群馬支部、その支部長が下層に消えていった後。一行は途方に暮れていた。一切そこの日常は変わらず、ありとあらゆる富豪が酒に女に、節度を持って楽しんでいたのだ。
「――下であれだけのことがあったのに、一切何ともないんですね」
「……グレープ・フルボディとミディアムボディの間には、とんでもなく分厚い層がある。それが防音や衝撃吸収の役割を果たしてんだ。下でどれほどドンパチしようと、ここの富豪どもには一切耳に入らない上に聞こうともしないだろうな。反社の人間と関わって、今までのキャリアぶっ崩したいようなバカはいないだろ」
実際、ここが作られた大元に存在するのは反社会的勢力であるはずなのに、実に本末転倒な話である。
しかし、問題はこれからの話である。いずれ、謡が目覚めたとしても麻薬の禁断症状がやってくる。しかも、売春所にいた子供たちが摂取していた麻薬は、次元の違う依存度の高い麻薬である。禁断症状を恐れ、そこに入り浸る選択を取った子供たちが、圧倒的大多数だったのが何よりもの証拠である。
そのため、まず脳裏に浮かんだのは、現在どこかでエヴァを探している信一郎の顔。
しかし、現在位置が分からない中で探しようはない。謡を背負いながら山梨一周行脚など出来はしないだろう。
それに、エヴァもどこにいるかは不明。理想郷内で治療は受けられるだろうが、通常薬物依存症を治療するうえで、急性中毒症状や離脱の治療なら数日から数週間で急性の症状自体は抑えられる。しかし、真の意味で治療するなら少なくとも二か月ほどの期間が必要不可欠。
謡基準で行動を決めようとなると、非常に行動先が絞られる。
「――どうすれば」
その時、灰崎が呟いた一言は、一行の行動を定めるものとなった。
「……『悪さをすると、忍者が来る』。山梨に昔から伝わる伝承があるんだが……」
「……確か、『義賊伝説』とか言ったか? 何で急にそんなこと言いだすんだよ」
「いや、以前聞いたことがあるんだ。それもこれも、王漣組以外の組織が表層で抗争した時、『忍者』が争いごとを収めた……って」
この山梨県において、忍者が関わるような場所はたった一つ。現状、とんでもないことの連続なため、その忍者が動き出している可能性はあった。さらに、院と透にとっては安心感に近い確信が一つあったのだ。
「……学園長が、もしそこに関わっていたとしたら、どうよ」
「辻褄は、合いますわ。その『義賊伝説』が眉唾でないとしたら……英雄と忍者が結託し、山梨支部とグレープ・フルボディの闇を作り上げた諸悪の根源と立ち向かっているかもしれません。私たちと同様に」
このグレープは、あらゆる観光名所に繋がる昇降機が存在する。それをあらかじめ伝えられていた二人は、『忍野 しのびの里』に繋がるものを探すべく動き出した――――その時であった。
三人の前に、瞬間移動の如く唐突に表れる忍者一人。目元以外は黒の頭巾でおおわれており、表情を窺い知ることはできない。
「うわ、マジで忍者ですわよ!?」
「しかも瞬身の術とか……大マジじゃあねえか」
若い二人が大騒ぎしている中、灰崎は実に悲しそうな表情で忍者を見やる。それは、死を覚悟したものであったからだ。
「――俺を、殺しに来たか」
「そんなことはない。それはある漫画の影響を色濃く受けた者から、伝え聞かされた
眉唾ゆえ。ブッ殺すのはこの国の司法であり、我々忍者の役割ではない。前時代であったら……そうだったかもしれないがな」
忍者は灰崎を見つめると、大きくため息を吐く。それは、その目に一切の戦意がないこと、それに自らの行為を酷く後悔している、自らの罪をしかと受け止め反省する、殊勝な罪人の目をしていたのだ。
「――貴様らの行った罪は、消えることはなく烙印として背に残る。しかし……その行いを少しでも悪いと思うのなら、我々に協力せよ。事は思ったよりも重大だ」
その忍者の言動に、最初疑問を持っていた院と透であったが、彼がその後に言い放った一言で顔色が変わったのだ。酷く青ざめ、忍者に迷うことなくついていく選択をノータイムで取ったほどであった。
遡ること数時間前、二人が清志郎と出会う前のこと。
エヴァと信一郎がレイジーを見送った後の話になるのだが、二人や御庭番衆がいくら待っても、子供たちが起きてこないのだ。
時刻にして、朝八時のこと。
「――遅いね、あの子たち」
「……いや、これはおかしいな。エヴァちゃん、一緒に行こうか」
信一郎とエヴァが、剣道場の襖を開くと。
そこに、誰もいなかったのだ。