Regeneration【V】②
ー/ー「あの、キャロライン。お願いがあるの」
「どういったことでございましょう?」
思い切って切り出したレティに、メイド頭はまったく想定外だというように軽く首を傾げた。
「食事、……あの、誰かと一緒に食事がしたいの。一度でいいから。ウィリアムやキャロラインやジュリアと、もっと他のみんなとでもいいわ」
「──少しお時間をいただけますか? わたくしがこの場でお答えできることではございませんので。旦那様にお伺いしませんと」
「うん。……無理言ってごめんなさい」
いいえ、と静かに口にして、キャロラインが部屋から立ち去った。
「ヴァイオレット様。先日のお食事の件ですが、やはり大勢では難しゅうございます。わたくしとジュリアだけでもよろしいですか?」
キャロラインの言葉は、実際には諦めが遥かに勝っていたレティにとっては朗報に他ならなかった。
「本当にいいの? お父様、はお怒りにならなかった?」
「ええ。……お嬢様の日々の御努力にはわたくしも頭が下がる思いでございます。僭越ながら、旦那様にもお口添えさせていただきました。ウィリアムも、同席は御遠慮させていただくが準備には携わりたいと申しております」
再度「ありがとう」と述べたあと、レティは喉が詰まって言葉が出ない。
「では先日お教えいたしました──」
メイド頭は、そんな様子にはまるきり気づかない振りでレッスンを開始した。
その約一週間後に設けられた会食の席。
「お嬢様、今日はあたしまでありがとうございます!」
「ジュリア。立場を弁えて少し抑えなさい」
食堂に向かう前、昂ったままに捲し立てるジュリアをキャロラインが冷静に制する。
「その服もヴァイオレット様のお計らいです。合わせて、感謝を忘れてはなりませんよ」
「はい! あたし、今までにこんなきれいな服着たことなかったから嬉しいです」
レティが初めて見る、メイド服ではないジュリア。
華美ではないが上品なワンピースは、レティは与り知らぬキャロラインの手配だ。
「正式なディナー」に相応しい衣装など持たないだろう若いメイドに配慮し、「お嬢様のお気持ち」だとさりげなく忠誠心に繋げる。
それもレティが『ヴァイオレット』として生きて行けるようにするための、布石の一つなのだろう。
執事のウィリアムが給仕をしてくれる中、初めての「一人きりではない」食事が進む。
緊張は隠しきれない様子であっても、ジュリアが同じテーブルについていること自体が嬉しかった。
態度も表情も変わらないままのキャロラインも、普段より目が優しいと感じる。
食事を終えて、無理は元々だとこのまま一緒に歓談の時間を持ちたいと申し出たレティの希望にジュリアが心なしか強張った顔で遠慮した。
残念ではあったが、ジュリアには気にせず下がるよう告げる。そしてキャロラインと二人、食堂から広間に移った。
低いテーブルを挟んで彼女と向かい合って座り、ウィリアムが運んで来てくれた香り高い紅茶を味わう。
ラボでは茶や、楽しみとしての菓子などの嗜好品を口にしたことはなかった。あくまでも「必須栄養」としての甘いものは出てはいたが。
「わたくしがこちらのお屋敷に参りましたのは、今のヴァイオレット様より一つ下の十五歳のときでございます。旦那様もまだ御結婚前でいらっしゃいました」
我儘ついでに何でもいいから話してほしい、と頼むと、意外にもキャロラインは己について語り始めた。
「十五歳……。学校には行っていなかったの?」
ラボの「外」の普通の人間は学校に行くものだ、というくらいは知識として持っている。
「わたくしは貧しい家の出で、十五まで行かせてもらうのが精一杯でございましたの。本来はこういうきちんとしたお屋敷に上がれる身ではなかったのですが、たまたま血縁者がこちらのメイドをしておりましてその伝手で雇っていただいたのです」
レティの疑問に彼女が答えてくれる。
「それにわたくしの育った家には、自動調理器をはじめとした機械などございませんでした。家事も、もちろん料理もすべてわたくしと弟妹が担っておりましたわ。こちらで勤めることになった時、本当に何もできない小娘でしたので『野菜の皮剥きでも床磨きでも何でもします!』と申しましたら『それはメイドの仕事ではありません。そういったことはすべて機械がするのです』と当時のメイド頭に言われましたのよ」
