表示設定
表示設定
目次 目次




第1話

ー/ー



「――この下手くそがっ!!」
 旅館の廊下に、コーチの怒声が響く。
 私は今、怒られている。 
「なんだあの演奏は! お前らナメてんのか! あれだけ練習して、なんで言ったことができないんだ! あれじゃただの雑音だろうが!」
 コーチは、旅館が学校貸切であるのをいいことに、通常運転で怒鳴り散らした。

 ――甲子園常連校である明日海(あすみ)高等学校。
 私はその吹奏楽部に所属している。そして今、私たちがなぜ怒られているかというと、それは今日の甲子園での演奏が酷かったからだ。
 ……まぁ、たしかに良くはなかったが。
 とはいえSNSサイトでの評価は上々だったし、対戦相手の学校の吹奏楽部に比べたら随分マシだったのだから、そこまで怒らなくても、とも思う。
「こんなんじゃ、録音の方がマシだ!」
 ……残念。コーチの目にはそう映ったということらしい。
 
 私が通う明日海高は、野球部と同じくらい吹奏楽に力を入れている。吹奏楽部は応援として、基本、野球部とセットで各試合について行くからだ。
 私の担当はフルート。一応、パートリーダーだ。といっても、二軍(下手な方)のだが。 
 本日三月二十五日は、春の甲子園の真っ最中。甲子園常連校とはいえ、これまで準々決勝まで勝ち残ったことがなかった明日海高も、今年は違った。
 四番バッター、筒美(つつみ)(ぎん)の活躍で、準決勝まで勝ち進んだのである。
 とはいえ我が吹奏楽部にとっては、まったく迷惑な話なのである。なぜなら、私たち吹奏楽部は大事な演奏会を三日後に控えているからだ。
 野球部が準決勝に進んだことで、負けたら帰宅予定だった今日も旅館に残り、明日の応援に備える羽目になってしまった。
 演奏会で弾く曲だってまだ仕上がっていないというのに。
 そのため本日、晴れて吹奏楽部は寝食返上で応援歌を猛練習することが決定したというわけだ。
 コーチの後ろを、ほくほくと湯気を立ち上らせたじゃがいもたちが歩いていく。
 すると、そのうちの一人がふと立ち止まり、ちらりと私を見た。坊主のくせに小憎らしいくらい整った顔立ちの、よく知った顔。
 幼馴染みの高校球児、筒美銀だ。
 小学校の頃のあだ名は銀紙(ぎんがみ)。由来はたしか、名前のニュアンスと当時流行っていた銀紙包みの飴玉から。
 銀紙――もとい銀は口パクで、『ドンマイ』と笑った。
 イラッときた。私は眉を寄せて交戦する。
 すると、
「おい! 橋本(はしもと)! なんだその顔は! 馬鹿にしてるのか!」
 ハッとした。視線を少し手前に戻すと、コーチが般若のような顔で私を睨みつけていた。
 やばい。コーチにバレた。
「いえ、なんでもありません!」
 私は慌てて顔を引き締め、ぴっと姿勢を正す。まるで軍隊のようだと思う。たぶん、野球部なんかよりずっと厳しい。
「お前は今夜、追加で二時間自主練!」
「はい!」
 軍隊のような返事を返しながら、絶望する。
 最悪だ。なんてことだ。これでは、本気で寝る暇がないではないか。
 なんて考えていると、一瞬、視界に見切れたじゃがいもは肩を揺らして笑っていた。
 まったく、人の気も知らないで……。
 私は後ろに回していた手をぎゅっと握った。
 それからみっちり一時間、コーチの暴言酷評は続いた。
 コーチは最後、
「今から風呂十分で。終わったらすぐに広間に集まれ」と言い捨てると、さっさと部屋に入っていく。
「「はい!」」
 私たちは急いで体育着を持って浴場へ向かった。


