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第17話 模擬戦(旗取り)① -2/2-

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■ ■ ■

とりあえず風呂に行こうと言うことになり、プラグはナイド、レンツィと部屋を出たのだが。
まあ、男子の皆が見てくること。そして全員に。
「お前、早く謝れよ」「なんで喧嘩したんだ?」「めっちゃ泣いてたぞ?」
と――脱衣所でも湯船の中でも、洗い場でも言われた。

「もう謝りに行こうかな……許してくれるか分からないけど」
プラグは着替えを終えて、溜息を吐いた。
――場所はまだ脱衣所だ。
結局、事情を話すまで逃がさない、という感じになり、皆で立ち話だ。

アルスの契約の下りは『だいたい隊長のせい』と言う結論になった。
「つか隊長がそんな事言わなきゃ、問題なかったのに」
「だよな、普通に女子と一緒にしときゃいいのに」
「国王って、なんか可愛い所あるな……っていうか、親子揃って、良く似た性格なんじゃ? 引っ込み付かないって言うか……」
「あーそれな。わかる。たぶんそう」

不思議な事に、皆がプラグはアルスが好きで、アルスはプラグが好きだと勘違いしている。
ここまで盛大に勘違いするというのは、きっと――若いから? だろう。

「あっ。そういえば、アドニスは? なんかいい知恵あるかも」
言ったのはゼラトだ。隣にはウォレスがいる。二人は仲が良いらしく、良く一緒にいるところを見る。
「もう先に風呂、入ってたぜ。宿題をしてるっていうか、猛勉強してる。次はプラグに勝つんだって……あいつ本当に凄いよ」
ウォレスが答えた。
「そっか、じゃあ引っ張れないか。シオウは? あいつ可愛そうって言うかまたとばっちりか」
ゼラトの言葉にエミールが頷いた。
「だよな。一番被害を受けてる気がする……まだ来て無いか……あいつ時間適当だもんな」
シオウはまだ来ていない。シオウは早かったり遅かったりするが、いつもプラグより遅い。暇な時間に来て、長風呂をしてゆっくり髪を洗うのだ。シオウは男子の中で一番髪が長い。

「あ。女性関係って言ったらフィニーだろ、お前なんとかできないのか?」
ゼラトが言った。
「え、俺?」
フィニーはつい先程来たばかりで、上着を脱いでいたところだが、手を止めてこちらを見た。フィニーは程よく引き締まった良い体をしている。

「って言うか――なに話してるの?」
「ほら、アルスの件。お前そういうの詳しいんじゃ無いか?」
「――ああ。その件ね。うーん……よくわかんないよ」
「えええ!? お前、そりゃないって! 女の事だろ!」
男子達の悲鳴に、フィニーは眉尻を下げた。
「でも、だって、そんなプラグが怒るようなこと、俺じゃどうにもならないって。アドニスくらいじゃないと。シオウは動けないだろうし……」

「えええええ」
男子達が声を更に揃えた。
そして「どうするよ、いっそ今から謝った方がいいんじゃないか」とプラグに言ってきた。
「……うん……でも何て言う?」
「そんなの、頭下げて、ごめん! しかないって」
「アルス、ちょろい感じするから、お前が三回くらい謝れば許してくれるって!! 顔で勝負だ!」
「行くぞ、今から――いや、様子、偵察してからにするか?」
アラークがプラグの手を掴んで引っ張った。
「ちょっと部屋、行ってくる!」
エミールが言って出て行き、アラークが「任せた」と頷いた。

プラグは不思議に思った。
レンツィとナイドに相談したときも思ったが、皆、やけに親身になってくれる……。
何故かアラークまで。

「なんでそんなに親切なんだ?」
プラグはアラークに思った事を尋ねた。
「え?」
「いや、不思議で……少し前は俺に怒ってたのに。急に皆が親切になった気がする」
するとアラークが――微妙な顔をした。
「いや、それを悪かったなって思ってんだよ。無駄に殴ったし……べっ、別に、大した当たりじゃなかったけどな!」
「そうそう……」「いや、本当に悪かった気がして……」「あと明日、模擬戦だろやばいぞ」
男子達の言葉にプラグは瞬きをした。
呆気にとられた、と言ってもいい。

息が詰まり、じわりと目に涙が浮かんだ。
「……」
プラグは五千年生きてもアルスに酷い事を言ってしまうような、どうしようもない最低大馬鹿なのに、皆は気遣ってくれる。

「ありがとう……」
礼を言ったとき、うっかり涙をこぼしてしまったので、男子達がうろたえた。
「う、うわー!」「悪かったって!」「ひぇええ」「ごめんて!」「ああああ……!」

プラグは慌てて手で拭って「ごめん、本当にありがとう」と言い直した。
「ひぃぃぃ」「罪悪感……」「うぁあああ……」「まさか、こいつめっちゃ良い奴……!?」
「ぎゃぁあああごめんんん」
「気にすんなって! あああ……くそッ、確かに弱っちい!」
アラークが焦って言った。
「――だな、コイツ、マジで弱っちいんだぜー!」
「全く、張り合うのが馬鹿み……てぇ?」
アラークが、隣にいた――リズを見た。

「ええええ!?」
「よ、諸君! 脱いでるかー!」
リズが笑顔で手を挙げた。

「ぎゃあぁああーーッ!?」
男子達が一斉に叫んだ。ちょうど風呂から出たばかりで、全裸だった者もいる。
「何しに来たんだー!!」「ここ男湯だぞ!?」「この痴女!」「アホンダラ!」「えっ、えっ!?」「今どっから出た!?」と口々に叫んだ。

リズは金色のプレートを掲げた。
「あははは、心配すんな! 『闇』で隠れてたからな! 暗くてぼんやりとしか見えなかった……かもな! いやー模擬戦の前にプレートを盗ろうと思ったんだが、良いモン見た! くぅーーー厚い友情! 揺れる××! いいねぇ!」
男子達は阿鼻叫喚だ。
「心配すんな! 明日は女子風呂に行く!」
『そう言う問題じゃねぇーー!!』と男子達の声が揃った。

「で、おい、プラ! お前にひとーつ、説教だ!」
「っ」
プラグは固まった。リズの目線がおかしかったからだ。
プラグの顔ではなく、明らかに下半身を見ているような……。
「おめー、自分が風邪で入院した時の事、覚えてるか? あの時、私も似たような心境だったんだぜ。分かるな?」
リズの言葉にプラグははっとした。
風邪で入院……リズが言っているのは、プラグが魔霊の浄化の為に『羽』を差し出した件だ。
「自己犠牲、自分が痛い目を見ればいい。それで役に立てるなら。ま、やってる当人はわからねぇんだが……、周りからすりゃ、たまったもんじゃねえ。お前は自分の不出来をスッカリ忘れて、生意気にも王女に説教したわけだ。ところでお前、良い足してるな。腰も細いし……ヒヒッ、ひひ……」

「ヒッ……!!」
プラグは戦慄した――リズの目線が、かなり気持ち悪い。
いつから脱衣所にいたのだろう……まさかずっと……?

リズが咳払いをして続ける。
「ゴホン。あ-。王女は当分許す気なし、で、痴話喧嘩に巻き込まれたシオウが、ぶち切れて提案してきた。明日の模擬戦でちょうど三人がバラバラになる。だからシオウはアルスの組と協力する。――で、お前をぶっ倒して、王女様に溜飲を下げてもらい、お前に『正式な謝罪』をして部屋に戻ってもらう。そして後腐れなく、ばっちり解決! だそうだ。――ベッドが真ん中のやつらは心してかかれよ! じゃあな! ごっそさん!」

男子の文句を受けながら、リズは男湯を後にした。

■ ■ ■

一人、脱衣所を出たエミールは、二階の二十五号室へ向かった。

「何か下が騒がしいな……」
と首を傾げつつ、到着して扉を叩く。

中から「――なんだ? プラ馬鹿か?」と言う切れ気味の声が聞こえた。
シオウだ。
「――げ」
アルスと話せればと思ったのだが。シオウもいる事を忘れていた。
「俺だ、エミール!」
名乗ると、すぐ内側から扉が開いた。
「エミールぅ? 何の用だ?」
シオウは扉を僅かに開けて立っている。鋭い目つきが正直、恐い。
「アルス、いる……?」
「いるけどよ。なんだ?」
シオウはすっと目を細めてエミールの背後を確認した。シオウがたまに見せる顔だが、普通に恐い。プラグがいないか見たのだろう。
「ちょっと話したい事があってさ……」
偵察、と言って出て来たのだが、アルスが見えないのでは困る。せめてどれくらい怒っているかは確認をしなければ。

