大晦日と元旦は久しぶりに会う親戚からお年玉を頂くという重大ミッションがあるため祖父母宅で過ごし、一昨日は家でダラダラしつつスマホで友人たちと残り少ない冬休みの予定を相談したその翌日。昨日は桃と合流して近所の大きな神社に初詣。帰ってからは放置していた課題を数日掛けて終わらせ締めくくりに冬華と遊びに行くという充実した中期休暇の終え、今日は学期の初登校日だった。 休みの間は体を動かすことがないうえに起床時間も遅いので活動時間も短かくなりがちだが、しっかり三食の食事は忘れないため全体的に贅肉が付き丸くなってしまった。 いわゆる正月太りである。
さっそく運動部に混ざって体を動かし不法滞在している駄肉共を燃やし尽くしてやりたい所だったのだが、学期初日はどの部活もお休みのようで手伝いのお呼びはかからなかった。 であれば時間もあることだしと坂の上まで運動がてら新年の挨拶にでもと思い長い坂を登って来た訳だが、呼び鈴を押して出て来た少年に新年の定型句を述べると居間に通してくれた。 いつもの様に台所へ消えていく背を見送りながら今日は珍しく山川は居ないんだなと思いつつ定位置に腰を下ろして待っていると、部屋から望む庭の右手奥、図書館方面から細長い身体をゆらゆら揺らしながら斑さんが現れ縁側から私の左手へ憔悴しきった顔で座ったのだ。 そうして若干焦点の危うい目を据えた顔面をゴキリと音がしそうな勢いで私の方を向け口を開いたところから冒頭の長台詞へと帰着するわけだ。
「貴様もいたのか。」
それだけ言うとおそらく斑さんの湯呑とお菓子を取りに行ったのだろう、再び台所へと帰っていく。 耳の痛くなるほどの沈黙のなか今もなお罪人を見つめ続ける潤んだ双眸の前に体の向きを変え、床に手をつき全身全霊の謝罪する姿を山川に見られなくて本当に良かったと思う。 もし見られていたらあの鬱陶しいノリで茶化されていたに違いない。
「どうして謝るんだい?私はただ何故顔を出してくれなかった理由を知りたいだけなんだよ。」「申し訳ありませんでしたー!直ぐに予定聞きますんで少々お待ちを!」
言うや早く冬華に電話を掛ける。こんなにも出てくれと強く願いながら画面をタップしたのは初めてかもしれないが、残念なことにこういう時に限って繋がらず無情にも留守番電話に繋がってしまう。 その間も斜め六十度に傾いた頭についている、ハイライトを失った双眸はただ一度の瞬きもせず私を見つめ続けており、伝言は残さず電話を切りメールアプリを開き視線を画面に逃がしつつ大急ぎでカコカコと間抜けな音を響かせながら予定を聞く内容を送った。
客間に庭の鹿威しが石を打つ音が響く。 一層静寂が強調され肺へ息を送ることすら困難なほどの質量を伴った空気が元に戻ったのは少年が部屋に戻って来てからで、それまでの数分間は産まれてこの方味わった中でまず間違いなく体感時間の最長レコードを更新した事だろう。
「斑よ、それぐらいにしておけ。」「塵塚はいいよね。たくさん気にかけてもらえてるし、それでなくとも君の仕事は新顔ばかり。さぞや毎日刺激に溢れているんだろうからね。」
話しかけながら斑さんの前へ、次に変な汗をかきながら俯く私の、最後に自分の順で置いた皿には正月には欠かすことのできないお餅が載っていた。 こたつへと変身を遂げている丸卓の中心には箸立てとお好みでどうぞと言わんばかりにきな粉と醤油がコトリと置かれているので、今度は延々と少年へ愚痴を並べ立てている妙齢の女性から隠れるようにそっと醤油をとり器の端に少し垂らす。 私の前に置かれている表面のざらついた、いかにも高級そうな焼き物皿の上には真ん丸で中心の膨らんでいる白餅と、中の具がはみ出そうで出ていない絶妙な加減で焼かれた餡餅が一つずつ乗せられており、双方から発つおこげと甘い香りが腹の虫が刺激されグルギュルと獰猛な泣き声を挙げる。皿の上の内容はそれぞれの好みなのか異なっており、少年の前には白餅のみ、斑さんの前には餡餅のみが並んでいた。 そんなことはさて置いてまだまだ留まる事を知らない司書の愚痴に耳を閉ざし、祝箸を手に取り焼きたてであろう白餅から頂く。