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第6回

ー/ー



 女の瞳に艶が戻ったのは、空鏡からセオドアの姿を見出したとき、まさにその瞬間だった。

 隠そうともせず全身から放出している気の大きさは、まさに退魔師のもの。髪の色と同じ、白金色の光に輪郭線をぼやかしてしまうほど強く包まれ、しかも魔除けの石と名高い竜石を双眸(そうぼう)として2つもその身に持つ者だ。相当の力を持っているに違いない。特に飢えているわけでもないのに、食指がうずくほどだ。
 ちらちらと時折映る、隣にいるのはどうやら男らしいとしか分からないが、退魔師が連れているのだから、まず間違いなく魔断だろう。

 だがミスティア国王都から派遣されて来た退魔師にしては、いくらなんでも早すぎた。彼らは己の力でたかが空間を開くこともできない、あきれるほど幼稚な生き物なのだから。

 おそらく、この退魔師は『流れ』だ。
 1つの国に膝を与することを拒み、金で請け負って退魔をする者。

 ……実は彼女はただの見習いで、しかもこの歳で魔導杖も持っていない落ちこぼれなどという特殊な存在であると到底知り得ない女は、このときそう信じて疑わず、仮面のような三日月の笑みをその白い面に刻み、ククッとのどを震わせた。

「退魔剣士か、それとも剣師か……」

 心底からその存在を楽しんでいるように、そう口にする。

「私のこの期待を裏切って、ただの封師程度のものであったなら、即座にその生気を喰らってあげるわ……」

 そう口にしながらも、この女退魔師はそれ以上の力を持っていると女は確信していた。

 全身の輪郭がぼやけて映っているのだ。それは、隣の男までかすませてしまうほどである。
 世界中どこでも包み隠さず映しだせる空鏡の中でも、自分の作ったこの空鏡は特別製だ。その空鏡にこれだけの歪みを出すからには、それ相応の力を持っているに決まっていると。

 しかし、はたして自ら直接相手をするにふさわしいものかどうかは、全く別問題である。

 たとえどのような力を持っていようと、しょせんその身は、裂けば簡単に生温かい血を噴き出す肉袋。ただの人間でしかないのだから。

 それを見定めてやろうとは思うのだが、一向に空鏡内の女は魔断刀を用いようとしない。

 妖鬼程度では相手不足とでも思っているのか。逃げてばかりで満足な抵抗もできないでいるくせに、贅沢な。

 横の髪を肩の後ろへ払いこみながら、女は空鏡から目を外し、右の闇へと視線を向けた。

「わが肉を糧とし、わが闇に属する者。
 わが血を汲み、わが力に殉ずる者。
 主たるわれの言霊がそなたを求める。
 ――冰巳(ひみ)
 この見えざる鎖がそなたを盲縛するならば、
 即座にこの地、この時、この場へ馳せ参じよ」

 高く言い放つ女の言葉が重苦しい闇の静寂にかき消される前に、幾つ目かの柱の陰の闇が左右へと揺れ別れ、そしてそこに周囲の闇よりも黒い、まさに漆黒の影が、妖碗な形を取って出現した。

「私めをお呼びでしょうか、わがきみ」

 その場に片膝ついたまま、深々と頭を垂れて言う。その艶麗な容姿にふさわしい、澄んだ声だ。

「冰巳、久しいわね。相変わらずあなたが素直で嬉しいわ」

 女は有事即応した態度をいたく気にいったようで、めずらしく好意的と取れるほほ笑みを現れた冰巳という名の者へと向ける。
 冰巳は主君からの褒め言葉に畏まったように、無言のまま胸につきそそうなほど顎を引く。
 その小さな動きに敏感に反応して、女が満足そうに目を細めた。白い頬の横を、サラサラと瞳と同じ色の細い髪が流れる。

