アドニス、ほか三名と共に、無事に宿舎に戻ったプラグは『次の授業はどうなるのだろう』と思った。
他の生徒達にも隊士が抜き打ちで仕掛けたらしく、プレートを奪われてしまった生徒達はすぐに森を走らされていた。
「あれ。お前らは大丈夫だったんだな。まぁそうか」
と言って戻って来たのはシオウだ。
「ああ……まあ。シオウ達もか」
シオウの他、彼と一緒にいたらしい四名。その後、フィニー他、二名が来た。
「まあな。で。これからどうすんだ? 皆、走ってるけど。自習か?」
シオウの言葉に、アドニスが答える。
「どうなんでしょう。おそらく、隊長とアプリアさんが、どこかで見ていたと思いますからそのうち指示があると思います」
アドニスの言葉にシオウが頷いた。
「ああ、なるほど。確かに」
リズとアプリアは途中から姿を消したが、確かに見ていると考えるのが順当だ。
宿舎の入り口付近で待っていると、程なくリズ、アプリア、エドナクがこちらに向かって歩いて来た。
「よ、諸君、おつかれ~」
リズが片手を上げたのだが、プラグはリズの表情を見た瞬間、嫌な予感がした。
そして、ぽん、と肩を叩かれた。
「プラ、あとシオウ。お前等、ちょっとツラ貸せ」
プラグは思わず「ヒッ」と息を呑んでしまった。
「おお? 恐がるなって……、なぁ。私とお前の仲だろ~? はははひひひッひひッ」
「っ……」
リズがプラグの両肩を掴み、気持ち悪い顔で笑っている。最近、プラグはリズの事を意外に美人で優しい良い人かもしれない、と思い始めていたが、そんな事は無かった。
リズは本当に気持ち悪い女性だ。
――ふと、リズが真顔に戻り、候補生達を見た。
「ま、ここに居る奴等には説明しとくか。えー、実は、三倍で鍛える事にした! 以上!」
「……?」
候補生達は皆、ポカンとした。
「これから、できそうなやつは、全て三倍。課題も三倍ならー、宿題も三倍。鍛練も三倍なら、飯も三倍! 十倍じゃないだけ感謝しろよ? 三倍ができたら五倍! つーわけで、まず二人、連行。他のやつらは、適当にアプリアに聞いてなんかやっとけ。あ、ちなみにここにいる中で――アドニス、フィニー。お前等は二倍だからな。解散!」
プラグも余程、二倍で解散にしてもらいたかったのだが。手首をがっしりと掴まれて、引っ張られた。歩き出したくなくてシオウを見ると、シオウも同じく表情を歪めて手を振っている。
「いや俺、何もできないんで! 人並みなんで!」
「はっはっはっはっはっ、堅い事言うなゴラ。行くぞ。あっちだ」
シオウも捕まり――二人そろって、凄い力で引きずられた。
候補生の宿舎に沿って、リズは二人を引っ張り、ずんずんと進んで行く。
「どこに行くんですか……?」
「これからー! 敬語禁止! 一切禁止! やったら罰として裸踊り!」
「えっ」
「タメ口でいい。敬語なんて無意味だ」
リズの言葉に、プラグは首を傾げた。
「……?」
「お前等二人はナァ。これから徹底的に、扱かれる。本性の、本性。本気の本気見せるまでな。敬語なんて使ってる場合じゃねぇぞ」
リズの言葉にプラグは、絶望した。間違い無く本気だ。シオウを見ると同じく青ざめている。プラグは自分だけで無くて良かったと……それが唯一の慰めだと思った。
「正直、時間がない。残り十ヶ月で、即戦力に仕上げる必要がある。できそうな奴をちんたら遊ばせるか? それとも鍛えるか? 鍛えるに決まってんだろ! ってことでな。お前等に、有り難い『師匠(せんせい)』を用意してやる」
候補生の宿舎を通り過ぎて……リズが入ったのは、場所としては、石壁の大広間の裏手だった。
騎士団の執務棟とはまた違う――綺麗な庭園だ。庭の中心に、白い壁に赤い屋根、二階建ての瀟洒な建物があり、庭には小さめの噴水があり、紅い薔薇が咲いている。ブランコがあり、ベンチがあり。ちょっとした貴族の邸宅だ。
……しかし鍛練に使えそうな、木立に囲まれた広い空間もある。
リズはそのまま庭を突っ切り、正面の扉を押した。鍵は掛かっていなかった。
「ルネ! いるかー!」
リズは扉を勢いよく開けて入ったのだが、中には侍女らしき、紺色の、丈の長いエプロンドレスを身に着けた、細身の女性が一人。切りそろえた長い黒髪に、真紅の瞳。頭にはメイドがよく身に着ける、レースのついた白いヘアバンド――ホワイトプリムを身に着けている。吊り目がちの大きな瞳で、まつげが人の倍はあり、肌は象牙色。やたらとはっきりした顔立ちは……まるで人形のようだ。年齢は分からないが、リズより若干年上に見えた。
女性は優雅に礼をした。
「リズ様。ルネ様は二階にいらっしゃいます」
「なんだ。出迎えろよー。せっかく驚かせようと思ったのに。式はどうだった? 美味いいモン食えたか。いい男は見つかったか?」
「いいえ。ルネ様が一番です」
女性の言葉にリズが顔をしかめた。
「相変わらず、男の趣味が悪いなぁ。ま、私の好みじゃないってだけだが……あれのどこがいいのか……」
「逆に伺いますが、リズ様はあの方のどこが気に入らないのですか?」
女性は使用人……なのだろうか? 中々、気の強い事を言う。
「んー。髪の色がいまいちだな」
「まあ、そこが良いのに」
「後は目の色も、性格も地味だしキモイ」
「目の色ですか? 八月の萌木のように、美しいではありませんか。性格に至っては天の使いです。そうです、あの方は天が使わした神様なのです……」
女性はうっとりと、恍惚の笑みを浮かべて言った。
「……ぐへ。あんな神やだなー。ま、とにかくお帰り。ああそうだ、この二人。これからこの屋敷に出入りするからよろしく。プラとシオ」
「畏まりました」
「プラグです」
プラグは言っておくことにした。
「シオじゃなくて、シオウです」
シオウも便乗した。
「畏まりました。プラ様と、シオ様ですね」
間違って覚えられてしまったようだ。カルタのサリチルを思わせる、良い性格をしている。
「こいつは、リリ・カトン。年は二十一。一応隊士なんだが、ルネの手下だから役に立たない。もうちょっと、役に立つと思ったんだが。もう駄目だなお前は」
