五月八日。
この日の昼食時、久しぶりにリズが候補生の宿舎に顔を出した。
再試験の結果発表かと思ったが、違うらしい。
「えー! 連絡事項! 明日の午後一時頃、なんと、この国の第一王子、タスクラデア殿下が、宿舎の視察にやってくる!」
『第一王子』という単語に候補生達がどよめいた。
「うそ!」「王子様が!?」「すっげ!」と言う声が上がる。
そこでプラグはふと思った。
――明日、五月九日は休日だ。
するとリズが続けた。
「明日は休みだが、普段通り外出は自由。王子一行に出くわしたくない奴は出かけて構わない。逆に見たい奴は残ってもいい。――案内はシオウ、お前がやれ。まあ私とルネもリーオも付くから心配すんな。なんか聞かれたら答えろ。宿舎の視察って言っても、要するに、執務棟の焼け跡視察だ。有り難いことに、執務棟の立て替え費用、七千万グランを、全て王子が出して下さる! 手持ちの、スゲー宝石を競売にかけてくれるんだとよ。つーわけで、一生感謝しろ!」
リズの言葉に「すげー」「太っ腹……!」「え? つか適当に燃やした?」「まさかないだろ」「言葉のあやだって」「もともと解体が決まってたのよ多分」という声が聞こえた。
「で、ついでに候補生の様子も見られたら良いなと。そんな感じらしい。勉強の邪魔にならないように休日を選んだというありがたーいご配慮だ」
リズの言葉に、へぇ、と言う反応が返ってくる。
「王子と、後は、護衛や建築家、大工なんかも合わせて、二十名は来る。ついでにあちこち見て回るらしいから、失礼のないように」
「はーい」と候補生達が返事をした。
リズはひとさし指を立てて、更に続けた。
「で、これが重要なんだが――対応には決まりを設ける。一つ目、お前等は普段通り動いて良いが、話し掛けられるまで、口を開かないこと。つまり自分から王子や護衛に話し掛けてはいけない。二つ目。自分から名乗らない。これは徹底しろ。貴族の誰々ですとか、身分も名乗ってはいけない。それ以外は王子一行をじろじろ見ても構わない。王子殿下、つまり未来の国王陛下に会えるなんて一生に一度かもしれねぇからな! せいぜい拝んどけ。護衛は皆、怪しい黒いローブを着ているが、近衛兵の顔がばれると不味いだけだから気にすんな。とにかく自分の名を名乗るな。これは徹底しろ。分かったか? 明日、お前等は、全員、その他大勢の候補生だ! わかったか?」
リズの勢いに意味の無い歓声が起きて候補生達が「はーい!」と元気よく返事をした。
プラグは不思議な事を言うな、と思ったが確かに贔屓防止には有効だ。
王子と知り合いなりたいという候補生もいるかもしれないし、逆に王子が眼をかけてしまう可能性もある。アルスは王子の妹だから、宿舎生活が気になっていたのだろう。
「よーし。じゃあな! 楽しめよ!」
リズは笑って去って行った。
シオウの右隣にはゼラトがいて、シオウに話しかけていた。
「シオウ、お前、凄ぇな! ご指名じゃ無いか!」
ゼラトは明るい金髪の、可愛らしい容貌の美少年で、水色の瞳とふわふわの巻き毛が特徴だ。
「なんで俺? ……めんどくさッ……」
シオウはそう言っているが。燃やしたのはシオウなので対応は当然かもしれない。
プラグも同罪だが、主犯ではないので? 免れたようだ。
「頑張って」
プラグがシオウに声をかけると、シオウはプラグを見た。
「なあ、お前は明日、どうすんだ?」
「俺? 俺は山に行こうかな」
プラグは休みになったらやりたいことがあったので、さっさと山に行くつもりだった。
すると周囲から奇妙な溜息が聞こえた。
その中でゼラトが苦笑した。
「変な奴。ま、自由だけどな。俺も出かけるかなー」
「ゼラトは街?」
「ああ、適当にぶらつく。王族ってなんか敷居が高いから、会いたくない」
「あぁ。そうだな、俺もそう思う」
プラグは頷いた。
するとシオウが首を傾げた。
「そういや、お前、先週も山に行ったよな? なんかあんのか?」
「そういうわけじゃないけど、空気がいいから。ファータも走りたがってるし」
「ふぅん。今度、一緒に行くか? 来週辺り」
「うん、いいよ」
プラグは頷いた。
