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第11回

ー/ー



 ドアの鍵は閉めている。3階にあるこの部屋の窓の外は足場にする窪みすらない。

 まるで聞き覚えのない声だった。一体誰だろう? いや、それ以前にこれは声だろうか?
 気配は遠くからしている。宙をうねる波となって遮る壁をも簡単に透過して届いてくるような感覚。
 しかもそれは魅魎など悪しきものの持つそれとは違い、はるかに高貴な翠の波。
 まだまだ未熟な自分に、浄化された光の中から意味を読み取るだけの能力がないことは重々承知だ。

 と、いうことは、何者かがわざわざ自分に向けて送りこみ、そして感知させているということだ。

 何千年に渡って結界を十重二十重に張られ続けたここは、魅魎にとって空気すら猛毒に感じられる聖域。入ってくることはおろかその思念の触手を伸ばすこともできないはず。
 これは間違いなく高い能力を持つ者によるものであると分かっている呼びかけであるのならば、迷うこともないだろう。

 神経が張っていて、まるで眠れなかったことも手伝って、寝台から出ることにためらいはなかった。
 イスの背にかけっぱなしだった普段着にさっと着替えて部屋を抜け出し、波動を逆にたどっていく。

 東の別館の中央、地下へと続く階段を下りるときになって、不思議と、今まで(あかり)の必要性を感じていなかったことに気付いた。
 月明かりがまともに入る通路や間接的な明るさの届く宮中はまだ良かったが、さすがに地下へ下りるとなるとそういうわけにはいかない。

 一度部屋へ戻り、燭台を持ってくるべきだろうか?

 迷ったのはほんの一時だった。
 そんなことをすれば、他の者に気付かれる確率が高くなる。ずるずると、まるで引き寄せられるようにここまで来てしまったが、もうここは東の国にある転移鏡(てんいきょう)全てと通じている転移鏡を置いてある所で、訓練生は誰一人、許可なしに立ち入ってはならない禁じられた域だ。
 そこにこんな時間にいることを知られて、うまい言い訳が自分にできるわけがない。
 何より、その波動を感じたときに何故報告をしなかったのかと、お答めをもらうに決まっている。

 思いつかなかった、というのが正直な気持ちだが、そんな子どものような言い訳が通じるはずもない。それに、ここまで来る間に誰とも会わなかったということは、やはりこの光は自分にしか感じ取れていないのだろう。そんな光の存在を、どうやって説明すればいいのか……。

 今さら引き返す気にもなれないし、とにかく何者が、何の目的で送ってきているのかを確かめることが重要だと考えた、というのが一番ましな言い訳だと思い直して、セオドアは右の壁を手探りに、ゆるやかな螺旋を描く階段を下り始めたのだった。

 そうして下り始めて気がついたことだが、近付いているにも関わらず、感知する波動はだんだん弱 まっていた。
 急激に、とまではいかないが、消え始めているのは間違いない。

(冗談じゃない。たどり着く前に消えたら、ますます説明が困難になるじゃない――うわ!)

 あせって踏み出した足が、擦り減ってすべりやすくなっていた段を踏み外し、残りの3段を尻もちをつくように転げ落ちる。痛みに思わずつぶった(まぶた)の裏に、幾重にも走る翠の光が浮かんだのはそのときだった。

 まるで真昼のような白い闇の中をその光の筋はこちらに向かって飛んできていた。
 急ぎ目を開けて、変わらず暗闇が広がっていることにほっと息をつく。
 おかしな感覚だった。閉じていたほうが明るいとか。

 あらためてもう一度、目を閉じてみる。やはり白くまぶしい闇が広がって、その中を縦横無尽に翠の光が踊り、前方に向かって走っている。
 その光の波動は、先から感じている波動と同一のものだった。
 このほうが余計なものに気を散らさずにすんで、感じやすいということなのだろうか……。

 とにもかくにもこれ以降、聖域の中でも立入禁止区域というだけあって、複雑に絡み合った気の流れの痕跡からこの弱い波だけを選び出すのは難しいこともあり、セオドアは目を閉じて手探りに進んでいった。


 やがて、セオドアを招き寄せているようなその光は、白闇の特に輝く中心から送られてきていることが分かる。
 幸い、白い闇から光が輻射される間隔が途切れる前にそこへたどり着くことができた。
 そのことにほっとして目を開いた瞬間――彼女の背は、誰かの手によって突き飛ばされてしまった。

 正確には、突き込む、だ。

 白く冷たい面――おそらく鏡面だろう――に触れたと思ったときにはもうすでにセオドアの体は立て直せないほど前傾してしまっていたのだから。

「だ、れ――……」

 鏡面の冷たさを感じながら、確実に内側へとめり込んでいく。
 必死に身をねじって背後の手の主を見ようと試みるがもはや遅く。彼女の目に映ったのは、だんだんと遠ざかってゆく鏡面の形に黒くくり抜かれた白い闇。そして左右の果ても、上下の限界も全く見えない、ただただ白い闇の空間の間隙(かんげき)を、彼女はまるで引きずりこまれるように落下を続ける。
 極寒と思えるほどの寒さと、初めて体験する転移の感覚――それは目に入るもの全てがぐにゃりと歪むような、乗物酔いに似ていた――、そして突然ぶつかってきた、身を裂かんばかりの衝撃に彼女は気を失ってしまい。
 気付けばこの砂漢にいた、というわけだった。


