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#54 天国と地獄 その1 (ダスク視点)

ー/ー



 先の見えない、どこまでも真っ暗な道だけが、行く先に続いていた。
 聞こえるのは、汚水が流れる音と、俺が立てる足音のみ。


 俺が歩くここは、帝都エルザンパールの地下水路。


 カグヤと出会い、サウレリオン大聖堂から脱走したあの夜から丁度一ヶ月、あの時と同じく空には真円の月が昇っている。


 ザッキスに見つかった直後こそ、聖騎士団も帝国騎士団も地下水路を重点的に捜索していたが、期待に反して何の足取りも掴めなかったことで、既に俺たちが帝都を離れたものと思ったのか、見ての通り今では人気(ひとけ)は皆無だ。


 うろついているのは、ネズミやゴキブリ、コウモリといった先住民のみだが、彼らに対して特に不快感は覚えない。
 俺もまた、暗く、臭く、濁った暗闇から生まれてきたのだから。



 【三百年前】



「おいダスク、今日の酒はどうしたァ! 切らすなって何度言やァ分かんだゴラァーッ!」


 幼い頃の記憶で、今も最も鮮明に蘇るのは、父親に罵声を浴びせられて殴られた体験だ。
 母親を早くに亡くし、父と弟の三人暮らし。


 だが、俺も弟も「息子として育てられた」と感じたことは一度として無い。
 俺たちは「家畜として飼われていた」に過ぎないのだから。


 父親ではなく、飼い主。
 俺も弟も魔才持ちとして生まれ、その頃にはその素質を自覚して簡単な魔法を使っていた。
 火を(おこ)し、水を生み出し、風を吹かせ──それらを使って盗みや略奪を働いた。
 自分の食い扶持は自分で稼げ、と父から教え込まれ、それを当然のこととして生きてきた。


 俺たちをそんな風に調教した父はと言うと、毎日酒をがぶ飲みし、酒が切れるか腹が立つことがあれば、俺と弟を平然と殴り飛ばしていた。


 刷り込まれた性根というのは恐ろしいもので、子供と言えども魔才持ち、二人で挑めば飲んだくれの中年の一人や二人、容易く始末できたはずなのだが、物心付いた頃から続いてきた虐待によって、父に逆らうことに対して、体が強い拒否感を覚えるようになってしまっていた。
 加えて、最低の父親でも親殺しは最大のタブー、という倫理観が俺たち兄弟を縛り付けてもいた。


 しかし、やはり何事にも終わりは訪れる。
 愛情など介在しない、飼い主と家畜の主従関係は、いずれ破綻する運命にあったのだ。


「テメー、グローム! 今何つったッ!」


 きっかけは些細な口論。
 詳しい内容など憶えていないが、確か盗んできた金を渡す渡さないとかで、父と弟が揉め、それが次第にエスカレートしていったのだと思う。


「今まで生きてこれたのは、誰のお陰だと思ってやがる! この恩知らずの親不孝者がァ!」
「恩だって……? ふざけんなよ。お前なんか親じゃない! 只の酒臭いクズじゃねえかッ! いつまでも偉そうに吠えてんじゃねえ!」
「──ンだとォ!? このクソガキがッ……!!」


 従順であるべき家畜が飼い主に向かって吠えた──酒で普段以上に理性を失っていた父は、弟を思い切り殴り飛ばし、倒れたそこへ何度も何度もストンプを加えた。
 最初の一撃で半ば意識を失っていた弟は、抵抗もできずただ(なぶ)られるのみ。


「やめろ……」


 すぐに止めに入ったが、俺もぶん殴られて飛ばされた。


「オラッ、オラッ、何とか言ってみろ、この生意気なガキがッ!」


 これまで通りであれば、ある程度暴力を振るうと満足したように手を止めるのだが、この日は違った。


「思い知ったか! このド畜生がッ! えぇっ!?」
「やめろ……!」


 父の虐待が収まるどころか、更に勢いを増していくのを見て、俺の中の危機感も増していった。
 魔才持ちだろうと体は普通の子供、大人の暴力に耐えられるものではない。


「やめろって言ってんだッ、このクソ親父がァ……ッ!!」


 カッ、と俺の中で何かが燃え光り、意識が半分失われる。


 体内の魔力を全解放、怒りを炎に変えて撃ち出した。
 数秒後、俺の目の前には木っ端微塵になったあばら家と、無惨に焼け焦げ、原形を完全に失った肉の塊が転がっていた。


「兄ちゃん……」
「……行くぞ、グローム。こんな奴死んで当然のカスさ」


 あまりの呆気無さと味気無さに、何故もっと早くこうしなかったのか、とそれまでの自分の臆病さに呆れを覚えたものだ。


 だが、飼い主が消えたからと言って、光ある未来への道が拓かれた訳ではない。
 鎖に繋がれていた猛獣二匹が野放しになった──ただそれだけのことだったのだから。


 親類も居ない、まともな学も無い俺たちが歩める道は、暴力、略奪、放火、恐喝、殺人といった、今までと何ら変わり無い暗黒の道。
 生きる──ただ生きるため、手段を選ばなかった。


