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第29話 禁忌

ー/ー



「全員構え……よし、撃て」

 セクールスの合図で、実習室で一列に並んだ『赤の教室・()』の生徒たちは一斉に『水撃(アークヴォ・アターキ)』を的へと放った。
 掌を的へ向ける者、指先を向ける者、杖状の物を用いる者、スタイルはみなそれぞれ違ってはいたが、どれも激しい水流が、的である木人形を襲う。



 入学の季節が過ぎて、『緑の月』もすでに後半。レーキたち新三学年生は、既に通常の授業に入っていた。
 ここは実習棟にある実習室。石造りで天井の高い広い教室で、一クラス分の生徒たちが天法の術を試しても、問題ないほどには頑強に作られていた。
 レーキたち、生徒の前に少し離れて置かれているのは、的となる木で作られた等身大の人形。それが天法の術を受けて、同じく木で作られた架台の上でゆらと震えている。

「次。『鉄の弾(フェロ・クーグォ)』構え……よし、撃て」

 下された命の通りに、生徒たちは『鉄の弾』を的に放つ。誰一人狙いは外さず、『水撃』でずぶ濡れになっていた木人形の何体かは、『鉄の弾』を受けて所々丸く風穴が空いた。

「ふん。命中率は悪くないようだ。……さて、本日の課題は『黒』と『白』の『混色法』だ。右手と左手でそれぞれ違った系統の天法を使っても構わんし、二つの系統をこね上げて一つの色となしても構わん。今回の実習時間中に的を徹底的に破壊せよ。それが出来た者から休憩とする」

 それだけ言うと、セクールスは持参した書物を読み出してしまう。生徒たちも、今ではすっかり馴れてしまったこの光景に、文句一つ言わない。



『赤の教室・Ⅴ』は、進級時に人数が二人減って五人となった。脱落したのは『赤のⅤ』のやり方に最後まで馴染めなかった者と、実家の都合で天法院を辞めざるを得なかった者。
 残ったのはレーキ、グーミエ、エカルラート、シアン、もう一人はロシュと言う獣人の男子生徒だった。
 二学年生時の教室での騒ぎから、シアンはレーキと表立って接触する事を避けているようだった。あちらが何も仕掛けて来ないと言うなら、レーキにも言うことなどは無い。
 レーキに放課後、術を教えているとしても、セクールスの特別扱いはせいぜい名前を覚えた事くらいで、課題の量も教え方の苛烈さもほかの生徒と何も代わりはしない。むしろ金策のため仕事をせねばならない分、レーキはほかの生徒たちより常に疲労困憊(ひろうこんぱい)といった有様だった。
 シアンにもその事は解ってきたようだったが、「あいつは教師を買収するために無理して金を稼いでいる」などと吹聴しているようだ。
 金で買収されてくれる相手ならば、どんなに楽なことか。自分にまつわる噂話として聞かされる度に、レーキはそう思う。
 セクールスは、もとより金など歯牙にもかけない。それに、レーキが真に相対したいと願っているのは死の王だ。現世の金など、どれだけ積んでも、死の王の前には塵芥(ちりあくた)で有ろうことはレーキにも解った。



「……『氷塊撃(グラキエース)』」

 レーキはイメージする。右手に『水撃』、左手に『鉄の弾』。『黒』と『白』、『水』と『金属』、二つの系統の天法を混ぜ合わせると、不思議な事に物体を凍らせる事が出来る。
 力の流れを意識する時、レーキはいつも身のうちで燃え盛る炎を感じる。その真っ赤な炎をゆっくりと両腕に巡らせて、指先でその二つの炎を黒と白との炎に変換する。直接水や金属をイメージするより、このやり方のほうが自分には容易い。
後は、二つを同時に指先から放出してやれば『氷塊撃』の完成だ。
 レーキの狙いは、(あやま)たず木人形を直撃する。一撃で人形の半分を氷塊が押しつぶし、半壊させた。

「……相変わらず凄いね。レーキは」

 レーキの隣で、必死に『氷塊撃』を放っていたエカルラートが溜め息混じりに呟いた。

「そう言う君だってちゃんと『氷塊撃』が出来てる」
「……うん。でもね、わたし、いつも思うの。あの的イヤだな……人みたいな形のモノを壊しちゃうのはなんかイヤだな……」

