尾行られている。 あまりにも早いフラグ回収に自分でも驚いているし、まさか気のせいだろうと思ってわざと脇道に入ってぐるりと一周してから元の道に戻ってみても背後の気配が消える事がないので、これはもう流石に確定だ。桃の家からうちまでは駅を挟んだ真反対なので3、4㎞といった所なのだが、都会ならいざ知らずこんな田舎道で不審者が現れるとは思ってもみなかった。 確かこういう時は立ち止まったり犯人の方を振り向いたりしてはならないと聞いた事があるが、返り討ちにできる自信が多大にある場合はどうすべきなのだろう。 こちらが停まれば後ろの靴音も止まる、もはや隠れる気があるのかというほどに下手糞な尾行にうんざりしつつ、うだうだ考えながら歩いているうちにとうとう家の近くまで来てしまった訳だが、流石に家を特定されるのは気持ちが悪い。 仕方ない迎撃するかと家を通り過ぎブロック塀の角で待ち受けるも一向にストーカーと思しき影は現れず、代わりに聞き覚えのあるドアの開く音が此方まで届いてきた。 想像もしていなかったことが起こり動揺を隠せないが家の前を見ても見当たらないことから、不審者は通り過ぎた我が家に堂々と正面玄関から侵入したようだ。 動転しすぎて気が付いた時には何故か拳を背後に突き出した状態だったがこの際どうでもいいだろう。 とにかく早急に不審者を撃破しなければならないと警戒心を携えドアノブに手をかけた。
玄関には母と弟の靴だけが転がっており、いつも通りの様相に一瞬安堵しかけるが不審者がご丁寧に靴を脱ぐわけがないと考え直しリビングへの扉を意を決して開く。 そこには無残にも打ち捨てられ床に倒れた母弟の血だまりが、などということは一切なく家事の手伝いで洗濯物を畳んでいる弟と、それをカーペットに寝転んで観察しているこやぎ、そしていつも通りキッチンで晩御飯を作っている母の後ろ姿があるだけだった。 母と弟に私の帰る直前に誰か入って来なかったかと聞いてみても心当たりはないとのことだったが、疑いを拭いきれず何か引っかかると顎に手をやっていると一つの可能性に行きつきリビングからこやぎを脇に抱えて回収し自室に鍵をかけた。
「怪異がうちに入ってきてるんじゃない?二人は気付いてないけどあんたは知ってるんじゃ」「し、知らない。」
尾行相手に見つかって当前の下手な尾行、二人に気づかれずに入って来れる存在、そしてこやぎのこの反応。 脳内で全てのピースが当てはまる音がした。 きっとこやぎは脅されているのだ。一応数百年生きているが怪異としては弱い存在らしいこの子は家に上がってきた悪い怪異に自分のことを家の者にばらしたら貴様を食ってやるとかなんとか言われているに違いない。 ぎゅっと拳を握りしめ震わせる。怪異同士でどうかは知らないが、紆余曲折を経て今はこうして共に暮らしている私の妹(仮)を脅しつけるなどいい度胸をしているじゃあないか。 可哀そうに思い出してしまったのか目に涙を浮かべ震え始めているこやぎを安心させるべく頭を撫でてやると、強張った身体がびくりと跳ねる。
「ごめんなさい。嘘つきました。」「いいよ、許したげるから正直に言いな。」
可能な限り優しく撫ででやるが一層青ざめるこやぎの小さな唇から、私の前に家に入ってきた怪異の正体が告げられたのであった。
「全く人騒がせな。」
不審者の正体は意外にも音山羊こやぎであった。 どうやら冬休みが終わり私も弟も家に居なくなったことで退屈かつ栄養不足に陥りかけていたらしいのだが、私からは家にいる様にと言われているので憑いて出る訳にもいかず、後に家を出る弟の方に憑き小学校にまで侵入していたらしい。 校内には同じように子供に憑いて来ていたり或いは元々学校を住処にしている怪異が多数いるそうで、大半は保護者よろしく授業参観の要領で後方に立っていたらしいのだが、中には一緒に授業を受けている者もいたらしくそれに混じって勉強をしていたとのことだ。 そうして給食という一大イベントに初めて立ち会ったこやぎは大量の栄養を摂取でき大変満足したらしく、満腹のまま校庭で行われる午後の体育の授業を見学している間にいつの間にか眠ってしまったのだそうだ。 そうして起きたのは日が陰り始めた頃で校内の子供達も皆帰宅した後だったらしく、弟の担任を見つけ憑いていったところ駅の辺りで私を見つけてこちらに乗り換えて来たらしい。
「私を見つけた時に声かければよかったのに。」「だっでえ、怒られると思っでぇ。」