「まぁ。ありがとうございます」
リズが不思議な事を言うので、プラグは首を傾げた。やたらと女性を下げている。
「――こいつ、こういうのが好きなんだよ。ウザ」
リズが小声で呟いた。
「まあ」
リリは嬉しそうだ。
プラグはこの女性に薄ら寒い物を感じた。
……初対面なのにサリチルの方が千倍いい、という失礼な感想を抱いてしまった。
あまり考え無いようにして、リズに任せる事にした。
「どこにいるんだ?」
「十二月のお部屋です」
「ん。じゃ行くぞ。ああ、私は十一番を借りるから。空いてるよな?」
「もちろんでございます」
既に行きたくない感があるのだが、行かなければならない。
プラグとシオウは嫌々、階段を上った。
■ ■ ■
階段を上り、二階の廊下を歩きながら、リズが説明する。
廊下には赤い絨毯が敷かれ、白い扉が並んでいる。扉の横には番号が書いてある。
一室ずつが、意外に広い。途中で左に曲がり、その奥にも部屋がある。
「この建物は『訓練棟』と言われている。いや、言われていたな。今は『薔薇の館』だそうだ。キモイ。元々はふつーの建物と森だったんだが、ルネが建て替えた。二階に部屋は一から十二まである。元は一番二番だったんだが……気色悪ィ名前を付けやがったから、せめて、一月二月にさせた。ルネってのは、『白』部隊の副隊長で、公爵だな。ノム・ルネ・ラ・エアリ。聞いた事くらいあるだろ」
言われて、プラグは思い出した。
……確かに有名な人物だ。
若干二十歳で、公爵位を継いだ文武両道の大天才。カルタで『精霊騎士になるのはどうでしょう?』という話が出た際、真っ先に名前が挙がった人物だ。カルタの巫女が彩色版画や絵画を持っていた。赤髪、緑目の女性的な超絶美形で、皆が熱を上げていた。
……プラグがクロスティアの精霊騎士を勧められる、一因になった人物だ。
見かけたら手紙で感想を教えて欲しいと言われている。
手紙を届けて欲しいと言われたが、さすがにそれは「隊士になれたら」と言って断った。
――プラグが黙っているとシオウが口を開いた。
「聞いたことあるけど……」
シオウも不安を感じているのだろう。先程のリリは正直、恐い。
「ま、そういうことだ。だがシオウ。お前は運がいい。お前の師匠は私だ」
「え゛」
シオウが、ほっとしたような、嫌そうな、どちらともつかない声を出した。
「そしてプラグ、まあ頑張れ。全部任せてある。適当に良い感じにしてくれる」
プラグは今すぐ帰りたいと思った。
「嫌なんですけど」
「会う前から何言ってんだ?」
リズに正論を言われたが、嫌な予感しかしないのだ。
「じゃあ、ここが十一番の部屋。おめーはあっち。今日は、ルネが良いって言うまで帰れない。飯とか風呂は知らん。殺すな、手足は千切るな、目や顔は傷付けるな、ちゃんと治療しろ、とは言っておいた。ま、死ぬ気でがんばれ」
リズは心底嫌そうな顔をするシオウを連れて、十一番の部屋に入ってしまった。
プラグは心底嫌になりながら、とぼとぼと歩いて扉の前に来た。
……少なくともリズが自分と同等と認める相手だ。絶対に戦いたくない。
プラグは深く息を吐いて、扉をノックした。
■ ■ ■
「失礼します……」
部屋の中は、何もないがらんどうだった。白い床と、高い位置に明かり取りの窓がある。窓は換気用らしく、人が通れる大きさでは無い。
右側の壁に、両開きの白い扉があって、もう一つ小部屋があるようだ。
やはり、かなり広い。だいたい、正面の窓までは二十メルト程度、側面の扉までは十五メルト程度だろうか。
待っていても来なさそうなので、もう一つの扉を叩いた。すると中から返事があった。
「――どうぞ」
「失礼します」
中は休憩室になっていた。深い赤色の絨毯が敷かれ、応接用のテーブルセットがあり、暖炉があり、壁には無数の武器が飾ってある。窓もあって、日が差し込んでいた。絨毯、カーテン、椅子や長椅子の座面も同じ赤で統一されている。
部屋の手前に椅子が二つ。奥には、暖炉を背にして長椅子が置かれている。
低いテーブルには、手紙が沢山積んである。
廊下に扉は無かったので、この部屋にはどこから入るのだろう、と思ったら、暖炉の右側に手すりがあり、階下へ続く階段がある。
ルネは暖炉を背にして、長椅子に腰掛け、手紙を読んでいた。
服装は隊士服で、マントが椅子に掛けてある。
プラグを見て、ルネは立ち上がって、気さくな笑みを浮かべた。
「はじめまして。ノム・ルネ・ラ・エアリです」
わざわざ手袋を外して、右手を差し出して――握手したい言う事だろう。公爵からの握手を断るわけにもいかないので、プラグは手を出した。プラグも素手だ。礼儀正しい人物だが……左手を添えられて、なぜか一瞬、手袋の重要性を感じてしまった。それでなくても、プラグの手は、剣を握る手では無い。ルネがしっかり握っているので不味いと思った。
ルネは絵で見るより遙かに美形だった。
ルネは真紅の髪に緑の瞳という、かなり派手な見た目をしている。髪型は絵で見たとおり、左右の、耳の横の髪を長く伸ばして胸の前に垂らし、長い後ろ髪を三つ編みにして、三つ編みを後頭部に巻き付けて留めている。女性がするような髪型だが、ルネは女顔の美形なので違和感は無い。線は細く……優美で爽やか、かつ誠実そうな印象がある。瞳は垂れ目とも、吊り目とも言えないが、選ぶとしたら僅かに吊り目か。睫毛も真紅で、量が多い。鼻筋は通っているし、肌は白いし……非の打ち所は無い。下手したら、終日見とれてしまうような、完璧な美しさだ。皆がストラヴェル一の美形貴族、と騒ぐのも理解できる。
しかしプラグはもう、自分の命は無いと思った。
(よりによって『剣の精霊』……の縁者か……もうだめだ……)
『盾』があれば『剣』もある。プラグは『剣の精霊』に出会ったことは無かったが、精霊の持つ直感で、分かってしまった。
……一体『剣』の精霊がどうして、人と出会い子を成したのか。
全く分からないが、とにかくルネという存在がいる。しかもこれはかなり血が濃い。
三代、四代前……下手したら、祖父や、曾祖父の話では無いだろうか?