 エカルラートの眉は、しょんぼりと(くも)っている。木製の的だと解って居ても、人型をしていると言う事が、彼女の倫理観に訴えかけるのだ。

「そうだな。確かに……ただの木だと解っていても、あまりいい気分じゃない」

 確かに『人型』は、心の柔らかい部分を刺激してくる。あの、赤く焼けた村で。己が死にたくないという一心で、無意識に放った一撃が(ほふ)った命。
 先に俺を殺そうとしたのはあいつだ。そう自分を納得させようとしても、忘れられない断末魔の叫び。人形は叫ばない。だが『赤』の天法の実習で焼け焦げた人型を見た時、レーキは何度も気持ちが折れかけた。
 だからこそ、レーキは目一杯の力で実習を終わらせる。一瞬でも早く耳に残るあの叫び声を消し去りたくて。

「わたし、もし人に向かって攻撃の天法を使わなきゃってなったら……どうしたら良いんだろう……」

 人に向かって、天法と言う強大な力を使うという恐怖。レーキの中にもそれは確かに、ある。実習の中で人形を使うのは、その恐怖に次第に順応させようと言う意図なのか?
 そう勘ぐってしまう。

「……エカルラートは優しいな……そうだな……使わなければいい。攻撃のための天法は」
「……え……?」
「今は大きな戦争とか起こってないだろ? だから天法士が戦いに駆り出される事も少ない。でも、俺が言うのも何だけど……盗賊とか魔獣に遭うとか、どうしても危ない場面に遭遇する時もあるから、その時のために大切なモノを守るための天法を主に学べば良いんじゃないかな?」
「……守るための、天法……?」
「例えば敵を足止めしたり、攻撃を届かないようにしたり、防御したり、攻撃以外にもとれる手は沢山有るだろう?」

 それは詭弁(きべん)だと、自分でも思う。そんな危険が、この心優しいクラスメイトに降りかかる事が無いようにとも。
 レーキには確信があった。再び命の危険を前にすれば、自分は手加減なくこの強大な力を振るう。目の前の脅威を打ち倒すために、容赦など出来ない。
 死にたくない。今はどんな事をしてでも死ぬ事など許されない。

「……そうね。まだまだやれることはいっぱいありそう!」

 表情が明るく輝き出したエカルラートを前にして、レーキの胸はちくりと痛む。彼女を綺麗事で欺いているような、そんな良心の(うず)きがある。
 人は誰しも、自分が出来ることを積み重ねて行くしかない。その先に何があるのか。エカルラートにもレーキにもそれが何かはまだはっきりと解らなかったが、今はやれることをするだけだ。

「……でも、攻撃のための天法を学ぶ事も必要だよ」

 そんな二人に釘を刺すように、エカルラートの隣にいたグーミエが会話に合流する。

「グーミエ」
「ごめん、二人の話聞いちゃった。……攻撃のための天法も知らないと、相手に天法士が居たときどんな手を取っていいのか解らなくなるから。だから今は攻撃と防御とどちらも学ぶと良いよ」
「そうだな。敵の理屈が解れば、やれることはもっと増える。そうすればもっと沢山の人を守れるかもしれない」
「……ありがとう。二人とも。あの的はやっぱり何だかイヤだけど……でもわたしはやれることをする!」

 吹っ切れたように、エカルラートは掌を木人形の的に向けた。まだ数カ所(へこ)んだだけの人形に『氷塊撃』を放つ。
 レーキの氷塊のように大型では無いものの、エカルラートの氷塊は確実に木人形を壊していく。

 ──俺も、今やれる事をしよう。

 レーキは木人形に狙いを定め、『氷塊撃』を放つために一つ深呼吸をした。



「本日の実習はここまで。午後は『赤の教室』で座学だ。本日は禁忌(きんき)の法について学ぶ。これは実際に使って試してみる事の出来ない術だ。口訣(こうけつ)の類いは一切教える事は無い。ただそのような法が存在しているのだという事実を胸に深く刻み込め」

