1 婚約破棄
ー/ー
「婚約の件、なかったことにしましょう」
初めてあった日。二人でお店に入って、アスターさんはカップの中を一気に飲み干して、すぐに言った。
短く刈り込んだ髪の彼は、傷だらけの無骨な両こぶしを握り締め、私の瞳を真っすぐに見つめる。
反論は許さない、それほどの強い意思を目の中の光に感じた。
おそらく彼は、自分の信念に向かって突き進む。そんなタイプの人なんだろう。
私はテーブルの上に視線を落とし、お茶を一口飲んでこう答える。
「いいですよ」
私が了承したことで、話はすんなりまとまった。
返答を受け、彼はほっとしたように息をつくと、急ぐからと席を立って二人分のお金を払い、店を出て行った。
ま、いいんだけど。
母は命と引き換えに私を産んでくれた。そんな生い立ちが影響してるのか、私は物事を冷静に捉えがちだ。
店の中を見回す。天気のいい今日はお出かけ日和で、店の中は仲睦まじそうな男女や家族連れで賑わっている。
そんな中、私はゆっくりとお茶を飲み干す。
うん、おいしい。
さて帰るか。
店を出た私は、ぽっかり空いた時間を潰すべく街を歩く。
あっさりしたもんだ、ま、そんなものか。
もともと私とアスターさんの婚約は、親友同士の父親たちが勝手に決めたものだった。
あちら方の父親が結婚を機に、奥様の実家がある街に引っ越したのだが、病気で亡くなったことから、先日故郷へ戻ってきたとのことだった。
離れている間も父親同士は手紙のやりとりを続け、お互い子供ができたことを報告しあった。
あちら側が男の子、こちらが女の子ということで、大人になったら是非結婚させよう、と話をまとめてしまった。
顔合わせ、ということで、本日お茶をすることになったのだが、結果はこの通り。
仕方ないよね。本人の了承もなく親同士に決められて、「さあ、会え」「デートしてこい」と言われたって、心がついてこない。
私だって、別に乗り気だったわけじゃない。
ただ、いつからだろう。
ある時から、お父さんが私の結婚相手について話を始めたんだ。
お父さんの昔からの大切な友人、その息子がいて、お前と結婚して家族になって、みんな親戚として暮らしていけたら、どんなに楽しいだろうって。
目を細めて言うんだ。そんな夢物語を聞かされてたから、会う前に断るなんてありえなかった……
だから、お茶をしたのはお父さんのため。
アスターさんに特別な感情を持っていたわけじゃない。
あちらだってそうなんだろうけど、店に入って、お茶飲んで、義務は果たしたぞ的な感じで立ち去るのはどうなんだ?
見るのも嫌なくらい、私のことが気に入らなかったのか?
服の匂いを嗅いでみる。店のガラスに映る、自分の顔を覗き込む。
そんなことしたって、本人でなければ原因なんて分からない。
とりあえず、このことだけは言える。
あんたなんか足元に及ばないくらいの、いい男を見つけてやるよ。そして、羨むくらい幸せになってやるからな!
こっちだって、何とも思ってなかったんだよ。
アスターめ、あの野郎。
いつもの私ならそんなことしなかった。このムシャクシャした気持ちをどうにかしたくて、足元の石ころの形が、あいつの頭の形に見えたから、思い切り蹴り飛ばした。
それがいけなかった。
気持ちの強さに比例して、石ころは一直線に飛んだ。
唸りを上げた石は坊主頭の後頭部に激突した。
「あん?」
坊主頭の男の人はびくともせずに、振り返った。目が合う。眉を顰めて私を睨みつける。
足が、動かない。金縛りにあったように体が硬直する。叩きつけるように心臓が跳ね回る。
なのに、視線だけが彼を見ることをやめなかった。
額に太い血管が浮かべ、口元を歪めている。
まずい、顔を見られた。そう思ったとき、彼が私に向かって走り出した。
「ごめんなさい!」
叫んだが、怒号を繰り返す彼には届かない。
私は背を向けて走りだした。通行人に謝りながら肩をぶつけ、人波に腕を差し込んで道を作り出す。見えないように体を屈めた。
身を竦めるほどの声が響き渡った。人影、物陰を探し、体を隠しながら逃げる。捕まったら何をされるか分からない。
なるべく直線のルートを避け、曲がり角を利用しながら家までのルートを考える。
お願いだから諦めて。
家の扉を開けて、思い切り叩きつけた。怒号は聞こえない。扉に背中を預けると、足の力が抜けた。床に座り込んで、膝を抱きしめた。
動悸が治まらない。お父さんが声をかけてきた。呼吸が苦しくて、すぐに返事なんて、できなかった。
その日の夜は、ずっと目が冴えていた。
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
