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第5話

ー/ー



 晩冬、戦勝の報せが入ってきた。カシール率いる駆竜隊も、間もなく帰ってくるらしい。

 いよいよ、駆竜隊が帰還する日だ。
 カラルは急いで門へ向かう。リーハに早く会いたくてたまらなかった。
 西門には、カシールたちの帰還を待ち望む人々でごった返していた。
 しかし、いつまで経ってもカシールたちが帰ってくる気配がない。日は正午を指していた。
 日が傾き始めた頃、道の先に黒い影が見えた。

「帰ってきた……!」

 ようやくの凱旋を、カラルは柵から身を乗り出しそうになりながら待ち構えていた。
 しかし、不揃いな行進の音が近づいてくるにつれて、歓喜の気持ちは薄れていった。
 戦に勝った軍とは思えない。疲労と後悔のようなものが混じりあったような重たい空気がのしかかっている。
 隊列の中に、リーハの姿が見えた。

「リーハ……!」

 しかし、リーハもいつもの様子ではない。頭を垂れて、左足を引きずりながら歩いている。
 カラルはすぐにリーハの側に駆け寄った。
 左足に巻かれた包帯には、赤黒い血が滲んでいる。その目には、どこか空虚な光を湛えていた。リーハの痛ましい姿に、カラルは声が出なかった。
 カラルは兵士から手綱を受け取ってから、周りを見回した。駆竜のほとんどが傷を負っている。あの、〝無敵〟の駆竜たちが――。
 駆竜を眺めていたら、カシールと目が合った。

「よぉ、カラル……。悪いな、こんな無様を晒して……」

 カシールはなるべく普段通りの調子を保とうとしているが、失意の情が見て取れる。

「油断があった……。それでこんなことになっちまった……。次こそは……」

 油断。この言葉がカラルの中で木霊した。

(俺も、油断してた……。リーハは絶対大丈夫だって……)

 後悔が連鎖する。カラルは唇を嚙み締めた。

「……今、一番ひどい怪我をしているのはリーハだ。早く治竜院に連れて行ってやってくれ……」

 カラルは何も言わずに頷くと、治竜院に向けて歩き始めた。

 リーハを支えながら、ゆっくりと進んでいく。変わり映えのない景色が延々と続く。
 治竜院に着いた頃には、もう日が暮れていた。
 竜舎と隣り合って、二階建ての大きな建物が見える。石垣で囲まれ、正面には大きな門が設けられていた。
 門の前に着くと、カラルは緑青にまみれた鐘を鳴らした。

「院長! イラージャ院長! おいでですか!?」

 ほどなく大きな門が押し開かれ、中から一人の老婆が現れた。ぼさぼさの白髪を後ろで無造作に束ねている。顔には深いしわが刻まれているが、背中は曲がっていない。目は鋭く、こちらを見つめるだけで空気がぴんと張りつめた。まるで歴戦の戦士の風格だ。

「院長、お願いします……リーハを診てください……!」

 頭を下げるカラルを一瞥してから、イラージャはリーハを見るや、「こちらへ」とすぐに二人を中へ通した。石組みの洞窟のような長い廊下には、かすかに薬草の匂いが漂っている。

 「それじゃあ、リーハを治療室へ連れてくから、お前はそこの部屋で待ってな」

 そう言って、廊下の左手の戸を指さす。

「あの……俺も一緒じゃだめですか? もうリーハと離れたくないんです……」

 イラージャは血相を変えた。

「馬鹿言うんじゃないよ。医療のこと何にも知らない子供にうろうろされても迷惑だ。いいからそこで待ってな」

 カラルはびくっと肩をすぼめた。それから、イラージャに従って部屋の中で待つことにした。
 部屋の中は質素な作りだった。素朴な家具が並んでいる中に、アージュの木で出来た上等な本棚が目を引いた。
 カラルは腰かけに座り、暖炉の火が燃える音を聞きながら、ひたすらに祈った。

(リーハ……! 何ともない怪我であってくれ……!)

 バン、と部屋の戸が勢いよく開かれた。

「……院長?」

 イラージャが凄まじい剣幕で部屋に入ってきた。

「脚を切るよ。……躊躇ってる時間はないからね」

「え……!?」

 カラルは突然の言葉に戸惑った。

「それって、どういう……」

「左足が壊死してる。放っておいたら大変なことになるよ」

 さぁっと血の気が引いていく。

「で、でも……そんなことしたら、リーハは……もう一生……」

「そんなこと言ってる場合じゃないよ。お前はリーハを死なせたいのかい!?」

 カラルは口をつぐんだ。頭の中ではわかっている。イラージャ院長が言うなら、もうそれしか方法は無いことは……。
 カラルはリーハとの日々を思い出した。何度も歩いたアージュの森。背中を小突くリーハの鼻先。丘の道を、リーハの背に乗って駆け回った記憶……。
 こぶしを握り締め、涙をこらえた。
 イラージャが片膝をついてカラルを見上げるようにして言った。

「この世には命よりも尊いものがあるかもしれない……。それでもあたしたち医術師は、命を救う以外に選択肢が無いんだ。……もし、お前がリーハの、命よりも大切な何かを守りたいと思うなら、あたしはこれ以上何もしない。カラル、お前はどうしたい?」