 常にも増して、セクールスは重々しく次の授業内容を告げる。禁忌の術、とは一体どのような術なのだろう。生徒たちはみな、神妙な面持ちではいと答えを返す。

「では実習室を片付けて昼休憩。以上」

 一足先にセクールスは実習室を出て行った。残された生徒達は散らばった的の欠片を拾い集めゴミ箱に放り込むと、床を掃き清めた。
 シアンはいつの間にやら姿を消していた。こう言った掃除や後片付けのような作業を、彼は極端に嫌がっていた。『自分のような名門の跡取りがする作業では無い』、と言うのがその理由のようだ。
 初めのうちはグーミエが掃除をするようにとシアンを(いさ)めていたが、近頃は言っても無駄と諦めたのか、姿を消そうとするシアンを追いかける事もなくなっていた。
 生徒たちはシアン抜きでテキパキと掃除を済ませると、昼食を取るために散っていく。
 グーミエとエカルラートは弁当を持参していて、食堂をあまり利用しない。箒を掃除用具入れの小部屋に戻して、レーキは一人で食堂に向かった。



 昼食を済ませて、レーキは『赤の教室・Ⅴ』に向かう。教室の場所は二学年生の時から階層が変わって三階になっていたが、名称は変わらず『赤の教室・Ⅴ』のままだ。担任も生徒のメンバーも替わらないのだから、変える事の方が何かと不都合なのだろう。
 教室の作りも、二階のモノと大して変わらない。窓から見える景色がほんの少し変わっただけだ。
 一番乗りだったレーキは、扉に最も近い「いつもの席」に着席した。もう幾度読み返したか解らない『法術』の教科書をめくって、『禁忌の術』についての予習を始める。

 曰く、『人の死を冒涜する術』。これは死霊を操り、死者の体を使役する外法など。
 曰く、『人の精神を冒涜する術』。これはかつて存在したという、人の精神に直接働きかける外法など。
 曰く、『強大過ぎる術故に伝承する事を禁じられた術』。これは各色天法にいくつか存在する。

 今日の授業で、おそらく学ぶ事になるのはその三つだろうと目星を付けて、レーキは帳面に一つ一つを書き付けた。
 そのうちに、他のクラスメイトたちも教室に集まってくる。授業開始を告げる鐘が鳴る前にシアンが飛び込んで、そのすぐ後にセクールスがやってくる。それもいつもの光景だった。

「……それでは午後の授業を始める。まず、『法術』の教科書をしまえ」

 開口一番。セクールスの言葉に、生徒たちが一瞬ざわめく。それを一瞥(いちべつ)だけで制したセクールスが大きな黒い革表紙の本を教卓に載せた。

「本日学ぶ『禁忌の術』それは……『魔法(まほう)』と言う」

 重々しくセクールスが告げる。『魔法』。聞き馴染みの無い単語だ。レーキも始めて聞く単語に首をひねった。

「いいか。『魔法』と言うモノは魔のモノ、すなわち魔人(まじん)幻魔(げんま)が使用する不可思議な術の事だ」
「……それは、魔のモノにとっての天法と、言う事でしょうか?」

 グーミエの質問に、セクールスは静かに頷いてゆっくりと首を振った。

「……そうとも言えるが、そうだとは言い切れない。何故ならかつて人も『魔法』を使っていたからだ」
「それは天法では無く、と言う事ですか?」
「ああ。人は遠い昔、魔のモノとの争いの最中、魔のモノが使う術を真似て『魔法』を開発した。その力は天法を凌駕(りょうが)するほどに強大で、大きな島一つを軽々と宙に浮かせ、多くの人々を離れた地に運び、海を割り裂き、天候をも自在に操ったという」

 現在の天法では、そんな事は不可能だ。では『魔法』はなぜ、『禁忌』となったのか。

「その強大な力を持って人は魔のモノとの争いに勝利した。多くの人々が様々な『魔法』を学び、発展させていった。……だが。『魔法』には思わぬ落とし穴があった」

 言葉を切ったセクールスは軽く息を吸い込んで、次の言葉を続ける。

「……『魔法』を行使していた者たちが次々と『魔人』と化したのだ。『魔法』は強力だったが、人々の精神を(むしば)み、その性質を魔のモノへと作り変えてしまう事が解った。それ故いかに強力であろうと便利であろうと『禁忌』なのだ」


