第4節 悪意の座標/ §3
ー/ー
―セクション3―
調理室での活動が始まるとあって、花鈴は浮き足立っていた。昼間の出来事に気が塞いでいたのが嘘のようだ。
「花鈴がそんなに料理を楽しみにする日が来るなんて思わなかった」
「えへへ」
照れくさそうに笑う花鈴を、日彩は不思議そうに見つめる。
花鈴は、女王然とした雰囲気があり、どんな我儘も許されてしまう不思議な魅力があった。よくトラブルも起こしたが、裏表なく付き合う人柄ゆえかすぐに和解する。
あざとく美しく――何より妥協せずに自分を貫く花鈴のことは、日彩にとって、友人というより、密かに畏敬の念を抱く相手だった。
けれど彼女は、たった数週間で随分変わってしまった。
「人ってやっぱり変わるものなんだ……」
「え? 私のこと? まぁ、恋は人を変えるよね」
「フリじゃなかったの?」
「ま、まぁそうなんだけど」
花鈴は慌てて誤魔化す。
「あ、ところでさ。初回はクッキーでしょ。日彩、研矢にプレゼントしてみれば?」
「え、どうして……」
日彩は思わず花鈴を凝視する。
「だって、研矢のこと好きでしょ? いっつも見てるじゃない」
「……気付いてたんだ……」
「まぁね。一緒にお昼食べないか誘った時、研矢の話ししたら、興味示したじゃない。日彩、昔から賢い人好きだよねー」
「そう、かな」
日彩は赤面して呟く。
やがてふたりは本館2階の廊下に出て、辺りを見回した。
「部活がなければ、まだしばらく縁がなかったエリアよね。化学の実験室が近くにあるらしいけど」
「調理室、見つからないね……」
「一年生?」
不意に背後から声が掛かり、二人は驚いて振り返った。
「は、はい」
声を掛けてきたのは、三年の学年章のピンをブレザーの襟につけた男子生徒だった。
(あ、見覚えがある……)
目立つピンク色の髪に、かなり長身の男子生徒だ。クラスメイトの貴島もかなり高い方だが、その彼と比べてもさらに高い。シャツの襟を開き気味にし、一見軽薄そうには見えるが、
(確か、生徒会長さん……)
入学式の時、祝辞を述べていたのを覚えている。
頭髪は自由だが、それにしても生徒会長らしくないなと思った記憶がふたりにはあった。
「迷子になってるんじゃない? 何部?」
唖然とするふたりに彼は聞いた。
「あの、えっと、料理研究部で……」
「なら、目的地は調理室か。だったらもう一階上」
「え!」
花鈴は一瞬声を上げてから、慌てて口を押さえた。
「はは。いろんな教室があるから、わかりにくいよな」
「ですよね……」
花鈴と日彩は顔を見合わせて、照れ隠しに笑った。
「俺は三年一組の八巻寿臣だ。今年度前期の生徒会長をやってる。何かトラブルがあって教師に言いにくいことは、いつでも相談に来いよ。俺は授業以外はだいたい専門棟の生徒会室にいるからさ」
「はい。ありがとうございます」
二人は深く頭を下げる。
そして顔を上げると、八巻が屈み込み、花鈴の顔を間近で覗き込んでいた。
「な、何かっ⁉︎」
花鈴は驚いて後ろに下がる。
八巻は顎に手を当てて考え込むようにしていたが、しばらくして、ああ、と納得したように頷いた。
「君、一年一組だな」
「え、私のこと知ってるんですか……?」
「いや、知らないな。でもある意味では知っている――かな」
彼の口調は事実を述べていると言った風なので、怖さは感じなかったが、それでも不可解なことには違いなく、花鈴は首を傾げる。
「気をつけな。悪意が君を捉えているようだから」
「……はい?」
「ああ、いや、初対面で変なこと言われたら気味悪いか。いやなに、俺、勘が鋭くてさ。身の回りに気をつけなよ、ってことだ。じゃ、また」
そう言うと、八巻は背を向けて歩き出す。
花鈴と日彩が顔を見合わせてから再び廊下を見やると、彼の後ろ姿はなくなっていた。
「え、あれ? 足早っ!」
花鈴が驚いて声を上げる。