「――なあその遠乗りって、誰でもできるのか?」
するとゼラトが言って、首を傾げたので、プラグは頷いた。
「うん。空いてる馬を借りれば行ける。行ったこと無い?」
「そういやないな。ちょっと気になる」
ゼラトは勉強以外、ほぼ何でもできる候補生で、馬術も得意だ。
「厩舎で聞けば注意とか教えてくれるよ。どうせなら一緒に行く?」
するとゼラトは少し考え。
「いや俺、明日、外で肉が食いたい。ま、でも時間があったら行こうかな。どの辺にいるとかあるのか?」
と尋ねてきた。
「うーん。山は広いからちょっと、会えないかも。ただ入り口は一つだから……帰りに会うかも?」
「山に入るのか? 大丈夫なのか?」
「厩務員さんや近衛の人に色々教えてもらったから……あ、たまに出くわすから気を付けて。皆、良い人だけど、貴族だから挨拶はしないと。その辺りの決まりも厩舎で聞いた」
「うわ。何か面倒そう。また今度にするわ。今度、お前が行くとき、連れて行ってくれよ」
「うん、わかった……でも明日でもいいよ? 俺が出発時間を合わせればいいし」
プラグが言うと、ゼラトは少し考えて――頷いた。
「まあ……そうだな。どうせ出かけても一緒か。じゃあ、明日行こうぜ。予定変更! ペイトも行くか?」
「私? んー。別にいいわ。王子様が見たいもの」
ペイトが振り返って手を振った。女子や他の男子達は、王子の話をしている。
「あーそっか、そうだよな。代わりに見といてくれ。俺はコイツと出かけてくる」
「了解」
成り行きで明日の道連れができてしまったが、ゼラトなら大丈夫だろう。
プラグは時間を決めて約束をした。
■ ■ ■
「うわ……えっこれ、お前の持ち馬!?」
ファータを連れ出すと、ゼラトが目を丸くした。ゼラトも借りた馬を連れている。
ゼラトの馬は『ルーラン』とと言う栗毛の牝馬だ。ファータと一緒、と言う事で雌が選ばれた。
ファータと比べると一回り小さく見える。と言うかファータが雌にしては立派なのだ。
「まあ一応。ゼラトは馬に詳しいんだな」
「ああ。当然! つか、こんな色艶の良い馬、どうして? うわ、すっげ早そう……あ、候補生になるからもらったのか? それとも親父に借りたやつ?」
「俺が養子に入ったときちょうど子馬で。もらったんだ。実はまだ三歳で、遠出もした事が無かったら、一緒に旅はどうかって連れて来た」
「へぇ~。こんな立派な美人がいたら、そりゃ男共は落ち着かないな。あ、ルーランも美人だけどな。ここの馬は皆、良い馬だよな。あのチーカーなんて凄ぇよな」
ゼラトがルーランを撫でる。ルーランは大人しい馬で、ゼラトを丸い目で見つめている。
『この人、目が大きい』とか思っていそうだ。
そこで、厩務員のビルフが「お待たせ!」と言って戻って来た。
「これ、良かったら二人で食べて。かみさんの作った林檎パイだけど。一回りあるから。水は持った?」
白い布包みのみを渡され、受け取った。プラグは目を丸くした。
「あ、はい! いつもありがとうございます」
「おっ、ありがとうございます」
ゼラトも嬉しそうにした。
ちなみに二人は許可を得て帯剣している。これは山に行く時の決まりでもあった。小さな鹿や小さな猪に出くわす可能性があるからだ。
遊びで山へ行く場合はプレートを預ける決まりがあって先程ケースごと預けてきた。鍛練で山に入る場合も、『火』や『火の精霊』のプレートは持ち込めない。
そのほか、山に入るのでビルフに『入山許可』の木札をもらい、首に下げている。
木札の紐には鈴がついていて、一応、熊避けになっている。
ちなみに山は通常、午後四時までしかいられない。野営の場合は付き添いと別途申請が必要だ。
山で狩りをする場合は『狩猟許可』の木札と、どれくらい狩るかの申請と、結果報告が必要だが、自衛の為なら襲ってきた動物を処分しても問題ない。その場合はできれば持ち帰るか無理な大物なら報告する義務がある。熊、シカ、猪などがこれにあたる。兎は含まれない。
……ちなみにここにいる動物は全て、カルタの生き物に比べれば十分の一の大きさなので、プラグには可愛い愛玩動物としか思えない。