「ふぅん、まあいいぜ。俺は風呂に行くから。あの馬鹿は入れるなよ」
「……わかった」
シオウが部屋を出て行って、エミールは入れ替わりで部屋に入った。

アルスは机に向かっていて、予習か宿題をやっているようだ。風っぽい精霊が実体化していたが、エミールを見てアルスに「私は、下がりますね」と断って、プレートに入った。

「入って良いか?」
「……良いわよ。そこの椅子に座って」
アルスはエミールを見て言った。少し不機嫌そうだが……。真ん中、勉強机の椅子を勧めてきた。
エミールは部屋に入って、椅子を引き出し腰掛けた。簡素な背もたれ付きの椅子だ。
座面も背もたれも木で固いので、候補生達はクッションを敷いたり布をかけたりしている。
真ん中のベッドは空で、荷物は何も無い。勉強机の上にも何も置いていない。
何だか寂しい感だ。

「あのさ、プラグの事……怒ってる?」
するとアルスがこちらを向いて頰を膨らませた。
「怒ってるわよ。もちろん」
「こんな事言ったら、また怒るかもしれないけど……あいつも反省してたよ。心配で強く言っちゃった、みたいな、感じだと思う。俺も親御さんの話、聞いたからさ。陛下と隊長の約束の話……たぶんだけど、アルスもやりすぎだって……事情があるんだろうけどさ。アイツを連れてくるからさ、お互いに謝ったら?」
エミールが言うと、アルスは首を傾げた。
「その件なら、夕飯の前に、シオウが隊長に言いに行ったわ。明日の模擬戦で、プラグの組を、私とシオウの組でコテンパンにやっつけて謝ってもらうって。それで仲直りしようって」
「……エッ、そうなのか。ええ……模擬戦そうなるのか……」
「エミールのベッドはどこ?」
アルスに言われて、エミールははっとした。
「真ん中……プラグと一緒だ……うわ……あれ、でも、プラグ部屋、代わったからどこだ?」
そう。エミールは二十三号室。この部屋のすぐ二つ隣の部屋で、窓際がフィニー、真ん中がエミール、扉側がフォンデ。つまりプラグと一緒の青組だ。
アルスが溜息を吐く。
「あの子、行く時、真ん中だってシオウに話してたわ。シオウがさりげなく聞いたんだけど」
アルスはまた頰を膨らませた。
「怒ってる?」
エミールがアルスに尋ねると。アルスは口を尖らせた。
「怒ってるけど、あんなにあっさり出て行くとは思わなかった。あの子にとって私って、その程度の存在なのね……」
アルスは落ち込んでいるようだ。
そんな事ない、大事に思っているはず、と言いたいが、それはたぶん一番怒る言い方だ。
ここはアルスを擁護しようと思った。
エミールにも心当たりがある。
エミールには二つ下の妹と、六つ下の弟がいて、長男だが、年が近い妹とはよく喧嘩する。兄妹喧嘩は、どうしても女……年下の方が有利だ。
「風呂場の様子じゃ、落ち込んでたし、そんな事は無いと思うけど……アルスはアイツの事どう思ってんだ?」
「……別になんとも思って無いわ。皆が騒ぎすぎなのよ」
アルスは更に頰を膨らませた。いじけて椅子の上で両膝を立てて抱えている。

「……貴方って、そう言えばプラグと仲良いわよね?」
アルスに言われて、エミールは少し考えた。
「いや、別にそこまでじゃ……良く話す方だけどさ……」
エミールはここに来た初日、朝食の席でちょうど隣だったので、プラグに話し掛けたのだ。
その時はすぐに訓練が始まって話せなかったのだが、プラグは後で『エミールだっけ、朝はごめん、急いでて。改めてよろしくな』と言ってエミールに話しかけて来た。ふんわりと笑って。
エミールは、こいつ顔が良すぎるだけで、結構、良い奴かも? と思ってそれからぽつぽつ話しかけていた。

プラグは見た目通りの素直なやつで、心根が真っ直ぐなので好印象だ。
大人しいが、意外に思った事はハッキリ言う。エミールは短い付き合いの中で、プラグが『それは嫌』『それは困る』と言うのを何回か聞いた。
エミールの意見を否定するのではなく、会話の流れで、これについてどう思う? と聞くと、はっきりと自分にとっての善し悪しを答えるのだ。逆に、できる事は何も言わないし、自慢もしないのだが、できない事は『できない』と言う。
……たぶん今回はそれが裏目に出たのでは……。

アラークの時は、アラークに『別にそんな悪い奴じゃない』と言ったのだが信じてもらえなかった。
無視されている、と言うアラークの話を聞いて、そりゃあお前の顔が恐いからだ、あいつ怯えて恐がってるんだよ、とは言えず、呆れて『もういっそ、一回派手に喧嘩しちまえ』と思った。
エミール以外はゼラトも味方で、アラークを説得しようとしていたが、何故かところどころ歯切れが悪く、一人で頭を抱えていた。
ゼラトは最終的にエミールと同じ考えになり、一回喧嘩させて乱闘になったら止める、と決めて頷き合った。

あと、エミールはフィニーが同室なので、フィニーのやらかしや嘆き、いいなぁ格好いいなぁ手本にしよう、というぼやきも良く聞いている。
親近感があるというのだろうか。

「あ。俺、フィニーと同室だからさ、最初、すげー迷惑してたんだよ。あいつ、女のことばっかでさ。全く、本当にウザイって言うか。でもこの前――執務棟が燃えた日から急に、凄く良い奴になって、びっくりした。ちゃんと真剣にやるから見捨てないで、男の友達が欲しいから、二人もなってくれる? って、驚いたのなんの。それから色々、自分の事、話してくれてさ。色々苦労してたんだな……って」
「ああ、そうなのね。フィニーと一緒なの」
アルスが少し微笑んだ。
「うん……」
エミールはどきりとした。アルスは笑うととても可愛い。怒っていない方が良いと思うのだが……。
エミールにとってアルスは、性格のきつそうな女の子、という認識だった。
と言うか大半が、気の強い女、と思っている。そもそも男と同室なんて、そうでなければやっていけない。本当に王女だったらしいし、話し掛けにくいと言うのが本音だ。

(まあ今は候補生だし。こうやって普通に話すけどさ。お城に戻ったら、もう会話することも無いだろうな……一生会わないかも)
会うはずの無い、雲の上の人間だ。
可愛いとは思うが、必要以上に親しくなろうとは思っていないし、むしろあまり近づきたくは無い。今日はプラグの為に来たのだ。
エミールはプラグに少し同情していた。
良く話すから肩を持ちたいのかもしれないが、聞いた話だと、怒るのも仕方無いと思えたのだ。
もしエミールが『お手つきしても何も無い(でも実際は処刑されると思う)』と聞かされた上でアルスと同室になったら、気まずいの一言だ。色々気になるし、意識して落ち着かないし、そのまま一年は辛い。たぶん、替えてもらったと思う。
と言うか、今、同室というのも信じられない。妹とは訳が違うのだ。

「フィニー、すっかり良い子になったわよね。リルカが驚いてたわ」
アルスが苦笑した。
エミールも笑うしかない。
「いやあれは皆驚くって。俺もフォンデもびっくりしてる。今じゃ休みも鍛練か勉強だぜ? でもそういや、あいつ最初の頃もそうだった。遊びに出かけるけど、いつの間にかちゃんと宿題も予習もしてたし、鍛練もサボらないし。基本が真面目なんだよな」
「そうなのね。ふぅん。貴方は? どこから来てるの? 出身だけど」
「俺? 俺はキルラドロス。フィニー、フォンデと一緒。たぶん同郷でまとまってるんだなって」
「ああ、そうなの。ここから近いわね」
アルスが言った。
エミールは一つ首都のすぐ西、フィニー、フォンデと同じく、キルラドロス領の出身だ。
トリル侯爵家は領主の家系では無いが、キルラドロス一の金持ちで、大貴族だ。キルラドロスで一番栄えている街『ジョーア市』の中心にでかいトリル侯爵邸があって、エミールは同じ市に住んでいた。

「そう、あいつの屋敷、俺の家から近くてさ。っていうか同じ市の端っこに住んでたんだけど。あの屋敷のお坊ちゃんかよ、って最初見下してた。あいつの噂って凄かったからさ……」
エミールは『人は見かけによらない』とこの短期間で実感した。

「お貴族様、みたいな感じで、嫌な奴だろうって思ってたけど、全然違って。反省した」
エミールの住む街では、フィニーの行状は広く知れ渡っていた。
いきなり『遠方』から庶子が出て来て、噂になって、しかも僅か十一歳で花街通いを始め、それから放蕩三昧。豪遊、遊び人、と言う言い方がぴったりで、やれあそこに出た、ここに出たと皆、面白がって噂していた。エミールの母親は噂好きなので、逐一仕入れては家族に話していた。
「うち、あんま裕福じゃ無くてさ。まあ普通くらいだけど。それでもフィニーの感じはちょっと想像できない」
エミールの父親は金属工の下働きで、母親は縫製工場のお針子だ。
一般的な『お針子』は良い職業だが、キルラドロスには小さな縫製工場が沢山あって、そこのお針子なので賃金は安い。
エミールの家はキルラドロスでは平均的な暮らしで、貧乏というわけでは無いが……裕福では無いので、母親や父親はフィニーの悪口ばかり言っていた。
ところがフィニーは、トリル侯爵に引き取られる前はもっと酷い生活だったと言う。