「花鈴、時間」
「そうだ。もともと遅刻してるんだった!」
二人は慌てて階段を駆け上がっていった。
「まったく――本当に誰も迎えに行かないのかい?」
紀伊国は司令室を行ったり来たりしながらブツクサと呟いている。――昼からずっとだ。
「アイビー、本当に行かないのかい?」
「……ああ」
「君が室長の命令を真面目に聞くのは珍しいね」
言外に「行け」と言ってるのに気付きながら、アイビーはそれを無視し続けている。
大杜とは長い付き合いだ。彼の指示を無視して良い時と悪い時がある事を理解している。今回は、守らないと後々面倒なことになるという確信がある。
「副室長が行けば一番被害が少ないだろう」
「嫌だよ。私だって彼に嫌われたくはないからね」
昼間に大杜から怪我をしたという報告が入った時、司令室はちょっとした騒動になった。
セリアはなぜ警護に付いていなかったのかとアイビーを責め立て、セリアの相棒のダスティがそれを必死に諌めるものの、部屋が破壊されそうな勢いだった。
淑やかな若い女性のような風貌のオリーブは青ざめて――もちろんメタリックな素材の顔面が青ざめることはいのだが、まるで本当に青ざめるかのような悲壮な表情だった。
司令室の空気がひと段落ついたのは、大杜から調査の依頼が来たあとだ。
その後オリーブはひたすらに調べ物をし、その間、心配と時間を持て余した紀伊国は、冒頭のごとくアイビーに絡んでいた。
「何かわかったのかい?」
紀伊国が歩みを止め、不意にオリーブに聞いた。オリーブが二の腕に刺してあったケーブルを引き抜いたからだ。
彼女はパソコンのキーボードを打って調べ物をすることもあるが、複雑な調査の際は、直接ネットワークに侵入する。ケーブルを抜いたということは、調査が完了したということだ。
「はい」
「そうか。さすがだね」
「向かいの教室に素行の不審な人物がいるか、いれば関係性や背景を調べるように――とのことだったな」
アイビーの言葉にオリーブが頷く。
「ボスの教室の窓の向かい側は中庭を挟み本館があります。本館には特定のクラスの教室はありません。1年1組の真向かいには社会科資材室がありますので、学校のネットワークに侵入し、窓ガラスが割れた時間の防犯カメラ映像を確認しました」
「何かあった、と?」
「はい。ある男子生徒が資材室で大型教材を片付けている様子が映っていましたが、彼はおもむろに窓を開けると、何かを中庭に向けて投げていました」
「――投げた?」
紀伊国が怪訝そうに聞く。
間に中庭を挟み、教室の窓は強化ガラスだ。たとえ石を投げてもガラスが割れるとは信じ難い。
「顔がわかりましたので、生徒名簿データと照合した結果、二年一組の大久保律我と判明しました」
「誰かな。アイビー、知ってるかい?」
「いいや。知らないな」
「おそらく、学校で交流したことはないかと思います――ボスは」
「ボスは? なら誰か交流したことが――誰かの知り合いなのかい?」
「はい。羽曳野花鈴さんの……」
「花鈴ちゃんか。室長の彼女だって触れ回ってる子だね」
紀伊国が興味深そうに言い、アイビーが頷く。
「隠してはいるが、彼女の行動は訳ありげだ。だから大杜は一旦提案を受け入れたんだ」
「室長を選ぶなんて見る目があるじゃないか。美人らしいし、本当に彼女になったらいいのにね」
紀伊国は楽しそうに笑った。
「タイトには似合わない。いや、あれぐらい強引な方がバランスが取れるのか?」
「――で、彼は何をしたのかな?」
紀伊国の楽しそうな表情が薄ら暗く陰る。この場には人間はいないが、いれば背筋が凍りついたかもしれないほどの冷たい口調だった。
「彼は花鈴さんの元彼氏です。彼は中三の時、転校しているのですが――その事情も合わせて、今回の一件の原因と思われます」
「……?」
「ひとまずボスに連絡をします。――彼に気を付けるようにと」