「少し頼まれてくれないかしら?」

 頬杖をつきながら無邪気に女は訊くが、その声のどこにも拒否を許容する含みはない。

「いかようにも……わが主たるあなたさまのご命令とあらば、必ずや御意に沿ってみせましょう」

 冰巳もまた、拒絶する意思のない、むしろ主君からの勅命に歓喜するような、うっとりとした響きでそう答える。
 女は空鏡の中のセオドアを指差した。

「この女をここまで連れてきてほしいの。ちょっと強情そうだから、抗うなら少しいじめてもいいわ」

 空鏡に映ったその姿に、冰巳は眉宇を寄せる。
 躍動する体に揺れる、まるで降りそそ注ぐ太陽の光を思わせる白金色の髪。その隙間から覗き見える、いまいましい竜石色の双眸。そのどちらもが魅魎には好ましくないものだ。全体的に見てそれなりに容姿は整っているが、特に目をかける魅力には乏しく思える。

(一体わがきみはこんな女のどこにお気をかけられたのだろう?)

 たわいのない疑問だったが、それを言葉にしようとはしなかった。
 主の心中を図ろうなどとしても、たかが自分のような者などに分かるわけがない。主は自分の全てだが、主にとって自分は多くの一端にすぎないのだから。

 愚者の余計な詮索は不興を買うだけでしかない。
 それを知っている冰巳は賢しいと、女は笑った。

「人間にしては結構整った顔をしているほうだから、これ以上損なわせないように注意して。もちろん生気も極上の輝きだから、鮮度を落とさないためにも殺しちゃ駄目よ。
 ちゃんと言いつけを守れたら……そうね、褒美にもう片方をあなたにあげるわ」

 まるで言葉とは不釣合いな、邪気の感じ取れない柔和な笑顔と声の奥で、確かに、見る者の心をひやりと冷たい刃先で(なぶ)ってゆくような光が艶やかに照っている。

 冰巳は隠そうともせず、むしろ己をさらけ出すようにして床に額がつくほどその場に深々と頭を垂れ、そしてその命令を速やかに実行するべく消えようとした、その時だった。

「ああ冰巳。ああ見えても退魔師だから、気をつけないとあなたのほうがつまらない火傷を負う羽目になるわよ」

 ころころと笑う少女のような声のまま、鋭い忠告が入った。

「退魔師?」

 その耳に不快な名称に、目を砂めて冰巳は再び空鏡へと目を向けた。
 冰の艶やかな、光沢のある黒い瞳は主の言葉を重視し、今度は慎重に鏡面の女を観察したが、やはりそれでも妖鬼を避けて町中を逃げ回る姿は愚かで脆弱なものとしてしか映らなかった。

 強い光を少々放ってはいるが、卑しい妖鬼にすら対抗できない、ただの人間の女だ。

 しかしそれを今口にするのはまずい。

「すべては御心のままに」

 そうつぶやくと、次の瞬間彼女の体は遥か高みを翔んでいた。

 月を渡る、さながら一本の黒矢のように弧を描いてまっすぐ町の外れへと向かう。
 その姿を()て満足そうにほほ笑むんだ女は、空鏡の中の女退魔師へと視線を戻した。

 退魔師。
 この言葉に、これほどの快さを感じたことはなかった。

 なぜ気付けなかったのか……これからのことを考えると、自然に胸が震えてくる。自分を今まで縛り続け、どうしようもできずにいたあの気に障る感情が、まるでただの幻でしかなかったように引いていた。
 むしろぞくぞくするような喜悦が全身に広がり、まるで美酒さながらに酔いを、心地よさを、満たしてくれる。

