 すっとほおに指先が触れる。温かみを取り戻したその指が目元をなぞっていったときに、初めてセオ ドアは自分が涙をこぼしていたことに気付いた。
「我慢しないで、少し泣いた方がいい。それだけの事が起きたんだから。
 ここでおまえが泣いたってだれも責めたりしないし、失望もしやしない。
 幸いここには俺しかいないし? 俺の前でかっこつけてたって今さらだろ?」
 ほらほら。必要なら胸だって貸すよ。
 そう、おどけた声が耳に届く前に、セオドアは倒れ伏すようにしてエセルの胸に顔を埋めていた。
 最初、肩を震わせ、必死に声を押し殺して泣いていたが、やがて我慢も尽きたようにその口元から小さな|鳴咽《おえつ》がもれ始める。ようやく泣き声らしきものが聞こえ始めたとき。セオドアは次々とほおを伝う涙に咳きこんでいた。
 ぎこちない、泣き方をよく知らない幼い子どものようなセオドアに、エセルのほうが驚く。
 それもそのはず。セオドア自身、人前にこんな姿をさらすのはこれが初めてだった。
 不様だと思う。己の限界を知り、状況を理解した上で最善を尽くすことを良識とするのが退魔師の考えであるはずなのに、自分は、歯噛みしているのだ。いつだって自分の力不足を呪い、悔しくて……そして、そんな考え方をする自分には、やはり退魔師としての素質はないように思えて、そう言われるのが何より怖くて。
 蒼駕の前ですら、できなかったことだった。
「やれやれ。深入りするつもりはなかったんだけどな。これじゃあ危なっかしくって、このまま放っていくこともできないか」
 包み込むように両腕を回して、すっかり保護者気取りでつぶやくエセルの言葉が聞こえる。
 高ぶった感情を静めるように、ひとしきり優しい仕草で髪を硫いてくれる。そうして顔を上げさせようとする手を拒んで、セオドアはさらに強く、ぎゅっとその胸元を握る手に力をこめた。
 泣いて泣いて泣き疲れて、自ら手を解くまで、セオドアは決して泣き顔を見せようとはしなかった。