スパンと大きな音を立てながら勢いよく開き即座に中段に構え警戒しながら戸の内側に飛び込むと、一見して無人の静寂に出迎えられる。 しかし他に潜めそうな場所はないので一つ一つ丁寧に観察するべきだろう。ベッドルームにはリビング同様あまり家具が置かれておらず、ベッドとその脇にサイドテーブルがあり、その上には小洒落たランプにスマホの充電器が刺さったテーブルタップがある程度で、あとはコートが幾つか掛けられたハンガーラックがあるのみだ。 這いつくばるような姿勢でベッドの下を確認してから二人を呼び、コショコショと声潜めて臨戦態勢の構えのまま中から飛び出してくる犯人に備える。 両脇に控える二人によって勢いよく開かれたクローゼットには、しかし犯人の姿は認められず私には縁の無さそうなお洒落着が揺れるだけだった。
若干の引っかかりを覚えながら三人が同時に肺の底から漏れ出たような深い安堵のため息が漏れた瞬間、私の両サイドで静止している二人からは出るわけがない走るようなドタドタという足音が玄関方向に向かって響き渡り、バタンっと勢いよく玄関ドアの閉じられる音が屋内の空気を大きく振動させた。 気を緩ませた瞬間に起こった出来事に硬直していると、今度は先ほど玄関に向かったばかりの足音が、今度はゆっくりと此方に近づいてくるのを感じたので数秒前とは逆に戸を引いて密室を作りあげる。
「相手の姿見た?」
仕方ないとはいえベッドルームに立て籠るという最善とは程遠い形となってしまい、もはや相手にここに居ることがばれているので息をひそめる意味はないと声を解禁して二人に問いかける。 非常時なので敬語でないのは許してもらうとして宮比さんは驚きからかまだ声が出せないようで、女の子座りで身を抱き俯いたまま頭を横に振り、その対面の桃は大股を開いた状態で尻もちをついており、やはりこちらも必死の形相でブンブンと首を横に振り否定の意を伝えていた。 元々戦力に数えてはいなかったが守るには先手必勝しかないと腹をくくり、桃に合図をしたら全力で戸を引いて開けるように指示し待ち構える。 左足を前に出しつつ右足を半歩後方に引いて腰を落とし、左腕は水平に固定して右手を胸の前で強く握りこむ。 何時でもこいと息巻いたまま待ち構えていると戸の向こうで足音が停まり、手がかけられた僅かな振動を感じた刹那、腹の底から友の名前を張り上げた。
「桃!」
合図とともに勢いよく開けられた戸の向こうへ渾身の拳を振りぬける。 どっしりとした下半身の先から伝達された力は、脹脛を経由して腿を伝わり腰の捻りと共に正面へと解き放たれる。 おおよそ成人男性の顎あたりを狙った必殺の一撃は、しかし想定していた標的には当たらず、ベッドルームから拳に押されて飛び出た空気の塊はリビング中央のソファと机を超え、対面の壁に飾られている酒瓶に衝突し亀裂を入れるに終わった。
「……あれ?」
確かに戸の向こうに手がかかるのを感じて合図を出したし、余程研鑽を積んだとしても反応できる者は極僅かであろう一撃だったのだが、拳の先どころか戸から頭を出して左右を見渡しても足音の主は影も形も見当たらない。
「あ、う。うあ。」
聞き覚えの無い声に足元に目を向けると、おかっぱ頭に紅い着物を来た少女が腰を抜かしたよう尻もちを付き私の顔を見上げていた。
今私達はコの字型をした三人掛けソファの中心に宮比さんを据え、三方から睨むような形で少女を正座させている。 悪さしたとはいえ小学校の低学年にしか見えない者に圧をかけるのはどうなんだろうと思うが、頭を悩ませていた怪異の正体が幼い少女の姿であったと知ったことで何とも言えない表情をしている家主の代わりに桃の口から質問、否、詰問が始まった。
「名前は?」
「こ、小紅です。」
「苗字!」
桃が威嚇するように机をドンと叩いた。 一昔前ならともかく今だとコンプラ的に警察もしないそれに、ヒゥッと首を縮めながら怯え薄く涙の浮かんだ目を見開いた童女はおずおずと答える。
「み、苗字とかはなくて。その、お父さんもお母さんもその辺めんどくさいって。えっと、種族名ならあって子守雀なんですけど。」
訝し気な視線で自分よりも小さな相手にゴリゴリの圧を掛ける友人に気圧され、少女はだんだん声量を小さくしながら聞いた事のない種族名を名乗った。
「そんな人性生物聞いたことがないわね。」
家主はスマホをタップし今聞いたばかりの種族名を調べているようだが、その結果は芳しい物ではなかったらしく眉間に皺を寄せていた。
「あの人性生物じゃなくて怪異なんで、えっと多分その、確信はないんだけど、目隠しを取ったら見えなくなっちゃうんでそれで信じて貰えたらなって。」
