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#30 明けない闇夜 その1 (カグヤ視点)

ー/ー



 誰もが一度は考えた、或いは誰かから問われた経験があるのではないだろうか。


「人は何のために生きるのか、分かるかしら?」


 遺伝子を残すため、種の存続のため──それらも間違いではないのだろう。
 しかし世の中には、故あって子孫を残せない者も数多く居る訳で、そうなると彼らは生きる理由を持たないことになってしまう。


「ん~、わかんない」


 もっとも、当時まだ小学校にすら入学していなかった私たち姉妹にそんなことなど分かるはずも無く、母の問いにも首を傾げるだけだった。
 答が分からなかったからではなく、どうしてそんな質問をするのかが分からずに。

 
「『天国』に行くためよ」


 陽光のような誇らしさと共に、母はそう口にした。


「『てんごく』って、どこにあるの? どうやっていくの?」


 双子の妹がそう尋ねると、母は満足そうににっこりと微笑んで、


「神様が連れて行ってくれるのよ。だから今日もみんなで集会に行きましょう。『天国』に行けるのは、神様の教えの通りに生きた人だけなのだから」


 同年代の子供たちが、デパートや遊園地など、心躍る場所に連れて行って貰える日曜日。
 私たち姉妹は毎週必ず、父が運転する車の後部座席に乗せられて、秘密の教会に連れて行かれた。


 カーラジオ代わりに、母から神の教えを聴かされながら。





 日本全国に信者と拠点を持ち、社会に密かな影響力を持つ新興宗教団体。


 その教団に所属していた男女の信者が、教団の斡旋によるお見合いを経て、教団主催の合同結婚式で夫婦となった。
 程無くして夫婦は、教団の影響下にある病院で出産した。


 生まれたのは、双子の姉妹。
 退院してすぐ、夫婦は娘二人を教団の施設に連れて行き、洗礼と入信の儀を執り行った。


 儀式が終わり、夫婦の依頼で、娘たちには教主から直々に名が与えられた。


 姉は輝夜(カグヤ)
 妹は照朝(テルサ)


 親を通じて信仰の影響を受けたり、本人の意思ではなく信者である親の意思によって入信させられた者たちを「宗教二世」と呼ぶが、私たち姉妹に限って言えばその言葉は適切ではない。
 何せ父母のそれぞれの両親、つまり祖父母もまた、教団の斡旋と合同結婚式で結ばれたそうだから、二世どころか三世なのだ。


 産声を上げる遥か以前から、私たちの人生には教団が影を落としていたのだ。





 日本国憲法の第二十条には『信教の自由』というものがある。


 簡単に言うと、誰がどんな宗教を信じようが、教団を立ち上げて布教や宣伝を行おうが、それは個人の自由として尊重される、というものだ。


 勿論、政治に干渉したり、法令を遵守(じゅんしゅ)し危険な事件を起こさないことが前提条件ではあるが、裏を返せば、そうした線引きさえ守っていれば、教団がどんな教えを広めて信者に何をさせようが、法律で認められてしまうのだ。


 私の家は貧乏だった。


 決して父の稼ぎが少なかった訳ではなく、むしろ年収は平均を大きく上回り、本来であれば一家四人で裕福な暮らしを送れるはずだった。
 だと言うのに、住まいは格安家賃の借家、購入する自家用車は常に中古、そして食事もメニューが固定された質素なものだったため、学校の給食が一番のご馳走という生活だった。
 双子なのだからと、私たちの私物は衣類や化粧品、下着に至るまで姉妹共用だった。


 何せ財産のほとんどは、両親が教団に納めていたのだから。


「お金は元々悪魔が作った発明品であり、お金で買えるのは偽物ばかりです。『天国』へ行く資格はお金では決して買えません。有り余るお金は堕落を招くから、お金持ちは全員が悪魔の信奉者なのです」


 質素倹約こそ美徳であり、献金の額は信仰心の表れ。
 生活に必要な最低限のお金以外は全て教団で預かり、神が浄化して「聖なるお金」に変え、教団のために使われる──それが彼らの教義だった。


 両親も他の信者たちもその教えの通り、唯々諾々(いいだくだく)と大金を献上、これも『天国』へ行く為の功徳(くどく)であり試練であり修行だと、喜んで貧困生活を受け入れていた。


 しかし、教団が私たちから奪ったのはお金だけではない。


 高額献金のための節約、或いは教義に反するとして、同年代の子供たちが当たり前のように体験するはずの娯楽の一切が禁じられた。
 テレビ、ラジオ、アニメ、マンガ、ゲーム、映画、音楽、スポーツも全て駄目で、玩具もぬいぐるみの一つさえ買って貰えなかった。