「想像できないって、どんな感じなの?」
アルスが尋ねた。
「いや……俺が言う事じゃ無いからさ……聞くなら本人……いや、聞かない方が良いと思う。ちょっと言うとさ――今は貴族だけど、……えっと、母親が……凄い貧乏だったんだって。父親の顔も知らずに、二人で暮らしてたって。家が無くて、路上生活で、物乞いもしてたって言ってた」
エミールはぼかして伝えた。

フィニーは意外に明るく『でも俺顔がいいから、結構恵んで貰えた』と言ったのだが、……さすがにフィニーの母が娼婦で、というのは勝手に言えない。
キルラドロスは首都に近い場所に大きな歓楽街がある。いわゆる『花街』だが、その規模はかなり大きくて、領土の半分を占めている。
エミールが住む街は花街から街三つ離れた場所で、地元民のエミールは花街に遊びに行く、近づく、なんて考えた事も無かったが、どんな場所かは知っている。
……遊びたい女と金持ちの男、食うに困った女達と落ちぶれた男達が集まる場所。
首都の受け皿、と言われている。
母親がそこの底辺の娼婦となれば……大変な苦労をしただろう。実際に母親が病気で死んで、その後は娼館の世話になっていた、というのは大貴族の出自としては凄まじい。

アルスは意外そうな顔をした。
「フィニーが? だってトリル侯爵よ? お金持ちでいつも評議員の。そこの庶子が路上生活? あ、でも庶子だから、そういうこともあるのかしら……」
アルスの言葉にエミールは頷いて、また、ぼかした。
「まあ、そういう感じ。父親はしばらく、フィニーがいる事も知らなかったんだって。それに生まれは地元じゃ全然噂になってなかったから。ちゃんとした、ナナ領の出身だって言ってた。たぶん侯爵家が隠してたんだろうな」

エミールだってまさかそんな風だと思わなかったのだ。
エミールは両親とも健康だし、幼い頃は祖父も祖母もいたし、家もあるし学校にも通えた。
裕福では無いが、食べるのに困った事は無い。
エミールは溜息を吐いた。

「俺、最初は、こいつがあの、お馬鹿な坊っちゃんかって思ってたけど、ホント、人は見かけによらないって言うかさ。本当は女の子の支援したいんだ、そのつもりで通ってたんだ、って言っててさ。驚いたのなんの。だからさ、こんな事言うのもあれだけど、あいつの事もあんまり怒らないでやってくれよ。だってプラグも孤児だろ? 風呂場であいつがお前に何て言ったか聞いたけどさ。確かに言いすぎだと思うけどよ。親がいないから、親に心配かけたのが許せなかったんじゃ無いのか? あいつの事、なんか聞いてるのか?」

エミールが言うと、アルスはまた頰を膨らませた。泣くのを堪えているようなへの字口だ。
「私、あの子とそんなに親しくないもの。何も話してくれないわ……」

アルスの溜息にはエミールも心当たりがあった。
エミールは自分の事を話したついでに、カルタでどんな暮らしをしていたか聞いたのだが、当たり障りのない所でやめてしまうのだ。『孤児で、妹と一緒に教会で育って、その後、カルタ伯爵の養子になった』と。細かい事は『色々あって』と濁して終わりだ。
それより昔の話は何も言わない。……苦労したのかもしれない。
「ああ。あいつ、自分の事、話さないもんな。もしまた同室になったら聞いてみたら? 妹の事とかさ。アルスと仲良しだってあいつが言ってた」
するとアルスが、とても微妙な顔をした。

「……あ。ねえ、エミール、兄弟っている?」
唐突にアルスが言った。
「え? なんで?」
「プラグの妹の話。私も妹がいるんだけど……ちょっと聞きたい事があって」
「妹? ああいる。二つ下。あと小さい弟がいる」
「あら、長男なの?」
「まあな」
エミールは少し胸を張った。
「どうしてわざわざ首都に? 領土騎士にならなかったの?」
「それな。あそこの領土騎士、荒っぽいって言うか、何かって言うとすぐ花街に行くんだよ。俺の親父が工場勤めで、あ、下働きだけど。甲冑とか、剣とか盾とかの細工してて、俺も工場で遊んでたら、騎士団に入らないかって誘ってもらえたんだけど――いや、皆に声を掛けてたけどさ――親父が『行くなら首都だ』って言ってよ、ここ以外許さないって言うんだ。ここなら精霊騎士は駄目でも上手くしたら近衛とか違う領にもいけるからって。騎士団に誘われたの六歳だったけどさ。やってみたら、意外に才能あるって言われて、ほとんど見習いみたいな感じで、使いっ走りをしてた。プレートも使わせて貰えてさ」

「へぇ、そうなの。領土騎士と縁がある子って多いのね」
アルスの言葉にエミールは頷いた。
「それが『普通』だろ。でもだいたい、きついとかで辞めるんだよな。俺と一緒に入った奴も大勢いたけど、ここに来たの俺だけだし。後は皆、辞めたし、あと、大人になってから流れ着いてってのが、俺の所では多かった。首都の隣で危険も少ないし。騎士崩れが多いからな。規模もそんなに大きく無いし。花街でもめて出動、とか盗みとか殺しの調査とか、そういうばっかでさ。俺はガキだからって、親父が頼んだおかげで、花街には行かなくて良かったけど」
「そうなの」
アルスは感心した様子だが、それだけだ。
エミールはアルスとこうして話すのは初めてだが、やはり、思っていた王族とかなり違う。
王族というのは、庶民の事情など何も知らず、いちいち驚く物だと思っていたが。アルスの場合は、庶民の生活を『そういうこともある』『この領はこういう感じ』と一通りは知っているようなのだ。
初日に辞めた貴族の令嬢のように、風呂や食事に文句を付ける事も無く、皆と一緒に楽しんでいる。半端な貴族とは違う、王族の教育という物かもしれない。
アルスは一部で『鋼の心を持つ女』と言われているが、本当に逞しい。
確かに凄いけれど、生活の違いに疲れる事もあったのではないか……? 

「そうなのね。……ねえエミール……妹がいるのよね? 私もいるんだけど、もし妹が死んじゃったらどうする?」
「え?」
唐突な問いかけに、エミールは固まった。
妹は――とても素直で可愛い。顔もかなり可愛くて……将来は絶対美人になる。
……噂好きの母親に性格が似ないで欲しいと思う。
今も、両親とは別に手紙のやり取りをしているくらい仲が良い。隣の領だし、そのうち家族で遊びに来いと誘ったばかりだ。お土産だって送っているし、小物を送ってくれる事もある。
……その妹が死んでしまう? あり得ない。そんな事があったら……考えただけで泣きそうだし、一生立ち直れないと思う。
「そんなの、考えたくもない」
「そうよね……」

アルスは机に肘をかけ、物憂げになにか考えている。そんな仕草も絵なるので、さすが王族、と言う感想しか出ない。
「私ね、プラグって、皆が思ってるような子じゃないと思うの」
「って言うと?」
エミールは首を傾げた。
「もっと変わった面白い子。だから、一緒にいて楽しかったのよ……、……確かに、私も言い過ぎたかしら……でもやっぱり、あれは酷いわ。ちゃんと謝ってもらうんだから。そしたら、妹さんの事、何か聞けるかも」
「? 何言ってんだ? この前会っただろ」
「あ、いえ。首都に来たんだけど、少し離れた所に住んでいて、中々会えないのよ。今どうしてるかなって。本気で行くから、明日はよろしくね」
「……向こうが謝ったら、ちゃんと謝れよ。あと、負けるって決まってないから」
エミールはふてくされて、立ち上がった。

■ ■ ■

エミールが部屋を出ると、廊下でプラグに出くわした。

「あ……」
「お!」
エミールが「謝る?」と聞いたらプラグは頷いた。

「怒ってた?」
「大丈夫、だと思うけど……やる気だったぜ?」
「一応、聞いてみようか……アルス……入っていい?」
プラグがノックして、少し開けた。
すると間髪入れずに「駄目ッ! 来ないで!」と言う返事があった。

「駄目か……ごめん、俺が悪かった……また謝る」
プラグはそう話し掛けて、項垂れた。アルスからの返事はない。
――アルスは怒っていると言うか、戸惑っているのだろう。
このままだと、プラグはずっとここに居そうだ。
「行こうぜ、もう明日にしよう」
「そうだな……」
プラグが言った。ここで部屋に押し入って、謝る程の強引さは無いらしい。
「なあ、お前、アルスの事どう思ってるんだ?」
まだ少し扉が開いているので、多分聞こえるだろう――エミールは尋ねた。でも下手な事を言うと、また火に油を注ぐかもしれない。
エミールはプラグの腕を引いた。
「向こうで話そうぜ」
「あ、え? うん……?」

