「はああっ? なんで、わざわざ
そんな女優を使わなきゃなんないんだよ!?」
「いや、ですからそれがクライアントからのリクエストでして……」
「しかし
、『夏川美里』って言ったら、ドラマの主役に抜擢されたのはいいが、
あまりに演技が大根過ぎると視聴者からクレームが殺到して、始まってすぐ主役降板された女優だろ? そんな女優をCMに使って、イメージダウンにならないのか?」
「確かに彼女はあれからめっきりテレビでの露出は減りましたけど、クライアントの社長が彼女の熱狂的なファンでして、どうしても今回のCMは夏川美里で行きたいとおっしゃっているんです」
「けっ、公私混同も
甚だしいな。経営者失格だぜ、そりゃ」
とある企業からCM制作の依頼を受けた広告代理店の大久保とCM監督の神谷が、今回撮るCMについての打ち合わせをしていた。二人の話の中に出て来た『夏川美里』は、モデル出身の新人女優である。神谷が云ったように、美里はその飛び抜けた美貌によってモデル界でめきめきと頭角を現し去年女優に転身したのだが、とにかく演技力が絶望的に低く、彼女が出演する映画やドラマでは、『台詞が棒読み過ぎてドラマの内容が全然入って来ない』と、彼女の演技を観た視聴者からのクレームが殺到した。その事態を重く見た制作側は急遽脚本を変更し、主役であったはずの彼女をドラマの中で自動車事故に遭わせて、事実上降板させてしまった。それ以降、夏川美里はここ二~三年の間、表舞台からすっかり姿を消していた。
「それで、その
大根CM女優はいつになったら到着するんだよ?」
「さあ、一応時間と場所は事務所の方に伝えてありますから、もうそろそろこっちの方に来るんじゃないかと……」
大久保が左手の腕時計に目を移して時刻を確認すると、ちょうどその時スタジオのドアが勢いよく開き、息を切らして両肩を大きく揺らす夏川美里とそのマネージャーらしい若い青年の二人の姿が現れた。
「「遅くなって、申し訳ありません! 夏川美里ですっ!」」
「ああ来たか、ご苦労さん。待ってたよ」
あの様子だと、近くからこの暑い中を二人で走ってきたのだろうか。夏川の髪は乱れているし、顔中汗びっしょりだった。しかし、それでもさすがにモデル出身なだけはある。ハッとする程の彼女の美貌に、思わず見とれてしまう。
見た目だけなら、芸能界の若手女優の中でもトップクラスに入るんじゃないか? 神谷の目には、そんな風に
映った。
「ほら、森下君が道間違えたりするから、こんなに時間ギリギリになっちゃったんだよ。わたし、久しぶりのCMだから失敗とか絶対出来ないのに」
「すみません、美里さん。車のナビがちょっと古かったみたいで、地図が現在の道路状況と違ってたんですよね」
「まあ、間に合ったからいいけどさ。それより走って来たから、喉乾いちゃった。森下君、水筒持って来てたでしょ?」
「あっ、はい。水筒ならバッチリ用意して来ました。コーヒーですけど、いいですか?」
「うん、大丈夫。森下君、一杯淹れてくれる?」
「わかりました。はい、どうぞ」
森下が水筒から注いだコーヒーの入ったキャップを美里が受け取ると、よほど喉が渇いていたのだろう。彼女はそれを一気に喉へと流し込み、そしてそれを
盛大に吹き出した。
「ちょっと! この暑いのに、なんで
ホットなんて入れてくるのよっ! 森下君てバカなの?」
「いや、実はガムシロップが切れてまして。砂糖はホットじゃないと混ざらないでしょ」
「さっきから、言い訳ばっかり。混ぜるって、そんなのあとで氷とか入れればどうにでもなるでしょ! わたしが森下君の頭シェイクして、
脳みそかき混ぜてあげようかっ!」
美里が森下の頭を両手で掴み、笑いながら前後に揺すり叫ぶ。美里がドラマを降板されてから、事務所の方の彼女に対するマネージメントの質もランクダウンしたようで、今までベテランの敏腕マネージャーだったのが新人マネージャーの森下に格下げされていた。ただ、美里と同世代の森下の方が彼女にとっては親しみやすく接しやすい存在であった事は確かなようだ。二人の漫才のようなやり取りをみながら、神谷は、夏川美里の周りから聞いた彼女の評価とは違う別の一面を垣間見たような気がした。
(夏川美里は、ドラマのセリフも棒読みの酷い大根役者だと聞いていたが、このリアルなやり取りを見た限りじゃ、表情も豊かで感情の表現もちゃんと出来ているように見えるんだけどな)
神谷は、このCMでどうすれば美里の魅力を余すところなく表現出来るだろうかと、顎に手を充て思案した。そして、何かを思いついたようにニヤリと片方の口角を上げた。