 デパートや遊園地など行楽地へ連れて行って貰えたことも無く、休日は学校の宿題をするか、教団の行事や布教活動に参加するかのどちらかで、部活動をする暇など与えられなかった。
 神社仏閣、教会や寺院、雛祭りやハロウィン、クリスマスや初詣など他の宗教に関する場所に赴くことも、その行事の開催や参加も固く禁じられ、遠足や修学旅行は常に不参加。
 更に重傷を負っても輸血は禁止、教団関係者以外の者との交流も最低限、訳あって遠出したり、高額の出費をする場合は事前にその旨を教団に報告し、許可を得なければならない。


 あれも駄目、これも駄目、それも駄目。
 駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目──


「じゃあ何ならいいの?」


 という私の問いに対して、母から返ってきた言葉が、


「神様や教主様が認めたものだけよ」


 だった。


 教団が認めたものだけが本物であり正義、世間に出回っているものは、悪魔が人間を誘惑し堕落させるために作った紛い物。
 (よこしま)な誘惑を撥ね退ける、強靭で高潔な精神を養ってこそ神の(しもべ)であり、日々の辛さ、苦しさ、厳しさは全てそれを養うための修行。


 信仰心や修行が足りず、悪魔の誘惑に負けてしまった心弱き者は、神から見放され、審判の日に永劫の『地獄』に堕ちる。
 しかし教団の下、神への奉仕と修行を重ねた者だけは『天国』へ招待され、永遠の命と真の幸福を授かる。
 ベビーカーに乗っていた頃から子守歌のように言い聞かされ、物心付いてからも毎日繰り返し教え込まれ、教団発行の『聖書(ハンドブック)』も常に持ち歩くように言い付けられた。


 故に、私には何の楽しみも無かった。


 同年代の少女たちが、髪を整え、お洒落な服やアクセサリーで着飾り、流行りの音楽や芸能人について話し合い、友人たちと楽しく遊び、恋人と愛を交わし、青春を謳歌(おうか)している様子を見るたびに、憧れと嫉妬で胸が苦しくなり、惨めさと虚しさで何度も涙が零れた。
 当然ながら周囲と話が合うはずも無く、心が通った相手など一人として居なかった。