 ***
 

 浴場へ続く階段を駆け下りていると、
「よっ! 美音(みおん)」と、声をかけられた。
 振り返ると、清涼飲料水のペットボトルを持った銀がいる。
「あっ銀! ちょっと、あんたのせいで怒られたんだけど! 分かってんの!?」
「だから、ドンマイっつったじゃん」
 銀は笑いながら階段を降りてくる。
「このじゃがいもめ」
「おう! イケてるだろ? この頭!」
 言いながら、銀はグラビアアイドルのようなポーズをとり始める。私は白々とした目を向けた。
「バカじゃないの」
「ひでぇ」
「あんたが活躍したせいで、明日まで残んなきゃいけなくなったんだけど!」
 不貞腐れたように呟くと、銀はにっと笑った。
「おうよ! すげーだろ!? 惚れたか?」
 不覚にも、どくんと胸が鳴る。
「はぁ!?」
「な、惚れたか?」
「……そ、そんなの」
「……なんだよ? そこ、喜ぶところじゃねーの?」
 銀は眉を下げて、本気で分からないといった顔をしている。
 まったく、バカなのかしら、こいつは。いや、バカなんだった。昔から。
「美音も嬉しいだろ? 勝ったんだぞ?」
「それはそうだけど……」
 そのおかげでこっちはカツカツなのだ。
「美音? おーい、みーおん?」
 銀が子どもの頃の呼び方で私の名前を呼びながら、顔を覗き込んでくる。すぐ近くで息遣いが聞こえて、ハッとした。
「うっ、うるさい! 近い!」
 自分でも顔が熱を持っていくのが分かった。私は恥ずかしくて、咄嗟に下を向きながら銀の胸を押し返す。そして、早口で言い捨てた。
「つーか嬉しいわけないじゃん! こっちは演奏会が三日後なんだよ! さっさと負けてくれれば帰って思う存分練習できたのに!」
 すると、銀は困ったように眉をハの字にして、かりかりと頭を掻いた。
「あー……そういやそんなこと言ってたな。たしかに美音には負担かけてるかもしんねーけどさ……でも、そこまで言わなくたっていいじゃん。俺の応援いやなわけ?」
「……べつに、そういうわけじゃないけど。……だけどあんた、こっちの演奏会は全国放送も応援団も来やしないじゃない」
 ああ、もう。なんで私は、こんな言いかたしかできないんだろう。
 自分がいやになる。
 本当は、こんなことが言いたかったわけじゃないのに。でも、私の口は止まってくれない。
「……それに、私は四番の銀と違って、二軍だし。ベンチみたいなもんだし。みんなに期待されて、愛されてる銀とは違うの」
 あぁ、最悪だ。
 言いながら虚しくなって、私は銀に背中を向けた。
「……それじゃ。私、お風呂だから」
 スタスタとその場を歩き去ろうとしたとき、
「……待てよ」
 銀が私を引き止めた。
「あのさ、ずっと思ってたんだけどさ。美音って、なんで吹奏楽やってんの?」
「はぁ? なに急に」
 振り返ると、銀は少しだけ目を泳がせて、私を見下ろす。
「だって、中学のときだって、辞めたい辞めたい言ってたじゃん。なのになんで、こんな吹奏楽名門の高校にまで入って頑張ってんだよ?」
「…………なによ、それ」
 銀のその言葉は、さっきの『どんまい』よりも、ずっと頭にきた。というか、ショックのほうが大きかった。
 本当に、鈍感バカ。
「べつに、あんたには関係ないから!」
 私は顔を真っ赤にして、階段を駆け下りた。
 あーぁ。私はなんて可愛くないんだろう。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 第2話