次のエピソードへ進む 第30話 ルームメイトの正体


みんなのリアクション

「全員構え……よし、撃て」
 セクールスの合図で、実習室で一列に並んだ『赤の教室・|Ⅴ《ご》』の生徒たちは一斉に『|水撃《アークヴォ・アターキ》』を的へと放った。
 掌を的へ向ける者、指先を向ける者、杖状の物を用いる者、スタイルはみなそれぞれ違ってはいたが、どれも激しい水流が、的である木人形を襲う。
 入学の季節が過ぎて、『緑の月』もすでに後半。レーキたち新三学年生は、既に通常の授業に入っていた。
 ここは実習棟にある実習室。石造りで天井の高い広い教室で、一クラス分の生徒たちが天法の術を試しても、問題ないほどには頑強に作られていた。
 レーキたち、生徒の前に少し離れて置かれているのは、的となる木で作られた等身大の人形。それが天法の術を受けて、同じく木で作られた架台の上でゆらと震えている。
「次。『|鉄の弾《フェロ・クーグォ》』構え……よし、撃て」
 下された命の通りに、生徒たちは『鉄の弾』を的に放つ。誰一人狙いは外さず、『水撃』でずぶ濡れになっていた木人形の何体かは、『鉄の弾』を受けて所々丸く風穴が空いた。
「ふん。命中率は悪くないようだ。……さて、本日の課題は『黒』と『白』の『混色法』だ。右手と左手でそれぞれ違った系統の天法を使っても構わんし、二つの系統をこね上げて一つの色となしても構わん。今回の実習時間中に的を徹底的に破壊せよ。それが出来た者から休憩とする」
 それだけ言うと、セクールスは持参した書物を読み出してしまう。生徒たちも、今ではすっかり馴れてしまったこの光景に、文句一つ言わない。
『赤の教室・Ⅴ』は、進級時に人数が二人減って五人となった。脱落したのは『赤のⅤ』のやり方に最後まで馴染めなかった者と、実家の都合で天法院を辞めざるを得なかった者。
 残ったのはレーキ、グーミエ、エカルラート、シアン、もう一人はロシュと言う獣人の男子生徒だった。
 二学年生時の教室での騒ぎから、シアンはレーキと表立って接触する事を避けているようだった。あちらが何も仕掛けて来ないと言うなら、レーキにも言うことなどは無い。
 レーキに放課後、術を教えているとしても、セクールスの特別扱いはせいぜい名前を覚えた事くらいで、課題の量も教え方の苛烈さもほかの生徒と何も代わりはしない。むしろ金策のため仕事をせねばならない分、レーキはほかの生徒たちより常に|疲労困憊《ひろうこんぱい》といった有様だった。
 シアンにもその事は解ってきたようだったが、「あいつは教師を買収するために無理して金を稼いでいる」などと吹聴しているようだ。
 金で買収されてくれる相手ならば、どんなに楽なことか。自分にまつわる噂話として聞かされる度に、レーキはそう思う。
 セクールスは、もとより金など歯牙にもかけない。それに、レーキが真に相対したいと願っているのは死の王だ。現世の金など、どれだけ積んでも、死の王の前には|塵芥《ちりあくた》で有ろうことはレーキにも解った。
「……『|氷塊撃《グラキエース》』」
 レーキはイメージする。右手に『水撃』、左手に『鉄の弾』。『黒』と『白』、『水』と『金属』、二つの系統の天法を混ぜ合わせると、不思議な事に物体を凍らせる事が出来る。
 力の流れを意識する時、レーキはいつも身のうちで燃え盛る炎を感じる。その真っ赤な炎をゆっくりと両腕に巡らせて、指先でその二つの炎を黒と白との炎に変換する。直接水や金属をイメージするより、このやり方のほうが自分には容易い。
後は、二つを同時に指先から放出してやれば『氷塊撃』の完成だ。
 レーキの狙いは、|過《あやま》たず木人形を直撃する。一撃で人形の半分を氷塊が押しつぶし、半壊させた。
「……相変わらず凄いね。レーキは」
 レーキの隣で、必死に『氷塊撃』を放っていたエカルラートが溜め息混じりに呟いた。
「そう言う君だってちゃんと『氷塊撃』が出来てる」