 お金は無くなっても、また稼ぐことができる。
 しかし自由は──過ぎ去った時間は、永遠に取り戻せない。


 財産を、青春を、愛を、人生を、多大な代償を払ってまで行く価値が『天国』にはあるのか、それは一体どんな所なのか。


 ある時、教団の幹部にその疑問をぶつけてみた所、彼は優しく微笑んで、


「言葉では言い表せないほど素晴らしい所なのだよ。行ってみてのお楽しみだ」


 その答から、言い広めている彼ら自身も全く分かっていないということだけは理解できた。


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 誰もが一度は考えた、或いは誰かから問われた経験があるのではないだろうか。
「人は何のために生きるのか、分かるかしら?」
 遺伝子を残すため、種の存続のため──それらも間違いではないのだろう。
 しかし世の中には、故あって子孫を残せない者も数多く居る訳で、そうなると彼らは生きる理由を持たないことになってしまう。
「ん~、わかんない」
 もっとも、当時まだ小学校にすら入学していなかった私たち姉妹にそんなことなど分かるはずも無く、母の問いにも首を傾げるだけだった。
 答が分からなかったからではなく、どうしてそんな質問をするのかが分からずに。
「『天国』に行くためよ」
 陽光のような誇らしさと共に、母はそう口にした。
「『てんごく』って、どこにあるの? どうやっていくの?」
 双子の妹がそう尋ねると、母は満足そうににっこりと微笑んで、
「神様が連れて行ってくれるのよ。だから今日もみんなで集会に行きましょう。『天国』に行けるのは、神様の教えの通りに生きた人だけなのだから」
 同年代の子供たちが、デパートや遊園地など、心躍る場所に連れて行って貰える日曜日。
 私たち姉妹は毎週必ず、父が運転する車の後部座席に乗せられて、秘密の教会に連れて行かれた。
 カーラジオ代わりに、母から神の教えを聴かされながら。
 日本全国に信者と拠点を持ち、社会に密かな影響力を持つ新興宗教団体。
 その教団に所属していた男女の信者が、教団の斡旋によるお見合いを経て、教団主催の合同結婚式で夫婦となった。
 程無くして夫婦は、教団の影響下にある病院で出産した。
 生まれたのは、双子の姉妹。
 退院してすぐ、夫婦は娘二人を教団の施設に連れて行き、洗礼と入信の儀を執り行った。
 儀式が終わり、夫婦の依頼で、娘たちには教主から直々に名が与えられた。
 姉は|輝夜《カグヤ》。
 妹は|照朝《テルサ》。
 親を通じて信仰の影響を受けたり、本人の意思ではなく信者である親の意思によって入信させられた者たちを「宗教二世」と呼ぶが、私たち姉妹に限って言えばその言葉は適切ではない。
 何せ父母のそれぞれの両親、つまり祖父母もまた、教団の斡旋と合同結婚式で結ばれたそうだから、二世どころか三世なのだ。
 産声を上げる遥か以前から、私たちの人生には教団が影を落としていたのだ。
 日本国憲法の第二十条には『信教の自由』というものがある。
 簡単に言うと、誰がどんな宗教を信じようが、教団を立ち上げて布教や宣伝を行おうが、それは個人の自由として尊重される、というものだ。
 勿論、政治に干渉したり、法令を|遵守《じゅんしゅ》し危険な事件を起こさないことが前提条件ではあるが、裏を返せば、そうした線引きさえ守っていれば、教団がどんな教えを広めて信者に何をさせようが、法律で認められてしまうのだ。
 私の家は貧乏だった。
 決して父の稼ぎが少なかった訳ではなく、むしろ年収は平均を大きく上回り、本来であれば一家四人で裕福な暮らしを送れるはずだった。
 だと言うのに、住まいは格安家賃の借家、購入する自家用車は常に中古、そして食事もメニューが固定された質素なものだったため、学校の給食が一番のご馳走という生活だった。
 双子なのだからと、私たちの私物は衣類や化粧品、下着に至るまで姉妹共用だった。
 何せ財産のほとんどは、両親が教団に納めていたのだから。
「お金は元々悪魔が作った発明品であり、お金で買えるのは偽物ばかりです。『天国』へ行く資格はお金では決して買えません。有り余るお金は堕落を招くから、お金持ちは全員が悪魔の信奉者なのです」
 質素倹約こそ美徳であり、献金の額は信仰心の表れ。
 生活に必要な最低限のお金以外は全て教団で預かり、神が浄化して「聖なるお金」に変え、教団のために使われる──それが彼らの教義だった。
 両親も他の信者たちもその教えの通り、|唯々諾々《いいだくだく》と大金を献上、これも『天国』へ行く為の|功徳《くどく》であり試練であり修行だと、喜んで貧困生活を受け入れていた。
 しかし、教団が私たちから奪ったのはお金だけではない。
 高額献金のための節約、或いは教義に反するとして、同年代の子供たちが当たり前のように体験するはずの娯楽の一切が禁じられた。
 テレビ、ラジオ、アニメ、マンガ、ゲーム、映画、音楽、スポーツも全て駄目で、玩具もぬいぐるみの一つさえ買って貰えなかった。
 デパートや遊園地など行楽地へ連れて行って貰えたことも無く、休日は学校の宿題をするか、教団の行事や布教活動に参加するかのどちらかで、部活動をする暇など与えられなかった。
 神社仏閣、教会や寺院、雛祭りやハロウィン、クリスマスや初詣など他の宗教に関する場所に赴くことも、その行事の開催や参加も固く禁じられ、遠足や修学旅行は常に不参加。
 更に重傷を負っても輸血は禁止、教団関係者以外の者との交流も最低限、訳あって遠出したり、高額の出費をする場合は事前にその旨を教団に報告し、許可を得なければならない。
 あれも駄目、これも駄目、それも駄目。
 駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目──
「じゃあ何ならいいの?」
 という私の問いに対して、母から返ってきた言葉が、
「神様や教主様が認めたものだけよ」
 だった。
 教団が認めたものだけが本物であり正義、世間に出回っているものは、悪魔が人間を誘惑し堕落させるために作った紛い物。
 |邪《よこしま》な誘惑を撥ね退ける、強靭で高潔な精神を養ってこそ神の|僕《しもべ》であり、日々の辛さ、苦しさ、厳しさは全てそれを養うための修行。
 信仰心や修行が足りず、悪魔の誘惑に負けてしまった心弱き者は、神から見放され、審判の日に永劫の『地獄』に堕ちる。
 しかし教団の下、神への奉仕と修行を重ねた者だけは『天国』へ招待され、永遠の命と真の幸福を授かる。
 ベビーカーに乗っていた頃から子守歌のように言い聞かされ、物心付いてからも毎日繰り返し教え込まれ、教団発行の『|聖書《ハンドブック》』も常に持ち歩くように言い付けられた。
 故に、私には何の楽しみも無かった。
 同年代の少女たちが、髪を整え、お洒落な服やアクセサリーで着飾り、流行りの音楽や芸能人について話し合い、友人たちと楽しく遊び、恋人と愛を交わし、青春を|謳歌《おうか》している様子を見るたびに、憧れと嫉妬で胸が苦しくなり、惨めさと虚しさで何度も涙が零れた。
 当然ながら周囲と話が合うはずも無く、心が通った相手など一人として居なかった。
 お金は無くなっても、また稼ぐことができる。
 しかし自由は──過ぎ去った時間は、永遠に取り戻せない。
 財産を、青春を、愛を、人生を、多大な代償を払ってまで行く価値が『天国』にはあるのか、それは一体どんな所なのか。
 ある時、教団の幹部にその疑問をぶつけてみた所、彼は優しく微笑んで、
「言葉では言い表せないほど素晴らしい所なのだよ。行ってみてのお楽しみだ」
 その答から、言い広めている彼ら自身も全く分かっていないということだけは理解できた。