「…最悪だ」
気が付いたジャックは腹部を擦りながら立ち上がる。
「では、ゴミ山で死んでて良かったんだな?」
「…。」
ロゼに凄まれて、何も言い返せない。
「それはいい。二度と私を老女呼びするな!この無礼者が!」
静かに頷く事しかジャックには出来なかった。目の前の少女は暗殺者。それ以前に人ではない。800年生きている人外。それと契約を交わした。自分はどうなるのか。癖で胸元を握るがあるものがない事に気が付く。
「俺のロザリオは?」
「ふん!あんなものは外させてもらった。捨てなかっただけ感謝してもらいたいものだ」
「…神よ」
絞り出す様な神への言葉にロゼは深く溜め息をつく。
「神などいない。その身で実感しているだろうに」
返答する事なく項垂れたジャックの姿を見て、ロゼは物書き机の引き出しからループタイを取り出した。
「…お父様の形見。ろくでもない神よりも此方をすがるといい」
ジャックにしゃがむ様に指示するとロゼはべっこう製の高級感のあるループタイを付ける。
「…良いのか?」
「大切にして欲しいとは思うけれどお父様は暗い引き出しの中になんていたくないと思う」
「そうか」
ロゼの事などろくに知らないが幼い姿で800年も生きてきた彼女の人生はとてつもないものであり、自分では及びもつかない。強い語気の彼女が父親の話をする際には淑やかになっていた事から本来の性格は此方なのではという推察をした。ジャックが自然とループタイを握っているのをロゼは見逃さなかった。
「さて、それを身に付けたのなら相応しい男として振る舞って欲しい」
「…礼儀作法か?」
「そうだとも!野良犬を小綺麗にしてやった程度でしかない!全くもってこのローゼンプラチナ・マリアンヌ・シュクレプーレの下僕に相応しくないのだ貴様は!」
「…要領は良くないぞ」
「クククッ、根気はその辺の女よりもある。侮るなかれだ」
年齢かと口にしそうになったが既に鞭を取り出しているロゼにそんな事を言ったらそれはそれは痛い目に合う事が用意に想像出来た。
―
「本当に!要領が!悪い!奴が!あるかっ!」
頭に数十冊の本を乗せられて背筋をピンと伸ばさせられて高いヒールの靴を履かされて歩ている。朝日が差し込んでいた空は星が輝く夜空になっていた。
「ぐぐぅ…」
鞭の痛みに耐えながら目標地点まで到着した瞬間、バランスを崩して転倒した。降り注ぐ本の雨で頭を強打し、捻った足を労る様に擦る。
「歩きの矯正でこれか…全く」
ロゼは唄の様なものを口にすると身体の痛みが全てなくなっていた。
「時間は…ふむ。寝てていいぞ。本来なら寝ずに訓練させていたが貴様は私の監視がないと緩むタイプとみた」
「こんな時間にどこへ行く?」
問い掛けるジャックに呆れた顔をする。
「もう痴呆が始まる歳か?私の職は暗殺者。そう言ったろう」
黒薔薇の執行者。そういう通り名だったなと顎に手を当てて思い出す。
「仕事だ。良い子にしていろ。夜食は許さない。夜更かしも駄目だ」
「母親…」
「なんだ?鞭が欲しいとみた」
「そんな趣味はない。少女にぶたれて喜ぶマゾ豚という救えない犯罪者を下僕にして楽しいか?」
「吐き気がする。良いから寝ろ!私の事は気にするな」
扉を閉める前にロゼはニヤリと笑った。
「私は手練れ。そう簡単に死んでいないのは分かるだろう。生き残りだ」
要は800年生きた魔女を侮るなという事なのだろう。魔女と形容したがどういう存在かを知らない為、心の中では魔女と呼ぶ事にした。
―
「ふぁ…朝か」
疲れ切っていたジャックは朝まで熟睡していた。ロゼの姿はない。
「(朝食でも作るか。…ロゼの分を作ったらこんな犬の餌食えるか!と怒鳴られそうだ)」
着替えてから広い屋敷を迷子になりつつもキッチンにたどり着き、業務用の冷蔵庫を開ける。
「(中身に人肉だの輸血パックなんかを想像してたが…デカいだけでなんて事無いな。普通の食事摂るのか?)」