常に堅苦しい無表情を崩さない彼女が、ふと小さな笑みを零した。
「あまりにも異なる環境で戸惑うことばかりでした。ですが空腹を覚えたら必ず食べるものがある毎日がこれほど素晴らしいものかと感激したのは、三十年以上が経っても忘れられません」
「キャロライン、わたしは──」
レティがそれ以上言葉を継げないでいるのに、メイド頭は淡々と、しかし少しだけ温かみのある声で続ける。
「わたくしは、行儀も何も身についていない自分が恥ずかしくてなりませんでした。こちらはメイドもそれなりの教養のある者ばかりでしたから。ですのでメイド仲間やメイド頭、それに侍女の方に言葉遣いから細かい所作まで無理を言って教えを請いましたの。わたくしのような者を拾い上げてくださったこのお屋敷に、少しでも相応しい使用人になれるように」
「ジュリアがこの前『もっといろいろできるようになりたい』って言ってたの。わたしのために髪や着替えも練習してるのに、あんまり上手くならないって」
何故、このメイドはこんなことを、と不思議でならなかった。口先だけのお追従ではないと伝わるから尚更。
部下の話題に、キャロラインは落ち着いた態度は崩さないまま語る。
「何も知らなかったわたくしが今、恐れ多くもメイド頭を拝命し『お嬢様の教育』を任されておりますのも、決して諦めず自分を磨くための努力を重ねて来たからだと自負しております。わたくしより長く学校に通ったジュリアに、その力がないとは考えておりません」
「そうね。それに今のままでもジュリアは十分良くしてくれてるわ。キャロラインもよ。はじめは言われたとおりにできなくて困らせたけど、少しずつでも上手く行くようになって来てる、と思うの……」
「ヴァイオレット様は本当に良くおやりになっていらっしゃいます。わたくしのお教えすることをすべて我が物にしていかれる御様子には感服いたしますわ」
都度の課題についての評価は別として、キャロラインに言葉にして手放しに褒められるのは初めてではないか。
レッスンを開始した当初は、決して表情にも口にも出すことはないものの今にも眉を寄せられそうな雰囲気だった。それでも次々発せられる厳しい要求に応えるうちに、満足気な様子も伝わって来ていたのだ。
だからこそ「一段階上に進んだ」証明としての家庭教師なのだろう。
キャロラインはずっとこの家のために、結果として自分のためにも、弛まぬ努力を続けて来た。
ジュリアも、「お嬢様のため」もっと頑張りたいと言う。
ならば「主人」の立場にいるレティは、さらに彼女たちを上回る必要があるのではないか。
この家に仕えてくれている使用人が食事もできないような羽目にならないよう「家」を守るのが、『ヴァイオレット』に成り代わったレティの役目だ。
──理屈じゃなく、それがわたしが生きて、……生かされてここにいる意味なんだわ。最初に「この家の娘になりきる」って決めたんだから。これ以上、余計なことを考えちゃいけないんだ。
「どういったことでございましょう?」
思い切って切り出したレティに、メイド頭はまったく想定外だというように軽く首を傾げた。
「食事、……あの、誰かと一緒に食事がしたいの。一度でいいから。ウィリアムやキャロラインやジュリアと、もっと他のみんなとでもいいわ」
「──少しお時間をいただけますか? わたくしがこの場でお答えできることではございませんので。旦那様にお伺いしませんと」
「うん。……無理言ってごめんなさい」
いいえ、と静かに口にして、キャロラインが部屋から立ち去った。
「ヴァイオレット様。先日のお食事の件ですが、やはり大勢では難しゅうございます。わたくしとジュリアだけでもよろしいですか?」
キャロラインの言葉は、実際には諦めが遥かに勝っていたレティにとっては朗報に他ならなかった。
「本当にいいの? お父様、はお怒りにならなかった?」