今日、プラグは入山許可の札以外に『採集許可』の札を下げている。
これはリズに事情を話してもらって来た。釣りをした場合は魚、その他、木の実、山菜、香草を持ち帰るための物だ。キノコは危ないので採集禁止だ。
ビルフが苦笑した。
「はは。かみさん、最近休みになると何か作るんだよ。ま、色男は得だな」
ぽんぽんと頭を撫でられて、プラグは微笑んだ。
「そんな事言って。奥さん、ビルフさんが大好きなのに」
「ははは、照れるなぁ……! じゃあ気を付けて。暗くなる前には帰ってくるんだよー」
「はい。山には一時間くらい滞在して、その後は湖の近くにいます、後は適当に散歩かな。四時か遅くても五時くらいには戻ります」
「あいよー、行ってらっしゃい」
二人はそれぞれ馬に跨がり、動き出した。
「なあ、その馬、後で乗ってみても良いか?」
「もちろんいいよ」
プラグは頷いた。乗り手が変わると馬の気分も変わる。ファータも楽しいだろう。
二人は並んで湖畔の道を進んだ。クヌギの木がまばらに生え、足元には、ところどころ雑草が生えている。
「プラグはなんで王子様に興味がないんだ?」
ゼラトが尋ねてきた。プラグは少し考えた。
「興味か……あるといえばあるんだけど、実はそれより気になる事があるんだ」
「あ、そういう?」
「うん、先週、山で面白いものを見つけて。ずっとそのことを考えてた」
「あー、なるほどな。んんー?」
「んん?」
ゼラトが首を傾げるので、プラグも首を傾げた。
二人はやがて遊歩道に出た。プラグは一旦止まり、ゼラトに説明した。
ビルフからも聞いていたが、実際に見ておさらいだ。
遊歩道は砂利の無い砂道で、今の所、幅は五メルト程度。
左手側、少し先にはクレナ湖が見えて、右手側には馬場がある。
「説明するね。ここからしばらく、百メルトくらいは草も生えた道になっていて、あんまり速度は出せない。でもその後は、道が二つに分かれていて早い道、遅い道になってる。左の道が早い道、右の道が遅い道。どちらも基本、左側通行で、行きは左側。帰りも左側。って感じで通る感じで、向こうから来た人にぶつからないようになってるんだ」
「ああ、なるほど」
「別れ道には、説明の案内板があるから、間違える事は無いと思う。早い道でも人がいるな、ってなったらちょっと遠慮したり、帰りの人とすれ違うときは速度を落としたりするといい。あ、早い道は挨拶不要――って言うか馬から下りなくて、頭を下げたり、手を挙げたりするくらいでいいんだけど、遅い道は近衛の人がいたら、降りて挨拶した方がいいかも。ほとんど速歩かな。あとこれは絶対だけど、追い越しは禁止だって。勝負が始まって、危ないからだって」
「はぁー、なるほど」
「進もうか」
「ん」
ゼラトが馬の腹を蹴って進み始める。
「風が気持ちいいなぁ」
ゼラトが笑った。ふわふわの巻き毛が風に揺れている。
「ほんと。この季節の風はいいよね」
プラグは微笑んだ。
しばらく湖畔を進み、別れ道に来た。地図の掘られた看板があり『こちら速い道』『こちら遅い道』と書かれ、注意書きも添えてある。プラグが言ったことも全部書かれている。
「どっちの道から行く? ちなみにどちらの道も終点は山の入り口。柵があるんだ。今日は入山許可証があるから、山の中まで入れるけど。急ぐ?」
「うーん。近衛の人って良くいるのか?」
「今日は誰も来てないって言ってたから、いないんじゃ? 来てるときは大抵、厩舎で教えてくれるよ。あ、でも山までの道は申請がいらないから、急に出会う事もある。遅い道の途中に、脇道があってそのあたりで良く会うかな。行った事は無いけど、近衛の訓練場から遊歩道に入れるらしいんだ」
「へぇー。近衛か、まあ会っても挨拶すりゃいいし、遅い道で行くか。帰りは走ろうぜ。どのくらいかかるんだ?」
「遅い道は軽く走る感じで、一時間くらいかな。早さは、全速力じゃなければ問題は無いよ。速い道なら三、四十分くらい?」
「なるほど。じゃあ遅い道で。先に走ってくれ」
「わかった」
プラグは前に出て「ファータ、もう少し速く」と声をかけた。
ファータが少し速度を上げる。