様々な事を考えながらスクランブルエッグとトーストを作った。スクランブルエッグにはケチャップを食べているといっても過言ではない量のケチャップをドバドバと掛ける。
「まあ…ケチャップには文句言われそうだな。鬼の居ぬ間になんとやらと最後の食事だ。さらば、ケチャップ」
朝食を摂りながら珈琲に思いを馳せるがあの口ぶりだと無いだろうなと諦めてお湯を啜った。
「ジャック!ジャーック!どこだ!」
ロゼの声が聞こえる。
「キッチンだ!」
返答するとすぐにロゼがやってくる。
「なんだその犬の餌は!品性の欠片もないな!それと…」
冷蔵庫を開けながらロゼは言った。
「野菜を食え!」
クルトンが散らされたお洒落で新鮮なサラダを差し出される。
「ドレッシングは?」
「塩でいい」
「ケチャラーの癖に塩!?」
「…食の好みに文句をつけないでくれ」
塩を振るったサラダを貪る。トマトを横に寄せたのを見つかり、口に捩じ込まれた光景はほほえましいと思えるものだった。
―
「ケチャラーの癖にトマト嫌い!?」
「…よくある」
「いい歳の大人が好き嫌いするな!食え!」
「善処する…つもりだ」
キッチンの床に正座させられてお説教を食らっている。仕事帰りだというのにロゼは元気だ。
「やはり、私は間違っていなかった。いないと緩む。本当に油断も隙もない!」
これ以上詰められるのは嫌で話題を逸らす。
「朝食は食べないのか?」
「ふっ、食べるとも。私の華麗な料理の腕を見るといい!」
シェフでも呼び出すかとほんのり思っていたが自炊出来るのかと感心した。実際に腕前は素晴らしく綺麗に包まれたオムレツと特盛のサラダ。コンソメスープとバケットだった。
「野菜好きなのか?」
「美容の為…は建前。純粋に好きだ。うまいだろう野菜。セロリが好きだ」
実際、サラダには山盛りのセロリが入っている。
「俺には押し付けなかったな」
「ほう、セロリも嫌いか。今度はトマトと共に特盛にしてやろう」
失言したと頭を垂れる。セロリも嫌いだ。小娘の腕力などと侮っていたがはるかに力強く、一切の抵抗を許さず、トマトを咀嚼させられていたのだから。
「お前は…。ロゼは何者なんだ?」
普通の食事を喜んで食べるロゼに気になって仕方が無かった質問をぶつける。はぐらかされると思ったがなんて事もなく答える。
「そうかそうか。吸血鬼だの屍食鬼だのと思っていたのだな?近しいと言えば魔女か。不老の魔術で生きている麗しき令嬢よ。言っておくが魔女の定義は悪魔と契約した者だからな?私は悪魔と関わった事はない」
不老の魔術等というお伽噺の様な代物がこの世界に存在しているとはと思っているとロゼが背を向けて、衣服を脱ぐ。
「ばっ…!」
異性の裸などと思ったが見なければ服を着てくれないと思って背を見る。よく分からない紋章が背中いっぱいに刻まれていた。
「ふん、淑女が脱ぐのを止める位の品性はあるのだな。淑女が脱ぐな?見なければ信用しない性格だろうに」
図星を突かれて黙り込む。
「お伽噺。ファンタジーは…いや、魔法か。それは存在する。ようこそ、此方側へ」
服を着て、綺麗に襟を正したロゼは自身よりも二回り大きな手を持ち上げる。そして、キスを手の甲に落とした。すると手の甲に印が浮かんで、痣の様になった。
「予想より早くなったが…。要領の悪いお前が一人前の下僕になるには相当な根気がいると分かった。印を先にくれてやる。特例だぞ?ありがたく思え」
正式な下僕になったと認識してジャックは正座から跪くポーズをとり、ロゼの手を取ってキスを返した。
「なんだ。その程度の知識はあるのか」
「映画知識だがな」
「それでも構わん。知識に優劣はない」
満足げに笑うロゼの姿を見て、一緒に笑ったがロゼの口から放たれた言葉で笑みが凍った。
「より一層。手を抜くなどという甘え一切無しの教育をしよう。覚悟しておけよ」
また、既に鞭を取り出しているロゼの姿に逃げ出したいと思ったジャックなのであった。