「ええ。……お嬢様の日々の御努力にはわたくしも頭が下がる思いでございます。僭越ながら、旦那様にもお口添えさせていただきました。ウィリアムも、同席は御遠慮させていただくが準備には携わりたいと申しております」
再度「ありがとう」と述べたあと、レティは喉が詰まって言葉が出ない。
「では先日お教えいたしました──」
メイド頭は、そんな様子にはまるきり気づかない振りでレッスンを開始した。
その約一週間後に設けられた会食の席。
「お嬢様、今日はあたしまでありがとうございます!」
「ジュリア。立場を弁えて少し抑えなさい」
食堂に向かう前、昂ったままに捲し立てるジュリアをキャロラインが冷静に制する。
「その服もヴァイオレット様のお計らいです。合わせて、感謝を忘れてはなりませんよ」
「はい! あたし、今までにこんなきれいな服着たことなかったから嬉しいです」
レティが初めて見る、メイド服ではないジュリア。
華美ではないが上品なワンピースは、レティは与り知らぬキャロラインの手配だ。
「正式なディナー」に相応しい衣装など持たないだろう若いメイドに配慮し、「お嬢様のお気持ち」だとさりげなく忠誠心に繋げる。
それもレティが『ヴァイオレット』として生きて行けるようにするための、布石の一つなのだろう。
執事のウィリアムが給仕をしてくれる中、初めての「一人きりではない」食事が進む。
緊張は隠しきれない様子であっても、ジュリアが同じテーブルについていること自体が嬉しかった。
態度も表情も変わらないままのキャロラインも、普段より目が優しいと感じる。
食事を終えて、無理は元々だとこのまま一緒に歓談の時間を持ちたいと申し出たレティの希望にジュリアが心なしか強張った顔で遠慮した。
残念ではあったが、ジュリアには気にせず下がるよう告げる。そしてキャロラインと二人、食堂から広間に移った。
低いテーブルを挟んで彼女と向かい合って座り、ウィリアムが運んで来てくれた香り高い紅茶を味わう。
ラボでは茶や、楽しみとしての菓子などの嗜好品を口にしたことはなかった。あくまでも「必須栄養」としての甘いものは出てはいたが。
「わたくしがこちらのお屋敷に参りましたのは、今のヴァイオレット様より一つ下の十五歳のときでございます。旦那様もまだ御結婚前でいらっしゃいました」
我儘ついでに何でもいいから話してほしい、と頼むと、意外にもキャロラインは己について語り始めた。
「十五歳……。学校には行っていなかったの?」
ラボの「外」の普通の人間は学校に行くものだ、というくらいは知識として持っている。
「わたくしは貧しい家の出で、十五まで行かせてもらうのが精一杯でございましたの。本来はこういうきちんとしたお屋敷に上がれる身ではなかったのですが、たまたま血縁者がこちらのメイドをしておりましてその伝手で雇っていただいたのです」
レティの疑問に彼女が答えてくれる。
「それにわたくしの育った家には、自動調理器をはじめとした機械などございませんでした。家事も、もちろん料理もすべてわたくしと弟妹が担っておりましたわ。こちらで勤めることになった時、本当に何もできない小娘でしたので『野菜の皮剥きでも床磨きでも何でもします!』と申しましたら『それはメイドの仕事ではありません。そういったことはすべて機械がするのです』と当時のメイド頭に言われましたのよ」
常に堅苦しい無表情を崩さない彼女が、ふと小さな笑みを零した。
「あまりにも異なる環境で戸惑うことばかりでした。ですが空腹を覚えたら必ず食べるものがある毎日がこれほど素晴らしいものかと感激したのは、三十年以上が経っても忘れられません」
「キャロライン、わたしは──」
レティがそれ以上言葉を継げないでいるのに、メイド頭は淡々と、しかし少しだけ温かみのある声で続ける。
「わたくしは、行儀も何も身についていない自分が恥ずかしくてなりませんでした。こちらはメイドもそれなりの教養のある者ばかりでしたから。ですのでメイド仲間やメイド頭、それに侍女の方に言葉遣いから細かい所作まで無理を言って教えを請いましたの。わたくしのような者を拾い上げてくださったこのお屋敷に、少しでも相応しい使用人になれるように」