「あの、手……」
ずっと握られているので、さすがにプラグは言った。
「ああごめんね。あれ、武器は?」
「いきなり連れて来られたのでありません」
プラグは答えた。ルネは背後の武器を見た。
「そう、じゃあこの辺の……これでいいかな?」
「なんでもいいです」
「乗り気じゃ無いみたいだね」
「……」
プラグはどう答えた物かと思った。
「座って」
「……」
プラグはそれも嫌だったが、椅子に腰を下ろした。
ルネはプラグをじっと見て、首を傾げた。
「君はどうしてここに来たの? 鍛練の必要があるようには見えないんだけど。隊長からは細かい事は気にせず、煮ても焼いても食べてもいいから、弟子として好きに育ててくれって言われているんだけどね……あ、名前は?」
「プラグ・カルタです」
「うーん? 偽名なんだ? ……どうしたものか……」
プラグはもう適当に断って、帰ってしまおうかと思った。
「こっち、向いてくれる?」
ルネがプラグに言うので、プラグは渋々顔を上げた。この相手にはおそらく――。
「あー、なるほどね。うん。やっぱり人間じゃ無いんだな。何の精霊かな……余程、古い精霊なのかな。隊長は知っているんだよね?」
プラグは、もうこうするしか無い、という一つの答えを出した。
首を傾げて、困惑顔をする。
「……? 何の事でしょう?」
……初見で人では無いと見抜く相手だ。こうするほか無い。
プラグの外見には人を欺く力がある。
多少、綺麗過ぎても、剣を振るう手で無くても、体が細くても。普通の人間は疑問を持たないのだ。
しかしルネは見事な例外だ。この騎士団は、とんでもない化け物を飼っている。
ルネが人であるのは間違い無いが――そもそも『剣』は精霊とも言えない。戦の神『カレル=クロス』に仕えていた、亜神よりもっと、神に近い存在なのだ。
「あー。隊長が、敬語が嫌いって言うの、初めて気持ちが分かったな。なるほどこういう感覚なのか」
ルネは綺麗な顔でとても嬉しそうに微笑んだ。
「いいよ。気に入った。鍛練に付き合ってあげよう。君が弟子でもいいね。僕の事は『せんせい』って呼んでね。じゃ、やろっか」
■ ■ ■
ルネもプラグも全く同じ騎士団の剣を使い、立ち会うことになった。
白い部屋に移動して、二人は向き合った。
ルネは剣を横に構えた。胸の辺りだ。
「じゃあまず、ここに上段から打ち込んでみて。全力で」
プラグは言われたとおりに、力を乗せて振り下ろした。
ルネの剣は動かない。
「んー。なるほど、君は力が出せないんだな。じゃあ――このくらいなら捌ける?」
ルネが踏み込みと同時に、下、上、右横に振り、突きと流れるように斬りつけた。
プラグは後ろに下がって避けた。
「ちょっと、ちゃんと受けてよ。そこは訓練だからさ」
「あ」
「そうか、基本が逃げなんだね。精霊騎士の剣術は確かにそうだ。プレートを使う為に、間合いを取ることが多い。でも向かってきて。さっきの僕と同じでいい」
プラグは先程のルネと同じように、剣を返し、下から上、右横に振り、当たらない位置で突きを出した。
「ふむ。殺気が無いね。困ったなぁ……型は問題ないし、確かに強い。でもこれじゃあ、使い物にはならない。人を殺したことはある?」
ルネの質問にプラグはすぐに答えられなかった。
――プラグとしてはまだ無い。
「ありません」
プラグの返答に、ルネは優しく微笑んだ。
「じゃあ今度、十人ぐらいやってこようか。隊長に頼んでおくから。そしたら殺気が乗ってもおかしくないよ。そうやって、その『プラグ』を作っていけば良いんだよ」
なるほどその方法があったか、とプラグは少し目を見張った。
ルネは心底、楽しそうに、笑った。
「君がどういう騎士になって、どういう風に生きていくのか。それは僕次第ってことだね。ふふ……血まみれの騎士を目指す? それとも、お綺麗な騎士を目指す? ごくごく平凡な、一般隊士を目指してもいい――そして、君がどれを選んでも、この国の利益になるから隊長は君を受け入れた。一応聞くけど、君はどんな騎士になりたいのかな? ここだけでいいから、正直に話して欲しいな」
「……一番、強く。貴方にも勝ちたいです」
プラグは答えた。
するとルネはまた、優雅に笑った。この男は――笑ってばかりいる。
「ああ。そういう? 可愛そうに……。負けられない立場なんだ? 僕より強くって、それは難しいよ。それこそ一番。最悪の道だ。君のお遊びの為に、一体何人が犠牲になるのかな? 仲間が死んで、それで君はどんな顔で泣くの? それでも戦える?」
と、言った瞬間、ルネが間合いを詰めてきた。プラグは上段から来た一撃を弾いたが、重い。
「受けないのは正解だけどね!」
振りが早く、プラグは体勢を崩した。突きに右肩が当たりかけたと思ったら、左から横凪に斬られる。服一枚で下がって避け右に一歩回り込む。ルネが剣を振り回す。プラグを常に追っている気持ち悪い剣だ。いつでも斬れると主張している。仕掛けてこいと言っているのが分かる。だが仕掛けたら負ける。ルネの剣先がまた二手、三手と続き、延々攻撃してくる。そして、プラグは下がり、時折入る重い一撃には耐えられず、また体勢を崩す。
全力で戦いたい。斬り返したい、そういう気持ちもあるが『何か』がそれを止めている。予感だろうか?