「俺は……」

 声が掠れる。それでも、カラルは絞り出すように答えた。

「俺は……リーハとの思い出が、何よりも大切です。でも……過去の思い出のために、リーハの未来を奪うのは、嫌です……」

 カラルはイラージャに向き直った。

「お願いします、イラージャ院長。リーハを……救ってください……!」

イラージャは何も言わず頷いた。

「それじゃあ、行ってくるよ」

 そう言って、部屋を後にした。
 ぱちぱちと粗朶の爆ぜる音だけが響いている。


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 晩冬、戦勝の報せが入ってきた。カシール率いる駆竜隊も、間もなく帰ってくるらしい。
 いよいよ、駆竜隊が帰還する日だ。
 カラルは急いで門へ向かう。リーハに早く会いたくてたまらなかった。
 西門には、カシールたちの帰還を待ち望む人々でごった返していた。
 しかし、いつまで経ってもカシールたちが帰ってくる気配がない。日は正午を指していた。
 日が傾き始めた頃、道の先に黒い影が見えた。
「帰ってきた……!」
 ようやくの凱旋を、カラルは柵から身を乗り出しそうになりながら待ち構えていた。
 しかし、不揃いな行進の音が近づいてくるにつれて、歓喜の気持ちは薄れていった。
 戦に勝った軍とは思えない。疲労と後悔のようなものが混じりあったような重たい空気がのしかかっている。
 隊列の中に、リーハの姿が見えた。
「リーハ……!」
 しかし、リーハもいつもの様子ではない。頭を垂れて、左足を引きずりながら歩いている。
 カラルはすぐにリーハの側に駆け寄った。
 左足に巻かれた包帯には、赤黒い血が滲んでいる。その目には、どこか空虚な光を湛えていた。リーハの痛ましい姿に、カラルは声が出なかった。
 カラルは兵士から手綱を受け取ってから、周りを見回した。駆竜のほとんどが傷を負っている。あの、〝無敵〟の駆竜たちが――。
 駆竜を眺めていたら、カシールと目が合った。
「よぉ、カラル……。悪いな、こんな無様を晒して……」
 カシールはなるべく普段通りの調子を保とうとしているが、失意の情が見て取れる。
「油断があった……。それでこんなことになっちまった……。次こそは……」
 油断。この言葉がカラルの中で木霊した。
(俺も、油断してた……。リーハは絶対大丈夫だって……)
 後悔が連鎖する。カラルは唇を嚙み締めた。
「……今、一番ひどい怪我をしているのはリーハだ。早く治竜院に連れて行ってやってくれ……」
 カラルは何も言わずに頷くと、治竜院に向けて歩き始めた。
 リーハを支えながら、ゆっくりと進んでいく。変わり映えのない景色が延々と続く。
 治竜院に着いた頃には、もう日が暮れていた。
 竜舎と隣り合って、二階建ての大きな建物が見える。石垣で囲まれ、正面には大きな門が設けられていた。
 門の前に着くと、カラルは緑青にまみれた鐘を鳴らした。
「院長! イラージャ院長! おいでですか!?」
 ほどなく大きな門が押し開かれ、中から一人の老婆が現れた。ぼさぼさの白髪を後ろで無造作に束ねている。顔には深いしわが刻まれているが、背中は曲がっていない。目は鋭く、こちらを見つめるだけで空気がぴんと張りつめた。まるで歴戦の戦士の風格だ。
「院長、お願いします……リーハを診てください……!」
 頭を下げるカラルを一瞥してから、イラージャはリーハを見るや、「こちらへ」とすぐに二人を中へ通した。石組みの洞窟のような長い廊下には、かすかに薬草の匂いが漂っている。
 「それじゃあ、リーハを治療室へ連れてくから、お前はそこの部屋で待ってな」
 そう言って、廊下の左手の戸を指さす。
「あの……俺も一緒じゃだめですか? もうリーハと離れたくないんです……」
 イラージャは血相を変えた。
「馬鹿言うんじゃないよ。医療のこと何にも知らない子供にうろうろされても迷惑だ。いいからそこで待ってな」
 カラルはびくっと肩をすぼめた。それから、イラージャに従って部屋の中で待つことにした。
 部屋の中は質素な作りだった。素朴な家具が並んでいる中に、アージュの木で出来た上等な本棚が目を引いた。
 カラルは腰かけに座り、暖炉の火が燃える音を聞きながら、ひたすらに祈った。
(リーハ……! 何ともない怪我であってくれ……!)
 バン、と部屋の戸が勢いよく開かれた。
「……院長?」
 イラージャが凄まじい剣幕で部屋に入ってきた。
「脚を切るよ。……躊躇ってる時間はないからね」
「え……!?」
 カラルは突然の言葉に戸惑った。
「それって、どういう……」
「左足が壊死してる。放っておいたら大変なことになるよ」
 さぁっと血の気が引いていく。
「で、でも……そんなことしたら、リーハは……もう一生……」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ。お前はリーハを死なせたいのかい!?」
 カラルは口をつぐんだ。頭の中ではわかっている。イラージャ院長が言うなら、もうそれしか方法は無いことは……。
 カラルはリーハとの日々を思い出した。何度も歩いたアージュの森。背中を小突くリーハの鼻先。丘の道を、リーハの背に乗って駆け回った記憶……。
 こぶしを握り締め、涙をこらえた。
 イラージャが片膝をついてカラルを見上げるようにして言った。
「この世には命よりも尊いものがあるかもしれない……。それでもあたしたち医術師は、命を救う以外に選択肢が無いんだ。……もし、お前がリーハの、命よりも大切な何かを守りたいと思うなら、あたしはこれ以上何もしない。カラル、お前はどうしたい?」
「俺は……」
 声が掠れる。それでも、カラルは絞り出すように答えた。
「俺は……リーハとの思い出が、何よりも大切です。でも……過去の思い出のために、リーハの未来を奪うのは、嫌です……」
 カラルはイラージャに向き直った。
「お願いします、イラージャ院長。リーハを……救ってください……!」
イラージャは何も言わず頷いた。
「それじゃあ、行ってくるよ」
 そう言って、部屋を後にした。
 ぱちぱちと粗朶の爆ぜる音だけが響いている。