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幕間 黄昏の言伝

ー/ー



 一生に一度の、恋をしよう――。


 そのとき私は、たった五つの子供だった。
 そんな子供の将来を、伯母様は真剣に憂えていた。

「〈神の御子〉は、今なお、神への『供物』なのよ。――特に、女は悲惨……」
 私と同じく『〈神の御子〉の女性』だった伯母様は、降嫁した婚家で、〈神の御子〉を産むよう強要されたという。伯母様が〈神の御子〉を産めば、その子は王位継承権を持ち、婚家は外戚として権勢を誇れるからだ。
「アイリー。あなたには、あんな辛い思いをしてほしくないの」
 伯母様は私を抱きしめ、涙ぐむ。
 窓から差し込む黄昏の光で、白を基調とした神殿の部屋が、真っ赤に染まっていた。色を持たない私たちの肌も、呪われた王家の血を象徴するかのように、赤と交わる。
 自分とそっくりな容姿を持つ伯母様のことを、私は子供のころ、お母様だと信じていた。
 何故なら、この国の民は、ほとんどが黒髪黒目で、お父様と伯母様、そして私だけが異色だったのだから。幼い私が、このふたりを両親だと思い込むのは自然なことだろう。
 伯母様もまた、私を実の娘のように可愛がり、同時に案じていた。
 それは、私が伯母様と同じような目に遭っては可哀想だ、という思いから……というのは表向きで、本当は、ヤンイェンお異母兄(にい)様を〈神の御子〉として産むことができなかったことに対する罪悪感――なのだと、なんとなく気づいてしまった。
 私がいずれ、女王として立つのは、伯母様のせいではないのに。
 体の弱かった伯母様は、ご自分の余命が短いことを知っていたのだろう。
 だから、私がまだ小さいころから、私とヤンイェンお異母兄(にい)様との婚約を成立させようと、躍起になっていた。事情を理解しているお異母兄(にい)様なら、決して、私を不幸にすまいと考えたのだ。
 そもそも、伯母様が働きかけなくとも、私が生まれたときから、ヤンイェンお異母兄(にい)様は、私の婚約者に内定していたようなものだ。歳が離れすぎていることを理由に反対する勢力はあるものの、血統的には、お異母兄(にい)様がもっとも『女王の夫』にふさわしいからだ。
「……ごめんね」
 伯母様の涙が、黄昏色に染まる。
「あなたは、恋を知らずに生きることになるわ」
 そう呟いた伯母様は、果たして、恋というものを知っていたのだろうか。


 伯母様の優しさは、歪んでいたと思う。
 悪意のない、純粋な気持ちであったことに間違いはない。元王女として、『〈神の御子〉』に振り回される王族(フェイラ)たちが少しでも幸せになれるよう、心の底から願い、奔走していたことは紛れもない事実だ。
 けれど、ヤンイェンお異母兄(にい)様が、私を守るためだけに存在するような、空っぽの人になってしまったのは、やはり伯母様のせいだと言わざるを得ない。
 私も、お異母兄(にい)様も、一生、恋とは縁がないだろう。
 そう思っていた。
 セレイエと出会うまでは。