少し離れた、壁際でエミールは改めて尋ねた。
「お前さー、王女の事、好きなの?」
「えっ、まさか」
「そっかー……ふぅん……」
コイツはかなり鈍いのでは無いだろうか。あるいは身分違いだから言えないとか。

「でも俺はお前なら、頑張ればいけると思うけどなぁ」
エミールは頰を膨らませた。
エミールも腕には少々どころか大分自信があった。キルラドロスでは、大人相手にも良い勝負が出来たし、スリを捕まえたり、若い騎士を伸したりこともあった。体格差や年齢差、実力不足で勝てない相手もいたので、さすが自分が一番、などとは考えた事は無かったが――プラグは別格だ。
後はアドニス、シオウ。フィニーも。この辺りは間違い無く精霊騎士になれる。
まあアドニスは王子らしいが……枠数には数えられるらしい。さすがに不公平だ。

――この辺の嘆きが、詰め寄り事件の原因だと思っている。
エミールは進路を決めていなかったし、どこかの領土騎士になれれば十分だと思っていた。もっと強くなりたい、と言う修行みたいな気持ちで来たのだが、真面目に目指している者達もいた。そう言う奴等が現実を目の当たりにして、絶望するのは仕方無い。
アラークは多分、近衛が良いと言いながら、本当はクロスティア騎士団に憧れていたのだろう。『クロスティア』は、本当に皆の憧れなのだ。幼い頃から鍛練を積んで、という奴だって大勢いるというか、ほとんどそれだ。
そこにふわふわと、やたら才能があって顔も良く、頭も良いやつがいたら、腹が立つのは仕方無い。
……誰もシオウに行かない辺り、何というか、男ってそうだよな、という気持ちになるが。
プラグがもっとはっきり言えば良いのだ。ようやく聞き出した、精霊騎士になりたい理由も『とにかく目的があってすごく頑張っている』と言うふんわりした物だ。

「お前なら精霊騎士になって功績ができたら、将来、王女と結婚とか、できると思うけど。そう言う話、よく聞くし……セラ国とか。あそこは王女が多いからあれだけど」

セラ国ではたまに『王女が気に入った騎士と結婚した』と言う話があって、有名だ。
他にも『セラ国の王女が、どこそこの王子に惚れて婚約した』と言う話も聞く。
ストラヴェルには王女が二人しかいないので、そう簡単では無いだろうが……プラグの整いすぎた顔面、均整の取れまくった体を見るに、いける気がする。
驚くべき事に、プラグは爪の先まで綺麗なのだ。
エミールも決して不細工では無いが、正直、桁が違う。

――と言うかエミールは、いつかアルスとプラグは、本当に結婚するのではないか、と言う気がしている。
まあ、アルスは王女様だから、結局どこかの王子様と結婚するかもしれないし、外れる可能性も高いけれど、万が一があってもおかしくない。

だって国内で、同年齢で、同世代で、と言うならプラグが一番いいに決まっている。
強くて頭が良くて、優秀すぎるアドニス王子でさえ、プラグ(とシオウ)には敵わないのだ。
エミールもストラヴェル王国の国民。
身内贔屓だが、アルスは王女としてかなりいいと思う。可愛いし、賢いし、偉ぶらないし、親しみやすい。いざという時は意見も言えて行動もできる。凄い王女だ。特に見た目は最高で……しかも結構、強い。長剣は苦手らしいけれど、下位男子よりは使えるし、サーベル、レイピアでは思いっきり負けた。はっきり言ってエミールより才能がある。
しかも、相当努力したと言うのが分かる剣だ。手だって豆だらけだし、男子と一緒に走っているし。ここまで本気なら、どうぞ好きにしてください、としか言いようがない。
でも、尊敬するからこそ、恋愛対象にはなり得ない。アルスの恋愛はどこか遠い所の話なのだ。

自国の美人王女の相手は『最強で最高』が良い。
アルスの相手は年上の可能性もあるが、国内のアホンダラ貴族やそこらの王族だったら、絶対、プラグに任せたい。政治的なアレコレも、きっとプラグならなんとかするだろう。
これはもう仕方無い。二人が出会ったのが運の尽き。プラグは責任を取るしか無い。

(ていうか、こいつたぶん、今、国内一位の男だろ? これはまじで。いやルネ公爵とかもっと強い大人はいるけど……同年代だったら絶対、一番だって。シオウは何か違うしアルスと合わなさそうだし)

――シオウがアルスと結婚。身分的にはそちらの方がありそうなのに、絶対ないと言い切れる。話が出ても、まあないな、と一瞬で立ち消えだ。

ところがこれがプラグだと。なんかありそう。と思ってしまうのだ。不思議な事に。

正直……リズは面白がって同室にしたのだと思う。
レンツィやアラークなどは、近衛からの勧誘があったと聞いている。なんとエミールにも騎士団経由で誘いが来た。エミールでさえそうなのだから、プラグもあれだけ強ければ、きっと故郷で知られている。あの二人は、出会うべくして出会ってしまったのだ。もう絶対に運命だ。神様が王女にふさわしい相手を用意したに違いない。

実を言えば、エミールは候補生になる前に数回、精霊剣を使っていた。
出発の二ヶ月前、領土騎士団の団長が巫女に頼んで、結界と、自分の持つ精霊を使わせてくれたのだ。
――昨年、魔霊が出たとき、クロスティア騎士団が精霊剣を使って退治したと言う話があり、おそらく今年からは必須だと言われた。精霊剣が使えなかったら諦めろ、最終試験だ、と言われたので、できた時はほっとした。
団長は立派な精霊騎士か無理なら近衛になれと言ってくれたが、エミールは胸が熱くなり『実はちょっと、この騎士団に戻って恩返しもしたいと思っています』と言ったら、それは駄目だ、もっと上を目指せと叱られてしまった。

今年の候補生全員が精霊剣を使えたのは、試験のプレートに仕掛けがあったからだと思う。エミールは『皆、精霊剣ができたのは凄い』と言うリゼラの話を聞いてあれ? と思って、後で聞いたのだ。リゼラは仕掛けについては明言を避けたが、去年は使えない人がいた、というのは確かだと言った。

エミールは勉強も、みっちり、こんなにするか、と言う程頑張った。一年や二年ではない、精霊騎士候補生になると決めた八歳の頃から、鍛練の傍ら図書館や教会に通い詰めて六年くらい頑張った。
おかげで初回は十五位、二回目はなんと十一位。無事、上位クラスに入れた。
実はエミールはそこそこ勉強ができる。これは密かな自慢だったのだが、これでも十一位……つまり、上位は皆、そう言う子供達だ。
ペイト・マイメは平民でも、エスタード領、領土騎士団団長の娘だし、貴族は家庭教師を雇って頑張っただろう。
ヒュリス国の第一王子やこの国の王女、レガンの王子――いやシオウは領主の息子だが、領主の息子というのはレガンでは王子くらいの扱いなのだ――、果ては巫女長の弟までいる。ぶっちゃけハズレ年。
プラグはそんな並みいる強敵を抑えて堂々の一位。これは絶対、普通じゃない。
リズでさえ知らない事も知っているし、今までぼんやり聞いた事しかなかった『霊力転属(フィカアーケ)』『霊力変換(フィカアルド)』『古代精霊術』、果ては巫女弓まで使いこなす……はっきり言って『天才』だ。

……王族の結婚なんて思い通りにならないのが普通らしいけれど。
プラグと比べると、王子であるアドニスさえ物足りなく思えるのだ。あとアドニスは最近ナージャと仲が良い。あちらも身分違いだが……もう、なんだか、面倒臭い。

エミールは声を潜めた。
「言っちゃえよ。好きだって! 今から頑張れば、もしかしたらいけるかも。アルスがお前のこと大好きって感じになれば、国王様もいつか認めるって!」
「いや……なんで皆、そう言うんだろう……?」
プラグは困惑気味だ。形の良い眉が下がっている。

「はぁ!? お前、絶対、アルスの事好きだろ!?」
シオウを見ていて思うのだが、シオウは同じ同室でも、アルスにさっぱり興味がない。
せいぜい友人。興味無し。と言う感じが伝わってくる。それはそれで凄いと思う。
しかしプラグはアルスを悪く思って無さそう……明らかに仲良しだし、もしかしたら両方、片想いなのでは、と、皆が思っているのだ。
「誤解だって、そんな事ないから!」
――なんと本人以外は!
焦って否定するプラグの頭を、エミールは拳でコンコンと叩いた。
「お前、鈍いんじゃないか? 頭大丈夫か? 勉強しすぎたんじゃないのか?」
「もう、だから違うって言ってるのに……」
プラグは溜息を吐いたが、溜息を吐きたいのはこっちだ。

「ったく。とにかく明日、俺も一緒の組だから、よろしくな!」
エミールも真ん中、青組だから、プラグと一緒にやるしかない。
青組全員、プラグの頭を叩いても許されるだろう。


