大の大人が子供に叱られている姿を見ているようでいたたまれず、もうその辺で勘弁してあげて欲しいと思いながら座っていたはずが、私はいつの間にか床に突っ伏して倒れていた。 まるで漫画を読んでいてうっかり一ページ飛ばしてしまったかのように目の前の風景が変わっているので、不思議に思いながらのそりと起き上がって頭を回してみると、キッチンからお茶とお菓子を盆に載せて運んで来た宮比さんと、桃にぎゅっとしがみついて私の顔を見るなり怯えた顔で小さな背に隠れる小紅の姿が目に映った。
「もしかして、やっちゃった?」
「正確にはやりかけた、だな。怪異も普通の人間みたいに脳天締めされたら頭蓋骨軋むんだな。何にせよ宮比さんが酒好きで助かったよ。」
元の位置に戻りながら猛省する。 おそらくだが中学生の時と同じくあの言葉を聞いた反射で思考回路のブレーカーが落ち、小紅に危害を加えようとしてしまったようだ。
「ごめんねー?もう正気に戻ったから大丈夫だよー?」
努めて優しい声音で先ほど家主がしたのと同じように膝立ちで目線を合わせようと試みるが、桃だけでなく机に飲み物と菓子を配膳しおえた宮比さんの腕までも引きよせ顔を覆うに後ろへと隠れてしまった。 子供にその反応をされるのは傷つく。 仕方ないけど。
少しの間休憩としてクッキーを摘まみつつ紅茶で喉を潤しているが一向に彼女の警戒は溶ける気配はなく、今も二人の腕の間から覗くように此方の様子を伺っている。 傷ついた。 物凄く。
腕の届く範囲に居ると怖がられるので今度は私が先ほど小紅がいた位置に正座し、小紅は最も安心できるのか宮比さんの膝の間に落ち着いた。 小紅の弁が本当であるのなら、おそらく生まれてからずっと一緒だった彼女の近くが一番落ち着ける場所なのだろう。 流石に完全に安心しきってはいないようで、何故か若干酒臭い私へちらちらと視線を送りつつ話が再開された。
「それで?あんたが宮比さんの為に色々やってあげてたのは分かったけど、それなのに何で怪我するような真似したんだよ。」
傷つけた相手の膝の内で俯きながら少女は答える。
「だって、最近のヒナちゃんすごく大変そうだったんだもん。」
桜色の唇からかすかに漏れ出すように発せられた言葉は、彼女が憑いてきた理由を話した時と同じ印象を与えるものだった。
「家に居た時はツルちゃんが頑張って栄養のあるご飯作ってあげてたけど、こっちに住むようになってからはそれがなくなって、ご飯も鳥の餌に牛乳かけたみたいのばっかりになって。お化粧で誤魔化してるけどあんまり眠れてないみたいでお薬飲んだりしてるけど顔色もどんどん悪くなってるし、このままじゃヒナちゃんが壊れちゃうって感じて。何とか休ませなきゃ、どうにかして仕事に行くのを邪魔しなきゃって。」
「それでコードが足に巻き付いてきたり、外出を妨害しようとして物が飛んできたりしたのね。」
「……ごめんなさい。」
相手を思っての行動とはいえ姿はおろか声すらも聞こえない相手からそのような事をされるのは怖かっただろう事は理解しているようで、その心からの謝罪を受けた宮比さんはじゃあと手を打って名案を思いついたとばかりの表情で、得意げに解決策を打ち出した。
「つまり小紅ちゃんがご飯を作りやすいように、台所に子供用の調理器具を置けばいいってことね?」
リビングを重たい沈黙が支配した。 きっと私が少年から消滅すると言われた時の三人は、こんな気持ちで私を見ていたのだろう。
「……どうしたの?」
誰も何も返してくれないの理由が全く理解できていないのか、股の間のチビッ子にすら劣る鈍さのトップモデルは頭の上に疑問符を並べるたのだった。
「それで、その後は結局どうなったのだ?」
「来年から仕事のスケジュールを減らすようにマネージャーさんと相談して、仕事が終わったら小紅コーチの元で料理のお勉強してるんだってさ。」
冬休みの初日、翌日にクリスマスを控えた十二月二十三日の塵塚邸で炬燵に冷えた両手を突っ込む。 東北地方から北には存在しない家電らしいが鼻先が凍る程冷えた空気から屋内に逃げ込み、炬燵で手足の先から温まる快楽を知らずに生きるなんて勿体ないと思う。 少年は質問とは全く違う事を考えながらの返答にそうかと言い、机の中央に盛られた蜜柑をコロンとひとつ渡してくれた。
「いやーやっぱ冬いうたらこれやな。炬燵に蜜柑。日本に生まれてほんまよかったわ。お嬢はんもそう思うやろ?」
いつもの位置で水かきの付いた手で器用に皮を剥き、口に放りみながら河童が文化を語っているが流石に同意を禁じ得ない。 そんなことはさて置き、一応仕事の話をしている最中なので山川は無視し、元受けに質問する。
「それにしても塵塚君はどうして今回の内容が危なくないってわかってたの?」
「そりゃきいたんでっしゃろ。塵塚はんやし。」
「いつの間に?というか誰から?」
話をスルーされた事など気にもしない山川が割り込んでくる。 事前に話を聞いていたという事だろうか。 しかしそれならそもそも宮比さんが少年のもとを訪れる理由がないのではと考えていると本人の口から答えが出された。
「台座も居たあの場、小紅本人の口からだ。」
「もしかしてずっと付いてきてたの小紅ちゃん。」
「子守雀は座敷童のように家に憑くものではないからな。あれは本来決めた家系の子供が元気に育つように見守り時には密かに力添えする程度の怪異なのだが、小紅が過保護すぎるのか、それとも宮比がしだらすぎるのかは分らんが大人になってもその範疇として認識されているようだな。どちらにせよ人間に害を及ぼすような手合いではないゆえ、危険はないと判断したのだ。」
「どうしてそれを先に言わないかなー。」
言葉を返さず橙色の半月を口に入れ会話を終えたという風だ。 うっかり小紅ちゃんの頭を握り潰してしまう所だったという言葉は喉の奥に引っ込めながら震えるスマホに目を落とすと、メールが届いた通知が来ていたのでそれを開く。 料理を自慢する内容の文章の下に雑誌でも観ることのできないとびきりの笑顔の横にぽっかり空いた空間を見つけ頬が綻んだ。 きっとここには写真には写らない彼女が居るのだろうとポケットから布を引き出し目に当てると、案の定あの小さな怪異が弟子に抱き着くようにしてその力作を讃える姿が映っていたのだから、今回の仕事は大成功と言って差し支えないだろう。