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section01「境界都市ラルヴァ」

ー/ー



 陽光の差し込む白い壁の教室。窓から見えるのは、空と街の境界がにじむような——透明な結界に包まれた都市(ラルヴァ)。ここは“無害な異能”を持つ者たちが、政府に管理されるかたちで共存する特区だ。
 教室の中央、肩の力を抜いた姿勢で椅子にもたれていた凌空は、斜め向かいに座る少女をちらりと見た。
 希帆。明るい笑顔で誰とでも自然に話し、先生からも「ムードメーカー」と評される少女だ。だが彼女が中心に立つ時、場はただ和むだけでなく、自然と秩序を得る。
「凌空、今日も外、綺麗だね」
「……ああ。空、すげえ青い」
 希帆が窓の方を見てふっと目を細めた。彼女のこういう時の目元は、眩しい太陽を映しているようだった。
 凌空は、その言葉に軽く頷きつつも、胸の奥に妙なざらつきを感じていた。昨日から街に流れる“気配”が微かに変わっていた。風が通るたびに皮膚の表面を撫でるような、警告にも似た異物感。
(何かが起きる……)
 感覚的な予兆に過ぎない。でも、長年付き合ってきた自分の直感は、滅多に外れない。
「また、何か感じてる?」
 希帆がささやくように尋ねる。
 彼女は何気ないようでいて、相手の変化を鋭く察知するタイプだ。凌空は、少し口角を上げてごまかすように笑った。
「まあ、ちょっとな。最近、風の流れが妙なんだよ。空気が“逃げ場”を探してる感じっていうか」
「そっか……うん、何かあったら教えてね?」
「……ああ」
 その返事に、どこかで“他人に頼るのが苦手”な自分を感じて、少しだけ胸がちくりとした。
 チャイムが鳴り、授業が終わると、真っ先に近づいてきたのは丈だった。大柄な体格とは裏腹に穏やかで、どこかの寺の住職みたいな雰囲気の少年だ。
「今日の放課後、また相談室の当番、俺らだったよな」
「……ああ、そうだったな。正直、教師役とか向いてねえけど」
「でも、凌空は話を聞くの、得意じゃん。俺は……ああいう場所、緊張するけど、サポートするから」
「ありがと。あんたがいると、空気が安定するわ」
「それ、褒められてるのかな……?」
 苦笑いする丈の横から、結香が歩いてきた。制服の着こなしは自由そのもの、ピアスも禁止されているはずなのに、なぜか誰も咎めない。そんな“枠外の存在”。
「はいはい、お堅い人たち。相談室の準備は、もうみゆきがやってるよ。自分だけ先に入って、緊張でガチガチになってるけどね」
「そうか。じゃあ早く行ってやるか」
 凌空は教科書をまとめながら、ふと心の奥に浮かんだ一つの言葉をかき消すように、机を強く閉じた。
「崩れる」——そんな単語が、脳裏で何度もリピートしていた。

 廊下を歩いていると、すれ違う生徒たちの何気ない視線を感じることがある。凌空はそのすべてを受け流すのに慣れていたが、今日はどこか違和感が強い。
 視線の「質」が変わっている。
(……警戒?)
