渋谷ゲリラライブの興奮冷めやらぬRogue Soundの小さな事務所。
けんたろうとユージは、パーテーションで仕切られただけの簡素な空間で、向かい合って座っていた。
壁一枚隔てた向こうでは、綾音さんが何やら作業をしている。
「なぁ、けんたろう。一条零、どうすんだよ?」
ユージが切り出した。
一条零のユーロビート新曲発表と、記者会見での直接的な呼びかけは、彼らにとっても無視できない事態だった。
「……わかんない」
けんたろうは、俯いたまま、絞り出すように答えた。
一条零の言葉は、彼の心の奥底に響き、けいとさんとの関係で感じていた孤独や寂しさを、より強く意識させていた。
ユージは、そんなけんたろうの様子に気づき、少し優しい声で話を続けた。
「俺たちも、なんだかんだで、Midnight Verdictを追いかけてこのバンド始めたんだもんな」
けんたろうは顔を上げた。ユージの言葉に、二人のバンド結成のきっかけが蘇る。
「けいとちゃんとあやがデビューするからって、俺たちから距離を取っていったもんな。あの時は、正直寂しかったよ」
ユージは、遠い目をしながら語る。
スターとして売れ始めた恋人たちが、自分たちを巻き込まないようにと、あえて距離を置こうとした時期があったのだ。
「でも、俺らだって、ただ指をくわえて見てるわけにはいかないだろ? けんたろうのお前が『バンド作って、追いかけよう』って言った時、マジで最高だと思ったぜ」
ユージの言葉に、けんたろうは小さく頷いた。
あの時、けいとさんにもっと会いたい、自分も彼女の隣に並び立ちたいという純粋な衝動が、彼を突き動かしたのだ。
「少しは、追いついたかな……って、最近よく思うぜ」
ユージは感慨深げに、そして誇らしげに言った。
Synaptic Driveは、今や彼らが追いかけていたMidnight Verdictに匹敵するほどの注目を集めている。
「で、どうなんだよ、けんたろう。けいとちゃんとは、うまくいってるのか? 俺は、あやとはそこそこやってるぜ。まあ、あやが最近、俺のこと怒ってるけどな」
ユージの問いに、けんたろうの表情は曇った。彼は、けいとさんとすれ違ってきた今までの経緯、会えない時間の寂しさ、そして自分がどれだけ孤独を感じていたかを、ぽつりぽつりと話し始めた。
「それで、『あなたは知らない』ができたんだ……」
けんたろうは、そう言って力なく笑った。
自分の心を吐き出すように語るその言葉は、パーテーション一枚隔てた向こうにいる綾音さんには、全て筒抜けだった。
綾音は、耳を疑った。
Midnight Verdictのメンバーが、ユージとけんたろうの恋人!?
あの国民的ガールズユーロビートバンドと、今をときめく謎の新人バンドが、そんな関係だったなんて。
そして、けんたろうの歌が、あのけいとさんへの切ない想いから生まれたものだなんて……。
綾音さんは、ゆっくりと立ち上がると、パーテーションの向こうの二人に歩み寄った。
「ねぇ、ユージくん、けんたろうくん……けいととかあやって、今をときめくMidnight Verdictのことみたいね!」
綾音さんは、少し探るような口調で言った。
二人の反応を確かめるように。
けんたろうとユージは、顔を見合わせた。まさか、全部聞かれているとは思っていなかったのだ。
「……そうなんだ」
ユージが、観念したように小さく答えた。
その瞬間、綾音さんの顔は、驚きと興奮で大きく開いた。
「えー!!!!!!!!!!」
綾音さんの絶叫が、狭い事務所に響き渡った。
その声に、隣の社長室から、社長が飛んでくる。
「どうしたんだい!? 綾音くん!?」
社長の問いに、綾音さんは興奮冷めやらぬ様子で、目に涙を浮かべながら、指をさした。
「社長……! けんたろうくんとユージくんが……! Midnight Verdictの、けいとさんと、あやさんと……!」
社長は、綾音さんの言葉を聞いて、文字通りぶっ飛んだ。
驚きで腰を抜かし、その場にへたり込んでしまう。
「な、なんだってええええええええええええ!!!!!!!」
弱小レーベルの社長にとっては、あまりにも大きすぎる、そして、あまりにも危険すぎる秘密が、今、白日の下に晒されたのだ。
彼らが付き合っていることを知った社長の顔は、驚愕と、今後のリスクへの恐怖で、青ざめていた。
Rogue Soundの小さな事務所に、Synaptic Driveの二人の恋愛事情が知れ渡った瞬間、社長の顔は文字通り青ざめ、その場にへたり込み、頭を抱えた。
相手は、今や国民的ガールズユーロビートバンドとして名を馳せるMidnight Verdictだ。
こちらは弱小レーベル。
もし、この秘密が世間にバレれば、スキャンダルを恐れたMidnight Verdict側が、Rogue Soundを潰しにかかる可能性もゼロではない。
「どうするんだい、綾音くん! メディア対応は!? うちにはそんな力はないぞ……!」
社長の悲鳴のような問いに、綾音さんは決意に満ちた表情で立ち上がった。
「私が、私が全力で守ります! 彼らを、そして彼らの音楽を、絶対に守り抜いてみせます!」
その目は、マネージャーとしての覚悟に満ちていた。しかし、事務所内は依然として大混乱のままだった。
「なんとかなるっしょ!」
「ならないわよー!!!」
綾音の鋭いツッコミが飛ぶ。
ユージはいつもの調子で軽口を叩いたが、その瞳の奥には、あやをこれ以上面倒に巻き込みたくないという、彼なりの覚悟が宿っていた。
事務所は、一触即発の緊迫感に包まれていた。
そんな中、けんたろうは、けいとさんへの複雑な思いを秘めながら、静かに、しかし決意を込めて言った。
「僕自身も、けいとさんと距離を取ります」
社長、ユージ、綾音さんの視線が、一斉にけんたろうに注がれる。
しん…と静まり返った後、皆どうして良いかわからず顔を見合わせる。
呼吸音と時計の針の音だけが静かに響く。
彩音は、「本当にそれで良いの?」と言いかけて言葉を飲み込んだ。
けんたろうの言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。
けいとさんを愛している。
しかし、彼女をこれ以上危険に晒すわけにはいかない。
そして何より、あの夜からの気まずさが、彼をそう言わせたのかもしれない。
本当にそれでいいのか?
彼の表情には、深い葛藤が浮かんでいた。