「ジュリアがこの前『もっといろいろできるようになりたい』って言ってたの。わたしのために髪や着替えも練習してるのに、あんまり上手くならないって」
何故、このメイドはこんなことを、と不思議でならなかった。口先だけのお追従ではないと伝わるから尚更。
部下の話題に、キャロラインは落ち着いた態度は崩さないまま語る。
「何も知らなかったわたくしが今、恐れ多くもメイド頭を拝命し『お嬢様の教育』を任されておりますのも、決して諦めず自分を磨くための努力を重ねて来たからだと自負しております。わたくしより長く学校に通ったジュリアに、その力がないとは考えておりません」
「そうね。それに今のままでもジュリアは十分良くしてくれてるわ。キャロラインもよ。はじめは言われたとおりにできなくて困らせたけど、少しずつでも上手く行くようになって来てる、と思うの……」
「ヴァイオレット様は本当に良くおやりになっていらっしゃいます。わたくしのお教えすることをすべて我が物にしていかれる御様子には感服いたしますわ」
都度の課題についての評価は別として、キャロラインに言葉にして手放しに褒められるのは初めてではないか。
レッスンを開始した当初は、決して表情にも口にも出すことはないものの今にも眉を寄せられそうな雰囲気だった。それでも次々発せられる厳しい要求に応えるうちに、満足気な様子も伝わって来ていたのだ。
だからこそ「一段階上に進んだ」証明としての家庭教師なのだろう。
キャロラインはずっとこの家のために、結果として自分のためにも、弛まぬ努力を続けて来た。
ジュリアも、「お嬢様のため」もっと頑張りたいと言う。
ならば「主人」の立場にいるレティは、さらに彼女たちを上回る必要があるのではないか。
この家に仕えてくれている使用人が食事もできないような羽目にならないよう「家」を守るのが、『ヴァイオレット』に成り代わったレティの役目だ。
──理屈じゃなく、それがわたしが生きて、……生かされてここにいる意味なんだわ。最初に「この家の娘になりきる」って決めたんだから。これ以上、余計なことを考えちゃいけないんだ。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
「あの、キャロライン。お願いがあるの」
「どういったことでございましょう?」
思い切って切り出したレティに、メイド頭はまったく想定外だというように軽く首を傾げた。
「食事、……あの、誰かと一緒に食事がしたいの。一度でいいから。ウィリアムやキャロラインやジュリアと、もっと他のみんなとでもいいわ」
「──少しお時間をいただけますか? わたくしがこの場でお答えできることではございませんので。旦那様にお伺いしませんと」
「うん。……無理言ってごめんなさい」
いいえ、と静かに口にして、キャロラインが部屋から立ち去った。
「ヴァイオレット様。先日のお食事の件ですが、やはり大勢では難しゅうございます。わたくしとジュリアだけでもよろしいですか?」
キャロラインの言葉は、実際には諦めが遥かに勝っていたレティにとっては朗報に他ならなかった。
「本当にいいの? お父様、はお怒りにならなかった?」
「ええ。……お嬢様の日々の御努力にはわたくしも頭が下がる思いでございます。僭越ながら、旦那様にもお口添えさせていただきました。ウィリアムも、同席は御遠慮させていただくが準備には携わりたいと申しております」
再度「ありがとう」と述べたあと、レティは喉が詰まって言葉が出ない。
「では先日お教えいたしました──」
メイド頭は、そんな様子にはまるきり気づかない振りでレッスンを開始した。
その約一週間後に設けられた会食の席。
「お嬢様、今日はあたしまでありがとうございます!」
「ジュリア。立場を弁えて少し抑えなさい」
食堂に向かう前、昂ったままに捲し立てるジュリアをキャロラインが冷静に制する。
「その服も《《ヴァイオレット様のお計らい》》です。合わせて、感謝を忘れてはなりませんよ」
「はい! あたし、今までにこんなきれいな服着たことなかったから嬉しいです」
レティが初めて見る、メイド服ではないジュリア。