「アイリー、脱走(お忍び)するわよ!」
 ある日、『神に祈りを捧げる』という『公務』で、神殿に行くと、黒髪の(ウィッグ)と、黒目のカラーコンタクトを手にしたセレイエが、意気揚々と現れた。
「ヤンイェンから聞いたわ。あなた、まともに外を歩いたことがないんですってね。そんなの、もったいないわ」
 私は、そのとき、七歳になっていたと思う。世間知らずの箱入り娘ではあったが、それでも、上流階級の令息、令嬢たちが、身分を隠して、こっそり街中で遊んでいることくらい知っていた。
『社会勉強』と称して、親が外に出してくれることもあるようだけど、たいていは内緒の冒険だ。だからこそ、面白い――らしい、とも。
 けれど、私は〈神の御子〉だ。この外見(すがた)では、ひと目で素性がばれてしまう。だから、お忍びなんて考えたこともなかった。
 ……ああ、でも。
 セレイエが変装の道具を用意してくれている……。
 駄目、と思っても、私の瞳はセレイエの手元に釘付けだった。心臓が、どきどきと高鳴り、飛び出してしまいそうになる。
「私に任せて! 凄く可愛くしてあげるから!」
 (ウィッグ)の黒髪をさらりと撫で、セレイエは自信たっぷりに口角を上げた。そして、強引に、私を化粧台(ドレッサー)の前へと連れて行く。
「ま、待って!」
 誘惑を振り切らなくちゃと、私は声を張り上げた。
「セレイエの気持ちは嬉しいけど、私は世継ぎの王女なの。私に何かがあったら……。ううん、お忍びがばれてしまうだけでも、セレイエは、ただでは済まないわ」
 いくら私が子供でも、王宮で時々、耳にする『ただでは済まない』が『死』を意味することくらい理解していた。
 ……なのに。
 セレイエは、脅える私をふふん、と鼻で笑った。
「何を言っているの? 私は無敵よ」
 (つや)めく美声と共に、セレイエは背中から白金の光を放つ。幾つもの光の糸が絡み合い、繋がり合い、優美に波打つ白金の羽を紡ぎ出す。
「――――っ」
〈天使〉のセレイエ。
 何度見ても、溜め息が出るほど綺麗だ。
 もともと、目を奪われるような美人のセレイエだけど、〈天使〉の姿になると、神々しいまでの美しさになる。私の〈神の御子〉の容姿なんかより、ずっとずっと神聖を帯びていて……。
「どんな屈強な猛者でも、私の組み上げる命令(コード)には抗えないわ。王女だって気づかれたところで、記憶を消せばいいだけよ」
 荒唐無稽に聞こえるけれど、セレイエの言うことは真実だ。
 何故なら、〈天使〉とは、人間の脳という記憶装置に侵入(クラッキング)する、クラッカーなのだから。
 セレイエに見惚(みと)れていた私は、そこで、はっと我に返る。
「で、でも……!」
 羽を使うと、体に負担が掛かるって、ヤンイェンお異母兄(にい)様がおっしゃっていたのだ。だから、〈天使〉の力を護衛代わりにしたら駄目だ。セレイエが熱暴走を起こしてしまうなんて、考えたくもない。
 私は白金の眉を下げ、困りきった顔で、セレイエを見つめる。
 嬉しいけれど、駄目。どう言えば、私の気持ちを分かってもらえるだろうか。
 思いを伝える言葉を探している間に、セレイエは、私を無理やり化粧椅子(ドレッサーチェア)に座らせた。
「セ、セレイエ! 私は今、公務中で……」
「細かいことは気にしないの! だいたい、あなたみたいな子供が『公務』なんて、笑っちゃうわ!」
 その台詞の通り、セレイエは覇気に(あふ)れた高笑いを上げながら、ぴしゃりと言い捨てる。
「私がアイリーと出掛けたいから、準備をしているの。邪魔をしないで」
「…………」
 セレイエは強引で、自信家で、我儘で、破天荒。――そして、優しい。
 今まで、私の周りには、こんなふうに接してくれる人は、ひとりもいなかった。
 私は、未来の女王なのだ。――誰もが、そういう目で見る。それが普通だ。
 けれど、お異母兄(にい)様と恋仲になったセレイエは、『ヤンイェンの異母妹(いもうと)なら、私の義妹(いもうと)ってことでしょう?』と言って、私を『妹』として扱う。
 私には、たくさんの兄と姉と、異母兄と異母姉がいるけれど、皆、〈神の御子〉である私は『()』ではなくて、異質な『もの』だと思っている。玉座に座るためだけに存在する、異色のお人形だと――異母姉のひとりに、面と向かって、そう言われたこともある。
 例外はカイウォルお兄様とヤンイェンお異母兄(にい)様だけだ。だから、兄弟姉妹(きょうだい)なんて、そんなものだと思っていた。
 けど、セレイエによると、兄弟姉妹(きょうだい)とは、もっと仲の良いものらしい。
 実際、セレイエの口から語られる兄弟の話は、宝物のようにきらきらしていた。私は夢中になって聞き、もっともっとと、彼らの逸話をせがんだ。
 その中でも、私は異母弟(おとうと)の『リュイセン』の話が好きだった。どこか私と似た境遇の彼が、卑屈になることなく、真面目に、こつこつと努力を続ける姿を格好いいと思った。
 ――それは、さておき。
 私は、こうして、義姉(あね)セレイエに脱走(お忍び)を教えてもらった。