「……うん。でもね、わたし、いつも思うの。あの的イヤだな……人みたいな形のモノを壊しちゃうのはなんかイヤだな……」
 エカルラートの眉は、しょんぼりと|曇《くも》っている。木製の的だと解って居ても、人型をしていると言う事が、彼女の倫理観に訴えかけるのだ。
「そうだな。確かに……ただの木だと解っていても、あまりいい気分じゃない」
 確かに『人型』は、心の柔らかい部分を刺激してくる。あの、赤く焼けた村で。己が死にたくないという一心で、無意識に放った一撃が|屠《ほふ》った命。
 先に俺を殺そうとしたのはあいつだ。そう自分を納得させようとしても、忘れられない断末魔の叫び。人形は叫ばない。だが『赤』の天法の実習で焼け焦げた人型を見た時、レーキは何度も気持ちが折れかけた。
 だからこそ、レーキは目一杯の力で実習を終わらせる。一瞬でも早く耳に残るあの叫び声を消し去りたくて。
「わたし、もし人に向かって攻撃の天法を使わなきゃってなったら……どうしたら良いんだろう……」
 人に向かって、天法と言う強大な力を使うという恐怖。レーキの中にもそれは確かに、ある。実習の中で人形を使うのは、その恐怖に次第に順応させようと言う意図なのか?
 そう勘ぐってしまう。
「……エカルラートは優しいな……そうだな……使わなければいい。攻撃のための天法は」
「……え……?」
「今は大きな戦争とか起こってないだろ? だから天法士が戦いに駆り出される事も少ない。でも、俺が言うのも何だけど……盗賊とか魔獣に遭うとか、どうしても危ない場面に遭遇する時もあるから、その時のために大切なモノを守るための天法を主に学べば良いんじゃないかな?」
「……守るための、天法……?」
「例えば敵を足止めしたり、攻撃を届かないようにしたり、防御したり、攻撃以外にもとれる手は沢山有るだろう?」
 それは|詭弁《きべん》だと、自分でも思う。そんな危険が、この心優しいクラスメイトに降りかかる事が無いようにとも。
 レーキには確信があった。再び命の危険を前にすれば、自分は手加減なくこの強大な力を振るう。目の前の脅威を打ち倒すために、容赦など出来ない。
 死にたくない。今はどんな事をしてでも死ぬ事など許されない。
「……そうね。まだまだやれることはいっぱいありそう!」
 表情が明るく輝き出したエカルラートを前にして、レーキの胸はちくりと痛む。彼女を綺麗事で欺いているような、そんな良心の|疼《うず》きがある。
 人は誰しも、自分が出来ることを積み重ねて行くしかない。その先に何があるのか。エカルラートにもレーキにもそれが何かはまだはっきりと解らなかったが、今はやれることをするだけだ。
「……でも、攻撃のための天法を学ぶ事も必要だよ」
 そんな二人に釘を刺すように、エカルラートの隣にいたグーミエが会話に合流する。
「グーミエ」
「ごめん、二人の話聞いちゃった。……攻撃のための天法も知らないと、相手に天法士が居たときどんな手を取っていいのか解らなくなるから。だから今は攻撃と防御とどちらも学ぶと良いよ」
「そうだな。敵の理屈が解れば、やれることはもっと増える。そうすればもっと沢山の人を守れるかもしれない」
「……ありがとう。二人とも。あの的はやっぱり何だかイヤだけど……でもわたしはやれることをする!」
 吹っ切れたように、エカルラートは掌を木人形の的に向けた。まだ数カ所|凹《へこ》んだだけの人形に『氷塊撃』を放つ。
 レーキの氷塊のように大型では無いものの、エカルラートの氷塊は確実に木人形を壊していく。
 ──俺も、今やれる事をしよう。
 レーキは木人形に狙いを定め、『氷塊撃』を放つために一つ深呼吸をした。
「本日の実習はここまで。午後は『赤の教室』で座学だ。本日は|禁忌《きんき》の法について学ぶ。これは実際に使って試してみる事の出来ない術だ。|口訣《こうけつ》の類いは一切教える事は無い。ただそのような法が存在しているのだという事実を胸に深く刻み込め」
 常にも増して、セクールスは重々しく次の授業内容を告げる。禁忌の術、とは一体どのような術なのだろう。生徒たちはみな、神妙な面持ちではいと答えを返す。