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



「――この下手くそがっ!!」
 旅館の廊下に、コーチの怒声が響く。
 私は今、怒られている。 
「なんだあの演奏は! お前らナメてんのか! あれだけ練習して、なんで言ったことができないんだ! あれじゃただの雑音だろうが!」
 コーチは、旅館が学校貸切であるのをいいことに、通常運転で怒鳴り散らした。
 ――甲子園常連校である|明日海《あすみ》高等学校。
 私はその吹奏楽部に所属している。そして今、私たちがなぜ怒られているかというと、それは今日の甲子園での演奏が酷かったからだ。
 ……まぁ、たしかに良くはなかったが。
 とはいえSNSサイトでの評価は上々だったし、対戦相手の学校の吹奏楽部に比べたら随分マシだったのだから、そこまで怒らなくても、とも思う。
「こんなんじゃ、録音の方がマシだ!」
 ……残念。コーチの目にはそう映ったということらしい。
 私が通う明日海高は、野球部と同じくらい吹奏楽に力を入れている。吹奏楽部は応援として、基本、野球部とセットで各試合について行くからだ。
 私の担当はフルート。一応、パートリーダーだ。といっても、二軍(下手な方)のだが。 
 本日三月二十五日は、春の甲子園の真っ最中。甲子園常連校とはいえ、これまで準々決勝まで勝ち残ったことがなかった明日海高も、今年は違った。
 四番バッター、|筒美《つつみ》|銀《ぎん》の活躍で、準決勝まで勝ち進んだのである。
 とはいえ我が吹奏楽部にとっては、まったく迷惑な話なのである。なぜなら、私たち吹奏楽部は大事な演奏会を三日後に控えているからだ。
 野球部が準決勝に進んだことで、負けたら帰宅予定だった今日も旅館に残り、明日の応援に備える羽目になってしまった。
 演奏会で弾く曲だってまだ仕上がっていないというのに。 そのため本日、晴れて吹奏楽部は寝食返上で応援歌を猛練習することが決定したというわけだ。
 コーチの後ろを、ほくほくと湯気を立ち上らせたじゃがいもたちが歩いていく。
 すると、そのうちの一人がふと立ち止まり、ちらりと私を見た。坊主のくせに小憎らしいくらい整った顔立ちの、よく知った顔。
 幼馴染みの高校球児、筒美銀だ。
 小学校の頃のあだ名は|銀紙《ぎんがみ》。由来はたしか、名前のニュアンスと当時流行っていた銀紙包みの飴玉から。
 銀紙――もとい銀は口パクで、『ドンマイ』と笑った。
 イラッときた。私は眉を寄せて交戦する。
 すると、
「おい! |橋本《はしもと》! なんだその顔は! 馬鹿にしてるのか!」
 ハッとした。視線を少し手前に戻すと、コーチが般若のような顔で私を睨みつけていた。
 やばい。コーチにバレた。
「いえ、なんでもありません!」
 私は慌てて顔を引き締め、ぴっと姿勢を正す。まるで軍隊のようだと思う。たぶん、野球部なんかよりずっと厳しい。
「お前は今夜、追加で二時間自主練!」
「はい!」
 軍隊のような返事を返しながら、絶望する。
 最悪だ。なんてことだ。これでは、本気で寝る暇がないではないか。
 なんて考えていると、一瞬、視界に見切れたじゃがいもは肩を揺らして笑っていた。
 まったく、人の気も知らないで……。
 私は後ろに回していた手をぎゅっと握った。
 それからみっちり一時間、コーチの暴言酷評は続いた。
 コーチは最後、
「今から風呂十分で。終わったらすぐに広間に集まれ」と言い捨てると、さっさと部屋に入っていく。
「「はい!」」
 私たちは急いで体育着を持って浴場へ向かった。
 ***
 浴場へ続く階段を駆け下りていると、
「よっ! |美音《みおん》」と、声をかけられた。
 振り返ると、清涼飲料水のペットボトルを持った銀がいる。
「あっ銀! ちょっと、あんたのせいで怒られたんだけど! 分かってんの!?」
「だから、ドンマイっつったじゃん」
 銀は笑いながら階段を降りてくる。
「このじゃがいもめ」
「おう! イケてるだろ? この頭!」
 言いながら、銀はグラビアアイドルのようなポーズをとり始める。私は白々とした目を向けた。
「バカじゃないの」
「ひでぇ」
「あんたが活躍したせいで、明日まで残んなきゃいけなくなったんだけど!」
 不貞腐れたように呟くと、銀はにっと笑った。
「おうよ! すげーだろ!? 惚れたか?」
 不覚にも、どくんと胸が鳴る。
「はぁ!?」
「な、惚れたか?」
「……そ、そんなの」
「……なんだよ? そこ、喜ぶところじゃねーの?」
 銀は眉を下げて、本気で分からないといった顔をしている。
 まったく、バカなのかしら、こいつは。いや、バカなんだった。昔から。
「美音も嬉しいだろ? 勝ったんだぞ?」
「それはそうだけど……」
 そのおかげでこっちはカツカツなのだ。
「美音? おーい、みーおん?」
 銀が子どもの頃の呼び方で私の名前を呼びながら、顔を覗き込んでくる。すぐ近くで息遣いが聞こえて、ハッとした。
「うっ、うるさい! 近い!」
 自分でも顔が熱を持っていくのが分かった。私は恥ずかしくて、咄嗟に下を向きながら銀の胸を押し返す。そして、早口で言い捨てた。
「つーか嬉しいわけないじゃん! こっちは演奏会が三日後なんだよ! さっさと負けてくれれば帰って思う存分練習できたのに!」
 すると、銀は困ったように眉をハの字にして、かりかりと頭を掻いた。
「あー……そういやそんなこと言ってたな。たしかに美音には負担かけてるかもしんねーけどさ……でも、そこまで言わなくたっていいじゃん。俺の応援いやなわけ?」
「……べつに、そういうわけじゃないけど。……だけどあんた、こっちの演奏会は全国放送も応援団も来やしないじゃない」
 ああ、もう。なんで私は、こんな言いかたしかできないんだろう。
 自分がいやになる。
 本当は、こんなことが言いたかったわけじゃないのに。でも、私の口は止まってくれない。
「……それに、私は四番の銀と違って、二軍だし。ベンチみたいなもんだし。みんなに期待されて、愛されてる銀とは違うの」
 あぁ、最悪だ。
 言いながら虚しくなって、私は銀に背中を向けた。
「……それじゃ。私、お風呂だから」
 スタスタとその場を歩き去ろうとしたとき、
「……待てよ」
 銀が私を引き止めた。
「あのさ、ずっと思ってたんだけどさ。美音って、なんで吹奏楽やってんの?」
「はぁ? なに急に」
 振り返ると、銀は少しだけ目を泳がせて、私を見下ろす。
「だって、中学のときだって、辞めたい辞めたい言ってたじゃん。なのになんで、こんな吹奏楽名門の高校にまで入って頑張ってんだよ?」
「…………なによ、それ」
 銀のその言葉は、さっきの『どんまい』よりも、ずっと頭にきた。というか、ショックのほうが大きかった。
 本当に、鈍感バカ。
「べつに、あんたには関係ないから!」
 私は顔を真っ赤にして、階段を駆け下りた。
 あーぁ。私はなんて可愛くないんだろう。