ゼラトも同じ程度の速さでついてきた。五分ほど行くと、脇道があり、付近に馬に乗った近衛兵が二人がいた。
「あ、あそこにいる。あそこが脇道」
「ああ、なるほど降りる?」
「うん。知ってる人だ。俺が先に降りるから」
プラグは速度を落として、止まって笑顔で手を振った。
「こんにちは。クエンティンさん!」
「おお! よう坊主」
向こうが気付いたところで馬を下りた。ゼラトも馬から下りた。
クエンティン・ル・オーラスは四十過ぎの、短く刈り込んだ真っ赤な髪が印象的な、引き締まった体躯の近衛兵だった。気さくな性格だが、れっきとした伯爵だ。
クエンティンの他に今日はランドルもいた。
ランドル・ル・エルムは五セリチほどの長さで綺麗に整えた金髪に、茶色の目を持つ、体格の良い青年で、彼も男爵の令息だ。と言うか近衛は八割が貴族で構成されている。
残り二割は平民採用や、領土騎士からの栄転だが、皆、適当な貴族と養子縁組みをするので、結局、貴族しかいない。
「ランドルさんもこんにちは、お疲れ様です」
「おー。お疲れ。今日も山?」
「はい。お二人は?」
「俺達は走りまくるつもり」
クエンティンの言葉にプラグは微笑んで、ゼラトを紹介した。
「あ、友人を連れて来ました。ゼラト・ル・ピアです。どこ出身だっけ?」
「エスタード領のハジコ村です。凄い田舎です」
するとランドルが目を丸くした。
「あれっ、エスタード? 同郷だよ。俺は領都だけど、あれ? ハジコ村って、山の中?」
「はい。一番、西端にあります。ニエブラ山です」
「あーっ! あそこね! ってあんなところからわざわざ? そっか、よろしくな。訓練がきつかったら近衛に来いよ。可愛がってやるぜ」
「ははは。考えてみます」
ゼラトが苦笑した。
「じゃあ、俺達は行くな。良い休日を」
「じゃなー」
「はい、楽しんで」
プラグは手を振って、しばらくしてまた馬に跨がった。
「――って感じ。俺達も行こうか。追い越し禁止だけど、速い道に行くみたいだから会わないかも?」
「なんとなくわかった。そっかそれで俺なら、って言ったの? 貴族だから?」
「それもあるかも。近衛とクロスティアはかなり仲が良いらしくて、気さくな人が多いんだけど、やっぱり貴族が多いから。あと、まだ俺達は候補生だから、これくらいは当然かな。普通なら会話できない貴族だし」
「確かに。近衛なんて普通、話さないよな。さっきの人達は?」
プラグはクエンティンはオーラス伯爵、で、ランドルもエルム男爵の息子だと説明した。するとゼラトは声を上げた。
「エルム男爵!? 思いっきり聞いた事ある! やばい俺失礼だったかな。伯爵もなんか、聞いた気がする……うわー」
プラグは苦笑した。ゼラトはランドルの家名を知っていたらしい。
「ゼラトも貴族だから、気にしないで良いと思う。俺も最初は緊張したけど、別に名前で呼んで良いって。だから、さん付けで」
「ふぇ~……お前って、恐い物知らずだな……」
「そんな事ないよ。そう呼んでくれって言われたから。でなきゃ顔も上げられないよ。でも近衛はいざという時は、クロスティアの指揮下に入るから精霊騎士の候補生にはあまり威張っちゃいけないんだって。それに甘える格好だから、できるだけ丁寧に接した方が良いんだ」
クロスティア騎士団と、近衛騎士団では、クロスティア騎士団の方が圧倒的に権限が強い。
近衛の権限は国内だけだが、クロスティア騎士団は各国で活動できる。
だから近衛騎士達は相手が候補生と言えど気は抜けない。
身分を盾にして威張ったとしても……後々、立場が逆転するのだから、向こうも接し方には気を付けているのだという。
ゼラトが溜息を吐いた。
「ああ、確かにそう言うよな……でもすげーよ……」
「あ。そう言えばたまに、近衛の訓練生もいるよ。貴族から近衛の騎士課程に入ると最低、三年は訓練するんだって。入隊年齢は色々だけど、入って三年経つと厳しい試験があって、二十歳までに突破できないと、他の騎士になるか、故郷に帰されるって。大変そうだった」
「うわ、そうなんだ?」
プラグの言葉にゼラトが返した。
プラグは頷いて前方に目を向けた。