 欲しい者は奪い、気に入らない者はぶちのめすか殺す。
 体は成長し、知識と経験を身に付けていき、使える魔法のレベルと練度も上達していった頃には、やがてダスクとグロームの悪童兄弟の名は、大人たちにさえ恐れられた。


 人の皮を被った野獣には、昨日も無ければ明日も無い。
 何度も繰り返される「今日」を、ただひたすら生きるだけだった。



 【現在】



「そろそろか……」


 ここ数日、俺はカグヤに送って貰い、帝都の構造を探り回っていた。
 特に念入りに調べていたのが、この地下水路。


 あの夜、ジェフが言っていた。
 帝都の地下水路には、現在の皇室や栄耀教会も知らない、皇宮と繋がった昔の通路が放棄されたまま残っていると。


 如何にヴァンパイアと言えども、単独で皇宮に忍び込むのは困難を極める。
 だからこそ、潜入のためにその隠し通路を探り当てる必要があった。


 迷路のような水路の奥へ向かうに連れて、段々と通路の壁が古びたものに変わり、穴や亀裂も目立つようになっていく。
 この通路がいつ造られたものかは知らないが、恐らくは俺が生まれる前の時代。


「さて、ここからだ……」


 天井が崩落、大量の瓦礫で埋まってしまった場所へ突き当たる。
 皇宮への進入路はこの先にある。
 完全に塞がれてしまっている訳ではなく、瓦礫同士に幅三十センチ程度の隙間が空いており、向こう側から隙間風が吹いている。


 この幅では、子供でもない限り潜り抜けるのは不可能だ。
 怪力で瓦礫を動かして撤去したり、魔法を叩き込んで破壊することもできるが、大きな音を立てる上、崩落の危険を考えると賢いやり方とは言えない。


 ではどうするか。


 バキッ、ボキッ、と体から鳴った痛々しい異音が、水路内に響く。
 自ら骨を砕き、関節を外していく。


「ぐッ……」


 痛みは精神力で耐えるしか無いが、これで肉体をコンパクトに折り畳めた。
 瓦礫の隙間に身を捻じ込み、埋まってしまった数メートルを蛇か芋虫の如くモゾモゾと這い進み終えた後は、抜けた先で不死身の回復力を発揮すれば元通り。