華美ではないが上品なワンピースは、レティは与り知らぬキャロラインの手配だ。
「正式なディナー」に相応しい衣装など持たないだろう若いメイドに配慮し、「お嬢様のお気持ち」だとさりげなく忠誠心に繋げる。
それもレティが『ヴァイオレット』として生きて行けるようにするための、布石の一つなのだろう。
執事のウィリアムが給仕をしてくれる中、初めての「一人きりではない」食事が進む。
緊張は隠しきれない様子であっても、ジュリアが同じテーブルについていること自体が嬉しかった。
態度も表情も変わらないままのキャロラインも、普段より目が優しいと感じる。
食事を終えて、無理は元々だとこのまま一緒に歓談の時間を持ちたいと申し出たレティの希望にジュリアが心なしか強張った顔で遠慮した。
残念ではあったが、ジュリアには気にせず下がるよう告げる。そしてキャロラインと二人、食堂から広間に移った。
低いテーブルを挟んで彼女と向かい合って座り、ウィリアムが運んで来てくれた香り高い紅茶を味わう。
ラボでは茶や、楽しみとしての菓子などの嗜好品を口にしたことはなかった。あくまでも「必須栄養」としての甘いものは出てはいたが。
「わたくしがこちらのお屋敷に参りましたのは、今のヴァイオレット様より一つ下の十五歳のときでございます。旦那様もまだ御結婚前でいらっしゃいました」
我儘ついでに何でもいいから話してほしい、と頼むと、意外にもキャロラインは己について語り始めた。
「十五歳……。学校には行っていなかったの?」
ラボの「外」の普通の人間は学校に行くものだ、というくらいは知識として持っている。
「わたくしは貧しい家の出で、十五まで行かせてもらうのが精一杯でございましたの。本来はこういうきちんとしたお屋敷に上がれる身ではなかったのですが、たまたま血縁者がこちらのメイドをしておりましてその伝手で雇っていただいたのです」
レティの疑問に彼女が答えてくれる。
「それにわたくしの育った家には、自動調理器をはじめとした機械などございませんでした。家事も、もちろん料理もすべてわたくしと弟妹が担っておりましたわ。こちらで勤めることになった時、本当に何もできない小娘でしたので『野菜の皮剥きでも床磨きでも何でもします!』と申しましたら『それはメイドの仕事ではありません。そういったことはすべて機械がするのです』と当時のメイド頭に言われましたのよ」
常に堅苦しい無表情を崩さない彼女が、ふと小さな笑みを零した。
「あまりにも異なる環境で戸惑うことばかりでした。ですが空腹を覚えたら必ず食べるものがある毎日がこれほど素晴らしいものかと感激したのは、三十年以上が経っても忘れられません」
「キャロライン、わたしは──」
レティがそれ以上言葉を継げないでいるのに、メイド頭は淡々と、しかし少しだけ温かみのある声で続ける。
「わたくしは、行儀も何も身についていない自分が恥ずかしくてなりませんでした。こちらはメイドもそれなりの教養のある者ばかりでしたから。ですのでメイド仲間やメイド頭、それに侍女の方に言葉遣いから細かい所作まで無理を言って教えを請いましたの。わたくしのような者を拾い上げてくださったこのお屋敷に、少しでも相応しい使用人になれるように」
「ジュリアがこの前『もっといろいろできるようになりたい』って言ってたの。わたしのために髪や着替えも練習してるのに、あんまり上手くならないって」
何故、このメイドはこんなことを、と不思議でならなかった。口先だけのお追従ではないと伝わるから尚更。
部下の話題に、キャロラインは落ち着いた態度は崩さないまま語る。
「何も知らなかったわたくしが今、恐れ多くもメイド頭を拝命し『お嬢様の教育』を任されておりますのも、決して諦めず自分を磨くための努力を重ねて来たからだと自負しております。わたくしより長く学校に通ったジュリアに、その力がないとは考えておりません」
「そうね。それに今のままでもジュリアは十分良くしてくれてるわ。キャロラインもよ。はじめは言われたとおりにできなくて困らせたけど、少しずつでも上手く行くようになって来てる、と思うの……」