 セレイエと『姉妹』として過ごしていくうちに、私の世界は、どんどん広がっていった。
 私は、ヤンイェンお異母兄(にい)様のことを空っぽだと思っていたけれど、自分もまた、空っぽだったのだと気づかされた。
 だから、私はセレイエの義妹(いもうと)にふさわしく、ちょっとだけ図々しく、大胆になった。


『未来の女王の事実上の婚約者である、王族(フェイラ)の血統の神官長』と、『凶賊(ダリジィン)の血を引く、平民(バイスア)の神官』の恋は、世間的には『身分違いの禁断の恋』だ。
 当然、ふたりの関係は、公にはできなかった。
 ――罪、だからだ。
「それでいいの?」
 私は白金の眉を寄せ、セレイエに尋ねた。
「そうね、私とヤンイェンは『共犯者』みたいなものかしら?」
 セレイエは、とても綺麗な笑顔で、はぐらかした。
 お異母兄(にい)様からの贈り物のペンダントに、そっと手を触れながら……。


 そして、ライシェンが生まれた。


『身分違いの禁断の恋』から生まれたライシェンは、国を挙げて誕生を祝福されるべき〈神の御子〉であったにも関わらず、ひとまず存在を隠された。
 事情を知る者は、王宮の中でも、ごく一部の人間のみ。国の中枢に位置する彼らは、口を(そろ)えて、セレイエを『神官長を(たぶら)かした悪女』と罵った。
 けれど、国王(お父様)が、鶴の一声でセレイエとライシェンを守った。
『ライシェンこそが、私の次の王となるべき者である』――と。
 神殿で生まれたライシェンを迎えに行き、王宮に連れてきたのは、他ならぬ、お父様だった。平民(バイスア)を生母に持つ〈神の御子〉は風当たりが強いだろうと、拒むお異母兄(にい)様とセレイエを、国王が頭を下げて説得したのだ。
『こんなに愛されて生まれた子なら、きっと良い王になるだろう』と、言って。
『親』から愛されなかった、『過去の王のクローン』である、お父様は、ライシェンのことを尊いものだと褒め称え、セレイエに感謝を述べた。
 ライシェンが、ただの〈神の御子〉ではなく、〈天使〉の力も受け継いでいるらしいことは、早いうちから、セレイエが感づいていた。だから、お父様は『まるで、私たちのもとに神が降りてきてくれたみたいだ』と驚き、『来神(ライシェン)』という名前を贈ったのだ。
 ライシェンは、希望だった。
 彼の誕生は、私の『恋も知らずに、女王となる』運命をも変える。
 恋を知らない私のために、恋を知ったお異母兄(にい)様と、恋を教えてくれたセレイエの間に、ライシェンは生まれてきてくれたのだ。
 国を挙げての祝福はなくとも、ライシェンの周りには、確かな祝福があった。


 それが――。
 いったい、どこで、運命の歯車が狂ったのだろう。


 ライシェンが、羽も出さずに、〈天使〉の力で、人を殺した。
〈天使〉を知らない人々には、何が起きたのか分からなかっただろう。けれど、ライシェンが犯人であることは、状況から明らかだった。
 神聖なる王族(フェイラ)の血に、穢れた平民(バイスア)の血が混ざったから化け物が生まれたのだと、声高に叫ばれた。
 国王(お父様)は、その言葉を否定した。
 けれど、被害は広まるばかり。そして、すっかり恐怖に支配されてしまったライシェンは、ますます、自分の身を守ることに固執した。
 だから……。
 国王(お父様)が、ライシェンを殺した。
 他人の脳から『情報を読み取る』能力を持ったライシェンは、殺意を持った人間を決して見逃さないから。
 例外は、同じ能力を持ち、互いの能力を打ち消し合う、国王(お父様)だけだったから……。


 ライシェンを亡くした、お異母兄(にい)様とセレイエは、『〈七つの大罪〉の禁忌』に魅入られた。
 死者の蘇生だ。
 そんなのはおかしいと、私は、きっぱり言うことはできなかった。……ふたりの思いが辛すぎて、言えなかった。
 そして、狂った歯車は、止まることなく廻り続ける。