切っ先はどんどん早くなり、ついに先の手数が読めなくなった。
さばくので精一杯だ。ここまで凄いとは思わなかった。さすが『剣』の血だと思いながら少しずつ、傷を作っていく。ルネが切っ先を、どれもかすめる様に払っている。上胸、右肩、左肩、頰、耳、順番に斬られていく。右股から膝、足先までを縦に狙った長い振り降ろしを避けるために、プラグは床に手を突いた。しかしルネに足で払われ、真上から真っ二つにされるような、最悪の一撃を貰った。――結果は右に避けられたのだが、床に剣を降ろした為、その後、左肩に蹴りを食らった。軽く吹き飛ばされ、何とか受け身を取った。
しかしルネはそこに立っていて――。
「喰らっとく?」
と言う言葉と共に、柄頭で左側頭部を殴られ、激痛と共に意識が飛んだ。
■ ■ ■
「ん……っ」
――プラグは少し呻いて、目を覚ました。
「あ。起きた?」
ここは……隣の部屋、暖炉側の……ソファーに寝かされていたようだ。
しばらく瞬きをする。
プラグは右半身を下にして、閉じたカーテンに頭を向けて寝ていた。両手を軽く曲げていて、訓練着の青い長袖が目に入る。このソファーは長いので、足は軽く曲げているだけだ。
テーブルの上には手紙の束と……陶器の洗面器が置かれている。
ルネは正面の右側の椅子で、手紙を読んでいたが――大分減っている。頭が重たい。
「……? イタッ……!!」
プラグは起き上がろうとして、左側頭部を押さえた。柄で殴られたところだ。
頭は、濡れた手ぬぐいで冷やしてあったようで、手ぬぐいがソファーに落ちた。
ルネが慌てて立ち上がって、プラグに手を貸して座らせた。
「大丈夫かい。手加減したんだけど。君、三時間も寝てたよ」
「え……?」
「治療ついでに、軽く見させてもらったけど。君、羽が無いんだね? 背中と、頭も……綺麗に落ちてるけど……気付いてしまったから、僕の目には今も傷跡が見える。ごめんね、痛かったよね?」
ルネの言葉にプラグはぞっとした。
プラグはこの男には一体、何がどう見えているのかと思った。
ルネが絨毯に膝をついて、プラグの頭を触ろうとしたが、プラグは反射で防いだ。
ルネは苦笑して、手を下げた後、「触って良い?」と言って、打った方と逆の、右横に手を伸ばした。
……プラグは頷いた。
ルネが丁寧に髪を避け、頭の羽があった場所をなぞっていく。もちろん『プラグ』の体に傷は無い。自分で触っても何も感じないのだが……ルネに触れられると嫌な感じがして、鳥肌が立った。以前は無かった感覚だ。
「この、こめかみの上辺りから、側頭部、あと後頭部、上の方もちょっと……で、ここ。真ん中辺りが一番深い。ここに羽があったんだね?」
プラグは驚きながら頷いた。
実際に羽が生えていた部分より広いのは、可動の為の神経があったせいかもしれない。精霊は核に向かって霊力の流れがあり、それは人の神経に近い。人とは違うが血液も流れていて、もし、斬られれば出血する。カ=トゥーワと、カ=ルーミーに羽を取ってもらった時は、血は出なかったし、傷跡もなかったので、神経に傷が付いているとは思わなかった。
プラグが知らない事まで分かってしまうとは――。
「貴方は、ばけものですね……」
「よく言われるよ。リズ隊長にも言われた。そういう血筋なんだよ」
ルネが苦笑した。
「あ、すみません……化け物だなんて……」
プラグは焦って謝罪した。
ルネは「いいよ」と微笑んだ後、形のいい眉をわずかに顰めた。
「君と戦ってる時に、頭と背中に傷がある、って気付いたから、試しに打ってみたんだけど。打ったこっちが焦ったよ。頭は誰だって弱いし、背中もそうだけど。君は頭に何か飛んで来たら、盾か、手で庇う様にした方がいい。悶絶してたから。……あえて狙われるような場所でも無いけど……気を付けて。背中、ちょっとめくるよ? そっち向いてあ、ベルト緩めて」
「あ、はい」
言われてプラグは反射で背を向けた。訓練着は丈が長く、ウエストをベルトで押さえてある。ベルトを外すと、下の白いシャツと一緒に、遠慮なくたくし上げられて、めくられた。前側の布が引っ張られて少し苦しい。
ルネの右手が、遠慮なく衣服の下に入り込み、そのうち更に衣服をめくって、肩甲骨の上から、羽のあったところを広くなぞり、腰まで降りていく。言いようのない嫌悪感と恥ずかしさに襲われて、プラグは歯を、少し、噛みしめた。
「背筋、伸ばして。うーん。これは、背中の羽、ずいぶん大きかったんだね……神経ごと綺麗に持って行かれてる。僕は、羽の大きさは、精霊の『格』を現してる、と思ってるんだけど。どうして無くしたの? これ、本当に最近だろう? あ。尻尾はある?」
ルネがズボンを引っ張ろうとしたので、プラグはぎょっとして、ルネの服を後ろ手で掴んで止めた。
「尻尾はあります。色々あって。……もういいです」
「おっと、ごめんね」
「いえ……助かりました。自分でも、良く分かっていなかったので。ルネさんは凄いです」
プラグが自分で、鏡で見ても――『目』で見ても全く分からないのだ。
『剣』はプラグ達とは系統が違う精霊だから、見える物が違うのかもしれない。
ルネが溜息を吐く。
そして「もう一回、治るか見るから、失礼」と言ってまた軽くめくった。
「うん……これはたぶん、癒える傷だと思うけど、人間の時間だと、きっと時間が掛かる。できれば、一度、リーオさんの持ってる『ターシェル=リンド』で分析して貰った方がいい。あれは精霊の特性を分析する物だから、もし人の体で引っかかるようなら危険だ。何も出てこなければ、気を付けるくらいでなんとかなると思うけど……」
『ターシェル=リンド(知恵/分析)』がこの騎士団にあったのは良かった。この体でいる以上は引っかかる事は無いと思うが、気づかずに過ごしていたら、弱点を狙われたかもしれない。
――ルネは凄い。しかし恐ろしい。
プラグは頷いた。
「わかりました。ありがとうございます。今度、頼んでみます、服、直しても?」
「うん。触られて疲れただろう。お茶でも」
ルネが頷いたので、服を直して、ベルトをはめた。
ルネがベルを鳴らすと、階段の下からリリの返事が聞こえた。
その時、プラグは、この部屋が完全な密室でなかった事を思い出した。
思わず赤面し――血の気が引いた。
「はは。三時間だからね。気を付けないと危ないよ」
「……はい……!」
プラグは、更に青ざめ、絶対に気を付けようと誓った。
そう言えばルネは『治療』したと言っていた。服を着たままだったかもしれないが……いや。軽く診たとも言っていた……!