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「花鈴がそんなに料理を楽しみにする日が来るなんて思わなかった」
「えへへ」
照れくさそうに笑う花鈴を、日彩は不思議そうに見つめる。
花鈴は、女王然とした雰囲気があり、どんな我儘も許されてしまう不思議な魅力があった。よくトラブルも起こしたが、裏表なく付き合う人柄ゆえかすぐに和解する。
あざとく美しく――何より妥協せずに自分を貫く花鈴のことは、日彩にとって、友人というより、密かに畏敬の念を抱く相手だった。
けれど彼女は、たった数週間で随分変わってしまった。
「人ってやっぱり変わるものなんだ……」
「え? 私のこと? まぁ、恋は人を変えるよね」
「フリじゃなかったの?」
「ま、まぁそうなんだけど」
花鈴は慌てて誤魔化す。
「あ、ところでさ。初回はクッキーでしょ。日彩、研矢にプレゼントしてみれば?」
「え、どうして……」
日彩は思わず花鈴を凝視する。
「だって、研矢のこと好きでしょ? いっつも見てるじゃない」
「……気付いてたんだ……」
「まぁね。一緒にお昼食べないか誘った時、研矢の話ししたら、興味示したじゃない。日彩、昔から賢い人好きだよねー」
「そう、かな」
日彩は赤面して呟く。
やがてふたりは本館2階の廊下に出て、辺りを見回した。
「部活がなければ、まだしばらく縁がなかったエリアよね。化学の実験室が近くにあるらしいけど」
「調理室、見つからないね……」
「一年生?」
不意に背後から声が掛かり、二人は驚いて振り返った。
「は、はい」
声を掛けてきたのは、三年の学年章のピンをブレザーの襟につけた男子生徒だった。
(あ、見覚えがある……)
目立つピンク色の髪に、かなり長身の男子生徒だ。クラスメイトの貴島もかなり高い方だが、その彼と比べてもさらに高い。シャツの襟を開き気味にし、一見軽薄そうには見えるが、
(確か、生徒会長さん……)
入学式の時、祝辞を述べていたのを覚えている。
頭髪は自由だが、それにしても生徒会長らしくないなと思った記憶がふたりにはあった。
「迷子になってるんじゃない? 何部?」
唖然とするふたりに彼は聞いた。
「あの、えっと、料理研究部で……」
「なら、目的地は調理室か。だったらもう一階上」
「え!」
花鈴は一瞬声を上げてから、慌てて口を押さえた。
「はは。いろんな教室があるから、わかりにくいよな」
「ですよね……」
花鈴と日彩は顔を見合わせて、照れ隠しに笑った。
「俺は三年一組の|八巻《やまき》|寿臣《としみ》だ。今年度前期の生徒会長をやってる。何かトラブルがあって教師に言いにくいことは、いつでも相談に来いよ。俺は授業以外はだいたい専門棟の生徒会室にいるからさ」
「はい。ありがとうございます」
二人は深く頭を下げる。
そして顔を上げると、八巻が屈み込み、花鈴の顔を間近で覗き込んでいた。
「な、何かっ⁉︎」
花鈴は驚いて後ろに下がる。
八巻は顎に手を当てて考え込むようにしていたが、しばらくして、ああ、と納得したように頷いた。
「君、一年一組だな」
「え、私のこと知ってるんですか……?」
「いや、知らないな。でもある意味では知っている――かな」
彼の口調は事実を述べていると言った風なので、怖さは感じなかったが、それでも不可解なことには違いなく、花鈴は首を傾げる。
「気をつけな。悪意が君を捉えているようだから」
「……はい?」
「ああ、いや、初対面で変なこと言われたら気味悪いか。いやなに、俺、勘が鋭くてさ。身の回りに気をつけなよ、ってことだ。じゃ、また」
そう言うと、八巻は背を向けて歩き出す。
花鈴と日彩が顔を見合わせてから再び廊下を見やると、彼の後ろ姿はなくなっていた。
「え、あれ? 足早っ!」
花鈴が驚いて声を上げる。
「花鈴、時間」