 ヤンイェンお異母兄(にい)様が、国王(お父様)を殺した。
 その瞬間、私は女王になった。


 それから、四年の月日が過ぎた。
 私は、もうすぐ十五歳になる。
 年齢的に頃合いだろうと、ヤンイェンお異母兄(にい)様との婚約が、正式に発表されることになり、準備が始まった。――お異母兄(にい)様は、病気療養という名の幽閉状態であるというのに。
 何かが、おかしかった。
 罪人(つみびと)となった、お異母兄(にい)様は、一生、幽閉されたまま。二度と、表に出られないはずだったのだから。


 私の中に、私の知らない記憶がある。
 それは、四年前、私が女王になって少し経った日の、黄昏の神殿。
 窓から差し込む光で、白を基調とした部屋が、真っ赤に染まっていた。色を持たない私の肌が、呪われた王家の血を象徴するかのように、赤と交わる。
「アイリー。私とヤンイェンは『共犯者』なの」
 唐突に聞こえた声に、私は驚いて後ろを振り返った。
 そこに、行方不明になっていたセレイエがいた。目鼻立ちのはっきりとした顔は、逆光の中でも美しく、けれど、だいぶ痩せたみたいな気がした。
「共犯者とは、罪を分かち合う者。ヤンイェンの罪は、私の罪よ」
 お異母兄(にい)様からの贈り物のペンダントを握りしめ、彼女は、静かに微笑む。
「セレイエ……! 今まで、どこにいたの!?」
 駆け寄る私に、彼女は何も答えなかった。ただ、歌うように続ける。
「犯した罪の裏側には、何を犠牲にしてでも叶えたい、強い願いがあるの」
 穏やかなのに、力強い声だった。
 覇気に(あふ)れた眼差しは相変わらずで、我儘な自信家の表情(かお)だ。
「私は後悔してないわ。ヤンイェンと出逢ったことも、ヤンイェンを愛したことも」
「セレイエ!?」
 私は、(すが)るように彼女の名を叫んだ。何故だか分からないけれど、とても不吉な予感がしたのだ。
「アイリー。誰かと出逢って、恋に落ちる。それは、とても素敵なことよ。……あなたを女王にしてしまった罪人(私たち)には、言う資格はないかもしれないけれど――」
 セレイエの手が、すっと私へと伸びた。白金の髪に触れ、くしゃりと撫でる。

「どうか、あなたに。運命の恋人が現れますように」

 慈愛に満ちた祈りが、私を包む。
 刹那。
 セレイエの背中から、光が噴き出した。
 無数の細い光の糸が、白金に輝きながら勢いよく(あふ)れ出る。互いに絡み合い、繋がり合い、網の目のように広がっていく。
〈天使〉の羽だ。
 煌めく光をまとったセレイエは、溜め息が出るほどに、綺麗――。
 ゆらり、ゆらりと。
 白金の羽が、優美に波打つ。緩やかに伸びてきた光の糸が、そっと私に触れる。
 そして、糸の内部を、ひときわ強い光が駆け抜けた。
「私の義妹(いもうと)に、(さち)あれ……」
 小さな呟きを残し、セレイエは〈冥王(プルート)〉の収められた『光明の間』へと姿を消した。


 これは、おそらく、封じられた記憶。
 セレイエが〈天使〉の力で、私の中の深いところに沈めたもの。
 彼女は、ライシェンの記憶を集めに〈冥王(プルート)〉へと向かう直前、私に会いに来てくれたのだ。
 一生に一度の、お異母兄(にい)様との恋に後悔はなかったと、私に告げるために。
 そして。
 私に伝えるために。

 あなたにも、恋をしてほしい――と。



―――― お知らせ ――――

ここまでお読みくださり、どうもありがとうございます。
この長い物語にお付き合いくださり、本当に感謝しております。

第三部 第四章+幕間 が完結いたしました。
第五章は執筆済みなのですが、リアルの都合により、来年4月までお休みをいただきます。
申し訳ございません。

第五章では、再び、ルイフォン&メイシアが主役となります。
準主役は、ハオリュウ。摂政カイウォルが動き出します。

〈投稿予定〉
2026年4月 第三部 第五章 金科玉条の紅を(全20話)
未定    第三部 第六章 金烏玉兎の暁へ(全18話+幕間4話)
未定    第三部 第七章 深層の追憶より(6話目まで執筆済み)