「ヴァイオレット様は本当に良くおやりになっていらっしゃいます。わたくしのお教えすることをすべて我が物にしていかれる御様子には感服いたしますわ」
都度の課題についての評価は別として、キャロラインに言葉にして手放しに褒められるのは初めてではないか。
レッスンを開始した当初は、決して表情にも口にも出すことはないものの今にも眉を寄せられそうな雰囲気だった。それでも次々発せられる厳しい要求に応えるうちに、満足気な様子も伝わって来ていたのだ。
だからこそ「一段階上に進んだ」証明としての家庭教師なのだろう。
キャロラインはずっとこの家のために、結果として自分のためにも、弛まぬ努力を続けて来た。
ジュリアも、「お嬢様のため」もっと頑張りたいと言う。
ならば「主人」の立場にいるレティは、さらに彼女たちを上回る必要があるのではないか。
この家に仕えてくれている使用人が食事もできないような羽目にならないよう「家」を守るのが、『ヴァイオレット』に成り代わった|レティ《レプリカ》の役目だ。
「どういったことでございましょう?」
思い切って切り出したレティに、メイド頭はまったく想定外だというように軽く首を傾げた。
「食事、……あの、誰かと一緒に食事がしたいの。一度でいいから。ウィリアムやキャロラインやジュリアと、もっと他のみんなとでもいいわ」
「──少しお時間をいただけますか? わたくしがこの場でお答えできることではございませんので。旦那様にお伺いしませんと」
「うん。……無理言ってごめんなさい」
いいえ、と静かに口にして、キャロラインが部屋から立ち去った。
「ヴァイオレット様。先日のお食事の件ですが、やはり大勢では難しゅうございます。わたくしとジュリアだけでもよろしいですか?」
キャロラインの言葉は、実際には諦めが遥かに勝っていたレティにとっては朗報に他ならなかった。
「本当にいいの? お父様、はお怒りにならなかった?」
「ええ。……お嬢様の日々の御努力にはわたくしも頭が下がる思いでございます。僭越ながら、旦那様にもお口添えさせていただきました。ウィリアムも、同席は御遠慮させていただくが準備には携わりたいと申しております」
再度「ありがとう」と述べたあと、レティは喉が詰まって言葉が出ない。
「では先日お教えいたしました──」
メイド頭は、そんな様子にはまるきり気づかない振りでレッスンを開始した。
その約一週間後に設けられた会食の席。
「お嬢様、今日はあたしまでありがとうございます!」
「ジュリア。立場を弁えて少し抑えなさい」
食堂に向かう前、昂ったままに捲し立てるジュリアをキャロラインが冷静に制する。
「その服も《《ヴァイオレット様のお計らい》》です。合わせて、感謝を忘れてはなりませんよ」
「はい! あたし、今までにこんなきれいな服着たことなかったから嬉しいです」
レティが初めて見る、メイド服ではないジュリア。
華美ではないが上品なワンピースは、レティは与り知らぬキャロラインの手配だ。
「正式なディナー」に相応しい衣装など持たないだろう若いメイドに配慮し、「お嬢様のお気持ち」だとさりげなく忠誠心に繋げる。
それもレティが『ヴァイオレット』として生きて行けるようにするための、布石の一つなのだろう。
執事のウィリアムが給仕をしてくれる中、初めての「一人きりではない」食事が進む。
緊張は隠しきれない様子であっても、ジュリアが同じテーブルについていること自体が嬉しかった。
態度も表情も変わらないままのキャロラインも、普段より目が優しいと感じる。
食事を終えて、無理は元々だとこのまま一緒に歓談の時間を持ちたいと申し出たレティの希望にジュリアが心なしか強張った顔で遠慮した。
残念ではあったが、ジュリアには気にせず下がるよう告げる。そしてキャロラインと二人、食堂から広間に移った。
低いテーブルを挟んで彼女と向かい合って座り、ウィリアムが運んで来てくれた香り高い紅茶を味わう。
ラボでは茶や、楽しみとしての菓子などの嗜好品を口にしたことはなかった。あくまでも「必須栄養」としての甘いものは出てはいたが。