視界を塞がない上に余りにも自然な付け心地なので忘れていたが、そういえばそうだったと片方だけ捲るようにして右目で直接見てみると、確かに誰もいない空間に言われてみれば人間の形と取れなくもない薄く白い靄がある。 右目と左目を交互に瞬きしてみると確かに人性生物のように普通に人と共に生きている存在ではないことが理解できた。
「なんだか片目だけVRゴーグル越しに見ているみたいで不思議な感じがするわね。」
いつの間にか私の真似をしていた宮比さんも左右で違う景色を移す眼に、私も知識として知ってはいるが実際に遊んだことはない電化製品で例えてくれた。 なるほどVRゴーグルってやつはこういう感じなのかと疑似体験していると桃が詰問を再開する。
「怪異だってのはわかったけど、なんで宮比さんを襲ったんだ?」
「違うんです!襲ったんじゃなくて、いや結果的にというか、手段として手荒な事をしたんですけど、あれ、じゃああたし襲ったのかな。」
やはり言葉の最期に行くにつれて尻すぼみになり、自分の行動についてまで自信をなくしていく姿に同情したのか、宮比さんは小紅の前に膝を付き目の高さを合わせるようにしながら迷子の子供に語り掛けるよう優しく先を促した。
「怯えなくていいからね。ゆっくりでいいから何で私の家にいて、どうして物をぶつけたりしたのか教えて?」
斜め下の膝の上の拳へ落としていた目線の先に、袖からのぞく腕の湿布が映ったようで少しはっとした表情をしたが直ぐに涙をぐしぐしと着物の袖で拭うと、今度は真っ直ぐ対面で膝をつく家主の目を見つめ返しながら、信じてもらえるか不安そうにしながらも少女は訳を話し始めた。
「ヒナちゃんは覚えていないかも、ううん、きっと忘れちゃってると思うんだけど、小紅はずっと前から宮比家にいたんだよ。ほんとだよ?信じられないかもしれないけど、でもそうなの。」
怪異は記録に残らず、記憶は辻褄があうように塗り替えられるという塵塚少年の言葉を思い出す。 目の前の少女が怪異である以上、例外に当てはまっていない宮比さんの記憶には残っていないのだろう。 あらかじめ本から知識を入れ実際に携帯端末のカメラを用いて試行している宮比さんは、驚く素振りもせず肯定し更に先を求める。
「子守雀は少し前に生まれたばかりの新しい怪異で、伝承もすごく狭い地域でしか語られてないんだけど、その分地域密着型っていうか。伝えてくれる家にはとにかく尽くしなさいって教えられてて、それでヒナちゃんが家を出た時に一緒に大阪まで憑いて出てきたの。うちのお父さんもお母さんも地元を出るのには反対してたんだけど、ほらヒナちゃんって昔から散らかしたら散らかしっぱなし、ご飯食べた後の食器の片付けも全部ツルちゃん任せで洗い物だってしたことないじゃない?昔っから小紅が片づけてあげてたのも悪いのかもしれないけど、片づけたばかりのおもちゃを引っ張りだしてきて遊び始めたかと思ったらそのまま埋もれて寝ちゃうんだから。それでツルちゃんに怒られる姿が見てらんなくて、代わりに何度も片づけて布団に運んであげてたんだよ?でもね、今はこんなだけどきっと大人になったらちゃんとするって思って見てたのに全然そんな事なくて、仕事から帰ってきたら服は散らかしっぱなしだし自分でアイロンかけるのが面倒だからって何着も同じシャツを買って来て、着てないストックがなくなったら慌ててクリーニング屋さんまでぐちゃぐちゃに纏めて出しに走るし。そんなヒナちゃんが一人暮らしが出来るなんて想像もできなくって、心配で仕方なくって。」
身内しか知らないようなガサツな一面を暴露されたトップモデルは、先程の大人の優しい顔からまるで昔の不出来を最近できたばかりで綺麗な一面しか知らない友人の前で暴露された時のように額に手を当て天井を仰いでいる。 雑誌にはお洒落な外見に違わぬ私生活を送っている事を裏付けるようなインタビュー記事が載せられていたが、それはあくまで仕事上のキャラであって私生活は案外ずぼらなのかもしれない。
「小紅が怪異だから気づかないのも仕方ないけどそれにしたって限度があるんじゃない?この部屋に住んでから折角据え付けた最新の洗濯機に一度も触れてすら居ないのに洗濯された服がベランダで干されてたり、シャツのストックが無くならないのとかをどうして不思議に思わないの?」
「それはほら疲れて記憶に残ってないだけで、実は自分でやってたと思ってて。」
「自分でやってた?触ったこともないのに?じゃあ実演してもらいたいんだけど、洗濯機の何処に洗剤とか柔軟剤を入れるかわかるの?」
「わ、わかりません。」
「でしょ?なのに気づいたら悪霊扱いした挙句、その果てにはこんなゴリラおんn」