これからも、どうか、この物語をよろしくお願いいたします。



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 私と同じく『〈神の御子〉の女性』だった伯母様は、降嫁した婚家で、〈神の御子〉を産むよう強要されたという。伯母様が〈神の御子〉を産めば、その子は王位継承権を持ち、婚家は外戚として権勢を誇れるからだ。
「アイリー。あなたには、あんな辛い思いをしてほしくないの」
 伯母様は私を抱きしめ、涙ぐむ。
 窓から差し込む黄昏の光で、白を基調とした神殿の部屋が、真っ赤に染まっていた。色を持たない私たちの肌も、呪われた王家の血を象徴するかのように、赤と交わる。
 自分とそっくりな容姿を持つ伯母様のことを、私は子供のころ、お母様だと信じていた。
 何故なら、この国の民は、ほとんどが黒髪黒目で、お父様と伯母様、そして私だけが異色だったのだから。幼い私が、このふたりを両親だと思い込むのは自然なことだろう。
 伯母様もまた、私を実の娘のように可愛がり、同時に案じていた。
 それは、私が伯母様と同じような目に遭っては可哀想だ、という思いから……というのは表向きで、本当は、ヤンイェンお|異母兄《にい》様を〈神の御子〉として産むことができなかったことに対する罪悪感――なのだと、なんとなく気づいてしまった。
 私がいずれ、女王として立つのは、伯母様のせいではないのに。
 体の弱かった伯母様は、ご自分の余命が短いことを知っていたのだろう。
 だから、私がまだ小さいころから、私とヤンイェンお|異母兄《にい》様との婚約を成立させようと、躍起になっていた。事情を理解しているお|異母兄《にい》様なら、決して、私を不幸にすまいと考えたのだ。
 そもそも、伯母様が働きかけなくとも、私が生まれたときから、ヤンイェンお|異母兄《にい》様は、私の婚約者に内定していたようなものだ。歳が離れすぎていることを理由に反対する勢力はあるものの、血統的には、お|異母兄《にい》様がもっとも『女王の夫』にふさわしいからだ。
「……ごめんね」
 伯母様の涙が、黄昏色に染まる。
「あなたは、恋を知らずに生きることになるわ」
 そう呟いた伯母様は、果たして、恋というものを知っていたのだろうか。
 伯母様の優しさは、歪んでいたと思う。
 悪意のない、純粋な気持ちであったことに間違いはない。元王女として、『〈神の御子〉』に振り回される|王族《フェイラ》たちが少しでも幸せになれるよう、心の底から願い、奔走していたことは紛れもない事実だ。
 けれど、ヤンイェンお|異母兄《にい》様が、私を守るためだけに存在するような、空っぽの人になってしまったのは、やはり伯母様のせいだと言わざるを得ない。
 私も、お|異母兄《にい》様も、一生、恋とは縁がないだろう。
 そう思っていた。
 セレイエと出会うまでは。
「アイリー、|脱走《お忍び》するわよ!」
 ある日、『神に祈りを捧げる』という『公務』で、神殿に行くと、黒髪の|鬘《ウィッグ》と、黒目のカラーコンタクトを手にしたセレイエが、意気揚々と現れた。
「ヤンイェンから聞いたわ。あなた、まともに外を歩いたことがないんですってね。そんなの、もったいないわ」
 私は、そのとき、七歳になっていたと思う。世間知らずの箱入り娘ではあったが、それでも、上流階級の令息、令嬢たちが、身分を隠して、こっそり街中で遊んでいることくらい知っていた。
『社会勉強』と称して、親が外に出してくれることもあるようだけど、たいていは内緒の冒険だ。だからこそ、面白い――らしい、とも。
 けれど、私は〈神の御子〉だ。この|外見《すがた》では、ひと目で素性がばれてしまう。だから、お忍びなんて考えたこともなかった。
 ……ああ、でも。
 セレイエが変装の道具を用意してくれている……。
 駄目、と思っても、私の瞳はセレイエの手元に釘付けだった。心臓が、どきどきと高鳴り、飛び出してしまいそうになる。
「私に任せて! 凄く可愛くしてあげるから!」