軽く打たれただけで――三時間。
危ないどころではない。
(『盾』を改良して、なんとかなるか……? 後は、ラ=ヴィアやナダ=エルタに頼んでおいて、守ってもらうとか……)
迷惑ばかり掛けるな……と、プラグは項垂れた。
リリは静かに、盆を持って階段を上ってきて、ルネの紅茶を注ぎ終えた。
そして次にプラグの分を注ぎ。
「お砂糖とミルクはいりませんわね」
と言ってそのまま出した。
「えっ、砂糖を下さい」
……盆の上には明らかに砂糖とミルクがある。
「いりませんわね」
「いや。砂糖は欲しいです」
「いりませんわね?」
「すいません、下さい」
「いらないですね」
「いえ、欲しいです」
「貴方にあげるお砂糖はありませんわ。ドブ川の水でも飲んでいらしたら?」
「……はい……」
プラグは諦めた。苦い物は苦手なのだが……ドブ川の水よりはましだ。
ルネは一人掛けの椅子に座って、何も入れない紅茶を飲んでいる。仕草は優雅で、一枚の絵画のようだった。表情一つに高値が付くだろう。
「僕はね、君と戦って一つ、気付いた事がある」
プラグはかなり濃くて苦い、熱い紅茶を火傷に気を付けながら飲んでいるのだが。
ルネの気付いた事は気になった。目線で、何です? と問う。
「君、童貞だね」
いきなり言われて、カップをひっくり返してしまった。
「熱ッ」
盛大に膝に掛かって、しかも床に落ちたカップは割れた。
「いい反応だ。あ、そのカップ、二百万グランする骨董品だから。しばらく無給だね」
「……あつつ、……うわ、すみません!」
プラグは青ざめた。慌てて欠片を拾うが、リリの手助けは無い。
諦めて、割れたカップを拾ってテーブルの上に置いた。
ルネは何も言わず、やはり優雅にカップを傾けている。
「僕はね、剣を交えると、戦闘に関するいろんな事が分かるんだ。たとえば、相手の剣術歴から、得意な武器、苦手な攻められ方、弱点、強み。後は、好きな食べ物、紅茶の好み。犬派か猫派か鳥派か。靴下をどちらから履くか、体をどこから洗うかとか、昨夜の寝返りの回数から、今履いている下着の色までも」
紅茶や靴下や風呂や犬猫鳥下着が戦闘に関係するか分からないが、凄く気持ち悪い能力の持ち主だ。
ルネが続ける。
「その中に、異性経験があるかないか、というのもあって、君はゼロ。こちらが吃驚だよ。女性とキスした事も無いんだね」
それはこちらも吃驚だ。何故分かる。というかひたすら気持ち悪い。
プラグは、だいぶ近寄りたくなくなった。
……勝手にバラされ、もう最悪だ。
そろそろ手ぬぐいの一つでも欲しいが、リリは何もくれない。言っても取ってはくれないだろう。盆の上には、見るからに手ぬぐいがあるので立ち上がって自分で取ってしまおうかと思った。
リリがぼそりとプラグに囁く。
「そのソファーと絨毯の染み抜き代も、全部貴方持ちです。後で請求書、お渡ししますわ。利息は二日で十割です。永久に苦しんで下さい」
「……はい……」
プラグはどうせ請求されるならもう拭かなく良いかと思った。後でリーオに相談しよう。
ルネはカップを置き、プラグを見た。
「言葉では分からない事も、剣では分かる。で、それでいくと君は、ああ、可愛がられて生きてきたんだな、って感じ。愛情たっぷりで育った、とても甘い甘い砂糖菓子だ。リリ。お片付け」
ルネがリリに声を掛けると、リリは喜々として頭を下げて、割れたカップを回収して部屋を出て行った。結局、プラグはそのままだが、幸い、火傷は軽い。
ルネはふう、と息を吐いた。細かい仕草もいちいち上品だ。
「僕からの提案は一つ。君は、ごくごく平凡な一般隊士を目指すべきだと思う。何かしたいことがあるなら、隊士をやりながら頑張る。そのうち誰か可愛いお嫁さん――あ。リゼラはコリントの事が好きだから、駄目だけどね――を貰って、結婚する。で、子供を作って、家庭を持って、平和に暮らす。結婚する気はあるんだよね?」
プラグは少し混乱した。一体どう言う話になっているのだろう。
「いや……考えた事も無く……」
プラグはそう言うしかなかった。
結婚。子供。予想外すぎて意味が分からない。あとリゼラがコリントを好きというのは分かって良かった。お茶に誘って、無駄に恨みを買うところだった。
ルネは苦笑する。
「そういう選択も、もうできる時代だって事だよ。これは僕の曾祖父の話なんだけど。偶然見つけた『剣』の精霊があまりに美しかったから、お嫁さんにしてしまったんだ。勿論、お互い愛し合って、だけどね。おかげで、僕の父は短命だった。精霊の子供は普通に生きられるけど、孫は短命って言うのは知っているよね。そして僕は二十歳で公爵になった。父が不幸だったとは思わない。僕には妹もいるし。つい先月、フロスト公国の王妃になって、僕は式に出て来たんだけど、ああ、いいなって思った」
――ルネがプラグを鋭い目で見た。
「こうやって、精霊は全て、人と交わって血を薄くしていき。いずれ消えていけば良い。古いしがらみは捨てて、君もその一人になるべきだ。そうは思わないか?」
プラグは頭が真っ白になってしまった。
古いしがらみ。捨てる。
「その様子だと、考えた事も無かったんだね。……自分自身が、いらない存在かも、って考えた事はある? もしあるなら、そろそろ、決めたらどうかな。人の真似をするくらいだ。人になりたんだろう、君は」
ルネは優しく微笑んでいる。こちらを気遣うのではなく、皮肉だ。