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次のエピソードへ進む 第17話 模擬戦(旗取り)②


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■ ■ ■
とりあえず風呂に行こうと言うことになり、プラグはナイド、レンツィと部屋を出たのだが。
まあ、男子の皆が見てくること。そして全員に。
「お前、早く謝れよ」「なんで喧嘩したんだ?」「めっちゃ泣いてたぞ?」
と――脱衣所でも湯船の中でも、洗い場でも言われた。
「もう謝りに行こうかな……許してくれるか分からないけど」
プラグは着替えを終えて、溜息を吐いた。
――場所はまだ脱衣所だ。
結局、事情を話すまで逃がさない、という感じになり、皆で立ち話だ。
アルスの契約の下りは『だいたい隊長のせい』と言う結論になった。
「つか隊長がそんな事言わなきゃ、問題なかったのに」
「だよな、普通に女子と一緒にしときゃいいのに」
「国王って、なんか可愛い所あるな……っていうか、親子揃って、良く似た性格なんじゃ? 引っ込み付かないって言うか……」
「あーそれな。わかる。たぶんそう」
不思議な事に、皆がプラグはアルスが好きで、アルスはプラグが好きだと勘違いしている。
ここまで盛大に勘違いするというのは、きっと――若いから? だろう。
「あっ。そういえば、アドニスは? なんかいい知恵あるかも」
言ったのはゼラトだ。隣にはウォレスがいる。二人は仲が良いらしく、良く一緒にいるところを見る。
「もう先に風呂、入ってたぜ。宿題をしてるっていうか、猛勉強してる。次はプラグに勝つんだって……あいつ本当に凄いよ」
ウォレスが答えた。
「そっか、じゃあ引っ張れないか。シオウは? あいつ可愛そうって言うかまたとばっちりか」
ゼラトの言葉にエミールが頷いた。
「だよな。一番被害を受けてる気がする……まだ来て無いか……あいつ時間適当だもんな」
シオウはまだ来ていない。シオウは早かったり遅かったりするが、いつもプラグより遅い。暇な時間に来て、長風呂をしてゆっくり髪を洗うのだ。シオウは男子の中で一番髪が長い。
「あ。女性関係って言ったらフィニーだろ、お前なんとかできないのか?」
ゼラトが言った。
「え、俺?」
フィニーはつい先程来たばかりで、上着を脱いでいたところだが、手を止めてこちらを見た。フィニーは程よく引き締まった良い体をしている。
「って言うか――なに話してるの?」
「ほら、アルスの件。お前そういうの詳しいんじゃ無いか?」
「――ああ。その件ね。うーん……よくわかんないよ」
「えええ!? お前、そりゃないって! 女の事だろ!」
男子達の悲鳴に、フィニーは眉尻を下げた。
「でも、だって、そんなプラグが怒るようなこと、俺じゃどうにもならないって。アドニスくらいじゃないと。シオウは動けないだろうし……」
「えええええ」
男子達が声を更に揃えた。
そして「どうするよ、いっそ今から謝った方がいいんじゃないか」とプラグに言ってきた。
「……うん……でも何て言う?」
「そんなの、頭下げて、ごめん! しかないって」
「アルス、ちょろい感じするから、お前が三回くらい謝れば許してくれるって!! 顔で勝負だ!」
「行くぞ、今から――いや、様子、偵察してからにするか?」
アラークがプラグの手を掴んで引っ張った。
「ちょっと部屋、行ってくる!」
エミールが言って出て行き、アラークが「任せた」と頷いた。
プラグは不思議に思った。
レンツィとナイドに相談したときも思ったが、皆、やけに親身になってくれる……。
何故かアラークまで。
「なんでそんなに親切なんだ?」
プラグはアラークに思った事を尋ねた。
「え?」
「いや、不思議で……少し前は俺に怒ってたのに。急に皆が親切になった気がする」
するとアラークが――微妙な顔をした。
「いや、それを悪かったなって思ってんだよ。無駄に殴ったし……べっ、別に、大した当たりじゃなかったけどな!」
「そうそう……」「いや、本当に悪かった気がして……」「あと明日、模擬戦だろやばいぞ」
男子達の言葉にプラグは瞬きをした。
呆気にとられた、と言ってもいい。
息が詰まり、じわりと目に涙が浮かんだ。
「……」
プラグは五千年生きてもアルスに酷い事を言ってしまうような、どうしようもない最低大馬鹿なのに、皆は気遣ってくれる。
「ありがとう……」
礼を言ったとき、うっかり涙をこぼしてしまったので、男子達がうろたえた。
「う、うわー!」「悪かったって!」「ひぇええ」「ごめんて!」「ああああ……!」
プラグは慌てて手で拭って「ごめん、本当にありがとう」と言い直した。
「ひぃぃぃ」「罪悪感……」「うぁあああ……」「まさか、こいつめっちゃ良い奴……!?」
「ぎゃぁあああごめんんん」
「気にすんなって! あああ……くそッ、確かに弱っちい!」
アラークが焦って言った。
「――だな、コイツ、マジで弱っちいんだぜー!」
「全く、張り合うのが馬鹿み……てぇ?」
アラークが、隣にいた――リズを見た。
「ええええ!?」
「よ、諸君! 脱いでるかー!」
リズが笑顔で手を挙げた。
「ぎゃあぁああーーッ!?」
男子達が一斉に叫んだ。ちょうど風呂から出たばかりで、全裸だった者もいる。
「何しに来たんだー!!」「ここ男湯だぞ!?」「この痴女!」「アホンダラ!」「えっ、えっ!?」「今どっから出た!?」と口々に叫んだ。
リズは金色のプレートを掲げた。
「あははは、心配すんな! 『闇』で隠れてたからな! 暗くてぼんやりとしか見えなかった……かもな! いやー模擬戦の前にプレートを盗ろうと思ったんだが、良いモン見た! くぅーーー厚い友情! 揺れる××! いいねぇ!」
男子達は阿鼻叫喚だ。
「心配すんな! 明日は女子風呂に行く!」
『そう言う問題じゃねぇーー!!』と男子達の声が揃った。
「で、おい、プラ! お前にひとーつ、説教だ!」
「っ」
プラグは固まった。リズの目線がおかしかったからだ。
プラグの顔ではなく、明らかに下半身を見ているような……。
「おめー、自分が風邪で入院した時の事、覚えてるか? あの時、私も似たような心境だったんだぜ。分かるな?」
リズの言葉にプラグははっとした。
風邪で入院……リズが言っているのは、プラグが魔霊の浄化の為に『羽』を差し出した件だ。
「自己犠牲、自分が痛い目を見ればいい。それで役に立てるなら。ま、やってる当人はわからねぇんだが……、周りからすりゃ、たまったもんじゃねえ。お前は自分の不出来をスッカリ忘れて、生意気にも王女に説教したわけだ。ところでお前、良い足してるな。腰も細いし……ヒヒッ、ひひ……」
「ヒッ……!!」
プラグは戦慄した――リズの目線が、かなり気持ち悪い。
いつから脱衣所にいたのだろう……まさかずっと……?
リズが咳払いをして続ける。
「ゴホン。あ-。王女は当分許す気なし、で、痴話喧嘩に巻き込まれたシオウが、ぶち切れて提案してきた。明日の模擬戦でちょうど三人がバラバラになる。だからシオウはアルスの組と協力する。――で、お前をぶっ倒して、王女様に溜飲を下げてもらい、お前に『正式な謝罪』をして部屋に戻ってもらう。そして後腐れなく、ばっちり解決! だそうだ。――ベッドが真ん中のやつらは心してかかれよ! じゃあな! ごっそさん!」
男子の文句を受けながら、リズは男湯を後にした。
■ ■ ■
一人、脱衣所を出たエミールは、二階の二十五号室へ向かった。
「何か下が騒がしいな……」
と首を傾げつつ、到着して扉を叩く。
中から「――なんだ? プラ馬鹿か?」と言う切れ気味の声が聞こえた。
シオウだ。
「――げ」
アルスと話せればと思ったのだが。シオウもいる事を忘れていた。
「俺だ、エミール!」
名乗ると、すぐ内側から扉が開いた。
「エミールぅ? 何の用だ?」
シオウは扉を僅かに開けて立っている。鋭い目つきが正直、恐い。
「アルス、いる……?」
「いるけどよ。なんだ?」
シオウはすっと目を細めてエミールの背後を確認した。シオウがたまに見せる顔だが、普通に恐い。プラグがいないか見たのだろう。
「ちょっと話したい事があってさ……」
偵察、と言って出て来たのだが、アルスが見えないのでは困る。せめてどれくらい怒っているかは確認をしなければ。
「ふぅん、まあいいぜ。俺は風呂に行くから。あの馬鹿は入れるなよ」
「……わかった」
シオウが部屋を出て行って、エミールは入れ替わりで部屋に入った。