 |鬘《ウィッグ》の黒髪をさらりと撫で、セレイエは自信たっぷりに口角を上げた。そして、強引に、私を|化粧台《ドレッサー》の前へと連れて行く。
「ま、待って!」
 誘惑を振り切らなくちゃと、私は声を張り上げた。
「セレイエの気持ちは嬉しいけど、私は世継ぎの王女なの。私に何かがあったら……。ううん、お忍びがばれてしまうだけでも、セレイエは、ただでは済まないわ」
 いくら私が子供でも、王宮で時々、耳にする『ただでは済まない』が『死』を意味することくらい理解していた。
 ……なのに。
 セレイエは、脅える私をふふん、と鼻で笑った。
「何を言っているの? 私は無敵よ」
 |艶《つや》めく美声と共に、セレイエは背中から白金の光を放つ。幾つもの光の糸が絡み合い、繋がり合い、優美に波打つ白金の羽を紡ぎ出す。
「――――っ」
〈天使〉のセレイエ。
 何度見ても、溜め息が出るほど綺麗だ。
 もともと、目を奪われるような美人のセレイエだけど、〈天使〉の姿になると、神々しいまでの美しさになる。私の〈神の御子〉の容姿なんかより、ずっとずっと神聖を帯びていて……。
「どんな屈強な猛者でも、私の組み上げる|命令《コード》には抗えないわ。王女だって気づかれたところで、記憶を消せばいいだけよ」
 荒唐無稽に聞こえるけれど、セレイエの言うことは真実だ。
 何故なら、〈天使〉とは、人間の脳という記憶装置に|侵入《クラッキング》する、クラッカーなのだから。
 セレイエに|見惚《みと》れていた私は、そこで、はっと我に返る。
「で、でも……!」
 羽を使うと、体に負担が掛かるって、ヤンイェンお|異母兄《にい》様がおっしゃっていたのだ。だから、〈天使〉の力を護衛代わりにしたら駄目だ。セレイエが熱暴走を起こしてしまうなんて、考えたくもない。
 私は白金の眉を下げ、困りきった顔で、セレイエを見つめる。
 嬉しいけれど、駄目。どう言えば、私の気持ちを分かってもらえるだろうか。
 思いを伝える言葉を探している間に、セレイエは、私を無理やり|化粧椅子《ドレッサーチェア》に座らせた。
「セ、セレイエ! 私は今、公務中で……」
「細かいことは気にしないの! だいたい、あなたみたいな子供が『公務』なんて、笑っちゃうわ!」
 その台詞の通り、セレイエは覇気に|溢《あふ》れた高笑いを上げながら、ぴしゃりと言い捨てる。
「私がアイリーと出掛けたいから、準備をしているの。邪魔をしないで」
「…………」
 セレイエは強引で、自信家で、我儘で、破天荒。――そして、優しい。
 今まで、私の周りには、こんなふうに接してくれる人は、ひとりもいなかった。
 私は、未来の女王なのだ。――誰もが、そういう目で見る。それが普通だ。
 けれど、お|異母兄《にい》様と恋仲になったセレイエは、『ヤンイェンの|異母妹《いもうと》なら、私の|義妹《いもうと》ってことでしょう?』と言って、私を『妹』として扱う。
 私には、たくさんの兄と姉と、異母兄と異母姉がいるけれど、皆、〈神の御子〉である私は『|妹《人》』ではなくて、異質な『もの』だと思っている。玉座に座るためだけに存在する、異色のお人形だと――異母姉のひとりに、面と向かって、そう言われたこともある。
 例外はカイウォルお兄様とヤンイェンお|異母兄《にい》様だけだ。だから、|兄弟姉妹《きょうだい》なんて、そんなものだと思っていた。
 けど、セレイエによると、|兄弟姉妹《きょうだい》とは、もっと仲の良いものらしい。
 実際、セレイエの口から語られる兄弟の話は、宝物のようにきらきらしていた。私は夢中になって聞き、もっともっとと、彼らの逸話をせがんだ。
 その中でも、私は|異母弟《おとうと》の『リュイセン』の話が好きだった。どこか私と似た境遇の彼が、卑屈になることなく、真面目に、こつこつと努力を続ける姿を格好いいと思った。
 ――それは、さておき。
 私は、こうして、|義姉《あね》セレイエに|脱走《お忍び》を教えてもらった。
 セレイエと『姉妹』として過ごしていくうちに、私の世界は、どんどん広がっていった。
