「次は、日本かも──」
誰かの小さな声が、自習室の静寂に落ちた。図書館の午後。空いている席ばかり。
……無理もない。今、日本中が“巨人”の話で持ちきりなのだから。
俺の名前は白井ヒロト、高校一年。
今日は本来、月曜日で登校日のはずだった。でも昨夜、カリブ海に現れた“海の巨人”の影響で、俺の学校は臨時休校になった。
(休みは嬉しいけど……正直、不安のほうがでかい)
両親は共働きで昼間は家にいない。
……誰かと遊ぶ気にもなれず、気づけば図書館に来ていた。ときどき利用していた静かな場所だ。
教科書を広げてみるが、ページは全然進まない。思わずスマホに手が伸びてしまうが、SNSもニュースも、どこもかしこも“巨人”の話題ばかりだ。
世界中で、謎の“巨人・巨大生物”が出現している。
最初は1週間前。ニュージーランドの山岳地帯で、黒い石像のような巨人が突如現れた。登山客132人が襲われ、生存者の撮影した映像がSNSで拡散された。
──その巨人の背中には、緑色に点滅する『34』という数字。
続いて2日後、ブラジル。
四本足で歩くカメレオンのような生物が、都市の中を悠々と徘徊した。人も建物も襲わず、ただ3分で忽然と消えた。監視カメラに映った背中の数字は『32』。
そして昨夜、カリブ海。
巨大な“顔”が海面から浮かび上がり、周囲の海を壁のように盛り上げた。クルーズ船を巻き込んで転覆させたその姿──背には『29』。
……数字は、徐々に減っている。
まるで、カウントダウンのように。
『バックナンバーズ』──それが、奴らに付けられた名前。
世界中に現れるその“何か”たちは、見た目も行動もバラバラだが、ひとつだけ共通点がある。
──背中に浮かぶ、緑の発光数字。
淡く、脈打つように点滅するそれは、ただの飾りではないはずだ。どれも出現はわずか3〜5分。そして突然、姿を消す。その目的も、正体も、誰にもわからない。
テレビでは、専門家やコメンテーターたちが「次は日本だ」と口を揃えて警鐘を鳴らしていた。スーパーの棚からは米やトイレットペーパーが消え、SNSでは“人類終末”という言葉がバズっていた。
誰にも正体がわからない“何か”は、恐怖を加速させる。だからこそ、人は──想像で一番怖い未来を作ってしまう。
今、俺たちはその“途中”にいるのかもしれない。
グループLINEでは、同じ中学出身の男子たちが今日もバックナンバーズの話題で盛り上がっている。
──宇宙人派、人工兵器派、AIフェイク説まで。
「どう見ても宇宙人でしょ」
「いや人工兵器に決まってる。背中の数字が証拠」
「出現順が34→32→29……カウントダウン説あるらしい」
誰かが貼った海外掲示板のスクショには、「ナンバーが小さいほどヤバい」「0になったら人類終了」なんて不吉な文字が並んでいた。
「CG映像だよ。全部AIが作ったんだよ」
「でも死者も出てるって」
「それもフェイク。政府が規制してるだけ」
──みんな、勝手なことばかり言ってる。
とくにうるさいのは、朝日拓真と小宮正吾。
拓真はクラスの中心、小宮はリアルだと無口なのに、ネットではやたら活発なタイプ。二人とも俺とは中学からの腐れ縁だ。
俺はというと──書き込むことはほとんどない。
ただ、画面を眺めて既読をつけるだけ。
……なんだろうな。
他人事みたいにしか感じられない。不謹慎なのかもしれないけど。
黒髪、平均的な顔、平均的な背丈。クラスで浮くわけでも、目立つわけでもない。
凡人。中庸。
唯一、自信があったのは──野球だった。
小学生のころから1番ショート、中学でもレギュラー。
だけど、中3の夏で終わった。
あとから野球を始めた拓真にレギュラーを奪われた。彼は背が少し高くて、守備もうまくて、打球も伸びた。
本気で悔しかった。
誰にも言えなかったけど、涙が出るほど悔しかった。そして、肘を壊して、俺は静かに部活をやめた。……逃げたんだと思う。
皮肉なことに、拓真も高校ではあっさり退部していた。
今でも普通に話すけど──
あいつの明るい顔を見るたびに、古傷がうずくような痛みがある。
俺はスマホをしまい、背伸びをした。
昼の光が木製の机に落ちている。ここだけは、世界の混乱から切り離されたように穏やかだ。
「……とはいえ、ここもいつ休館になるか」
そうつぶやいたとき──ふいに、耳元で俺の名前を呼ぶ声がした。
柔らかくて、静かで、少しだけ甘い声だった。
顔を上げると、そこに一ノ瀬遥がいた。
学年一の美少女と噂されている、あの子だ。
「い……一ノ瀬さん……」
驚いて声が裏返った。
まともに話したことなんてない。その彼女が、いま俺の目の前に立っている。
「本が多い場所って、なんだか落ち着くから……」
「わ、わかる。俺も、なんとなく……」
ぎこちない会話。顔が引きつる。変な笑顔になる。
そんな俺を見て、彼女はふっと笑った。
「私も、一人だと怖くなってくるんだ」
その一言で、胸の奥が少しだけ揺れた。
(怖い──か)
彼女が戻ってきて、俺の隣に座る。
清楚な服。ふわっと香る匂い。
同じ空間にいるのが信じられないくらいだ。
「……一緒に勉強しよ。……勉強で現実逃避って、変だけどね」
そう言って、小さく笑った。
彼女が俺の隣に座る。清楚な服。ふわっと香る匂い。同じ空間にいるのが信じられないくらいだ。
「……一緒に勉強しよ。……勉強で現実逃避って、変だけどね」
小さな笑い声。それに釣られて、俺も笑おうとするけど──うまくいかなかった。
(現実逃避……っていうか、今のこれが非現実すぎる)
世界を騒がせている巨大生物も、一ノ瀬さんが俺の隣にいるということも、どちらも信じがたいくらい現実味がない。状況が状況すぎて頭が追いつかない。
そんな俺の様子を気にしたのか、一ノ瀬さんが少し照れくさそうに言った。
「ねぇ、昼ごはん、うちで一緒に食べない? すぐ近くなんだ。簡単なご飯くらいなら作れるよ」
一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
(えっ……昼ごはん? うちで? 一ノ瀬さんと……?)
顔が熱くなってきているのがわかる。思考が追いつかない。
「え……い、いいの?」
口が、勝手に動いていた。
一ノ瀬さんは軽く頷いて、小さく笑った。
「うん。うち、昼間親いないし。誰かと一緒のほうが安心するから」
そう言って、彼女はわずかに首を傾げる。その仕草があまりに可愛くて、俺はとうとう何も言えなくなった。
(……こんなこと、あるわけないのに)