アルスは机に向かっていて、予習か宿題をやっているようだ。風っぽい精霊が実体化していたが、エミールを見てアルスに「私は、下がりますね」と断って、プレートに入った。
「入って良いか?」
「……良いわよ。そこの椅子に座って」
アルスはエミールを見て言った。少し不機嫌そうだが……。真ん中、勉強机の椅子を勧めてきた。
エミールは部屋に入って、椅子を引き出し腰掛けた。簡素な背もたれ付きの椅子だ。
座面も背もたれも木で固いので、候補生達はクッションを敷いたり布をかけたりしている。
真ん中のベッドは空で、荷物は何も無い。勉強机の上にも何も置いていない。
何だか寂しい感だ。
「あのさ、プラグの事……怒ってる?」
するとアルスがこちらを向いて頰を膨らませた。
「怒ってるわよ。もちろん」
「こんな事言ったら、また怒るかもしれないけど……あいつも反省してたよ。心配で強く言っちゃった、みたいな、感じだと思う。俺も親御さんの話、聞いたからさ。陛下と隊長の約束の話……たぶんだけど、アルスもやりすぎだって……事情があるんだろうけどさ。アイツを連れてくるからさ、お互いに謝ったら?」
エミールが言うと、アルスは首を傾げた。
「その件なら、夕飯の前に、シオウが隊長に言いに行ったわ。明日の模擬戦で、プラグの組を、私とシオウの組でコテンパンにやっつけて謝ってもらうって。それで仲直りしようって」
「……エッ、そうなのか。ええ……模擬戦そうなるのか……」
「エミールのベッドはどこ?」
アルスに言われて、エミールははっとした。
「真ん中……プラグと一緒だ……うわ……あれ、でも、プラグ部屋、代わったからどこだ?」
そう。エミールは二十三号室。この部屋のすぐ二つ隣の部屋で、窓際がフィニー、真ん中がエミール、扉側がフォンデ。つまりプラグと一緒の青組だ。
アルスが溜息を吐く。
「あの子、行く時、真ん中だってシオウに話してたわ。シオウがさりげなく聞いたんだけど」
アルスはまた頰を膨らませた。
「怒ってる?」
エミールがアルスに尋ねると。アルスは口を尖らせた。
「怒ってるけど、あんなにあっさり出て行くとは思わなかった。あの子にとって私って、その程度の存在なのね……」
アルスは落ち込んでいるようだ。
そんな事ない、大事に思っているはず、と言いたいが、それはたぶん一番怒る言い方だ。
ここはアルスを擁護しようと思った。
エミールにも心当たりがある。
エミールには二つ下の妹と、六つ下の弟がいて、長男だが、年が近い妹とはよく喧嘩する。兄妹喧嘩は、どうしても女……年下の方が有利だ。
「風呂場の様子じゃ、落ち込んでたし、そんな事は無いと思うけど……アルスはアイツの事どう思ってんだ?」
「……別になんとも思って無いわ。皆が騒ぎすぎなのよ」
アルスは更に頰を膨らませた。いじけて椅子の上で両膝を立てて抱えている。
「……貴方って、そう言えばプラグと仲良いわよね?」
アルスに言われて、エミールは少し考えた。
「いや、別にそこまでじゃ……良く話す方だけどさ……」
エミールはここに来た初日、朝食の席でちょうど隣だったので、プラグに話し掛けたのだ。
その時はすぐに訓練が始まって話せなかったのだが、プラグは後で『エミールだっけ、朝はごめん、急いでて。改めてよろしくな』と言ってエミールに話しかけて来た。ふんわりと笑って。
エミールは、こいつ顔が良すぎるだけで、結構、良い奴かも? と思ってそれからぽつぽつ話しかけていた。
プラグは見た目通りの素直なやつで、心根が真っ直ぐなので好印象だ。
大人しいが、意外に思った事はハッキリ言う。エミールは短い付き合いの中で、プラグが『それは嫌』『それは困る』と言うのを何回か聞いた。
エミールの意見を否定するのではなく、会話の流れで、これについてどう思う? と聞くと、はっきりと自分にとっての善し悪しを答えるのだ。逆に、できる事は何も言わないし、自慢もしないのだが、できない事は『できない』と言う。
……たぶん今回はそれが裏目に出たのでは……。
アラークの時は、アラークに『別にそんな悪い奴じゃない』と言ったのだが信じてもらえなかった。
無視されている、と言うアラークの話を聞いて、そりゃあお前の顔が恐いからだ、あいつ怯えて恐がってるんだよ、とは言えず、呆れて『もういっそ、一回派手に喧嘩しちまえ』と思った。
エミール以外はゼラトも味方で、アラークを説得しようとしていたが、何故かところどころ歯切れが悪く、一人で頭を抱えていた。
ゼラトは最終的にエミールと同じ考えになり、一回喧嘩させて乱闘になったら止める、と決めて頷き合った。
あと、エミールはフィニーが同室なので、フィニーのやらかしや嘆き、いいなぁ格好いいなぁ手本にしよう、というぼやきも良く聞いている。
親近感があるというのだろうか。
「あ。俺、フィニーと同室だからさ、最初、すげー迷惑してたんだよ。あいつ、女のことばっかでさ。全く、本当にウザイって言うか。でもこの前――執務棟が燃えた日から急に、凄く良い奴になって、びっくりした。ちゃんと真剣にやるから見捨てないで、男の友達が欲しいから、二人もなってくれる? って、驚いたのなんの。それから色々、自分の事、話してくれてさ。色々苦労してたんだな……って」
「ああ、そうなのね。フィニーと一緒なの」
アルスが少し微笑んだ。
「うん……」
エミールはどきりとした。アルスは笑うととても可愛い。怒っていない方が良いと思うのだが……。
エミールにとってアルスは、性格のきつそうな女の子、という認識だった。
と言うか大半が、気の強い女、と思っている。そもそも男と同室なんて、そうでなければやっていけない。本当に王女だったらしいし、話し掛けにくいと言うのが本音だ。
(まあ今は候補生だし。こうやって普通に話すけどさ。お城に戻ったら、もう会話することも無いだろうな……一生会わないかも)
会うはずの無い、雲の上の人間だ。
可愛いとは思うが、必要以上に親しくなろうとは思っていないし、むしろあまり近づきたくは無い。今日はプラグの為に来たのだ。
エミールはプラグに少し同情していた。
良く話すから肩を持ちたいのかもしれないが、聞いた話だと、怒るのも仕方無いと思えたのだ。
もしエミールが『お手つきしても何も無い(でも実際は処刑されると思う)』と聞かされた上でアルスと同室になったら、気まずいの一言だ。色々気になるし、意識して落ち着かないし、そのまま一年は辛い。たぶん、替えてもらったと思う。
と言うか、今、同室というのも信じられない。妹とは訳が違うのだ。
「フィニー、すっかり良い子になったわよね。リルカが驚いてたわ」
アルスが苦笑した。
エミールも笑うしかない。
「いやあれは皆驚くって。俺もフォンデもびっくりしてる。今じゃ休みも鍛練か勉強だぜ? でもそういや、あいつ最初の頃もそうだった。遊びに出かけるけど、いつの間にかちゃんと宿題も予習もしてたし、鍛練もサボらないし。基本が真面目なんだよな」
「そうなのね。ふぅん。貴方は? どこから来てるの? 出身だけど」
「俺? 俺はキルラドロス。フィニー、フォンデと一緒。たぶん同郷でまとまってるんだなって」
「ああ、そうなの。ここから近いわね」
アルスが言った。
エミールは一つ首都のすぐ西、フィニー、フォンデと同じく、キルラドロス領の出身だ。
トリル侯爵家は領主の家系では無いが、キルラドロス一の金持ちで、大貴族だ。キルラドロスで一番栄えている街『ジョーア市』の中心にでかいトリル侯爵邸があって、エミールは同じ市に住んでいた。
「そう、あいつの屋敷、俺の家から近くてさ。っていうか同じ市の端っこに住んでたんだけど。あの屋敷のお坊ちゃんかよ、って最初見下してた。あいつの噂って凄かったからさ……」
エミールは『人は見かけによらない』とこの短期間で実感した。
「お貴族様、みたいな感じで、嫌な奴だろうって思ってたけど、全然違って。反省した」
エミールの住む街では、フィニーの行状は広く知れ渡っていた。
いきなり『遠方』から庶子が出て来て、噂になって、しかも僅か十一歳で花街通いを始め、それから放蕩三昧。豪遊、遊び人、と言う言い方がぴったりで、やれあそこに出た、ここに出たと皆、面白がって噂していた。エミールの母親は噂好きなので、逐一仕入れては家族に話していた。
「うち、あんま裕福じゃ無くてさ。まあ普通くらいだけど。それでもフィニーの感じはちょっと想像できない」
エミールの父親は金属工の下働きで、母親は縫製工場のお針子だ。
一般的な『お針子』は良い職業だが、キルラドロスには小さな縫製工場が沢山あって、そこのお針子なので賃金は安い。