 私は、ヤンイェンお|異母兄《にい》様のことを空っぽだと思っていたけれど、自分もまた、空っぽだったのだと気づかされた。
 だから、私はセレイエの|義妹《いもうと》にふさわしく、ちょっとだけ図々しく、大胆になった。
『未来の女王の事実上の婚約者である、|王族《フェイラ》の血統の神官長』と、『|凶賊《ダリジィン》の血を引く、|平民《バイスア》の神官』の恋は、世間的には『身分違いの禁断の恋』だ。
 当然、ふたりの関係は、公にはできなかった。
 ――罪、だからだ。
「それでいいの?」
 私は白金の眉を寄せ、セレイエに尋ねた。
「そうね、私とヤンイェンは『共犯者』みたいなものかしら?」
 セレイエは、とても綺麗な笑顔で、はぐらかした。
 お|異母兄《にい》様からの贈り物のペンダントに、そっと手を触れながら……。
 そして、ライシェンが生まれた。
『身分違いの禁断の恋』から生まれたライシェンは、国を挙げて誕生を祝福されるべき〈神の御子〉であったにも関わらず、ひとまず存在を隠された。
 事情を知る者は、王宮の中でも、ごく一部の人間のみ。国の中枢に位置する彼らは、口を|揃《そろ》えて、セレイエを『神官長を|誑《たぶら》かした悪女』と罵った。
 けれど、|国王《お父様》が、鶴の一声でセレイエとライシェンを守った。
『ライシェンこそが、私の次の王となるべき者である』――と。
 神殿で生まれたライシェンを迎えに行き、王宮に連れてきたのは、他ならぬ、お父様だった。|平民《バイスア》を生母に持つ〈神の御子〉は風当たりが強いだろうと、拒むお|異母兄《にい》様とセレイエを、国王が頭を下げて説得したのだ。
『こんなに愛されて生まれた子なら、きっと良い王になるだろう』と、言って。
『親』から愛されなかった、『過去の王のクローン』である、お父様は、ライシェンのことを尊いものだと褒め称え、セレイエに感謝を述べた。
 ライシェンが、ただの〈神の御子〉ではなく、〈天使〉の力も受け継いでいるらしいことは、早いうちから、セレイエが感づいていた。だから、お父様は『まるで、私たちのもとに神が降りてきてくれたみたいだ』と驚き、『|来神《ライシェン》』という名前を贈ったのだ。
 ライシェンは、希望だった。
 彼の誕生は、私の『恋も知らずに、女王となる』運命をも変える。
 恋を知らない私のために、恋を知ったお|異母兄《にい》様と、恋を教えてくれたセレイエの間に、ライシェンは生まれてきてくれたのだ。
 国を挙げての祝福はなくとも、ライシェンの周りには、確かな祝福があった。
 それが――。
 いったい、どこで、運命の歯車が狂ったのだろう。
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〈天使〉を知らない人々には、何が起きたのか分からなかっただろう。けれど、ライシェンが犯人であることは、状況から明らかだった。
 神聖なる|王族《フェイラ》の血に、穢れた|平民《バイスア》の血が混ざったから化け物が生まれたのだと、声高に叫ばれた。
 |国王《お父様》は、その言葉を否定した。
 けれど、被害は広まるばかり。そして、すっかり恐怖に支配されてしまったライシェンは、ますます、自分の身を守ることに固執した。
 だから……。
 |国王《お父様》が、ライシェンを殺した。
 他人の脳から『情報を読み取る』能力を持ったライシェンは、殺意を持った人間を決して見逃さないから。
 例外は、同じ能力を持ち、互いの能力を打ち消し合う、|国王《お父様》だけだったから……。
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 死者の蘇生だ。
 そんなのはおかしいと、私は、きっぱり言うことはできなかった。……ふたりの思いが辛すぎて、言えなかった。
 そして、狂った歯車は、止まることなく廻り続ける。
 ヤンイェンお|異母兄《にい》様が、|国王《お父様》を殺した。
 その瞬間、私は女王になった。