「では実習室を片付けて昼休憩。以上」
 一足先にセクールスは実習室を出て行った。残された生徒達は散らばった的の欠片を拾い集めゴミ箱に放り込むと、床を掃き清めた。
 シアンはいつの間にやら姿を消していた。こう言った掃除や後片付けのような作業を、彼は極端に嫌がっていた。『自分のような名門の跡取りがする作業では無い』、と言うのがその理由のようだ。
 初めのうちはグーミエが掃除をするようにとシアンを|諫《いさ》めていたが、近頃は言っても無駄と諦めたのか、姿を消そうとするシアンを追いかける事もなくなっていた。
 生徒たちはシアン抜きでテキパキと掃除を済ませると、昼食を取るために散っていく。
 グーミエとエカルラートは弁当を持参していて、食堂をあまり利用しない。箒を掃除用具入れの小部屋に戻して、レーキは一人で食堂に向かった。
 昼食を済ませて、レーキは『赤の教室・Ⅴ』に向かう。教室の場所は二学年生の時から階層が変わって三階になっていたが、名称は変わらず『赤の教室・Ⅴ』のままだ。担任も生徒のメンバーも替わらないのだから、変える事の方が何かと不都合なのだろう。
 教室の作りも、二階のモノと大して変わらない。窓から見える景色がほんの少し変わっただけだ。
 一番乗りだったレーキは、扉に最も近い「いつもの席」に着席した。もう幾度読み返したか解らない『法術』の教科書をめくって、『禁忌の術』についての予習を始める。
 曰く、『人の死を冒涜する術』。これは死霊を操り、死者の体を使役する外法など。
 曰く、『人の精神を冒涜する術』。これはかつて存在したという、人の精神に直接働きかける外法など。
 曰く、『強大過ぎる術故に伝承する事を禁じられた術』。これは各色天法にいくつか存在する。
 今日の授業で、おそらく学ぶ事になるのはその三つだろうと目星を付けて、レーキは帳面に一つ一つを書き付けた。
 そのうちに、他のクラスメイトたちも教室に集まってくる。授業開始を告げる鐘が鳴る前にシアンが飛び込んで、そのすぐ後にセクールスがやってくる。それもいつもの光景だった。
「……それでは午後の授業を始める。まず、『法術』の教科書をしまえ」
 開口一番。セクールスの言葉に、生徒たちが一瞬ざわめく。それを|一瞥《いちべつ》だけで制したセクールスが大きな黒い革表紙の本を教卓に載せた。
「本日学ぶ『禁忌の術』それは……『|魔法《まほう》』と言う」
 重々しくセクールスが告げる。『魔法』。聞き馴染みの無い単語だ。レーキも始めて聞く単語に首をひねった。
「いいか。『魔法』と言うモノは魔のモノ、すなわち|魔人《まじん》や|幻魔《げんま》が使用する不可思議な術の事だ」
「……それは、魔のモノにとっての天法と、言う事でしょうか?」
 グーミエの質問に、セクールスは静かに頷いてゆっくりと首を振った。
「……そうとも言えるが、そうだとは言い切れない。何故ならかつて人も『魔法』を使っていたからだ」
「それは天法では無く、と言う事ですか?」
「ああ。人は遠い昔、魔のモノとの争いの最中、魔のモノが使う術を真似て『魔法』を開発した。その力は天法を|凌駕《りょうが》するほどに強大で、大きな島一つを軽々と宙に浮かせ、多くの人々を離れた地に運び、海を割り裂き、天候をも自在に操ったという」
 現在の天法では、そんな事は不可能だ。では『魔法』はなぜ、『禁忌』となったのか。
「その強大な力を持って人は魔のモノとの争いに勝利した。多くの人々が様々な『魔法』を学び、発展させていった。……だが。『魔法』には思わぬ落とし穴があった」
 言葉を切ったセクールスは軽く息を吸い込んで、次の言葉を続ける。
「……『魔法』を行使していた者たちが次々と『魔人』と化したのだ。『魔法』は強力だったが、人々の精神を|蝕《むしば》み、その性質を魔のモノへと作り変えてしまう事が解った。それ故いかに強力であろうと便利であろうと『禁忌』なのだ」