 まるで“誰か”が、この学園を監視しているかのような。
 教室棟を抜けた先、旧校舎の一角にあるカウンセリング室。普段は使用されないスペースを、生徒たちの自主的な相談窓口として開放している場所だった。
 中に入ると、緊張で肩をすくめたみゆきが、資料を机に並べていた。
「は、はいっ、みんなおつかれさまです……!」
「おつかれ。準備ありがとな」
「べ、別に! 私は……こういうの、失敗しそうで、ちゃんとやらないと怖くて……」
 みゆきは口元を押さえ、うつむき気味に話す。だが、その様子を責める者は誰もいない。
 なぜなら、彼女はこの学園の誰よりも「責任」を引き受けようとする生徒だったから。
 そこへ、冷ややかな声が背後から届いた。
「みゆき、確認しておいた方がいい。パンフの順番、昨日と微妙に違ってる」
 舞香だった。
 彼女は結果主義で、仲間内でもドライな態度を取ることで知られていた。だが、成果を出すことには執着せず、むしろ効率化を好む。
「え、あ、ほんと……ありがとう、舞香ちゃん……」
「“ありがとう”は仕事終わってから言いなよ。まだミスしてるかもしれないでしょ」
「……っ、うん」
 みゆきの表情が曇るのを見て、凌空はすっと舞香に視線を送った。
「言い方が冷たい、って誰かに言われたことないか?」
「あるよ。何百回も。でも、だから何? 必要なことしか言ってない。違う?」
「……ま、俺が口出す筋じゃねぇけどな」
 と、重い空気を打ち消すように、拓巳が壁にもたれかかって笑っていた。
「なんだかんだで全員集まってるし、役割分担も自然にできてるんだろ。舞香は“クール”っていうか、“無駄が嫌い”なだけでしょ」
「フォローのつもりなら、もっと言葉選んで」
「いや、俺は基本、自分が楽できればいいって思って動いてるだけだし」
 拓巳は、常に「自分にとっての最適解」で動くタイプだ。その行動には一貫性があるが、他人と歩調を合わせることには興味がない。
 ただ、彼の選択はなぜかチームにとって悪い方向へは向かわない。それもまた、不思議なバランスだった。
「……さて。今日の相談者って誰だったっけ?」
 結香が空いたソファにどさりと座りながら尋ねると、みゆきがメモを見ながら答えた。
「えっと……今日は、Aクラスの一樹くん……だけど……」
 一瞬、空気が止まった。
「……あの一樹?」
 希帆が眉をひそめる。
 一樹。誰もが名前だけは知っている問題児だ。
 不正を正当化し、人を挑発し、教師にまで反抗的な態度を取る。だが、なぜか“憎まれきれない”不思議な存在。
 彼のことを悪く言う者は多いが、本気で嫌っている者はいなかった。
(……ただの問題児、じゃない。あいつは、“核心”に近い)
 凌空は無意識に背筋を伸ばす。
 数週間前から、街の異変とシンクロするようにして、一樹の周囲でも不自然な出来事が起きていた。
 その正体は——まだ見えない。
「どうせ、またふざけてくるよ。悩みなんて、あの子にあるわけない」
 舞香が切り捨てるように言ったその時。
 ドアがノックされ、空気が張り詰める。
「やあやあ。君たち、今日も仲良くやってるみたいだね?」
 軽やかに、そしてどこか“演じるように”一樹が部屋へ入ってきた。
 笑みを浮かべたまま、まっすぐ希帆の隣に腰を下ろす。
「……今日はね、ちゃんと“相談”があるんだよ」
 その笑顔の裏に、確かな“異物感”が混ざっていた。



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 陽光の差し込む白い壁の教室。窓から見えるのは、空と街の境界がにじむような——透明な結界に包まれた都市《ラルヴァ》。ここは“無害な異能”を持つ者たちが、政府に管理されるかたちで共存する特区だ。
 教室の中央、肩の力を抜いた姿勢で椅子にもたれていた凌空は、斜め向かいに座る少女をちらりと見た。
 希帆。明るい笑顔で誰とでも自然に話し、先生からも「ムードメーカー」と評される少女だ。だが彼女が中心に立つ時、場はただ和むだけでなく、自然と秩序を得る。
「凌空、今日も外、綺麗だね」
「……ああ。空、すげえ青い」
 希帆が窓の方を見てふっと目を細めた。彼女のこういう時の目元は、眩しい太陽を映しているようだった。
 凌空は、その言葉に軽く頷きつつも、胸の奥に妙なざらつきを感じていた。昨日から街に流れる“気配”が微かに変わっていた。風が通るたびに皮膚の表面を撫でるような、警告にも似た異物感。
(何かが起きる……)
 感覚的な予兆に過ぎない。でも、長年付き合ってきた自分の直感は、滅多に外れない。
「また、何か感じてる?」
 希帆がささやくように尋ねる。
 彼女は何気ないようでいて、相手の変化を鋭く察知するタイプだ。凌空は、少し口角を上げてごまかすように笑った。
「まあ、ちょっとな。最近、風の流れが妙なんだよ。空気が“逃げ場”を探してる感じっていうか」
「そっか……うん、何かあったら教えてね?」
「……ああ」
 その返事に、どこかで“他人に頼るのが苦手”な自分を感じて、少しだけ胸がちくりとした。
 チャイムが鳴り、授業が終わると、真っ先に近づいてきたのは丈だった。大柄な体格とは裏腹に穏やかで、どこかの寺の住職みたいな雰囲気の少年だ。
「今日の放課後、また相談室の当番、俺らだったよな」
「……ああ、そうだったな。正直、教師役とか向いてねえけど」
「でも、凌空は話を聞くの、得意じゃん。俺は……ああいう場所、緊張するけど、サポートするから」
「ありがと。あんたがいると、空気が安定するわ」
「それ、褒められてるのかな……?」
 苦笑いする丈の横から、結香が歩いてきた。制服の着こなしは自由そのもの、ピアスも禁止されているはずなのに、なぜか誰も咎めない。そんな“枠外の存在”。
「はいはい、お堅い人たち。相談室の準備は、もうみゆきがやってるよ。自分だけ先に入って、緊張でガチガチになってるけどね」
「そうか。じゃあ早く行ってやるか」
 凌空は教科書をまとめながら、ふと心の奥に浮かんだ一つの言葉をかき消すように、机を強く閉じた。
「崩れる」——そんな単語が、脳裏で何度もリピートしていた。
 廊下を歩いていると、すれ違う生徒たちの何気ない視線を感じることがある。凌空はそのすべてを受け流すのに慣れていたが、今日はどこか違和感が強い。
 視線の「質」が変わっている。
(……警戒?)