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 ドアの鍵は閉めている。3階にあるこの部屋の窓の外は足場にする窪みすらない。
 まるで聞き覚えのない声だった。一体誰だろう? いや、それ以前にこれは声だろうか?
 気配は遠くからしている。宙をうねる波となって遮る壁をも簡単に透過して届いてくるような感覚。
 しかもそれは魅魎など悪しきものの持つそれとは違い、はるかに高貴な翠の波。
 まだまだ未熟な自分に、浄化された光の中から意味を読み取るだけの能力がないことは重々承知だ。
 と、いうことは、何者かがわざわざ自分に向けて送りこみ、そして感知させているということだ。
 何千年に渡って結界を十重二十重に張られ続けたここは、魅魎にとって空気すら猛毒に感じられる聖域。入ってくることはおろかその思念の触手を伸ばすこともできないはず。
 これは間違いなく高い能力を持つ者によるものであると分かっている呼びかけであるのならば、迷うこともないだろう。
 神経が張っていて、まるで眠れなかったことも手伝って、寝台から出ることにためらいはなかった。
 イスの背にかけっぱなしだった普段着にさっと着替えて部屋を抜け出し、波動を逆にたどっていく。
 東の別館の中央、地下へと続く階段を下りるときになって、不思議と、今まで|灯《あかり》の必要性を感じていなかったことに気付いた。
 月明かりがまともに入る通路や間接的な明るさの届く宮中はまだ良かったが、さすがに地下へ下りるとなるとそういうわけにはいかない。
 一度部屋へ戻り、燭台を持ってくるべきだろうか?
 迷ったのはほんの一時だった。
 そんなことをすれば、他の者に気付かれる確率が高くなる。ずるずると、まるで引き寄せられるようにここまで来てしまったが、もうここは東の国にある|転移鏡《てんいきょう》全てと通じている転移鏡を置いてある所で、訓練生は誰一人、許可なしに立ち入ってはならない禁じられた域だ。
 そこにこんな時間にいることを知られて、うまい言い訳が自分にできるわけがない。
 何より、その波動を感じたときに何故報告をしなかったのかと、お答めをもらうに決まっている。
 思いつかなかった、というのが正直な気持ちだが、そんな子どものような言い訳が通じるはずもない。それに、ここまで来る間に誰とも会わなかったということは、やはりこの光は自分にしか感じ取れていないのだろう。そんな光の存在を、どうやって説明すればいいのか……。
 今さら引き返す気にもなれないし、とにかく何者が、何の目的で送ってきているのかを確かめることが重要だと考えた、というのが一番ましな言い訳だと思い直して、セオドアは右の壁を手探りに、ゆるやかな螺旋を描く階段を下り始めたのだった。
 そうして下り始めて気がついたことだが、近付いているにも関わらず、感知する波動はだんだん弱 まっていた。
 急激に、とまではいかないが、消え始めているのは間違いない。
(冗談じゃない。たどり着く前に消えたら、ますます説明が困難になるじゃない――うわ!)
 あせって踏み出した足が、擦り減ってすべりやすくなっていた段を踏み外し、残りの3段を尻もちをつくように転げ落ちる。痛みに思わずつぶった|瞼《まぶた》の裏に、幾重にも走る翠の光が浮かんだのはそのときだった。
 まるで真昼のような白い闇の中をその光の筋はこちらに向かって飛んできていた。
 急ぎ目を開けて、変わらず暗闇が広がっていることにほっと息をつく。
 おかしな感覚だった。閉じていたほうが明るいとか。
 あらためてもう一度、目を閉じてみる。やはり白くまぶしい闇が広がって、その中を縦横無尽に翠の光が踊り、前方に向かって走っている。
 その光の波動は、先から感じている波動と同一のものだった。
 このほうが余計なものに気を散らさずにすんで、感じやすいということなのだろうか……。
 とにもかくにもこれ以降、聖域の中でも立入禁止区域というだけあって、複雑に絡み合った気の流れの痕跡からこの弱い波だけを選び出すのは難しいこともあり、セオドアは目を閉じて手探りに進んでいった。
 やがて、セオドアを招き寄せているようなその光は、白闇の特に輝く中心から送られてきていることが分かる。
 幸い、白い闇から光が輻射される間隔が途切れる前にそこへたどり着くことができた。
 そのことにほっとして目を開いた瞬間――彼女の背は、誰かの手によって突き飛ばされてしまった。
 正確には、突き込む、だ。
 白く冷たい面――おそらく鏡面だろう――に触れたと思ったときにはもうすでにセオドアの体は立て直せないほど前傾してしまっていたのだから。
「だ、れ――……」
 鏡面の冷たさを感じながら、確実に内側へとめり込んでいく。
 必死に身をねじって背後の手の主を見ようと試みるがもはや遅く。彼女の目に映ったのは、だんだんと遠ざかってゆく鏡面の形に黒くくり抜かれた白い闇。そして左右の果ても、上下の限界も全く見えない、ただただ白い闇の空間の|間隙《かんげき》を、彼女はまるで引きずりこまれるように落下を続ける。
 極寒と思えるほどの寒さと、初めて体験する転移の感覚――それは目に入るもの全てがぐにゃりと歪むような、乗物酔いに似ていた――、そして突然ぶつかってきた、身を裂かんばかりの衝撃に彼女は気を失ってしまい。
 気付けばこの砂漢にいた、というわけだった。