エミールの家はキルラドロスでは平均的な暮らしで、貧乏というわけでは無いが……裕福では無いので、母親や父親はフィニーの悪口ばかり言っていた。
ところがフィニーは、トリル侯爵に引き取られる前はもっと酷い生活だったと言う。
「想像できないって、どんな感じなの?」
アルスが尋ねた。
「いや……俺が言う事じゃ無いからさ……聞くなら本人……いや、聞かない方が良いと思う。ちょっと言うとさ――今は貴族だけど、……えっと、母親が……凄い貧乏だったんだって。父親の顔も知らずに、二人で暮らしてたって。家が無くて、路上生活で、物乞いもしてたって言ってた」
エミールはぼかして伝えた。
フィニーは意外に明るく『でも俺顔がいいから、結構恵んで貰えた』と言ったのだが、……さすがにフィニーの母が娼婦で、というのは勝手に言えない。
キルラドロスは首都に近い場所に大きな歓楽街がある。いわゆる『花街』だが、その規模はかなり大きくて、領土の半分を占めている。
エミールが住む街は花街から街三つ離れた場所で、地元民のエミールは花街に遊びに行く、近づく、なんて考えた事も無かったが、どんな場所かは知っている。
……遊びたい女と金持ちの男、食うに困った女達と落ちぶれた男達が集まる場所。
首都の受け皿、と言われている。
母親がそこの底辺の娼婦となれば……大変な苦労をしただろう。実際に母親が病気で死んで、その後は娼館の世話になっていた、というのは大貴族の出自としては凄まじい。
アルスは意外そうな顔をした。
「フィニーが? だってトリル侯爵よ? お金持ちでいつも評議員の。そこの庶子が路上生活? あ、でも庶子だから、そういうこともあるのかしら……」
アルスの言葉にエミールは頷いて、また、ぼかした。
「まあ、そういう感じ。父親はしばらく、フィニーがいる事も知らなかったんだって。それに生まれは地元じゃ全然噂になってなかったから。ちゃんとした、ナナ領の出身だって言ってた。たぶん侯爵家が隠してたんだろうな」
エミールだってまさかそんな風だと思わなかったのだ。
エミールは両親とも健康だし、幼い頃は祖父も祖母もいたし、家もあるし学校にも通えた。
裕福では無いが、食べるのに困った事は無い。
エミールは溜息を吐いた。
「俺、最初は、こいつがあの、お馬鹿な坊っちゃんかって思ってたけど、ホント、人は見かけによらないって言うかさ。本当は女の子の支援したいんだ、そのつもりで通ってたんだ、って言っててさ。驚いたのなんの。だからさ、こんな事言うのもあれだけど、あいつの事もあんまり怒らないでやってくれよ。だってプラグも孤児だろ? 風呂場であいつがお前に何て言ったか聞いたけどさ。確かに言いすぎだと思うけどよ。親がいないから、親に心配かけたのが許せなかったんじゃ無いのか? あいつの事、なんか聞いてるのか?」
エミールが言うと、アルスはまた頰を膨らませた。泣くのを堪えているようなへの字口だ。
「私、あの子とそんなに親しくないもの。何も話してくれないわ……」
アルスの溜息にはエミールも心当たりがあった。
エミールは自分の事を話したついでに、カルタでどんな暮らしをしていたか聞いたのだが、当たり障りのない所でやめてしまうのだ。『孤児で、妹と一緒に教会で育って、その後、カルタ伯爵の養子になった』と。細かい事は『色々あって』と濁して終わりだ。
それより昔の話は何も言わない。……苦労したのかもしれない。
「ああ。あいつ、自分の事、話さないもんな。もしまた同室になったら聞いてみたら? 妹の事とかさ。アルスと仲良しだってあいつが言ってた」
するとアルスが、とても微妙な顔をした。
「……あ。ねえ、エミール、兄弟っている?」
唐突にアルスが言った。
「え? なんで?」
「プラグの妹の話。私も妹がいるんだけど……ちょっと聞きたい事があって」
「妹? ああいる。二つ下。あと小さい弟がいる」
「あら、長男なの?」
「まあな」
エミールは少し胸を張った。
「どうしてわざわざ首都に? 領土騎士にならなかったの?」
「それな。あそこの領土騎士、荒っぽいって言うか、何かって言うとすぐ花街に行くんだよ。俺の親父が工場勤めで、あ、下働きだけど。甲冑とか、剣とか盾とかの細工してて、俺も工場で遊んでたら、騎士団に入らないかって誘ってもらえたんだけど――いや、皆に声を掛けてたけどさ――親父が『行くなら首都だ』って言ってよ、ここ以外許さないって言うんだ。ここなら精霊騎士は駄目でも上手くしたら近衛とか違う領にもいけるからって。騎士団に誘われたの六歳だったけどさ。やってみたら、意外に才能あるって言われて、ほとんど見習いみたいな感じで、使いっ走りをしてた。プレートも使わせて貰えてさ」
「へぇ、そうなの。領土騎士と縁がある子って多いのね」
アルスの言葉にエミールは頷いた。
「それが『普通』だろ。でもだいたい、きついとかで辞めるんだよな。俺と一緒に入った奴も大勢いたけど、ここに来たの俺だけだし。後は皆、辞めたし、あと、大人になってから流れ着いてってのが、俺の所では多かった。首都の隣で危険も少ないし。騎士崩れが多いからな。規模もそんなに大きく無いし。花街でもめて出動、とか盗みとか殺しの調査とか、そういうばっかでさ。俺はガキだからって、親父が頼んだおかげで、花街には行かなくて良かったけど」
「そうなの」
アルスは感心した様子だが、それだけだ。
エミールはアルスとこうして話すのは初めてだが、やはり、思っていた王族とかなり違う。
王族というのは、庶民の事情など何も知らず、いちいち驚く物だと思っていたが。アルスの場合は、庶民の生活を『そういうこともある』『この領はこういう感じ』と一通りは知っているようなのだ。
初日に辞めた貴族の令嬢のように、風呂や食事に文句を付ける事も無く、皆と一緒に楽しんでいる。半端な貴族とは違う、王族の教育という物かもしれない。
アルスは一部で『鋼の心を持つ女』と言われているが、本当に逞しい。
確かに凄いけれど、生活の違いに疲れる事もあったのではないか……? 
「そうなのね。……ねえエミール……妹がいるのよね? 私もいるんだけど、もし妹が死んじゃったらどうする?」
「え?」
唐突な問いかけに、エミールは固まった。
妹は――とても素直で可愛い。顔もかなり可愛くて……将来は絶対美人になる。
……噂好きの母親に性格が似ないで欲しいと思う。
今も、両親とは別に手紙のやり取りをしているくらい仲が良い。隣の領だし、そのうち家族で遊びに来いと誘ったばかりだ。お土産だって送っているし、小物を送ってくれる事もある。
……その妹が死んでしまう? あり得ない。そんな事があったら……考えただけで泣きそうだし、一生立ち直れないと思う。
「そんなの、考えたくもない」
「そうよね……」
アルスは机に肘をかけ、物憂げになにか考えている。そんな仕草も絵なるので、さすが王族、と言う感想しか出ない。
「私ね、プラグって、皆が思ってるような子じゃないと思うの」
「って言うと?」
エミールは首を傾げた。
「もっと変わった面白い子。だから、一緒にいて楽しかったのよ……、……確かに、私も言い過ぎたかしら……でもやっぱり、あれは酷いわ。ちゃんと謝ってもらうんだから。そしたら、妹さんの事、何か聞けるかも」
「? 何言ってんだ? この前会っただろ」
「あ、いえ。首都に来たんだけど、少し離れた所に住んでいて、中々会えないのよ。今どうしてるかなって。本気で行くから、明日はよろしくね」
「……向こうが謝ったら、ちゃんと謝れよ。あと、負けるって決まってないから」
エミールはふてくされて、立ち上がった。
■ ■ ■
エミールが部屋を出ると、廊下でプラグに出くわした。
「あ……」
「お!」
エミールが「謝る?」と聞いたらプラグは頷いた。
「怒ってた?」
「大丈夫、だと思うけど……やる気だったぜ?」
「一応、聞いてみようか……アルス……入っていい?」
プラグがノックして、少し開けた。
すると間髪入れずに「駄目ッ! 来ないで!」と言う返事があった。
「駄目か……ごめん、俺が悪かった……また謝る」
プラグはそう話し掛けて、項垂れた。アルスからの返事はない。
――アルスは怒っていると言うか、戸惑っているのだろう。
このままだと、プラグはずっとここに居そうだ。
「行こうぜ、もう明日にしよう」
「そうだな……」
プラグが言った。ここで部屋に押し入って、謝る程の強引さは無いらしい。
「なあ、お前、アルスの事どう思ってるんだ?」
まだ少し扉が開いているので、多分聞こえるだろう――エミールは尋ねた。でも下手な事を言うと、また火に油を注ぐかもしれない。
エミールはプラグの腕を引いた。
「向こうで話そうぜ」