「早くおまえの力を私に見せなさい」

 女は、まるで掻き抱くように空鏡に映ったセオドアに向けて両手を差しのべる。

「強ければ強いほど、おまえの力は私に快楽を与えてくれるのだから」

 陶然とした目を向けた先で、まるでタイミングを測りでもしたかのように、さながら天からの落雷のごとく冰巳が空鏡面にその姿を現した。


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 女の瞳に艶が戻ったのは、空鏡からセオドアの姿を見出したとき、まさにその瞬間だった。
 隠そうともせず全身から放出している気の大きさは、まさに退魔師のもの。髪の色と同じ、白金色の光に輪郭線をぼやかしてしまうほど強く包まれ、しかも魔除けの石と名高い竜石を|双眸《そうぼう》として2つもその身に持つ者だ。相当の力を持っているに違いない。特に飢えているわけでもないのに、食指がうずくほどだ。
 ちらちらと時折映る、隣にいるのはどうやら男らしいとしか分からないが、退魔師が連れているのだから、まず間違いなく魔断だろう。
 だがミスティア国王都から派遣されて来た退魔師にしては、いくらなんでも早すぎた。彼らは己の力でたかが空間を開くこともできない、あきれるほど幼稚な生き物なのだから。
 おそらく、この退魔師は『流れ』だ。
 1つの国に膝を与することを拒み、金で請け負って退魔をする者。
 ……実は彼女はただの見習いで、しかもこの歳で魔導杖も持っていない落ちこぼれなどという特殊な存在であると到底知り得ない女は、このときそう信じて疑わず、仮面のような三日月の笑みをその白い面に刻み、ククッとのどを震わせた。
「退魔剣士か、それとも剣師か……」
 心底からその存在を楽しんでいるように、そう口にする。
「私のこの期待を裏切って、ただの封師程度のものであったなら、即座にその生気を喰らってあげるわ……」
 そう口にしながらも、この女退魔師はそれ以上の力を持っていると女は確信していた。
 全身の輪郭がぼやけて映っているのだ。それは、隣の男までかすませてしまうほどである。
 世界中どこでも包み隠さず映しだせる空鏡の中でも、自分の作ったこの空鏡は特別製だ。その空鏡にこれだけの歪みを出すからには、それ相応の力を持っているに決まっていると。
 しかし、はたして自ら直接相手をするにふさわしいものかどうかは、全く別問題である。
 たとえどのような力を持っていようと、しょせんその身は、裂けば簡単に生温かい血を噴き出す肉袋。ただの人間でしかないのだから。
 それを見定めてやろうとは思うのだが、一向に空鏡内の女は魔断刀を用いようとしない。
 妖鬼程度では相手不足とでも思っているのか。逃げてばかりで満足な抵抗もできないでいるくせに、贅沢な。
 横の髪を肩の後ろへ払いこみながら、女は空鏡から目を外し、右の闇へと視線を向けた。
「わが肉を糧とし、わが闇に属する者。
 わが血を汲み、わが力に殉ずる者。
 主たるわれの言霊がそなたを求める。
 ――|冰巳《ひみ》。
 この見えざる鎖がそなたを盲縛するならば、
 即座にこの地、この時、この場へ馳せ参じよ」
 高く言い放つ女の言葉が重苦しい闇の静寂にかき消される前に、幾つ目かの柱の陰の闇が左右へと揺れ別れ、そしてそこに周囲の闇よりも黒い、まさに漆黒の影が、妖碗な形を取って出現した。
「私めをお呼びでしょうか、わがきみ」
 その場に片膝ついたまま、深々と頭を垂れて言う。その艶麗な容姿にふさわしい、澄んだ声だ。
「冰巳、久しいわね。相変わらずあなたが素直で嬉しいわ」
 女は有事即応した態度をいたく気にいったようで、めずらしく好意的と取れるほほ笑みを現れた冰巳という名の者へと向ける。
 冰巳は主君からの褒め言葉に畏まったように、無言のまま胸につきそそうなほど顎を引く。