「普通の隊士になるなら、歓迎するよ。そうでないなら、排除する。君には、遊びに見えるのかもしれないけど。僕達はここでいま、こうして。生きているんだからね。何もできないなら、消えて、二度と戻ってくるな。って事だけど、分かるかな。あ、弁償は別にいいから。もう、お帰り」
■ ■ ■
シオウが解放されたのは、四時間経った後だった。
「まじ、もう、むり……」
扉を出た後、そのまま座り込みそうになった。中途半端に治療されたおかげで、歩けてしまうのがまた最悪だ。
リズは徹底的に攻撃してきて、シオウが本気を出すように仕向けた。
シオウは本気を出した。出しているのに、まだまだ、とうるさいし。痛いし、殴られるし蹴られるし斬られるし。明日からは課題も宿題三倍だし。隊士達との手合わせも入ると言う。
まずは六対一、と言われてもうやだここ、となった。
シオウは廊下に手を突きながら、のろのろと伝って歩いて行く。
「あ゛~かったる……あ゛~やってらんね……」
シオウはある目的の為に、ここに来た。
シオウにだって一応、やりたいことがあるのだ。
……だがもう、別に良いんじゃね? と言う気分になった。
シオウの、本当の目的は『最高に強い、最高の嫁を見つける。で、ついでに領地を再興する』という、ここにいなくても楽々達成できる事なのだ。
(ここじゃプラグが唯一、俺とまともにやり合える奴だけどよ……まあ、男だし……アメルちゃんがいたらなぁ……)
シオウは溜息を吐いた。アメルが本物ならどれだけ良かっただろう。顔も好みだし、性格も好み。プラグの妹だから霊力も強そうだ。だがしかし、既に死んでいるらしい。
シオウは『ストラヴェルのクロスティア騎士団が一番強い。マジでヤバイ』という噂を聞いたので、試しに来てみたのだが。他の候補生を見ても、隊士を見ても、正直、ぱっとしない雑魚ばかりだ。リズは見所があるし強いが、いずれ――あと二年もすれば追い越せる。
(いや一年で追い越してやる……! あのクソ女!)
シオウは精霊の血が入っているが、孫代のリスクは多数の生贄で帳消しどころか、そいつらの寿命も加算されて、下手したら千年、あるいはもっと生きられる。
シオウは、ジジイがシオウに施した秘術も呪言も、残らず全て知っている……!
――殺す前に痛めつけてやったら、ジジイはペラペラと喋った。
……秘伝書とやらも持ち出して、全部頭に入っている。
(あのクソ爺……なんて事をしてくれたんだよ……! 余計な事を! 千年? もっと? クッソ退屈じゃねえか! 十年もありゃ、十分だったのに!!)
シオウは舌打ちした。シオウは何よりも、戦うのが好きだった。戦いが唯一の楽しみで、生きる全てだ。戦わなければ生きていけない。しかし周囲は雑魚ばかり。後は強い相手をひたすら求め、戦争を引き起こすくらいしか楽しむ方法が無いのだ。
(……焼け跡のレガンに国を作って、で、ストラヴェルに喧嘩売って、まあ先に南部遠征だな。そっちを燃やし尽くして灰にしてからでもいい。そうすりゃ一人くらい、骨のある奴が出て来るだろう)
全てを壊す事を考えると、ぞくぞくする。
(ま、自殺って手もあるが。もうちょっと楽しんでからでいいよな?)
シオウは口の端を上げた。人生、まだ始まったばかり。
シオウの体は丈夫で、ほとんど不死身になってしまったが、死ぬ方法はある。
いつか自分で死ぬなら、全部滅ぼしてから死ねばいい。
――死んでから文句を言う奴はいない。死人に口無しだ。
むしろ感謝してほしい。退屈から解放してやったのだから。
全部、無くなって、何が不満なのだ? 笑っておやすみ、でいい。
……人の焼け死ぬときの悲鳴は、中々、心地が良い物だ。
焚き付けた訳では無いが、シオウはコル=ナーダを止めなかった。止めなくて正解だった。燃える景色を見ながら、本当は笑っていた。心底楽しいと。
さすが、俺の『ばあちゃん』だと。
(ふふ……、っと笑ったら駄目か)
「痛いなぁクソ……俺、ここでやっていけるかなぁ……もうやだ……」
わざと泣き事を言いながら宿舎の入り口に向かうと、誰かが宿舎入り口の、少し手前にぽつんと立っていた。
……宿舎の入り口には、一つ、精霊灯があって姿がよく見える。
橙色の光に照らされた、遠目でも分かる白い髪、長袖の青い訓練着……細身の体。
プラグだ。
(あれも精霊の血がたっぷり入ってるんだろうな。見りゃ分かる。っていうか、精霊が化けてるのかもしれない。――例えば『嘘』のプレートとかでな)
シオウは知っている。
精霊を人間の姿にする『嘘』のプレートの存在を。
コル=ナーダを完璧な人間にしたのが、そのプレートだと祖父が言った。
それは希少な『嘘』の精霊結晶(フィカセラム)から作られた物で、一度使うと無くなってしまう、赤プレートの中でも特に耐久性の低い物だという。しかし確かに、この世に複数枚、存在している。
祖父はそれを使って、あえてコル=ナーダを人に落とし、人として結ばれた。
……心底、コル=ナーダに惚れていたのだ。あの馬鹿ジジイは。
しかし気になる提案ではある。人間はあっと言う間に死ぬが、精霊は長生きだから、嫁に『生贄』が身内限定の、面倒な秘術を使う手間が省けるし、何より強い。
嫁を持つというのは、まあ男の責務だろう。いくら長生きしようとも、子孫がいなければ繁栄は無い。優秀な血を優秀な相手に与え、血族を残すのは当たり前の事だ。
今の所、好みの精霊は見つからないが――。見つかったら。人にしてみるのも面白い。シオウは人間だから、やはり人間の方が美しく見えるのだ。この辺りは祖父の血を感じるが、否定する気はない。
シオウ好みの女が精霊だった時の為に、『嘘』のプレートを探すのもシオウの目的の一つなので、プレートの情報が集まるクロスティアはちょうどいい。