「一年で精霊騎士になるって言う、こっちがおかしいんだって言ってた。誰もいなさそうだから、少し早めようか」
「ん」
そして二人は軽く風を切り、山の麓まで来た。
「いやー楽しい! たまに来ようかな」
「まだ皆あんまり来て無いみたいだから、ビルフさんが暇だって言ってたよ。俺と後はシオウくらいだって。初めの時は一緒についてきてくれて、説明してくれたんだ」
「へえ、親切な人なんだな」
「一応仕事だって。でも良い人だよ。で、これが柵だけど」
プラグは山の麓にある立派な門を指さした。石作りの白壁で、鉄格子の門がある。
門は左右、二十メルトほど続いていて、石壁が門の向こうへと繋がっている。
白壁には山の決まりが書かれていた。
「柵って言うか、門だな」
「熊とか、猪も出るからね。まあ麓の辺りには出ないと思う。そこに山小屋と馬小屋があるから、馬を置いて行く場合はそこにつなぐ。で、飼い葉と水を置いてから登る。井戸もある」
「へぇ。こっちも立派だな」
門の右手側に馬小屋、山小屋がある。こちらも白壁の立派な作りだ。
「王族も使うみたいだから。ファータ達は今日は置いて行こう。留守番、頼むな?」
ファータが少し不満そうに頷いた。
「帰りはゆっくり遊べるからさ。それとも一緒に行く?」
ファータが首を軽く振る。
「ルーランと一緒に遊んでてくれ」
ファータが納得したようなので、馬小屋へ向かう。
馬小屋の水や飼い葉を整え、ファータとルーランを休ませて外に出る。
「で、決まりだけど」
プラグは木札を大きな錠に差し込み、山小屋の鍵を開けた。
「あれ、これ鍵なの?」
ゼラトが自分の木札を見て言った。
「そう。実はこの切り込みで、札を差し込むと開くんだ。門もこれと同じ仕組みになってる。昔は鍵だったらしいんだけど、いつからかこうなったって。鎖を巻いて、鍵かけるだけなんだ」
「そんなんでいいのか?」
「まあ、ここは城の中だし。来るとしても、王族か近衛かクロスティアだけだから」
「それもそうか」
山小屋は板張りで、入ってすぐに机と箱があり、その中に『狼煙』のプレートが二十枚ほど入っていた。そのほか、棚や床の木箱に毛布や食料、縄、剣や弓などが置いてある。水のプレートも置かれている。
その後、プラグはトイレや風呂も説明した。
「決まりは狼煙のプレートと水のプレートを一人一枚ずつ持っていく。それくらい。お風呂もあるけど、普段は使えない。水路があって、板を外せば水が引き込めるって。トイレは自由に使っていいから済ませておこう。後は簡単な台所があって、外には獲物をさばくための井戸がある」
「ああ、便利だな」
「うん。鍵は一応忘れないように、だって。山小屋は、手前側には五カ所あるんだけど、どれも好きに使って良いって。使ったらきちんと片付けて、元の場所に戻す、って感じ。あ、そう言えば――たまに、山で修行してる隊士に会うよ。グイットさんはお気に入りの山小屋があって、良く籠もってるって。この前は狩りをしてたな。クラリーナさんも良く来てるらしいけど、上の方にいることが多いって言ってた」
「へぇー。なんかすげー」
一通り見た後、プラグとゼラトは鍵をかけて、荷物を持って歩き出した。
山は近く、すぐに登山道になる。
「じゃあ行こっか」
「ん、今更だけど、どこに行くんだ? 遠い?」
「ううん、滝があるからそこまで。あんまり奥に行くと迷うかもしれないから」
「そか」
「川もあって、夏は釣りができるんだって」
「あー……なんか、村に帰りたくなってきた……郷愁ってやつ?」
ゼラトが憂いを帯びた表情で言った。
こうして見ると、ゼラトは本当に可愛い顔をしている。美少女顔というのだろうか。
プラグは、ゼラトにも女装が似合いそうだと思った。できれば誘いたいが、まあ、やめておく。
しかしいつか、潜入捜査などで機会があるかもしれない。その時はゼラト、フィニー、アドニス、シオウ、ウォレス……皆で一緒に化粧をして、ドレスを着るのだ。
――怒られそうな想像は一旦やめて、思考を現実に戻す。
ゼラトは、顔立ちの可愛さではフィニーより上というか、二人とも小動物のような感じがある。
フィニーがリスなら、ゼラトはムササビか、モモンガ……?