「あ、え? うん……?」
少し離れた、壁際でエミールは改めて尋ねた。
「お前さー、王女の事、好きなの?」
「えっ、まさか」
「そっかー……ふぅん……」
コイツはかなり鈍いのでは無いだろうか。あるいは身分違いだから言えないとか。
「でも俺はお前なら、頑張ればいけると思うけどなぁ」
エミールは頰を膨らませた。
エミールも腕には少々どころか大分自信があった。キルラドロスでは、大人相手にも良い勝負が出来たし、スリを捕まえたり、若い騎士を伸したりこともあった。体格差や年齢差、実力不足で勝てない相手もいたので、さすが自分が一番、などとは考えた事は無かったが――プラグは別格だ。
後はアドニス、シオウ。フィニーも。この辺りは間違い無く精霊騎士になれる。
まあアドニスは王子らしいが……枠数には数えられるらしい。さすがに不公平だ。
――この辺の嘆きが、詰め寄り事件の原因だと思っている。
エミールは進路を決めていなかったし、どこかの領土騎士になれれば十分だと思っていた。もっと強くなりたい、と言う修行みたいな気持ちで来たのだが、真面目に目指している者達もいた。そう言う奴等が現実を目の当たりにして、絶望するのは仕方無い。
アラークは多分、近衛が良いと言いながら、本当はクロスティア騎士団に憧れていたのだろう。『クロスティア』は、本当に皆の憧れなのだ。幼い頃から鍛練を積んで、という奴だって大勢いるというか、ほとんどそれだ。
そこにふわふわと、やたら才能があって顔も良く、頭も良いやつがいたら、腹が立つのは仕方無い。
……誰もシオウに行かない辺り、何というか、男ってそうだよな、という気持ちになるが。
プラグがもっとはっきり言えば良いのだ。ようやく聞き出した、精霊騎士になりたい理由も『とにかく目的があってすごく頑張っている』と言うふんわりした物だ。
「お前なら精霊騎士になって功績ができたら、将来、王女と結婚とか、できると思うけど。そう言う話、よく聞くし……セラ国とか。あそこは王女が多いからあれだけど」
セラ国ではたまに『王女が気に入った騎士と結婚した』と言う話があって、有名だ。
他にも『セラ国の王女が、どこそこの王子に惚れて婚約した』と言う話も聞く。
ストラヴェルには王女が二人しかいないので、そう簡単では無いだろうが……プラグの整いすぎた顔面、均整の取れまくった体を見るに、いける気がする。
驚くべき事に、プラグは爪の先まで綺麗なのだ。
エミールも決して不細工では無いが、正直、桁が違う。
――と言うかエミールは、いつかアルスとプラグは、本当に結婚するのではないか、と言う気がしている。
まあ、アルスは王女様だから、結局どこかの王子様と結婚するかもしれないし、外れる可能性も高いけれど、万が一があってもおかしくない。
だって国内で、同年齢で、同世代で、と言うならプラグが一番いいに決まっている。
強くて頭が良くて、優秀すぎるアドニス王子でさえ、プラグ(とシオウ)には敵わないのだ。
エミールもストラヴェル王国の国民。
身内贔屓だが、アルスは王女としてかなりいいと思う。可愛いし、賢いし、偉ぶらないし、親しみやすい。いざという時は意見も言えて行動もできる。凄い王女だ。特に見た目は最高で……しかも結構、強い。長剣は苦手らしいけれど、下位男子よりは使えるし、サーベル、レイピアでは思いっきり負けた。はっきり言ってエミールより才能がある。
しかも、相当努力したと言うのが分かる剣だ。手だって豆だらけだし、男子と一緒に走っているし。ここまで本気なら、どうぞ好きにしてください、としか言いようがない。
でも、尊敬するからこそ、恋愛対象にはなり得ない。アルスの恋愛はどこか遠い所の話なのだ。
自国の美人王女の相手は『最強で最高』が良い。
アルスの相手は年上の可能性もあるが、国内のアホンダラ貴族やそこらの王族だったら、絶対、プラグに任せたい。政治的なアレコレも、きっとプラグならなんとかするだろう。
これはもう仕方無い。二人が出会ったのが運の尽き。プラグは責任を取るしか無い。
(ていうか、こいつたぶん、今、国内一位の男だろ? これはまじで。いやルネ公爵とかもっと強い大人はいるけど……同年代だったら絶対、一番だって。シオウは何か違うしアルスと合わなさそうだし)
――シオウがアルスと結婚。身分的にはそちらの方がありそうなのに、絶対ないと言い切れる。話が出ても、まあないな、と一瞬で立ち消えだ。
ところがこれがプラグだと。なんかありそう。と思ってしまうのだ。不思議な事に。
正直……リズは面白がって同室にしたのだと思う。
レンツィやアラークなどは、近衛からの勧誘があったと聞いている。なんとエミールにも騎士団経由で誘いが来た。エミールでさえそうなのだから、プラグもあれだけ強ければ、きっと故郷で知られている。あの二人は、出会うべくして出会ってしまったのだ。もう絶対に運命だ。神様が王女にふさわしい相手を用意したに違いない。
実を言えば、エミールは候補生になる前に数回、精霊剣を使っていた。
出発の二ヶ月前、領土騎士団の団長が巫女に頼んで、結界と、自分の持つ精霊を使わせてくれたのだ。
――昨年、魔霊が出たとき、クロスティア騎士団が精霊剣を使って退治したと言う話があり、おそらく今年からは必須だと言われた。精霊剣が使えなかったら諦めろ、最終試験だ、と言われたので、できた時はほっとした。
団長は立派な精霊騎士か無理なら近衛になれと言ってくれたが、エミールは胸が熱くなり『実はちょっと、この騎士団に戻って恩返しもしたいと思っています』と言ったら、それは駄目だ、もっと上を目指せと叱られてしまった。
今年の候補生全員が精霊剣を使えたのは、試験のプレートに仕掛けがあったからだと思う。エミールは『皆、精霊剣ができたのは凄い』と言うリゼラの話を聞いてあれ? と思って、後で聞いたのだ。リゼラは仕掛けについては明言を避けたが、去年は使えない人がいた、というのは確かだと言った。
エミールは勉強も、みっちり、こんなにするか、と言う程頑張った。一年や二年ではない、精霊騎士候補生になると決めた八歳の頃から、鍛練の傍ら図書館や教会に通い詰めて六年くらい頑張った。
おかげで初回は十五位、二回目はなんと十一位。無事、上位クラスに入れた。
実はエミールはそこそこ勉強ができる。これは密かな自慢だったのだが、これでも十一位……つまり、上位は皆、そう言う子供達だ。
ペイト・マイメは平民でも、エスタード領、領土騎士団団長の娘だし、貴族は家庭教師を雇って頑張っただろう。
ヒュリス国の第一王子やこの国の王女、レガンの王子――いやシオウは領主の息子だが、領主の息子というのはレガンでは王子くらいの扱いなのだ――、果ては巫女長の弟までいる。ぶっちゃけハズレ年。
プラグはそんな並みいる強敵を抑えて堂々の一位。これは絶対、普通じゃない。
リズでさえ知らない事も知っているし、今までぼんやり聞いた事しかなかった『霊力転属(フィカアーケ)』『霊力変換(フィカアルド)』『古代精霊術』、果ては巫女弓まで使いこなす……はっきり言って『天才』だ。
……王族の結婚なんて思い通りにならないのが普通らしいけれど。
プラグと比べると、王子であるアドニスさえ物足りなく思えるのだ。あとアドニスは最近ナージャと仲が良い。あちらも身分違いだが……もう、なんだか、面倒臭い。
エミールは声を潜めた。
「言っちゃえよ。好きだって! 今から頑張れば、もしかしたらいけるかも。アルスがお前のこと大好きって感じになれば、国王様もいつか認めるって!」
「いや……なんで皆、そう言うんだろう……?」
プラグは困惑気味だ。形の良い眉が下がっている。
「はぁ!? お前、絶対、アルスの事好きだろ!?」
シオウを見ていて思うのだが、シオウは同じ同室でも、アルスにさっぱり興味がない。
せいぜい友人。興味無し。と言う感じが伝わってくる。それはそれで凄いと思う。
しかしプラグはアルスを悪く思って無さそう……明らかに仲良しだし、もしかしたら両方、片想いなのでは、と、皆が思っているのだ。
「誤解だって、そんな事ないから!」
――なんと本人以外は!
焦って否定するプラグの頭を、エミールは拳でコンコンと叩いた。
「お前、鈍いんじゃないか? 頭大丈夫か? 勉強しすぎたんじゃないのか?」
「もう、だから違うって言ってるのに……」
プラグは溜息を吐いたが、溜息を吐きたいのはこっちだ。
「ったく。とにかく明日、俺も一緒の組だから、よろしくな!」
エミールも真ん中、青組だから、プラグと一緒にやるしかない。
青組全員、プラグの頭を叩いても許されるだろう。