「わたくしがこちらのお屋敷に参りましたのは、今のヴァイオレット様より一つ下の十五歳のときでございます。旦那様もまだ御結婚前でいらっしゃいました」
我儘ついでに何でもいいから話してほしい、と頼むと、意外にもキャロラインは己について語り始めた。
「十五歳……。学校には行っていなかったの?」
ラボの「外」の普通の人間は学校に行くものだ、というくらいは知識として持っている。
「わたくしは貧しい家の出で、十五まで行かせてもらうのが精一杯でございましたの。本来はこういうきちんとしたお屋敷に上がれる身ではなかったのですが、たまたま血縁者がこちらのメイドをしておりましてその伝手で雇っていただいたのです」
レティの疑問に彼女が答えてくれる。
「それにわたくしの育った家には、自動調理器をはじめとした機械などございませんでした。家事も、もちろん料理もすべてわたくしと弟妹が担っておりましたわ。こちらで勤めることになった時、本当に何もできない小娘でしたので『野菜の皮剥きでも床磨きでも何でもします!』と申しましたら『それはメイドの仕事ではありません。そういったことはすべて機械がするのです』と当時のメイド頭に言われましたのよ」
常に堅苦しい無表情を崩さない彼女が、ふと小さな笑みを零した。
「あまりにも異なる環境で戸惑うことばかりでした。ですが空腹を覚えたら必ず食べるものがある毎日がこれほど素晴らしいものかと感激したのは、三十年以上が経っても忘れられません」
「キャロライン、わたしは──」
レティがそれ以上言葉を継げないでいるのに、メイド頭は淡々と、しかし少しだけ温かみのある声で続ける。
「わたくしは、行儀も何も身についていない自分が恥ずかしくてなりませんでした。こちらはメイドもそれなりの教養のある者ばかりでしたから。ですのでメイド仲間やメイド頭、それに侍女の方に言葉遣いから細かい所作まで無理を言って教えを請いましたの。わたくしのような者を拾い上げてくださったこのお屋敷に、少しでも相応しい使用人になれるように」
「ジュリアがこの前『もっといろいろできるようになりたい』って言ってたの。わたしのために髪や着替えも練習してるのに、あんまり上手くならないって」
何故、このメイドはこんなことを、と不思議でならなかった。口先だけのお追従ではないと伝わるから尚更。
部下の話題に、キャロラインは落ち着いた態度は崩さないまま語る。
「何も知らなかったわたくしが今、恐れ多くもメイド頭を拝命し『お嬢様の教育』を任されておりますのも、決して諦めず自分を磨くための努力を重ねて来たからだと自負しております。わたくしより長く学校に通ったジュリアに、その力がないとは考えておりません」
「そうね。それに今のままでもジュリアは十分良くしてくれてるわ。キャロラインもよ。はじめは言われたとおりにできなくて困らせたけど、少しずつでも上手く行くようになって来てる、と思うの……」
「ヴァイオレット様は本当に良くおやりになっていらっしゃいます。わたくしのお教えすることをすべて我が物にしていかれる御様子には感服いたしますわ」
都度の課題についての評価は別として、キャロラインに言葉にして手放しに褒められるのは初めてではないか。
レッスンを開始した当初は、決して表情にも口にも出すことはないものの今にも眉を寄せられそうな雰囲気だった。それでも次々発せられる厳しい要求に応えるうちに、満足気な様子も伝わって来ていたのだ。
だからこそ「一段階上に進んだ」証明としての家庭教師なのだろう。
キャロラインはずっとこの家のために、結果として自分のためにも、弛まぬ努力を続けて来た。
ジュリアも、「お嬢様のため」もっと頑張りたいと言う。
ならば「主人」の立場にいるレティは、さらに彼女たちを上回る必要があるのではないか。
この家に仕えてくれている使用人が食事もできないような羽目にならないよう「家」を守るのが、『ヴァイオレット』に成り代わった|レティ《レプリカ》の役目だ。
──理屈じゃなく、それがわたしが生きて、……《《生かされて》》ここにいる意味なんだわ。最初に「この家の娘になりきる」って決めたんだから。これ以上、余計なことを考えちゃいけないんだ。