 戻った体の感覚をしっかりと確かめてから、再び歩き出す。
 あそこさえ抜けてしまえば、後は侵入するまで目立った障害は無い。


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 先の見えない、どこまでも真っ暗な道だけが、行く先に続いていた。
 聞こえるのは、汚水が流れる音と、俺が立てる足音のみ。
 俺が歩くここは、帝都エルザンパールの地下水路。
 カグヤと出会い、サウレリオン大聖堂から脱走したあの夜から丁度一ヶ月、あの時と同じく空には真円の月が昇っている。
 ザッキスに見つかった直後こそ、聖騎士団も帝国騎士団も地下水路を重点的に捜索していたが、期待に反して何の足取りも掴めなかったことで、既に俺たちが帝都を離れたものと思ったのか、見ての通り今では|人気《ひとけ》は皆無だ。
 うろついているのは、ネズミやゴキブリ、コウモリといった先住民のみだが、彼らに対して特に不快感は覚えない。
 俺もまた、暗く、臭く、濁った暗闇から生まれてきたのだから。
 【三百年前】
「おいダスク、今日の酒はどうしたァ! 切らすなって何度言やァ分かんだゴラァーッ!」
 幼い頃の記憶で、今も最も鮮明に蘇るのは、父親に罵声を浴びせられて殴られた体験だ。
 母親を早くに亡くし、父と弟の三人暮らし。
 だが、俺も弟も「息子として育てられた」と感じたことは一度として無い。
 俺たちは「家畜として飼われていた」に過ぎないのだから。
 父親ではなく、飼い主。
 俺も弟も魔才持ちとして生まれ、その頃にはその素質を自覚して簡単な魔法を使っていた。
 火を|熾《おこ》し、水を生み出し、風を吹かせ──それらを使って盗みや略奪を働いた。
 自分の食い扶持は自分で稼げ、と父から教え込まれ、それを当然のこととして生きてきた。
 俺たちをそんな風に調教した父はと言うと、毎日酒をがぶ飲みし、酒が切れるか腹が立つことがあれば、俺と弟を平然と殴り飛ばしていた。
 刷り込まれた性根というのは恐ろしいもので、子供と言えども魔才持ち、二人で挑めば飲んだくれの中年の一人や二人、容易く始末できたはずなのだが、物心付いた頃から続いてきた虐待によって、父に逆らうことに対して、体が強い拒否感を覚えるようになってしまっていた。
 加えて、最低の父親でも親殺しは最大のタブー、という倫理観が俺たち兄弟を縛り付けてもいた。
 しかし、やはり何事にも終わりは訪れる。
 愛情など介在しない、飼い主と家畜の主従関係は、いずれ破綻する運命にあったのだ。
「テメー、グローム! 今何つったッ!」
 きっかけは些細な口論。
 詳しい内容など憶えていないが、確か盗んできた金を渡す渡さないとかで、父と弟が揉め、それが次第にエスカレートしていったのだと思う。
「今まで生きてこれたのは、誰のお陰だと思ってやがる! この恩知らずの親不孝者がァ!」
「恩だって……? ふざけんなよ。お前なんか親じゃない! 只の酒臭いクズじゃねえかッ! いつまでも偉そうに吠えてんじゃねえ!」
「──ンだとォ!? このクソガキがッ……!!」
 従順であるべき家畜が飼い主に向かって吠えた──酒で普段以上に理性を失っていた父は、弟を思い切り殴り飛ばし、倒れたそこへ何度も何度もストンプを加えた。
 最初の一撃で半ば意識を失っていた弟は、抵抗もできずただ|嬲《なぶ》られるのみ。
「やめろ……」
 すぐに止めに入ったが、俺もぶん殴られて飛ばされた。
「オラッ、オラッ、何とか言ってみろ、この生意気なガキがッ!」
 これまで通りであれば、ある程度暴力を振るうと満足したように手を止めるのだが、この日は違った。
「思い知ったか! このド畜生がッ! えぇっ!?」
「やめろ……!」
 父の虐待が収まるどころか、更に勢いを増していくのを見て、俺の中の危機感も増していった。
 魔才持ちだろうと体は普通の子供、大人の暴力に耐えられるものではない。
「やめろって言ってんだッ、このクソ親父がァ……ッ!!」
 カッ、と俺の中で何かが燃え光り、意識が半分失われる。
 体内の魔力を全解放、怒りを炎に変えて撃ち出した。
 数秒後、俺の目の前には木っ端微塵になったあばら家と、無惨に焼け焦げ、原形を完全に失った肉の塊が転がっていた。
「兄ちゃん……」
「……行くぞ、グローム。こんな奴死んで当然のカスさ」
 あまりの呆気無さと味気無さに、何故もっと早くこうしなかったのか、とそれまでの自分の臆病さに呆れを覚えたものだ。
 だが、飼い主が消えたからと言って、光ある未来への道が拓かれた訳ではない。
 鎖に繋がれていた猛獣二匹が野放しになった──ただそれだけのことだったのだから。
 親類も居ない、まともな学も無い俺たちが歩める道は、暴力、略奪、放火、恐喝、殺人といった、今までと何ら変わり無い暗黒の道。
 生きる──ただ生きるため、手段を選ばなかった。
 欲しい者は奪い、気に入らない者はぶちのめすか殺す。
 体は成長し、知識と経験を身に付けていき、使える魔法のレベルと練度も上達していった頃には、やがてダスクとグロームの悪童兄弟の名は、大人たちにさえ恐れられた。
 人の皮を被った野獣には、昨日も無ければ明日も無い。
 何度も繰り返される「今日」を、ただひたすら生きるだけだった。
 【現在】
「そろそろか……」
 ここ数日、俺はカグヤに送って貰い、帝都の構造を探り回っていた。
 特に念入りに調べていたのが、この地下水路。
 あの夜、ジェフが言っていた。
 帝都の地下水路には、現在の皇室や栄耀教会も知らない、皇宮と繋がった昔の通路が放棄されたまま残っていると。
 如何にヴァンパイアと言えども、単独で皇宮に忍び込むのは困難を極める。
 だからこそ、潜入のためにその隠し通路を探り当てる必要があった。
 迷路のような水路の奥へ向かうに連れて、段々と通路の壁が古びたものに変わり、穴や亀裂も目立つようになっていく。
 この通路がいつ造られたものかは知らないが、恐らくは俺が生まれる前の時代。
「さて、ここからだ……」
 天井が崩落、大量の瓦礫で埋まってしまった場所へ突き当たる。
 皇宮への進入路はこの先にある。
 完全に塞がれてしまっている訳ではなく、瓦礫同士に幅三十センチ程度の隙間が空いており、向こう側から隙間風が吹いている。
 この幅では、子供でもない限り潜り抜けるのは不可能だ。
 怪力で瓦礫を動かして撤去したり、魔法を叩き込んで破壊することもできるが、大きな音を立てる上、崩落の危険を考えると賢いやり方とは言えない。
 ではどうするか。
 バキッ、ボキッ、と体から鳴った痛々しい異音が、水路内に響く。
 自ら骨を砕き、関節を外していく。
「ぐッ……」
 痛みは精神力で耐えるしか無いが、これで肉体をコンパクトに折り畳めた。
 瓦礫の隙間に身を捻じ込み、埋まってしまった数メートルを蛇か芋虫の如くモゾモゾと這い進み終えた後は、抜けた先で不死身の回復力を発揮すれば元通り。
 戻った体の感覚をしっかりと確かめてから、再び歩き出す。
 あそこさえ抜けてしまえば、後は侵入するまで目立った障害は無い。