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初めてあった日。二人でお店に入って、アスターさんはカップの中を一気に飲み干して、すぐに言った。
短く刈り込んだ髪の彼は、傷だらけの無骨な両こぶしを握り締め、私の瞳を真っすぐに見つめる。
反論は許さない、それほどの強い意思を目の中の光に感じた。
おそらく彼は、自分の信念に向かって突き進む。そんなタイプの人なんだろう。
私はテーブルの上に視線を落とし、お茶を一口飲んでこう答える。
「いいですよ」
私が了承したことで、話はすんなりまとまった。
返答を受け、彼はほっとしたように息をつくと、急ぐからと席を立って二人分のお金を払い、店を出て行った。
ま、いいんだけど。
母は命と引き換えに私を産んでくれた。そんな生い立ちが影響してるのか、私は物事を冷静に捉えがちだ。
店の中を見回す。天気のいい今日はお出かけ日和で、店の中は仲睦まじそうな男女や家族連れで賑わっている。
そんな中、私はゆっくりとお茶を飲み干す。
うん、おいしい。
さて帰るか。
店を出た私は、ぽっかり空いた時間を潰すべく街を歩く。
あっさりしたもんだ、ま、そんなものか。
もともと私とアスターさんの婚約は、親友同士の父親たちが勝手に決めたものだった。
あちら方の父親が結婚を機に、奥様の実家がある街に引っ越したのだが、病気で亡くなったことから、先日故郷へ戻ってきたとのことだった。
離れている間も父親同士は手紙のやりとりを続け、お互い子供ができたことを報告しあった。
あちら側が男の子、こちらが女の子ということで、大人になったら是非結婚させよう、と話をまとめてしまった。
顔合わせ、ということで、本日お茶をすることになったのだが、結果はこの通り。
仕方ないよね。本人の了承もなく親同士に決められて、「さあ、会え」「デートしてこい」と言われたって、心がついてこない。
私だって、別に乗り気だったわけじゃない。
ただ、いつからだろう。
ある時から、お父さんが私の結婚相手について話を始めたんだ。
お父さんの昔からの大切な友人、その息子がいて、お前と結婚して家族になって、みんな親戚として暮らしていけたら、どんなに楽しいだろうって。
目を細めて言うんだ。そんな夢物語を聞かされてたから、会う前に断るなんてありえなかった……
だから、お茶をしたのはお父さんのため。
アスターさんに特別な感情を持っていたわけじゃない。
あちらだってそうなんだろうけど、店に入って、お茶飲んで、義務は果たしたぞ的な感じで立ち去るのはどうなんだ?
見るのも嫌なくらい、私のことが気に入らなかったのか?
服の匂いを嗅いでみる。店のガラスに映る、自分の顔を覗き込む。
そんなことしたって、本人でなければ原因なんて分からない。
とりあえず、このことだけは言える。
あんたなんか足元に及ばないくらいの、いい男を見つけてやるよ。そして、羨むくらい幸せになってやるからな!
こっちだって、何とも思ってなかったんだよ。
アスターめ、あの野郎。
いつもの私ならそんなことしなかった。このムシャクシャした気持ちをどうにかしたくて、足元の石ころの形が、あいつの頭の形に見えたから、思い切り蹴り飛ばした。
それがいけなかった。
気持ちの強さに比例して、石ころは一直線に飛んだ。
唸りを上げた石は坊主頭の後頭部に激突した。
「あん?」
坊主頭の男の人はびくともせずに、振り返った。目が合う。眉を顰めて私を睨みつける。
足が、動かない。金縛りにあったように体が硬直する。叩きつけるように心臓が跳ね回る。
なのに、視線だけが彼を見ることをやめなかった。
額に太い血管が浮かべ、口元を歪めている。
まずい、顔を見られた。そう思ったとき、彼が私に向かって走り出した。
「ごめんなさい!」
叫んだが、怒号を繰り返す彼には届かない。
私は背を向けて走りだした。通行人に謝りながら肩をぶつけ、人波に腕を差し込んで道を作り出す。見えないように体を屈めた。
身を竦めるほどの声が響き渡った。人影、物陰を探し、体を隠しながら逃げる。捕まったら何をされるか分からない。
なるべく直線のルートを避け、曲がり角を利用しながら家までのルートを考える。
お願いだから諦めて。
家の扉を開けて、思い切り叩きつけた。怒号は聞こえない。扉に背中を預けると、足の力が抜けた。床に座り込んで、膝を抱きしめた。
動悸が治まらない。お父さんが声をかけてきた。呼吸が苦しくて、すぐに返事なんて、できなかった。
その日の夜は、ずっと目が冴えていた。