「……おい、どうした? プラグ?」
こんなところで何を突っ立っているのだろう? と、シオウはプラグに声を掛けた。
反応は無かった。
「……」
「おい?」
シオウはプラグの肩を掴み、顔を覗き込んで、ぎょっとした。
――ぼろぼろに泣いている。号泣だ。
プラグはシオウを見て、うつむいて、すがる様に寄りかかってきた。
「ちょ、どうした?」
「……っ……ぅう……」
嗚咽を漏らすので、このままでは不味いと思って、とりあえず、壁際に引っ張り座らせた。
自分も左側に座って、なんだこいつ、と思いながら頭を軽く撫でた。
「どうした、お前も負けたのか?」
「……」
プラグは首を振った。ふと、紅茶の匂いに気が付いた。しかしよく分からないので無視して、また問いかけた。
「勝ったのか? ルネってやつに」
「…………まけた……、でもっ、ほんとうは、……っ」
プラグは膝を抱えてうつむいてしまった。そして声に出した事で思い出したのか、また、目一杯に涙を溜めた。プラグは目を擦って、擦った。そんなに擦るな、目が腫れる、と言いたくなった。こいつに熱を上げている女子が山ほどいるのだ。美形の宿命として、女子の期待を裏切ってはいけない。シオウも一応、気を遣っているのだ。
「……ッ。しお、うは。おまえ、自分が、いらないかもって、おもったことあるか?」
ちょっと気の毒になるような、弱々しい問いかけだった。
「はぁ? どした? ええ……いらないかも? 何言い出してんだ?」
シオウにとっては、自分が一番価値のある物だ。他は虫ケラ、ゴミ以下の空気。だから自分の価値なんて考えるは必要ない。俺は存在するだけで奇跡だし、偉業だし、輝いている。
「……ないのか……?」
プラグが眉を顰めて首を傾げるので、シオウは慌てた。さっぱり分からないが、ここは合わせておくべきだ。
「いや、まあ、たまにはな。ちょっとは思う」
「どういうときに?」
「え……ええ……っと……嫌な事があったとき、とかか?」
プラグを見ていると、余程何かあったのだろうと推察される。イミワカランと思いながら言った。
「……そっか……」
プラグは少し落ち着いたらしい。鼻をすすって、地面を見つめた。
「俺は……いつも思ってたよ……俺がいなければ全部うまく行くんだと……」
「……俺は……親の記憶……ひとつだけ……あるんだ……」
「いちどだけ、俺が、小さい時、手をつないで、右に、父親、左が母親……逆かもしれない……とにかく、手を握ってくれた……」
言われてシオウは、こいつ捨て子だったんだな、と思い出した。
……プラグはまたうつむいてしまった。その後、捨てられたのかもしれない。
何故かよく分からないが、涙がにじみそうになった。
「そうか、ま、良かったな……俺は覚えて無いからな」
「覚えて無い……?」
プラグが顔を上げて、シオウを見た。シオウは、そんな目で見るなと思った。
「あ、いや、実は頭をぶつけて、記憶があんまないんだ。昔の事とか、親の顔とか、ちょっとうろ覚えで」
これは嘘では無い。過去の記憶はずいぶん、曖昧になってしまった。
確か――何か一つ。大事な事があって、何か大事な事をしたくて、何か大事な……。
――やはり思い出せない。
この記憶を探すのも、シオウの目的ではある。後回しだが。
「そうなのか……シオウも、大変なんだな」
「まあ、誰だって大変だろ。知らんけど。別にさ。ムカツク奴の言う事聞いても、仕方ねぇし。馬鹿の言う事なんて無視すりゃいいんだ。どこのどいつか知らんけど。何言われたんだ? クソ腹立つ。お前強いんだから、さっさとぶちのめして、さっさと全部、ぶっ壊しちまえばいいんだよ。いっそあのリズもやっつけて、お前が隊長になれば全部良し!」
シオウは笑って言いながら、自分は何を言っているのかと思った。だが正直、プラグならここの全員倒せると、本気で思う。だから何かの理由があって――たとえば本気を出したら、殺してしまうからとか? ――で、いつもわざわざ手加減しているのが気にくわない。どうせプラグの相手をした馬鹿が、手加減をして頂いている分際で偉そうな口を利いたのだろう。シオウにも、これははっきり覚えがある。そういう輩はどこにでもいる。
「お前は強いんだから、自信持て! 自分が最強、くらいの気でいりゃいいんだよ」
「……そうだな。シオウは良い事を言う」
プラグはすっかり落ち着いたらしい。先程の情けなさが嘘のように、元通りだ。
プラグは立ち上がって、伸びをした。手を広げて、深呼吸をして、振り返って笑った。
「ありがとう。落ち着いた。気持ちの整理もできた。……。うん。楽しかった。凄く楽しかった。悪いが、このまま行くから。退舎するって伝えてくれるか?」
プラグは一人で笑っている。
「やっぱり、一人で行く方が早いよなぁ……ははは」
そして歩き出そうとする。
「は」
シオウは思わず口を開けた。
「阿呆か。入るぞ」
シオウはプラグを引っ張って、宿舎の中に入った。
■ ■ ■
翌日。明け方から雷、暴風を伴う大雨になった。
落雷の危険があるので、朝の走り込みは中止。午後になっても止まなければ、鍛練も中止になるらしい。
ガタガタと窓が揺れ、稲光と轟音が続き、建物が軋んでいる。
シオウに引っ張られ、戻って来てしまったプラグは、教本を眺めてぼうっとしていた。
戻った後、そのままシオウに引っ張られて、冷めた風呂に入り、着替えてベッドに入って、一晩考えても、答えは出ない。普通の隊士……普通の結婚……普通の子供……普通の……?