 まるで“誰か”が、この学園を監視しているかのような。
 教室棟を抜けた先、旧校舎の一角にあるカウンセリング室。普段は使用されないスペースを、生徒たちの自主的な相談窓口として開放している場所だった。
 中に入ると、緊張で肩をすくめたみゆきが、資料を机に並べていた。
「は、はいっ、みんなおつかれさまです……!」
「おつかれ。準備ありがとな」
「べ、別に! 私は……こういうの、失敗しそうで、ちゃんとやらないと怖くて……」
 みゆきは口元を押さえ、うつむき気味に話す。だが、その様子を責める者は誰もいない。
 なぜなら、彼女はこの学園の誰よりも「責任」を引き受けようとする生徒だったから。
 そこへ、冷ややかな声が背後から届いた。
「みゆき、確認しておいた方がいい。パンフの順番、昨日と微妙に違ってる」
 舞香だった。
 彼女は結果主義で、仲間内でもドライな態度を取ることで知られていた。だが、成果を出すことには執着せず、むしろ効率化を好む。
「え、あ、ほんと……ありがとう、舞香ちゃん……」
「“ありがとう”は仕事終わってから言いなよ。まだミスしてるかもしれないでしょ」
「……っ、うん」
 みゆきの表情が曇るのを見て、凌空はすっと舞香に視線を送った。
「言い方が冷たい、って誰かに言われたことないか?」
「あるよ。何百回も。でも、だから何? 必要なことしか言ってない。違う?」
「……ま、俺が口出す筋じゃねぇけどな」
 と、重い空気を打ち消すように、拓巳が壁にもたれかかって笑っていた。
「なんだかんだで全員集まってるし、役割分担も自然にできてるんだろ。舞香は“クール”っていうか、“無駄が嫌い”なだけでしょ」
「フォローのつもりなら、もっと言葉選んで」
「いや、俺は基本、自分が楽できればいいって思って動いてるだけだし」
 拓巳は、常に「自分にとっての最適解」で動くタイプだ。その行動には一貫性があるが、他人と歩調を合わせることには興味がない。
 ただ、彼の選択はなぜかチームにとって悪い方向へは向かわない。それもまた、不思議なバランスだった。
「……さて。今日の相談者って誰だったっけ?」
 結香が空いたソファにどさりと座りながら尋ねると、みゆきがメモを見ながら答えた。
「えっと……今日は、Aクラスの一樹くん……だけど……」
 一瞬、空気が止まった。
「……あの一樹?」
 希帆が眉をひそめる。
 一樹。誰もが名前だけは知っている問題児だ。
 不正を正当化し、人を挑発し、教師にまで反抗的な態度を取る。だが、なぜか“憎まれきれない”不思議な存在。
 彼のことを悪く言う者は多いが、本気で嫌っている者はいなかった。
(……ただの問題児、じゃない。あいつは、“核心”に近い)
 凌空は無意識に背筋を伸ばす。
 数週間前から、街の異変とシンクロするようにして、一樹の周囲でも不自然な出来事が起きていた。
 その正体は——まだ見えない。
「どうせ、またふざけてくるよ。悩みなんて、あの子にあるわけない」
 舞香が切り捨てるように言ったその時。
 ドアがノックされ、空気が張り詰める。
「やあやあ。君たち、今日も仲良くやってるみたいだね?」
 軽やかに、そしてどこか“演じるように”一樹が部屋へ入ってきた。
 笑みを浮かべたまま、まっすぐ希帆の隣に腰を下ろす。
「……今日はね、ちゃんと“相談”があるんだよ」
 その笑顔の裏に、確かな“異物感”が混ざっていた。