眼をこすりながらガチ泣きする姿を前にして怒る気にもなれないし、むしろ小学校に行かなければまたこの間の様に餓死寸前になっていた可能性も考えれば叱りつけて家に縛り付けるのは得策とは言えないだろう。 少し考えて迷惑をかけるようなら直ぐにやめさせることを条件に今後も小学校に行くことを許可し、もし栄養が足りないのであれば行動に出る前に知らせることを約束させた。 ちなみに部屋に戻って来て震えていたのは私が拳を握りこんだことでぶたれると思ったからとのことだ。 小紅ちゃんにしても狐狸夫婦の子供達にしてもそうだが、私を猛獣か何かと勘違いしているんじゃなかろうか。 実に心外である。
翌朝、いつの間に空いていたのか窓の小さな隙間から吹き込む寒風に身を震わせながら目が覚ますと凄まじい違和感に襲われ姿見の前に立ち仰天した。 つい月曜日に測った時は170㎝弱はあった身長が、一晩のうちに測る必要もないほど明白に縮んでいたのだ。
眠るこやぎを放置して登校してみると案の定皆の反応はこれといって無く、それどころか今まで仲の良かった運動部連中に至っては挨拶をしたのに見知らぬ相手から声を掛けられたかのような反応で、誰だっけと返してくる始末だった。 席について頭を抱えていると教室後ろの入り口で鞄を落とす音が聞こえ振り向くと、そこにはこの教室内でおそらく唯一違和感を覚えたであろう冬華が目を見開き驚いた表情で立っていた。
放課後、友人と二人で坂の上にある塵塚邸を訪れると見たことのない男がいつも私が座っている位置に正座していた。 歳の頃は私より少し上、だいたい大学生位に見えるが怪異であれば外見から年齢を測ることなど不可能だし意味もないのだろうが、つい正面の少年が座るであろう席と右手に座る冬華の間に部屋の隅にから取ってきた座布団を敷き男をじろじろと観察してしまう。 目を覆うほど長い濡羽色の前髪に黄色人種らしい肌色からは一見普通の人間のように見えるが、わかめの様にくねった前髪の隙間で光る瞳の金色は非人的な異彩を放っており、その雰囲気からああこの男の人も怪異なんだと察することが出来た。
「台座よ、あまり不躾な視線を送るでない。須賀が怯えておるではないか。」「あ、ごめんつい。」「いえ、そんな全然。助手さんが悪いんじゃなくて自分がその、小心者なだけでして、えっと、すいません。」
最期の方は聞こえない程に小さな声でだったので正しく聞き取れたかは不確かだが、前髪をいじりながら髪の向こうで落ち着かない様子で視線をあちこちに彷徨わせるようで、初対面の相手にこんな感想を持つのも失礼なのは重々承知だが、頼りなさというか自信の無さがありありとにじみ出ていた。
いつもの様にお盆にのったお菓子をそれぞれの前に配り終えた少年も席に着き、まあとりあえずいっぷく入れよと熱いお茶を入れてくれる。 須賀と呼ばれた青年は一刻も早く用事を終えて帰りたそうだし、いきなり大幅に縮んだ身長の件も気持ちが急いているのだが、家主はその様子を察してかいるのかいないのか判別できない仏頂面で、いつものようにお茶を啜り菓子に手を付けている。 彼のマイペースは今に始まったことでは無いので隣と目を見合わせしょうがないと肩を竦めてみせ、目の前に置かれた皿に目を落とすと今日は三色の長方形が載っていた。 本日のお菓子は羊羹のようだ。隣の少年は手づかみで口に運んでいるが私達の前にはフォークを配ってくれているので切り分けて口へ運ぶ。羊羹独特のつるんとした表面と断面のまろやかな食感に舌を楽しませ、奥歯で噛むと甘さが舌の先から奥へと伝わり口の中全体が餡の甘味に支配される。 広がった餡を喉奥に飲み込み熱いお茶で歯や舌上の残滓たちも同様に追いやると、不思議と羊羹の上品な香りだけが鼻から抜け長年愛されてきた所以を体感する。やはり羊羹には熱いお茶だ、古事記にもそう書いておくべきだったろう。
「えっと、そろそろ本題に移っても構いませんか?」「構わぬが、その前に一応紹介しておこう。この私に近い方が先ほど話していた助手の台座、貴様の左に居るのが最近の斑のお気に入りである羽曳野だ。」
無表情のまま掌を上にした右手に紹介されどうもと軽く会釈をすると、では自分もと青年は照れているのか前髪を指でクルクルしながらそれに倣う。
「えっと、自分は京都で調停師をしている須賀聖と申します。混成二次の≪正義≫ですが、その、何卒よろしくお願いします。」
今度はしっかりと聞き取れたものの、またしても聞いた事のない単語が現れ反応に困って見合わせてしまう。 挙動不審というか終始所在なさげな青年はその様子を見て、何か変な事を言ってしまったのではないかと勝手に動揺し始め顔から血を引かせている。 やれやれといった様子で、こ奴らはまだ新米ゆえ怪異の種別という物を知らんのだと教えてもらい何とか平静に戻れたようで、動揺を押し流すようにごくごくとお茶を飲むのだった。