……『嫌だ』と言うのは何となく分かった。
「プラグ、次を読め」
リーオに当てられても、返事もしなかった。返事って何の為にするんだろう、と考えていた。隣でシオウが何か言っているが、耳に入ってこない。
「プラグ・カルタ? 聞いているか?」
リーオがしつこく言うのでキレて「うるっさいな。返事って、必要ですか?」と言ったら廊下に立たされた。
眠かったので、廊下で座って寝ていたら、今度は後で執務室に来なさいと言われた。
「面倒です」と言うと、そのまま連れて行かれた。
リーオは執務室で、おかしな事を言い出した。
「精霊達の様子がおかしいのは、お前のせいか?」
プラグは首を傾げた。
「今朝から、皆、返事が無い」
「……ああ、そういえば。ラ=ヴィアがなんか言ってたな……朝……」
プラグは朧気に思い出した。眠れなかったせいで、何もする気が起きなくて、朝食の席では突っ伏していたのだが。周囲で精霊が騒いでいた。会話は聞いていなかったが、ラ=ヴィアは本気で怒っていた気がする。何やら大変そうだった。
「どうせいつもの騒ぎですよ。精霊の行動なんて……いい結果にならないんだから。そうだ、ちょうどいい、俺、ここを出て行く事にしました。今日付で候補生、諦めて辞めます」
プラグは微笑んだ。言いに来る手間が省けて良かったと思う。
するとリーオが目を丸くして驚いて、すぐ、盛大に顔を顰めた。
「なぜ出て行く? 許可できない」
「許可って。出て行けって言ったのはそっちでしょう? 普通の隊士にならなきゃ駄目だって、人の気も知らないで……はぁ」
人間のフリはとにかく手間が掛かる。そして。上手く行くとは限らない。
プラグは胸に手を当て、目を閉じた。
「この、プラグ・カルタは失敗です。また新しい名前を作って、そちらに切り替えます。今までお世話になりました」
アメルは上手く行ったのだが、プラグは大失敗した。まるで出来の良い妹と、出来の悪いカド=ククナのように。またアメルに戻って、これから一人旅だ。アメルは要領がいいし、力も制限していないので好き勝手に出来る。そもそも男を選んだのが失敗だったのだ。美人の方が騒がれないし、人の印象に残らない。
『プラグ・カルタ』は。カド=ククナに近すぎた。
カド=ククナの感情の揺れがそのまま、プラグに反映されてしまうのだ。
プラグはできるだけ嘘を吐かずに、そのままの性格で、と思っていたせいもある。
とりあえず、何とかしてサリーを説得して、プレートを返してもらって――上手く行くかは分からないが――ああ、解除すればいいのか――解除して。後は何とかなる。
「そうだ。別の国に行って、そこのクロスティアに入ろうかな。それがいい。セラ国とか……いやヒュリスの方が近いか……。よし。じゃあ――今からヒュリスに行きます。お世話になりました!」
カルタからヒュリス国は近いので、そのまま行けば、無駄も無い。
笑顔できびすを返そうとしたら、扉が開いた。
「おい」
と言って入って来たのはリズだった。そう言えば気配があった。ずっと聞いていたらしい。
そして間髪入れずに、頭に、思いっきり拳を降ろされた。拳骨だ。
「っ……!」
プラグは頭を押さえて悶絶した。ものすごく痛い。
「お前、精霊達に何言った?」
「はぁ?」
「精霊がそろって、もう何もしない~したくない~しても意味ないし~って言い出したんだ! まったく、あの馬鹿! だから鬼畜馬鹿はいけ好かん! ルネ公の言う事なんざほっとけ! いいかあいつはな、変態だ。マジ物の変態だから。ああやって、楽しんでるんだ! 先に言っとくんだった……! お前もいちいち真に受けるなよ! 受け流せ! ああもう、阿呆だらけかよーッ!」
リズが大股を広げて、おかしな海老反りを披露した。
そこでようやく、プラグはハッと我に返った。
「っ……! 言われてみれば……確かに……変態ぽいですね……なんか、ニヤニヤしていたし。手も両手で握ってきたし、ずっと見てるし、背中も髪もやたら触るし、言う事も気持ち悪かった。いちいち鋭いし、言ってることは正論だから真面目な人かと思ったけど……そうでもないのか?」
リズが大きく溜息を吐いて、プラグの両肩を掴んだ。
「そうだ! いいかあいつはなぁ。気に入った奴は絶対に、いびらずにはいられねぇんだ! 外面はいいんだ。つか背中? いいんだが! 真面目なところもあるんだが、もう鬼畜根性が染みついちまってんだよ……あいつもリリも、もう手遅れなんだよ……! お前もいい加減、しっかりしろプラグ・カルタ! 目的があんだろ!」
――目的。
プラグは目を伏せた。
「それも……もう、時代遅れなのかもしれないです。ルネは精霊は全て人間と結婚して、子供を作るのがいいと……確かにその通りだと思いました」
「んなことない。人間は人間と、精霊は精霊と結婚だ! 分かったか?」
「はぁ」
「とにかく、他国に行かれたら困る! それだけはやめろ、お前が敵とか最悪だから! ウチで養ってやるから! ここで、精霊騎士を目指せ!」
「でも目指す理由が曖昧だから……強くなれないのでは?」
プラグの、一番の懸念はそれだ。ここの隊士が求める『強さ』や『理由』は、おそらくプラグにはない。
「ここの皆さんが求める『戦う理由』が、俺には無いんです……」
プラグにできるのは――。
ただ。命を賭けて。自分に課せられた、古い使命を果たすこと。
その為に、悲しみも、喜びも。全てを置き去りにして。全身全霊を以て生きる事。
その結果、何百万人、何億人が死のうとも。血濡れた手が、もっと赤く、血みどろになろうとも……最後まで立ち続ける事。それだけだ。
「はぁああ!? 理由!? ああああ! んなの適当でいいんだよ! 適当で! ああああ! どいつもこいつも、面倒くせぇなぁあああ――!!!」
リズの叫びが部屋に響いた。