 それから、四年の月日が過ぎた。
 私は、もうすぐ十五歳になる。
 年齢的に頃合いだろうと、ヤンイェンお|異母兄《にい》様との婚約が、正式に発表されることになり、準備が始まった。――お|異母兄《にい》様は、病気療養という名の幽閉状態であるというのに。
 何かが、おかしかった。
 |罪人《つみびと》となった、お|異母兄《にい》様は、一生、幽閉されたまま。二度と、表に出られないはずだったのだから。
 私の中に、私の知らない記憶がある。
 それは、四年前、私が女王になって少し経った日の、黄昏の神殿。
 窓から差し込む光で、白を基調とした部屋が、真っ赤に染まっていた。色を持たない私の肌が、呪われた王家の血を象徴するかのように、赤と交わる。
「アイリー。私とヤンイェンは『共犯者』なの」
 唐突に聞こえた声に、私は驚いて後ろを振り返った。
 そこに、行方不明になっていたセレイエがいた。目鼻立ちのはっきりとした顔は、逆光の中でも美しく、けれど、だいぶ痩せたみたいな気がした。
「共犯者とは、罪を分かち合う者。ヤンイェンの罪は、私の罪よ」
 お|異母兄《にい》様からの贈り物のペンダントを握りしめ、彼女は、静かに微笑む。
「セレイエ……! 今まで、どこにいたの!?」
 駆け寄る私に、彼女は何も答えなかった。ただ、歌うように続ける。
「犯した罪の裏側には、何を犠牲にしてでも叶えたい、強い願いがあるの」
 穏やかなのに、力強い声だった。
 覇気に|溢《あふ》れた眼差しは相変わらずで、我儘な自信家の|表情《かお》だ。
「私は後悔してないわ。ヤンイェンと出逢ったことも、ヤンイェンを愛したことも」
「セレイエ!?」
 私は、|縋《すが》るように彼女の名を叫んだ。何故だか分からないけれど、とても不吉な予感がしたのだ。
「アイリー。誰かと出逢って、恋に落ちる。それは、とても素敵なことよ。……あなたを女王にしてしまった|罪人《私たち》には、言う資格はないかもしれないけれど――」
 セレイエの手が、すっと私へと伸びた。白金の髪に触れ、くしゃりと撫でる。
「どうか、あなたに。運命の恋人が現れますように」
 慈愛に満ちた祈りが、私を包む。
 刹那。
 セレイエの背中から、光が噴き出した。
 無数の細い光の糸が、白金に輝きながら勢いよく|溢《あふ》れ出る。互いに絡み合い、繋がり合い、網の目のように広がっていく。
〈天使〉の羽だ。
 煌めく光をまとったセレイエは、溜め息が出るほどに、綺麗――。
 ゆらり、ゆらりと。
 白金の羽が、優美に波打つ。緩やかに伸びてきた光の糸が、そっと私に触れる。
 そして、糸の内部を、ひときわ強い光が駆け抜けた。
「私の|義妹《いもうと》に、|幸《さち》あれ……」
 小さな呟きを残し、セレイエは〈|冥王《プルート》〉の収められた『光明の間』へと姿を消した。
 これは、おそらく、封じられた記憶。
 セレイエが〈天使〉の力で、私の中の深いところに沈めたもの。
 彼女は、ライシェンの記憶を集めに〈|冥王《プルート》〉へと向かう直前、私に会いに来てくれたのだ。
 一生に一度の、お|異母兄《にい》様との恋に後悔はなかったと、私に告げるために。
 そして。
 私に伝えるために。
 あなたにも、恋をしてほしい――と。
―――― お知らせ ――――
ここまでお読みくださり、どうもありがとうございます。
この長い物語にお付き合いくださり、本当に感謝しております。
第三部 第四章+幕間 が完結いたしました。
第五章は執筆済みなのですが、リアルの都合により、来年4月までお休みをいただきます。
申し訳ございません。
第五章では、再び、ルイフォン&メイシアが主役となります。
準主役は、ハオリュウ。摂政カイウォルが動き出します。
〈投稿予定〉
2026年4月 第三部 第五章 金科玉条の紅を(全20話)
未定    第三部 第六章 金烏玉兎の暁へ(全18話+幕間4話)
未定    第三部 第七章 深層の追憶より(6話目まで執筆済み)
これからも、どうか、この物語をよろしくお願いいたします。