そんな事を考えながら、プラグは深く頷いた。
「わかる。俺もカルタが恋しい」
しばらく故郷の話をしながら道なりに歩くと、小川が見えてきた。別れ道には必ず看板があった。そして川沿いの道を登っていくと、滝と池が見えた。
木が生い茂っているが、草は少し背が低く、腰掛けるのに丁度良い倒木もある。
プラグは振り返った。
「ここ。俺は良くこの辺で鍛練する。静かでいいんだ」
「へぇ~! こんな所でやってたんだな。へぇ~!」
ゼラトは何故かとても感心している。
「ビルフさんは、川で泳いだり、魚を焼いたりする時は、誰か付き添いが必要だって。修行の場合は一人でもいいらしいけど、できれば二人か三人で。当然、火気厳禁」
するとゼラトが苦笑した。
「山だからなぁ。一人じゃ来ないな。する事もあんまないし」
彼は山育ちなので、山の恐さも知っているのだろう。
「――あ、あと、候補生は五合目までしか登れないって」
「ああなるほど」
「でもそのうち、登山訓練があるって……しかも冬」
プラグは苦笑した。
「え」
「しかも結構日常的に。ここはとんでもないよなぁ……」
「うげぇ……」
「そこの木で、おやつにしよう。とその前に……」
プラグは倒木の後ろにある、太い木の裏側を見た。
そこには小さな結界がある。
浅く、三角形に土を掘って枝で祝詞を書いただけの、原始的な結界だが、雨風は通さない。
中央には三セリチ程度の小石が置いてある。
「あれ、留守か。ホタルー! いるか? 遊びに来たよ!」
プラグは周囲に向かって声を出した。
すると木の上から、黄色い光が飛んで来た。光はムササビのように周囲を飛び回って、川面を跳ねて、また茂みへと飛び跳ねて、勢いよくプラグの頭にぶつかってきた。
「イタッ!」
プラグは気を付けて手の平に載せた。
体長は十五セリチほど。人間の形をした、金髪、赤目の妖精だ。
肌は灰色に近い白で、姿は人で言えば、十二、三歳くらいだろうか。
金髪は肩に付く程度のおかっぱになっていて、耳前の髪を体の前に垂らしている。
真っ赤な目は、白目が無くてアーモンドのような形をしていて、人と同じく、鼻があり、口がある。尖った耳を持ち、発光していて見にくいが、灰色の丈の短いワンピースを着ていて、背中に四枚の羽がある。羽は白く透き通っていて、先端が尖っている。
「この妖精は『ル=ラナ=ホタル』、ホタルって呼んでる。そこの小石の精だって」
プラグがホタルを手の平に載せて紹介すると、ホタルはゼラトを見て、瞬きをした。
「彼はゼラト」
『ぜらと?』
「そう。恐くないよ。可愛い顔だし、君と同じ金髪だ」
――ゼラトは目を丸くしている。
すると、ホタルはぴゅ、とプラグの肩に隠れてしまった。
「あ――」
ゼラトが口を開けたので、プラグは苦笑した。
「とりあえず座ろうか」
プラグは倒木に座って、包みを開けながら説明した。ホタルはプラグのうなじに隠れていたが、少しずつ、お菓子につられて降りてきた。頭を撫でてやると嬉しそうにした。
ゼラトは瞬きを繰り返しながら、ホタルを眺めている。
「妖精って、すごく珍しいんだよな?」
「そう。自然精霊が妖精になるのは本当に稀で、ホタルは妖精の中でも大きい方。小石の精霊――のなりかけ、みたいな感じかな。あと五百年……いや千年くらいしたら精霊になれるかも?」
「へぇ。結構かかるんだな」
ゼラトが林檎パイを口に入れた。
プラグがホタルに林檎パイを千切って渡すと、ホタルは嬉しそうに抱えて、小さな口でかじった。口いっぱいに頬張って、噛んで飲み込む。
「うん。先週見つけて、リズに聞いたらそのままにするか、いっそ連れて来るか、好きにしていい、って言われた。妖精は素直で人に捕まりやすいから……。あと、今は結界に入ってるけど、小石だから雨が降ったら流されるかも」