「そうだ。もともと遅刻してるんだった!」
二人は慌てて階段を駆け上がっていった。
「まったく――本当に誰も迎えに行かないのかい?」
紀伊国は司令室を行ったり来たりしながらブツクサと呟いている。――昼からずっとだ。
「アイビー、本当に行かないのかい?」
「……ああ」
「君が室長の命令を真面目に聞くのは珍しいね」
言外に「行け」と言ってるのに気付きながら、アイビーはそれを無視し続けている。
大杜とは長い付き合いだ。彼の指示を無視して良い時と悪い時がある事を理解している。今回は、守らないと後々面倒なことになるという確信がある。
「副室長が行けば一番被害が少ないだろう」
「嫌だよ。私だって彼に嫌われたくはないからね」
昼間に大杜から怪我をしたという報告が入った時、司令室はちょっとした騒動になった。
セリアはなぜ警護に付いていなかったのかとアイビーを責め立て、セリアの相棒のダスティがそれを必死に諌めるものの、部屋が破壊されそうな勢いだった。
淑やかな若い女性のような風貌のオリーブは青ざめて――もちろんメタリックな素材の顔面が青ざめることはいのだが、まるで本当に青ざめるかのような悲壮な表情だった。
司令室の空気がひと段落ついたのは、大杜から調査の依頼が来たあとだ。
その後オリーブはひたすらに調べ物をし、その間、心配と時間を持て余した紀伊国は、冒頭のごとくアイビーに絡んでいた。
「何かわかったのかい?」
紀伊国が歩みを止め、不意にオリーブに聞いた。オリーブが二の腕に刺してあったケーブルを引き抜いたからだ。
彼女はパソコンのキーボードを打って調べ物をすることもあるが、複雑な調査の際は、直接ネットワークに侵入する。ケーブルを抜いたということは、調査が完了したということだ。
「はい」
「そうか。さすがだね」
「向かいの教室に素行の不審な人物がいるか、いれば関係性や背景を調べるように――とのことだったな」
アイビーの言葉にオリーブが頷く。
「ボスの教室の窓の向かい側は中庭を挟み本館があります。本館には特定のクラスの教室はありません。1年1組の真向かいには社会科資材室がありますので、学校のネットワークに侵入し、窓ガラスが割れた時間の防犯カメラ映像を確認しました」
「何かあった、と?」
「はい。ある男子生徒が資材室で大型教材を片付けている様子が映っていましたが、彼はおもむろに窓を開けると、何かを中庭に向けて投げていました」
「――投げた?」
紀伊国が怪訝そうに聞く。
間に中庭を挟み、教室の窓は強化ガラスだ。たとえ石を投げてもガラスが割れるとは信じ難い。
「顔がわかりましたので、生徒名簿データと照合した結果、二年一組の|大久保《おおくぼ》|律我《りつが》と判明しました」
「誰かな。アイビー、知ってるかい?」
「いいや。知らないな」
「おそらく、学校で交流したことはないかと思います――ボスは」
「ボスは? なら誰か交流したことが――誰かの知り合いなのかい?」
「はい。羽曳野花鈴さんの……」
「花鈴ちゃんか。室長の彼女だって触れ回ってる子だね」
紀伊国が興味深そうに言い、アイビーが頷く。
「隠してはいるが、彼女の行動は訳ありげだ。だから大杜は一旦提案を受け入れたんだ」
「室長を選ぶなんて見る目があるじゃないか。美人らしいし、本当に彼女になったらいいのにね」
紀伊国は楽しそうに笑った。
「タイトには似合わない。いや、あれぐらい強引な方がバランスが取れるのか?」
「――で、彼は何をしたのかな?」
紀伊国の楽しそうな表情が薄ら暗く陰る。この場には人間はいないが、いれば背筋が凍りついたかもしれないほどの冷たい口調だった。
「彼は花鈴さんの元彼氏です。彼は中三の時、転校しているのですが――その事情も合わせて、今回の一件の原因と思われます」
「……?」
「ひとまずボスに連絡をします。――彼に気を付けるようにと」