皿の端の液体にちょんと浸けまだ熱い餅を前歯を立てるとパリッとした表面の奥からトロトロの餅が口内に流れ込んできて、反射的に火傷をすまいと口が勝手にホフホフと外気を取り入れようと足掻く。 醤油の香りが餅に熱され香り立つことで鼻孔をくすぐり唾液が分泌されるも、それだけでは間に合わず何か飲むものをと目を彷徨わせると気が付かぬ間に湯呑に入れられたお茶が置かれていたのでこれ幸いと口内へと中の液体を招き入れる。おそらくこうなることを想定して入れられたお茶は丁度いい具合の温度にぬるく、燃え盛る口内を消火し安心して咀嚼することが出来るようになった。 白餅を食べ終えた後に餡餅のこし餡が思った以上に熱を保持しており、同じことを繰り返してから顔を上げると、いつの間にか会話を終えていた二人から優しい視線を感じなんだろうと思っていると少年が口を開いた。
「そろそろ本は読み終えそうか?」「まだ一冊目の半分くらいかな、って本棚置くようにしたんだ。それに続きの巻もあるんだね。」
客間の隅に置いていた辞書や分厚い怪異の記録達は、先月までは畳の上に直接置かれていたのだが今は本棚へ一緒に収められている。 怪異辞書の隣に普段読んでいる過去の事例が面白おかしく書かれた怪異伝というシリーズが並んでいるが、一冊でさえ分厚いのに似たような装丁が三冊ほどあり、まだまだ読み終える日は遠そうだと悟る。
「そこに収められている物はまだ一部にすぎぬ。昔の絵巻物から比べれば随分縮小されたとはいえ、場所を取りすぎるのでな。全て読み切ればまた新しい物に入れ替えるゆえ、その時は声を掛けるがいい。」「三年で読み切れるかな。」
言い終えた少年は少しだけ熱がマシになったであろう餅を手で直接掴み、断面に皿の上へ溢したきな粉をまぶしてから小さい入り口いっぱいに齧りつく。 可愛らしく頬袋の中でもちもちと食べ始めたのだが、信じられないものを見るような顔をした斑さんから表情通りの声が上がった。
「塵塚、対応が私の時と違い過ぎないかい?」「そんなことはない。」「いいや違う。私と話すときはいつも単語か精々一文だし、三秒以上の文章なんて聞いた覚えがないよ?」「気のせいだ。」「ほら、それだよそれ。もはや短文じゃないか。」「ふん。」「鼻息だけだなんてもはや会話ですらないよ君。なるほど分かった、あくまで対応の差を認めないというのであれば私にも考えがある。君が認めるか私の機嫌が直るまで図書館を立て籠らせてもらおう。」「……。」「この期に及んでまだ口を噤むとはいい度胸だね。いいかい、今日からあのドアは天の岩戸よりも固く閉ざし、よほどの事がない限り開くことはないと思う事だ。」
拗ねた風の司書は両手で餡餅を掴み詰め込むようにして口内に放り込むと数度噛み、私の手前と同様にやはりいつの間にか置かれていた湯呑に入ったお茶で流し込むようにして餅を細い喉の奥に落とすと席から立ち上がり、縁側へ置かれた靴に足先を引っかける用に履くとサッサとその場から居なくなってしまった。 ものの数秒の出来事に言葉を失っていると、少年は何も無かったかのように縁側へ行き干されている布団やこの間プレゼントされたばかりのパジャマとナイトキャップを取り込み始める。
「あれ大丈夫なの?」「ままあることだ。気にするな。」「よくあるんだ。」
見るからに仕事の出来そうで山川すら萎縮し軽口を叩かず大人しく従う斑さんにも意外と可愛い一面があるんだと思っていると、続く言葉に怪異との差を感じさせられた。
「以前、そう確か丁度最後の幕府が倒れた頃に引きこもった時も新しい年号に変わるごろには機嫌を治して開いて出て来た記憶がある。今度も捨て置けばそのうち勝手に出てくるだろうよ。」
うろ覚えながら数十年はくだらない期間をそのうちという言葉で表す辺りに時間間隔が人間と大きく違っている事が伝わってきたが、怪異には怪異の感覚があるのだと最近徐々に学んでいるのでそうなんだと返すに留めておいた。 話をしている最中ポケットの中の端末が震え、次の土曜放課後の冬華の予定が空いていることが確認できてほっと息を吐く。 長身の司書が消えていった板塀の向こうに眼差しを向け、今回の天の岩戸は一週間足らずで開くことを願いつつ本を手に取った。