するとホタルが小さな声で『オイシイ! コレナニ?』と喋った。
「あれ、何か喋ってる?」
「うん、もう喋れる。『ホタル、これは林檎のパイだよ』――ゼクナ語だから、翻訳のプレートがあれば分かるはずだよ。たぶん五百年か、千年くらいはここにいるんだろうな。アリアと知り合いだって言ってた」
『パイ、ッテ、ナニ?』
「アリア?」
「――あ、えーと、アリアは水の精霊らしいよ。よく滝壷にいるって――『パイって言うのは、お菓子。食べ物。今食べてるそれのことだよ』」
プラグはホタルに説明をした。
『コレ、パイ! スキ』
「えっ、ここ精霊がいるの?」
ゼラトは滝壺を見た。
「ああ、いや、今は湖に引っ越したらしい。彼女に聞いたら、あ、偶然会ったんだけど、最近は人が増えたから捕まらないうちに、プレートに入った方がいいんじゃないかって。だからとりあえず、連れて行ってアリアと相談するつもりでいたんだけど……ん?」
プラグが見ると、ホタルはゼラトの周囲を飛んでいた。
「なんだ?」
ホタルは『コノヒト、ツチノニオイガスル! スキ』と呟いた。
プラグは微笑んだ。
「ゼラトは、土の匂いがするって言ってる。気に入ったって」
するとホタルはゼラトの肩口に止まって、頰に小さくキスをした。
「ええ!? ……あ、土? 俺、今朝プレートを使ったからか」
「そういえばゼラトは確か『アール=ララフ』を持ってたな。隆起の精霊」
「え、そうだけど。えっ俺の、覚えてんの?」
「うん。だから土の匂いがしたんだろう。じゃあゼラトに任せようかな? 君はゼラトの所なら、恐くない?」
するとホタルが『ウン!』と頷いた。目を細めて嬉しげだ。
「エッ? 俺!?」
「俺は水の匂いがするって言われて、どうしようかなって思ってたんだ」
「あ、そうか、お前のって、氷の精霊だっけ……? それって関係あるのか」
「妖精は属性に敏感だから。分かるみたい。精霊より感覚は鋭いよ」
「へぇえ……?」
「じゃあよろしく。ちなみに長生きだから、ゼラトが死ぬ時は別の誰かに世話を頼んでくれよ。あ、でも普通のプレートみたいに、死ねば契約解除されるから、心配はいらないか。きっと、いい相棒になるよ」
プラグはゼラトにホタルを任せる事にした。ホタルが気に入っているというのが大きい。
ゼラトが焦ってプラグを見た。
「いや待って、そんな適当に決めて良いのか?」
プラグは頷いた。
「うん。いいんじゃないか。プレートの中に小石を入れてしまって、そこでのんびりすれば。食事は精霊達と同じで、食べた物はどこかへ消えるから、食事やお菓子を分ければ良い。食堂に連れて来なくても、厨房に連れて行けば何か貰えると思う。精霊達も妖精は好きだから。子猫とか、赤ん坊みたいな感じかな」
「ええ……いいのかな」
ゼラトは困惑している。
「駄目なら俺が預かるけど?」
とプラグが言うと、ゼラトは何故かすぐに「わかった、じゃあ俺が飼う!」と言った。
何やら決意したらしい。
そして戸惑った様子で眉尻を下げた。ホタルはすっかり寛いだ様子で、ゼラトの持つパイをかじっている。
「飼う、でいいのか? つーか育てる物なのかこれ?」
ゼラトは首を傾げてホタルを見ている。
「どっちでも良いけど『育てる』の方がいいかも? 自然にしていても育っていくけど。妖精は、環境とか、側にいる人の霊力に影響を受ける事があるから。賢く育てるって感じかな。よし、決まりだ。リズに頼んで白プレートをもらおう。良かったなホタル。後で言葉も分かるようになるから、お話もできるぞ。あ、聞いてないな」
ホタルは食べるのに夢中で聞いていない。
「えええ……!?」
ゼラトの困惑声を聞きながら、プラグは微笑んだ。
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