 その小さな動きに敏感に反応して、女が満足そうに目を細めた。白い頬の横を、サラサラと瞳と同じ色の細い髪が流れる。
「少し頼まれてくれないかしら?」
 頬杖をつきながら無邪気に女は訊くが、その声のどこにも拒否を許容する含みはない。
「いかようにも……わが主たるあなたさまのご命令とあらば、必ずや御意に沿ってみせましょう」
 冰巳もまた、拒絶する意思のない、むしろ主君からの勅命に歓喜するような、うっとりとした響きでそう答える。
 女は空鏡の中のセオドアを指差した。
「この女をここまで連れてきてほしいの。ちょっと強情そうだから、抗うなら少しいじめてもいいわ」
 空鏡に映ったその姿に、冰巳は眉宇を寄せる。
 躍動する体に揺れる、まるで降りそそ注ぐ太陽の光を思わせる白金色の髪。その隙間から覗き見える、いまいましい竜石色の双眸。そのどちらもが魅魎には好ましくないものだ。全体的に見てそれなりに容姿は整っているが、特に目をかける魅力には乏しく思える。
(一体わがきみはこんな女のどこにお気をかけられたのだろう?)
 たわいのない疑問だったが、それを言葉にしようとはしなかった。
 主の心中を図ろうなどとしても、たかが自分のような者などに分かるわけがない。主は自分の全てだが、主にとって自分は多くの一端にすぎないのだから。
 愚者の余計な詮索は不興を買うだけでしかない。
 それを知っている冰巳は賢しいと、女は笑った。
「人間にしては結構整った顔をしているほうだから、これ以上損なわせないように注意して。もちろん生気も極上の輝きだから、鮮度を落とさないためにも殺しちゃ駄目よ。
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 まるで言葉とは不釣合いな、邪気の感じ取れない柔和な笑顔と声の奥で、確かに、見る者の心をひやりと冷たい刃先で|嬲《なぶ》ってゆくような光が艶やかに照っている。
 冰巳は隠そうともせず、むしろ己をさらけ出すようにして床に額がつくほどその場に深々と頭を垂れ、そしてその命令を速やかに実行するべく消えようとした、その時だった。
「ああ冰巳。ああ見えても退魔師だから、気をつけないとあなたのほうがつまらない火傷を負う羽目になるわよ」
 ころころと笑う少女のような声のまま、鋭い忠告が入った。
「退魔師?」
 その耳に不快な名称に、目を砂めて冰巳は再び空鏡へと目を向けた。
 冰の艶やかな、光沢のある黒い瞳は主の言葉を重視し、今度は慎重に鏡面の女を観察したが、やはりそれでも妖鬼を避けて町中を逃げ回る姿は愚かで脆弱なものとしてしか映らなかった。
 強い光を少々放ってはいるが、卑しい妖鬼にすら対抗できない、ただの人間の女だ。
 しかしそれを今口にするのはまずい。
「すべては御心のままに」
 そうつぶやくと、次の瞬間彼女の体は遥か高みを翔んでいた。
 月を渡る、さながら一本の黒矢のように弧を描いてまっすぐ町の外れへと向かう。
 その姿を|視《み》て満足そうにほほ笑むんだ女は、空鏡の中の女退魔師へと視線を戻した。
 退魔師。
 この言葉に、これほどの快さを感じたことはなかった。
 なぜ気付けなかったのか……これからのことを考えると、自然に胸が震えてくる。自分を今まで縛り続け、どうしようもできずにいたあの気に障る感情が、まるでただの幻でしかなかったように引いていた。
 むしろぞくぞくするような喜悦が全身に広がり、まるで美酒さながらに酔いを、心地よさを、満たしてくれる。
「早くおまえの力を私に見せなさい」
 女は、まるで掻き抱くように空鏡に映ったセオドアに向けて両手を差しのべる。
「強ければ強いほど、おまえの力は私に快楽を与えてくれるのだから」
 陶然とした目を向けた先で、まるでタイミングを測りでもしたかのように、さながら天からの落雷のごとく冰巳が空鏡面にその姿を現した。